「えーーーっ!!」

スクリーンにデジタル体重計の数字が映し出されると、会場に響き渡ったのは、驚きと非難と、いくぶんかの笑いが入り交じったような大きなどよめきでした。

2014年7月21日、Victory(当時)の単独イベント<Victory LIVE 二回の表「次回CDリリースできるかな?大発表会」>のアンコール冒頭。予告されていた2ヵ月あまりの公開ダイエットチャレンジにドラムスのMAYUKOが無残に失敗し、連帯責任の罰として「がんばれ!Victory」への改名が決まった瞬間でした。


(画像左で体重計に乗るのは目標達成に成功したRENA)
画像引用元:Victory、改名回避できず!“がんばれ!”に(音楽ナタリー)

運命の日から10日も経った今となっては、このときの様子を文字で再現するのは、本人たちの気持ちを思うと、多少なりとも心が痛みます。

なぜ彼女たちが公開ダイエットなんて無茶なことをする羽目になったのか、その経緯については前のブログに書きました。

そして結果だけを淡々と記すならば、5人のメンバー中、目標体重を達成したのはギターの天然リーダーことRENAと、ベースの秀才犬ことSHINOBUたけ。ヴォーカルのAYAKIは惜しくも未達、ドラムスのMAYUKOは冒頭のシーンにあったように大幅未達。MINAMIに至っては開始時の体重を超過してしまう大失態でした。

ここまでのライブで新曲2曲を披露し、熱を帯びていた会場の空気は、ここにきてすっかりトーンダウン。メンバーも動転しているのか、MINAMIは取り乱し、AYAKIは涙ぐみ、MAYUKOはふてくされて逆ギレしているようにみえます。成功組のRENAとSHINOBUもただ抱き合うだけで、かける言葉がありません。

それでも司会をつとめていたジョナサン・シガーがなんとか笑いにつなげようと奮闘し、アンコール曲を残していたメンバー達もどうにか態勢を立て直して、アップテンポの「HAPPY LIFE」を笑顔で演奏。観客も拳を上げてそれに応え、この「2回の表」イベントは波乱もあったけど成功裡に幕を閉じた、ように見えたのでした。


画像引用元:Victory、改名回避できず!“がんばれ!”に(音楽ナタリー)

少なくとも表面上は。



イベントの様子を報じた幾つかのネット記事においても、「がんばれ!Victory」への改名はむしろ「ネタ」として扱われており、そこに悲愴感のようなものを読み取ることはできません。

同じイベント内で発表された前向きな方のニュース、11月の新曲「ふらいはい!!!」発売や、10/25のワンマンライブ開催に記事の焦点が当たるのは、客観的にみれば当然のことでしょう。

Victory、改名回避できず!“がんばれ!”に

【ライブレポート】Victory、減量失敗で公約どおり改名 “がんばれ!Victory”に

Victory「がんばれ!Victory」に改名 新シングルも11月リリースへ

ガールズバンドVictory ダイエット失敗で改名&11月に新名義でシングル発売

外野から見れば、意味のわからないダイエットの失敗や、おふざけにしか見えない改名の茶番など、まともに取り合う価値もない出来事でしょう。ネタとして一瞬で消費して、次に進めばいい。

僕らにだって、そのことはわかっていたのです。



でも、実際に現場にいた僕は、ダイエットの想像以上の無残な失敗に、かなりのショックを受けていました。

もちろん、僕だって、全員のダイエットが成功して万々歳になると脳天気に信じていたわけではないのです。それはまあ、メンバーがステージに登場した瞬間に、いやたぶんその前から、察しはついていました。

だからそれなりの心の準備というのはしていました。
ダイエットが成功しなかった場合に、ファンとしてどう振る舞うか。
それは端的に言えば、どんな結果でも受け止めて、ただ「おつかれさま」の言葉を交わして次に進もう、ということでした。

そもそも目標体重の設定に無理がある中で、苦しんでがんばったメンバーをねぎらうことはあっても、非難することなんてありえない。

だから、実際に体重が測定され、その数字が想像していた最悪のシナリオよりもさらにひどかったとわかったとき、僕はかなりのショックを受けていたけれど、それでもまだ当初のシミュレーションどおりに振る舞おうとしていました。

