ニューアルバム『不退転』について
テーマ:ブログ前回書いたように、今回はニューアルバム『不退転』について書いてみようと思います。
タイトルは『不退転』、「不退転」って言葉、知ってます?「不退転の決意を申し述べる」なんて使いかたしますけど。
辞書によると、怠らず退くことなく仏道修行をする事、退歩しない事。既に得た功徳を失うことのない境地。どんな苦労や妨げにも負けないこと。志を高く保持して屈しない事。
だそうです。良い言葉ですね。しかも仏教用語とは知りませんでした。とはいっても、今回製作中に読んでいた高橋先生の本の中に「不退転」という言葉が使われていて、なんか、気になっていたのですが、まさかアルバムタイトルになるとは、、、
さて今回使用したトラックは、といいますと。Steely & Clevie のファンデーション リディムを四曲。そして、Clevieの息子 Nile、何と17歳!高校生!!制作のトラック十曲。だもんで、あまりH-MANらしくない今風なリディムでやってみました。今までとはちょっと違う感じが出せたので、私的にも勉強になりました。お楽しみのに~
そして、またまた新たな試み。コンビネーションを四曲。まぁ、コンビネーション自体は誰でもやって居る事なんですが。私の場合は他の人たちに比べると極端に少ないと思います。そこには色々なこだわりもあったのですが、やってみたら、やはりこれも勉強になりましたね、刺激も受けました。そのお相手を紹介してみましょう。
まずは、YOYO-C、皆さん知ってると思いますが横浜のDJ、昔からのツレですが。彼とはインディーズ同士ということで、よく「巷で売れてるような曲が売れるなら、売れるわけね~な~」なんて話をよくします。彼は「レゲエ」とか「ラガ」を感じる数少ないDJだと思います。コテコテとも言います。レゲエ馬鹿とも言います。仕事も速いです、流石。
そして、今野英明、元ロッキングタイム。実は今までも何度かお願いしようと思っていたのですが。なかなかテリトリーが違うので声を掛けずらかったのですが、快く引き受けていただきました。彼も仕事が速いです。レゲエな声の持ち主。ホームグロウンのアルバムの『夢想花』も第一声でやられます。最近はウクレレ片手に活動中。
t-Ace、水戸在住のラッパー。去年二枚連続のアルバム『孤高の華』をトラック、ミックスまで一人でこなした、という凄い奴。そういう意味じゃ、YOYO-Cとも通じるな。彼も仕事が速い。まぁ、個人的に遊んだ事は無いんですけど、なかなか男らしい、良い奴だな~という印象。現場仕事もして経験あり。良いですね。
そしてもう一人APOLLO、大坂の二十歳!!のDJ。なんと初レコーディング。だけど上手い、、、困ったものです。よく、若いDJになんか一言なんて事も聞かれるんですが、やはり彼が後十年たって三十歳になるまでにはいろんな事があるからね~、、、って十年経ったら俺、四十七歳、、、恐ろしい事です。まぁ、若いDJも遠慮してあまり話しかけてこないし、このような機会もないので一緒に出来てよかったです。といってもあんまり馴れ馴れしい、とかはごめんですが。彼も仕事が速かったですよ、自分が二十歳の頃じゃとても無理でしょう。
今までコンビネーションをあまりやらなかった理由の一つは、めんどくさいから、時間がかかるからというのがあったのですが。今回参加してくれた方々はいずれもプロフェショナルばかり、仕事の速い人ばかり、心地よかったです。しかも皆さん二つ返事で引き受けてくれまして、ありがたい話です。改めてアリガトウゴザイマシタ。リスペクッ!!!
他のピンの曲も、今まででは、書けなかった、表現できなかったことも多少出来たと思います。お楽しみに~。発売は6月17日です。
今までは、「学生やお金のない人はダビングでもして聞いてね~」なんて言ってたんですけど。CD自体があんまり売れてないんで買ってね~!余裕のある人は(って、結局こう言ちゃうんですけど)。レコード~CD世代の私にとっては配信で曲を買うってのもあまりピンときませんが。これも時代ですかね。携帯で音楽聞いたりするんですよね?ムムム~ッ、、、
さて話は変わって、コメントに答えます。
A: 文章の中で「大切なのはブッダやキリストの法」とありましたが、宗派なんてのは「正法」にはないと言うことなのでしょうか?であれば高橋先生はブッダの生まれ変わりではありますが「仏教」ではないと言うことなのでしょうか?
Q: その通りです。真理、神理というのは一つだけだから真理なのですから、宗派が分かれているという事は、どれかがあっててどれかが間違っている。またはどれも間違っているという事です。
仏教の場合を見てみますと、釈迦入滅後まず二つに分かれます。小乗と大乗です。簡単に言うと、小乗は直弟子の直弟子が自分ひとりの悟りを目指したものです。それに対して大乗は自分一人の悟りではなく、大衆を救うことであるとした若い僧侶たちの主張です。どちらが正しいでしょうか?どちらも正しいし、どちらも正しくないです。元々一つだったものを二つにしてるんだから、そうなるに決まってますよね。お釈迦様はどう説いたかといいますと、個人の悟りも、人に仏法を広める事で深まるのである。実際お釈迦様は山にこもって一人悦に行っていたわけでもなく、仏法を広めていたのですから。もちろん同時に禅定、瞑想で個の悟りも深めていきます。
ひとつ、気をつけなければならないのは、「正法」という新しい宗教があるわけではないということです。キリストの説いたもの、ブッタが説いたものが、「正法(正しい法)」であるという事です。もちろん高橋先生も「正法」を説かれました。「正法」は人間がつくったものではありません。大宇宙や大自然の中の法則の事です。それに比べ宗派というものは、人間の都合によってつくられたものです。ちなみに日本の古神道は「正法」だそうです。神社神道は「正法」ではありません。
ですから高橋先生はブッタであっても「仏教」ではないのかという質問も。今ある日本の仏教がブッタの説いたものと違うのですから仏教ではないということになります。ただ仏教ではないと言っても仏教用語を使わずに、まるで新しい言葉だけで「正法」を説くとなると無理があると思いますが。どうでしょう。ただ今回、高橋先生が日本の生まれ正法を説くということと、形だけとはいえ日本に仏教が根付いているという事は無関係ではありません。ブッタの時代のバラモン教や、キリストの時代にユダヤ教が形骸化されていたのと同じことです。何故高橋先生が日本に生まれてきたかという事はそのうち書こうと思います。
ではでは。





















1 ■無題
私もダウンロードは不思議な感じがするのでCD派です☆
借りてしまうこともしばしばですが
自分で買ってビニール剥がしてるときの
ドキドキワクワク感が大好きです(*´Д`*)笑
アルバム楽しみにしています!!