宮下さんの続き

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今日は、雨が降って、寒かったですね。
天気予報では、クリスマスの気温だと言ってました。
台風も近づいているそうで。
ぼくらは昼前から夜まで劇場にこもってました。
ミュージカルで生バンドなので、
いろいろとチェックすることが多くて大変です。
あさってから本番です。
台風がくるかもしれませんが、
それにも負けないくらいみんながんばってますので、
是非観に来てください。

さて、今日は宮下さんのご紹介の続きです。

なぜ爆裂弾の実験をしようと決めた日に、宮下さんはこなかったのか?
佐木隆三さんの『小説 大逆事件』を参考にしています。

その前に。

宮下さんは、若い頃に、女郎買いをよくしていて、
なじみの女郎が年季が明けたので結婚しました。
奥さんは9つ年上でした。
しかし、その後、宮下さんが社会主義に目覚めてしまった後、
そんな危険な人とは一緒にいられないと、
宮下さんの仕事が亀崎から明科に移った時に別れています。
しかし宮下さんにはかなりの未練があったようです。

話は変わって。
1909年(明治42年)2月13日、幸徳さんと新村さんに初対面。
は、この前、書きましたが、
12月31日、「決行の時期と場所を決めたい」とまた平民社を訪ねましたが、
幸徳さんは寝ていたため、夜中まで新村さんと話し込みました。
1910年1月1日の朝は、幸徳さん、スガさん、宮下さん、新村さんの4人で、
屠蘇を飲んで雑煮を食べます。
しばらくたって、宮下さんがカバンから出してきたものは爆裂弾の材料でした。

爆裂弾を作るための材料ですが、
鶏冠石は愛知に住む古い知り合いの機械製造業者から、
仕事で使うと嘘をついて、買っています。
塩素酸カリは前にも書いたように、
ドクトル大石さんのところにいた新村さんが送ってくれました。
そして、宮下さんの部下の新田融さんの家で、
鶏冠石を薬研(やげん)ですりつぶします。
宮下さんはそのころ、おまわりさんの家の二階に住んでいたからです。
試験用の缶は、隣町に行って作ってもらいました。
で、1909年11月3日の花火大会の日に試験をしました。
そのあと、本番の爆裂弾用の缶は、
1909年12月に2個、翌年1910年4月に24個、新田融さんに作らせてます。
宮下さんは新田さんに社会主義の話をし、
『入獄記念/無政府共産』の小冊子を渡しています。

1910年の元旦の朝、宮下さんは、幸徳さんとスガさんと新村さんに、
新田さんが作った缶と、自分が油差しの缶を改造して作ったものと、
どっちがいいか見てほしい、と言います。
そして、みんなで代わる代わる二つの缶を投げてみます。
しかし、8畳間であるので、転がすような感じだったらしいです。
古河さんと宮下さんはいつもすれ違いで、
裁判所で初めて顔をあわせたということです。

もう一人、宮下さんが『入獄記念/無政府共産』を渡したのが、
清水太市郎という部下でした。
清水さんは、1909年9月に明科製材所に就職します。
それまでは、壮士芝居の役者をしていました。
オッペケペーで有名な川上音二郎一座にくわわり、
ヨーロッパ巡業もしたこともあるらしいです。
1910年1月清水さんは巡査の娘のタマさんと結婚します。
宮下さんは家が近く、可愛がっている部下の家でもあるし、
洗濯を頼んだり、清水さんがいなくても、家に上がったりしていたそうです。
清水さんは役者上がりで女にもてたそうで、
タマさんは、そのことを宮下さんに相談していました。
そして、宮下さんが新村さんとの約束をすっぽかした5月1日。
一緒に遊びに行こうと約束していたのに清水さんが出て行ってしまったため、
女のところに行ったに違いないと泣くタマさんを慰めているうちに、
肉体関係をもってしまったのでした。

1910年5月8日、
なぜか、宮下さんは爆裂弾の材料を部下の清水さんの家に預けます。
それだけ信用していたのでしょう。
しかし、その話を新村さんから聞いたスガさんは、怒ります。
「清水もタマもスパイかもしれない」

5月20日、宮下さんは警察から尋問を受けますが、うまくかわしました。
5月21日、宮下さんは清水さんに預けていた爆裂弾の材料を、
別のところに移そうと思い、清水さんの家に行き、
信用していた部下の清水さんに計画のすべてを打ち明けてしまいます。
5月22日、清水さんの家に行ってみると、松本に行っているという。
実は、清水さんは、役者あがりであるためなかなか就職できず、
知り合いであった製材所所長の温情で製材所に採用されたため、
『職工たちの間で不穏の動きや企てがあったとき、
 真っ先に自分に報告せよ』と義務づけられていたのでした。
それで22日は松本の所長に報告に行ったが、所長は出張でいませんでした。
5月25日早朝、警察が清水さんの家に行き、清水さんはすべてを話します。
そして、その日のうちに宮下さんは逮捕されてしまったのでした。

新田融さんも大逆事件で逮捕された26人のうちの1人でしたが、
爆発物取り締り罰則違反として懲役11年になりました。

宮下さんは1月24日に執行された死刑の6番目でした。

 六番目の宮下太吉は、一月十九日に「赤旗事件」で千葉監獄に入獄中の大杉栄にハガキを書いて、「いつかキリスト教の坊さんから、『一粒の麦も死んで地に落ちれば、いつか芽吹いて新しい実をつける』と聞いた」と文面にある。
 第七回公判で宮下は、「自分は今日限り、社会主義・無政府主義をやめる」と、転向を宣言している。しかし、絞首台で縄をかけられたとき、やおら大声を発した。
「無政府党万歳」
 このとき死刑執行係の看守が、とっさに床を落とすハンドルを引いたので、教誨師の沼波には、「無政府党万」までしか聞こえなかった。絶命は午後零時十六分で、享年三十五。
(佐木隆三「小説 大逆事件」より抜粋)

宮下さんは『愛と嘘っぱち』でも重要なキーパーソンです。
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宮下太吉と爆裂弾

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今日で、稽古は終わりです。
明日は劇場入りです。
高円寺駅の座・高円寺2です。

今日は宮下太吉さんのご紹介です。

その前に、宮下さんの作った爆裂弾とはどんなものなのか?

