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テーマ:CTCメルマガより
2012-02-01 10:10:10

「寒さの中で、新芽を養う~心と身体の滋養~」

2012年01月25日 CTCメルマガより




こんにちは。中野美加です。


年が明けて、早速、風邪をひきました。

年末年始を含め、地球を一周分回る位の旅をして、

疲れがたまっていたのでしょう。


先週一週間、各地で研修を行ったのですが、

各都市2~3名、私と同じ症状の方がいました。

どうも、全国的に流行している風邪だったようです。


おおよそ毎年1月20日のことを大寒(だいかん)というそうで、

暦の上では、最も寒い季節とされるそうです。

どうりで「今年のインフルエンザ特集」という番組や、

鍋やシチューのCMがやたら多くなる訳です。


今回、風邪を引いて思った事。


当たり前のことですが、

身体の調子が悪いと、

考えられない、

普段は気にかかる事も、

多少の事なら構わないという「どうでもいい状態」になってしまいます。


仕事だけは、プロ意識により「自動操縦状態」で何とか行え、

端から見ていると出来映えもそう変わらないとは思いますが、

私の内面で起こっている事は、全く違います。

幸せ感や、充実感より、まず無事に終わった安堵感。

やはり、クリエイティブな状態にはなり得ないことがわかります。


そこで、1年で一番寒い時期を、

春を待つ新芽を滋養するように、

楽しく、(心だけでも)暖かく、

過ごす方法を、考えてみては、と思うのです。


☆☆ 身体に滋養をもたらすもの ☆☆

・ 自分の信じている(自分に合っている)食事を摂る

・ 心地よいと感じる、または好きな運動をする

・ 充分で、快適な睡眠を取る(寝具や環境もこだわって)

・ マッサージや、整体など時には人の手を借りて、ボディケアをする

・ デトックスとして、軽い断食や半断食などをする


☆☆ 心に滋養をもたらすもの ☆☆

・ 好ましい感情の状態にいる事を心がける

(気持ちいい、心地よい、快適であるポイントを常に見つけ、
 
 努めてその事を感じる。)

・ 温かい気持ちになれる人との交流をする

(メッセージを送る、ほんの一言の会話を交わすだけと決めて電話する、

 度々思い出す人にはカードやはがき、サプライズのプレゼントをする)


・ 暖かい気持ちになれる事をする

(好きなことをする! 料理、散歩、写真、本を眺める、カフェに行く、

 音楽を聴く、映画を見る、ゲームをする、

 無駄・意味のない事で単純に楽しめることをする)


私は、今回の風邪を克服するのに、

徹底的に瞬時を惜しんで、なるべく横になり、

食欲がないので、栄養価とは関係なく、

好きなもの、食べたいと思うものを、

何も(体重、ウエスト 等)気にせず流し込みして、

気持ち的には、好ましい感情でいることを意識したため、

長引くと評判の今の風邪も、そこそこに退散してくれました。


季節柄、温存していたエネルギーが、減少傾向となってしまう季節。

あと2~3ヶ月したら訪れる春まで、

あなたの今年の春の新芽を抱く事をイメージし、

心と身体の滋養を心がけてみませんか。



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☆ ☆ 今週のアクション・プラン ☆ ☆

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1) 「あなたの心身の状態は1~10でどれくらいでしょうか。」


2) 「そのレートが2ないし3あがっているとしたら、今と何が違う

でしょうか?」


3) 「その状態になる事で、あなたがしたいと思う事を考えましょう」

(本文の身体と心を滋養するものを参考にしてみてください。)


4) 「それを翌2週間で、何度か行ってみましょう。」

テーマ:CTCメルマガより
2012-01-17 11:11:11

「新年の決意~目標設定の効能・副作用」

2012年01月10日 CTCメルマガより



あけましておめでとうございます。中野美加です。


新しい年が始まりました。

私は久々に、(仕事や勉強ではない)純粋なバケーションで、

夫とアメリカ方面に行きました。


短期間だったので、駆け足ではありましたが、

夫と一緒に、普段の日本では感じることが出来ないことを感じ、

行く先々で、色々な人たちと会話を楽しみました。


そんな中、目立って多かったのが、次のような会話でした。


「私の今年の新年の決意(New Year Resolution)は・・・」


数年ぶりに会った私の友人も、

初めて会った不動産屋のおばさんも、

飛行機では、フライトアテンダント同士でも。


そう、アメリカ人はコーチング発祥の文化を持っています。

“ゴールを設定して、それに邁進する”ということは美徳であり、

チャンスを諦めず、努力すれば叶うという、

アメリカンドリーム的発想も手伝って、

「新年の決意」は一般の会話に非常に出てきやすいのだと思います。


私も過去10数年、ほぼ欠かさず、新年の決意をしていました。

そして、コーチングを学び、実践し始めてから9年目になる今年は、

あえて、「新年の決意」はしないことにしました。

思い描くことはしたとしても、決意ではないレベルのものにします。


どういうことかって?


