たっぷりの大根おろし

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大根おろしを思いっきり食べたいと思った。


居酒屋や定食屋で「しらすおろし」を食べるたびにつねづね思っていたことだった。こんなちっちゃな小鉢じゃなく、肉じゃがとか大根とイカの煮物が入る茶碗のような小鉢になみなみ入った大根おろしが食べてみたい、と。


大根おろしには特別な愛情があった。子どもの頃から好きだった。夕飯に焼き魚が出ると、大根おろしだけもっとくれ、と母親にせがんだ。「変わった子だよ」と母親は言っていた。


大人になって結婚する際、相手には「へそくりしたっていい、買ってきた総菜をパックのまま出してもいい。願いはただひとつ、大根おろしはしぼらないでほしい。汁を捨てては絶対にならぬ」と要望した。


水分を含んだ真っ白なからだにしょう油をすーっと。茶色が浸透していく様がうれしい。


なぜうれしいのかは分からない。ぼくの心の奥底にひそむ本能的な何かがうれしがっているのだろう。目玉焼きや温泉玉子の半熟になった黄身がごはんにとろりと流れ出す瞬間がありますね。あれ、みんなうれしいでしょう。そこにしょう油をたらしたりすると、もっとうれしいでしょう。それと一緒なのです。


決行の時がきた。初夏を思わせる5月中旬の午後1時半。家には誰もいない。「あんなに大根をすっちゃって。バカかしら」とあきれる人は誰もいない。カーテンは一応閉めておく。


大根のあたまのほうを10センチほど切って、すっていった。よくあるタテ長箱型のおろし器がたちまち満杯になった。それを用意したどんぶりに移した。


小ぶりのどんぶりに3分の2ほど満たされた大根おろしが完成した。おろしはしぼらず汁気たっぷりのまま。そこにめんつゆを原液のまま流し込んだ。色はうすい茶色。


同時にそばをゆでていた。すばやく冷水でしめてざるにあけた。上からはきざみのり、当然たっぷり。


名付けて「ざるそば(どんぶりおろし)」。


ずしりと重いどんぶりを手にすると、調子づいてこんなにおろしちゃって、おれ大丈夫だろうか、平日の昼間っからいい大人が何をしているのだろうか、と不安や後悔が頭をかすめたけど、全部食べてしまった。


大根がところどころでツーンとするので、わさびも七味もいらなかった。大根の汁だけでめんつゆを薄めるという挑戦的な試みだったが、それだとやっぱり濃かったので途中で水を足した。残さずに飲んでしまったけど。


大根おろしの辛みは、ジアスターゼと呼ばれる成分によるものだという。消化不良を解消する働きがあるそうだ。その日は二日酔いでもなんでもなかったけれど、胃腸にいいみたいでなんだかうれしい。「きょうのおれは体中がジアスターゼに満ちているんだな。いい日だな」と閉めていたカーテンを全開にして空を見たりした。


午後は自分の店の伝票整理や買い出しなどをして過ごしたのだが、のどが渇いてしかたがなかった。めんつゆと水の分量調整は改善の必要がある。それと、この日はゲップがよく出たのだが、あれは一体何だったのだろう。




BGM:SAME-Motown/David Ruffin


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エライぞ、おしりふき

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店の常連であるアライ夫妻に赤ちゃんが産まれた。5月のあたまに退院して自宅に戻ってきていると聞いている。


経験した人なら分かると思うけど、赤ちゃんが初めてやってきた家の中はなんともいえずいいものだ。アタフタ雑然としながらも、明るくて力に満ちたあの空気。よくカウンターに並んで酒を飲んでいた夫妻の顔を思い出しながら、さて、店からの贈り物は何にしようかと、ここ数日考えている。


小さな赤ん坊がいる家庭には子育ての必需品で、たくさん消費するものが喜ばれるはずである。これは経験上わかっている。だから、海外製のベビー服、おもちゃ、食器なんかは除外。これらは贈り物としての“すわり”はいいが、使い勝手がいまひとつだったり、ここ一番で使おうと思っていたら、結局、出番なく箱にしまわれたままということが少なくないからだ。


一番助かるのはオムツだろう。ずいぶん前にテレビ番組の中で、ダウンタウンの浜ちゃんが、子どもの産まれた後輩にはオムツをドーンと大量に送ってやるのがオレなりのお祝いなのだという話をしていた。いわく「あれが一番うれしいねん」。たしかにそうなのだ。新生児は一日10枚ぐらいのオムツを使う。なくなれば店に買いに行けばいいのだが、そんな買い物がままならない日が数カ月は続く。


