単身赴任になってから、よく映画をみるようになりました。週末に1週間分レンタルして毎晩1枚ずつみます。この1年半でおそらく100枚以上はみたのではないでしょうか。


こうなってくると、そろそろみたいと思うものが少なくなってきます。それで以前みたことのある作品をまた見たりするのですが、今は、故伊丹十三監督の作品を連続してみています。


先週は、「タンポポ」と「ミンボーの女」をみました。特に「タンポポ」は僕の好きな映画で、何度みても素晴らしいと思います。役所広司や渡辺謙など今をときめく俳優の若かかりし姿をみることができます。

伊丹映画には欠かせない山崎努や宮本信子もいい感じです。


で、今週みたのが「あげまん」と「お葬式」。「お葬式」は、何となくみた記憶があったのですが、「あげまん」は公開時わりと話題になったにもかかわらず、まだみていませんでした。そのあと、何度もレンタルする機会があったろうになぜだろう?と思っていましたが、昨夜みてみてなんとなくその理由が分かりました。


その理由とは・・・

「いくらなんでも宮本信子が18歳の役をするのは無理があるだろう」

というものでした。


きっと、公開時そういうことも含めて話題になっていて、怖がりの僕はきっと観る勇気がなかったのでしょう。ちなみに僕はホラーのたぐいは一切観ません。「エイリアン」が限界です。


そうした思いを乗り越えて、今回やっとみた「あげまん」でしたが、作品自体はまあまあといったところでした。まあ、監督自身も「現代のおとぎ話」と言っているので、他のリアルな作品群のイメージがある僕にはもう一つ物足りなかったのでしょう。まあそれは好き好きのレベルです。


しかし、改めて18歳の宮本信子をみると、やはり何とも言えない違和感がありました。

芸者の格好で白粉塗りまくりの光飛ばしまくりでしたが、それでもねえ。

撮影現場はどんなカンジだったのでしょう。

旦那でもある監督が「結構いけるじゃん。違和感ないよね」なんてことを言って、周りは同意せざるを得ないような状況だったのでしょう。監督自身の目には確かに18歳に見えたのに違いありません。


しかし、見終わった後、改めて思いました。愛ってこういうことだ、と。


親子愛でも夫婦愛でもコンビニの前でいちゃいちゃしているクソガキの愛(!)でも、周りから見ると滑稽で時には醜ささえ感じることがあります。だけど、本人たちにはまぎれもなく「愛」です。

宗教的な「愛」も、異教徒から見ればある種の異様さや滑稽さを感じるときがありますよね。


博愛、なんて言葉もありますが、実はちまたにある愛って結構排他的で閉鎖的です。


しかし、僕は思います。愛って言うのは、ただ、そこに有りさえすればいいのです。

自分の望むところに。望む人との間に。比べる物でもなく、価値に違いはありません。

他人から見たら滑稽で醜いけれど、確かに愛は世界を救います。あなたの世界だけですけど。


・・・なんて、思わず語ってしまいました。愛を語る姿も滑稽ですね(笑)。

それだけ衝撃が大きかったのです。18歳の宮本信子。


そういえば、映画「エビータ」ではマドンナも17歳くらいの役をやっていましたね。誰か止める人はいなかったのでしょうか。

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北海道もまだまだ暑いですが、夜は随分涼しくなってきました。

うっかり窓を開けたまま眠ってしまうと風邪を引いてしまうくらい涼しいです。へっくしょん!


さて、連載「どこで産むか?どうやって産むか?」の最後の章、③どうやって産むか?についての記事です。


「どうやって産むか?」って言っても、当然僕が産むわけではないのですが、僕の責任(?)でもあるので、一緒に考えています。


突然ですが、出産って痛いらしいですね。

男だったらその痛みに耐えきれず、死んでしまうとも言います。だって、赤ちゃんとは言え、人間の形をしたスイカよりも大きい物が・・・から出てくるわけでしょう?考えただけでも痛いです。

奥さんが集めてきたそれ系の雑誌や本を見ていると、「えいんせっかい」なんていう、恐ろしそうな言葉もあります。


ところで、素朴な疑問なんですが、なんで麻酔しないんですか?


