〜Crossing〜岡崎直子の新時代スピリチュアリズム&フィロソフィア

タロットや星、カバラ、アルケミーなどの伝統神秘学は、ただ吉凶を占うためのものではなく、意識的にあなたの現実を豊かに・幸せに・ロマンティックに創造するためのツール。
あなたの幸せが世界を輝かせる、新しい時代のためのスピリチュアリズムをお伝えします。


テーマ:

2017年からの創造時代、

私たちの意識がどのように変わって行くかを書いた連続記事。

 

 

本日はその第4回目です。

 

 

 

 

 

前回までの記事はこちらからどうぞ

↓ ↓ ↓

_____________________

 

第一回目【創造時代論ベーシック】変わる「五感」と日本文化

 

第二回目【創造時代論ベーシック②】思いは必ず、事に触れて来る

 

第三回目【創造時代論ベーシック③】宇宙でいちばんの謎

 

_____________________

 

 

 

 

 

さて、早速前回の続きから行きますね。

 

 

 

 

(あなたの)心は内側にあり、見えない。

(あなたの)身体(物質)は外側にあり、見える。

 

 

 

 


決して見ることのできない「あなたの見ている世界」。

それはいわば「ブラックボックス」です。

 

 


絶対に中を見られないけれど、そこに「ブラックボックスがある」ということだけは分かっている。

 

 

 

 


そして、ここが重要なポイントですが、

 

 


他人から見ると、「わたしの心の世界」「わたしが見ている世界」こそが「ブラックボックス」になっているという事実です。

 

 

 

 


あなたの見ている世界(心)が、わたしからは見えない。

わたしの見ている世界(心)が、あなたからは見えない。

 

 

 

 

ただし、「ブラックボックス」としての肉体はお互いの目に見えている。

声は聞こえている。表面に触ることはできる。匂いもする。口付けられる。

 

だけど、中は見ることも、触れることも、聞くこともできない。

 

 

 


この「内側」と「外側」の境界線をよく感じて見て欲しいのですが、
自己と他者では、この関係性がひっくり返っていることが分かります。

 

 

 


さて、ここから私たち人間は、とんでもない行動に出ます。

 

 

 


それは、どうしても見えないお互いの「ブラックボックス」の中身を「想像する」という行為です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎箱の中身はどうなっているのかしら?

 

 

 

 

 

「想像」は「創造」と同じ音が当てられていますね。
(日本語の同音異義語は、基本的に同じ意味(の別の側面)を示す)

 

 


つまり、見えないブラックボックスの中身を勝手に想像して作り上げるわけです。

 

 

「あの人はこう思ってるに違いない」

 


というやつですね。

 

 

 

 

 

 

もちろん、その想像のヒントになるのは、相手の「ブラックボックス」の表面に見られる色々な変化です。

 

 

 

 


つまり、表情や、仕草や、発言や、行動。


それを元に、心の中身を当て推量で妄想しているわけです。


相手のLINEの語尾に絵文字があったかなかったか、
LINEの返信がどれだけ早かったか、


そんな些細にすぎる情報からでさえも、相手の心を勝手に想像します。

 

 

 

 

 

 

さて、ここからさらに人間は想像をたくましくします。

 

 

 

「じゃあ相手は、わたしの心の世界をどう妄想しているんだろう?」


と、想像するわけです。

 

もっとシンプルに言えば、


「あの人はわたしのこと、どう見てるんだろう?」

 

です。

 

 

 

 


自分だって相手の心を勝手に想像しているわけですから、
相手だって自分の心を勝手に想像しているだろう、というわけです。

 

 

 

 

 

 


これは、前回取り上げた、

「あなたの見ている世界が見たい」


という原初の欲望から、さらに迷路に入り込んでいます。

 

 

 

 

 

見たい見たい、と思ってもどうしても見れないから、想像する。

あなたはこんな風に思っているんじゃないかしら?(想像)

その(想像上の)あなたの心は、わたしのことをこんな風に想像しているんじゃないかしら?

