「とりあえず、ビール!」






僕は夜遅くまでだらだらと飲むタイプではありませんが、
ビールくらいはほぼ毎日飲みます。

銘柄はサッポロを好み、週末は昼からでも飲んでしまいます。
最近では、楽天のいい酒屋さんを教えてもらって、
「世界のビール」飲み比べ、みたいなこともやっています。
(おっさんだ)
アフリカ、ベルギー、タイ、フィリピン、スリランカ、etc etc
それぞれに味が違い、ビンも綺麗でなかなか楽しいです。

しかし、最近腹が出てきました。

法事で着た喪服がきつかった。
はけないズボンが出てきた。

きっとビールと暴食のせいです。
渋谷社長(=同じ年)と同様、プリン体も怖いなあ。

しかし、チューハイや日本酒などはどうも飲めない。
ウイスキーは好きだけど、たくさんは飲めないし。

やっぱり北海道の冬は、暖房がんがん入れて
Tシャツでビールだ。

とは言え、健康も心配。

いっそ平日はやめようかなあ。
一人で飲むのもどうかと思いますし。
そして、全てを週末にぶつける。
うーん、うまそう。

よし決めた。

全体の量は前より増えたりして。(笑)
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「いくらど~ん!」









昨夜は、スーパーで980円のイクラを買ってきて、
農家に貰った新米を炊いてイクラ丼にして食べました。

うまかった。

北海道に来るまでは、イクラにはあまりいいイメージが
ありませんでした。(しょっぱくて、生臭い)
しかし、こっちに来てびっくり。
甘くて、生臭くない。しかも安い!
昨夜のイクラは980円とは言え、まだあと1食分くらい
残っています。

今日はイクラ茶漬けにでもするかな。
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「dakoパーンチ!」








ふと疑問に思ったことがあります。

人は大人になるにつれて、多くのものは
自分の好みや能力で変えられたり、
新しく持ったりできます。
例えば、職業や服装や何のテレビを見るか、
自由な時間をどうやって使うか、
とかです。

しかし、名前だけはその人の意志や能力とは
関係なく与えられます。
多くの場合、死ぬまでその名前を名乗り、
当たり前のように人からそう呼ばれます。
その子がどうなるか分からない赤ん坊のころ、
だいたいにおいて親が本人の意志とは関係なく
「勝手に」決めます。

まあ、それは数少ない親の権利といっても
いいでしょう。その後20年も汗水垂らして
扶養するのだから当然です。
翼でも美咲でものび太でもジャイ子でも
ぴゅんぴゅん丸でもなんでもOKです。

しかし、その子供が成長するにつれ名前と
その子供の雰囲気や性質がうまく一致して
いけばいいのですが、(のび太みたいに)
自分も含めて人の名前とその人の性格や能力を
見るにつけ、良くも悪くもだいたいにおいて
「名は体を」表していないことが多いのでは
ないでしょうか。

例えば、鈴木一朗という平凡な名前を持った
野球選手が二人といない存在であるように。
例えば、絵里香という可愛い名前を持った女の子が
アジャ・コングであるように。

今更言うまでもないかもしれませんが、
どうも「名」は親の「コンプレックス」や
「欲しいもの」を表していることが多い
ようです。

特殊な名前、変な名前を子供につける親は、
良くも悪くも平凡すぎるくらい平凡。
外国語に不自由しない人は、自分の子供に
「亜蘭(あらん)」や「建斗(けんと)」
なんて名前は恥ずかしくてつけない気がします。

その不一致が周りの苦笑を誘うとき、
最終的に可哀想なのは子供ばかり。

僕は逆にこう思います。

なぜ、他人につけられた名前を当たり前のように
一生背負って生きていかなければならないのでしょう。
昔みたいに元服、つまり成人したり出世したりすれば
名前を変えるという自由があってもいいのでは
ないでしょうか。(実際は改名はかなり難しいらしい)

また、その後も何か人生の節目がある毎に名前が変わって
いくことがあってもいいと思います。
しかも、それは年齢によって自動的ということではなく。

今でも、落語家は芸を磨くにつれ、お相撲さんは強くなる
につれ、名前を変えます。それならば僕たちも、

「初めて選挙に行った」り、
「働いて他人から給料をもらった」り、
「親からの援助なしに生活をした」り、
「結婚した」り、
「子供が生まれた」り、
「失恋した」り、
「離婚した」り、
「退職した」り、

