〜Crossing〜岡崎直子の新時代スピリチュアリズム&フィロソフィア

タロットや星、カバラ、アルケミーなどの伝統神秘学は、ただ吉凶を占うためのものではなく、意識的にあなたの現実を豊かに・幸せに・ロマンティックに創造するためのツール。
あなたの幸せが世界を輝かせる、新しい時代のためのスピリチュアリズムをお伝えします。


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2017年からの創造時代、

私たちの意識がどのように変わって行くかを書いた連続記事。

 

 

本日はその第3回目、ちょっと恋愛テイスト(?)です。

 

 

 

まだ読まれていない方は、ぜひ第一回、第二回の記事も目を通していただけると、

より分かりやすいと思います。

 

 

 

 

こちらからどうぞ

↓ ↓ ↓

_____________________

 

第一回目【創造時代論ベーシック】変わる「五感」と日本文化

 

第二回目【創造時代論ベーシック②】思いは必ず、事に触れて来る

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

さて、昨日の記事の最後に私は、

 

 

あなたの目の前に展開している世界、あなたが五感を通して体験し、一つ一つの思い出を積み重ね、とてもプライベートな意味づけを行ってきた「世界」というのは、実はとても主観的な場所であることがわかる。


世界で唯一、あなただけが体験している、オリジナルな世界。

他の誰もあなたに成り代わって覗くことのできない、超プライベート空間。

 

人は誰もが、この超プライベートな空間の中に森羅万象・全宇宙を宿しているということになる。

 

 

と書きました。

 

 

 

 

私たちの五感を通して立ち現れてくる「空間」の正体がそのような、一人一人にとっての超プライベート空間ならば、

 

普段私たちが日常語として語っている「社会」や「世界」や「世間」、
いわゆる人類の共通認識としての「客観世界」というのは一体どうなっているのでしょうか?

 

 

今日はその辺りの話題を掘り下げていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●内部感覚と外部感覚の反転

 

 

 

 

昔から神秘学の世界で言われる、「As within, So without」という言葉。

 

内にあるものは外にもあり。外にあるものは内にもあり。

 

 

 


よく、心の世界が人生を作っているんですよ、とか
あなたの部屋の状態が心の状態ですよ、とか言いますが、

 

 

昨日の文脈に従うならば、目の前に展開している世界は、

あなた自身が意味づけを与えた、いわばあなたの心そのものなのだから、

それは当然の話です。

 

 

 

ここでちょっと立ち止まって考えてみていただきたいのですが、

 

 


通常、私たちは「心の中」は「見えない世界」だと思っています。

 


「心」=「見えない」=「内側の世界」


こう思っていますよね?

 

 

 

 

対して、「物質」のことは「見える」と思っています。

 


「物質」=「見える」=「外側の世界」

 

ですよね?

 

 

 


しかし、「目の前に展開されている世界が私の心そのもの」なのだから、実際には「心の世界」は「見えて」います。

 

 

 

 

見えるし、聴こえるし、触れるし、味わえるし、香りがする。

 

 

あなたが五感とともに感じ取っているその「風景」は、世界でただ一人、あなただけが触れられる超プライベートな空間なのですから、
当然それはあなたから見えています。

 

 


「目に見えない不確かな世界」だと思われてきた「心の世界」とは、

あなたの眼前に展開される現象世界そのものなのです。

 

 

 


さて一方、今まで「見える世界」と呼ばれてきた「物質」の方はどうでしょうか。

 

物質は、見えていると思いますよね。

 

 

 

ですが、よく考えてみると、視覚的に見えているのは、物質の表面のある一面だけです。

 

 


私たちは、立方体とか、円錐とか、ピラミッド型だとか、

物質を3Dのかさばりのある存在だと認識していますが、

こと「視覚」に限って言えば、そんな立体の全体像を見たことなどありません。

 

 

 


見ているのはいつも、写真や絵画やパソコンの画面の映像と同じく、遠近法のルールに則って描像された、物質のある一面です。

 

 

 

 

 

物体の3D感を感知しているのは、むしろ視覚よりも触覚です。

 

 


手で触れて、そのかさばりを感じて、そこに物体があると認識します。

 

 

 

しかし、実際のところ私たちの手が触れているのは、その物質の「表面」です。

 

 


