〜Crossing〜岡崎直子の新時代スピリチュアリズム&フィロソフィア

タロットや星、カバラ、アルケミーなどの伝統神秘学は、ただ吉凶を占うためのものではなく、意識的にあなたの現実を豊かに・幸せに・ロマンティックに創造するためのツール。
あなたの幸せが世界を輝かせる、新しい時代のためのスピリチュアリズムをお伝えします。


テーマ:

 


黄道十二宮のことを、英語では「Zodiac」と言う。

 

ゾディアック。

 

邦訳で「獣帯」。

太陽の通り道に配置された十二の獣たち。

それら一巡りで作る円環。帯。

 

 

 

よく勘違いされているし、あえて専門家も訂正はしないことが多いようですが、

実際の天文の星座と、占星術の黄道十二宮は違うものです(当然関係していますが)。

 

 

 

ゾディアックの十二宮は、太陽の通り道・黄道を春分点・秋分点を基軸に十二分割されたもの。

 

 

牡羊座、牡牛座、双子座・・・と言うのは、ですから本当は

 

白羊宮、金牛宮、双児宮・・・と呼ぶのが占星術的だということになります。

(しかし便宜上、〇〇座という呼び方も使わせていただいています。悪しからず)

 

 

 


天球にぐるりと巡らされた、十二の宮殿。

 

それぞれに星座のサインが掲げられた、その天の王宮を、さながら貴人の旅人のように季節ごとに巡る太陽。

 

 

それぞれの宮で歓待を受け、サインの主人と交流し、教育され、情報を得て、

 

「私たちの精神」としての太陽は約365日かけてゾディアックをまわる。

 

 

 

 

 

さて、この「Zodiac(ゾディアック)」ですが、

語源は古代ギリシア語の「Zoe (ゾーエー)」からきています。

 

動物園のZooも、同じ語源ですね。

 

 

 

ゾーエーとは、生命。

それも、死を知らない、無人称で輪郭のない、生命そのものとしての生命のこと。

 

それはしばしば、自然の諸力、獣的・破壊的な生命力を意味し、

個体性を持ち、社会の中で自我を持って生きる、私たち個人の人生としての命とは、

はっきり区別される概念です。

 

 

 

 

 

さて、春分を超え、

前々から私自身発信もしているし、ひしひしと感じとってもいた、

「新しい時代」が、ついにやってきてしまいました。

 

 

 

もはや、自分の痛みを隠し恐怖に怯える自我としては、生きられない、

嘘のない本音の時代の到来。

 

 

それは喜ばしいことでもありますが、同時に、

あまりにも純粋な世界であるがゆえに、空恐ろしさも感じます。

 

 

 

私たちは自我にとって心地いい方を目指して生きることに、あまりに慣れすぎている。

 

 

 

経済的に豊かになること、

美しくなること、

愛されること、

賢くなること・・・

 

 

 

 

それらがすぐに全く用済みになるわけじゃないでしょうが、

これから目覚めてくるのは、こうした自我意識と全く別種の生命意識。

 

 

 

 

 

個体性を乗り越えて生きるということは、

私が私であるというアイデンティティが消失するということではなく、

 

 

私というアイデンティティが何によって象られているのかを知ること。

 

 

 

生命の奔流としての、無人称のゾーエーを目覚めさせながら、

アイデンティティを持って生きるということです。

 

 

 

 

しかし自我の解体が不十分のままに、この「ゾーエー」の奔流に飲み込まれると、

 

それこそもがけばもがくほど溺れていく人のように、

ゾーエーの破壊的力に木っ端微塵にされてしまうだけです。

 

 

 

まず力を抜くこと。

 

 

自分自身を証明しようと硬くなっている意識の強張りをリラックスさせること。

 

 

 

これが自分だと信じて疑わない全てを、一度捨ててみることです。

 

 

 

ゾーエーの海に沈み、そこから再浮上する意識。

 

それこそ本当の個性、アイデンティティです。

 

 

 

 

 

 

 

♦︎「創造時代の」占星術とは何か?

 

 

 

4月15日・16日の土日に開催する占星術のクラスの準備であれこれ資料を調べ、テキストをまとめているところです。

 


よくご質問いただくのですが、

 

「このクラスを出ると、何ができるようになるんですか?」
「トランジットとプログレスはやりますか?」

 

等々のご質問に対しては、

 

 

「あまりそこを主目的にはしていません。どちらかと言うと、占星術の後ろにある哲学についてメインでお話しします」

 

とお答えしています。

 

 

 


もちろん、星の哲学を語ると言うことは、

占星術の源泉について語ると言うことなので、

必然的に十二宮の持つ意味や、惑星の作るアスペクトの意味についてなど、

話が及ぶことにはなりますが、

 

それは90度は凶、60度は吉、と言うような星読みの技術のためのデータをお伝えするのとは違います。
(代わりにその辺りの基本情報はテキストにまとめてお渡しします。)

 

 

 

そうではなく、「角度とはなんなのか?」について語ります。

 

一つ例をあげましょう。

 


例えば占星術では180度と言う角度を「オポジション」と呼び、真正面から対抗しぶつかり合う関係性を表します。

 

また、90度と言う角度を「スクエア」と呼び、障害、分裂を表します。

 

 


この二つは伝統的にいわゆる「凶角」の代表で、

例えば「今日は火星と太陽がスクエアだから、突発的な事故に注意・・・」

などのように星を読むのが通例です。

 

 

 

しかし、これは占星術に限らずですが、物事を「良い」か「悪い」かに、まず二分して考える、自我の持つクセを手放すことは、ほんとうに重要なことです。

 

 

 


特に神秘学やスピリチュアルな世界に触れるとき、まずこれに取り組まずして、その先にある本当の星の世界にたどり着くことは決してできないでしょう。

 

 


私たちが日常語として使う「良い」・「悪い」というのは、とても相対的で一時的な、曖昧な概念です。

 

それはその瞬間の自我にとって、好ましいか、好ましくないかということを言っているに過ぎない場合がほとんどです。

 

 


改めて述べるまでもなく、モノゴトというのは連続的に関連して人生に立ち現われてきます。

 

 

車をぶつけて修理に出したお店で運命の恋人に出会ったらどうなりますか?

会社を倒産させた後、一念発起して本当の夢に再チャレンジする人は?