技術が発展していない昔ならいざ知らず、今なら大丈夫な気もするんですが。

事実「無痛分娩」なんてやつもあるらしいですし。

でも、一般的じゃないんですよね。調べてみたんですが、「部分」ならいざ知らず、「完全無痛」は全国でも数えるほどしかありません。


それともう1つ、出産にはなんで保険が効かないんですか?

今でも、出産が理由で死んじゃう人もいるわけで、女性にとっては、生死に関わる一大事ですよね。

年寄りの無駄(とも思える)延命治療には保険が効いて、産まれてくる命に対してはだめだなんて、そりゃあ、少子高齢化にもなりますよねえ。

そればかりか、先に書いた「完全無痛」なんて、普通の出産費用が30~40万くらいであることに対し、100万くらいします。出産一時金なんていうのも出るらしいですが、30万くらいでしょ?

痛いのを我慢しない事ってそんなに罪なんですか(笑)。


男もかかる病気や虫歯は、どんどん無痛化が進んでいて、もちろん保険も効くのに、なんで出産はこんなに遅れているのでしょう。


僕は、2つの理由があると思います。


1つは、医者や役人は男が多い、という単純な理由。自分のなる(なった)病気に関しては、その痛みや苦しみについて何とかしようという意識が働きますが、自分に関係ない出産には、なぜか精神論で片づけられてきたようです。曰く、「お産は病気じゃない」。いやいや、痛いんだって。すごく。


そして、もう1つは世間の目です。世間っていうのには、親や親戚も入ります。曰く、「おなかを痛めて産んだ子には愛情がわく、云々」ってやつです。この種の発言は、テレビなどでもわりと良く聞きます。

不思議なことに、この種の意見は女性からのものである事が多いです。しかも出産経験のあるような人からのものが。

じゃあ、そんなこと言うからには、無痛で産んだ子供の方がおなかを痛めて産んだ子よりも虐待にあう確率が高いとかいうデータがあるのか、と調べてみてもそれらしいものもどうやらない。デマというか噂みたいなレベルで語られるケースはあるみたいですけど。


やっぱり、僕は「産みの苦しみよりも育ての苦しみ」だと思うのです。それは父親にも関係することですし、本当の意味での親子の愛情を生み出すものではないのでしょうか。「産みの苦しみ」なんて、育児を女性のみに押しつけている言葉の根源ですよね。

あと、親子の絆を「産みの苦しみ」だけに頼って、「育ての苦しみ」を避けるために子供を言わば温室に入れて育てている人がいますが、そっちの方がよっぽど問題があると思うのは僕だけでしょうか。


同性にも関わらず、そんなことを言う女性の方々は、きっと心の中ではこう思っているのでしょう。


「私はあんなに痛い思いをしたのに、おまえだけそんな楽をするのは許せない」


ちょっと、乱暴な意見ですか?(笑)ごめんなさい。

それでもその種の意見を聞いたり見たりしていると、どうもそう思えてなりません。「負け犬の遠吠え」を書いた酒井順子の名著「少子」という本にも同じようなことが書いてあり、なるほどと思った次第です。


で、結論を書きますと、僕たちは「無痛分娩」を選択したいと思います。たとえ100万かかっても。

もちろん、前述したようにまだまだその施設は少ないようなので、その希望通りにはならないかもしれませんが、よく調べてよりよい環境を探すつもりです。


産むときの苦しみは避けれるものはなるべく避けて、やがて来る「育ての苦しみ」に真正面からぶつかるためにエネルギーを取っておこうと思っています。

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今回は連載はいったんお休みして、今話題になっている駒大苫小牧の暴力事件についての記事です。