オレも真似してオムツをドーンと送ってやろうと思っているんだ、と家で話したら「ちょっと待て」と妻がするどく言った。「分かってないな」と顔に書いてあった。


いくつかの製紙メーカーがオムツを販売しているが、それぞれに特徴やクセがあって、自分の子どもにしっくりくるものを見つけた母親はそれを使い続けていくという。気に入っている製品じゃないオムツを大量に送られても迷惑になるかもよ、と言った。


「どれでもいいというわけじゃないんだ」と聞くと、「当たり前じゃない。まあ、分からないだろうなぁ」と妻はあきれ顔で言った。


オムツ話をこのまましていると、子守りに協力しなかった昔のオレの生活態度をふつふつと思い出してしまうおそれがあった。「そういえば、あなたはあの頃……」とあらぬ方向に話題が進むかもしれないので、早々に「オムツ案は却下」で同意。プレゼントの話もこの日はおしまいにした。


数日後、妻が「あれさ、おしりふきがいいと思うよ」と言った。おしりふきなら、いくらあっても助かるし、質やデザインで好みが異なることもないだろうという話だった。


なるほど、その通りだ。おしりふきというやつの頼もしさはオレにだって分かるぞ。


やつの仕事はおしりをふくだけじゃない。少し大きくなって自分で食べ物を食べるようになると、赤ん坊は「よくもまあ」と感心するぐらいよごしまくる。わが家でも子どもが小さかったころは、食卓におしりふきの入ったケースが常にセットされていた。食べ物でベタベタになった口、手、足(なぜか)、頭髪(本当に)などをおしりふきでふいてしまうのだ。一連の流れで汚れたテーブルだってきれいにできた。


さらに成長して公園遊びをする頃になっても、おしりふきがいい仕事をした。泥や砂でよごれた手、足、顔(なぜか)、ちんちん(本当に)を、5枚ぐらい重ねたおしりふきでぐいぐいふいてしまうのだ。水道が近くない場所では、その活躍ぶりが際立った。「おまえというやつはどこまでスグレモノなのだ」と思ったことがしばしばあった。思えばあいつにはずいぶん助けれらたなぁ。


――よおし、おしりふきでいこう。


そう決めたオレは、爆買い日本人と化して近所のドラッグストアへ向かったのであった。




BGM:Get Happy!! / Elvis Costello & the Attractions


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客の前で怒る人たち

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飲食店で、店長みたいな人が部下やアルバイトを叱りつけている光景に出くわしたことはないだろうか。あれは、まったくもってイヤな気分になるもんですね。


こないだは、牛丼チェーンでこれを目撃してしまった。午後2時過ぎの店内には客はぼくを含めて3人だった。牛丼並(生玉子付き)を食べていると、目の前のカウンターの中で、従業員の男が、パートのおばちゃんにクドクド文句を言い始めたのだ。


「……だからさぁ、何度も言わせないでよ、ねぇ、分かるでしょ……」などとあきれ顔の男。「はあ、分かりました、すいません」と言ってうつむくおばちゃん。


よくみると、この男とおばちゃんは親子ほどの年の差がありそうだった。男は頬にニキビのあとが残る学生のような顔をしていた。おばちゃんはやせていて苦労がにじみでていた。


小心者のぼくは、なんだか自分が怒られている気分になってしまい、たちまち牛丼は味気がなくなり、早くこの場から逃れたくなって、あわてて食べて店を出た。


前職のサラリーマン時代によく通った中華屋でも、これに似た光景を見ることがあった。


この店はおばちゃんとその息子がやっているようだった。息子が調理を担当し、おばちゃんが注文をとったり、洗い物をしたり、レジなどもこなしていた。


30代半ばとみられる息子は、それがカッコいい料理人と思っているのか、いつも不機嫌そうだった。自分のペースで仕事が進まないといら立つようで、ある時は「ちがうよっ、こっちだよっ」などと、周りがドキッとするぐらい大きな声でおばちゃんにきつくアタるのでちょっと困ってしまった。


