戦争反対!について

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戦争反対!について

 

影宮です。

ふと疑問に思ったことを今日はテーマにしてお話したいと思います。

 

「戦争反対!」

 

ってありますよね。

 

もちろん私も戦争には反対します。

*当然です。人を殺したり、自分そして家族や知人が殺される状況を考えたら、到底受け入れることはできません。

 

ただ、そこで疑問に感じるのは、

 

「武器を持って相手が攻めてきた時であっても、戦争反対って言いながら、丸腰で攻めてくる相手に言い続けることが出来るのかどうか?」

 

についてです。

 

多分、そんなことがあれば私は武器を手にするでしょう。自分を守らなければなりませんし、家族がそばにいれば当然家族を守るために私は武器を手にして立ち向かいます。

 

なんせ相手は武器を持って攻めてきたのです。

脅しではなく実際に武器を持って攻めて来るのが戦争です。

*脅しの場合は、「経済封鎖」などの外交圧力などの手段を利用するでしょう。

 

武器を持って攻めて来ている相手に話し合いが通じるでしょうか?

 

もちろん無抵抗で相手の言いなりになればそれはそれで済むかもしれません。

 

・自国の資源を自国のためでなく占領者のために使われる

・自国の文化及び言葉が否定されて占領国の文化そして言葉を強制される

・自国の歴史が否定されて、占領者の歴史を強制される

・あらゆる面に置いて占領者に利益を搾取される

 

これらの条件をすべて飲み込むことができれば戦争を避けることができるでしょう。

 

上記の条件を呑んでまで戦争を避けるべきでしょうか?

 

「私には無理です」

 

交渉の余地があれば、できるだけ自国のデメリットにつながるような条件は取り下げさせ、互いの落としどころを模索するでしょう。

 

でも、武器を持って攻めてきたらすでに交渉の余地はありません。

そこには、

 

「武力をもって自らの要求を通す」

 

ことを目的とする相手がいるだけです。

 

そんな相手に丸腰で、

 

「戦争反対!」

 

と大声を張り上げて通じるのでしょうか?

 

「あいつら馬鹿じゃないの?」

 

と銃で撃たれて終わりになるだけじゃないかと思います。

 

まぁ、このような状況で私が多少の武器を手にして抵抗しても何の意味もないかもしれません。

 

しかしそれでも私は抵抗するでしょう。

それはなぜでしょうか。

 

「理不尽を押し付ける相手に無抵抗で従うことが許せないからです」

 

すべてを奪われて踏みにじられても生きることを優先することを選択する人もいるかもしれませんが、私にはそんな選択ができません。

 

「そんな人生に何を見いだせると言うのでしょうか?」

 

戦争を恐れるあまりに自分を見失っても生きることを優先することを私は受け入れることができません。

 

それを(生きる屍)というのではないでしょうか。

 

屍で生きるのであれば私は戦って死ぬ道を選ぶでしょう。

 

「戦争反対」

 

私もそう思います。

 

戦争は相手がいなければできません。

すべての国が武器を捨てれば戦争は無くなります。

 

しかし現実はそうではありませんよね。

どの国も武器を持ちます。

 

そんな世界を眺めて私はあらためて、

 

「戦争反対」

 

について考えてみたいと思います。

 

・現実から目を背けて理想論に終止することの怖さ

・恐怖や不安から遠ざかることだけでは何も解決しないこと

・逃げることを選択した後に待っている世界

 

今日のお話を親子問題にも重ねながら考えるのも新たな視点となるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

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