するごとに名前を変えられるというのは
どうでしょうか。

その時の考え、知識、希望を自分で考え、
新たに自分で名前を決めるのです。
そうすれば、その節ごとに自分自身を誇りに
思えるようになるし、名と体に自ら責任を持ち、
同時に他人はその人の人生における
習熟度を知ることができます。

今、名前が変わるのは死ぬときしかありません。

そして、いつまでも大人なりたくないパラサイトな
甘えんぼさん達のみがいつまでも親が付けた可愛い名前で
いればいいのです。
それも自由の一つですから。



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「それ以上でもそれ以下でもない。」





近頃、よく聞く言葉に「NEET:ニート」と
いうものがあります。
これは、職業訓練を受けておらず、なおかつ
就業意欲すらない失業者のことを指す言葉
だそうです。
くわしくは、こちらのサイトが参考になると思います。

職業訓練も受けていなくて、就業意欲もない
人たちは昔からいたのでしょうけど、
「ニート」なんてかっちょいい言葉が輸入
(イギリス発祥らしい)されたとたん、
急速に認知され始めています。
「サラリーマン」とは違った、その言葉の響きの
あまりのかっちょよさに僕もちょっとなろうか
と思ってしまいました。(笑)

最近の新聞で、その言葉を日本に広く紹介した
東京大学の玄田有史助教授が、
「ニートは大人に突きつけられた問題だ。」
という種の発言をしていました。
行き過ぎた「個性重視」の教育が、現実の仕事と
理想とのギャップを生み出し、その結果、
就業する意欲すら沸かせないと言うのです。

僕も彼が言うようにニートが増加した原因には
いわゆる「個性」を重視した教育があると思います。
親や教師が、子供それぞれの「個性」の有無を
他人に対する「優越性」の有無と取り違えている
ことが、子供を追い込んでいるのでしょう。

個性は誰にでもあります。そしてもちろん
それぞれにかけがえのないものです。
しかし、それが全て「仕事」に生かされるべきもの
でしょうか。僕は違うと思います。
個性を発揮できる場所は、仕事以外にも
たくさんあります。仕事は自分の「個性」を
生かしたものにしなければいけない、
という法はどこにもないのです。

親にとっては、子供は特別な存在です。
しかし、こと「仕事」ということに関しては、
どこかで自分の子供はイチローではないことに
気づかなければいけません。
いつまでも、すねをかじらせて中途半端な留学
をさせたり、パラサイトを許したりすることは、
ますます子供を一人で生きられない人間にする
ことでしょう。

第一義的にはあらゆる「仕事」はパンを買うため
にするものです。それを効率的・合理的にする
ために人は職業教育を受けるのです。

もちろん、それ以上の意味を仕事に持たせることも「できます」。
趣味やボランティアなどに持たせることも「できます」。
極端な話、何もしなくても「できます」。

「仕事」と「個性」の関係は、それ以上でも
それ以下でもありません。

とは言え、子供に過度の期待してしまうのは
親の悲しい性。僕もきっとそういう気持ちに
なるときが来るでしょう。
でもそんなときは、こう思うことにします。
「所詮、僕と奥さんの子だ」と。(笑)



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「dakoキーック!」







今の職場ではダメダメ平社員の僕ですが、
振り返れば今よりはもう少し頑張ってた
時期もあって、前職では2~3人の部下
みたいな人がいたこともあります。

部下といっても先輩・後輩に毛が生えた
ようなものでしたが、それでも、
指導して泣かせたり、こっちが泣きたい
気持ちになったりしていたので、
まあそういうものだったのでしょう。

その時、当然ながら部下にはいろんな
タイプの人がいることに気づきました。
例えば、こっちの人で効果のあった指導
の仕方がこっちの人にも同じような効果
があるとは限らないというようなことです。
無理にそうすると、かえって逆効果と
いうことも多かったです。

それで、少しだけ悩みました。
僕は余り物事を深刻に突き詰めたりしない
タイプなので、ほんの少しですが。(笑)

で、僕は部下には二種類のタイプの人間
があることに気づきました。
1つを「猪木タイプ」人間、もう一つを
「馬場タイプ」人間と言います。

おおざっぱに言えば、
「猪木タイプ」人間とは「厳しくされて伸びる人」で、
「馬場タイプ」人間とは、「誉められて伸びる人」
のことを指します。

「1,2,3、ダッ-!」のアントニオ猪木と、
「あぽ、あぽ」のジャイアント馬場は、
力道山の弟子でした。
ともに後のプロレス界をしょって立つ逸材でしたが、
師匠の力道山の指導方法はまるっきり正反対でした。

