珍しい名字

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幸徳秋水さんについて書こうと思いつつ、
全然関係ない、私的なメモです。

実は、珍しい名字とか好きなんです。
で、今日、携帯のニュースサイトで、
特集のようなことをしてたところから、メモ書き。
その記事は「NAVERまとめ」の中の、
「二本全国の四文字姓」というエントリーから紹介されてました。

まずはその記事から。

七五三野(シメノ・ナミイノ・ナイミノ・シゴサノ)
海老ヶ迫(エビガサコ)
岸和田谷(キシワダヤ・キシワダタニ)
御堂河内(ミドウコウチ・ミドコウチ・ミドゴウチ)
上中屋敷(カミナカヤシキ)
文殊四郎(モンジュシロ・モンジュシロウ)
八月一日(ハッサク・ホズミ・ヤブミ)

そのニュースに対して、
読者がコメントを投稿出来るんですが、
そこからまた珍しい名字を。

七五三(シメ)
安心院(アジム)
二千六百年(フチムネ)
四月一日(ワタヌキ)
阿保(アボ)
宇賀神(ウガジン)
新明(シンミョウ)
百目鬼(ドウメキ)
宇留目(ウルメ)
紙上(シガミ)
美細津(ミサイヅ)・・・電話掛かってきてミサイルと間違えたらしい。
岡風呂(オカブロ)
計倉(トクラ)

読み方が書いてないのですが、
「素麺 製造」さんと言う方がテレビに出ていたらしいです。

和仁(ワニ)・・・わにという人には、和爾とか和迩とかもいますね。
蒲(カバ)
福寿(フクジュ)
太田井(オオタイ)・・・「さん」づけにすると太田胃散です。
治部(ジブ)
小鳥遊(タカナシ)
宝賚(ホウライ)
注連(シメ)
木薗(キゾン)
小波蔵(コハグラ)・・・これはちゅらさんの主人公一家の名前と一緒ですか?
香曽我部(コウソカベ)
千釜(チガマ)
雲然(クモシカリ)
五百旗頭(イオキベ)
五十殿(オムカ)
○○神生○治○虎○・・・コメントを書き込んでた人の名字らしいのですが、
 その人いわく、「ここで発表したらイタズラされそうなので、
 一部を伏せ字にします。○には漢字一字が入ります。」だそうです。
 こんな長い名字。ほんとは何なのかめっちゃ気になります。
一番合戦(いちばかせ)
色魔(シカマ)
薬袋(ミナイ)
月見里(ヤマナシ)
豆生田(マメウダ)
大下毛(オオシモ)
角守(ツノカミ)
八朔田(ホヅミ)
麻那古(マナゴ)
禾(ノギ)
株丹(カブタン)

仲渠(ナカンダカリ)・・・ここから東風平さんまでは沖縄系
勢理客(ジッチャク)
古謝(コジャ)
我謝(ガジャ)
当銘(トウメ)・・・ぼくの知り合いにも西銘(ニシメ)くんいます。
 阿波連(アハレン)・・・ついでにぼくのともだちです。
我那覇(ガナハ)・・・これは知ってる人も多いでしょうね。
銘刈(メカル)
東風平(コチンダ)
 沖縄の名前は難しいですね。
 仲渠さんなんか読み方が難しすぎて仲村さんに変えちゃった人もいるとか。

