背広、ちり紙、魔法びん

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カウンター客との会話の中で「背広」と言ったら、笑われてしまった。「古い」のだそうだ。普通はスーツだよ、と。

 

「そうかそうか、ハハハ、すっかりおじさんだよなあ」と、アタマをかきながら笑ってごまかしたのだが、心の中では「いやいや。これからもおれは背広という言葉を使っていくぞ」と固くちかっていたのである。

 

背広、せびろ、いいひびきじゃないか。昔ながらの働くニッポンの男というイメージである。別にカッコはよくない。無口、実直、無遅刻無欠勤。すかした輩のスーツとはちょっと違うんだなあ。

 

背広の語源はいろいろあるようだが、なかでもこれを初めて売り出したと言われる英国の高級洋服店「サヴィル・ロウ」がなまったという説がいい。明治の頃だったそうだ。

 

20年前、会社勤めをすることになり、初めて買ったのは「吊るしの背広」だった。父親にこのことを言うと、「ああ、安い吊るしので十分だ」とうなずいた。「えもんかけならいっぱいあるからな、買わなくていいぞ」とも言っていた。父親は昭和9年の生まれである。

 

背広が「スーツ」と呼ばれるようになったように、いいひびきを持ったモノの言葉がカタカナ語に駆逐されている例は少なくない。百貨店はデパート、ちり紙はティッシュ、魔法びんはポット(またはジャー)といった風に。

 

これらが今の子どもたちにどこまで通じるか、わが息子(12歳)で試してみた。会話の中にわざとこうした言葉を用いるのだ。

 

百貨店とちり紙はすんなり通じたが、背広と魔法びんについては「は?」という顔だった。おもしろいので、その昔に父親が言っていたように、「えもんかけを取ってくれ」とか「土曜日は半ドンか?」とか言ってからかったら、息子は「なんだ、そりゃ」という顔して向こうへ行ってしまった。

 

そんな折、ふと手に取って読み始めていた吉村昭のエッセー集の中に「万年筆」の話があって、これがおもしろかった。

 

こうした言葉の移り変わりの中でも、万年筆という名称だけはカタカナに浸食されずに生き抜いているという。ああ、ほんとだ。

 

万年筆は日本に輸入されたころ、「泉筆」と呼ばれていたそうだ。アメリカ人は泉のごとくインクがわくペンとしてfountain penと名付けた。これを直訳したものだったが、いつまでもインクが出るものという意から万年筆と訳され、これが定着したという。

 

日本語の名称が少なくなっていく一方で、輸入されたモノの名称がそのままの外国語で使われるようになった。この状況を踏まえ、吉村昭は「外国品を日本語に翻訳する作業を(中略)日本人は完全にやめたらしい」と嘆いた。

 

万年筆と訳したりした昔の著名な翻訳者たちが現在の「パソコン」「インターネット」「スマホ」を日本語にしたら一体どんなものになっただろうと、想像してみる。わたしたちには思いもつかなかった日本語が出てくるだろうか。次から次へと輸入されてくる外国品に、あるいはサジをなげてしまっただろうか。

 


BGM:Home&Abroad/The Style Council

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堂々たる試食

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いつかは堂々と試食がしてみたいと思っていた。スーパーやデパ地下でよくやっている「試食」。みんなはあれとどう付き合っているだろう。無視しますか。臆面なく食べられますか。「オレなんか、必ずもらっちゃうよ。買ったためしはないけどね。ダハハ」と言う人がいたら、この先は読まずにこのページを閉じたほうがよさそうです。
 
思えば、大人になってこのかた、スーパーなどで試食したことがない。試食コーナーの女性にすすめられても、なかなか受け取ることができない。理由は自分でも分からない。

 

たまに、堂々と試食しているオトーサンがいますね。小さな銀色の皿とアイスで使うようなスプーンを手に、頷いてみたり、首を傾げたりして談笑している人。

 

あの人は試食慣れしているんだな、やるな、と思う。だけど、見ていてなんだか恥ずかしい。主婦や子どもが試食している姿はなかなかいいものだけど、男の試食はどういうわけだか恥ずかしい。なぜだろう。「いい年の男が昼間っから何をやっておるのか」という後ろめたさもある。
 