 

 

流れゆく映画のワンシーンだけを切り取って、その吉凶を判じることになんの意味があるでしょう。

 

 

 

 

こうした吉凶占いや、性格判断、相性診断は、全く根拠がないとは言いませんが、私たちの自我を容易に妄想の海に突き落としてしまいます。

 

 


それは占星術の扱い方として、全くその真価を忘れ去っていると言っていいでしょう。

 

 

 

決められた社会の中で、受動的な人生を粛々と送りたいだけならば、それもいいのでしょうが、

 

本来占星術が語っていることは、遥かに広大ではるばるとした、私たちの日常的人生を超越した世界です。

 

 

 

占星術とは本来、私たちの精神が本当の意味で創造する精神として変態するための、魂の階段なのです。

 

 

 

占星術の起源は歴史的にはシュメール・バビロニアまで遡ることができますが、その本来の出自は言うなれば前次元ということになるでしょう。

 

アセンションして行った精神が残した星の階段。

 

 

 

 

 

私は2017年は、占星術が人類史に現れてきて以来一度たりとも明らかにされることがなかった、本来の機能が解き明かされる年になると思っています。

 


今の時代。

 

この2017年に人間として地球に生きている、私たちが使うためにこそ、占星術は歴史を通してその真価を封印されたまま、生き続け、届けられたのだと、私は思っています。

 

 

 

 

占星術の真価とは、自我(エゴ)を解体すること。

 

エゴという仮面の下に閉じ込められた、自らの本当の姿を目にすること。

 

肉体の中で、生まれて死ぬまでが人生だと信じ、命を脅かす全てに恐れをなしている自我を、とかしてゆくこと。

 

ビオスの中のゾーエーを解き放つこと。

 

無意識の中に眠る精神の構造を目の当たりにすること。

 

 

私たちの内の、眠れるゾディアックを、さらに深遠なる恒星を、目覚めさせることこそ占星術の持った壮大な機能です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎天動説と神聖な角度

 

ホロスコープというのは、太陽のめぐる円周を中心に構成されていますから、360度を分割する様々な「度数」がキーコンテンツとして散々登場します。

 

しかし占星術の素敵なところは、そのひとつひとつに星の精霊の息吹が宿っているというところ。


ただの数字のやりとりではなく、ロマンがあります。
だから直感的に理解しやすいのです。

 

 

 

さて、前項で例にあげた、「180度」と「90度」について、もう少しだけ解説します。


この角度に宿っている哲学とはなんでしょう?

 

 

円の中心を通るようにまっすぐ引かれた線というのは、端から端、極限から極限の象徴です。

 

 

 


神秘学用語で「極性の法則」というのですが、
およそこの世にある(ように思える)正反対のものは、同じものの裏表です。

 


光と闇
暑いと寒い
男と女
重いと軽い
高いと低い・・・・・・


それらは全く違うものなのではなく、同じ軸の正反対です。

 

 

 


光と闇は、光量という軸の、プラス最大値と、マイナス最大値。
暑いと寒いは、温度という軸の、プラス最大値とマイナス最大値。

 


同じ質のものの「度合いの量」が正反対になるのが、軸の両極で表されていることです。

 

 

 

これを占星術で考えてみると、ホロスコープ上で180度対抗にある星座同士というのは、本質的に同じものを備えた正反対同士ということが言えます。

 


パッと分かりやすいところでは、

 

牡羊座(自己)と天秤座(他者)
蟹座(家庭・プライベート)と山羊座(社会・オフィシャル)

 


など、180度の関係性が見て取れます。
それらは、本質的に同じものの、両極なのです。

 

 

 

 

 

対して90度という角度は、180度とは全く性質が違います。

 

一つの線分に、垂直に交わる線分。
90度は、その本質において全く違う軸への移動を意味します。

 

 


もちろん、0度、180度以外の度数は全て、「軸の移動」ですが、90度という角度は、言うなれば自分自身の歩く道に真横から交差してくる異次元。

0度(自分)からも180度(相手)からも等しく遠い、圧倒的客観世界です。

 

 

 

先ほどの例を引くならば、

牡羊座・天秤座の【自己・他者軸】が【個としての意識】の軸であるのに対し、
蟹座・山羊座の【家庭・社会軸】は【グループとしての意識・帰属集団意識】の軸。


全く異質な軸であることがわかります。

 

 

 

 

 

そしてホロスコープを見るとこれらの様々な線分をひとつに取りまとめているたった一つのポイントがあるのがわかります。

 

 

 


それはつまり円の中心点。
ホロスコープではそこに描かれているのが「地球」です。

 

 

 

 


占星術は地球を中心に、天をめぐる星々の天球を扱いますが、

この「天動説」の世界というのは、

天体を物質として扱う科学的な視座と全く目的の違う、神秘学の視座。

 

 

 

 

万物を「物質」として取り扱う科学の視座では、私もあなたも、太陽も月も、くっきりと輪郭を持って広大な宇宙空間に投げ出された孤独な存在ですが、


占星術の視座では「私」と「あなた」は一つの軸の両極。

 

グラデーショナルに揺らいで移動するアイデンティティ意識の流動の、端っこ同士。つまり、同じものの両側面です。

 

 

 

 


万物を生み出すあらゆる意識の流動は、そして地球という一つの大地に収斂する。


星の精神、星の光を湛えた、森羅万象・生命の舞台。


星の世界を通じて、私たちはただ生まれて死ぬ一個の孤独な自我から、あらゆる精神とひとつながりに呼吸する、地球そのものとしての意識に目覚めようとしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎天と点


さて、惑星と惑星、あるいは宮と宮が作る角度は、円周上の一点から別の一点へとジャンプする動きですが、
ホロスコープにはそれとは別に、連続的に流動していく動きも存在しています。

 

 


牡羊座、牡牛座、双子座・・・と十二宮を順番に移っていく動きです。

 

 

 


黄道十二宮を巡っていく帯の動きには、一定のリズムがあります。


陰陽が交互に現れるリズムであり、
活動・保存・調停のリズムでもあり、
四大元素が順番通り、規則的に現れてくるリズムでもあります。

 

 


そしてこのリズムの中にも、占星術の深い哲学があります。

 

 

 

 

一定のリズムがあるということ。

それはそこに時間の経過があるということです。

 

 

 


円周上のすべての点は、円の中心点に収斂する。


とすると、ゾディアックとは、地球(の中心点)に一点として保持されたあらゆる生命力の本質が力の帯として流出した姿だということもできます。

 

 

 


「生命」のエッセンスとして一点に凝縮していた要素を、時間的な流れの中で一つのストーリーのように目撃する。

 


DVDとして一つの物質に収斂していたデータを、回転させて読み込むことで、「時間的な長さ」を持つ映画が流れ出す、というのに似ています。

 

 

 


点というのは概念上、幅も厚みも限りなく無いに等しい無限小ですが(しかし「無」ではない)、
地球中心の一点、その極小領域には、天球のあらゆる階層がぎゅっと縮んで保持されている。