コーヒーカップの表面を掴んで、これ以上私の手が侵入できない、つるりとした境界面を感じる。

 

 


それは、別の言い方をするのならば、「触れられない領域」を認識しているとも言えます。

 

 

 

 

 

物質のかさばり。
その内部に、私たちは触れることができません。

 

 

 

 

コーヒーカップを落として割ったとしましょう。


陶器は破片に分かれて四散します。


それまで塗装の内側に隠れていた部分が、断面として姿を現します。

 

 


しかし、外側に姿を現した途端、それはやはり「コーヒーカップの破片」の「表面」になってしまいます。

 

 

 

 

その内部に決して触れることができない「かさばり」。

 


触れられないどころか、物質の内部で響いている音も、匂いも、味も、風景も、私たちには感知できません。

 

 

五感の感知を拒む永遠の闇。

 


それが、私たちが「物質」と呼んでいるものです。

 

 

 

 

 

どうでしょうか?


私たちの知覚している現実に立脚すると、
今まで私たちが世界の常識だと固く信じてきた認識が、ぐるりとひっくり返ってしまうことが分かります。

 

 

 

 

 

つまり、


「心」=目に見える、五感で感じられる現象世界=外部

 

「物質」=目に見えない、五感で感知できない不可知ゾーン=内部

 

内と外は、反対になります。

 

 


さて、では私たちの「世界」の認識は、なぜ今までひっくり返っていたのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 


♦︎あなたの見ている世界

 

 

 

 

恋をしたことがある人ならば、「あの人が私のことをどう思ってるのか知りたい」と思ったことがあるでしょう。

 

 

 


だってそれは、宇宙の謎なのです。

 

 


私たちはこんなにも物質的に豊かな国に住んで、福祉もそれなりに充実していて、娯楽もたくさんあって、欲しいものは大抵(まあちょっと頑張れば)買えるというのに。

 

 


それだけが手に入らない。
どうやっても。
どうあがいても。

 

 


あの人が何を考えているのか。

 

何を思っているのか。

 

その目にはどんな風景が映し出されて、

どんな想いが胸に去来して、

どんな思い出を積み重ねて、

今私の目の前にいるあなたに成ったのか。

 

 

 


私は知らないし、知り得ない。

 

 

 


だから腕に残る小さい頃のやんちゃの傷や、
昔可愛がっていた猫の話や、
故郷でどんな家族と育ったのか、
深く傷ついたこと、
感動に打ち震えたこと、

 

 

その片鱗でも話して聞かせてくれたなら、それはアカデミー賞の感動作も霞むくらいの魅惑を私にもたらしてくれる。

 

 

 


だけどそれでも、語られる言葉は思い出の表面。

 

 

 


コーヒーカップの表面には触れても、決してその内部に侵入できないように、
語られる体験の内側で、あなたが実際に見てきた風景を、私は知り得ない。

 

 

 


触れ合って、抱きしめて、
この輪郭よ、溶けてしまえと願うけれど、
そんな願いが叶えられた試しは一度だってない。

 

 

 

 


だから私はいつだって寂しい。


誰と一緒にいても。

 

 

 


あなたの言葉が本当かどうか分からない。


確かめようもないことだから。

 

 

 

 

 

 


「愛してる」に何の意味がある?


あなたはいずれ、あなたの世界とともに必ず私の前から去っていくのに。

 

 

 

 

 

 

 


宇宙いちばんの謎。
「他者の見ている世界」

 

 

 

 

私たちの認識の中で「見える」と「見えない」がひっくり返ってしまって、私たちの意識が物質偏重に陥ってしまっているその原因。

 

 

それは「あなたの見ている世界を知りたい」という、

どうしようもない悲願が生み出した悲劇と言ってもいいかもしれません。

 

 

 


私たちは物質を分解して、その中に何があるのかずっと調べてきました。


物質の性質を調べ、物質を化合したり、新しい物質を作り出したり。

 

 


それは、「見えないものを見たい」「不可知のものを知りたい」という欲から生まれた行為。

 

 

 

しかし、壊しても壊しても、その中から私たちが本当に欲しいものは見えてきませんでした。
(素粒子の発見と量子力学の発展によって、そこに思いがけないドアが開こうとしているのが現代なんですけれど)

 

 

 

壊して壊して分解して、決して見えない物質の「中身」を取り出そうとする。

 