元巨人軍の選手でスポーツ界ではエリート、
性格も温厚であった馬場に対しては、褒めて褒めて
がんばらせ、ブラジル移民であり、ハングリー精神
にあふれていた猪木にたいしては徹底した、
スパルタ指導をとったのです。

デビュー戦でも、馬場には格下の相手を選んで花を
持たせたのに、猪木には同期の実力者「頭突きの」
大木金太郎をぶつけ、デビュー戦を黒星という
屈辱を味あわせたのです。

力道山は見抜いていました。
馬場は恵まれた体と温厚な性格、しかも栄光の巨人軍
の元選手ということで、頭ごなしに叱っても萎縮する
だけであると。また、猪木はきつく当たることで、
持ち前のハングリー精神を発揮して、ますます努力に
励むと。

こうして、二人は偉大なスターに育っていったのでした。

つまり、人にはそれぞれタイプというものがあって、
それに見合った指導法を選ばないとかえって逆効果に
なることもあります。また、一人の人間の中に、
馬場と猪木が共生していることも多いので、
状況に応じて接していかなければなりません。

子供の教育もまたしかり。育児本を読むばかりではなく、
子供それ自体をよく見なければならないのだろうなあ、
と思いました。

ちなみに僕は馬場タイプなので、皆さん褒めてくださいね。

「よ~く考えよう~♪」






前回の記事では、皆様から本当にたくさんの
コメントをいただきました。ありがとうございます。

僕にはまだ子供はいませんが、子供が産まれ、
お小遣いを欲しがる年齢に達したら、
こうしようと思っているアイディアがあります。

それは、初めは1日単位でお金を与え、
(1日10円とか)子供が成長し、お金について
学ぶにつれ、だんだん小遣いを与える周期を
1ヶ月に500円とか、半年に5千円だとか、
1年に2万円だとかだんだん長くしていく、
というものです。

そうすることによって、計画的にお金を使う
ことを学び、さらに長期的視野に立ってお金
とつきあえるようになることができると
考えられます。

もちろん、途中でなくなっても追加のお金は
簡単には与えません。どうしてもと言うときは、
次回の小遣いを担保に世の中と同じく金利を
取って貸そうと思っています。

そして、できれば親の保護下にあるときに
一度破綻して欲しい。
そうすれば、そこからたくさん学ぶことが
できます。社会に出てから失敗すると、
時には取り返しのつかないことになりかねません。

皆さんの中には、厳しすぎる、そんなのうまく
いくわけがない、と思う方もいらっしゃるかも
知れません。確かに、今の段階ではまだ机上の
空論にすぎなく、実際そうしようとすると
いろいろ問題も起こると思います。

しかし、若年層にも急増する自己破産、カード地獄、
サラ金などの問題を見ると、子供にとってお金について
教えることの大切さを痛切に感じます。
子供にどうやってお金のことを教えようか、という
ことを考えることに対して、「そんなのうまくいくわけがない」
とただ目をつぶっていても何も解決しません。
親それぞれが智恵を振り絞って考えなければならない
ことだと言えます。

子供にお金のことについて正しい知識を身につけ
させることは、英語よりもお受験よりも必要かつ
大事な親の義務と言えます。

僕たち夫婦は現在、1年~30年単位でお金を
管理しています。それによって、それまで単なる
夢だったことを実現可能なものとして考えることが
できるようになりました。

だから、子供にもできれば「次の給料までの」
人生しか考えられないような人間ではなく、
1年単位以上の期間で人生を計画できる人間に
なって欲しいと思っています。

お金は本当に大事ですね。

「お金は大事だよ~♪」







僕がはじめて親からお小遣いを貰ったのは、
小学校3年生の時でした。金額は1ヶ月500円。
その頃はまだ500円玉というものはなく、
青白い顔をした岩倉具視の紙幣を1枚、
毎月初めに貰ったことを覚えています。

はじめての500円は、当時流行っていた
マジックテープのついた財布を買いました。
なんか少し大人になったような気で、
誇らしげに持ち歩いていました。
財布を買ったら、お金がなくなって、
中身は空っぽでしたけど。(笑)