 


まさに「神は小さきところに宿る」ですね。

 

 

 

 

 

全情報、全時間、全エネルギーがぎゅっと一点に保持された静止状態と
回転し、時間の帯に従ってあらゆる情報が開示される活動状態。

 

映画全編を閉じ込めて静止したDVDと、
回転し、画面上に物語を次々と映し出す、動いているDVD。

 

全宇宙の種子としての一点と、
そこから展開される、階層構造を持つ遥かなる全天。

 

 

 

面白いことに、日本語では「点」と「天」は同じ音です。
(日本語の同音異義語は、本質的に同じエネルギーを持つ)

 

 

 

 


占星術の「天動説」とは、「天」として展開され、時間的リズムで回りめぐる星々から、
私たちの生死の向こう側で永遠性のうちに時を止めている、「霊性」を探ろうとする試みなのです。

 


「すべての男女は星である」とは、かの有名なアレイスター・クロウリーの言葉ですが、

「そしてすべての星は、地球の中心に宿っている」のです。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦ゾーエー、ビオス、プネウマ、プシュケー︎

 


さて、当初のゾディアックの話題にようやく戻ります。

古代ギリシャでは、「生命」を意味する言葉が一つではありませんでした。

 

ゾーエー、ビオス、プネウマ、プシュケー。


それぞれが「生命」の諸相を表す言葉です。

 

 

 

私たちが通常「生命」という時のニュアンスは【ビオス】にいちばん近いでしょう。

 

これは、輪郭を持ち、個体性を持った、生まれて死ぬ生命。社会を生きる「人生」としての生命です。

英語の「Live」と同じニュアンスで考えていいでしょう。

 

 

 

 

一方の【ゾーエー】とは、決して壊れることのない生命。生命そのものとしての生命。輪郭を持たず、個体性も持たない、生命。

 

これは別の言い方をするなら、自然そのものとしての生命と言ってもいいものです。

 

自然の力は、時に人間の個の【ビオス】を吹き飛ばし、飲み込み、なぎ倒していきます。

 

 

ゆえに、社会的・個人的生命としての【ビオス】と、大自然的・非個人的生命としての【ゾーエー】はぶつかり合います。

 

ぶつかり合う、というか、コントロール不能・予測不能の自然の猛威【ゾーエー】をなんとか制御しようと、【ビオス】は歴史を紡いできたと言ってもいいでしょう。

 

 


こうした、理性の及ばない、激しく、力強く、破壊的で、しかし豊かにして永遠なる生命力は、人間の内側では【獣的な生命力】として認識されます。


この【獣的な生命力】は、低次の意識と結びつくと暴力衝動になったり、欲望に振り回されたりするので、【ビオス】的な理性からは嫌われます。

 

徹底的にこれを抑圧し、理性の仮面の下に押し込め、亡き者にしようとします。

 

不埒な欲望を検閲し、「善良なる一市民であれ」と命じる理性。

 

生命力の奔流を低次なるものと断じ、自分で自分を罰する、あなたを批判するあなた。

 

 


しかし、この【ゾーエー】の破壊衝動が撃ち破ろうとしているのは、
まさに去勢され、永遠なる命を忘れ、いつかやってくる死に怯えて、【ビオス】の命令だけを聞こうと縮こまっている自我意識そのものです。

 

(※長くなってしまったので、プネウマ・プシュケーの話はまた次回。)

 

 

 

 

さて、スピリチュアルに目覚め、自分自身を高めていこうとする時に陥りがちなのが、霊的な意識を高めているつもりで【ビオス】にすっかり去勢されてしまっているパターン。

 

 

ワンネスも、
アセンションも、
フリーハグも、
女神の目覚めも、
占星術も、
タロットカードも、
ヒーリングも、
世界平和も、

 

 

自らの【ビオス】から【ゾーエー】を解放することなしに、その真意を生きることはできない。

 

 

どんなに高尚で美しい理念を学んだとしても、【ビオス】にかかればそれは自罰の道具に変えることができてしまいます。

 

 

 

それらの理念、理想に対して、

「私はまだまだダメだ」

というやつですね。

 

 

 

 

世界から切り離された、一個の生命としての【ビオス】。

 

そこから生み出される自我意識は、社会(それが小さなグループや家庭であっても)のルールに従順であることでしか他人と繋がれない。

 


人の機嫌を損ねないこと。
人から褒められること。

 


自我の行動基準は、常に「他人からどう見られるか」にある。

 

 


この前提から行動すると、創作であれ、人助けであれ、スピリチュアルであれ、ビジネスであれ、自我を肥大化させる結果しか産まない。

 

そしてその裏側でますます、【ゾーエー】を否定し、押し込めることになってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 


♦︎目覚めるゾディアック

 


ゾディアックとは、地球の中心のエネルギーの別の姿。

 

では地球の中心に何があるかといえば、そこには燃え盛るマグマがあるわけだ。

 


星とは、遠く輝く崇高で美しいだけの光ではない。
それは燃え盛る赤い生命の奔流の反映。

それは青い火であり、靈なのだ。

 

 


黄道十二宮・ゾディアックとは、私たちに自我を超えた生命の本質、ゾーエーを再認識させるための、十二の扉。

 

 


高貴なる獣たちが住まう十二の宮殿を、私たちの精神としての太陽はめぐる。

 


白羊宮の存在という扉を通じて、
金牛宮の知覚という扉を通じて、
双児宮の思考という扉を通じて、
巨蟹宮の内在という扉を通じて、
獅子宮の意志という扉を通じて、
処女宮の分析という扉を通じて、
天秤宮の他者という扉を通じて、
天蠍宮の実存という扉を通じて、
人馬宮の理念という扉を通じて、
磨羯宮の外在という扉を通じて、
宝瓶宮の認識という扉を通じて、
双魚宮の無意識という扉を通じて、

 


私たちはビオスの殻を破って、ゾーエーに接続する。

 

 

 

ゾーエーにただ飲み込まれ、欲望と破壊衝動に引き回される小さなエゴではなく、

 

その諸力を借り受けながらアイデンティティとして生き生きと生命を生きる、

「目覚めた太陽」に生まれ変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


♦︎メッセージ

 


預けるということはなんて怖いんでしょう。

孤独を選ぶ方がずっとずっと簡単だ。


断られる前にシャッターを下ろした方が、

嫌われる前に嫌いになった方が、


少しでもダメになりそうなら、目を閉じて耳を塞いだ方が、どれほど簡単か。

 

 

 

しかしそうして手に入れたはずの、何より求めた「安全な孤独」に、咽ぶほどに淋しくなる。

 

 