ショックを受けなかったことにしようとしていました。

ラストの「HAPPY LIFE」でいつものように高くジャンプすることはできなかったけれど、それでも拳は上げていました。そして、何よりも、僕は<その場にとどまった>。


画像引用元:Victory、改名回避できず!“がんばれ!”に(音楽ナタリー)

現実的なことをいえば、僕のポケットにはその日の握手券やチェキ券があったし、終演後には仲間と飲みに行く約束もしていました。それらを無駄にしたくない、という打算もあったと思います。

いずれにせよ、僕はその場にとどまって、笑顔でメンバーと握手し、チェキを撮ったはずです。

僕だけでなく、ファンの皆がそうしていました。

失敗はさっさと忘れて、次に進めばいい。



でも、その場しのぎのごまかしは、長くは通用しません。
気持ちはごまかしきれないのです。

スマートなことではないかもしれないけれど、生身の僕らは確実にショックを受けていた。
きっと彼女たちだってそうだったはずです。

それを、メンバーも、ファンも、慌てて流そうとしすぎた。
ショックをきちんと受け止めようという真摯さに欠けていた。

そのときはそのことが、よくわからなかったのです。



僕ら、とあっさり書きましたが、ファン全体の気持ちを代弁しようというつもりはありません。
現実に、ショックなど受けていないファンもいました。何があっても受け止めるという心の広いファン。そもそもダイエットなんて、Victoryの音楽にとっては何の意味もないじゃないかという声だって、たくさんありました。

ただ、ライブに足繁く通い、この数ヶ月をVictoryメンバーと併走してきたファンの中には、このダイエット企画が、ただの体重の問題ではない、という共通した想いがあったように思うのです。



今回の単独イベントに向けて運営がメンバーに課した2つの課題には、その2つの課題のある性質ゆえに、それが意図されたことかどうかはともかく、結果としてとても深い意味が込められることになったのです。

1つめの課題は、CD500枚の完売。
これは、メンバーの応援を受けて、最後はファンが達成すること。

2つめの課題は、ダイエット。
これは、ファンの応援を受けて、最後はメンバーが達成すること。

2つの課題は、映し鏡の構造になっているのです。
ファンに与えられた課題と、メンバーに与えられた課題。
そしてそれらは、同じ日に、審判される。



ファンはCD500枚完売という、自然体ではとても達成が不可能な難題を与えられ、戸惑い、悩み、いっときは諦めながらも、最後は「達成する」という決断をし、そのために必要な行動をしました。それは、決して簡単なことではなかった。

でも、それはたぶん、2つの課題が映し鏡になっていたからこそ、できたことだったのです。僕らがここで頑張らなければ、メンバーも落胆して、ダイエットの最後の踏ん張りがきかないだろう。そういう思いが確かにありました。

ファンも一枚岩ではなかったし、無茶な目標の前で、葛藤はありました。中には、無理な支援をしないと決めた人もいるし、結果としてそのことで自分を責めた人もいる。
僕らのそんな葛藤は、少なくとも一部のメンバーにはしっかりと伝わり、彼女たち自身の内心の葛藤と成長をも、もたらした。

そのことには、確かな意味があった。

それは、僕が前回の15000字にもなる長いブログで、伝えたかったことでもありました。

すべては、同じ日に審判を受けるファンの課題とメンバーの課題はつながっているはずだ、そんな気持ちから生まれた出来事でした。



「今度は、君たちの番だよ。」

あの日、少なくない数のファンが、メンバーにそのような声を掛けたはずです。
声は掛けなかったとしても、思いを掛けたはずです。

僕らが達成したんだから、君たちも達成してほしい。
・・・それは少し、おこがましい考え方かもしれません。

僕らも頑張ったんだから、君たちも頑張ってほしい。

いやせめて。

僕らも葛藤したんだから、君たちも葛藤してほしい。

それは勝手な思いでしょうか?