それは、コーチングを通して

(自他ともの経験から)わかったことがあるからです。


それは、人には「決意」が必要な時期と、

逆に「決意」が前に進むのを邪魔する場合がある、ということです。


今回のメルマガでは、「決意の効果」と「決意の副作用」について、

お話ししたいと思います。


まず、「決意する」ということは、

何かに「焦点を当てること」です。

そして、(普通は)「結果」を出すことが大切であると考えて、

エネルギーは「焦点を当てたこと」に注がれます。


この「決意」が望ましく働くのは、

「今は、とにもかくにもその『結果』が出ないことには始まらない」

というような場合です。

それがクリアされない限り、

“先に行くことは出来ない”ような場合。


“先に行く経験”の定義は人それぞれ異なります。

良い・悪い、必要・不必要、意味がある・ない、

ということは、ここでは、特に限定しません。


あこがれの職業があり、そのための試験をクリアする、とか、

着たい服があるので、そのためにやせたい、とか、

目指している学校に、なんとか合格したいとか、

留学したいので、英語力を上げたい、とか。


こうした事柄が、人生で優先されると考え、または感じる場合、

「決意」は、必要不可欠といっても過言ではありません。

最短距離で結果を出したい場合も、「決意」が有効です。


一方、「決意」が逆効果、または悪影響を及ぼす場合とは、

(必ずしも、結果ではなく)「別な何かを至上としたい」場合や、

(決意をして結果を出すことは普通に出来るようになったので)

「決めずに、自然な結果が出る」というステージに移行したい場合などです。


以下は、「別な何かを大切にしたい」場合の例です。


“仕事の成功”を収めるために、

時間とエネルギーは全て仕事に注ぎたい(注がなければ)、

けれども、何のために働いているかと言われたら、

究極的には「家族と幸せになりたい」から、という場合。

“仕事の成功”が、自己実現や、社会的に意義あることであっても、

そのことで、家族の他の人たちが「犠牲になっている」と感じていたり、

自他ともに、「家族との幸せを先送りしている」と感じていれば、

たとえ仕事で目に見える結果が出ても、

本来の目的からしたら、本末転倒になる、というような場合です。


こうして文章で見ると、当たり前と感じるかもしれませんが、

実に多くの私たちが、これにはまっています。

“木を見て、森を見ず”のいい例ですが、

たいていの場合、そのことには気づきません。

仕事・勉強など、

社会的、または家系的に美徳とされることだったり、

大義名分がある場合などは特にそうなりがちです。


「決めずに、自然な結果が出る」というステージに移行するとは、

少々深い話になるため、詳細は次回以降に譲りたいと思います。

が、少しだけお話しすると、こんな感じでしょうか。


決意と、行動、結果の法則を身につけた人は、

本人の資質にある程度合致さえしていれば、

焦点を当て、エネルギーと時間を注げば、

ほぼ結果が出ることを知っています。


しかし、焦点を当てて、エネルギーと時間を使っている為に、

その他に起こりうる沢山の良いことに気づかず、

または、受け取ることが出来なっているという可能性も大いにあります。

一つのことに集中しているために、

そのすぐ隣で起こっていることを見逃す、

というようなことがありますよね。

それによく似ています。

または、エネルギーを多量に使うため、

そこでバッテリー切れになってしまうこともあるでしょう。


そうすると、実は本来、もっと別に大きな、または楽しいこと、

あるいは本当にその人の人生でなすべきことが仮にあったとしても、

そこに気づくことも、注ぐエネルギーもなく終ってしまう、

ということになりかねません。


このことに気づいたとき、

「決意せずに(がんばらなくても)自然な結果が出る」

というステージを意識し始めたりする人もいます。


以上、二つのことは、

シンプルに言うと、

「決意することにより、失う物がある」可能性に気づいた場合、

あえて、決意をしないという選択をすることで、

ありたい姿に望む、とでも表現したらいいのでしょうか。

しかし、ここでも「決意しないと、決意」したら、「決意」になります。

う~~ん。ちょっと、微妙でしょう?


基本のコーチングでは、決意は必須。

あえて決意をしないでおく場合も、あり。

その時々、ケース・バイ・ケース。

これが、私の最近のとらえ方です。


さて、2012年の初頭、

あなたは「新年の決意」をしますか?

それとも、あえて、そこから離れていますか?