この店に行く会社の同僚たちは、この男を「バカ息子」とかげで呼んでいた。ハハハ、その通りだなと思った。


当時勤めていた出版社では、たいてい昼すぎに出社し、ひと仕事したあとの午後3時ごろに昼めしというのがぼくのペースだった。ランチを2時で終えてしまう店が多いなか、中華屋はずっとやっていたので重宝していた。


その日も3時ごろに行くと、嵐のようなランチ営業がひと段落したのか、カウンターの中で疲れた顔のバカ息子が「らっしゃい」と言った。おばちゃんは黙って食器を洗っていた。客はぼく1人。タンメンを注文した。


親子は会話どころか目も合わさない。ランチの忙しいときに何かあったのだろう。こういう空いている時間に、なんともいえないイヤな空気が漂っていることが前にもあった。


タンメンを作り終えたのか、息子は腰掛けに座ってしまった。おばちゃんが「はぁい、どうぞぉ」と言って、どんぶりをカウンターテーブルにごとりと置いた。


「早くほかの客が来てくれないか」という願いはかなわず、黙っている親子とぼくだけの時間が流れた。味気がなくなったタンメンを食べながら、こういう空気が料理をまずくするんだよ、ということを息子に伝える手だてはないものかと考えていた。


ぼくはタンメンをわざと残して、それをメッセージにすることにした。「残したのはその態度のせいだぞ。それと、いい歳なんだから、母親をいたわるんだぞ、バカ息子よ」という思いをどんぶりに託して店を出た。


会社に戻る道すがら、しかし、あれは逆効果だったのではないかと後悔した。いまごろ、残されたタンメンが火種となって息子がまた母親に文句を言ってないだろうか。あの調子じゃ、わざと残して席を立った意味なんて汲み取らないだろうな、と気づいた。


おばちゃん、残したりしてごめん――お詫びにその中華屋へまた行こうかと少し思ったけど、やっぱり二度と行かなかった。



BGM:Big World/Joe Jackson

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今度はもつ焼き屋へ

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4月あたまの月曜日、息子はその日もヒマそうに春休みをつぶしていた。そういえば、昨年の今ごろはやつと2人で渋谷のすし屋に行ったなあ と思い出す。よし、今年もおとなの店に連れてってやろうじゃないか。


近所のもつ焼き屋に行った。夕方4時の開店と同時に入った。「おれたちしかいないから好きな席を選んでいいぞ」と言ってやると、息子は店内をぐるりと見回したあと、黙ってテレビの見やすい席に座った。


初めて入る店だった。品書きを2人でのぞきこむようにして見た。「決まったか」と聞いたら、こくりとうなずいた。ぼくはいつものように「ちゃんと自分で言えよな」と話してから、店員を呼んだ。


「生ビールとレバー2本」とぼくが言ったあと、息子は「カルピスソーダ、それと、とり皮ポン酢、あと、やきとりの皮を2本」と言った。かれは現在、とり皮命、とり皮こそがおれの人生――という道を歩んでおり、今日もその方針を貫いていくようだった。


10歳になったころから、息子には自分で注文を言わせるようにしてきた。選ぶものも自分で決めさせている。さっきのオーダーのように、とり皮だらけになっても構わない。妻が聞いたらあきれるかもしれないが、こういう店に来たら、子どもの栄養バランスなどは考えず、好きなものを食べるべきだという持論がある。ただし、自分で頼んだものは責任を持って食うべし、という男のルールがある。


ドリンクが来た。「ついに6年生だな。進級おめでとう」と言うと、息子は少し気恥ずかしそうにうなずいてグラスを上げた。テンポの早い歌謡曲が店内に流れていた。


音が消されたテレビを見ながら、息子はとり皮をもくもくと食べた。その姿を見て、そうか6年生になったのか、ともう一度思った。


ぼくはビールをおかわりし、息子は正肉を2本追加した。2杯目のビールを飲んでいると、数日前に受け取っていた通知表のことをふいに思い出した。先生のコメント欄にはなんて書いてあったのかが思い出せない。無味乾燥な内容だったことだけ覚えている。


「3学期の通知表を見たよ。あれ、おもしろくもなんともないな」とそのままの感想を言うと、息子は「そうだよ」とさらりと言って、すぐにテレビの画面に向き直った。おもしろくもなんともないと言われているのは、自分の成績なのか、通知表の内容のことなのか、かれにとってはどうでもいいようで、この話はこれで終わりだった。