甲子園で夏2連覇という快挙を成し遂げた駒大苫小牧高校でしたが、皆さんもご存じの通り、野球部長の生徒に対する暴力行為と学校側の隠蔽工作が明るみに出て、最悪の場合、優勝旗返還か?という事態に発展しています。新聞やネットの海でもいろいろ意見が出ていて、どれもこれもなるほどなと思います。


僕もいずれにしても学校側が起こした問題ですから、優勝した選手に罪はないと言うことで優勝取り消しという事態にはならないで欲しいですが、まあ、もしそうなったとしてもその価値には変わりはないと思います。選手たちは胸を張って堂々と生きて行 って欲しいものです。


さて、ここで取り上げたいのは行為そのものについてです。

顎のかみ合わせが悪くなったということで、それが「傷害事件である」という法律的な立場からすれば、問答無用ですが、「教育である」という立場からすれば、道理的に一概には言えないところもあります。

世の中の意見はおおざっぱに言って、以下の2つに分類されるのでしょうか?


1 暴力はどんな理由があってもいけない。

2 制裁を受けた生徒側の問題はないのか。時には、愛のムチも必要だ。俺も(私も)昔良く殴られたが、今では感謝している。


1の意見は至極まっとうで、新聞に載るのは、だいたいこれです。まあ、無難な大人の意見と言ったところでしょうか。ちょっと思考停止気味です。

2の意見は、ネットで多いですね。きっと多くの人にとっては本音なのでしょう。僕もよく殴られました。感謝はしていませんが(笑)、ある時期までの子供は頭じゃなくて体でなければ分からないことがあるというのも分かる気もします。


僕の意見はこうです。


気づいた方もいらっしゃるかも知れませんが、僕は上の2つの分類でも意図的に言葉を分けています。つまり、頭をスリッパで殴ったのは「暴力」か「制裁」か、という分け方です。


仕方ないことですが、こういう場合我々素人は自分の意見を自分の経験からのみ形成します。

その行為を「暴力」と判断した人は、昔嫌な目にあったか、もしくはそういう目に全くあったことのない人であり、「制裁」と判断した人は、最近の子供の無軌道ぶりに腹を立てている人か、一部の元体育教師(笑)でしょう。スクールウォーズの「俺は今からおまえたちを殴る!」ってシーンを見て涙を流す人たちです。


この違いはどう判断したらいいのでしょう?


実はこれって、ある同じような構図を持った事象に似ています。

そうです。セクハラです。つまり、スキンシップかセクハラかという境界は、受け手側がどう感じているか、ということにつきます。やった側じゃなくて。周りがじゃなくて。

この視点でこの問題を改めて見てみると、今回の事件はどうなんでしょう?


今回の場合、テレビなどを見ていると親が全面に出ていて、当の生徒自身はあまり出てきません。これが小学生なら仕方ないと思いますが、高校生というのが微妙ですね。まあ子供と言えばそうなんですけど、あと半年で下手したら社会に出なければならないと思うと、ちょっと幼すぎやしないか?とも思います。


その辺がよく分からないですが、それでも生徒自身が訴えているのなら、やっぱり「暴力」となります。客観的にこの生徒の素行に問題があったとしても。

野球部長の問題もありますね。ただキレただけなのか。それとも教育的指導(のつもり)だったのか。


いずれにしても言えることは、相手との間の信頼関係に自信がないなら殴ったり、お尻を触ったりしてはいけない、ということです。(当たり前)

昔はどうか知りませんが、現在の世の中では、体でしか分からない子供には、もはや学校において教育をするのは難しいのです。学校に信頼がおけないのなら、子供に善悪が頭で判断できるように教育しておくということが親の責任の一つになります。


傷つけられないためにも傷つけないためにも。

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まだ子供もいないのに「育児生活」もないと思って、テーマを「育児前夜」に変えました。「生活」は産まれてから、ということで。