誰でもいいからここから連れ出してくれ。


何ひとつ求められない、欲しがることさえ怖くなってしまった、
それなのに一人きりでいることに本当はとっくに、吐くほど飽き飽きしてしまった私の平穏な孤独を、ズカズカ入り込んできて邪魔してくれないか。

 


王子様のように、あるいは悪魔のように。
私を私からさらってくれないか。

 

 

自我の求めることは、どうしようもなく矛盾してる。

 

 

 

 

目覚めよ、ゾディアック。黄道十二宮の高貴なる獣たち。


本当の意味で自由に帰るとき、
卑小な生の概念の中で、鎖に繋がれ隷属させられてきた獣たちがその真価を取り戻すときがきた。


あなたがたにふさわしい、広大な天の宮殿がそれぞれに用意される。

 


ごまかしの満足の中で、いもしない「他者」の評価を求めて彷徨う、愚かな自我を破壊せよ。

 

それが見ているのは虚無であり、口から吐かれる言葉は自分を誤魔化す嘘ばかりなのだから。

 

 

 

ホロスコープの秘密の鍵を解き明かせ。

 

 

地球の中心、生命の源に重畳した、月から冥王星に至るまでの次元の階層を知れ。

 

 

 

あなたの目の前に、当たり前に展開している知覚世界を認識せよ。

 

 

 

触覚の世界と

視覚の世界と

聴覚の世界と

嗅覚の世界と

味覚の世界と

 

 

それだけを見てもあなたは別々の5つの世界を常に同時に生きている。

 

 

 

同じようにあなたは、

太陽の世界

月の世界

水星の世界・・・10惑星の世界を同時に生きているし、

 

 

それらを通じて、死を知らないゾディアックに接続している。

 

 

 

あなたは確かに、個体としての生命を持ってもいるけれど、

 

 

 

このような認識から見ると、「自分に自信を持つ」などというのは奇妙な言い回しに思える。

 

 

 

ゾーエーは自我に忖度しない。

 

 

 

自我の持つすべての悩みは、自我であることに固執するがゆえの病だから。

 

 

 

自我を脱ぎ捨てた時。

「良いか悪いか」の思考回路が無くなった時。

 

 

あなたのアイデンティティの形は完璧だ。

 

 

 

その凹や凸が、正しくゾーエーの受け皿となる。

 

 

その領域に入って初めて、あなたは、本当の「他者」に出会うことができる。

懐かしい顔に再会することができる。

 

 

 

 

そのときは、きっともうすぐそこだ。

 

 

 

 

 

 

 

岡崎直子

 

 

 

 

 

__________________________

 

 

 

【関連動画】

「ゾディアック・メディテーション」

 

意識を自我から解放する、黄道十二宮のメディテーション用音源です。

 

リラックスして、語りのキーワードをイメージしながらお聞きください。

 

誘導瞑想としても、入眠前のBGMとしても使えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_________________

INFORMATION

 

 


4月15日(土)・16日(日)開催
【アストロロジー基礎講座】創造時代の占星術
 

☆早割〆切は3月28日15:00です

私たちは一人一人の意識の内側に宇宙を持っています。
そこには階層構造があり、星々の魂が息づいています。

 

自分の意識の広大な構造を知って、星と繋がることは、
創造者として生きるものにとってとても大切な叡智となるでしょう。

 

バビロニア時代発祥と言われる占星術は、

いわば人類史の始まりと共に生まれた意識哲学。

その本質は、よく知られる「占い」ではなく、
内なる神々や精霊、天使たちとつながって交流するための
不可欠の知恵だったのです。

あなた自身の霊を知るために。
あなたの魂のレシピを知るために。
あなたの人生のシナリオを描くために。

星の叡智はあるのです。

 

 

 


5月13日(土)13:30-19:00
【ライティング講座】言の葉の魔法
 

ご要望にお応えして、2回目の開催となります。
日本語の精神、言霊の中に宿る魔法について、
その哲学についてレクチャーする特別なONE DAYプログラム。

創造時代の言葉の操り方について、
言霊について学びたい方におすすめいたします。

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  リブログ(1)

テーマ:

 

魚座の精神。

 

 

 

それは形ではなく流動。

 

活動ではなく瞑想。

 

目覚めではなく夢。

 

個ではなく集合。

 

確かな陸ではなく底知れない海。

 

 

 

 

意味のあることを為そうともがくほど、

無限の集合意識の海に溺れて沈んでいく。

 

 

全宇宙の全瞬間、全生命の全ての感情と記憶が、

ひと波で小さな自我を呑み込んでいく。

 

 

 

この魚座の海。

訳のわからない不定愁訴や、自己卑下に飲み込まれた時は、必死に自分の価値を証明しようともがくのは得策ではない。

 

必死に「自我」を保とうと力を入れれば溺れるのみ。

 

 

 

まず力を抜くこと。

 

守るのをやめる。

人の役に立つことをしない。

結果を出そうと思うのを、手放してみる。

 

 

 

 


こわばった筋肉の力が抜けると、体はゆっくり、水面に浮いてくる。

 

 

1.00の水の比重に対して、息を吸った時の人の体の比重は0.98。

たった2%、しかも「息を吸った時」だから、声をあげたりはできない。

 

 

だけど力さえ抜けていれば、体の2%、鼻と口くらいは浮かせられる。

 

 

 


無尽蔵の集合意識の海とまともに渡り合うには、

ほんのちっぽけな数十年の人生の自我はあまりにも無力だ。

 

かろうじて呼吸を保ちながら、背を押し上げる底知れない水に全身を委ねて、ただ漂うのみ。

 

瞑想の時間だ。

 

 

 

世界から切り離された、確たる自我があるという幻想が、背中から溶けていく。

 

 

人生や、他人や、状況や、今日という1日を、コントロールできるなどと、そうしなければならないなどと、自分を証明しなければなどと、なぜそんな壮大な誤解をしたのか。

 

 

私の背後にはいつも、この得体の知れない意識の海があったのに。

しかしその恐ろしげな海は、私を産んだ母体でもあるのだ。

 

 


暴れる自我をひと呑みで沈める海は、ただ畏怖すべき対象としてそこに在るのではない。

 

 

 

 

 

 

魚座の精神は言う。

 

 

夢の世界ではなく、自我意識の方こそがディリュージョンなのだ、と。

 

 

己の出自を知らない自我が、まるで無から自動的に個体として生まれてきたかのように振る舞うのを、母の目で笑う。

 

 

 

 

 

 


力を抜いて。

人生は戦場ではないの。

 

 

楽しい気分になると、世界がキラキラするでしょう。

落ち込んでいると、全てが色褪せる。

 

 

 