悲恋のごとき妄執。

 


それこそ、人間の歴史の根底にあるものです。

 

 

(西洋科学史では「自然は神の二書」と呼ばれ、聖書とともに、神の手によって描かれた作品が、自然界の物質だったのです。

科学の発展とはまさに、物質から神を取り出そうとする行為でした)

 

 


しかしその過程で、私たちは自分の目の前に当たり前に「見えていた」世界を見失ってしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎見られている「物質」としてのわたし

 

 

 

 

さて、最初の項で、

 

 

「心」=目に見える、五感で感じられる現象世界=外部

「物質」=目に見えない、五感で感知できない不可知ゾーン=内部

 


というのが実際の知覚認識だ、と書きました。

 

 

 

この「実際の知覚認識」というのが何かというと、
つまりそれは「自分自身から見えている世界」ということです。

 

 

 

しかし、人類の共通認識としては、この感覚はひっくり返っています。

 

この「心」は「見える」、「物質」は「見えない」、という関係性をひっくり返す存在がいるからです。

 

 

 

 

それは「他人」です。

 

 

 

 

つまり、わたしから見て「あなたの心」は、見えない。

しかし、「あなたの身体(物質)の表面」は、見える。

 

 

 


そして、あなたの「心」はきっとその「身体(物質)」の内側に宿っているんだろうと思う。

 

なぜなら、それはわたしから見えないから。

 

 

見えないものは内側にあるもの。

見えるものは外側にあるもの。

 

 

 

(あなたの)心は内側にあり、見えない。

(あなたの)身体(物質)は外側にあり、見える。

 

 

 

 

私たちはこうして、意識の主体を他者の位置に置くことで、

物質偏重の意識を作り上げてきたのです。

 


そしてこうした意識のもと、消費主義、物質主義の「客観的社会」という概念が生まれてきました。

 

 

 

だから私たちはいつだって「他人にどう見られるのか」を気にしているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

続きはまた明日(たぶん)!

 

岡崎直子

 

 

 

 

 

 

※こちらの「創造時代論ベーシック」の連載記事は、ヌーソロジーを基底に考察しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その本質は、よく知られる「占い」ではなく、
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あなた自身の霊を知るために。
あなたの魂のレシピを知るために。
あなたの人生のシナリオを描くために。

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2017年からの創造時代、

私たちの意識がどのように変わって行くかを書いた連続記事。

 

本日はその第2回目です。

 

 

 

 

さて、前回の記事「【創造時代論ベーシック】変わる「五感」と日本文化」で

 

「小さいパーツが集まって大きなものを作る」
という物質ルールと、

 

 


「たった一輪の花が広大な空間全体のイメージを一新する」
という空間ルール(仮にそう呼びます)を取り上げました。

 

 


家具一つない、広大な和室の床の間に、たった一輪飾られた花。

 


それは【物質ルール】で考えるなら、部屋を構成する要素のたった一部が変更されただけです。

 

 

実際、思考が【物質ルール】寄りになっているときは、私たちもそこに花が飾られていることすら気がつかないかもしれません。

 

物質ルールで見るなら、それは取るに足らない、些細なパーツですから。

 

 

 

 

しかし、こと「空間」を主役としてみたとき、そこに花が一輪あるとないとでは全く雰囲気が違います。

 

 

 

 

 

それは例えばこんなシーンにもみてとることができます。

 

 

 

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上司が出張に出て、その日一日オフィスに来ないとなったら、
途端に空気が「ゆるく」なって、みんなのびのびし出す。

 

いつもよりおしゃべりも多めで楽しく働いていたところ、
急に夕方になって、「思ったより早く片付いたから日帰りにしたよ」と上司がやってくる。

 

するとまた途端に、空気がピリッと緊張して、

おしゃべりも止み、みんな急に仕事に集中し出す。

 

 

_________________________________________________

 

 

 

 

 

 

会社を人間というパーツの集まりと考えるなら、なぜその中のほんの一人がいるかいないかで、全体の「空気」がこんなに影響を受けるのでしょうか?

 

 


それは「上司」が他の人よりも「全体にとってより重要なパーツ」だからだ、と思うかもしれません。

 

 

 

 

しかしそうとは限らないのです。

 

 

 


例えばこうだったらどうでしょう?

