最初の客

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もし、自分が飲食店を担当分野とする雑誌記者などをしていたら、特集企画や連載の読み物として手がけてみたいのが「最初の客」というテーマだ。

当然ながら、どんな店にも初めて扉を開けたお客の存在がある。店が「大きな一歩」を踏み出した時である。新規開店と同時に、どっとお客が押し寄せる有名店などは例外として、個人がじっくりとスタートさせた飲食店なら、店主はその時の様子、気持ち、生活が何年たっても思い出せるはずだ。そこにはささやかだけど、しみじみとしたストーリーがきっとあると思うのである。

わが店に最初の客がきたのはオープン2日目だった。初日は、身内や友人が「よっ、来てやったぞ」などと言って遊びにきただけだった。こうしたひやかしではなく、れっきとしたお客の第一号がやってきた時のことはよく覚えている。

20代にも見える若い夫婦だった。カップルではなく、夫婦と分かったのは、女性のお腹が大きかったからだ。オーダーは生ビールとアイスカフェオレだった。いずれも慎重に丁寧に作ったつもりだ。会話のじゃまにならないように静かなBGMを流していた。

代金はちょうど1000円。夫婦を見送ったあと、受け取った千円札をレジにしまった。グラスを片付けながら、この千円札は自分にとって初めての売り上げなんだなと思った。会社の看板や名刺を使って得たものではない、自分だけの手で売り上げた金。経営者からもらう月給や賃金ではなく、客から直接もらった金。そんなことを考えると、1枚の千円札がじわじわと重みをもってくるように感じた。

この頃、ぼくはサラリーマンで、毎日背広で出勤し、帰ると店のカウンターに立つという生活を始めていた。店のことを知っている人は会社には誰もいなかった。

会社は、専門誌や書籍などを発行する小さな出版社で、入社から15年ほどがたっていた。ぼくは少し前に新しく立ち上げた媒体の編集人として毎日アグレッシブに過ごしていた。

スタートダッシュというのだろうか、その媒体は当初の勢いはよかった。だけど、1年ほどで減速、販売・広告ともに売り上げは下降していった。

経営陣は「どうなっているのか」「早くなんとかせい」とぼくを責め立てた。創刊者であり、現場責任者であるから当然なのだが、これが毎日続くと、結構つらいものがあった。

経営陣がまくしたてる「売り上げ」「計画」「損益」といった会社言葉にすっかり辟易してしまい、いつしか自分の席にいることの少ないユーレイ社員になっていた。

その頃から、ひそかに店の開店準備を始めていた。会社帰りの夜遅く、まだ工事中の店によく立ち寄った。塗料のにおいが心地よかった。しんとした空気の中で買ってきた酒を飲んだ。着々と完成に近づく店の中で、会社とは異なる「新しい世界」を見るようになっていた。

経過は書かないが、それから1年半ほどして会社を辞めた。店の売り上げが徐々に上向いてきた一方で、フリーランスの立場で編集仕事のクチにありつくことができたからだ。その二重仕事の生活はいまも続いている。

ありがたいことに、最初の客から千円札を受け取ってから6年以上、店を続けることができた。ぜいたくはできないけれど、子どもにはひもじい思いをさせずにすんでいる。最初の客のオーダーを記した売り上げ伝票はいまも捨てずにしまってある。あの頃を忘れない「お守り」なのである。

 

 

真新しいオープン3日前の店内

 

 

BGM:Southern Night/Allen Toussaint







 

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数字でみるわが店の2016年

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少し気が早いけど、この1年、わが店で印象に残ったことを数字で振り返ってみたい。

 

◇160杯
5月にあった貸切パーティで提供した酒の数である。10席しかないわが店に40人が集まった。酒の杯数でも、来店人数でも、今年一番どころか過去最多となった。当日は屋上を開放し、バーベキューを行った。店内で飲み物を買う仕組みとしたので、ぼくは1人でずっと酒を作りつづけた。暑い日だった。ビールは用意していた30リットルがカラになり、ハイボールやチューハイなどもよく出た。すると、この人数だとわが店の製氷機では氷が追いつかないことが分かった。心やさしい参加者が近所のスーパーで氷を買ってきてくれたので乗り切ることができたけど、氷については今後の課題としたい。1日あたりの売り上げも過去最高だった。