さて8月のある日。ぼくは、自分の店で提供するおいしいソーセージをもとめて、普段は使わない高級スーパーに行った。ソーセージやハムが並ぶ売り場に向かうと、その前にあったあった。試食コーナーが設置されているじゃないか。
 
鎌倉からやってきたというメーカーが出店販売していた。冷蔵ケースの中の商品をのぞいていると、試食のオバチャンが「お味見いかがですか」と言って、つま楊枝をぬっと差し出した。小さく切られたソーセージがささっていた。
 
――きたな、と思いましたね。
 
お、なかなかうまそうなソーセージがきたなという意味ではないよ。この時がついにきたなと思ったのである。
 
この日のぼくはソーセージを買う気十分。しかも店で提供する業務用食材のいわば仕入れである。しかも、店主自らがするどい目線と味覚を持って足を運んでいるのである(1人でやってる店だけど)。

 

そのへんの冷やかしといっしょにされては困る。堂々と味を見て、買うか買わないか判断したい。試食を経て、販売に持ち込みたいベンダー(オバチャン)と、購入意欲のきわめて高い見込み客(ぼく)は今まさに、取引成立に向けて歩み寄りを始めたのである。
 
あわてず騒がず、楊枝を受け取り、まずはソーセージを一瞥。納得したところでおもむろに口の中へ。ゆっくりとかみしめながら肉の弾力やうまみを確認し、オバチャンに感想をひと言――という流れを頭で描いてみたけれど、試食に慣れていないぼくはアガってしまい、「あ、どうも、すいません」なんて言って受け取ると、あたりをキョロキョロ見回しながら口に放り込んだ。
 
飲み込んでから、オバチャンのほうをチラり見ると、「ね、おいしいでしょう。今しか買えないからねえ」とベンダー(同)はクロージングテクニックを見せてきた。堂々試食のオトーサンのように、きさくに会話することなんてできず、あいまいに笑って、つま楊枝を袋の中に捨てた。
 
ぼくの一連の様子を見て、オバチャンは「ダメだこりゃ」と思っただろう。さて、次のターゲットに移るかと思ったことだろう。
 
しかし、先方の予想に反する形で、「これとこれをください」とぼくは言ったのだった。すぐに飲み込んじゃったけど、ハーブの香りが強くてうまいなと思っていたのである。
 
オバチャンは一瞬、意外そうな顔を見せたあと、「はい、どうもねえ」と大きな声で言った。
 
商品を袋に入れながら、「お客さんね、これね、あと一種類買うと2000円ちょうどでお得なんだわ。どうでしょうね」とアップセルの提案をしてきた。「じゃあ、そのガーリック味ももらいます」。というわけで合計3個購入。
 
その日は祝日だったためか、食品売り場には試食コーナーがほかにもいくつかあった。見ると、試食販売員(と呼ぶのか分かりませんが)にも色分けがあるようだった。
 
肉売り場にはさっきのオバチャンのほか、牛肉を使って炒めたチャプチェのようなものを供している別なオバチャンの姿もあった。肉売り場はベテランスタッフのテリトリーであることが見てとれた。
 
鮮魚売り場に行くと、ちりめんじゃこを販売しているオジサンが「味見てってねぇ」と威勢よくしわがれ声を出していた。飲み物の売り場には、新製品のノンアルコールカクテルを小さなカップに入れてすすめている若い女性がいた。
 
試食コーナーには、それぞれの商品に合った人員が適所に配置されているようだった。まあ当たり前か。ちりめんじゃこのオジサンとカクテルのおねえさんの持ち場があべこべになるわけないか。でも、肉売り場のオバチャンなら、ちりめんでもカクテルでもどーんと来いだろうなと思った。
 
きっと試食の世界では肉売り場が花形なのであって、そこに立つベテランたちが「できる人」なのだろう。その経験、安心感、押し引きの妙。試食からの購入を初体験したぼくの考察です。

 

 

BGM:Carney/Leon Russell

 

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世間よりも少し早く、店は夏休みにし、宮古島に行ってきた。ギラギラとやる気むき出しの太陽と、笑ってしまうぐらいの青い海に迎えられた。東京でしか暮らしたことのない貧弱なわが身には、クラクラするような南国的光景がそこにあった。


