
大阪海遊館のクラゲ.
構図的になかなか好きな写真.クラゲが良いポーズとってくれました.
なんだか胎児を連想します. ...俺だけかな?
携帯で撮ったので解像度が低いのがちょっと残念.
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前にクラゲの話を書いた時,ベニクラゲっていう不老不死の生物がいる事について書きました.
http://ameblo.jp/d-zeff/entry-10273517391.htmlベニクラゲの不老不死というのは,厳密には不老ではないと私は思っています.
何故なら,ベニクラゲは十分に成長した状態から,全て(なのかな?)の細胞の状態を生まれたてまで戻している.
つまり,プロセスに成長=老化が入っていると思うわけです. ◆
もしこれが人間だったら?
若返った赤ん坊は,その前段階として存在したお爺さんと同一の『個』だと言えるのでしょうか?
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例えば,理想的なクローン人間を考えます.
物理的に全く同じ組成で,しかも生まれたばかりだとします.
全く同じ組成という事は,身体的特徴だけに限らず,例えば脳内構造も全く同じという事です.
すなわち,同じ外見,同じ能力,同じ思考法を持つ.
しかも生まれたばかりならば,経験的な差もまだ出ていない.
物理的には全く同じ物体で,客観的に見れば,同じ人間として観察されるでしょう.
同じ名前で,同じ人間として扱われる事でしょう.
しかし,彼ら自身は,意識を共有しているわけなどはなく,互いを別の個体として認識するに違いありません.
主観的には,当然,独立した別の個体なのです.
当たり前にも聞こえますが,ここではっきりさせておきたいのは,
物理的に全く同じですらあっても,同一の意識ではあり得ないという事です.
そもそも意識とはどの段階で生まれる?
着床した時か,それ以前から意識の元はあるのかもしれないし,
脳のある部位が形成された時かもしれない.
あるいは,生まれた後に,後天的に生まれる物であるのかもしれない.
普通の人は赤ん坊だった頃の事なんて覚えていません.
意識の存在というのは,主観的にしか評価できないし,
その時に自分が意識を持っていたかなんて分かるはずがありません.
極端な事を言えば,本当は,昨日の私にだって意識は存在してなく,今私の脳に蓄積されている記憶によって,あたかも既に意識が存在していたかの如く錯覚しているだけなのかもしれない.
主観的な意識をある生命の個体の定義だとするならば,
そしてもし,それが後天的に形成されうる物ならば,
それが形成される以前まで細胞が逆行したベニクラゲは,
もはや前のベニクラゲとは別の個体でしょう.
もし,同じように不老不死の人間が居たならば,
全ての経験的蓄積,記憶や体に残った痕跡を抹消して,
それでも同じ人間だなんて,もはや言えないのではないでしょうか?