 

◇2人
40人が来てくれた日があれば、こんなさびしい夜もある。ひと晩あたりの今年最低の客数。オープン初年度によくあったボウズ(ゼロ人)の夜を思い起こせば、これぐらいなんのなんの。たしか3連休の最終日だった。台風が近づいてうっとうしい雨が降り続いていた。その夜、飲みにきてくれた常連Sとは「連休終わりの雨降りの法則」について話した。連休の最終日の夜から翌朝にかけて雨が降るケースが多すぎるのである。仕事がまた始まるという憂鬱な気持ちの表れではないかとぼくが言うと、「みんなが発する負の気、念のようなものが台風を引き寄せているのです」とSは真顔で言った。なるほど、同感。

 

◇1回
男はどうも飲み過ぎていた。初めて見る顔だった。最初から話しぶりに険があった。イヤなことでもあったのだろうと思ったが、その逆で「臨時収入が入ったんだよ」と言って胸のポケットを叩いた。2杯目を飲んでいると、だんだん口調が変わってきた。呼び名が「マスター」から「あんた」になり、そして「おまえ」となった。カウンターの隣りの客にもちょっかいを出すようになった。一線を超えたと判断し、酒の提供を断った。ムッとした男は席を立った。見送る形で、店をいっしょに出た。次回からの来店を断りますと話すと、剣呑な目つきをこちらに向けたまま階段を降りていった。今年唯一の来店お断り。

 

◇約3人
常連だった人がパタリと来なくなることが毎年ある。理由は分からない。今年も3人ぐらいの常連客が去っていった。うち2人はぼくと年齢の近い男で、気の合う友人のような存在だった。ぼくの態度や話す内容に気に食わない点でもあったのだろうか、と自分を振り返ってみる。いずれにしても「飽きられた」のだろうなと思う。そういえば来なくなった常連はともにこのブログを読んでくれていた。1人はぼくの書く駄文にも「共感がある」と言ってくれた。これはいまでも一番のほめ言葉だと思っている。店に来なくなってもこれを読んでいるのだろうか。立ち読みばかりされている本屋の気持ちが少ししてくる。

 

◇17本
今回を加えると、今年は17本の駄文を投稿した。数年前までは週1回の投稿を自分に課していたけど、だんだんと隔週になり、いまでは月1回がせいぜいである。書けない理由はいろいろあるが、そのひとつはインターネットに自分の考えを示すことに抵抗を感じるようになったからだ。想像もしなかった人が読んでいたり、ぼくの考えに違和感を持つ人が予想以上にいることは体験的に分かっている。実名は出さないとはいえ、家族のことなどにも触れてきた。身内がなにかの批判を受けるのではないかと考えると、筆は止まり、内容も委縮してしまう。来年からはこの欄を○月○日で始める店日記の形式とし、これまでのような雑感は特定の人にしか教えないペンネームでどこかに書こうかと検討している。

 

◇3日
今年はこれまでに定休日以外に2日の休みをとった。ひとつはこのブログでも触れた宮古島旅行。もうひとつはなぜ休んだのか思い出せない。で、今年最後の臨時休みを12月12日(月)にとることにした。だから、年末年始と夏休みを除く今年の臨時休みは3日間。風邪で休んだ日は一日もなかった。我ながらよくやってきたな。パチパチ。12月12日は堀込泰行の東京公演を観るために休むのである。キリンジを抜けたあとの本格的なソロ第1弾がすこぶる良かった。たまにはこんな休みがあってもいいのだ。今年は9月にエルビス・コステロの東京公演にも行った。今年の音楽ライブはこの2本である。年末休みには近所にある下高井戸シネマでビートルズの映画を観る気マンマンでいる。