でもアイドルとファンの「適正な関係」というのは、そのような形でしかありえないのではないかとも思うのです。同じ方向を向くことはできるけれど、恋人たちのように、同じ目標に向かって時間も場所も共有しながら、手を取って一緒にがんばろう、ということは、しょせんは叶わない。

僕らは僕らで頑張る、その思いをせめて受け取ってほしい、そんなまどろっこしい形でしか、アイドルとファンが併走することは、たぶん叶わない。
だからせめてそのくらいは・・・



ただ、今にして思えば、これはやはりファン側の勝手な思いであって、メンバーには十分には伝わっていなかったのでしょう。

一歩引いて見れば、僕らは、あの日、理由も意図も告げずに、ひたすらにCDを買っただけ。それはサプライズという意味もあったし、メンバーに余計な心理的負担をかけないという男の美学に基づくやり方ではあったかもしれないけれど、メンバーに思いを伝える努力を放棄していたのかもしれません。

「オタクちょれー」的な自虐を僕は好まないけれど、CDを売る・買うという行為だけに頼ったら、そこにディスコミュニケーションはすぐに忍び込む。枚数とか順位とかが自己目的化すれば、なおさらのことです。

僕らはちょっとそのことに鈍感だったかもしれない。
あるいは、黙っていてもメンバーが思いを汲んでくれるはず、と信じるくらい、ナイーブすぎたのかもしれない。



体重は駄目でも仕方がなかった。
そもそも、体重に真剣にこだわっているファンを僕は見たことがない。

でも、映し鏡になった2つの課題の前で、僕らが葛藤したこと、頑張ったことを、そこに君たちの目標達成への思いを乗せたことを、僕はせめて少しでも、わかってほしかったな。

そうしたら、達成はできないとしても、「頑張ったね!」「惜しかったね!」って笑ってねぎらえるくらいの結果は、どうしたって付いてくるんじゃないか。
仮に頑張っても頑張ってもどうしてもひどい結果になっちゃったんだとしても、それはそれで、真摯な反省として、態度に表れるはずなんじゃないか。

僕はただ、あの7月21日の単独イベントで、そんなささやかな気持ちのつながりを、そのあらわれを、確認したかったんだと思う。



だからその場はショックを受け流して、何事もなかったように笑顔で握手をして、そしてファン有志との打ち上げに突入したけれど、ビールを何杯飲んでも、僕の気持ちにはモヤがかかったままでした。

そのときはまだ、せめて事後には真摯な反省を見せてくれるのではないか、という淡い期待もあったのです。MINAMIに至っては、事前のルール上は「クビ」になるはずですし、そうなればリーダーであるRENAも責任は免れないでしょう。いや、未達だったMAYUKOとAYAKIはもちろん、SHINOBUにだって連帯責任はあるのです。

このチャレンジが最初から「連帯責任」を謳っていた以上、自分だけ頑張るということには意味がありません。痩せることが得意なメンバーは、自分が痩せるのと同じだけの努力を、メンバーを巻き込んでやる気を出させるために払わなければいけなかった。

ところが、メンバーの口から出てくるのは、事態をうやむやに収束させて次に進もうとする言葉や、失敗した理由の説明もない形だけの謝罪、「いつか必ず痩せます!」といった闇雲な決意、今頃になって口にする「痩せること」自体への不満・・・

どれも、メンバーの一人がクビになるかならないかという事態の下で、真摯な反省から出てきた言葉とは、とても思えないものでした。



ファンの反応は、ここでもバラバラでした。
ツイートやコメントとして表面に現れた数だけでいえば、「CD500枚達成おめでとう」「ダイエット失敗なんて気にするな」「音楽の方が大事だ」といった激励が多かったと思います。
でも、厳しい言葉をあえて口にするファンもいました。

僕自身も、こうした状況を目の当たりにして、大人げないとは思いつつ、メンバー全員に宛てて、「ライブを最後まで見ずに帰るべきだった」という趣旨のツイートを送りました。僕が抱えているこのモヤモヤ、いや、この時点では憤りに近かったと思いますが、それをメンバーに伝えずにはいられなかったのです。

何人かのメンバーは、僕のツイートに対しても感謝や謝罪、決意の言葉を送り返してきました。でも、そのリプを読んだとき、僕の中では驚くくらい冷めた感情が広がりました。彼女たちの言葉を、まったく信用できない自分に気づいたのです。