 

 

 

 

 

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あなたには、職場に気になっている人がいます。

彼の顔を見かけたり、ちょっと目が合って微笑みあったりするだけで、幸せな気分です。

 

しかしある日、あなたはその彼と別の部署の女性が、とても親しげに連れ立って会社から帰っていくのを見かけます。

 

付き合っているのか? ただどこかの飲み会に行く途中? わかりません。

 

聞こうにも、聞くきっかけがつかめません。

 

 

彼が同じオフィスで働いていると、あなたは幸せです。

オフィスは明るく、ウキウキするような空気で満ちています。

 

 

ところが、例の彼女が別の部署からあなたのいる部署を訪ねてくると、途端にオフィスの空気は重く感じられます。

何か不穏なこと、嫌なことが起こりかねない雰囲気に一瞬にして塗り替えられてしまいます。

 

 

 

_________________________________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎部分と全体

 


こんな話を聞いたことがあるかもしれません。

 

私たちの肉体を構成する何兆個もの細胞は、実はその一つ一つの中に全身を作り上げられるだけの情報を持っているのだと。

 

 

 


海の雫の一滴には、海洋全体の、そしてそこに連なるすべての水が旅をしてきたすべての歴史の記憶が宿っていると。

 

 


細胞も、水も、私が今吸い込んだこの風も、物質を構成するすべての元素は、星を作っているのと同じ素粒子からできている。

 

ならば、私たちは森羅万象と共に、宇宙創成からの記憶を共有しているのだろう。

 

 

 

 

一曲のピアノ曲の中の1音。

 

そのブルーノートの類い稀なる1音は、曲全体を構成するためのパーツとしての1音でもあるけれど、その1音の中にはそこまでに奏でられたすべての音と、そこから奏でられるすべての音が、含まれている。

 

 

 

だから胸に響くのだ。

 

 

 

 

 

 

「小さな部分が集まって大きなものを作る」という物質ルールは、

間違いではないけれどまったくもって不完全だ。

 

 

 

なぜなら、物質は物質だけで存在することは決してないから。

 

 

 

物質は必ず、空間とともに登場する。

 

 

 

 

 

そして物質に偏った知覚認識では、意識的に目にも映らないこの「空間」には、私たちにとって実はとても馴染み深いものがたくさん宿っている。

 

 

 


簡単に言ってしまうなら、それらは私たちの「感情」であり「想い」であり「記憶」だ。

 

 

 

それこそ、物質に存在を与えるもの。

 

物質の輪郭を象るもの。

 

部分と全体を結びあわせ、心に「特別」を創り出すもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎「空間」はどこにある?

 


さて、人生が展開する舞台そのものでもあり、
現れては消えて行く登場人物に対して常にそこにあり続け、
あらゆる物語の展開を許容している「空間」は、一体どこにあるだろう?

 

 

 

 

自分の感覚に立ち返ってみるならば、当然ながらそれは「自分の目の前」にある。

 

 


「後ろにも空間はある」と思われるかもしれない。

ふむふむ、確かに。

 

 


別の言い方をしよう。

 


空間は「知覚(五感)の中に現れている」。

 


だから「視覚」でいうなら、空間は前にしかない。

 

 

 

 

 


世界は必ず、五感を通して私たちの元に立ち現れる。

 

 

五感を通して展開する「世界」。

 

その意味で、私たちは五感がそれぞれに展開する5種類の空間に、

同時に生きているとも言える。


(中でもダントツで圧倒的に優勢なのが「視覚世界」「視覚空間」。)

 

 

 

 

 

さて、五感の中に生み出されている、展開される世界の中で、圧倒的に特異な、強烈な感覚をもたらす点がある。

 

 

 


それは、「肉体」のある場所です。

 

 

 

 

そこには、強烈な「身体内部感覚」があり、それは常に肉体的反応を伴いながら、五感を通してもたらされる「世界」からの刺激に対して、「快感」か「不快感」かを感じ取っている。

 

 

 

 

好きな人の姿を見たり、声を聞いたりしたなら「快感」を。

 

恋のライバルや嫌な上司の姿を見たり、声を聞いたりしたなら「不快感」を。

 

 

 

それは思考や感情よりもプリミティブで即時的な、そして圧倒的に強烈で確かな反応。

 

 

 

 

 

