〜Crossing〜岡崎直子の新時代スピリチュアリズム&フィロソフィア

タロットや星、カバラ、アルケミーなどの伝統神秘学は、ただ吉凶を占うためのものではなく、意識的にあなたの現実を豊かに・幸せに・ロマンティックに創造するためのツール。
あなたの幸せが世界を輝かせる、新しい時代のためのスピリチュアリズムをお伝えします。


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自分からは見えない「他者の心」は想像して(捏造して)

 

他者からは見えない「わたしの心」に至っては、

「想像上の他者の心から見たらわたしの心はきっとこう見えるだろう・こう見えて欲しい」という「想像のさらに想像」という虚像に堕として

 

 


もはや訳が分からないくらい混乱に陥っている私たちの「自我」。

 

 

 


そろそろ、この迷宮の中で見失ってしまった、

いちばん大切なものを取り戻すべき時がやってきています。

 

 

 


【創造時代論ベーシック】。

 

長々と語ってまいりましたが、ようやくまとめに入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

前回までの記事はこちらからどうぞ

↓ ↓ ↓

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第一回目【創造時代論ベーシック】変わる「五感」と日本文化

 

第二回目【創造時代論ベーシック②】思いは必ず、事に触れて来る

 

第三回目【創造時代論ベーシック③】宇宙でいちばんの謎

 

第四回目【創造時代論ベーシック④】ブラックボックス

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♦︎道徳とは弱者の復讐である

 

 

「神は死んだ」とニーチェは言いました。

 

 

 

キリスト教的世界観・道徳観が社会通念だった19世紀、

ニーチェはキリスト教的道徳をきっぱりと否定し、

【能動的ニヒリズム】の重要性を訴えました。

 

(「能動的」ニヒリズム、と言うからには、

「受動的」ニヒリズムもあるのですが、それは後述します)

 

 

 

 

ニーチェの訴えた「ルサンチマン」の概念は強烈です。

 

分かりやすく訳すなら、嫉妬や妬み、被害者意識といったところでしょうか。

 

 

 


富めるもの、勝者、生を謳歌するものに対する嫉妬と羨望の入り混じった憎悪の気持ち。

 

人間は誰しも、この激しく昏い感情を持っています。

 

 


ニーチェが鋭く喝破したのは、「弱者が強者を批判するときには、必ず【道徳】の名を借りる」というところです。

 

 

 


【道徳】。

 

 

それは別名【常識】と呼ばれたり、
【社会】であったり、
【世間】であったりします。

 

 

 

しかし【道徳】の論拠の担い手として最強のものとしてあげられるのは、

やはり【神】という概念でしょう。

 

 


特にキリスト教はその歴史において、

「貧しいもの」「弱きもの」「虐げられるもの」こそ「神の試練に耐えるもの」であり、

幸いであるという美学を説いてきました。

 

 

 

 

だからこそ、弱者が権力者や成功者を批判するときには、必ず声高に、神の名を使う。道徳で持って批判する。

 

 

 


金ばかり稼いで、誰にも分け与えないなんて品性下劣だ。

運に恵まれただけで努力していない。

人の言ってることをパクってばかりで、売れたのは客に媚びたからだ。


等々・・・・・・

 

 

 

 

それらの弁説は、成功していない、負けている、しょぼくれた現状の自分自身を肯定しようと必死である。

 

 

 

すなわち、お金も稼がず、有名にもならず、成功もせず、認められない、それこそ道徳的で、慎ましく、真理を真摯に追求する、神の認めたあるべき姿である、と。

 

 

 


しかしその内実、誰よりも成功を欲し、勝ちたいと思っている。

 

 

 

胸にくすぶる嫉妬の炎を、もっとも自分を高められる方法で排出するのが、【道徳】に名を借りたルサンチマンなのです。

 

 

 


ニーチェはそこを鋭く批判しました。

 

そしてだからこそ、道徳の主人である「神は死んだ」と言ったのです。

 

 

 

 

 

 

なぜ、ルサンチマンがそんなに問題なのか。

 

それは、欺瞞に満ちているという以上に自滅的な問題を孕んでいるからです。

 

 

 

 


ルサンチマンは生きる喜びを弱体化させる、とニーチェは言います。

 

 

 

 

 

成功者を嫉妬し批判し切り捨てることで、自分の内側で燃える「喜びを追求したい」という原初的欲望までも、一緒に否定してしまっているからです。

 

 

 

 

 

成功することは悪である。

 

 

 

他者に突きつけたその指先は、その実、自分自身の心に向けられている。

 

まさに自縄自縛です。

 

 

 

 

 

 

 

 

何か新しいことをやってみようと思うとき。


自分の感じたことを外に向かって発言しようと思うとき。

 

 

 


「人にどう思われるか怖い」
「批判されるのが怖い」

 

 

 


と言いますよね。

 

 

そう嘯く心のうちに、ルサンチマンがチロチロと燃えていないか、

私たちはよくよく注意する必要があります。

 

 

 

なぜ批判されるのが怖いのか?