子供の頃、それ以外にお小遣いを何に使っていたかは
あまり記憶がありません。多分、当時大流行で
ガンキャノンしか買えなかったガンダムの
プラモデルとか、字を消すのには全く役に立たない、
キン肉マンの消しゴムとかを買っていたと思います。

今思えば、随分くだらないものばかり買って
いたものですが、その頃の僕にとっては
何ものにも代え難い宝物だったのでしょう。

自分で言うのも何ですが、現在の僕はどちらか
と言えば、経済観念がしっかりしている方だと
思います。(ケチとも言う。)
パチンコや競馬などのギャンブルには全く興味が
ありませんし(株はやりますが)、車や服にお金を
かける趣味もありません。借金するのは家を買う
時でも嫌です。(だから買えない)
僕はいわゆる、
「結婚するにはいいけど、恋人にするにはつまらない」
オトコなのです。(本当は逆が良かったな)

その意識がどうやって培われてきたか、本当のところは
分かりませんが、ひとつの理由として、お金についての
親の方針らしきものがあったからかも知れません。
その方針とは、

①小遣い帳をつけなければいけない。
②月の途中でなくなっても絶対に貰えない。
③そもそも親がお金がなさそうだった。

というものです。

①と②によって、計画的にお金を使うことを学べたし、
③については、方針とは言えないかも知れませんが、
お金の大切さを覚えられたような気がします。
(今覚えば、hunny-candyさんのところみたいに
単なる「フリ」だったのかも)
母親と幼いきょうだい4人が、塩だけでご飯を食べた
記憶はきっと一生忘れません(笑)

子供にどのようにお小遣いをあげるかということは、
その子供にどういった経済観念を植え付けられるか
につながります。考えれば考えるほど難しいですね。

皆さんの家では、どうしていますか?

「おもてに出たら手をつなぐ」

育児のことを思うと、楽しみな反面、
様々な問題を考え、不安になります。
そんな時、僕は一篇の文章を読み返します。
この文章は、育児に限らず人生の
分岐点ごとに僕の道を決める重要な
道しるべになってくれました。
少し長いですが、ここに一部を引用します。





『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』

人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。
人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。

 何でもみんなで分け合うこと。

 ずるをしないこと。

 人をぶたないこと。

 使ったものは必ずもとのところに戻すこと。

 散らかしたら自分で後片付けをすること。

 人のものに手を出さないこと。

 誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと。

 食事の前には手を洗うこと。

 トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。

 焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい。 

 釣り合いの取れた生活をすること。

 毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、
 歌い、踊り、遊び、そして、少し働くこと。

 毎日かならず昼寝をすること。

 表に出る時は車に気をつけ、手をつないで、
 はなればなれにならないようにすること。

 不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。

 発泡スチロールのカップにまいた小さな種の
 ことを忘れないように。種から芽が出て、
 根が伸びて、草花が育つ。
 どうしてそんなことが起きるのか、
 本当のところは誰も知らない。

 でも、人間だっておんなじだ。

 金魚も、ハムスターも、ハツカネズミも、
 発泡スチロールのカップにまいた小さな
 種さえも、いつかは死ぬ。

 人間も死から逃れることはできない。

 ディックとジェーンを主人公にした子供の
 本で最初に覚えた言葉を思い出そう。
 何よりも大切な意味を持つ言葉。
 「見てごらん」

このなかから、どれなりと項目を一つ取り出して、知識の進んだ大人向けの言葉に置き換えてみるといい。
そして、それを家庭生活や、それぞれの仕事、国の行政、さらには世間一般に当てはめてみれば、きっとそのまま通用する。明快で、ゆるぎない。
世界中の人々が、三時のおやつにクッキーを食べてミルクを飲み、ふかふかの毛布にくるまって昼寝ができたら、世の中どんなに暮らしやすいことだろう。
あるいはまた、各国の政府が使ったものは必ずもとのところに戻し、ちらかしたら自分で後片付けをすることを基本政策に掲げて、これをきちんと実行したら世界はどんなに良くなるだろう。
それに、人間はいくつになっても、やはり、おもてに出たら手をつなぎ合って、はなればなれにならないようにするのが一番だ。

~「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」

(ロバート・フルガム著、河出書房新社)より抜粋~

「熊保険入った?」











北海道では珍しくもなんともないのですが、
最近福井や富山のあたりで熊の出没が
相次いでいます。

史上最多の上陸を記録した台風の影響で、
餌が採りにくくなったとか、レオナルド熊の
たたりだとかいろんな説がありますが、
家の中まで入ってくるというのですから、
ちょっと怖いですよね。

幸い僕は、熊牧場以外では熊を見たことは
ありませんが、人間より熊が多いと石原慎太郎の
息子に言われてしまったこの北海道、ある日
森の中で熊さんに出遭わないとも限りません。
その時の備えは万全にしたいものです。

ところで、皆さんは「熊保険入った?」
なんて言われたらどう思いますか?

