役に立たない駄話 ブログ版

メルマガ『役に立たない駄話』のブログ版です。役に立たない、どうでもいい、でも面白くて人に話したくなる。そんな豆知識・雑学・エピソードなどの駄話を配信するブログです。


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 クサヤと聞くだけで、その匂いを思い出して顔をしかめる人もいると思う。しかし、最上品といわれるアオムロのクサヤはまことに絶品。焼き立てを手でちぎり、日本酒や焼酎の肴にすると、もうこたえられない・・・という人もいるようだ・・・

 こんな珍味が生まれたのも、江戸時代、幕府の年貢が厳しかったからというから、何が幸いするか分からない。

 新島や大島で、塩作りは盛んだった。しかし、米はあまり取れず、米の代わりに塩を年貢として納めていた。

 また、これらの島では、砂地の干し場に恵まれ、干物の製造が盛んだった。しかし、年貢の取立てが厳しく、塩干物に使う塩の量まで制限されていた。

 塩を節約するため、干物を作るにも一度塩漬けにして残った汁を何度も繰り返し使った。すると、その塩汁は、肴から溶け出したタンパク質などが発酵して独特の味と匂いを持つようになった。

 そして、その汁に漬けたあと、天日干しにした魚を江戸に送ったところ、江戸のグルメの間でたいへん珍重され、やがて普通の干物より高値で取引されるようになった。

 徳川300年、庶民の苦しんだ年貢の取立てが、好結果を生んだ唯一の例といえるかもしれない・・・
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 時々だが、何でこんなところに?というところで大金が見つかるという事件がある。

 古くは、銀座で大貫さんが見つけた1億円や、川崎市の竹やぶから見つかった2億円など。

 さて、こうした「遺失物」がその後どう取り扱われるかというと、法律では「拾得物は、6ヶ月と14日間、警察が保管する」と定めている。

 竹やぶの2億円は、落とし主が現れたが、大貫さんの場合は落とし主は現れなかったため、一部所得としての税金を引いた額が大貫さんに払われている。

 さて、ここで気になるのが、拾得物が、かさや文庫本などなら、警察の倉庫にでも放り込んで保管しておけばいいと想像できるが、届けられたものが、この事件のような大金の場合、警察は、そのお金をどこに保管するのだろうか?

 たしかに、億単位の金となると、金庫にしまうような額ではない。どこかの銀行にでも入れていた方がよっぽど安全だと思うが、真相は違う。

 1億円の札束だろうが、拾われた現金はすべて、担当警察署の建物内に保管されることになっている。もっと具体的にいえば、他の拾得物と並べて、遺失物保管室の棚に置かれるわけだ。

 現金と一般の遺失物とで、取り扱いが唯一違うのは、現金は書類上、総務部会計課が管理者になる点だけだ。

 まあ、たしかに、現金の保管場所としては、警察署の中が一番“安全”かもしれないが、銀行に入れていれば、多少なりとも金利がつく。

 その利子を、災害時などに寄付すればそっちの方がよっぽど有意義だと思うのは、ひねくれているだろうか・・・
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 味噌をつけた鮭を、暑い鉄板の上で焼いて食べる、北海道名物「チャンチャン焼き」。では、「チャンチャン」とは、いったい何のことだろう?

 チャンチャン焼きの名前の由来には、諸説あるが、擬音語から来たという説が有力視されている。鮭を焼くときに、鉄板と炉がぶつかって、チャンチャンと音がするから、チャンチャン焼きというわけだ。

 またほかにも、猟師の父ちゃんや兄ちゃんが作ったところから、「チャン」をとったという説。

 チャンチャンと手際よく船上で作ったからという説。

 猟師の仕事着だった「チャンチャンコ」からとったという説もある・・・
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 大政奉還のあと、徳川幕府の驀進たちには、駿河(静岡県)にむかう者が多かったという。徳川幕府とゆかりが深い土地だけに、故郷へ帰るような気持ちだったのかもしれない。

 ところが、困ったのは駿河。いちどにたくさんの失業武士がきても、食い扶持が無い。それでなくても、明治の世になり、状況は大きく変わっていた。

 そこで、駿河の為政者がとった方策が、元・武士たちを茶の栽培に投入することだった。さいわい静岡は茶の生育にむいている条件が整っているうえに、余剰の土地も多かった。

 こうして、静岡茶の生産はどんどんふえていく。量がふえていくとともに、質のよいものもちらほらと出るようになった。これが、後の名産静岡茶誕生のきっかけだった。

 静岡に“逃げた”武士たちは、武士の商法にならずにすんだようだ・・・
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 歩行者にとってもドライバーにとっても、横断歩道は目立つものでなければならない。

 しかし、赤や黄色など派手な色を使うと、目がちらついて、かえって運転の妨げになってしまう。

 そんなわけで、目立つが、目障りにならないものと考え出されたのが、白と黒を貴重にした現在の横断歩道の原型になるものだった。

 最初は、石灰水を使って白い2本線を引いたり、道路に石材やアルミニウムを埋め込んで、それを横断歩道としていた。横2列に互い違いに塗った横断歩道が登場したのは、1960年のことだった。

 1965年になると、横断歩道を作る作業の手間を省くために互い違い塗って、直線1本のはしごタイプの横断歩道が主流になる。

 そして、今ではさらに手間を省略して、はしごタイプの両側の2本線がなくなっている。これだと雨の日でも、盛り上がった塗装面に囲まれた部分に水が溜まらず、見た目もスッキリ、塗装の時間や費用も少なくてすむといったメリットがある。

 ほとんどの人が気づかないうちに、横断歩道も少しずつ変化している。
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