あ、これは重傷だな。

ライブで今までのように脳天気にメンバーを応援している自分の姿が想像できなくなって、「ああ、他界ってこういうことを言うのか」とボンヤリ思ったりしました。

心にぽっかり穴が空いた気分だけど、大人なんだから、それも受け止めなきゃいけない。僕がいなくても応援するファンはいる。そこにも、かしこにも、ほら。



自分一人でこの思いを抱えていたら、今ごろは本当に他界まっしぐらだったかもしれません。

幸いなことに似たような思いを抱えたファンが身近にいて、お互いに荒っぽい言葉や弱音を吐いたりしながらも、それが少しずつガス抜きになっていった部分がありました。

もう他界するしか、とか冗談めかして話しながら、やはりメンバーへの愛情の灯は消えていないと確認することにもなりました。

これはほんとうに助かったことでした。



一時は饒舌だったメンバーのツイートがぱたりと止まったのも、この頃でした。

一部のファンからの厳しい言葉があったことや、それを受けて運営から指導が入ったということもあるでしょう。
僕も敬愛するリーダー・RENAに、「リーダー失格だったね」と厳しい言葉を送っていました。

ただ、メンバーのツイートが止まる中で、僕がようやく少し落ち着いて感じていたのは、メンバーにも時間が必要だったってことです。

僕らにも時間が必要だったのと同じように、あるいはそれ以上に。



僕らはメンバーの性急で浅薄な反応をみて、深く考えていない、真摯な反省が足りないと思い込んでしまったけれど、実はメンバーも、自分たちが受けたショックを、負ってしまった傷の意味を、消化しきれていなかっただけなのかもしれません。

ステージの照明の下で厳しい結果に晒された彼女たちは、フロアの僕らが想像できないくらいに心底では混乱していて、でもすぐにアンコールの演奏をしなければいけなくて、笑顔で特典会をこなさなくてはいけなくて、思考と感情にリミッターをかけるしか術がなかったのかもしれません。

ライブの直後には生放送でネット番組の収録があり、そこでも改名の顛末を笑顔でネタにしなければいけない。次のライブは1週間後で、前を向いて練習もしなければいけない。チケットを売るという新しい課題もある。そんな中で、深い反省に身を浸す余裕なんて、ファンの気持ちに思いを馳せる余裕なんて、ぜんぜんなかったのかもしれません。

メンバーも可哀想だったのかもしれない。
そう思えてきたのは、ずいぶん経ってからのことです。



僕らは何を求めていたのか。

目標未達だったメンバーが心を入れ替えてダイエットに勤しみ、全員が目標体重を達成すればいいのか。
じゃあ逆に、達成しなかったら駄目なのか。

メンバーに反省して謝罪して欲しかったのか。
それは誰に対する何の謝罪なのか。

メンバー自身も、自分に何が求められているのか、わからなかったんじゃないかと思います。今でも、わかっていないかもしれない。



僕は率直なところをいえば、メンバーと同じ気持ちを共有したい、メンバー5人の間で同じ気持ちを共有してほしい、ということがすべてな気がしています。

結局のところ、僕がモヤモヤを抱えてしまったのは、僕が託したと思っていた想いをメンバーが受け取っていなくて、そのことに傷ついたというところが大きい。
そして、この大きなピンチを迎えてもメンバー5人の気持ちがバラバラな気がして、見ていて悲しくなったということが大きい。

目標体重を達成するとか、謝罪や反省をするというのは、バラバラになった気持ちを再び一つにするための、手段にすぎません。
そういう方法でしか気持ちが一つにならないと信じるならそうすればいいし、別の方法があるならそれでもいい。

それをひとりひとりが一生懸命考えて、人から言われたからではなく、自分の考えとして実行することに意味がある。



僕がそのような考えに至ったのも、実はほかでもない、メンバーから教えられたことでした。

単独イベントの次のライブは、ほぼ1週間後、7月27日の有明と渋谷のダブルヘッダーでした。僕はこのライブに行くかどうか、少し悩んでいました。その時点で、一部のメンバーからは僕の納得できるような言葉がなく、そうしたメンバーとどう接すればいいのか、自分の中で整理がついていなかったのです。

ただ、たぶん、見てみなければわからない、接してみなければわからないことがある。僕らには会いに行く自由も行かない自由もあるけど、メンバーにはその自由がない。僕らが行かなければ、メンバーには挽回するチャンスがない。だからとりあえず足だけは運ぼう。そんな気持ちでした。