「へえ~そんなのあるんだ、さすが北海道は
でっかいどう!」

と思いますか?それとも、

「そんなもんあるか、北海道を馬鹿にすんな!」

と思いますか?

もちろん、さすがの北海道にもそんなものは
ありません。(多分ね)
おそらくほとんどの人は信じないと思います。

だけど、普段熊とは無縁に暮らしていた人が、
いざ熊王国北海道に住むことになって、地元の人から
もっともらしい顔でそのようなことを言われたら
どうでしょう?

「ところで、君。熊保険には入ったのかね?」

「え?なに?」

「熊保険だよ。熊保険。道民の常識だろう!」

「またまた~!」

なんてやりとりをしているときに、隣の人が、

「東京海上のやつがいいですよ。」

だとか、

「三井損保のやつは年払いがお得なの。」

なんて付け加えられたら2人に1人は信じて
しまうと思います。
ちなみに僕はその2人のうちの1人でした。(笑)

さらに僕は、北海道でも北の方(稚内とか)には、
シロクマがいると思っていました。(結構最近まで)

北海道の皆さん、ごめんなさい。

「圧倒的な秋の刹那」








以前ちらっと書きましたが、僕たち夫婦は現在
別居中です。
僕の転勤により、今年4月からとある僻地に
単身赴任中なのです。

奥さんは、去年の4月から小さな会社を経営
していて、ようやく顧客もつきはじめ、
軌道に乗ってきたところだったので、
なんの迷いもなく、週末婚を選択しました。

僕は月曜日の朝、その赴任地に向かい、
金曜日の夕方に帰ってきます。
片道3時間あまりの道のりです。

理想としてはもちろん一緒に住みたいし、
別居にかかる経費もバカになりません。

しかし、僕たちはそれを選択し、今まで
喧嘩をしながらも何とかやってくる
ことができました。毎日メールや電話で
やりとりし、コミュニケーションという
意味では、ひょっとしたら同居していたとき
よりも充実し、前よりも夫婦関係が
うまくいっている、気がします。

顔をつきあわせていると、言わなくてもいい
ことを言ってしまったり、疲れのあまり
あたったりしてしまうので、そういうことが
ないだけでも、精神安定上いいのかもしれません。

こんな事を書いてると、

「何を綺麗事ばかりゆうとんねん、
夫婦っちゅうのはなあ、喧嘩してなんぼや。
それをせんで、何が夫婦やねん。」

と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
(別に関西弁である必要はないのですが)

しかし、その点は心配いりません。
貴重な週末に遅れを取り返すべく密度の
濃い激しい喧嘩をしていますから。(笑)

それにこういう生活を我慢できるのには、
他にも理由があります。僕にはブログの
説明文にもあるとおり、来年育児休暇を
取得するという予定があるのです。
(今現在まだ上司にさえ言っていないの
ですが・・・)

そうすれば、奥さんは子育てしながらでも
会社を続けられるし、僕は会社勤めの特権として、
いくらかの育児手当をもらいながら、家事に
専念することができます。
そのためには、まだまだできなくならなくては
いけないことがたくさんありますが。(特に料理!)

週末婚は確かに寂しいです。
特に雨の降る夜やきれいな夕焼けが見られる時、
「僕はいったいこんなところで何をしているのだろう?」
と思って悲しくなります。

しかし、ポジティブに考えれば、自分の仕事や
奥さんの仕事のあり方を見つめ直すよい機会になるし、
何より、お互いが与えられた外部要因からくる試練に
(人生には避けられない!)柔軟に適応しようとする
過程において、話し合い、人生の価値観を共有できる
ようになることが、この先の人生においてもプラスに
なると信じて、あと半年、がんばります!

子供ができて単身赴任になったらどうするかな・・・?