新年の決意をすることが今の自分に合っているという方は、

私の昨年の新春メルマガをどうぞご参考にしてください。

オーソドックスな結果の出る方法が紹介されています。
「ニュー・イヤー・リゾリューション:2011年1月10日 CTCメルマガ」


いずれの場合も、あなたの今年が、

沢山の幸せと、喜びで満たされることをお祈りして、

今年初めてのメルマガをお届けします。


今年も、よろしくお願いします。



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☆ ☆ 今週のアクション・プラン ☆ ☆

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1)  「改めて、“新年の決意”について、思いを馳せましょう。」


2) 「自分にとって、気持ちがいいのは、決意する方、しない方、

 どちらでしょうか?」

(諦め、逃げ、“べき論”ではなく、納得感があるものを選びましょう。)


3) 「それにふさわしい、必要な行動を翌2週間で取りましょう。」


4) 「そのことで、どのようなことが起こるか、観察しましょう。」

テーマ:CTCメルマガより
2011-12-31 11:11:11

「よい贈り物II~灯がともる街のどこかで」

2011年12月25日 CTCメルマガより



こんにちは。中野美加です。


クリスマスを迎え、今年もいよいよ終わりに近づいて来ましたね。

今年の最後のメルマガは、前回に引き続き「よい贈り物」についてです。


私は、先日インドへと旅をしてきました。

インド滞在中、あるきっかけがあり、

初めて孤児院に行きました。


これまでユニセフなどの機関を通し寄付をしていた事はありましたが、

実際に孤児院という場所に足を運んだのは、これが初めてでした。


古めかしさが残る地域に建てられていたその孤児院は、

院長の志で15年前に設立されました。

親を亡くした子、親が育てない事を決めた子、

捨てられた子、記憶のないまま保護された子など、

乳幼児から思春期までの子供達が100名近くもいました。


私が呼ばれたのは、丁度夕食の時間でした。

様子を見させてもらい、寄付をしたら帰ろうと思っていたら、

院長に呼ばれて、ある部屋へと案内されました。

部屋には50名くらいの子供達が壁際にずらりと並んで座っていました。

部屋のまん中にご飯とカレー、そして、お菓子とデザートがありました。

これから、夕食の時間だったようです。


私は子供達の様子を見て、ただ寄付をして帰るのだと思っていましたら、

「お菓子とデザートを一人一人に配って下さい」と頼まれました。


一瞬、ためらいの思いが沸き上がりました。

自分が『与えてあげた』と言わんばかりに、おやつを配って歩くなんて。

『施しをする』上から目線の偽善者の自己満足のように感じたからです。


けれども迷っている暇はありませんでした。

促されるまま、私はひざまずき、子供達にお菓子を配って歩きました。


「どこの国の人?」と聞くので、「日本よ。」と言うと、

「Tokyo? Osaka?」と目を輝かせる小学生の男の子達。

日本人と聞いて「ありがとう」と日本語でお礼を言う子達。

「メリークリスマス」と明るく挨拶する3~4歳の女の子。

「なんて名前?」と聞いてくる子は、私が名前を言うと、

 自分の名前を言い、握手の手を差し出してきた。


色々な様子の子がいたけれど、

私が彼らの目を覗き込み、笑顔で話しかけると、

全員が、例外なく目を見て、それに答えてくれた。


私が、子供達にお菓子とデザートを配り終えたら、

院長が「日本から来た美加さんが、今日君たちにご飯を買ってくれました。

美加さんにお礼を言って、美加さんのために祈りましょう。」と言いました。

子供達は一斉にヒンドゥー語で私に感謝の言葉を述べ、

しばし目を閉じ小さな手を組んで私のために祈りを捧げてくれた。


50人の孤児の中心にいて、私は言葉を失っていました。

うろたえたとか、ひるんだといった方がいいかもしれません。


偽善者的なことをする自分に戸惑いを感じた私。

でも、そんなことよりなにより、

誰かのサポートを受けて食べると言うことは、

この子供達には必要なことであり、

そして、私は必要なことをした。

そして、彼らはそれに対応してくれた。

それだけなのに。。。

長い間触れていなかった心の一部に触れられたような感覚がありました。



次の瞬間には、子供達の一斉にご飯を食べるお皿の鳴る音が、

部屋いっぱいに広がり、

私のそのような思いは誰にも注目されないまま、終わりました。


院長が私を見送りに外まで出てきてくれました。

雑然とした地域に建つその建物を見て、私が思ったのは、

正直、これだけの大所帯では、

月々のやりくりがどうなるとも予想もつかぬ事も多いだろう。

頭が下がる思いと、先ほどの複雑な思いを抱えたまま、

私は車で空港に向かったのです。



日本に帰ってくると、どこも整然として、

人々は忙しそうで、

私のよく見慣れた風景が広がっていました。

この季節、日本では、どこの街でも、美しく街は彩どられ、

私たちは、年末の準備や仕事の仕上げに余念がありません。

自分の事や、身の回りの事で精一杯になることもしばしばの私たち。


けれども、そんな街の片隅には、

必ず私たちのケアや、共感、そしてお金など、

豊かさを分かち合うべき人たちが沢山いるはずなのだ、

と、私は、今回初めて実感したのでした。


前回のメルマガでは、「よい贈り物」として、

身近な人に、シンプルなメッセージを伝えてはどうかと書きました。


今回はそれに付け加え、少し手を伸ばして、

あなたの善意を形にして、必要としている人たちに、

贈り物をしてみてはいかがでしょうか。


私の訪れた孤児院 Good Life Centre  
http://www.fly2chennai.com/?p=2004

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