飛鳥馬(アスマ)・・・ひゅうまみたいですね。
黄瀬(キノセ)
長(オサ)
班目(マダラメ)
吉目木(ヨシメキ)
百足(ムカデ)
千年長(チトナガ)・・・これを紹介してた人は、
 電話帳で「森永明治」さんをみつけたことがあるとか。
風呂(フロ)
黒星(クロボシ)
阿具院(アグイン)
一言(ヒトコト)
毒島(ブスジマ)・・・狂言のブスを思い出しますね。新宿鮫ですか?
松七五三(マツシメ)
大根谷(ダイコンヤ)
寿(コトブキ)・・・香典を書く時に気まずいとか。
三多摩(ミタマ)
興梠(コオロギ)
幸(サイワイ)
倭文(シトリ・シズリ)
遠北(アチキタ)
見目(ケンモク)
日改(ヒガイ)
東海林(ショウジ・トウカイリン)・・・トウカイリンさんがいるとは!
八角(ホズミ)
太古前(タコマエ)
水鳥川(ミドリカワ)
鯉登(コイト)・・・この名字を紹介した人の友人の親戚は、
 真理子さんという名前だったのですが、
 鞠子(マリコ)さんという名字の人と結婚して、
 鞠子真理子(マリコマリコ)さんになったそうです。
行方不明(ナメカタシレズ)・・・ぼくの知り合いにも行澤(ナメサワ)がいます。
大豆田(マミュウダ)
三斗九升五合(シトナイ)
䅏(ノキ)・・・年賀状の印刷では梶の上にちょんと書くらしいです。
寿松木(スズキ)
一寸木(チョッキ)
上打田内(カミウッタナイ・カミウチダウチ)
十(ツナシ)・・・ひとつ、ふたつ、みっつ、の「つ」がつかないから。
源五郎丸(ゲンゴロウマル)・・・そういえばラグビーに五郎丸も。
 あと、この人が紹介してたのが、「神 秘」(じん おさむ)さん。
増垣(マセガキ)
一一・・・これは姓名です。「にのまえはじめ」さんです。
妙円園(ミョウエンゾノ)
人長(ヒトオサ)
七五三掛(シメカケ)
四十八願(ヨイナラ)
十二月田(シワスダ)
波々伯部(ホホカベ)
八月十五日(ホズミ)・・・八月一日もホズミと読むんですよね。
             お茶を摘む時期だかららしいです。

あと、ぼくの役者仲間で、
立身出世劇場にいた役者さんで、
上別府(うえんびゅー)くんがいました。
名字って面白いですね。

ほかにもここへいけば面白い名字がいっぱいです。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/難読漢字・名字
http://vote3.ziyu.net/html/bayaphy.html
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/bunpu.htm
http://homepage3.nifty.com/giboshi/index.htm
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猫またぎ

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今日は、目白まで、THE黒帯の「eleven」を観に行きました。
劇場はアイピット目白。
今まで、アイピット目白には2回行ったことがありますが、
目白の場所がよく分からなかったため、電車移動でした。
しかし、今日は、時間があったので、
自転車で行ってみようと思いました。
しかも、向こうについてから、おいしいラーメンでも食べようと、
劇場の近くのラーメン屋をあらかじめ検索して行きました。

家を出た頃には、もう薄暗くなっていました。
曙橋から、大久保方面に斜めに上って行く坂を、
えいさこらさと上っていると、
あ、そういえば、この辺一帯が市ヶ谷刑務所跡だったんだっけ、
と思い出しました。
そして、なんか碑がたっていたはず、と。
曙橋から大久保に向かって左側に小さい公園があります。
その公園を抜けると、さらに小さい公園につながってます。
その中にありました。
後藤英樹の三日坊主日記-刑死者慰霊塔
「市ヶ谷刑務所跡、刑死者慰霊塔」と書いてあります。
大逆事件の人たちはみんなここでなくなりました。
『愛と嘘っぱち』怪我もなく終わりました、と、ちょっとお礼をしました。
下の写真は正春寺の管野スガさんのお墓です。
スガさんのお墓はだいぶ前に行きました。
後藤英樹の三日坊主日記-管野スガさん墓
後藤英樹の三日坊主日記-管野スガさん墓の裏