前回に引き続きまして、今回は②奥さんの会社をどうするか、についての検証です。


まあ、どうするかもこうするかも、奥さんが社長なので社員ですらない僕は奥さんの選択を支持するしかありません。おそらくぎりぎりまで仕事をし、出産した後も復活するなり仕事を始めることでしょう。


もちろん初めての出産なので、経験者やお医者さんの意見や経過(人によって全く違うみたいですから)を参考にしながら、無理をすることなくやっていこうとは思っています。


とは言え、タイミングが良いのか悪いのか、奥さんの会社が現在、商売繁盛で忙しい。

1年前までは3名ほどだった社員もここに来て8名まで増えました。来月にはさらに増員する予定だそうです。会社としては、ありがたいことなのですが、なかなかゆっくりできないというのが現状です。


幸いスタッフのみんなも協力的らしく、前回の記事のように実家で出産となると、最大半年ほどになる社長の不在をカバーするべく、仕事の分担を進めているところです。

社員によっては、仕事的にステップアップするというか、かなり高度な仕事をすることになるのですが(零細企業とは言え、社長業も一部あるわけですから)、チャンスととらえて、前向きにやってもらっているようです。


今回の出来事は大変ではあるけれども、奥さんは会社にとってはステップアップのいい機会だと考えているようです。つまり社長の個人的力量だけに頼る会社から、組織で仕事をするビジネスへと脱皮するための。

これがうまくいった暁には(うまくいかせなければならないのですが)、会社にも新しい道が開けてきます。

新規事業参入、さらなる増員、株式会社化、などなどチャレンジングな事ばかりです。


僕も「育児オトコ」として、子供の面倒を見つつ、育児休暇によってできた時間で陰ながら応援できるようにがんばりたいと思います。そのこともまたチャレンジング。

将来に夢と希望とチャレンジングなことがあるとき、人生は本当に楽しいです。そして、こんなより楽しい人生をプレゼントしてくれた奥さんに改めて感謝したいと思います。あと、もちろんおなかの中の人にも。

少し間が空いてしましました。前回の記事へのコメントありがとうございます。


さて、改めまして①番「どこで産むか」の検証です。

えーと、いろいろ考えて、次のようにすることにしました。(今のところ)


・2ヶ月前くらいまで北海道で仕事をがんばる。

・2ヶ月前に僕が帯同して、奥さんを(奥さんの)実家まで送り届ける。

・実家近くの病院で産む。僕は何とかタイミングを合わせて立ち会えるようにする。

・4月になったら、育児休暇をとって奥さんを実家に迎えに行く。

・5月くらいから新たな生活(僕=育児休暇、奥さん=仕事、子供=泣く)を始める。


これが一番現実的かなと思いました。もちろん仕事と病院の調整はありますが。

前回の記事には書きませんでしたが、奥さんの実家には奥さんの妹がいて、現在育児休暇中です。

つまり身近な先輩がいます。聞けばすごく協力的らしい。自分も大変でしょうに。

あとは、僕がうまくタイミングを合わせて会社を休めるようにがんばるしかないですね。(ほとんど運ですが)

子供ができて、ひととおりの感動やざわめきが過ぎると、現実的なことを人は考え始めます。


僕たちの場合は、まず、①どこで産むか、そして、産む場所によっては、②奥さんの会社をどうするか、さらに、①どうやって産むか、という現実について考えなければなりません。


まず、①どこで産むか。


このブログの古い読者ならご存じかも知れませんが、


・僕たちは現在北海道に住んでいて、奥さんと僕は別居中です。(僕の単身赴任のため)

・二人とも本州の出身ですが、僕は関西、奥さんは関東と、実家はそれぞれ離れたところにあります。

・奥さんは母親を亡くしていて、僕の母親も足が不自由です。

・親身に助けてくれそうな親戚が東京にあります。


選択肢としては、(1)北海道、(2)奥さんの実家、(3)僕の実家、(4)東京、となりますね。


次に、②奥さんの会社をどうするか。


普通、こういうケースだと奥さんが雪のないうちに実家に帰って産むというのがセオリーなんでしょうけど、奥さんは現在10人弱の従業員を抱える小企業の社長です。吹けば飛ぶような。