精神のレイヤー構造は、海の中でグラデーションに溶けて、ゆるやかに一つに繋がっている。

あなたもまた、そこから生まれてきた命。

あなたは世界そのものなの。

 

 

 


魚座の段階まで自力でやってきたあなたにだから言えること。

 

 

世界から分断されたまま、「役に立ちたい」「幸せになりたい」と思っても、それは難しいの。

 

 

 

あなたは、世界と戦おうとしているから。

世界そのものである自分と戦おうとしているから。

 

がんばるほど、自分を傷つけることになる。

 

 

 

 

創り上げてきた自我を、プライドを、経験則を、手放すのは怖いよね。

 

 

だけどこの魚座の海こそ、12星座イチの無限のインスピレーションの場所なの。

 

自我の堅い殻を溶かせば溶かすほど、叡智に満ちた霊感はあなたの全身全霊に沁み渡っていく。

 

 

 


積み重ねたものがあるからこそ、手放すことに意味があるの。

 

だから、ここまで頑張ってきた自分にも、堅く鎧った自我にもちゃんと意味はある。

 

 

 

 

さあこの海は、ねぎらいの場所。

今一度立ち返る、懐かしい子宮の中。

 

 

あなたがこれが「自分自身」だと堅く信じてきた全てを捧げるとき。

 

 

 


海に捧げるあなたの全記憶。全存在。

 

 

あなたの経験は集合意識に溶けて回収され、やがて次なる命を育むための栄養として、静かに沈殿していく。

 

 

 

 

 

自己犠牲とは、奉仕とは、本当はこのことを言うの。

 

 

 

 

 

岡崎直子

 

 

 

 

 

_________________________

 

 

 

 

春分までのラストスパート、カウントダウン的にメルマガを配信していきます。

今この時に受け取っていただきたい情報をお届けしますので、

ぜひこのタイミングでメールマガジンをご活用ください。

 

無料メールマガジン登録受付中。

スピリチュアルエレガンス~魂の魅力を引き出すメルマガ~ 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________
INFORMATION

 

 

 

 

♦︎3月20日(月)渋谷金王八幡宮にて開催!

儀礼芸術〜和羅靈〜 春分奉納祭

 

参加無料の儀礼芸術です。
ぜひ新しい太陽のエネルギーを味わい、楽しみに来てください。

 

 

 


♦︎4月15日(土)・16日(日)開催!
【アストロロジー基礎講座】創造時代の占星術

 

 

12星座・10惑星・自分自身のホロスコープを読みながら、
「意識」の構造について理解を深めるための、
創造時代のための占星術講座がいよいよ開講されます。
星を知り、繋がることは、自分自身の魂につながること。

海王星としてのあなたとは?
天秤座としてのあなたとは?
三日月としてのあなたとは?

生まれ星座というのは太陽星座のことですが、
それだけにとどまらず、あなたのホロスコープの中には
天球上の全ての惑星や星座がそのまま宿っています。

 

 

 

 

 

 

 

________________________

Facebook https://www.facebook.com/naoko.okazaki.714
Twitter https://twitter.com/Naoko_crossing
Instagram https://www.instagram.com/lavalse.cosmicdance/?hl=ja
_______________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  リブログ(3)

テーマ:

 
 
本日の記事は、「水瓶座の精神」。
 
 
 
古い身分制度や専制君主制に終幕をもたらし、
民主主義や自由主義の萌芽をもたらした水瓶座のエネルギー。
 
 
 
占星術に詳しい方や、他の情報で聞いたことのある方はご存知かもしれません。
 
 
実は現代は「水瓶座の時代」と呼ばれているタイムピリオド。(諸説ありますが)



 
 


「既存の価値観を超えていく」というテーマを持つ水瓶座のもと、
国、宗教、社会、家庭、ジェンダー、世代、職業などなど、
人間が歴史を通して作り上げて来た様々な概念の枠組みが
今まさに、激しく変わっていこうとしています。
 
 
 
 
 今日はそんな、現代を生きるすべての人にとって重要な、
「水瓶座の精神」について書いてみたいと思います。






 
 

 
 

 

♦︎俯瞰する水瓶座

 
 
 
水瓶座は言います。
宇宙から見たら、国境なんてどこにも引かれていない、と。


 
 
何年も前に、月の土地を販売するアメリカの会社が話題になったことがありました。


 
ビジネスとしては目ざといですし、一瞬ロマンチックな気もしますが、
 

人間の所有欲の果てしなさ、誰のものでもない場所に
「とにかく早い者勝ち」精神で所有権を主張し、
あまつさえ販売しようなんて、心の底からバカバカしい
と思った人もいるのではないでしょうか。



 
 
しかし、地上の土地の所有権だって、多分全く同じように始まったのです。
 
 
 
一つの出来事から、
ひるがえって自分たちにとっての「当たり前」を疑う。
 
 
水瓶座の精神はそのように常に、
自分たちの置かれている「思考の枠組み」の
外側へ外側へと向かおうと働きます。

 
 
 
 
水瓶座エネルギーのいちばんのコアとも呼べるのが、
この「俯瞰する」という働き。
 
 
 
 


地上レベルではわからなかった階層の違いや、
意外な盲点や抜け道を、
巨大迷路を上からみるようにナビゲーションできる。
 


これが水瓶座の特徴であり、水瓶座的知性の源です。
 
 
 



地上の諸問題を宇宙的俯瞰から見下ろして、
水瓶座の精神はそれらを成立させている「前提条件」そのものに、
革命を起こそうと働きます。
 
 
 
 
水瓶座が博愛の星座、公平の星座とも呼ばれるのは、
こうした「全体にとってより良いこと」を自然と追求する姿勢から見て取ることができます。
 


 
 



この俯瞰する水瓶座のエネルギーをもっと身近な例で考えてみると、
現代がまさに「水瓶座の時代」であることを実感できると思います。

 
 

 
 
 
もはやそれが無かった時代を思い出すことすら難しいほど
私たちの生活に浸透しているインターネットやスマートフォンですが、
かつては「情報を知る」ということは、それだけで特権階級の証だったのです。
 
 




誰もが、いつでもどこでも、必要な情報にアクセスすることができる。
 

Google Earthをちょっといじれば、
鳥の視点から、宇宙飛行士の視点から、
世界中のあらゆる場所を俯瞰することができる。
 
 

こうした「世界を上から睥睨(へいげい)する」視点というのは、
古代世界で言われていた「神の目」まさにそのものです。


 
 
太陽系の惑星が土星までだった頃。

土星の向こう側の外宇宙は、まさに神々と星の精霊たちの世界でした。
 


地動説が唱えられた時、ローマ教皇庁は「精霊の住まう天球を汚し、神が創りし神聖な地上をただの土塊にした」と言って弾劾したのです。

 
 