宮下さんの作った爆裂弾は、
小さな缶(直径3cm、高さ6cmぐらい)に、
鶏冠石のすりつぶしたものと塩素酸カリをいれて、
小豆ほどの石粒20個を混ぜて、
銅線で全体をきつく巻き付けたものである。
中に入れる石というのは、
爆発した時に粉々になって、
いろんなところに飛んで行く、
つまり散弾銃みたいな役割をする。
こんなものだと思います。

1875年、山梨県甲府市出身。
東名阪など各地で機械工として働いてました。
1907年1月15日に創刊された『平民新聞』を宮下さんは購読し、
社会主義者になりました。
同6月1日に森近運平さんが編集兼発行人である『大阪平民新聞』を、
宮下さんは購読します。
宮下さんは大阪に仕事で行った時に、森近さんと話をしています。
その時のことを森近さんは「脳と手」という記事に書き、
宮下さんのことをたいそうほめています。
1908年11月3日、宮下さんの家に、
『入獄記念/無政府共産』(内山愚堂さんの作った小冊子)が、
50部送られてきます。
そこには、地主、政府、軍部、天皇に対する意見が書かれており、
これに賛同するものは、世の何も知らない人たちに伝道してほしい。
または、「赤旗事件」によって入獄した仲間たちに、
応援のメッセージをはがきなどで送ってほしい。
と書かれてありました。
宮下さんは、「伝道」に出ることにしました。
1908年11月9日、天皇は、奈良方面における陸軍特別大演習と、
神戸における観艦式に望むため、東京を出発します。
そのお召し列車が、11月10日の午前中に亀崎の近くを通ります。
それで、宮下さんは、仕事を休んで、
『入獄記念/無政府共産』を20冊ほどもって、
お召し列車の奉迎の列に加わり、
そこにいる人たちに、
「天皇陛下なんてそんなにありがたいもんじゃありませんよ」
と、小冊子を差し出しながら言って回りました。
しかし、天皇を神様だと思っている人たちは、
その小冊子を受け取りもしないし、
あんたは何を言っているんだ、天皇は神様だよ、
という反応をしたため、
宮下さんはあきらめて亀崎に帰りました。
お召し列車、最近も先月ぐらいに走ってましたね。
時刻表に乗っていない唯一の列車。
とても素敵な、鉄道マニアが喜びそうな列車でした。
この時に、国民は迷信におかされている、
天皇に爆弾を投げつけて、血を流させてやれば、
国民の目も覚めるのではないか、と思ったようです。
1909年、愛知県知多郡亀崎町(現・半田市)の
「亀崎鉄工所」から長野県東筑摩郡中川手村(現・安曇野市)の
官立「明科製材所」にヘッドハントされて移りました。
亀崎で、宮下さんは工場で働くうちに、
なんで職員たちがこんなに虐げられているのかと言うことに疑問を持ち、
社会主義に傾倒して行きます。
亀崎の時点から社会主義者として、警察にマークされていました。
1909年2月13日、宮下さんは、仕事で東京に出張したついでに、
巣鴨の平民社を訪ねます。
そこで、幸徳さん、新村さんと初めて会い、
幸徳さんに「私は天皇に爆裂弾を投げつけることにしました」
と話します。
幸徳さんは、話は興味を持って聞きましたが、
行動自体にはあまり賛成ではないようでした。
1909年9月、警察から、宮下は社会主義者であるから、
解雇又は説諭をしろと、上司に命令があり、
そこで、宮下は、社会主義から手を引くという約束をさせられます。
その後、社会主義を鼓吹することもなく、
忠実に勤務に服していたため、
1909年11月15日、新村善兵衛を保証人として、職工長になります。
新村善兵衛さんは、新村忠雄さんのお兄さんで、
大逆事件の時に逮捕されて、死刑にはならず、
8年の懲役にされてます。
それよりちょっと前、1909年10月26日に満州で、
伊藤博文が亡命韓国人の安重根にピストルで狙撃され暗殺され、
それに感化された宮下さんは、
翌日、爆裂弾を作ろうと小さい缶を発注します。
そのころ、伊藤博文さんは社会主義者の敵とみなされていたみたいです。
爆裂弾をつくるための塩素酸カリは、
当時、ドクトル大石のもとで薬局の手伝いをしていた新村さんが、
大石さん名義で買って、宮下さんに送りました。
鶏冠石をすりつぶすための薬研(やげん)は、
新村さんが友達の漢方医の娘から借りることになったんですが、
それが新村家についた時に、
たまたま新村さんは東京に行っていたために、
お兄さんの新村善兵衛さんが宮下さんに送ったのでした。
1909年11月3日、宮下さんは爆裂弾の試験をしてみます。
地元の花火大会の日でその音にごまかされるだろうと思い、
村の裏の谷に投げ込んでみたんですが、
予想外に大きい音と爆風がきてびっくりしたようです。
その報告を聞いたスガさん、新村さんはテンションがあがります。
幸徳さんはやはり乗り気ではないようです。
しかし、慎重なスガさんが、
立会人のもとに再試験をしてみなければわからない、
というので、新村さんが立会人として、
もう一度爆裂弾の試験をしようということになります。
しかし、1910年の4月に新村さんと宮下さんとが、
姥捨山で再試験をしてみようと集まった時には、
観光客が多すぎて断念します。
で、5月1日には必ずやろうと待ち合わせをしたのですが、
なぜか、そこに宮下さんは現れませんでした。