出産予定は3月なので、雪のないうちに帰るとなると、半年近く、会社を遠隔操作することになります。

東京や僕の実家でもそうなりますね。


最後に、③どうやって産むか。


どうやってもこうやってもないかも知れませんが、僕たちはどうせなら痛くない方がいいと考えて「無痛分娩」という選択をしようと思っています。産みの苦しみより育ての苦しみ。

いろいろ調べましたが、対応する病院は思ったより少ない。(なんで?)お金も通常の3倍くらいかかるみたい。



どれもこれも大きな問題なのでしっかり検討しなければ行けません。

次回から、3回に分けて記事にしていきます。経験者の方、アドバイスがあればいただければ嬉しいです。

特に③について。

昨夜は、サッカーの日本代表を見ながら、「トリビアの泉」を見ていました。

普段、テレビはあんまり見ないんですが、見るときはよくザッピング(チャンネルをころころ変えること)をして奥さんに怒られます。


「トリビアの泉」は好きで割とよく見る番組なんですが(ほとんど緒川たまきの「ウソツキ。」を見るためだけと言っても過言ではありませんが・・・)、昨日は、「トリビアの種」というコーナーで興味深い実験をやっていたので、思わず見入ってしまいました。(おかげで大黒のゴールを見逃しました)


その実験とは、まだ自分の子供と対面していない父親が、3人の新生児の中から自分の子供を見つけられるか、というものでした。皆さん、どのくらいの確率だったと思います?ボクはせいぜい50%くらいかな、と思っていたのですが、ところがどっこい、思ったよりも確率が高くて、なんと81%の父親が自分の子供を当てられたのです。


僕も何回か新生児というものを見たことがあるのですが、はっきり言ってみんな同じで、その親に「可愛いでしょ?」「お父さんに似てるでしょ」?と言われても、「宇宙人にしか見えない」とは言えず、答えに困っていました。でも、親にとっては明確に他の子供とは違うのです。なんせ81%が違いが分かる男だったわけですから。


これは本能なんでしょうか。動物はおそらく匂いで自分の子供を確認していると言いますが、人間である私たちにはそんな能力はありそうにありません。それに本能だったらもっと高い確率でもいい気もします。

だったらなぜ?

ここで、素直に感心していればいいのでしょうが、僕は相当意地が悪いので、その理由を別の角度から推理したい思います。


推理1 父親が子供が分からないことが多いと奥さんに嫌みを言い続けられたり、子供が成長したときにショックを受ける可能性があったりと、何かと問題が生じそうなので、放送に際して両親の同意を得られた人のみ、つまり正解したサンプルが中心に選ばれた。

テレビならやりかねん。


推理2 父親は子供と初対面だと言っても、前もって何gの子供だとかいう何らかの情報を持っており、選択肢が絞られていた。

事実、VTRでそういう視点で選んでいる人がいました。


推理3 逆に新生児とはいえ、耳の形や髪の毛のカンジでほぼ分かるはずなのに、残りの19%の人が分からなかったのは、本当の父親でないから。

こわい~


母親は確実に自分の子といえますが、父親はどこかで不安なところがあります。

ひょっとしたら、そういう不安が男女を縛る慣習や法律や科学を作る一つの力なのかも知れませんね。



昨日は終戦記念日。それも60年という節目の年でした。

憲法改正論議や北朝鮮問題、自衛隊のイラクへの駐留など、日本は新たな時代へと突入しています。


昨夜、報道ステーションで古館が誰かの言葉を例によって考えもなしに引用して、『日本は戦後「後」に入った』というようなことを言っていましたが、武道館の戦没者慰霊に初めて戦死者の父母の参加がなくなったとか、中国や韓国に対するかなり右がかった有識者の発言が堂々となされるのを耳にするたびに、確かにそういうものなのかとも思います。