25年来の友人で、この島に移住して7年というアイザワが4日間の行程を同行案内してくれた。7年住みついていると島をくまなく知り尽くしているようだった。彼のおかげで、初めて行く島なのに、海水浴も宿も食事も、少しツウな楽しみ方をさせてもらった。


帰ってきてからは、旅行の話を自慢げに聞かせたがるバカ店主になってしまっている。常連からは「そのうちカウンターにシーサーなんか並べたりして」とからかわれている。お客たちのあきれ顔が浮かぶので、宮古島でなにをしてきたのかはここでは書かない。


そういえばヒコーキに乗ったのはひさしぶりだった。サラリーマン時代の出張以来である。これでも30代までは、全国を飛び回るモーレツ会社員だったので、ヒコーキにもよく乗っていた。ひさびさだったので、搭乗前にペットボトルの中身を確認されたり、持ち込み制限品の対象が広がっていたりと、以前とは異なる手続きに時の流れを感じたなあ。


宮古島直行便なので、行きも帰りも、乗客のほぼ100%が観光客で、ぼくたちのような家族連れがその半分ほどを占めているみたいだった。行きのヒコーキでは、出発日の明け方まで店を営業していたので、即座に眠りに突入した。息子たちとの連日の海遊びでクタクタだったので帰りのヒコーキでも2時間ほど眠る方針を固めていた。


帰路、指定された通路側の席に座ると、空席をひとつ置いた形で、長袖のシャツを着た1人の男が窓の外を見ていた。機内にたちこめる観光ムードとは異なる空気が男の周りにはあった。30代後半の年恰好。長袖シャツからはみだすようにして手首から入れ墨がのぞいているが見えた。


ヒコーキが動き始めると、男がこちらを向いて「トイレの時……頼みます」とていねいな声音で言った。ん? はじめは何のことなのか分からなかったが、男がぼくのひざのあたりに視線を移したので、ああ、そういうことかと納得した。「ええ、分かりました」。男は口だけで笑って軽くうなずいた。


ベルト着用の指示がなくなれば、すぐにトイレに行くのだろうと予想していたが、男はいっこうに座ったままだった。ぼくが寝てしまっては、足がじゃまだろうと思ったので、男がトイレに行くまで起きていることにした。


でも、男はなかなかトイレに行こうとしない。それどころか、1時間ほどすると、ヘッドフォンをしたまま寝ているようだった。なんだよ、行かないのかよ、まぎらわしい。少しムッとしてこちらも寝る態勢に入った。


目をつむると、長袖からのぞく男の入れ墨が頭にちらついた。全身に広がっているかもしれない入れ墨を想像した。それとは不釣り合いなさっきのていねいな物言いを思い起こした。コワい人だったりして――目を開けたぼくは「やっぱり起きていよう。うん、そうしよう。全然眠くないもんね」と心の中でつぶやき、あっさり方針転換した。


結局、男は一度もトイレに行かず、ぼくは眠ることなく羽田に着いてしまった。到着してから乗客が降り始めるまでの例の待ち時間(分かりますね)、男のほうをちらりと見ると、なにかぼそぼそとケータイで話していた。


――とまあ、これだけの話なのだが、考えてみると、男は旅行帰りの観光客ではなく、島の人だったんじゃないかと思った。東京観光というより、なにか大事な用事があっての上京だったのではないか。でもって、ぼくは少し勘違いしていたのではないか……。


男がかけた言葉は、「あとでトイレに行くから、その足をどかせよな」ということじゃなくて、「あとでトイレに行くかもしれない。その時は足をどかしてね。道中よろしく」という隣席へのあいさつだったのではないか。


だとしたら、機内マナーを備えた人間だと思う。急に足をグイっと割り込ませてトイレに行くオッサンがたまにいたものなあ。見かけで判断してはいけなかった。子連れだったのでいろいろと警戒的になっていたのである。


