こんな切り口で記事を書くのがMustang流か…(笑)
♪ 桐の花むらさきに燃え
前回記事と同じ5月2日に鳥屋野潟公園で撮った写真。
僕の知る限り、たぶんこの公園に1本だけの「桐」の木。
以前から、「姫神せんせいしょん」の「桐の花むらさきに燃え」という曲で記事にしてみたいと思っていた。
桐の木。
日本人にはとってもなじみのある木…だったはず。
まずは「箪笥(たんす)」。
桐材は軽く、寸法の狂いが少なく、木に含まれる成分には防虫効果もあった。(燃えにくい性質もある)
狂いが少ないとはいえ、桐で作った箪笥は洪水などで大量な水を受けた時には膨張(基本的に水を通しにくい性質がある)して隙間を閉じて水の進入を抑えて衣類を守った…とか。
昔は…「家に女の子が生まれたなら、3本の桐の木を植えよ」という風習があったと聞く。
諸説あるが…それは桐は成長が早く、15~20年で製材できる…「板」がとれるまでに成長するから。
3本とは…箪笥、長持、下駄の3品…まあ、使う量は違うけれど、「嫁入り道具3点セット」ってことらしい。
桐の木の不思議…それは種を植えて増やすよりも、根を分けて植えた方が芽が出やすいとい性質があること。
さらには「台切り」といって、芽が出てから1年~3年ぐらいの時に根を残して上を切ると成長の勢いが加速する性質がある。
どうあれ、日本にとってこんなに有用な木材はなかったはず。
しかし、現代では「コスト」の名の下、国産材よりも輸入材が安いということで、国内の桐畑は減少の一途を辿ったという。
新潟県では「加茂の桐箪笥」が有名で、加茂市近隣の山中にも天然の桐や桐畑が数多くあったものの、台風かなにかで壊滅的被害を受けた…と記憶している。
輸入材…現在はどうか知らないのだが、ブラジルからの輸入がけっこうあったらしい。それは、日本からの移民が植えたものだった…とか。
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かつて、角松敏生がインストゥルメンタル・アルバム "LAGACY OF YOU"(1990) のライナーでこんなことを語っていた。
80本近いコンサート・ツアーで見てきたものは、病める日本でも.、飽食の時代でも、管理文化のつまらなさでもなかった。
急速に角質化する人と文化の感性だった。
この国には世界中のいろいろなものの縮図がある。
だから私は、今、N.Y.にもロンドンにもパリにも行く気がしない。
やれアフリカだカリブだと騒ぐのも単なるおめでたい愚行だと言い切れる。
それよりも日本をディスカバリーしてみればいい。
そこには、笑っちゃうほど愚かな人々と笑っちゃうほど素晴らしい人々がいて、遙かな歴史と自然とによって作られた人智の及ばぬ数多くの聖域が膨らみきった経済力による艶やかな虚飾の陰でそっとまどろんでいる…そんな事を感じた時、私の欲求不満は消えはしなかったが、一瞬のうちに灰色から桃色に変わった。
LEGACY OF YOU/角松敏生 (1990)
この文章を借りるなら、ブラジルに住む移民の人々のほうが日本における「遙かな歴史と自然とによって作られた人智の及ばぬ数多くの聖域」を守っていたのではないか…とも思える。
そんな「遙かな歴史と自然とによって作られた人智の及ばぬ数多くの聖域」…それを、日本でシンセサイザーを使って表現したのが星吉昭が率いた「姫神せんせいしょん」…そう考えてもいいような気がする。
そして、そのサウンドのルーツに先日亡くなった冨田勲がいた…というのは、それほど強引な発想(笑)ではないと思う。
冨田勲…日本を代表する作曲家だったことは言うまでもないが、「シンセサイザー」を使った音楽を世間に知らしめた功績は計り知れないだろう。
しかし、冨田勲がメロディの中に「和=日本」」のイメージを表現した曲…それはこの2曲に尽きると思う(※あくまで私論です!)
それは、音楽の中の「大和魂」なのか?…
桐の姿…たとえあなたが桐という木のことを知らなくても、その姿は身近に見ることができます。
(^O^)/
"桐の花むらさきに燃え" by 姫神せんせいしょん
from album "姫神伝説"(1985)
written by 佐藤将展
それにしても、「誘致」を金で買おうとしたように見える行為が事実だったのなら、その当事者にはスポーツも日本の文化も語って欲しくないですね…