 

 

 

 

ね、迷路でしょ。

 

 

 

この妄想の迷路の中には、もはや本当の「あなた」も本当の「私」もどこにもいません。

 

 

 

完全な妄想の世界。虚構です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


♦︎最強の嫌悪と最強の欲望

 


わたしの長年の友人で、とても美人で知的でグラマラスな女性がいます。

 

 

とてもセクシーで、それでいて上品なので、ものすごく異性にモテるのですが、その彼女が興味深いことを言ったことがあります。

 

 

 

 

「声をかけられたり、デートに誘われたり、口説かれるのも嬉しいし楽しいけど、相手が本気を見せて一歩踏み込んで来ようとした途端、ものすごく嫌悪感が湧く」

 

 

と。

 

 

 


やっぱりこちらも本気で好きな相手じゃないと、踏み込まれるのは嫌だよね、

など軽く返したのですが、

 

 

「嫌悪感」という強い表現が印象に残って、その会話はよく覚えていました。

 

 

そして、その彼女の気持ちはすごくよくわかる気がしたのです。

 

 

 

 

 

 

つまりそれは、「本当の自分」ではないところに向かって欲望を向けられたから「気持ちが悪い」のです。

 

 

 

 


目の前で、あなたの「ハイヒール」に対して、それがまるであなた自身であるかのように愛を語られ、欲望をぶつけられるちぐはぐ感。

 

 

 

 

そしてこのままその人の想像通りのストーリーが進めば、あなた自身はあなたの「ハイヒール」の身代わりにその人に抱かれることになる、というような、妄想に対する嫌悪感

 

 


そしてもっと踏み込むなら、自分もまた「本当の相手」ではないところに向かって、同じように欲望を向けたことがあるから、

 

その自分自身の姿を想起させられて、本当に「気分が悪い」のです。

 

 

 

自分の醜態を他人を通して見せつけられるほど嫌なものはありません。

 

 

 

 

この「嫌悪感」という感情は、

世界情勢においても戦争の要因になったり、

ヘイトクライムを生み出す温床ですが、

 

 

 

 

それは言い換えるなら、最も見たくない自分自身の姿に他なりません。

 

 

 

 

 

 

 


ひざまづいて、ダイヤの指輪でプロポーズして、一生お姫様か女神様のように愛して、とろかして欲しいという欲望は、一体どこからやってきたものなのか。

そして誰に向かって、その欲望を投げつけようとしているのか。


そこに本当に、その人はいるのか。

 

 

 


わかりやすい例を挙げたけれど、妄想の例は千差万別です。

 

 

 

 

だから最近はやりの、
「ガチンコで正面からぶつかり合えるカップル」というストーリーだって、
「運命が結びあわせたソウルメイト」というストーリーだって、

 

 


恋愛に限らず、何か夢を成し遂げて幸せになる、という文脈に則って語られるあらゆる物語が、

 

 

 

全て全て全て。

 

 

「憧れ」という美しい名前でごまかされた、欲望と妄想の産物なんだということに、

そろそろ気がつかないといけない。

 

 

 

 

とは言え、それが悪いことだとか、いいことだとかはここでは言っていません。

 

 


先ほど述べた通り、「想像」とは「創造」につながるもの。

 

イマジネーションが現象世界を作る種であることは間違いないのです。
(引き寄せの法則、というやつですね)


だから、同じイマジネーションを共有できる相手がいるのならば、それは素晴らしい創造にもなるでしょう。

 

 

 

 

実際、人間の歴史というのは、まさにこうした無自覚な「想像による創造」の歴史でした。

 

 

 

 


しかし、2017年・創造時代とは、こうした無自覚の妄想ゲームが一体どこから生まれてきたのか、というその原点に立ち返る時でもあるのです。

 