その「快・不快」の内的な反応が、その瞬間に展開されている「世界」に色付けを返す。


そしてそこに、様々な“フィーリング(感情)”が生み出される。

 

 

 

 

 

 

世界が展開する「舞台」である空間に、意味を与え、彩りと味わいを与えているのは「私自身」なのだ。

 

 

 

 


そして時に、一つの物質、一つの物質的存在に私が与えた「意味」や「想い」が、その瞬間に展開されている私の目の前の「世界全体」の意味を塗り替えて行くこともあるのだ。

 

 

 

 


吉田兼好が言った通り、「思いは必ず事に触れてやって来る」のだ。

 

筆を取れば書を書こうかと思い、盃を掴めば酒を思い、サイコロを手に取れば博打をしたいと思う。

 

 


しかしそれは単なる無機質な物質に触れたから生まれるのではなく、
物質の周りに広がる「空間」。

 

そこにまとわりついた「記憶」や「思い」、至極パーソナルでプライベートな、

私の中の意味づけによって、生まれて来るのだ。

 

 

 

 

このような考えに立った時、あなたの目の前に展開している世界、あなたが五感を通して体験し、一つ一つの思い出を積み重ね、とてもプライベートな意味づけを行ってきた「世界」というのは、実はとても主観的な場所であることがわかる。

 

 

 


世界で唯一、あなただけが体験している、オリジナルな世界。

 

他の誰もあなたに成り代わって覗くことのできない、超プライベート空間。

 

 

 

 

人は誰もが、この超プライベートな空間の中に森羅万象・全宇宙を宿しているということになる。

 

 

 

 

 

 

明日(たぶん)に続きます!

 

 

 

 

岡崎直子

 

 

 

 

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いわば人類史の始まりと共に生まれた意識哲学。

その本質は、よく知られる「占い」ではなく、
内なる神々や精霊、天使たちとつながって交流するための
不可欠の知恵だったのです。

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あなたの魂のレシピを知るために。
あなたの人生のシナリオを描くために。

星の叡智はあるのです。

 

 

 


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私たちの知覚や認識は、これまで物質に大きく偏っていました。

 

 

「小さいパーツが寄り集まって、大きなものができる」という発想は、私たちのデイリーな知覚の中で当たり前に感知している「この世の成り立ち」だと認識されています。

 

 


そしてこの認識をベースに、一人一人の人生の行動様式や、社会のあらゆる仕組みが出来上がっています。

 


私たちはこの考え方にあまりにも慣れすぎていて、
自分の思考回路がいつもそのように働いていることに自覚が持てないほどです。

 

 

 


あらゆる物事を「小さなパーツ」とみて、

それが寄り集まり、組み立てられることで「大きなもの」ができる。

 

 

 


ほとんどすべての物事を、当たり前にこの認識の中で理解しています。

 

 

 

 


例えば「時間」をパーツ化すると、

[毎日コツコツ練習して、一つのピアノ曲が弾けるようになる]

 


「空間」をパーツ化すると

[メインベッドルームとリビング、ダイニングで1LDKのアパート]

 


人間をパーツ化すると

[一人一人の人間が集まって、日本という国を作っている]

 


音楽をパーツ化すると

[1音1音が集合して、一つの曲になる]

 


小説をパーツ化すると

[一文字一文字が集合して、一つのストーリーになる]

 

 

 

 

 

これが当たり前のような感じがしますよね。

 

 

なぜ当たり前のような気がするかというと、

私たちの知覚認識がそうなっているからです。

 

 

 


「1LDKのアパートが集まってメインベッドルームを作っている」と言われるとロジックが破綻してしまいます。

 

 

 

 

 


大きいものの中に小さいものは入れられる。
だけど小さいものの中には大きいものは入らない。

 

 

 


わたしはベッドの上に寝っ転がれるけど、
ベッドはわたしの上に寝っ転がれない。
(やられたら苦しい。理屈に合わない)

 

 


それはベッドの方がわたしの体より大きいからだ。

 

 

 


もはや当たり前すぎて、わざわざ言明する意味がわからないくらいの常識的感覚。

 

 

 

 

“かさばり”の世界。
質量のある世界では、

この「小さなパーツが大きなものを作る」ルールは破綻なく素晴らしく機能する。

 

 