そういえば宮古島に滞在中、アイザワがこんなことを言っていた。「島の人の言葉は、内地の人にはぶっきらぼうに聞こえるんだよ」。うーむ、いまになって思い出した。




BGM: A NIGHT ON THE TOWN/Rod Stewart









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空きビンの記憶

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生ビールではなく、ビンビール党という人がいる。ビンなら家でも飲めるだろうに、と思うのだが、かたくなにビンビールで注文を貫く常連がウチの店にも数人いる。


彼らが同じ夜にきてしまうと、冷蔵庫はたちまちからっぽになり、空きビンがどんどんたまっていく。酒屋が回収しやすいように、いつも空きビンはドア付近に置いておくのだが、並んだビンを見ると、よく思い出す子どもの頃の記憶がある。


空きビンはぼくらの宝だった。ビールは5円、ジュースは10円で店が引き取ってくれるからだ。うまく集めて持っていくと1日で100円ぐらいの収入になった。


自転車で走りながら、ゴミ置き場に空きビンはないか、ぼくらはよく目を凝らした。コーラの大ビンはキャップ付きだと引き取り額がたしか当時30円で、この“大物”をみつけると、顔がにやけてしまうほどうれしかった。


ある日、いつものように公園にたまっていると、ヨシナガくんがどきりとする提案をした。ヨシナガくんはぼくより2歳上の6年生だった。公園近くのアパートに住んでいて、その年の夏休みから急速に仲よくなっていた。


「うちのアパートの2階にビンがすげえたまった家があるんだ」とヨシナガくんは言った。ヨシナガくんが何をしたいのかはすぐに分かった。どれぐらいあるのか聞くと、それには答えず「よし、見に行こう」と言った。


アパートは2階建てで、ヨシナガくんは1階に住んでいた。静かに階段を上がり、少し歩き進むと、通路のつきあたりに無造作に置かれた空きビンが見えた。おお、あれなら200円ぐらいだな、と思っていると、ヨシナガくんがぼくのTシャツのうしろのほうを引っ張った。いったん下に降るぞという合図だった。


まだなにかしたわけでもないのに、ドロボーのようにそーっと階段をおりて、ヨシナガくんの家にそーっと入った。


ヨシナガくんはお母さんと2人で暮らしていて、昼間は自分1人しかいないから、いつでも来いよと言っていた。最初にそれを聞いた時、じゃあお父さんはどこにいるんだろうと不思議に思ったけど、自分にはどうでもいいことなのでそのことは聞かなかった。


「な、いっぱいあっただろ」――ぼくはうなずいた。


ヨシナガくんは冷蔵庫から出した麦茶をごくりと飲むと、「ずっとあのままだから持っていっても、ぜってえバレねえよ」と自信めいた顔で言った。それにしても、あの家の人はビンをなんでほったらかしにしているのか聞くと、「アルチューなんだよ」とヨシナガくんはなぜか怒ったように言った。アルチューの意味はぼくにもなんとなく分かった。


手分けしてビンを運ぶ途中、その家のドアが急に開くのではないかとハラハラしたけど、あっけなくぜんぶ運んでしまった。2人の自転車のカゴが空きビンで満杯になった。載せきれなかったぶんは、ヨシナガくんが家から持ってきたスーパーの袋につめた。ビンがガシャガシャとうるさくて少し困ったけど、1回でうまく酒屋まで運ぶことができた。


よく行く酒屋のおじさんは、なにも聞かなかったのでありがたかった。「はいよ、ごくろうさん」と言って140円をくれた。予想よりも金額が低かったのは、10円のビンよりも5円のビールビンが多かったためだな、と帰り道に2人で納得し合った。


その金でジュースを買って2人で飲んだ。どうせすぐにたまるから、またやろうぜ、とヨシナガくんは言った。


結局、「またやろうぜ」という誘いは一度もなく、ヨシナガくんは小学校を卒業し、中学生になった。ぼくは5年生になっていた。たまに見かける制服姿のヨシナガくんは大人っぽく見えた。小学生のぼくが気軽に話しかけないほうがいいだろうなと自分なりに判断し、見かけてもだまって通り過ぎた。


ぼくも同じ中学校に入った。校内を歩いていると、2軒先に住んでいるたけちゃんが軽く手を上げた。たけちゃんはヨシナガくんと同級生で、彼も小学生のころはたまに「空きびん回収作戦」に参加していたメンバーだった。


