日常という奇跡の中で

時空を超えて、地球に感謝したい、そんな日常を毎日感じていたいものです。


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社会教育から社会共育へ 「中島康滋」のブログ ~日常という奇跡の中で~-目黒川の桜



今年は何だかまだまだ寒い日が続いて、時々暖かい日にとびきりの嬉しさを感じます。

基本、暖かい南国好きですが、日本に住むことをやめてまでも南国に住みたいとは思えません。

四季は、とても豊かな感情を引き起こしてくれます。

特に寒い季節との変わり目は、心にも大きな変化をもたらします。

冬に向かうときには、大自然への無力さ、そして数ヶ月の寒さを覚悟します。

春になるにつれて、寒さからの解放で心がウキウキします。

寒い冬は好きではありませんが、この感覚は捨てがたいものがあります。

そして、一年でほんの一瞬だけ、桜が満開になり、列島をピンク色に染めます。

何億・何兆という花びらが一斉に咲くのです。

この桜を見ると、「やっぱり日本が好き。」

そう思いませんか?



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社会教育から社会共育へ 「中島康滋」のブログ ~日常という奇跡の中で~-中庸



中庸という言葉があります。

論語が最初と言われていますが、西洋でも東洋でも受け入れられている考え方です。

考えの偏りがなく、常に柔軟な中立的な状態である姿勢です。

私はとても好きな考え方です。


 陰でも陽でもない

 賛成でも反対でもない

 良いでも悪いでもない


優柔不断とは違い、どちらかに決められないということではないのです。

どちらでもあり、どちらでもない、ということです。


世の中は何かを決めたがります。

特ににメディアは、正義と悪という構造をつくりたがります。

見ている人にとってシンプルでわかりやすく、ストーリーが作りやすいからでしょう。

だから私はあまりメディアが好きではありません。

テレビがないのもそういった理由です。


私たちが生きていく中で、いろいろな判断に迫られることが多くあります。

でも、すべての場面は様々な面を持ち合わせています。


 今は正しいと思えるが、次は正しいかどうかわからない

 正しい面と、正しくない面を持ち合わせている

 うまくいくが、うまくいかない可能性もある


考えがどちらかに偏りすぎると、判断を誤ってしまうことがあります。

自分の心が中心にないと、誰かのせいにしてしまいます。

たとえどちらかに考えを置く必要があっても、常に対となる考えを持てば自身の心は安定します。

多少の風が吹いても、どちらかに偏ることはありません。


最近、自己啓発が流行って、いろいろな考え方の「信者」が増えています。

世の中の考え方は様々で、それぞれに優れている点と盲点があります。

万能なものなどこの世の中にはありませんし、短い時間で解決できるものほどリバウンドもします。

中庸さを失い、盲目になると、自身を失ってしまいます。



ダイビングでは、息を吸えば浮き、息を吐けば沈みます。

中庸は、中性浮力の状態のような感じです。

自然体で、過不足なく、満たされているような・・・・

私はあの状態がとても心地良いです。


それでも感情はいろいろな出来事に反応し、考えや行動に影響してしまいます。

洞察力、直観力(直感ではなく)、経験など、まだまだ足りないことばかりです。




<一日一謝>

選挙に感謝

私たちの意志は、1つ1つの行動が決めていきます。


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