 

 

 

それはあなたの心の中に、

成功すること、表現すること、欲しいものを求める生き方に対する嫉妬と、

それを悪だと弾劾する気持ちがくすぶっているせいかもしれません。

 

 

 

 

大人しく、社会のルールに従って、慎ましく生きること。

 

 

 

その生き方にどこかで飽き飽きしながら、

挑戦することを恐れている時、

 

 

私たちは、私たちの内なるルサンチマンと戦っているのです。

 

 

 

その激しい批判と憎悪の目。

 

 

 

【道徳】を振りかざして挑戦を差し止めようとする、自分の中の被害者意識と戦っているのです。

 

 

 

 

 

ようやく勇気を振り絞って、少しずつ自分自身を世界に向かって開示して、だんだんと結果も出るようになってきて・・・

 

 


しかしその段階にあっても、「ルサンチマン」は全てを台無しにするくらい強烈なパワーを持っています。

 

 

 


あなたが苦労して登っている階段を易々とかけていくライバルを目にしたとき。

 

あるいは、あなたのやってることを一切評価しない、歯牙にも掛けない人に馬鹿にされたような気分になったとき。

 

気合を入れて発表した作品が、期待したよりも全然、誰からも、評価されなかったときに。

 

あるいはあなたがそうやって必死で、仕事で身を立てようとしているときに、あなたの好きな人が別の誰かに盗られてしまったときに。

 

 

 


ルサンチマンの強烈な黒い炎は、容易に心を焼き尽くし、焼け野原にしてしまいます。

 

 

 

嫉妬の炎で相手を批判し尽くした後に残るのは、

自分には何の価値もない。才能もない。見向きもされない。頑張っても無駄だ。もう死んでしまいたい。

という、卑屈な、空っぽの、虚無の心だけです。

 

 

 


ルサンチマンは喜びを喰らう。

 

 

 

それまで、小さな喜びとともに積み重ねたステップを、意地悪い賽の河原の鬼のように、無に帰させてしまう。

 

 

 

 

 

だから、とてもとても危険なのです。

 

 

その危険性をまず、認識しなければいけません。

 

 

 

 

あなたが誰かを羨ましいと思う時。

 

自分には大したことはできないと謙遜して見せる時。

 

 

 

あなたは自分がとても「危険な発言」をしていることに気がつかないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてその上で。

もっと重要な大前提を思い出さなければいけません。

 

 

 


前回の記事で、この世のありとあらゆることは「妄想ゲーム」だと書きました。

 

 

 

これを日本語では「浮世」と言いますが、
水面に浮かんでは消える泡沫ほどにもはかない、実体がないのが自我で埋め尽くされたこの世界です。

 

 


そもそも「自我」自体が鏡に映った鏡像なのですから。

 

 

 

 


成功したい、手に入れたい、評価されたい、愛されたい。

 

 

 

全てブラックボックスを欲するがゆえに、そしてブラックボックスの中身を妄想するがゆえに生まれた、虚像の欲望です。

 

 

 

 

「妄想ゲーム」と言う言い方があまりに悪い意味に感じるようなら、別の表現をしましょう。

 

 

 

 

 

以前通っていた、モダンミステリースクールのファウンダー、グッドニー氏は、よくこんな表現をしていました。

 


「この世は遊園地だ」と。

 


生まれて死ぬまでの間。好きなアトラクションに乗って楽しむ、アミューズメントパーク。

 

 

 

 

 

だから、人生で起きるいかなる出来事も、あなたの真の実体に深刻な影響を及ぼすことなど、一切ないのです。

 

 

 

 

 

 

これをニーチェはもっと有り体に「人生には一切なんの意味もない」と言い切りました。

 

だからルサンチマンなんぞに振り回されるほどの価値もない。

そこまで深刻に悩まなければいけないようなことなど、ここには何一つない。

 

 

 

 


「成功したい!」
「うまくいきたい!」
「幸せになりたい!」

と思っているのも「自我」と言う仮象の妄想なら、

 


「私なんてなんの価値もない」
「もう死にたい」

と思っているのも「自我」と言う仮象の妄想です。

 

 

 

 

 

女優が舞台で演技しているのと同じ。

ほんとうのことではありません。

 

 

 


さて、「人生に意味なんてない」ことを心底受け入れたとき、
人の取る行動は二つある、とニーチェは言います。

 

 

 

 

 


それが、

【消極的ニヒリズム】と【積極的ニヒリズム】。

 

 

 

 

 