戦争の悲劇を自分で体験したり、身近な人から体感として感じられる人が少なくなってきているのでしょう。戦後60年、無理もないですが。討論番組とかで子供が「正義、正義」なんて言っているのを見るとちょっと背筋が寒くなります。


僕の立場はこうです。個人的なもの以外の「正義」は絶対に信じません。あと「国の誇り」なんてものも。投票に行ってもその言葉だけは気をつけて嗅ぎ分けるつもりです。

だけど、個人でできることの限界を超えて、もし日本全体が変な「正義」を振りかざして戦争への道を進むようになったら、僕は家族と一緒に南極にでも逃げます。どんなに「不正義」だと言われても。

いろんな意見があるでしょうが、僕は個人の自由に勝る正義はないと思っています。(「自由」を掲げて戦争する国もありますが)誇りも個人が自分自身に対して持つものです。自分の入れ物にではなく。


戦争と原爆を扱った「黒い雨」という映画で、「正義の戦争よりも不正義の平和の方がよっぽどいい」という台詞がありましたが、僕も全くそう思います。

正義・不正義なんて立場や時代によってころころ変わる不確実なものです。

個人のそれなんて、それこそ与えられた情報を鵜呑みにしていたら気がついたらとんでもないところにいるなんて可能性が大きいです。


昔は情報源も限られていて、しかも権力に独占されていましたから、ああいう風に突っ走ってしまったのも同情できる部分もありますが、今は、このインターネットを初めとして個人として手に入れられるいろんな情報源があります。それがまた新たな問題を生みだしているのも事実ですが。


戦後「後」なんてごまかしだ。このまま永久に「戦後」が続いて欲しい。生まれてくる子供のためにも。その子供の子供のためにも。

毎日暑いですね。


1年の中でももっとも外で活動するのがつらいと思われるこの季節(北海道は冬ですが)、

そんな中、厚着をして炎天下の中走り回っている人たちが居ます。

そうです、高校球児たちです。


いろいろ批判もありますが、僕は高校野球が大好きです。サイレンの音を聞くと「夏が来た!」って気持ちになり、決勝戦が近づいてくると、同時に夏が終わってしまうような、何となく切なくなります。


甲子園っていいですよね。とくに地元の高校が勝ち進んでいると格別です。本当は母校が出場すればもっと盛り上がるのでしょうけど、残念ながら我が母校は弱小高校なのでしばらく望むべくもありません。

奥さんの母校は何回か出場したことがあるらしく、ちょっとうらやましいです。

いつかは母校対決!なんてあれば盛り上がるんですがね。


今はもっぱら駒大苫小牧ですね。今日はどうなることやら。


毎日暑いですね。僕の住む北海道ももちろん本州ほどではないものの、結構暑いです。それでも朝夕は涼しいので寝苦しいとかはないんですけどね。毎日快眠です。


前回に引き続き、子供が生まれるまでの暇つぶしについての記事です。


子供ができると周りの人だけではなく、芸能界などの同級生が気になります。(僕だけ?)その都度、この人の子供も同級生になるのか~なんて思っているのですが、今思い出せる人でもっとも強力なライバル(!)になるのは、なんといっても谷夫妻の子供でしょう。


あちらは、野球界と柔道界のスターがくっついて製作したある意味史上最高のスポーツ遺伝子をもつ子供です。男だったら柔道家か野球選手、女だったらプロレスラーとして活躍するに違いありません。まあ、一茂の例もあるから優秀なそれになるとは限らないですが。


こんなこと比べる物ではないことは分かっていますが、まあ暇つぶしのネタとしては面白い。


あと元木と大神いずみの子供も同級生だとか。うっとうしいですね。

今朝の新聞にも こんな人 とか、 こんな人 が載っていました。それにしても沖縄の人はできちゃった婚率が高い気がしますが気のせいでしょうか。