ちょっと長くなっちゃったので続きます。
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平沼騏一郎

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今日は、雨ですね。
『愛と嘘っぱち』の稽古はラストスパートです。
昨日、衣裳が決まり、作り物の衣裳も続々出来上がってきています。
昼前に地震がありましたね。
びっくりしました。
そういえば、先週の木曜日に経堂のつぼ八で飲んでいたら、
突然真っ暗になりました。
「なに? 誰かの誕生日?」
などと店中騒然としていました。
店員さんは各個室をお詫びに回っています。
しかし、窓から外を見ると、外も真っ暗。
「ミサイルでもおちたんじゃないか」
とさらに騒然となりましたが、
この地域一帯が停電だったみたいです。
5分ほどして復旧しました。
「うちら、戦争起こっても、知らずにこうやって飲んでるんだろうね~」
としみじみしました。
こんな停電、何十年ぶりでした。

さて、今日は、平沼騏一郎さんのご紹介です。

平沼さんは大逆事件の時は大審院検事局次席検事として、
事件の捜査を指揮していた人です。
幸徳秋水、管野スガ、宮下太吉、新村忠雄、古河力作の5人が首謀者であり、
宮下の部下の新田融と、新村の兄の新村善兵衛が事件の関係者だということで、
その7人の逮捕で終わるはずだったんです。最初は。
それを平沼さんが、
いったん解放された、ドクトル大石さんら、
紀州グループと呼ばれる、関西に住む人たちを再逮捕させ、
さらに、他の地域の人たちも逮捕したらしいです。

そのことを「甘口辛口」というブログではこう書いています。

陸軍の大ボスだった山県は、社会主義者らの反戦平和の運動を放置できなかったし、それよりもっと許し難いと思ったのは、人間平等論の方だった。天皇の神秘的な権威を利用して民権運動や藩閥反対の運動を弾圧してきた山県からすれば、天皇がただの人間にされてしまっては、民権運動弾圧の武器がなくなってしまう。山県は、天皇をあくまでも「現人神」のまま残しておくためには、人間平等論を根絶させなければならなかったのだ。
山県有朋は、宮下太吉の事件を耳にすると、これは西園寺内閣による自由放任政策の結果だと攻撃し、西園寺を窮地に追い込もうとした。山県の意を体して桂内閣は直ちに動いた。司法省民刑局長平沼騏一郎をして大審院検事を兼任させたのである。行政官の平沼に司法官を兼ねさせ、司法と行政を一体化させて、事件を社会主義弾圧の方向に振り向けて行った。
(http://blogs.yahoo.co.jp/kazenozizi3394/52627463.html)

平沼さんは、1867年(慶応3年)に今の岡山県津山市に生まれます。
ドクトル大石さんと同い年です。
1872年に上京して(5歳?)、英語・漢文・算術を学び、
1878年に東京大学予備門入学。
1888年に帝国大学法科大学
(のちの東京帝国大学法科大学、戦後の東京大学法学部)を卒業し、
司法省参事官試補になります。
どんどん出世して行って、
1899年に東京控訴院の検事になります。
1905年には大審院の検事になります。
そして、司法省民刑局長と大審院検事を兼任しながら、
1911年(明治44年)1月大逆事件で幸徳さんたちが死刑になった後、
9月に司法次官に就任。
1912年検事総長に就任。
1921年大審院長に就任。
1922年日本大学総長に就任。
1923年第2次山本内閣で司法大臣に就任。
で、貴族院議員、枢密顧問官、枢密院議長を経て、
1926年には男爵の爵位も貰ったりして、
1939年内閣総理大臣に就任。
しかし、戦後、1945年にA級戦犯に指定され、
1946年巣鴨プリズンに入所、終審禁錮。
1952年(昭和27年)病気仮釈放直後に亡くなりました。
享年85歳。

こんな生涯でした。

平沼さんは、極右、すごい右翼だったらしいです。
社会主義、共産主義はもちろん、民主主義も認めない。
天皇万歳、万々歳、の人でした。

代議士たちが関係しているある事件を扱っていた時に、
政府から、捜査をやめろという圧力を受けた。
で、これを逆手に取れば、政府を操れる、と、
「捜査しちゃいますよ~」と政府に逆に圧力をかけるようになった。
それから、検事が政府に対して力を持つようになり、
裁判官よりも検事が偉くなって行った。
最初に事件の筋書きを作り、
予審調書などを、その筋書き通りに改ざんするなどの、
やり方がこの時から現在まで続いているのである。

というのが、ぼくがいろいろ資料を読んだ印象なんですが、
あってますか?