【消極的ニヒリズム】とは、
どうせこの世になんの意味も価値もないなら、何をやっても仕方がない。死ぬまで適当に生きればそれでいいじゃん。

 

 


という、ちょっと一昔前の典型的現代っ子みたいな、人生に投げやりになる態度。

今が良ければそれでいい、と言う快楽主義にも走りやすくなります。ルサンチマンに飲み込まれきった後の焼け野原と言ってもいでしょう。

 

 

 

 

 

そしてもう一方。これがとても大切。

 

 

 

【積極的ニヒリズム】。

 

「自我によって成り立ったこの世」がもたらすありとあらゆる価値を追い求めることを鮮やかに否定して、永劫回帰する妄想ゲームの外に脱出すること。

 

時間の外に出ること。
自我の外に出ること。
世界の外に出ること。

 

 

 

これを成し遂げる者を、ニーチェは「超人」と呼びました。

 

 

 

 

 


2017年からの創造時代。
私たちの自我はまさにニーチェの言う「超人」になっていこうとしています。

 

 


それは、描かれたシナリオの外に出ていくということ。

 


起承転結があり、障害を乗り越えて幸せになる。
そんな定番の人生ストーリーの、外部に出ていくということ。

 


そして、このシナリオの外部にいる自分自身の方が、シナリオの内部で生きている自分自身よりもずっとずっとリアリティのある存在であると、認識するようになっていくということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎【わたし】という特別な呼び名


さて、ここでようやく、前回の「鏡から生まれた私」・「仮面」の話に戻ります。

 

 

ニーチェの言う「超人」。

 

シナリオと時間の外部に主体の位置を見つけるためには、順を追って自分自身の意識を解放していく必要があります。

 

 

 

 

そのファーストステップは、まず、「妄想の中のさらなる妄想」、「鏡から生まれた自我」に気がついて、そこから脱出する必要があります。

 

 

 

 

 


前回私は、


「この世にいるすべての他人は、あなたの顔を見ることができる。
たった一人、あなただけがあなたの顔を見ることができない。」


と書きました。

 

 

 

 


この事実とちょうど反対の関係のあるのが、【わたし】という呼称です。

 

 

 

 

【わたし】という呼び名が外側から耳に入ってきたとき、それは決して【わたし】のことを指し示していない。

 

 

 


それは【あなた】が【あなた自身】を指し示す呼び名として聞こえてくる。

 

 


【わたし】が自らのことを呼称する時、【わたし】という言葉は内的存在の全てを包括した呼称として、【わたし】の内側に響き渡る。

 

 

 


【あなた】は【わたし】を【わたし】と呼ぶことはできない。


世界で唯一、【わたし】だけが、【わたし】を【わたし】と呼ぶことができる。

 

 

 

 

 


さて、ぜひここで一度文字から意識を離して、「わたし」と声に出してみてほしい。

 

 

 

 


「わたし」

 

 

 

 


その呼び名が響き渡る領域を感じてみてほしい。

 

何度もなんども、目を閉じて、魔法の呪文のように唱えてみて欲しい。

 

 

 

 


【わたし】。
その言葉は、何を指し示しているのだろうか。

どんな領域を指し示しているだろうか。

 

 

 

 

自我意識に強く縛られた状態ならば、

「わたし」と言うと、自分自身の顔面が強く意識されるはずだ。

 

 

 


だけど目を開けて、周りを見渡してみると、そこに色々なものが姿を現してくる。

 

 


お気に入りのコーヒーカップ。携帯の画面。読みかけの本。猫が引っ掻いた壁紙。窓の外に舞う桜の花びら。差し込んでくる光。

 

 


それが、ほんとうの「わたし」だ。
その風景がそのまま。

 

 

 

「みている世界」をそのまま見ると、そうなってる。

 

 

 

 

初回に書いた通り、その空間の全体性そのものが、「わたし」の心。

わたしそのもの。わたしの本当の表情なのだ。

 

 

 

 

だからこそ、そこに写り込んでくる「もの」が変わると、空間全体の雰囲気や、匂いや、イメージが変わる。

 

 

 


空間には命があるから。

だから変化する。

 

 

 

 

 

 

 


稀代のバレエダンサー、シルヴィ・ギエムがかつて語っていた。

 

 

「初めて舞台に立ったとき、ここには何かがある、と思った。そしてわたしはそれが何なのかを知らなければいけない、と思ったの」

 

 

 

私たちはこの人生という舞台に、登場人物として出演するために、「鏡」に映った仮想の「キャラクター」を創った。

 

 

 

 

それは確かに自分自身の分身だったのだけど、

いつの間にか本体がなんだったのかを忘れてしまった。

 

 


いみじくもギエムが言った通り。

 

 


