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2008-05-03 22:02:35

日本国憲法...

テーマ:テーマ日本

こんばんは、爲近慎司です。


今日は憲法記念日ですから、日本国憲法について考えてみたいと思います。


日本国憲法は理想的で優秀な憲法に違いありません。


日本国憲法が制定されて、はや61年...ずいぶんと月日が流れましたね。


しかし最近、憲法の見方もずいぶんと変わってきたといえるようになりました。

時代が大きく動き、制定当時の世界情勢や環境が変わってきたからです。


いま理想とされた日本国憲法の存在が問われるようになってきています。


さまざまな解釈を付け加えたり変えたりするだけを繰り返し、重ねていくやり方ではどうしても不都合が生じるところまで変化の波が押し寄せてきています。


私達の自発的な変化を要求しているようですね。


日本国憲法はまさに理想的であり、全世界がこれを真似すればどんなに平和な世界になるでしょうね...


それが実現できないことはとても残念です。


現実と理想のギャップは相当深刻ですね...。


世界にとって模範となるべき憲法なのにぃ...どうしてみんなそうしないの??

って歯軋りしそうなくらい。


そういう疑問持ったこと無いですか?




素朴で純朴・口数も少なく自己主張が得意でない日本人、

贖罪の意識が高く、またそのための自虐感も人一倍強く、

儒教などの道徳心と武士道精神などを自然の哀れみとともに感じ、

歴史的・文化的にも死生観が割りと身近にあった日本人にとって、

潔くきっぱりと理想の精神を述べた基本的な教科書のような憲法の条文は

戦争に敗れ、希望や目的を失った国民にとって、真の民主主義という至宝を掲げ、

新しい国づくりをおこなう中で最もふさわしいものに違いなかったでしょう。


今思えば、無謀で甚大な犠牲を出した戦争と敗戦(=終戦)による絶望と安堵...というコペルニクス的なパラダイムチェンジのなかで一筋の光明として世界に対して誇りを取り戻すために必要不可欠のものが新しい憲法でありだからこそその理想的な精神が広く国民に受け入れられたのであろとう思います。


その当時の方々のご苦労を思うとき、今日さし当たって何不自由のない平和な日本の日常からは想像もつかないほど壮絶なものであったに違いなく、またこのような多くの尊い犠牲の上に立ってこそ、真の民主主義と平和があるのだと思って止みません。


戦争直後は多くの日本人が餓死したと聞きます。

多くは幼い子供達だったでしょう。

私の母方のおばも5歳のとき赤痢で亡くなりました。栄養不足のためです。元気な女の子だったそうです。


それらの多くの方々の犠牲やご苦労を労うことは今の平和な時代を生きる私達の勤めであるに違いありません。


日本国憲法はGHQの民生局が中心となり、またその後の衆議院帝国憲法改正案委員小委員会で13回に渡る検討・討論を経て国会に上奏されます。


わが国の憲法がGHQを中心とした連合国側によってその大部分が決められたことは事実です。


しかしそれによって開かれた議論が起こり、主権在民でしかもどなたにも最低限度の文化的な生活を保障した現憲法が作られたことも事実です。


当時、ワシントンで極東委員会(戦勝国の代表から成り、日本を管理する為の政策機関)が日本占領政策のなかで、現憲法に文民統制などの意見を入れてきたことも事実です。

(極東委員会では日本の更なる弱体化を求める意見も出されました。戦勝国としては当然のことですが...。)




それがいまなぜ、どうして時代に合わなくなったのでしょうか??


これは単に時間が経過した、ということではありません。


単に古くなったということではないのです。


憲法制定当時と比べ、政治的背景・地政学的環境が変わってきています。


あの当時(戦争前)、アメリカは民主主義の国であり、日本は少なくともそうではありませんでした。


敗戦により、押し付けにせよ何にせよ民主主義という本来優秀な日本人にとってぴったりの制度が取り入れられました。“和をもって尊しとなす”という国民性にマッチしていたのです。


日本人は本来柔軟であり優秀な国民です。


日本人は民主主義を完璧なものにしたいと願い、また戦争を放棄することによってその後の平和と繁栄を民主主義のなかで築いていったと言っても過言ではないでしょう。

表面上は...


日本人にとって、平和は当たり前のことであり民主的な思考もプロセスも普通になっていきました。



少しくらいの不都合は憲法解釈の修正や判断によって対応が可能でした。


憲法第9条にある戦争の放棄もその第二項冒頭にある‘前項’という部分の解釈次第で自衛のための軍備は持てると解釈できます。憲法解釈によってその運用の方向が変わっていきましたが、それ自体は憲法改正にまで踏み切るほどのことではありませんでした。


時代の背景はその後もどんどん変化し続けます。


日本人拉致が明らかにされ、また核拡散がおこり、テロなどの不穏な状況も世界各地で起こるようになりました。さらに、今まで機密とされ日本人に知らされていなかった不都合な事項も次々と分かるようになってきました。


理想を高らかに掲げそれに邁進するだけでは現実問題は解決できず状況も改善されないのは事実です。

実態と明らかにかけ離れていることが手足を縛ることに繋がるということも事実です。


あまり長くなるといけないので、ここで私の日本国憲法に対する要望を述べたいと思います。


つぎの2つのことを明確にしてほしいのです。できれば明記してほしい。


1 憲法は大切であるけれど、憲法よりも国民の命の方が大切であること。


横田めぐみさんたちのように、拉致されたまま手も足も出せないようなものであってもよいのでしょうか?

護憲という気持ちも分かるが、護憲護憲とただ叫ぶだけではだめであり、それくらい憲法を護持したいなら彼ら自身が命を張って相手と交渉すべきでしょ...。拉致された方々や残された肉親のことを考えなさい。拉致した方は言語道断だけれど、国民を守るためにあるべきはずの憲法が国民を守れない状態であるということはどういうことか...。

これについては武力と結びつくから反対とする人も多いと思う。

しかし敢えて必要であるといいたい、自分が当事者(被害者)ならどうするのか?

現状はこれでいいのか?憲法と国民の命...どちらが大切か??

憲法を守るのは国民です...国民あっての憲法、

だから国民の方が大切だ...当然でしょ。そう思うのは私だけじゃないはずだ。

これに関しては、いろんな理由づけによって武力行使に踏み切る国と同じになる...と危惧する人も多いと思う。


2 日本は独立国であり、その独立は保障されなければならない


そんなばかな...日本は独立国ではないか、書かなくっても当然じゃないか...と感じる人も多いと思います。

しかし日本国憲法には日本が独立国であるとは書かれていません。

実は日本は真の独立国ではないかもしれない...私はうすうすそう感じていました。

いろんな情報に触れてますますそう思うようになっています。

だから日本の憲法の中に日本が真の独立国であるという一文を入れて欲しい。



長々、だらだらとなってしまいました、日付も5月4日になっちゃいました。


つづきはまた...














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