ぼくが読んだ大逆事件関係の本には、
あんまり平沼さん出て来ないです。
ネットでいろいろ調べてみても、
大逆事件におおいに関わっている、とは書かれているのですが、
具体的に何をしたか、というのは書かれていません。
平沼さんの人生がいろいろありすぎるからなんでしょうか。

『愛と嘘っぱち』では、
平沼さんはとっても悪い人です。
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『愛と嘘っぱち』一週間後です。

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昨日と言うか金曜日は稽古後、
稽古場でみんなで芝居について熱く語りました。
しかも、その後、みんなが終電で帰るという時に、
某役者さんが、
「○○ちゃんと後藤くんは残るから」と、
半ば強引に残されちゃいました(;^_^A
まあ、自転車で帰れるからいいんですけど。
結局、5時半頃まで話してました。
というわけで、今日、土曜日は、
昼過ぎまで爆睡。
で、夕方になって、
管野スガさんのお墓をお参りして、
千駄ヶ谷の平民社のあったとこらへんに行ってみました。
スガさんのお墓は正春寺というお寺の中にあるので、
すぐわかったのですが、
千駄ヶ谷の平民社は、
千駄ヶ谷903番地といっても、
今の渋谷区代々木2丁目6ということで、
新宿駅のすぐ近くです。
しかも、平民社跡とかの碑があるわけでもなく、
ここらへんだろうなあ、と思って帰ってきました。
巣鴨の平民社は豊島区北大塚2-14にあったみたいです。
大塚駅前駅の前のホープ軒のあたりですね。
今度行ってみようと思います。

『愛と嘘っぱち』一週間後の30日(土)から本番です。
愛と革命と冒険のミュージカルです。
面白いです。
というわけで、もう一度告知を。
観に来ていただけるという方は、
是非、ぼくの方までご連絡を。
チケット予約させていただきます。
お願いします。



流山児★事務所 ミュージカル『愛と嘘っぱち』
【作】鹿目由紀(劇団あおきりみかん)  【音楽】浅井さやか(One on One)  【演出】流山児祥

【出演】
伊藤弘子 栗原茂 木内尚 上田和弘 小林七緒 里美和彦 冨澤力 柏倉太郎 平野直美 木暮拓矢 坂井香奈美 
藤村一成 武田智弘 諏訪創 阿萬由美 山下直哉 荒木理恵 鈴木麻名実 山丸莉菜
内藤大希 関谷春子 後藤英樹 菊池ゆみこ 横山央

【演奏】諏訪創 中田竜太郎 能勢一平 川口隼人

【東京公演】
座・高円寺2 JR中央線「高円寺」駅 北口を出て徒歩5分
〒166-0002 東京都杉並区高円寺北2-1-2 TEL.03-3223-7500
10/30(土)15:00☆、19:00
10/31(日)15:00
11/1(月)19:00
11/2(火)14:00、19:00
11/3(水)14:00
☆30(土)15:00の回はプレビュー *開場は開演の30分前より。当日券の発売は開演の1時間。
全席指定 当日:3,800円 前売:3,500円 学生割引:3,000円(前売・当日とも) プレビュー:3,000円(前売・当日とも)
*プレビュー 学生割引は流山児★事務所のみの取扱

【長久手公演】
長久手町文化の家 風のホール
2010年11月6日(土)15:00 7日(日)14:00
*開場は開演の30分前より。当日券の発売は開演の1時間前より。
11/6(土)☆終演後、アフタートークあり(ゲスト:佃典彦 鹿目由紀)    〒480-1131愛知郡長久手町大字長湫字野田農94-1 TEL.0561-61-3411
全席自由 当日:3,300円 前売:3,000円 学生割引:2,500円(前売・当日とも) フレンズ(友の会割引):2,500円
* 学生割引は流山児★事務所のみの取扱
* フレンズ(友の会割引)は長久手町文化の家、Nピアのみの取扱

【あらすじ】
100年前、冬。「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害を加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」―――。『大逆罪』と呼ばれる刑法第七十三条のもと捕らえられた『大逆事件』の26人のうち、24人に死刑の判決が下されたあの日。ある女とある少年が、引き寄せられるように牢獄を訪れた。身重の女は最近見る『夢』の原因を突き止めるため。純粋な少年は『衝動』に駆られて。刑が言い渡されてから12人に死刑が執行されるまでの、わずか一週間。世間から妖婦と罵られるスガ、爆裂弾の首謀者ミヤシタ、革命の先導者で神と崇められるコウトク、闇雲に死刑を執行するのに命をかけるヒラヌマ、それを回避することに奔走する文人弁護士ヒライデ、スガに屈折した思いを寄せるあまり狂っていくアラハタ…。明治の若き革命家たちの頭の中は、狭い狭い牢獄の中で溢れんばかりにぐちゃぐちゃと交錯していく。そして、彼らの想いに触れた女と少年は、徐々にその強い磁力に取り込まれていくのだった。

流山児★事務所は東海地方の劇作家達との交流を30年以上の長きにわたって続けています。北村想・天野天街・佃典彦の3人の劇作・演出家はある意味「座付作家」と呼ぶべき存在です。そんな東海の注目の「若手劇作家の雄」が鹿目由紀です。人のココロを溜めて空中に浮かぶ劇場や、お客さんのニーズに合わせて裁判をする「擬似裁判所」等、一見奇抜なシチュエーションから繰り出される「会話」と「関係」のズレを中心とした喜劇を上演している名古屋トップの人気劇団『あおきりみかん』を主宰し、短編演劇の全国チャンピオンの『劇王』を3連覇するという偉業も打ち立てています。その注目の鹿目由紀が「初めて挑む」創作ミュージカルです。 題材は、百年前の近代ニッポンの大事件=大逆事件。この稀代のフレームアップ(でっち上げ:冤罪)事件に想を得て「明治のワカモノ」たちの「熱い疾走革命劇」を創り上げます。ブロードウェイミュージカル『ユーリンタウン』で日本のミュージカル界に風穴を開けた流山児祥と流山児★事務所が総力を挙げて『ユーリンタウン』を超える、愛と革命と冒険の《百年の大逆》ミュージカルに取り組みます。