なので、私たちは自分の人生にうまくいかないことや不具合を見つけた時にも、容易にこの「小さなパーツが大きなものを作る」ルールの中で解決策を探そうとします。

 

 

 


例えば「試験に受からないのは、勉強する【時間量】が足りないからだ」とか。

 

時間の、努力の、情熱の、本気の、想像力の、知識の、コミュニケーションの、【量】に原因を求める考え方は、すべてこの「小さなパーツが大きなものを作る」ルールの発想です。

 

 

 


繰り返しますが、このルールは物質原理の世界では非常に素晴らしく機能するので、実際に量的な問題を解消することでガラリと結果が変わるケースもたくさんあります。

 

 

 

 

そして最近は、【量】ではなく、パーツの【質】に注目するような考え方も流行っていますよね。

 

 

 

無闇矢鱈な猛烈努力はあまり効率が良くなくて、

「それよりも集中して【質】のいい時間の使い方をしよう」とか、
「短時間でも【質】のいい睡眠をとろう」とか。

 

 

 


この考え方はなかなか面白い視点の転換なんですが、
しかしそれも「小さなパーツが大きなものを作る」ルールにすっかり浸りきった頭の中で解釈してしまうと、真価が発揮されません。

 

 

 

 

 

【質】を大切にしよう=「一つ一つ丁寧にやろう」

 

 

だと単純解釈してしまうと、パーツに宿る【質】の意味が見えないままです。

 

 

 

真意が見えないまま、時間や睡眠やコミュニケーションの【質】を上げようとすると、結局そのために新たな労力がかかって、最初は良くても続かないか、
続いたとしても結果に繋がらない、ということになったりします。

 

 

 

それはやはり、根本的なところで私たちの意識が物質ルールの外に出ていないからです。

 

 

 

 

 


さて、2017年創造時代。

 

 

時代が変わる、意識の位置が変わる、自我が解体されると書いてきましたが、
その具体的に意味するところはなんなのかというと、

この当たり前の「小さなパーツが大きなものを作る」感覚が変わるということ。

 

 

 

私たちの知覚認識が、この物質ルール以外のところに焦点を当てるようになるということ。

 

 

 

 

シリーズ記事【創造時代論ベーシック】では、これから数回にわたってこの「知覚認識の変化」についてなるべく詳しく書いていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎日本の空間美学

 

 

「大きなものは小さなものには入らない」という当たり前のロジックがひっくり返るシーンが、実は私たちの日常の中にもあります。

 

 

 

特に日本の文化の中には顕著です。

 

 

 

 


まあ、いきなり当然のことを言うようですが、

折り畳んだり、丸めたり、“かさばり”を減らすことで、

大きなものもコンパクトにすることができますよね。

 

 

 

 

(それに、厳密に物質ではありませんが、

ICチップの中に格納される膨大なデータなど、

コンピュータリゼーションの中では「量的かさばりを持つもの」を

「コンパクトにする」ことは常識ですよね。)

 

 

 

日本の精神の中では、作り上げた物質を固定させずに、

いかに自由自在にフラットに戻したり、

解きほどいたり、また再構成できるか

というところに意識が向けられているのを感じます。

 

 

 

 

 

例えば帯や着物は解いて畳むと“かさ”のない平面の布地です。

 

扇や提灯、傘も、折りたたむと“かさ”がぐっと減ります。

 

布団やちゃぶ台も、たたんで押し入れに収納することができます。

 

 


そうして部屋に出ているあらゆる“かさばり”を畳んで格納してしまうと、後には静謐な空間だけが残されます。

 

 

 


出現し、展開されることと、退場し、折りたたまれることとが等価値。

 

 

 

 

これは、物質だけに目を向ける意識ではなかなか生まれてこない感性ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

以前Facebookでアラブの王様が天皇陛下と皇居で会談した写真が海外で話題になっているとニュースになっていました。

 

 

 


国主の謁見室が勲章も彫像も絵画も赤絨毯もなく、

あまりにミニマルでシンプルな空間だったからです。

 

 

 

空間を生かし、威信を仰々しく主張しない皇居のあり方に、

多くの人々が感銘を受けたようでした。

 

 

 

 

 

折りたたまれ、収納され、使う時以外は空間に出さない。

 

 

 

日本文化の精神では、「一つ一つのものには収納されるべき場所が必ず決まって」います。

 

 

 

 

