青空文庫収録の永井荷風の作品を読みつくそうとしています。随筆や小品が多く、ふと空いた時間を使って、スマホで読むことができるのもありがたいです。東京の昭和初期の下町風景が、蘇ってきます。



そして、荷風の最高傑作とされる濹東綺譚を先日読了しました。 青空文庫「濹東綺譚」
 

この話は、荷風の分身ともされる小説家が、玉の井(東向島)の娼婦お雪と出会ってから別れるまでを、その舞台となる玉の井の情景と重ねて、さらりと書いた傑作です。何度も映画化されています。


そして、この小説の面白いところは、文末に「作後贅言」として、上記のストーリーと関係なく、荷風の旧友の想い出や銀座などのカフェの情景、女性たちの服装や世相の変遷が随筆風に記載されているところです。


初めて知った豆知識的なことを備忘的に書き留めると・・・。


・昭和7年頃、銀座のカフエー(女給が接待するもの)が一番繁盛していた。店先に女給を何人か立たせ、客引きもしていた。


・大正の初めの頃は珈琲も熱いものだけで、アイスコーヒーなんてものはなかった。それが、昭和7年頃には、銀座界隈で、夏には熱い珈琲を出す店は殆どなく、氷を入れた珈琲を出す店が全盛だったとのこと。荷風は香気が無くなってしまうと批判的ですが。


・大正12年の関東大震災で銀座の風景もかなり変わった。裏通りのいたるところに関西や九州から来た人の経営する店が増え、フグ汁や関西料理の店が並んだ。


・飲食店の店頭のガラス窓に飲食物の模型を並べ、値段をつけて置くようになったのも関西が発祥のようです。


・盆踊りは地方農村のもので、都内の町民一般は氏神の祭礼には熱心だったが盆に踊る習慣はなかった。男女の舞踏をなすことは東京の公園では許可されておらず、山の手の屋敷町に限って、田舎から出てきた奉公人が盆踊りをすることを許されていた、とのこと。

・関東大震災のころは女性の洋服はまだ珍しい方だったが、昭和7年頃には銀座を歩く女性の半分は洋服になった。カフエーの女給も夏は洋服が多くなった。


・当時、深夜に飲食する習慣は大勢でなかった。夜12時頃には酒場やカフエーは一斉に表の灯を消していた。だが、当時の省線電車が運転時間を一時過ぎまで延長したり、市内1円の札を掲げた円タク(タクシー)が50銭から30銭に値引げしたことで、深夜飲食の風習が拡がっていったよう。


などなど、面白いことをいくつか知りました。



なお、濹東綺譚は向島寺島町を舞台にしておりますが、やはりこの寺島町で幼少から育った漫画家の滝田ゆうの「寺島町奇譚」を購入して、読んでいるところです。いつか玉の井、寺島町あたりを散歩したいものです。

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