そうした超越的な「神の目」を人間の理性が獲得し、
当たり前に小さなデバイスの中に持ち運んでいるという現代は、
古代人から見ればまさに気の狂った世界なのかもしれません。
 
 
 
 
 
スマホの登場は、まさにこのエネルギーの極みですが、
ちょうど天王星が発見された18世紀末ごろから
この「近代人間理性の発達」は顕著化しています。
 
 

 
 
 
歴史的に見て、そうした水瓶座的な変化の筆頭に挙げられるのが
「Human Rights」つまり「人権」の発明でしょう。


 
人は生まれながらに平等であり、すべての命には生き、幸福を追求する権利がある。
 
 


一般常識と思うようなこの「人権」という発想は、古典の世界にはありません。
 
 


身分や血筋、人種や宗教などで、人の命の重さには当然のように差がありましたし、人間とすら見なされない人々もたくさんいました。


奴隷制度や人身売買は近代社会では許されざる悪ですが、
それ以前の世界では日常の風景の一部だったわけです。
 
 

 
 
「人権」という概念は、もとからあったものではなく、人間が獲得してきたもの、人為的につくってきた「共通の約束」なのです。





 
 
 
 
 
 

♦︎神々の時代から、人間の時代への移行

 
 
天には偉大な神がいて、
人間の世界を静かに、時に厳しく、時に慈愛に満ちた眼差しで見守っている。


そしてその神から統治権を委任されたものとして、
世俗の世界では「王侯貴族」が、
信仰の世界では「教皇」や「神官」が、
ささやかな人生を送る民を導いて統治する。
 
 



この古典世界は「神」の創った世界の中に生きる、
「受動的存在」としての人間、という構図でできています。

 
 
 


「神」という言い方に違和感がある方は、
「自然の摂理」と言っても「世界の仕組み」と言ってもいいでしょう。
 
 


私たちはあらかじめセットされた世界に生まれてきて、
後天的に学んだ「出来上がった世界」の中で、
許された選択肢の中から人生の方向を選びます。
 
 
 
容赦無く日常を破壊する自然災害や戦争、
政変といった「巨大な出来事」に対して、
私たち一人一人のちっぽけな人生や喜怒哀楽はあまりに無力です。

できることといえば祈り、慈悲を乞い、
大きな流れに巻き込まれながら必死に生きるのみ。
 
 



ちょうど先日公開された、映画「沈黙」も、このテーマを力強く扱っています。
 
 
江戸初期の日本、隠れキリシタンへの凄惨な迫害。
信徒たちがあまりにもむごく拷問され、
殺されていくのを目の当たりにしながら、
極限の状態にあって信仰とは何かを自らに問い続ける主人公の外国人宣教師。
 
 


そして物語のメインタイトルであり、要として描かれているのが、神の「沈黙」
 


あまりにも惨たらしい現実を前にして、
祈りにも、文字通りの決死の嘆願にも、
一切の沈黙を貫き通す、圧倒的な神の不在感
 
 




何かを信じ、救いを求め、哀願する。
 



人生においてこれを経験したことがない人はいないでしょう。
 



例えば身近な誰かが死に瀕したり、
友人や家族が住んでいる町を大きな災害が襲ったと聞いたときに。
 



もっと小さな出来事でいうなら、財布を落としたときでも、
どうしても合格したい試験の結果を待っているときにでも、
好きな人に自分の想いを受け入れて欲しいと願うときにでも。



 
それとも人生の孤独に絶望して、
他の誰もが簡単に持っていそうな、
些細な幸せさえ私に与えてくれないのはどうしてなのかと嘆くときに。
 
 


「どうかお願いだから、神様」と、
祈ってみたことがない人はいないでしょう。
 
 




「もう苦しませないで欲しい」というこの感覚の裏側には、
「世界」という動かしがたい現実に対して翻弄される
あまりにちっぽけな自分という基本設定
があります。



 
 
 
 

 

 

 

人間がこんなに哀しいのに
主よ
海があまりに碧いのです


 
遠藤周作



 





 
 「沈黙」の有名なこの一節の中には、

神の鮮やかな創造のみわざに対しあまりにも「ちっぽけな存在」としての人間の哀切が美しく描き取られていて、胸に迫ります。
 
 
 

 

人間社会の愚かで酷い現実に一切関わりなく

海は青く、太陽は輝き、森は覆い繁る。
 

 

 

 

 

神の創りし調和の世界にあって

人間ばかりが愚かしく哀しい生き物のように思えます。
 

 

 

 

 

 

 
 
しかし、歴史はそんな「あまりにも愚かでちっぽけな人間」という思考の枠組みそのものに対して鮮烈に叛逆していく精神を呼び覚まします。

 

 

 

 

 

 
そう。それが、未来的知性を備えた革命家・「水瓶座の精神」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 

♦︎「人」であることを誇れ

 

 
人間の知性の歴史の中に潜伏していた水瓶座の精神は、

近代、天王星の発見ごろを皮切りにいよいよ真価を発揮しだします。
 
 
 
 
実際、天王星の発見が古典的「神の時代」概念に与えた打撃は凄まじいものだったでしょう。

 

 

 

 
 
聖書にも、古典占星術の言い伝えにも書かれていない惑星を、人間の科学技術が発見する
 

 

 

 

それは、絶対王政が否定され、

アメリカ独立宣言、フランス革命に沸き立つ時代の空気もあいまって、

特権階級によって象徴されてきた「支配する神」の概念を揺るがしたでしょう。
 
 

 

 

 

「人間には理性があり、従来の権威から自由であり、自己決定権を持つ」

という自由主義の台頭は、アメリカ独立の契機になりました。 


 

 

 


それが「王」であれ「神」であれ、

自分よりも偉大であり、導き、罰し、正しい答えを教える存在を、

自分の「外部」に置かないということ。
 
 

 

神という存在に対して徹底的に受動的であった人間が、

自らの理性を頼みにし、立ち上がり、

「授けられるもの」ではない自らの幸福を追求しだす。


 
 
つまりは「個」と「人間理性」が重要性を持つ時代の始まりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 
 

 
 

 

♦︎「友達」という純粋な人間関係

 
 
水瓶座的な「平等」の意識にたどり着いた精神にとって、

人と人が繋がる至高の関係性は、「友情」です。

 

 

 
 
考えてみれば、「友達」という関係ほど、

その定義において平等で純粋な人間関係はありません。

 

 

 

 

お互いの距離感と時間的・空間的領域を尊重し、奪い取りも寄りかかりもしない。
 
 