で、目白について、さあラーメンだ!
と思ったら閉まってました。
「中華そば 丸長」。
残念。

お芝居はとても面白かったです。
そのあとのロビーでのパホーマンスも面白かったです。

帰りに高田馬場の北海道ラーメン、麺屋さくら、というお店の、
味噌ラーメン白を食べました。
野菜たっぷりで、野菜から出た甘さか、甘かったです。

あ、そういえば、「猫またぎ」って言葉知ってます?
ぼくが劇団の先輩か誰かに昔聞いたのは、
「猫がまたいでいくほど、魚をきれいに食べ尽くす人のこと」
でした。
「北川肇さんは猫またぎだね~」という風に使います。
しかし、今日、アタック25を見ていたら、
「問題 とてもおいしくない魚のことを、
 魚好きのある動物でさえもまたいでいくことから、
 なになにまたぎといいます。
 さてなんでしょう?」
答えは「猫またぎ」。
へ~、と思って、ネットで調べてみたら、
北海道あたりでは、
美味しくない魚、とれすぎて捨てるような魚は、
「猫またぎ」と呼ぶようです。
しかし、高知あたりでは、
猫が食べるところのない程、
きれいに魚を食べる人のことを、
「猫またぎ」と呼ぶようです。
同じ言葉、しかも、ちょっと変わった言葉なのに、
地域によって意味が違うって面白いですね。
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枯れ葉踏む音

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枯れ葉の季節になってきましたね~。
この時期の楽しみというと、
自転車に乗って、
枯れ葉をガスガス踏んで行くことです。
なんともいい音がするのです。
湿った枯れ葉ではがっかりです。
音がしません。
雨が降りませんように。

また今日も幸徳秋水さんの紹介はお休み。
しかし、
「愛と嘘っぱち」が終わってから読み出した本。
篠田節子さんの「夏の災厄」に、
辰巳秋水というお医者さんがでてきます。 
しゅうすい、と読むかどうかはわかりませんが、
なんだかシンクロニシティー!
と勝手に喜んでます。
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これは合成ですか?

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幸徳さんについて書こうと思ったんですが、
疲れちゃったので、
全然違う話題を。

昨日のニュースでこんな映像が流れておりました。

おもしろーい、と思って、
ネットで探してみたら、
同じようなサッカーやアメフトのいろんな動画を
載せているサイトがあって、
その中のこの動画が凄かったです。

これって、合成なんでしょうか?
もし、ほんとにやってたらすごい。

管野スガ

テーマ:
もう、『愛と嘘っぱち』は終わりましたが、
本番が始まるまでに登場人物の紹介をしようと思っていたのに、
一番大事な管野スガさんと幸徳秋水さんを紹介せずにいましたので、
ちょっとご紹介いたします。