 

BGM:One/Yasuyuki Horigome

 

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そば屋で夫婦会議

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この10月末でわが店は満6歳となる。昼間の営業を妻が行い、夜になると自分が店に出ていくというバトンタッチの生活を6年も続けてきたことになる。

 

かなり本格的なすれ違い夫婦であり、この生活をお客に心配されることがある。「さびしがっているんじゃないか」「家族をほったらかしにして」「家庭は大丈夫なのか」といった声である。

 

これらの意見はだいたいが女性客によるもので、いずれもなぜか怒りがにじんでいる。家族をほっぽらかしにして遊び歩いているわけじゃないのだが、一家のあるじが毎夜毎夜、家を空けていることに、女性たちはそこはかとなく危機感を抱くのだろう。

 

気づけば、妻とは店に関する業務連絡メールばかりで、なにかを話し合ったり、相談したりすることがずいぶんなかった。店の経営状況、子育て、家計、互いの親のことなどをめぐり、さまざまな悩みがわが家にもある。

 

どれかの悩みが深刻化する前に、考え方や心持ちをすり合わせておく必要があるかもれないな、と思いたち、半年ぐらい前から、店の定休日に週一回だけ昼ごはんをともに食べるようにしている。ランチミーティングだ。

 

場所はそば屋に決めている。最寄り駅から1つか2つ離れた駅のほうにある店を適当にみつけて歩いている。そうすると、歩く時間と店に入ってからの時間が合計で約1時間半。ミーティングにはちょうどいい時間となる。

 

早めに決断しなくてはならないことや互いの愚痴を聞くのにいい機会になっているように思う。ここ最近では、わが店の更新について意思確認した。更新は3年ごとで、この10月上旬に契約期限が迫っていた。こちら側としては大家や設備・管理などに対する不満も多く、実は「契約の話し合いがこじれたらこれで閉めよう」というところまできていたのだ(3日前に更新は行った)。

 

どこの街にもありそうなそば屋ののんびりした昼下がり――という場が、話がギスギスしたり、投げやりな結論に行くのを回避してくれているように思う。

 

午後2時すぎのそば屋。のれんをくぐり戸を開けると、近所のおばあちゃんが1人でそばを食べている。奥のほうからそばつゆのにおい。客たちのひかえめなススリ音。時間はゆっくりと流れている。平和な店内の空気のなか、やがて、私たちの話はゆるやかに円満な方向へ進んでいくのである。

 

そういえば、やんちゃなわが家の息子たちの困った話を相談されていた時、近くのテーブルで、坊主頭の兄弟が熱心にラーメンのようなものを食べていたことがあった。

 

中学生と小学2年生ぐらいと見られ、2人ともよく日に焼けていた。弟はまさしく夏休みの少年ですという姿だった。

 

7歳ちがいの息子2人とちょうど同じぐらいの年の差であることに気がついた妻が、「うちの子たちもああいう風になるかな」とこそっと言った。

 

弟は、頭のほうまではしを持ち上げるような格好で湯気の立った麺を引っ張り出している。それを茶椀にうつして上手に食べていた。兄ちゃんのほうはマンガ本を読みながら、冷たいうどんのようなものを食べていた。弟は兄ちゃんの顔をちらちらと見ていた。

 

坊主頭の兄弟を見ていると、今より少し大きくなったうちの子が、どこかの店で向かい合ってラーメンでも食べている姿がだぶった。

 

――いろいろ心配はあるけど、元気に育っていれば、まあそれだけで十分じゃないか

 

妻も同じようなことを思ったのだろう。子育てに関する話はそれ以降なかった。

 

 

 

BGM:SOUL LIMBO/Booker T.&THE M.G.’S

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背広、ちり紙、魔法びん

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カウンター客との会話の中で「背広」と言ったら、笑われてしまった。「古い」のだそうだ。普通はスーツだよ、と。

 