昔からの間柄とはいえ、3年生と気軽に話すことはできなかったが、あるとき帰り道にたけちゃんといっしょになった。学校でヨシナガくんを見かけないので、「ヨシナガさんはいま何組なんですか」と聞いてみた。中学生らしく「さん」をつけて、敬語もうまく使えた。


たけちゃんによると、ヨシナガくんは2年生の頃に転校していて、いまはフクチヤマというところに住んでいるという話だった。フクチヤマが、漢字では福知山と書き、それが京都にある市名だということをぼくが知ったのは、このずっと後だ。


「ヨシナガの家のアパートだってもうとっくないぜ」とたけちゃんは言った。あのアパートの形や、散らかったヨシナガくんの家の中を思い出すと、2人で空きビンを持ち出したときのことも思い出してしまった。


ということは、2階のアルチューもどこかへ行ったのか、とふと思った。


でも、本当はアルチューなんかじゃなく、家で晩酌するのが好きな、おおらかで掃除がヘタなおじさんがきっと1人で住んでいたんだろうな、と中学生のぼくにはもう分かっていた。




◆お知らせ◆
7月26日(火)~29日(金)は夏休みといたします。

風がおどってるんだ

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小さな子どもと話していると、ときおりハッとすることがある。こんなチビすけのくせに、なかなかいいことを言うじゃないか、と驚いた経験が親なら何度かあるだろう。


最近ハッとしたのは、保育園から帰ってきたばかりの次男(5歳)とのこんな会話だった。


「オトーサンは、風が舞うってどういうことか分かるか?」


「うーん、なんだろなぁ」と考えていると、彼はまじめな顔でこう続けた。


「あのね、風が舞うというのはね、風がおどってるんだ!」


「へえ、そうか。よく知っているな。すごいじゃないか」と本当に驚いていると、「オトーサン、知らなかったのか?」と次男は得意気に言った。


風がおどっている――と頭のなかで反芻してみると、実にいいじゃないかと思った。自分の子どもが言ったことに感じ入るのも相当な親バカだな、と思うけれど、本当に感心してしまったのだからしようがない。


いまじゃ「ディスる」なんて言葉も知っている長男(12歳)だが、やつも小さなころはふとおもしろい言葉を口にすることがあった。


台風の強い風で窓がガタガタしていると「きょうは風がおこっているねえ」、暑い日に出かけた公園の草いきれをかいで「うわぁ、夏がくさい」――などだ。


たぶん、これらの言い方は、絵本や保育園の先生の言葉などから自然に体の中に入ってきたのだろう。語彙が少ないぶん、子どもらしい素直で正直な表現になる。へんてこなビジネス用語、テレビタレントの話し言葉、ネットスラングなどに耳が慣れてしまったぼくたち大人にはとても新鮮に聞こえる。


外から帰ってきた子どもが、その日に見た光景を「あのね、あのね」と息せききって伝えるのはたいてい母親であって、夜まで働いている父ちゃんたちはあまりそういう子どものユニークな表現に触れる機会は少ない。


わが家では、妻が当店のカフェタイムを営業しているため、昼間は家で仕事をすることの多いぼくがこの「あのね、あのね」のあとに続く話を最初に聞くことになる。


たどたどしいけれど、熱心に伝えようとする子どもの話はいつもいきいきしている。感心するものがあると、店にいる妻にメールで教えてやっている。冒頭の話も「風が舞う、とは風がおどっているということ。きちんと覚えておくように」と送信しておいた。


小さな子どもがいれば、どこの家でもこうした「言葉」がふわりと出てくる瞬間があるはずだ。でも、気にとめておかないと、すぐに忘れてしまって、「こないだ、この子がおもしろいことを言ってたけど、あれなんだっけ?」と夫婦で首をかしげることになる。長男の話を二つ書いたが、もっとたくさんあったはずなのに、ぼくもうまく思い出せなかった。


これを書きながら、子どもが話したフレーズやユニークな表現を世界中の親から募ってみたらどうかと思った。出色のものをまとめた本を読んでみたい。小さな子どものいる親だけでなく、編集者、広告マン、ライターたちもきっと喜ぶと思うのだが、どうだろう。




BGM: BGM/YMO