管野スガさんは大逆事件で逮捕された26人、また、死刑執行された12人のうち、ただ一人の女性でした。
1881(明治14)年6月6日に大阪で生まれました。
管野須賀子という表記の資料もありますが、須賀子は筆名で、号は幽月です。
なので、新村さんや宮下さんからは「月さん」と呼ばれていたようです。
スガさんの父親は鉱山師で、京都、東京、愛媛、大分を転々とし、高等小学校を卒業するまでは、経済的に恵まれた家庭でした。
11歳のとき、母親が死亡して、その頃父親の鉱山事業が傾いてしまいました。
その後、父親は再婚するのですが、スガさんはママ母にいじめられ、しかも、10代の半ばに、ママ母が手引きした男に強姦された上に、ママ母によってそれを言いふらされる、という仕打ちに合います。
というのが通説で、瀬戸内晴美(寂聴)さんの『遠い声』にもそう書いてあるのですが、大阪日日新聞に連載された「なにわ人物伝ー光彩を放つー」では、
「「死出の道艸」に、獄窓から降る雪を眺めながら、「雪、継母とともに遊んだ雪」と書いた部分がある。いつのことか分からぬが、継母たちと有馬温泉に遊んだ体験もあり、継母の並外れたいじめは考えられない。スガのその他の文章にも、継母と不仲だったとか憎んだとか書いたところはない。」
と書かれています。
この連載ではスガの男性遍歴の多くは本当ではなかったのではないか、と書かれています。
ネットで読めますし、面白いので読んでみてください。
(http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/index.html )
明治32年18歳で、東京深川の大金持ち、小宮福太郎と結婚。
3年後に父親の看病を理由に大阪へ帰り、そのまま離婚。
21歳のとき、大阪の小説家、宇田川文海先生に弟子入り。
宇田川先生の妾となり、『大阪新報』の記者をする傍ら、小説や随筆を書くようになる。
このころから人権尊重、女権拡張を主張していたらしい。
22歳のとき、社会主義演説会で木下尚江の公演に感動し、キリスト教の婦人矯風会の運動をするようになる。
23歳のとき、矯風会の大会に参加するため上京し、平民社の堺利彦さんを訪ねる。
昔、堺利彦さんが強姦被害にあった女性に対して、
「往来を歩いていて狂犬に噛み付かれたようなもので、あなた自身の責任ではない。早く忘れてしまいなさい」と書いた記事を読み、感動したことがあったため。
24歳のとき、堺さんの紹介で、和歌山県田辺町の牟婁(むろう)新報社の記者になる。
そのちょっと前、平民社がつぶれて堺さんの斡旋で、荒畑寒村さん(当時18歳)も記者として就職していた。
寒村さんはスガさんを姉ちゃんと慕ったが、まもなく退社して東京へ帰る。
この間にもスガさんはいろんな男性とくっついたり離れたりしていることになっています。
明治39年、25歳のとき、牟婁新報社をやめて、妹ヒデさんと京都へ。
8月に満19歳になった寒村さんが京都へ来て、妹と三人で同棲。
そして12月、三人で上京し、スガさんは『毎日電報』の社会部記者に。
寒村さんは、明治40年の1月に日刊『平民新聞』の記者になる。
2月に寒村さんが、足尾銅山の鉱夫の暴動の取材に行き、帰ってみると、ヒデさんは肺結核の末期で、スガさんは看病疲れで寝込んでいた。
そして、すぐにヒデさんは亡くなってしまい、スガさんも肺結核と診断され、伊豆の初島に療養に行く。
明治41年5月、スガさんにとって寒村さんは「幼すぎる」と、関係が冷却し、別居。
6月、「赤旗事件」で寒村さんもスガさんも逮捕される。
このとき、検事に理不尽な、女性としてとても耐えられない取り調べを受け、復讐を誓う。これが、大逆事件の動機の一つだともいえる。
まず、爆裂弾をその時の検事にぶつけ、政府の官僚たちにぶつけ、最終的に天皇にぶつけようと。
8月、東京地裁で判決、寒村さんは重禁錮1年6ヶ月、スガさんは無罪。
しかし、スガさんは毎日電報社から解雇を言い渡される。
翌年、42年3月、平民社が巣鴨から千駄ヶ谷へ移り、スガさんは幸徳さんの秘書として平民社へ住み込み、恋愛関係となる。
このとき、寒村さんは「赤旗事件」のために牢屋に入っていたため、寒村さんとスガさんの関係が冷却していたことを知らない社会主義者たちから、幸徳さんは、同志の妻を奪ったと批判される。
同じく、この前に妻の千代子さんと離別していたにもかかわらず、スガさんは、夫が入獄したのをいいことに、秋水の妻を追い出し、押し掛け女房になったと批判される。
それで、スガさんは獄中の寒村さんに離縁状を送るのですが、それがまた批判の的になり、寒村さんも怒り、寒村さんは、出獄後、ピストルを持って、スガさんと幸徳さんをつけ回すことになるのです。