新村忠雄

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新村忠雄さんの紹介をします。

新村忠雄さんは、大逆事件の首謀者の一人として死刑になりました。
1887年、明治20年に長野県で生まれました。
とても成績優秀だったらしいです。
家もお金持ちだったみたいです。
明治40年1月に幸徳秋水、堺利彦らが日刊『平民新聞』を創刊し、
さっそく定期購読を申し込み、むさぼるように読みました。
その年の4月に東京勧業博覧会を見物しに東京へ行き、
平民社を訪ねて、初めて幸徳さんに会いました。
明治41年1月、新村忠雄が中心になり、信濃社会主義研究会を結成します。
5月、群馬県高崎市の東北評論社が、
「政治を軽蔑せずとはいえども、慮るところありて、
 いまはただ思想の開拓に従わんと欲す」
と、学術雑誌のスタイルをとって、『東北評論』を創刊するのに参加。
しかし、出版法違反で発行停止。
8月1日『東北評論』復刊号を出版したけど、
「赤旗事件の犯罪人を賞賛した」と、
編集人が新聞紙条例違反で軽禁錮二ヶ月。
10月、新村さんが発行人となり『東北評論』第三号発刊。
しかし、「安寧秩序を紊乱した」という理由で発行禁止になり、
前橋地裁検事局から呼び出されたが、出頭せず、
欠席裁判で軽禁錮二ヶ月の判決を受ける。
11月22日巣鴨の平民社で、ドクトル大石と初対面。
11月28日やむなく出頭し、逮捕、入獄。
42年2月4日、出獄。
平民社にいくと、幸徳さんと、奥さんの千代子さんが、
二人とも寝込んでいた為、看病の為に住み込むことになります。
2月13日、宮下太吉さんが平民社にやってきます。
ここで初めて新村さんは宮下さんに会います。
3月、幸徳さんと千代子さん、離婚。
そして、平民社は千駄ヶ谷に移り、管野スガさんも移り住む。
3月29日、「ドクトル大石が病院が多忙なので、手伝ってほしいそうだ」
と幸徳さんに言われ、和歌山県の新宮の大石宅へ行き、五ヶ月過ごす。
明治42年8月、幸徳さんから、
「スガが、新聞紙条例違反で起訴・収監され、
 ほとほと困っており、新村を帰してほしい」と手紙があり、
新村さんは、
「幸徳先生は身勝手だ」と思ったが、
5~7月にスガから「中央で壮大な革命運動を起こそう」と、
手紙をもらっていた為、8月22日に平民社に帰りました。

二人きりになった時、新村は菅野にたずねた。
「言論による伝道は、ことごとく封じられました。
 壮大な革命運動のために、爆裂弾が不可欠ですか?」
「そのとおり。秀峰同志とともに死ねるのなら、私に悔いは残らない。
 しょせん秋水は言論の人だから、私には物足りない」
なんという甘美な言葉だろうかと、全身がしびれる思いでいると、
新村の頬にちょっと唇を当て、菅野は風のように消えてしまった。
(佐木隆三『小説 大逆事件』より)

秀峰というのは新村さんのペンネームです。
11月6日、宮下さんから、
「爆裂弾の試験をしたら、その威力が絶大であった」
とお手紙が平民社にきます。
しかし、詳しく聞くと、花火大会の夜に、
人気のない谷底に爆裂弾を投げたら、
爆音と爆風がすごかった。
というものであり、
夜であったので、爆発したところはみていない、
ということで、
スガさんは「立会人をもうけて、もう一度試験すべきだ」と言い張った。
で、新村さんが立会人になるということで、
宮下さんに何度か会いに行ったのですが、
うまく、実験場所が見つからず、
そのうち宮下さんが部下の奥さんに手を出して、
宮下さんがそのことについて悩んでしまい、
実験にはいたらず、
しかも、宮下さんはその部下に計画の一部を話し、
爆裂弾の材料をその部下に預けていたのですが、
その部下が警察とつながっていたため、
宮下さんが逮捕されました。
それが大逆事件のはじまりです。
新村さんは爆裂弾の火薬の材料をすりつぶすための、
「やげん」を友達に借りる約束をし、
家に送ってもらって、
「その荷物が着いたら宮下さんに送ってくれ」と、
お兄さんの新村善兵衛さんにたのみました。
そのせいで、お兄さんの善兵衛さんも大逆事件で逮捕されました。
善兵衛さんは公判で8ヶ月の懲役になり死刑は免れましたが、
新村さんは、自分のせいでお兄さんを巻き込んでしまったことを、
大変悔やんでいたみたいです。

(死刑の)九番目は新村忠雄で、典獄室で「司法大臣の命により、これから死刑を執行する」と申し渡されたとき、恐怖に襲われたように身を震わせたので、(教誨師の)沼波が後ろから抱きとめると、弁明するように言った。
「ぼくは貧血気味で、ふっとこうなることがあるんです。ショックを受けたわけではないので、誤解しないでください」
その言葉を証明するかのように、新村は落ち着いた足取りで絞首台へ向かい、微笑をたたえて処刑された。絶命は午後二時五十分で、享年二十三。
(佐木隆三『小説 大逆事件』より)

管野スガは、新村を仲間に引き入れるために、
新村の自分への好意を利用し、肉体関係も持った、
という説もあるが、
それも噂だけであるという説もある。

と、こんな感じですかね。
新村さんは『愛と嘘っぱち』でも、
がんばってます。

新村忠雄、じゃなくて

テーマ:
今日は、経堂での稽古の最終日だったので、
荷物の搬出後、
8人ぐらいで居酒屋に行ってちょろっと飲みました。
いまやっている芝居について熱く語り合っちゃいました。
本番まであと1週間ちょっとです。
もっともっといいものに仕上げて行こうとみんな必死です。