「そうかそうか、ハハハ、すっかりおじさんだよなあ」と、アタマをかきながら笑ってごまかしたのだが、心の中では「いやいや。これからもおれは背広という言葉を使っていくぞ」と固くちかっていたのである。

 

背広、せびろ、いいひびきじゃないか。昔ながらの働くニッポンの男というイメージである。別にカッコはよくない。無口、実直、無遅刻無欠勤。すかした輩のスーツとはちょっと違うんだなあ。

 

背広の語源はいろいろあるようだが、なかでもこれを初めて売り出したと言われる英国の高級洋服店「サヴィル・ロウ」がなまったという説がいい。明治の頃だったそうだ。

 

20年前、会社勤めをすることになり、初めて買ったのは「吊るしの背広」だった。父親にこのことを言うと、「ああ、安い吊るしので十分だ」とうなずいた。「えもんかけならいっぱいあるからな、買わなくていいぞ」とも言っていた。父親は昭和9年の生まれである。

 

背広が「スーツ」と呼ばれるようになったように、いいひびきを持ったモノの言葉がカタカナ語に駆逐されている例は少なくない。百貨店はデパート、ちり紙はティッシュ、魔法びんはポット(またはジャー)といった風に。

 

これらが今の子どもたちにどこまで通じるか、わが息子(12歳)で試してみた。会話の中にわざとこうした言葉を用いるのだ。

 

百貨店とちり紙はすんなり通じたが、背広と魔法びんについては「は?」という顔だった。おもしろいので、その昔に父親が言っていたように、「えもんかけを取ってくれ」とか「土曜日は半ドンか?」とか言ってからかったら、息子は「なんだ、そりゃ」という顔して向こうへ行ってしまった。

 

そんな折、ふと手に取って読み始めていた吉村昭のエッセー集の中に「万年筆」の話があって、これがおもしろかった。

 

こうした言葉の移り変わりの中でも、万年筆という名称だけはカタカナに浸食されずに生き抜いているという。ああ、ほんとだ。

 

万年筆は日本に輸入されたころ、「泉筆」と呼ばれていたそうだ。アメリカ人は泉のごとくインクがわくペンとしてfountain penと名付けた。これを直訳したものだったが、いつまでもインクが出るものという意から万年筆と訳され、これが定着したという。

 

日本語の名称が少なくなっていく一方で、輸入されたモノの名称がそのままの外国語で使われるようになった。この状況を踏まえ、吉村昭は「外国品を日本語に翻訳する作業を(中略)日本人は完全にやめたらしい」と嘆いた。

 

万年筆と訳したりした昔の著名な翻訳者たちが現在の「パソコン」「インターネット」「スマホ」を日本語にしたら一体どんなものになっただろうと、想像してみる。わたしたちには思いもつかなかった日本語が出てくるだろうか。次から次へと輸入されてくる外国品に、あるいはサジをなげてしまっただろうか。

 


BGM:Home&Abroad/The Style Council

堂々たる試食

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いつかは堂々と試食がしてみたいと思っていた。スーパーやデパ地下でよくやっている「試食」。みんなはあれとどう付き合っているだろう。無視しますか。臆面なく食べられますか。「オレなんか、必ずもらっちゃうよ。買ったためしはないけどね。ダハハ」と言う人がいたら、この先は読まずにこのページを閉じたほうがよさそうです。
 
思えば、大人になってこのかた、スーパーなどで試食したことがない。試食コーナーの女性にすすめられても、なかなか受け取ることができない。理由は自分でも分からない。

 

たまに、堂々と試食しているオトーサンがいますね。小さな銀色の皿とアイスで使うようなスプーンを手に、頷いてみたり、首を傾げたりして談笑している人。

 

あの人は試食慣れしているんだな、やるな、と思う。だけど、見ていてなんだか恥ずかしい。主婦や子どもが試食している姿はなかなかいいものだけど、男の試食はどういうわけだか恥ずかしい。なぜだろう。「いい年の男が昼間っから何をやっておるのか」という後ろめたさもある。
 