 

 

 


無自覚な妄想ゲーム。

それは、「人間の歴史そのもの」と言い換えてもいいものです。

 

 

 


絶対に見ることのできない「他者の見ている世界」。

 

 

 

それを「神の意志」だと呼べば宗教になるし、
「宇宙の法則」だと呼べば科学になるし、
目の前にいる誰かに重ね合わせれば「恋愛」になる。

 

 

決して手に入らないものを渇望して、渇望して、狂うほどに欲しがって、

 

ついには妄想の迷宮で自分自身を、全てを、見失ってしまった、

寂しい寂しい、人間たちが紡いできた歴史。

 

 

 

 

私たちはそろそろ、見失ってしまったいちばん大切なものを取り戻さなければ。

 

 

 

 

 

 


その大切な話をする前に。

今まで「見たい」という欲望について語ってきましたが、
それと対になる欲望について、もう少し踏み込みたいと思います。

 

 


それは、そう。

「見られたい」という欲望です。

 

 


私たちが今これが「自分」だと信じて疑わない「自我」とは、この「見られたい」という欲望から生まれてきたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎「見られたい」という欲望

 

 

 

とある有名な引き寄せの法則関連の著者の方が、

恋愛に関してこんな感じのことを言っていました。

 

 

 


「何だかがっかりするかもしれないけれど、

人は、相手の目に映った自分自身の姿に恋をするんです」

 

 

 

 

だから相手に愛されたかったら、その人の素敵なところ、輝いているところ、最高のところだけを目に映して、キラキラした目で相手のことを見つめなさい、と。

 

 

相手は、あなたの目に映るヒーローのような自分自身の姿に、そしてそんな風に自分を見てくれるあなたに、恋をするのだ、と。

 

 

 

 

私はこの話を聞いた時、「何と正確で鋭い分析!」と感心するとともに、

なぜ自分が「恋愛」がこんなに苦手だったのか

その根本的なところを見せつけられて心底自分にうんざりしました。

 

 

 


思い切って恥を晒しますが、私は「恋愛」が本当に下手です。

 

 

 


なかなか好きにならないし、なってもうまく行った試しがない。
好きになってもらうのも苦手だ。全力ダッシュで逃げたくなる。

 

 

フラれて心臓が破れるような辛い思いをするのも、もう二度とごめんだと毎回思うし、
自分のことを好いてくれている人をフるのも(言い方は悪いけれど)懐いて付いてくる子犬を蹴っ飛ばすような、これはもう本当にフラれる以上に最ッ低最悪の気分だ。

 

 

 


だから恋愛の匂いが香った瞬間速攻で心のシャッターを下ろすようにしている。

 

 

 

 

・・・のにも関わらず、ある特定のタイプの男性が目の前に現れた途端、

そしてその人が少しでも私のことを褒めたり評価してくれた途端

(別に恋愛っぽくなくても、「仕事が早いね」とか、下手すると「ありがとう」とか「なるほどね」程度であっても)、

 

 

もーーーー全然ダメになってしまう。

家畜の牛が鼻輪に縄つけられて引きずられるが如し。

 

 

 

もっと見て!もっと褒めて!私もっと色々できる!もっと素敵に魅力的になれる!見て!見て!見て!見て!

 

 

 

見て、評価して、褒めて、愛して欲しい欲望にぶんぶんに鼻面引きずり回されてしまう。

 

 

 

 

【その人の目に映る私】を女神様にしたくて、魔性のファムファタルにしたくて、清楚可憐な乙女にしたくて、慈愛とエロスを併せ持つ理想の女にしたくて、必死になってしまう。

 

 

その虚構を作り上げようと躍起になってしまう。

 

 


お寒いことに、私は長年にわたって、そうした状態のことを「恋」だと勘違いしていたわけだ。

 

 

 

 