明治42年6月4日、平民社に宮下さんがやってきて、スガさんに「必ず爆裂弾を作る」と決意のほどを伝えてます。
その後、幸徳さんは、スガさんを発行署名人として、雑誌『自由思想』を発行。
第一号は42年5月15日、二号は6月10日に発行されたが、いずれも発行禁止。
7月15日にスガさんは新聞紙条例違反で起訴・収監される。
9月1日、東京地裁で『自由思想』を秘密発送した罪で罰金400円の判決。
しかし、控訴して身柄は釈放された。
このときからスガさんは「爆裂弾による革命運動」を主張するようになる。
10月8日、外出中に路上で倒れ、尾行の刑事がかついで平民社へ。
診断は、「脳充血」。もともとスガさんは肺結核の上に「脳病」。
「脳病」とは、ヒステリーのようなものであるらしい。
11月1日、京橋区木挽町の平民病院に入院。
11月3日、宮下さんの爆裂弾の実験成功。
いつ退院したかはよくわかりませんが、この年の大晦日と明治43年の元旦は、幸徳さん、スガさん、新村さん、宮下さんの4人で平民社で過ごしています。
元旦の朝に、爆裂弾用の缶を部屋の中でみんなで代わる代わる投げてみます。
明治43年1月23日、スガさんと新村さん、古河さんの3人で、天皇の御馬車を襲う方法、手順、役割を話し合います。
このとき、幸徳さんはひどい下痢で奥の部屋で寝込んでました。
明治43年3月22日、幸徳さんとスガさんは、千駄ヶ谷の平民社をたたみ、湯河原温泉の天野屋旅館へ行く。
これは、静養をかねて長期滞在し、幸徳さんが『通俗日本戦国史』を執筆するため。
そこで、ちょっと幸徳さんとスガさんの間にすれ違いがあり、スガさんは幸徳さんと訣別し、壮大な革命運動に生きる覚悟を決める。
4月15日に控訴を取り下げ、罰金の代わりに100日入獄することにする。
5月1日に、スガさんは東京に戻って、5月18日に監獄に入れば、9月初めには出獄出来るから、秋に「爆裂弾による革命運動」を決行する計画をたてる。
以前、宮下さんの爆裂弾の実験は成功したというが、花火大会の夜にまっくらな山奥でやったため、スガさんは、新村さんが立ち会ってもう一度再実験をしてくれ、と頼んでいた。
で、5月1日に再実験をすることにして、新村さんが信濃で待ち合わせをしたのだが、宮下さんはあらわれない。
で、もう一度、新村さんが信濃へ行き、帰ってきたのが5月17日。
千駄ヶ谷のスガさんの居候先には古河力作さんが来ていた。
そこで、幸徳さんを除外した4人の、決行の時の配置と役割をあみだくじで決める。
古河さんに「なぜ宮下くんはこないのか?」と聞かれ、新村さんは、その理由を話す。(これは宮下さんの紹介をみてください)
それを聞いたスガさんは、
「ああ、なんて軽率なことを、してくれたんだろう。これで私たちは一網打尽にされるのではないか」
と悲痛な声をあげます。
しかし、スガさんは翌18日に入獄。
そして、5月25日に宮下さんが逮捕されました。
スガさんも尋問をうけることになるのですが、その間に、ある手紙を予審判事から見せられます。
それは、スガさんが湯河原から東京に戻った次の日に、幸徳さんが元妻の千代子さんに送った手紙でした。
それは、「スガとは別れた。もう一度一緒に暮らさないか」というような手紙でした。
そして、寒村さんが5月9日にピストルを持って、湯河原を訪れたということも聞かされます。
スガさんは、「幸徳に絶縁すると伝えてくれ」と判事に頼みます。
明治43年12月10日、第一回公判。
証人喚問は受け入れられず、傍聴も禁止。
なにより、最初の宮下さんの逮捕から、この事件に対する報道も封じられていたらしいです。
スガさんは、ずーっと、「私と新村、古河、宮下の4人だけで、他の人は無罪だ」
と言い続けていたらしいです。
そして明治44年1月18日判決公判。
なにわ人物伝によると、
「判決の日、スガは総髪銀杏(いちょう)返しに、紋羽二重(はぶたえ)薄色羽織というまるで貴婦人のような服装で出廷し、大変な話題になっている。これは夫秋水を奪った女に対する秋水の前妻幸徳千代子が無理算段して、最後の餞(はなむけ)に贈ったものだが、スガ自身も含めてだれも知らなかった。」
そして、裁判長は、24人に死刑、懲役10年1人、同8年1人の判決を言い渡す。