 

 

 

 

なんの契約にも縛られず、自由意志と自立した精神、ささやかな思いやりで成り立つ関係性。
 
 

 

 

これこそ、水瓶座の精神が理念に掲げる、自由と調和が両立する世界の礎です。
 
 

 

 

 

 

 

 

「友人関係だって執着したり、面倒なタイプから依存されたりするケースだってある」という方もいるかもしれません。
 
 

 

結論から言うと、それは水瓶座の精神において「友達」ではありません。
 

 
 

 

 

 
神」や「王」や「国家」と言った「体制・組織・集団」の概念の元、

「友情」と言うエネルギーは常に犠牲になり虐げられ、あっけなく負けてきました。
 
 

 

 

大親友が住んでいる国であっても戦争になれば戦わざるを得ず、
誠実に生きる市井の人であっても宗教が違うと言うだけで交流できない。

 

 

 
自分は何者かと言う「個」の生命としての意識を忘れ、「日本人だ」と思った瞬間に、「外国人」と相手にもレッテルを貼り、個と個で繋がる友情を忘れる。

 

 

 
会社に命じられた残業は必死でこなすのに、楽しみにしていた友達との約束は、平気で反故にする。「ごめん、仕事が入っちゃったんだ」
 
 

 

 

 

 

そういう時、私たちの意識は現代を生きる生命としての「個」を忘れて、
第二次世界大戦や、19世紀や、絶対王政時代や、中世にタイムスリップしているのです。
 
 

 

意識がタイムスリップしてしまっている時。
そこには真の友情は成立できません。

 
 

 

 

 

反対に、だからこそ私たちは

 

例えば戦争の最中に敵国の兵士との間に生まれた友情や、

 

宗教や、民族や、自分の所属する社会の常識を打ち破って、

人と人がシンプルに助け合う姿や、

 

トモダチだから、と言って遠くに住んでいる人たちが、大きな災害に見舞われた私たちのところへ駆けつけてくれることに、感動するのです。
 
 

 

 

 

それは、尊くも孤独な、

幸せを追求して生きるひとつの生命である私たち人間が、

「社会」や「国」や「自然」といった

「何か強大な力」に飲み込まれそうになった時に、

 

 

いざとなれば協力し合うことができるということ、

 

 

そしてそうした「強大な力」に巻かれるものとしてのレッテルや、ボーダーを、

剥がせば剥がすほど、強く純粋になれるのだということを力強く証明しているから。
 
 

 

 

それぞれの置かれた状況や、時代性や、所属集団の理屈を鮮やかに飛び越えて、友愛は私たちを懐かしい、生まれる前の宇宙へ運び去ってくれるのです。
 

 

 


 
「友達」と言うエネルギーは、
組織に生きる精神や、利害と執着に生きる精神からはるかに遠い、水瓶座的星々の世界にある、とても純粋で宇宙の本質に根ざしたエネルギー。
 
 
それは、私たちに貼られた全てのレッテルを剥がす力があり、人々をとてもシンプルな生命の本質に立ち返らせる魔法があります。
 
 

 
 
 
 

 

 

 

 
 

 

 

 

♦︎人為と自然

 

 

生まれたままであること、自然のままであること、あるがままに、そのままに、全ての出来事を受け入れて、与えられた場所で精一杯に生きること・・・。
 
 

 

 

 

一見美しいそんな言葉を、水瓶座は否定します。
 
 

 

 

それだけではないのだ。この世界は。

 

 

 

美しく善良な受動的魂だけで宇宙が巡るのなら、

ここに知性を持つ「人間」と言う不確定要素の種が撒かれる必要はなかった。
 
 

 

 

しかし、私たちは世界に撒かれた。
 

 

 

自らの存在に疑問を持ち、生まれた意味を悩み、全能の神に傲慢にも挑み掛かる。
 
 

 

 

 

自らが愚かで何も知らない、

ちっぽけな存在であることを、歴史を通して、

ことごとくに痛感させられながらも、

その知性の営みを決してあきらめず、
 

 

 

果ては世界を破壊しうるほどの兵器まで生み出し、

過ちを繰り返し、自らの存在そのものさえ危険に晒しながら、
 

 

 

しかし、それでも、前へ前へと歴史を進んできた。
 

 

 

誰も奪わず、誰にも奪われない未来を信じて。

 
 
 
 
神なる精神と人の心。
銀河の調和と地上の混沌。
未来の希望と今日の孤独。
 
 

 

 

 

その果てない距離を、しかし水瓶座の精神はつなぐ。
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

崇高な理想は、胸に宿れば素晴らしい情熱の源にもなりますが、
同時に恐怖も生み出します。
 

 

 

理想が美しいほど、今の自分の現状から程遠いと思えるからです。

 

 

言うなればそれは「嘘をついている」ような気分です。
 
 

 

 

 

 

 

こうした感覚の根底にあるのは、
 「自然のまま、あるがままの状態を偽ることは「悪」である」

という刷り込みのような無意識の認識です。
 

 

 

 

 

 
これは人類の集合意識に根付いた「古典意識」と呼んでもいいものですが、

 

科学主義の否定やナチュラル志向と結びついて

なんだか説得力を持ちやすいので厄介です。
 
 


 
 
自然と調和するのは大切ですが、

それが「人工物の全否定」になってしまうのは

時代逆行しているのと同じです。
 
 
 
繰り返しますが、私たちもまた、世界に撒かれたのです。
 
 

 

 

創造された世界の中で、受動的であり、調和的である、

他の自然の中で、たった一つ、

その自然に逆らい得る知性を持たされた精神として。
 

 

 
唯一、他の被造物とは逆方向のベクトルを持たされたものとして。
 
 

 

 

 

私たちはこの2017年に至ってようやく、
なぜ私たちだけが世界に調和できなかったのか、

その真相にたどり着こうとしています。
 
 

 

 

 

つまり、私たちはやがて新しい創造者に生まれ変わるために、

撒かれた種だったのだということに。
 
 

 

 

ここに至って創造とは、

 

 

与えられたものを、

天与の現状を、

あるがままに受け止める状態から一歩脱して、

「自然状態に手を加える」

「改変する」ということに他ならないことに気がつきます。
 
 

 

 

そこには「意志」があり、「人為」があります。
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

♦︎水瓶座のメッセージ

 

 

創造とはある意味で、与えられた現状を斜めに見て、

否定していくということだ。
 

 

 

 

 

勝負は配られたカードでするしかないというが、

ならばそのゲームのルールそのものにも疑いの目を向け、

否定していく。
 

 

 

 

 
「存在するもの」は完璧ではあり得ない。
この世が「在る」ものならば、それは必ず過ちを含む。


 
 
地上から見上げれば理想郷でしかない

星々の次元にさえ過ちがあるのだから、

人間の世界については改めて述べるまでもない。

 

 
 

 

 

理念をはっきり見る視力を持つものにとっては、現状は惨劇でしかない。
 
 

 

 

 

ならば、否定しよう。

 

手を加えよう。

 

配られたカードで勝てそうもないなら、

裏技を使おう。

 

ルールをひっくり返そう。
 
 

 

 

 

戦ってはいけない?
あるがままに、現状を受け入れろ?
自分の実力にふさわしい振る舞いをしろ?
 