まあでも自己弁護するわけじゃないけれど、引き寄せと恋愛ハウツーの人気作家がそんな発言をするくらい、世の中のほとんどの人々だって同じような盛大な勘違いをしている。

 

 

 

 

 

何も恋愛に限った話じゃない。

 

 

ここにくっきりと肉体という輪郭を持っている【私】がいる、という感覚そのもの。

 

 

【I am】の感覚そのものが、こうした【他者の目という鏡】の虚構から生まれてきているものなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎【私】は【鏡】から生まれてきた

 

 

 

 


古今東西あらゆる神秘学や魔術や宗教の世界で「鏡」は重要なモチーフとして扱われてきました。

 

 

 

そこに映る自分自身の顔は、しかし私たちが生まれてこのかた、一度も実際には見たことのない顔です。

 

 

 


「自分自身の」顔を、私たちは一度たりとも見たことはない。

 

 

 


それなのに、この世に溢れるありとあらゆるものがこの【自分の顔】を中心に組み立てられているのは冷静に考えるととても奇妙な、奇怪なことのような気がしてきます。

 

 

 

 


「面目を保つ」
「面子が揃う」
「顔を立てる」
「顔色を伺う」
「会の顔役」

 

 

 


慣用句に出てくる「顔」や「面」は、面白いくらいに「社会的役割の中でのその人」を意味するニュアンスで使われます。

 

 

 


自分が一度も見たことのない自分の顔を、当たり前に見ているのは「他人」です。

 

 

 

 

 


この世にいるすべての他人は、あなたの顔を見ることができる。
たった一人、あなただけがあなたの顔を見ることができない。

 

 

 

 


そしてあなたの顔を見ている無数の他人が、好き勝手に色々と、あなたの顔について形容するのを、あなたは一生懸命組み合わせながら、自分の顔を想像するのだ。

 

 

 

 


完成されたあなたの肉体の中で、唯一欠けているピース。

 

 

 

決してあなたの目に映ることのない、だけど他の誰もが当たり前に見ているそのピース。

【顔】。
(頭部と言ってもいいけれど)

 

 

 


そのうちにあなたは、どうしてもその欠けているピースを見たくて見たくてどうしようもなくなる。

 

 

 

 


あなたは、あなたの周りにしっかりと【顔】を持って、完成された肉体の全体像として登場してくる、たくさんの【他人】を見る。

 

 

 


そして妄想するのだ。私の【顔】はあんな風だろうか?
それとも向こうのあの人のような感じだろうか?

 

 

 


期待は高まり、あなたはもしかしたらあなたの【顔】が、あの、あなたの視界に映る中でも一番すてきな、一番特別で、一番美しくて、一番輝いている、あの人のような感じかもしれないと、ドキドキしてくるのだ。

 

 

 

 

そしてあなたは、ついに洗面台の鏡の前で、あなた自身の【顔】らしきものを見る。

 

 

 

 

 


さて、どう感じるだろうか?


がっかりする?

 

期待以上で誇らしい気持ちになる?

 

 

 

 


どちらにしてもあなたは「ああこれが、私の【顔】なんだ」と思うわけだ。

 

 

 

 


そして街に出る。
たくさんの人とすれ違う。

 

 

 

 

その人たちはみんな、あなたの例の【顔】を見ている。

 

 

あなたからは見えないけれど、多分きっと、今朝鏡で見たあんな感じの【顔】を、見ているんだろうと想像する。

 

 

 


だけどやっぱり、あなたの目にはあなたの【顔】は常に見えないから、鏡を見ていられない時は、想像の中で自分の【顔】を補いながら行動する。

 

 

 


私が見えないものを、いつも見ている【他人】たちは、今私の【顔】をどんな風だと思ってるんだろう?

 

その目に私の【顔】は、どう映ってるんだろう?