今日は、12時ぐらいに家を出て電車に乗って経堂にいったんですが、
小田急線で隣に座ったのが、
ぼくの大嫌いな「電車の中で化粧をする女」でした。
化粧をすること、化けることを、人の観ている前でするというのもいやだし、
化粧をする為に、必死になって空いてる席に座ろうとするのも嫌だし、
10分もかからないのに家で化粧してくる余裕のなさもいやですが、
(しかも、朝一番とかじゃなくて、昼の12時ですよ)
(これって時間の有効活用とかじゃないと思うんですよ)
なにが一番いやかというと、
化粧をしてる人って忙しなく動くからいらいらするんです。
電車に乗ってる間ぐらいゆっくりのんびりさせてくれと。
かばんから、ファンデーションを出して、
開けて、ぬって、閉まって、カバンに入れて、
また何か出してきたと思ったらアイラインをひいて、またしまって、
ビューラー出して、まつげくるんとして、しまって、
こんどはマスカラ出してきて、つけてしまって、
ひっきりなしに動いてるんです。
しかも、カバンにしまう時とかに、ひじがこっちに当たったりして。
アイラインひいてる時に、手にぶつかってやりたい、と思ったり、
「乗ってきた時もぶさいくだったけど、
 化粧してもぶさいくですね」といってやりたくなったり。
逆に「化粧でものすごく変わるんですね」と言ってやりたかったり。
よくもまあ、そんな状態でした化粧を人に見せられるなと思ったり。
終電で化粧してる人は今から何処いくんだろうと思ったり。
化粧してる人の後ろの窓に、
「私ブサイクだから必死で化粧しないといけないんです。すみません」
って張り紙してあげたい、と思ったり。
ああ、性格悪いですね。
電車に乗ってる間中、顔の横に手を置いて、
そちらが見えないようにがんばりました。
新村忠雄さんについて書こうと思ったのに、
違うこと書いちゃいました。

古河力作

テーマ:
今日は、古河力作さんの紹介です。
古河さんは大逆事件の際、
管野スガ、新村忠雄、宮下太吉とともに、
天皇暗殺の首謀者の一人とされ、
26歳で、死刑になった人です。


 1884年、古河力作(ふるかわ・りきさく)は福井県雲浜村の旧家で生まれた。近親結婚の家系だった。140センチ足らずの短躯(たんく)である。

 17歳で神戸の草花店に、1903年には19歳で東京・滝野川の西洋草花店に勤めた。主人夫婦はクリスチャンで、ダリア栽培の権威だった。

 だが、11年1月24日、力作は「父上、母上、何卒(なにとぞ)お身体をお大切に。ミキちゃん、ツーちゃん、サヨナラ」と遺言を残し、26歳で世を去る。世間を揺るがした大逆事件に連座して、絞首刑に処せられたのである。
(おぼろ月夜に女と二人 http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY201001300204.html より。)

古河さんは、
「桂太郎を暗殺する為に、ドスを懐にいれて、
 霞ヶ関の首相官邸に乗り込んだのだが、
 警備が厳重であきらめた」
という噂により、社会主義者たちの間では英雄視されていた。
しかし、佐木隆三氏の「小説 大逆事件」によると、
「第一次西園寺内閣がつぶれたのは、赤旗事件と、
 留置場に落書きした不敬罪が原因で、
 第二次桂内閣は社会主義者の徹底的な弾圧に乗り出した。
 そこで古河力作は、警察官に捕まることを目的として、
 六拾銭で買った短刀を持ち、官邸付近をうろついた。
 そうして捕まったら、
 『社会主義に対する取り締りが、あまりにも苛酷であるから、
  桂首相に天誅をくわえるつもりだった』
 と、供述することにしていた。
 ところが警察は、
 古河が身長145センチの体躯矮小で、顔つきも小学生みたいだから、
 いっこうに捕まえてくれない。
 それで拍子抜けして、その場から立ち去った」
ということらしい。
この、あやまった英雄視の為に、
天皇暗殺の計画に引き入れられたのです。
瀬戸内寂聴さんの小説によるともっとかわいそうで、
身体コンプレックスの為に、
大きなことをやらかす人間だと思われたい、
というのが自分の本質で、
それで、ただちょっとしたナイフをもって官邸の前をちょっとだけ、
行ったり来たりしただけで帰ってきたことを大きく吹聴した、
と書かれています。
しかし、天皇暗殺というのも間違っていて、
実際には、天皇を傷つけて血を流すことができれば、
みんな、天皇が神ではなく人だということがわかるんじゃないか、
ということだったみたいです。
つまり、殺すつもりはさらさらない。

つかまって、死刑になった時には、
働いていた西洋草花店の主人に対して、
こんなことになって申し訳ない、
あの花はこんな育て方をした方がいい、
この花はここまで手をかけなくても良い、
もっとお客さんをふやすためには、
こんなことをした方がいい、
という自分の考えを延々と書いた手紙を残しているらしい。

瀬戸内晴美(寂聴)さんも、
古河さんを主人公にした短編小説で、
古河さんは、自分の体へのコンプレックスの為に、
自分のことを偉く見せようという気持があった。
と書いてます。
実際は家族と雇い主と花々を思うおとなしい青年だったと。

処刑の日、十一番目に執行された古河さん。
佐木隆三さんの『小説 大逆事件』ではこう書かれてます。

典獄室で執行を申し渡されると、平然として付き添いの看守に問いかけた。
「そろそろ夕食の時間ですけどね。このまま頂戴出来ないんでしょうか」
こういう死刑囚に、かつて沼波は出会ったことがない。「豪胆と評すべきか、無神経と称すべきか」と、舌を巻く思いで答えた。
「君もうすうす知っていただろうが、今日は朝からとても忙しく、それで夕食のことまで、気が回らなかったんだよ」
「そう言われても、腹が減っていては、元気よく死ぬことができません。阿弥陀様に供えてある羊羹をいただけませんか」
「よろしい。ミカンも食べなさい」
このとき沼波が、羊羹二本とミカン一個を与えると、古河はいかにも美味しそうに食べた。そして自分から立ち上がると、元気な声を出した。
「もう腹も十分ですから、すぐ出かけましょう」
絶命は午後三時五十八分で、享年二十六。

「ブンナよ、木からおりてこい」「飢餓海峡」「五番街遊郭楼」「はなれ瞽女おりん」で知られる、水上勉さんも、「古河力作の生涯」という本、「冬の棺」という戯曲を書いています。
他に大逆事件を扱った戯曲に『和泉屋染物店』(木下杢太郎:作)『魔女傳説』(福田善之:作)『美しき者たちの伝説』(宮本研:作)などがあるらしいです。

そんな古河さんは、
「愛と嘘っぱち」の中では、
意外とほんわかしてます。

内山愚堂

テーマ:
『愛と嘘っぱち』もう、来週末から本番です。
今週は、稽古場も広いところを借りて、
本番と同じような仮のセットも組んで、
バンドも入って、
お昼から夜まで稽古三昧です。
ぼくのなんちゃってタンゴもなんとか形になり、
ほっとしています。
すごくミュージカルちっくな歌と、
アングラちっくなダンスと、
小劇場ちっくなお話。
面白いです。
是非観てほしいです。
今日は、いっぺんに7枚も予約してくれたお友達がいました。
ありがとうございます。

で、今日は内山愚堂(うちやまぐどう)さんのご紹介です。
愚堂さんも大逆罪で死刑になった一人です。
愚堂さんは箱根の山中にある林泉寺の住職で、
『入獄記念/無政府共産』という小冊子を秘密出版した人です。
愚堂さんは明治7年に生まれ、
小学校を首席で卒業し、
やがて全国放浪の旅に出て、
19歳の頃、半年ほど仏教を勉強し、
33年に得度して、
36年の5月に林泉寺の住職になり、
その年の11月に、幸徳さんの週刊『平民新聞』が創刊され、
すぐに定期購読者になったというようなことから、
幸徳さんと知り合ったようです。
愚堂さんはお寺の中で、
活字印刷機を使って自分の本を印刷していたみたいです。
『入獄記念/無政府共産』は、
「赤旗事件」で社会主義者がつかまったのを受けて書かれました。
赤旗事件の入獄記念です。
地主たちに自分たちの作った作物を取られ、
貧窮な生活を強いられているのみならず、
戦争でこどもたちも取られてしまう、
小作人たちにあてて書かれたものです。
「あなたたちは、
 『地主がいるから自分たちは仕事ができる、
  政府があるから自分たちは安心して生活ができる、
  軍隊があるから他国から守られている、
  天皇は神様だ』
 と信じているが、
 『仕事をしているのはあなたたち自身であり地主ではない、
  政府があるから戦争が起こる、
  軍隊があるからこどもたちを差し出さなきゃいけない、
  天皇は神様ではない』
 だから、地主も政府も軍隊も天皇も、
 自分たちは何もしないで、
 あなたたちから何かを取り上げる泥棒なんだ、
 だから、それらをなくしてしまえばいい、
 それらからわれらの財産をとりもどして、
 みんなの共有にしようではないか」
というようなことを書いています。
『いまの天子の先祖は、
 九州の隅から出て、
 人殺しや強盗をしながら、
 仲間のナガスネヒコなどを滅ぼした
 神様でないことは、
 少し考えれば、すぐ知れる。』
と書いてます。
こんな本を作るのも、
読むのも、
持ってるだけでも不敬罪で逮捕されちゃいます。
この本を、幸徳さんに「みんなに売ってくれ」、と頼んだんですが、
幸徳さんはそれを断ってます。
しかし、森近運平さんが『平民新聞』の購読者名簿を愚堂さんに渡し、
一方的に送られたのです。
それを受け取ったのが大逆事件の中心人物の一人、宮下太吉さん。
宮下さんのところには50冊送られてきたらしいです。
「一人でも多くに伝道してもらいたい」と。
愚堂さんは処刑の時に、
用意されていた念珠を取ろうとしませんでした。
「たとえ念珠をかけてみたところで、
 どうせ浮かばれっこないのです」
と微笑し、それが癖の肩を怒らせる歩き方で、
絞首台へ向かった。
らしいです。
享年36歳でした。

そんな愚堂さんは、
『愛と嘘っぱち』では、アジってます。

佐木隆三さんの『小説 大逆事件』を参考にしました。

ドクトル大石

テーマ:
今日は、『愛と嘘っぱち』第一回通し稽古をしました。
なかなか面白くなってきています。
歌と踊りがもっとしっかりしてくれば、
さらに面白くなってくるんじゃないかと。
楽しみです。