 


家具一つ残さない和室の床の間に、花が一輪だけあるような、この感性。


それはまるで、主役は「物質」ではなく「空間」だと言っているかのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

“かさばり”を持ってこの世という舞台に登場する様々なもの。

(そこにはもちろん、身体という物質を伴って登場する人間たちも含まれていますが)

 

 

 


それは、浮世の川を漂う木の葉のように儚い存在で、

ほんのひと時舞台に登場しては、また退場していく。

 

 

 


朽ちて行かない物質はありません。

 

“かさばり”を持ったものは、必ず滅びる。

 

 

 


しかしそんな、ポッと現れ、ひとときの悲喜こもごものドラマを演じてはまた去っていく“かさばり”の世界にあって、唯一永遠の姿でそこにあり続けるもの。

 

 

 

 

それが、「空間」です。

 

 

 

 

 

 

空間や物質は「五感」によって私たちの認識の中に姿を現していますが、

先に書いた通り、私たちの知覚認識は物質の方にばかり偏っていて、

空間の方になかなか焦点が当たりません。

 

 

 

 

 

現状の知覚感覚の中では、

私たちは「空間」もまた「物質」と同じように取り扱ってしまいます。

 

 

 

 

つまり、
[メインベッドルームとリビング、ダイニングで1LDKのアパート]

のように、壁で区切ってその中に生まれたスペースを、「空間」として量的に取り扱うのです。

 

 


しかしそれは「空間」の本当の本質とは違うものです。

 

 

 

 

 

私たちの知覚認識が「空間」に向くと、

「小さいパーツが寄り集まって、大きなものができる」という

物質ルール主導で動いていた意識に、大きな変化が訪れます。

 

 

 

 

 


それは例えばこんな感覚。

 

 

 


家具も何もない、広大な和室の床の間に、一輪だけ飾られる花。

 

 

 

それが「紫のアヤメ」の時と、

「紅の侘助椿」の時では、

その広大な空間全体のもつイメージが全く変わってしまいます。

 

 

 

 

 

これは、「全体は部分の集合したもの」という物質の概念とは全く違う感覚世界です。

 

 

一輪の花が、広大な領域全体に一瞬にして影響を及ぼす。

 

 

 

 

 

物質は、より小さな物質のパーツから組み立てられているけれど、
空間は量的なもので組み立てられているのではない。

 

 

 

 

 


それではどんな組み立てで空間は成り立っているのか?


その話を、次回は掘り下げていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

今日のところは、最後に認識の基盤になっている五感(プラス内的感覚)のキーワードを取り上げて、終わりたいと思います。

 

 

 

 

【視覚】
現代人の感覚は80%は視覚に頼っているという。
認識のメインステージ。
しかし、視覚は空間に認識が行かない。
オートフォーカスで物質に目がいくようになっている。

物質に象られたものとしての空間が、現れているとも言える。

 


【聴覚】
言語と音楽。客観性。理性。時間的な幅の中で認識されるもの。遠い・近いの距離感覚を作るもの。

 


【触覚】
ものの全体性の認識。かさばり、境界線の認識であると共に、触れることで境界線を消して、自分自身と同化する作用。
触れているものは自分の延長になる。
(身につけている衣服や、ずっと座っている椅子は存在感が無くなってくる)
決して見ることのできないものを「見れる」のが触覚。
自分の顔は見えないけれど、触れる。
視覚の世界にないものを現出させる。

 

 

【嗅覚】
メモリー。匂いは記憶に直結する。
動物的本能。鼻が効く。危険察知。暴かれる潜在意識。

 

 

【味覚】
内部と外部をつなぐ。内部へ取り入れる。味わって反芻する。「食べる」に直結。これから消化(同化)しようとするものへの愛撫。

 

 

【快感・不快感】
五感のさらなる感受機能、身体内感覚としての「快感」「不快感」。
体感覚。触覚・嗅覚・味覚はここにダイレクトに直結。

 

 

 

 

 

 

 

 

岡崎直子でした

明日(たぶん)に続きます!

 

 

 

 

※こちらの「創造時代論ベーシック」の連載記事は、ヌーソロジーを基底に考察しています。

 

 

 

 

 

 

 

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【関連ブログ】ぜひ合わせてお読みください。

自我を解体するアストロロジー

 

 

 

 

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