 宣告を終わると、裁判長はほとんど逃げるように椅子を立って法廷から消えた。
 一瞬、また石のような沈黙と静寂が法廷を支配した。
 突然、看守の手で編笠が管野すがの頭に載せられた。入廷の逆順に、彼女が一番先になって法廷を出るのである。彼女は居合わせた弁護人に黙礼したのち、ただちに椅子を離れた。手錠をはめられ、腰縄がつけられた。彼女は手錠のままの手でかがんで編笠を取った。ここを出てしまえばふたたび顔を合わすことができない。永久の訣別である。彼女は心持ち背伸びしてみんなの方を見た。
 彼女の顔はかがやかしく光った。すきとおった声で彼女は叫んだ。
「皆さん、さようなら」
 被告の視線は期せずして彼女にあつまった。内山愚堂が、
「ごきげんよう」
 と答えた。内山の返事でもあり、皆の返事でもあった。
 彼女は笠で面を蔽うて、すたすたと廷外へ小走り出た。
「無政府党ばんざい!」
 大阪の三浦安太郎が叫んだのが、キッカケとなって、幸徳以下被告一同がこれに和した。
「無政府党ばんざい!」
(絲屋壽雄「大石誠之助 大逆事件の犠牲者」より)

そして、1月24日、スガを除く11人の死刑が執行され、
1月25日(水曜)午前7時30分、管野スガ処刑。

スガは元の夫の荒畑寒村に堺氏を通じて「断頭台に上がる最後の際まで寒村の健康を祈っている」と伝えていた。知らされた寒村氏はスガの棺の前で号泣したという。(岩波新書「管野すが」より)

 紫の紋付羽織を着た管野スガは、絞首台に上がって、頭から黒い頭巾をかぶせられるとき、透き通った声で叫んだ。
「われ主義に死す。革命万歳!」
 絶命は午前8時28分で、享年29。
(佐木隆三「小説 大逆事件」より)

ミュージカルの最後の方でスガたちが歌っていた、
「残しゆく我が二十とせ(はたとせ)の玉の緒を百とせ(ひゃくとせ)のちの君にささげむ」
という歌は、管野スガさんの辞世の句といわれている歌のうちの一つです。

はあ、長くなっちまいました。
ここまで読んでいただいた方ありがとうございます。

『愛と嘘っぱち』終わりました。

テーマ:
流山児★事務所 ミュージカル『愛と嘘っぱち』、
11月7日の長久手公演をもちまして、
無事千秋楽の幕をおろすことができました。

観に来ていただいた皆様、本当にありがとうございました。
残念ながら観に来られなかった皆様、次の機会には是非。

顔合わせから千秋楽まで約2ヶ月間。
オリジナルミュージカルということで、
歌やダンスの練習、台本の書き換え、
などなど、いろいろと大変でしたが、
素敵な舞台ができたと思います。
あ、ぼくが台本を書き換えてる訳じゃないですが。

なんだか気が抜けてしまって、
今日も一日ぼーっとしていました。

いろいろとやらなきゃいけないこともあるんですが。

さて、次の舞台は、
12月24、25日の石原正一ショー『エ・ト・セトラ』
そして、もしかすると年内にピートローズのライブ。
どちらも大阪です。

関西方面の皆様、是非観に来てください。

『愛と嘘っぱち』東京最終公演です。

テーマ:
流山児ミュージカル『愛と嘘っぱち』、
明日の11月3日の14時の公演で、
東京公演終わりです。
幸徳秋水さんや大逆事件をすごく知っている人には、
ちょっと不評だったりもするのですが、
概ね、好評です。
もう明日しか見られないので、
是非観に来てほしいです。
今日は、流山児さんの誕生日だったので、
昼公演と夜公演の間に、お祝いをしました。
これから観に来ていただけるという方は、
ぼくの日記の『宮下太吉さん』の説明だけでも、
読んできていただけるとわかりやすいです。
では、おやすみなさい。