で、今日はドクトル大石さんの紹介です。
ぼくのやる役です。
ドクトルさんは1867年生まれ。
ぼくは1968年生まれ。
101歳違います。
大逆事件で逮捕されたのが1910年で、
処刑されたのが1911年。
数え年で45歳。満43歳です。
こっから先の年齢は数え年で書いてます。
17歳でお医者さんの書生になって英語と医学を学び、
18歳にはキリスト教の洗礼を受けます。
そして同志社に入学するけど3年で中退し、神田共立学校に入学。
その時に、下宿の友達の洋書を無断で売却して訴えられて、
重禁錮1ヶ月20日監視6ヶ月の刑を受けたりしてます。
いろいろあって、24歳の時にアメリカに行き、
独、仏、ラテン語、英文学、医学を勉強し、
お医者さんの家でコックなんかやりながら医術特許証を受け、
28歳で医術を開業しながら通学してます。
すごいですねえ。
29歳の時にお母さんが亡くなったので帰国。
30歳で和歌山県の新宮で開業。
で、今度は32歳でインドに伝染病の研究に行きます。
シンガポールでも開業して、34歳の時に病気になって帰国。
38歳の時に、『平民新聞』を読んで反戦論を主張。
『平民新聞』は幸徳秋水、堺利彦らが設立した平民社の週刊新聞。
同じく、38歳の時に、
日本人も、洋食を食べて、自分でも料理してほしい、と、
西洋料理店「太平洋食堂」を経営して、食べ方や料理法を指導。
でも、口うるさいのでだんだんお客さんは減ったみたい。
このころから、幸徳秋水などの社会主義者たちに、
いろいろと、お金を出してあげてたらしい。
42歳の時に幸徳さんちに遊びに行って泊まらせてもらった時、
幸徳さんとスガさんの診察をしたようです。
社会主義者たちとの交流が深くなって行き、
43歳の時に新村忠雄を薬局生として4ヶ月ほど滞在させる。
新村さんは、大逆事件の首謀者といわれる4人のうちの1人。
で、44歳の年の5月25日にいわゆる大逆事件の検挙が始まり、
6月3日に家宅捜索。
6月5日起訴。
6月6日東京へ護送。
12月10日公判開始。
翌年、1月18日判決言い渡し、死刑。
1月24日死刑執行。

という人生でした。だいぶ簡単にしてますが。
与謝野寛さんや佐藤春夫さんが追悼(?)の詩を残しています。
最近では、辻原登さんの『許されざる者』という小説が、
ドクトル大石さんをモデルにしたものらしいです。

ドクトルさんは社会主義の投稿や演説をいっぱいしてたみたいです。
ドクトルというのは、
医院の前に「ドクトル・大石」という表札を掲げていたからで、
それを土地の人々は「毒取る」だと思って、
梅毒や胎毒を取るお医者さんなんだと、
「毒取るさん」と呼んでいたらしいです。
「ドクトル(毒取る)と、多くの市民や、とりわけ被部落差別の人々から慕われていた。というのも、貧しいものからは無理に診察代や薬代をとらず、「できるだけ払ってください」という札を診療所にかけてはいたものの、無理なとりたてなどはしなかった人物であったため。また、患者には極めて優しかったという。 さらに病気は待ってはくれないと往診にも精力的に励んだ。(ウィキペディアより抜粋)」
『家庭破壊論』とかいう論文を書いていたのですが、
家庭は大事にしていたみたいです。
弁護人に当てた手紙には、
「自分の社会主義は一種の趣味であった。みんなで社会主義の話などしていても、話が危うい方に行きそうになると、何か理由を付けてその場から退席し、聞いていなかった」というようなことが書かれています。
同じく大逆事件で逮捕された成石兄弟(平四郎は死刑、勘三郎は特赦)に、
「爆裂弾がうまく爆発しないんだけど」と相談されて、
ドクトルさんは「ワセリン油をいれてみなさい」といったんですが、
それも、そんなもので怪我をされては申し訳ない、ということで、
わざと爆発しないようにワセリン油を入れさせたらしいです。
死刑の二、三日前、教誨師の沼波さんに、大石さんは、
「世話によく冗談から駒が出るという諺があるが、今回の事件のごときはまさに好適例だと思う」
と冷笑したそうです。
そして、死刑の当日、
「自分は永らく獄中にあって絶えて喫煙したことがない。願わくは巻煙草一本を喫してせめてこの世の暇乞いにしよう」と沼波さんから敷島を一本貰って、
うれしそうに半分ぐらい吸った後、
「しばらく喫はないで喫いますとどうも頭がグラついてきます。これでは絞首台へ上って気持よく往生出来ますまい」と、そのまま煙草を捨てたそうです。
そして絞首台では泰然自若としていたそうです。

『愛と嘘っぱち』の中では、
こんなに詳しくは出てきません。
この人をどういう風にフィクションとして演じるか、
悩むところであります。

平出修

テーマ:
今日は、しばらく休んでいた平出修役の某役者さんが復帰した。
某役者さんは誰なのか、お楽しみに。

平出修さんというのは、
大逆事件の際に、
与謝野鉄幹さんの依頼で、
死刑判決を受けながら翌日特赦で無期懲役になった、
崎久保誓一と高木顕明を弁護した人です。
平出さんは、
弁護士でありながら、歌人であり、小説家でもあり、
与謝野鉄幹を初め、石川啄木、森鴎外などとも、
交流があったみたいです。
大逆事件の時には、32歳ぐらいですかね。
依頼を受けてから社会主義についてもいろいろ勉強して、
裁判では熱弁を振るったらしいです。
その弁護が感動的で、
幸徳秋水さんや菅野スガさん、その他の人たちからの、
感謝状が残されているらしいです。
しかし、残念ながら、
大逆事件の裁判では、
裁判の前からもう結果が決まっていて、
証人喚問も許されないし、
弁護人がいくら熱く語っても、
裁判官たちは勝手にいっとけば、
という感じだったらしいです。
あらかじめ筋書きができていて、
予審調書もその筋書き通りに作られて、
関西のあの検事の事件と一緒です。
平出さんはその後、
大逆事件を題材にした小説を、
何作か発表しています。

大逆事件では逮捕された26人のうち、
24人が死刑判決を受け、
その翌日12人が特赦で無期懲役になったんですが、
特赦された12名中の5名は狂死、自殺、病死で獄死してるらしいです。

平出さんは37歳で亡くなったらしいです。
その死因までは調べる根気がありませんでした。。。

そんな平出さんも『愛と嘘っぱち』に出てますよ。