3段階の成績は中と下が半々、上はなし。これは1年生のときから変わらない。小学校に入るとき、勉強のことをとやかく言うのは止めようと妻と話し合った。5年間の成績には、親のその方針がそっくりそのまま表れてしまっているようだった。学校の成績はさておき、目の前のさまざまなことを自分で考えて選ぶことのできる少年になってほしいね、とぼくたちは願ってきた。


品書きから自分が食べるものを選ばせているのもその一環である。最初の注文で、とり皮串を頼んだ際、店員に「タレ、塩は?」と聞かれた息子はすかさず「塩」と答えた。勉強はカラッキシの少年が、妙にきっぱり大人に言っている姿がおかしかった。


その日は夜から自分の店の営業があったので、1時間ほどでもつ焼き屋を出ることにした。


会計を済ませて店を出ようとしたとき、息子が「ごちそうさま」と小さく言うのが後ろで聞こえた。店員に言ったようだった。


あれ、と思った。そんなことを教えたことはなかった。そうか、店を出ていく大人のふるまいを見ていたのか。それを自分なりに考え、思い切ってまねてみたのかな、と思った。


――きっとそうだ。あいつなかなかいいぞ


息子はどんな顔して店から出てくるのだろう。見てみたい気がしたが、なんとなく見ないほうがいいだろうなと思ったので、振り返らずに先に店を出た。



BGM:CHOICE/Yasuyuki Horigome


タッキュウビンです

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少し前に、息子が知らない家のインターフォンを押してしまって、その家の人にとても怒られたという話を書いたのだが、あれは削除した。


インターフォンを押された家の人の怒りっぷりを少し疑問に感じたので、子どもがやることにそんなにみんな怒らなくてもいいのではないか――と言いたい話だった。


その家は息子が通う保育園のわりと近くにあったのだった。子どもの声に対し、たびたび近隣住民から苦情を受けていると園長から聞いていた。


このブログは匿名で執筆しているが、わが店のホームページとつながっているため、書き手が誰であるかはすぐにつきとめることができる。自分のことはどうでもいいのだけど、もし息子や保育園が特定できてしまったら、それはまずいのではないか、という指摘があったのだ。


そうだった。もうすぐ5歳になる次男にも立派な人格があるのだ。個人を特定できる写真や名前を取り上げるつもりはハナからないが、文章だけとはいえ、怒っている相手をやゆするような内容に息子を使うのはよくなかった。


削除は初めてである。ネットや世間のよくわからない風潮に屈した気分が少し残るが、アドバイスに従うことにしたのだ。


削除した回の代わりに、次男とインターフォンの別な話を書きたい。


あいかわらずにインターフォンが大好きな次男は、保育園から帰ってくると、わが家のインターフォンを毎日押して、その欲求を満たしているようだ。


夕方に特段の用事がないと、帰ってくる息子2人と妻のために簡単なごはんを作って、風呂を焚いておくのがぼくの日課となっている。これらの準備を終えた夕方6時少し前、ピンポーンピンポーンと2回鳴るのだ。


「はいはい、誰ですか」と出ると、「タッキュウビンでーす」という次男のでかい声が返ってくる。「はいはい、いま開けますよ」と言って玄関を開けると、「おとうさんはまただまされたな」と次男が笑って立っている。


このやり取りがとても気に入っていて、この時間にインターフォンが鳴ると、モニター画面に向かいながら、だらしなくニヤニヤしている自分に気づく。モニター画面には、カメラに届かない次男の頭の先っちょだけが映っているのだ。


そして、部屋に入ってくるなり、次男は背伸びしてテーブルの上をのぞきこみ、ぼくがつくった本日の夕飯を確認する。これが彼の三大好物であるチャーハン、親子丼、マーボー豆腐のいずれかだと、上着も脱がずそのまま食卓に座ってしまいがつがつ食べ始めるのだ。


ぼくはその姿を見ながら、店に出勤する前の身じたくを始めていく。食べ終わってテレビの前のソファにちょこんと座る次男を見届けてから、「じゃあ行ってくるぞ」と言って家を出るのだ。次男はテレビアニメに夢中でたいてい何も返事をしない。


これがぼくと次男との平日にある唯一の交わりである。


あわただしい30分間であるのだが、息子たちが大きくなってしまった後年、なかなかいい時期だったと振り返るやわらかい思い出になるのだろうな、と思っている。




BGM:Otis Blue/Otis Redding