「わたし」とは本来、人生の舞台そのものとしての空間。
展開するすべての出来事、歴史、物語を、外側から眺めている存在。

 

 

 


「わたし」はもともと、超人なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


♦︎自我の迷宮から脱出する

 

 

 


人生の悩み事は大別すると二つ。

 

 


この世の中で、どうやって幸せに生きていくかという問題と、

どうやったらこの、妄想ゲームから抜けられるんだろう、という問題がある。

 

 

 


スピリチュアルなあれこれを始め、

世の中にあるほとんどのカウンセリングや、

慰めの娯楽というのは、基本的に前者にしか対応していません。

(まあ、当然ですが)

 

 

 


そしてこの世の中で幸せになる!というこの考えを推し進めていくと、世界平和に行き着きます。

 

 


世界平和はもちろん、全人類の悲願ですが、

 

あえて水を差すようなことを言うならば、

それさえも、世界にバラまかれた自我としての人類が手に手をとって、みんな仲良くする、というイメージからなかなか出られないのが現状です。

 

 

 


しかし、それではまだ、みんな鏡の迷宮の中。

 

 

 

 

世界から孤立して、「わたし」と言う存在が成り立っている、と言う幻想から目を覚まさない限り、世界平和はやってこないでしょう。

 

 

 


戦争も、ヘイトクライムも、暴力も、差別も、

 

すべての原因は、主体の位置が「自我」の迷宮から出られなくなっていることにあります。

 

 

 

 


空間そのもの、世界そのもの、宇宙そのものが自分であるということに、心底私たちが目覚めたならば、そこに住んでいる他者は、もはや他者ではありません。

 

 

 

 


さて、長々語ってまいりましたが、このシリーズは明日で最終回です。

 

 

 


その前に、今回のまとめを。

 

 

 

 

 

「見られている」自分が自分なのではなく、

「見ている」自分。そして「見ている自分」から「実際に見えている風景」そのものが、自分なのだと言うことに、心底気がつくこと。

 

 

 


これは一体何を言っているのかというと、「世界平和」も「創造時代」も、一人一人の徹底的な内側の行動から起きる、ということです。

 

 

 

 

「わたし」という領域の認識を変えていくこと。

 

 


意識を肉体(物質)の位置から脱出させること。

 

自分の「顔」はあくまでも仮象にすぎないことを受け入れること。

 

 

 

 

 


そして、この文脈において、一人一人が徹底的に「わたし」を大事にするということ。

 


他者のブラックボックスの中に落ちてしまった、ほんとうの「わたし」を取り戻すこと。

 

 

 


それは、目の前の風景の中に数多の「あなた」を含みもつ、世界そのものとしての「わたし」

 

 

 

 

そしてその「わたし」は、「あなた」の見ている世界の中に、宇宙のミステリーを内包した存在として、確かに息づいている。

 

 

 

 


だから、「あの人が何を考えているんだろう」「わたしのことをどう思ってるんだろう」と想像をたくましくするのはそろそろ控えよう。

 

 

 


そこはブラックボックスの迷宮。
「そちら側から」侵入しても、自分を見失うだけ。

 

 

 


そんな不安や妄想が頭をよぎった瞬間、顔面に「自我」の仮面が貼り付けられて、目の前のほんとうの風景が見えなくなってしまうから。

 

 

 

 

 

 

 

 


次回、いよいよ総まとめ。最終回です。
明日に続きます!


岡崎直子

 

 

 

 

 

 

※こちらの「創造時代論ベーシック」の連載記事は、ヌーソロジーを基底に考察しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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INFORMATION

 

 


4月15日(土)・16日(日)開催
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自分の意識の広大な構造を知って、星と繋がることは、
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バビロニア時代発祥と言われる占星術は、

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あなたの魂のレシピを知るために。
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星の叡智はあるのです。

 

 

 


5月13日(土)13:30-19:00
【ライティング講座】言の葉の魔法
 

ご要望にお応えして、2回目の開催となります。
日本語の精神、言霊の中に宿る魔法について、
その哲学についてレクチャーする特別なONE DAYプログラム。

創造時代の言葉の操り方について、
言霊について学びたい方におすすめいたします。

 

 

 

 

 

 

Youtubeラジオ

「岡崎直子の言の波ラジオ」公開中です。

 

 

第一回「自我の解体とアストロロジー」

 

 

Contents

♦︎はじめましての自己紹介

♦︎神秘学を学ぶとは

♦︎自我の解体とアストロロジー

 

 

 

【Webで聴く】

http://crossing-healing.com/admin/wp-content/uploads/2017/03/radio1.8-20170330-4.37.mp3

 

※注意!リンクをクリックするとすぐに音声が流れはじめます。

 

 

 

【YouTubeで聴く】

 

 

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自我を解体するアストロロジー

 

 

 

 

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