 

 

それは「システム」の外に出る気がないものの物言いだ。
 

 
 

 
現状を受け入れ、実力にふさわしい振る舞いをして幸せになれるのは、「システム」の中で生きていけるものだけだ。
 
 
 

 

戦地で生まれた子供に
両親から虐待される子に
友達にいじめられて、自ら命を絶つ子に

そして星の精神を持って生まれた新しい子供達に 

 

 

すでに初めから自分がこの「システム」の中で、

居場所をもらえなかったと知っているものに、

そんな言葉は届かない。
 
 
 
 

 

だから私は現状を否定する。
ルールを見直し、世界を書き換える。
 
 
 

 

生まれてきた時には、すでにぐちゃぐちゃで、大人も途方に暮れていたこの世界。
 

 

 

 

いきなり大変なバトンを渡された私たちに、

唯一、与えられた有効なカードは、この叛逆する知性だ。
 
 

 

 
だから、知恵を絞る。
 
 
 
今できないことが、将来に渡ってずっとできないとは限らない。
だからちょっとばかり先取りして「できる」と大風呂敷を広げる。
 
 

 

 

それを嘘と呼ぶなら、まあ、嘘ということにしてもいい。
 
 

一世一代の大嘘。それを誠にしていくのが人生だ。
 
 
 

 

 

すべてのクリエーションは真似から始まる。
 
神の作りしこの世界に人為を加えていこうなんて、

そもそも人間なんて傲慢な存在なんだから。
 

 

 

それでいいじゃないか。
 
 
 
自分を輝かしく素晴らしい存在だなんて、

信じられないなら信じなくてもいい。
 

 

 

実際、聞かされるほど素敵じゃないことは自分が一番よく知ってる。
 
 

 

 

 

でもさ。
 
だからこそ思う。
 
 
 

 

 

人が誰しも神聖で、

すべての命が素晴らしく、

生きる価値があると言うのは、

 

 

何も私やあなたの人格が優れているとか、

行動が模範的だとか、

善良であるとか、

やればできるはず!とか
そういうことを言っているんじゃなくて、
 
 

 

生まれたということ、

生きてるということだけで、

もうその基準は満たしてしまっているんだということ。
 
 

 

 

「基本的人権」とはつまり、「生まれただけですごい」だ。
 
 

 

 

それだけで

「神が認めた認定シール」はみんな持ってるわけだから、
これ以上他の人の発行する「シール」を集める必要はない。
 
 

それはつまり、

私たちは嫌な奴になったり、

ダメな奴になったりしても構わないってことだ。
 
 
 

 

 

 

だから徹底的に否定しよう。
 

 

 

嘘くさい笑顔も。

とにかく怒るな・戦うな・仲良くしろと、

一切のネガティビティを無かったことのように消しゴムで消そうとする、

お題目だけの平和主義も。
 

 

 

 

そんなイイコじゃないだろう。私たちは。
ダサくてくだらないところが、多分チャームポイントなんだ。
 
 

 

 

出来上がった世界の現状に、何かを求めたりはもうしない。
それよりももっとシンプルで、自明の真理がのびのびと羽を伸ばせる、新しい世界を創ろう。世界を書き換えよう。
 
 

 

 

わたしは「日本人」じゃなくてわたしで、
あなたも「韓国人」じゃなくてあなたで、
 

 

 

 

そういう簡単なところから対話しよう。

 

 

まあ、お互いさして頭が良くもなく、いい人でもなく、

自分の人生を生きるのに精一杯だけど。

 

 

どうやらお互い「生きててスゴイ」っていう認定シールを持って、

同じ時代にいるみたいだ。

 

 
そして、そのことには多分意味がある。
 
 

 

 

 

道ですれ違ったとか、たまたま隣に座ったとか、Facebookでつながったとか。
そういう偶然みたいなことに、本当は一番奇跡があるんだ。
 
 

 

人と人が出会って、対話することで世界は動いているんだから。
 
 

 

そのシンプルな対話を邪魔してるものが何か分かる?
余計な「シール」だよ。その「タイトル」。
 
 

 

 

自分の定義が増えるほど、人と繋がれなくなっていく。
 
 

 

余計なシールを量産して、

それをたくさん持ってないと出来損ないみたいに扱ってくる、

呪いみたいなシステムを、だから全否定しよう。
 
 

 

 

 

時はついに2017年。
速いインターネットと無料で学べる良質な情報と創造のツールが揃ってる。
 
 

 

水瓶座のアイオーン。
私たちは、有史以来初めて、真の意味で「システム」から脱出しようとしている。
 

 

 

 

 

肩書きではなく友愛で。
戦争ではなく対話で。

 

 

命の「あたりまえの奇跡」を生きる時代。

 

 

 
 
 

肩書きが全部消えた世界を想像してごらんよ。

 

世界には友達しかいなくなるんだ。

 

 

 

 

 

 

岡崎直子

 

 

 

 

 

 

 

_________________

INFORMATION

 

 

 

満員御礼につき、増席決定しました!

2月25日(土)13:30-19:00

エネルギー&実戦で文章力を磨く1DAY特別プログラム

【ライティング講座】言の葉の魔法の参加申し込みはこちら

☆1月31日までの早割アリ!

☆2月6日、15:00までの早割アリ!

 

満員御礼となっていた【ライティング講座】に

たくさんのお問合せをいただきありがとうございました。

今回ご要望にお応えし、

大きな会場に変更してお席を追加させていただくことになりました。

 

変更後の会場も東京港区・六本木付近になる予定です。

近日中にすでにお申し込みいただいた皆様にも合わせて

新会場のご連絡をさせていただきます。

 

また、それに伴い、早割の期間を2月6日(月)15:00までに

延長させていただくこととなりました。

 

参加をご検討の皆様は、ぜひこの早割をご活用ください。

 

 

 

 

 

新規開講!トゥルータロットスクール初級全4回

初回 2017年2月18日(土)&19日(日)

 トゥルータロットスクール初級(全4回)の参加申し込みはこちら

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  リブログ(2)