さて8月のある日。ぼくは、自分の店で提供するおいしいソーセージをもとめて、普段は使わない高級スーパーに行った。ソーセージやハムが並ぶ売り場に向かうと、その前にあったあった。試食コーナーが設置されているじゃないか。
 
鎌倉からやってきたというメーカーが出店販売していた。冷蔵ケースの中の商品をのぞいていると、試食のオバチャンが「お味見いかがですか」と言って、つま楊枝をぬっと差し出した。小さく切られたソーセージがささっていた。
 
――きたな、と思いましたね。
 
お、なかなかうまそうなソーセージがきたなという意味ではないよ。この時がついにきたなと思ったのである。
 
この日のぼくはソーセージを買う気十分。しかも店で提供する業務用食材のいわば仕入れである。しかも、店主自らがするどい目線と味覚を持って足を運んでいるのである(1人でやってる店だけど)。

 

そのへんの冷やかしといっしょにされては困る。堂々と味を見て、買うか買わないか判断したい。試食を経て、販売に持ち込みたいベンダー(オバチャン)と、購入意欲のきわめて高い見込み客(ぼく)は今まさに、取引成立に向けて歩み寄りを始めたのである。
 
あわてず騒がず、楊枝を受け取り、まずはソーセージを一瞥。納得したところでおもむろに口の中へ。ゆっくりとかみしめながら肉の弾力やうまみを確認し、オバチャンに感想をひと言――という流れを頭で描いてみたけれど、試食に慣れていないぼくはアガってしまい、「あ、どうも、すいません」なんて言って受け取ると、あたりをキョロキョロ見回しながら口に放り込んだ。
 
飲み込んでから、オバチャンのほうをチラり見ると、「ね、おいしいでしょう。今しか買えないからねえ」とベンダー(同)はクロージングテクニックを見せてきた。堂々試食のオトーサンのように、きさくに会話することなんてできず、あいまいに笑って、つま楊枝を袋の中に捨てた。
 
ぼくの一連の様子を見て、オバチャンは「ダメだこりゃ」と思っただろう。さて、次のターゲットに移るかと思ったことだろう。
 
しかし、先方の予想に反する形で、「これとこれをください」とぼくは言ったのだった。すぐに飲み込んじゃったけど、ハーブの香りが強くてうまいなと思っていたのである。
 
オバチャンは一瞬、意外そうな顔を見せたあと、「はい、どうもねえ」と大きな声で言った。
 
商品を袋に入れながら、「お客さんね、これね、あと一種類買うと2000円ちょうどでお得なんだわ。どうでしょうね」とアップセルの提案をしてきた。「じゃあ、そのガーリック味ももらいます」。というわけで合計3個購入。
 
その日は祝日だったためか、食品売り場には試食コーナーがほかにもいくつかあった。見ると、試食販売員(と呼ぶのか分かりませんが)にも色分けがあるようだった。
 
肉売り場にはさっきのオバチャンのほか、牛肉を使って炒めたチャプチェのようなものを供している別なオバチャンの姿もあった。肉売り場はベテランスタッフのテリトリーであることが見てとれた。
 
鮮魚売り場に行くと、ちりめんじゃこを販売しているオジサンが「味見てってねぇ」と威勢よくしわがれ声を出していた。飲み物の売り場には、新製品のノンアルコールカクテルを小さなカップに入れてすすめている若い女性がいた。
 
試食コーナーには、それぞれの商品に合った人員が適所に配置されているようだった。まあ当たり前か。ちりめんじゃこのオジサンとカクテルのおねえさんの持ち場があべこべになるわけないか。でも、肉売り場のオバチャンなら、ちりめんでもカクテルでもどーんと来いだろうなと思った。
 
きっと試食の世界では肉売り場が花形なのであって、そこに立つベテランたちが「できる人」なのだろう。その経験、安心感、押し引きの妙。試食からの購入を初体験したぼくの考察です。

 

 

BGM:Carney/Leon Russell