そしてその日のライブは、僕が今まで見てきたVictoryのすべてのライブの中でも、もっとも感銘を受けるものでした。僕は気後れもあって珍しく会場の後方から見ていたけれど、それでも、ビシビシと伝わってくるものがありました。これは僕の錯覚でしょうか。



終演後の物販でも、メンバーの誠意が伝わってきて、話しているうちに、僕の迷いなんて小さいものだと思えてきたのでした。メンバーだって、自分たちに不平と不信の言葉を吐いたファンと向き合うのは、少し勇気のいることだったかもしれません。でも、それよりも、信頼の気持ち、信じてほしいという気持ちの方が強く伝わってきたのです。

翌日、メンバーの中で最後までブログでの沈黙を守っていたMAYUKOがとうとう書いた記事にも、結局のところ、このダイエット問題にどうケリをつけるのかについての、具体的な言及はありませんでした。

でも、その代わりに、そこには自分自身のきちんとした言葉としての反省や感謝、そして静かな決意がありました。

それはそれで、充分なんじゃないか。

目標体重まで痩せることも立派だし、それが信頼を取り戻す道だと信じるなら、その意味はともかく、そうすればいい。
でも、悩みに悩んだ末にそれをしないという決意を、そしてそれと引き替えにもっと大きな決意をするのなら、それはそれでもいいんじゃないか。
気持ちがひとつなら、心が通じているなら、答えまで無理矢理ひとつに揃えなくたって、大丈夫なんじゃないか。

それは、僕がこの日、メンバーから教えてもらったことでした。


画像引用元:Victory、改名回避できず!“がんばれ!”に(音楽ナタリー)

さて。これが今日までの顛末です。

僕の傷はほぼ癒えました。
まだ傷が癒えていない仲間もいます。
時間が解決するでしょうか。

つい3週間前のブログで、僕は「これからも難題と悩みが待ち受けている」と書きました。それがこんなに早く、こんな形で出てくるとは想像もしませんでしたが・・・

でも、「悩みの深さの分だけ、たぶん彼女たちは大人になれる」と書いたことも、またこんなに早く実現したのです。上京して4ヵ月、彼女たちの成長はまだ始まったばかりです。



私事になりますが、先日、彼女たちにバンドを教えた恩師、横井先生とお話しする機会がありました。そのときにVictoryのいいところは何ですか、と尋ねてみました。

あの娘らは決して賢くはないけれど、言えばちゃんとわかる、とにかく素直なのがいいところだ、というのが先生のお返事でした。



いま彼女たちの成長を見守っていて、この言葉の意味を噛みしめています。
問題が起きたとき、何も言わない、黙って去るという優しさもあるけれど、彼女たちの度量は、僕らが思っているよりもずっと広いのかもしれない。ファンの立場を超えない範囲でなら、思ったことは、ぶつけてみてもいいのかもしれない。

少なくとも、まだ彼女たちが「がんばれ!」の看板を背負って成長している、いまこの瞬間においては。

そんな思いを込めて、この長い雑文を、また書いています。

だから。

が・ん・ば・れ!Victory!


画像引用元:Victory公式サイト



最後に、またもや蛇足です。

今回のダイエット企画については、そもそも運営がおかしいだろ、という怨嗟の声がファンからは絶えません。「俺はぽっちゃりが好きなんだー」という心の声はさておいても、音楽に体重は関係ないだろ、という意見は多いようです。

僕はあえて、これには同意しません。

思想家で武道家の内田樹が、著書「街場のマンガ論」の「バガボンド論」の中で、こんなことを言っています。


「このプログラムによって、私のこの資質、この潜在能力が開発され強化されるのだな」ということが「私にわかった」ときにプログラムの教育的効果は不意に限界に突き当たる。
どうしてか知らないけれど、そうなのだ。


与えられた課題の意義を生徒があらかじめ100%理解しちゃったなら、それはもう教育ではない。意味わかんねーと思いながらやらされて、とにかくやってみて、終わった後にはじめてその意味がわかる、それが教育というものだ、というわけです。

だからVictory(当時)を完成されたミュージシャンとみるならダイエット企画はおかしいですが、成長途上のジャガイモであるとみるなら、わりと「いい教育的課題」ではあったと思うわけなのです。

だって現にほら、ジャガイモちゃん達は見事に成長したでしょう?(^_^)
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