 

 

 

 

今朝見た鏡の中の像なんて、すぐにぼやけてよく思い出せなくなる。

 

 

だからむしろあなたは、あなたの目の前に座るその人の目を通して、

その人のあなたに対するありとあらゆる態度を通して、

自分自身の【顔】が今この人の目にどう見えているのかを想像するのだ。

 

 

 

 

 

だからあなたは、いつの間にか目の前に座る人ごとに、たくさんの【顔】を持つようになる。

 

 

 

お母さんの前に座る時は、いつまでも子供っぽい娘の【顔】。

女友達の前に座る時は、知的で現代的な女らしい【顔】。

そして憧れのあの人の前に座る時は、絶世の美女で、天使のように清らかで、女神のように麗しい、最高の【顔】。

 

 

 

 

これらの無数の【顔】は、

「あの人は私をこんな風に見ているんじゃないだろうか?」という妄想と、「あの人に私をこんな風に見てもらいたい」という願望の混ぜ合わせで作られた【仮面】だ。

 

 

 

 


それは、実際に他者が見ているあなたの【顔】とも違う、
鏡に映ったあなたの【顔らしきもの】とも違う、

虚構の中に作られた、この世のどこにも存在しない【顔】だ。

 

 

 

 

だけどあなたはその虚構の【顔】を作ることで、ちょっと安心するのだ。

 

 

これで大丈夫。ちゃんと私にも【顔】があるじゃないか、と。

 

 

 


だけど実際には、あなたはやっぱり自分の【顔】なんか見たこともないのだ。

 

 

 

こうして妄想と願望で練り上げられた仮面、仮想人格が誕生する。

 

 

ないものを求めて、ないものをあるように見せかけるために、自分自身を騙すための嘘から、それは生まれた。

 

 

自我のはじまり。

 

 

 

 

 

 

続きはまた明日(たぶん)!

 

岡崎直子

 

 

 

 

 

 

※こちらの「創造時代論ベーシック」の連載記事は、ヌーソロジーを基底に考察しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_________________

INFORMATION

 

 


4月15日(土)・16日(日)開催
【アストロロジー基礎講座】創造時代の占星術
 

私たちは一人一人の意識の内側に宇宙を持っています。
そこには階層構造があり、星々の魂が息づいています。

 

自分の意識の広大な構造を知って、星と繋がることは、
創造者として生きるものにとってとても大切な叡智となるでしょう。

 

バビロニア時代発祥と言われる占星術は、

いわば人類史の始まりと共に生まれた意識哲学。

その本質は、よく知られる「占い」ではなく、
内なる神々や精霊、天使たちとつながって交流するための
不可欠の知恵だったのです。

あなた自身の霊を知るために。
あなたの魂のレシピを知るために。
あなたの人生のシナリオを描くために。

星の叡智はあるのです。

 

 

 


5月13日(土)13:30-19:00
【ライティング講座】言の葉の魔法
 

ご要望にお応えして、2回目の開催となります。
日本語の精神、言霊の中に宿る魔法について、
その哲学についてレクチャーする特別なONE DAYプログラム。

創造時代の言葉の操り方について、
言霊について学びたい方におすすめいたします。

 

 

 

 

 

 

Youtubeラジオ

「岡崎直子の言の波ラジオ」公開中です。

 

 

第一回「自我の解体とアストロロジー」

 

 

Contents

♦︎はじめましての自己紹介

♦︎神秘学を学ぶとは

♦︎自我の解体とアストロロジー

 

 

 

【Webで聴く】

http://crossing-healing.com/admin/wp-content/uploads/2017/03/radio1.8-20170330-4.37.mp3

 

※注意!リンクをクリックするとすぐに音声が流れはじめます。

 

 

 

【YouTubeで聴く】

 

 

※注意!リンクをクリックするとすぐに音声が流れはじめます。

 

 

 

 

【関連ブログ】ぜひ合わせてお読みください。

自我を解体するアストロロジー

 

 

いいね!した人  |  リブログ(0)

NAOKOさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります