人生の過去と未来は幻です。

私たちに光が当てられているのは、

「いま、この瞬間」現在だけなのです。

「いま、この瞬間」を生きましょう。

そして「本当の自分」を見つけて、

人生に「幸せな物語」を創造しましょう。



  • 25 Feb
    • 感情マイナス私技法

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」精神的な生きづらさを感じた時は、次のように自問してみて下さい・・・「もし、『私』がそれについて考えなければ、今現在において何か悪いことがあるだろうか?」と。この自問技法によって、精神的な悩みのほとんどは解消されます。なぜなら、人間の感情が問題となるのは、そこに『私』がプラスされたときだからです。例えば、「私の恐れ」「私の不安」「私の怒り」「私の悲しみ」・・・等々。なぜ、感情に名前を付けると問題になるのでしょうか?・・・なぜなら、人間は過去の記憶にレッテル貼りをするからです。例えば、「私は恐れている」と考えるやいなや、過去に経験した恐れに関しての否定的思考(「ああ、私はあの時恐れるべきではなかった」など)に巻き込まれてしまうのです。それゆえ、上記の感情から『私』をマイナスしてあげれば、その感情に対する執着はなくなります。例えば、ただ単に「怖れ」「不安」「怒り」「悲しみ」・・・等々。これらの感情は自然に湧き起って来ては自然に消え去って行きます。なぜなら、感情に名前を付けなければ、それはただ単に“あるがまま”の感情だからです。経験とは、ただ単に現れては消えていく出来事です。それゆえ、過去の記憶にレッテル貼りをしなければ、感情はただ単に現れては消えていくだけです。なぜ、人間は過去の記憶にレッテル貼りをするのでしょうか?・・・なぜなら、私たち人間は「自分=身体」という観点でこの生を生きているからです。しかし真実は、人間が生を生きているのではなく、生が人間を生きているのです。『純粋な意識』とは、『感情-私=あるがまま』です。応援クリック、ぽちっとお願いします心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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    • 平和の光

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」現代社会では、ほとんど毎日のように残虐な犯罪ニュースが流れます。私たち人間は、残虐な出来事(刺激)に対して、怖れ・不安・怒り・悲しみ等を感じます。そして、まず最初に他者を批判・非難し、罰することを考えます。私たち人間は、このような反応を何千年も繰り返してきましたが、その結果、平和な社会の実現に少しでも近づいたのでしょうか?・・・太陽はただ輝いています。太陽は誰のことも正そうとはしません。太陽はただ輝いているだけですが、太陽の光によって世界中は満たされているのです。私たちがまず最初にすることとは、他者を批判・非難し、罰することではなく、自分自身の面倒を見ることではないでしょうか?・・・ 自分自身の面倒を見るということは、まず自分自身を正すことを意味します。自分自身を正すということは、全世界を正すことを意味します。「自分自身を変容させることは、世界中に平和の光を与えることである」と私は考えます。応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 24 Feb
    • 努力と自発性

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」努力とは、ある目的のために力を尽くしてつとめはげむことですが、この行為を自分の個人的な努力と考えている間は、人間は神の全能性を拒否しています。なぜなら、「御心のままに」という現実を拒否しているからです。神に対する真実の愛とは、受容と明け渡しです。それは何も望まず、救いさえ望まないことです。自発性とは、意図や計画のほんのわずかな痕跡さえない自然な行為です。また、自発的で自然な行為とは、努力することや、あるいは努力しない努力によって達成することはできません。なぜなら、努力は欲望であり、個人的意志による自分という観念、つまりエゴ(分離した心)ですが、一方、自発性は分離した心の欠如と同義語だからです。すべてを神に委ね、すべてを純粋な意識に明け渡すということが理解されれば、すべての行為は自動的に自発的になります。その瞬間、規律、修行、あるいは何かの決まり文句や思考、アファメーションを繰り返すといったような努力は、全く必要ではないということも同時に理解されるでしょう。賢者は、自分が行為の結果をコントロールできないことを確信しています。なぜなら、それらは純粋な意識という全体性機能の一部だからです。その人にできることは、ただ単に手元の仕事に集中することだけです。その結果、怖れや不安など・・・心配する思考に邪魔されることなく、自分の能力の最善を尽くして仕事が行われます。当然、肉体的疲労も少なく、ほとんど精神的ストレスもなく、自然に一番良い状態で遂行されるのです。「何も考えずに、あなたが好きなことをして下さい!なぜなら、それがまさに神の意志だからです!」応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 22 Feb
    • エゴ

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「エゴとは自我、私です」・・・イエスや仏陀にも“エゴ”がありました。なぜなら、名前を呼ばれたら、彼らは振り返って返事をしたからです。ですから“エゴ”は確かにそこにあったのです。私たち人間の身体が機能するためには、身体を機能させる心(エゴ)が必要です。「機能する心」は常に「今、この瞬間」に生きていて、身体機能を続けるために必要なことをやります。では、イエスや仏陀、悟りを実現した賢者たちにないものは何でしょうか?・・・彼らにないものは、過去と未来に生きる「考える心」です。「考える心」は、決して「今、この瞬間」に生きていません。私たちはエゴという言葉が何を意味するのか、本当に理解しなければなりません。機能的要素としてのエゴは「機能する心」として、そこになければ身体は機能しません。「考える心」としてのエゴ(結果を考え、行為者として考えるエゴ)だけが、惨めさの原因なのです。私たちはエゴを全滅させようと闘う必要はありません。なぜなら、一生懸命努力してもエゴを全滅させることはできないからです。人間の生きづらさを解消するためには、「考える心」を放棄するだけで十分です。応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 21 Feb
    • 虚言癖を克服する

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「私は、よく嘘をついてしまいます。嘘をつくのをやめるためには、どうすればよいのでしょうか?」・・・というようなご相談をよく受けます。虚言癖を克服するための自問技法あなたの嘘に対して、次のように自問して下さい・・・「私が選択したこの言葉の結果はどうなるだろうか?」「私が選択したこの言葉は、自分と自分の周囲に幸せをもたらすだろうか?」※ この自問に対して快適に感じたら、その選択に委ねます。※ この自問に対して不快に感じたら、立ち止まり、その言葉の最終的結末を認知します。自問のポイント・・・① 自分のハートにどうしたら良いかを聴いて、快適か不快かのメッセージで導いてもらいます。② 嘘の最終的結末を認知すること。そして、嘘をついた後の自分がどのようになるのか、ありありとイメージして下さい。③ 無意識のうちに選択している言葉を、“一瞬一瞬”意識的に目撃して観察すること。そして、自問する習慣を身につけて下さい。応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 20 Feb
    • 主体と客体

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」突然ですが、私の姉はアメリカに在住して約40年になります。彼女はクリスチャンで、毎日聖書を読み、お祈りをしますが、神の解釈が私とは異なります。例えば、彼女が「神様!○○でありますように!」とお祈りをする時、それは何を意味しているのでしょうか?探求とは何でしょうか? 探求とは、分離した「個人」が神を知りたがっているということです。個人が知るものは何であれ、対象(客体)です。そして、個人は主体です。ですから、彼女が「神様!○○でありますように!」とお祈りをする時、それは彼女が主体であり、神は客体であるということです。ところが、それはあべこべではないでしょうか? 真理とは、神が主体で、私たちが客体であるということです。客体が主体を知るということは、神の主体性を奪うということであり、神の主体性を奪ったこの偽の主体(客体)は、神を自分の知りたいと思う対象に貶めるのです。それゆえ、彼女が神を求めれば求めるほど、ますます挫折するようになるのです。私は、姉のことを“とても賢い女性である”と尊敬しています。また、一人の人間として尊重しています。それゆえ、「私は正しい、姉は間違っている!」という二者択一の白黒思考で、彼女を批判・非難しているわけではありません。ただ単に、私と姉の考えが異なるということです。ただそれだけです。唯一の観察者は、普遍的な『純粋な意識』です。その中に具現化された現象全体が現れます。それゆえ、現象の中のその他すべては一つの対象物です。しかし、私たち人間は身体との自己同一化ゆえに、自分が観察する他の対象物と同じように、自分も対象物であることを忘れるのです。絶対的非現象の主体性を引き受けて、自分自身を他の観察された対象物の観察者であると見なします。しかし、絶対的主体の主体性をそのように奪うことで、人間は原罪を犯し、それゆえ、束縛のもとに置かれるのです。なぜなら、存在するのは神だけだからです・・・これが私の考えです。応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 18 Feb
    • 点滅信号

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「点滅信号は、なぜ点滅しているのだろうか?」(こんな馬鹿げた質問をする人はいないと思いますが・・・)「なぜなら、それは信号機の機能だからです!」点滅信号とは、ただ単に機能なのです。ただそれだけです。「点滅信号は、なぜ点滅しているのだろうか?」という質問をする人はいませんが、「人間は、なぜ生きているのだろうか?」という質問をする人はたくさんいます・・・「生きる意味とは何だろうか?」「生命の意味とは何だろうか?」「なぜ、私たち生命は生と死を繰り返すのだろうか?」と。「なぜなら、それは純粋な意識の機能だからです!」生と死とは、ただ単に機能なのです。ただそれだけです。人間は何千年も生と死を繰り返しています。生と死は数千年もの間起こり続け、これからもそう続いていくでしょう。肝心なのは、「本当の自分」は生と死(点滅信号)ではないということです。生と死は、『純粋な意識』(信号機)という全体性機能の一部であり幻影です。「本当の自分」は生と死を機能させている『純粋な意識』で在ります。存在するすべては意識です。生まれたものは必ず死にます。そして、生まれたものは何千年も死に続けています。対象物は何千年も生まれ続け、死に続けています。おわかりですか?・・・ 生と死は、ただ単に繰り返し行われている機能の一部なのです。ですから、なぜそれについて私たちは悩むのでしょうか?「私たちは死ぬことを恐れていますが、私たちはそもそも生まれたのですか?」応援クリック、ぽちっとお願いします心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 17 Feb
    • 「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「あるがままに生きる」とはどういうことですか?「すべてを素直に受け入れる」とはどういうことですか?「行為者を放棄し、ただ単に行為をする」とはどういうことですか?「私」は上記のような質問をよくされます・・・そして「私」は下記のような回答をよくします・・・私たちは、行為はできますが、行為の結果はコントロールできません。それゆえ「すべてを受け入れる」ということは、「不安定を喜んで享受する」ということです。そして不安定を享受することによって、私たちは安定を得るのです。すなわち「何も後悔することなく、何も期待することなく、何も拒むことなく」、ただ単に生きることが「本当の幸せ」なのです。「あるがままに生きる」ということと「すべてを受け入れる」ということは同義語です。この世の中は常に変化しており不安定であるという真実を、喜んで享受するということです。私が言う「行為者」とは、自我(エゴ)を意味します。そして、あるがままにすべてを受け入れて生きることを妨害しているのが、まさに、この自我(エゴ)なのです。それゆえ、私たち人間は「行為者」を放棄することによって自由を獲得し、安心安定を得るのです。自由とは、自我(エゴ)に巻き込まれないことを意味します。そこに「行為者」がいないということは、出来事に集中して没頭することであり、まさに「今、この瞬間」を生きるということです。「今、この瞬間」とは「出来事=行為=経験」です。それゆえ大切なことは、「何をするか?」ではなく、「どのように生きるか?」なのです。心はこれを欲しがったりあれを嫌ったりこれにしがみついたかと思えばあれをはねつけたりする今、怒ったかと思えばすぐ喜んだりするこうして、あなたは束縛されるのだだが、心が何も望まず何も拒まないとき喜ぶこともなく怒ることもないとき何も好まず何も嫌わないときそのとき、あなたは自由だ何であれ心が知覚するものに魅せられたときあなたは束縛されている何ものにも魅せられることがなければあなたは自由だ「私」がなければあなたは自由だ「私」があるときあなたは束縛されているこのことを見極めなさいそれはたやすい何にもしがみついてはならない何も拒んではならないアシュターヴァクラ・ギーター/心より応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 14 Feb
    • 長い熟睡

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」私たちは皆、熟睡中に平和を享受します。なぜ、熟睡中は平和なのでしょうか?なぜなら、熟睡中はエゴが不在だからです。目覚めと同時に「私」が現れ、エゴは言います・・・「私はこの身体が死んでいくことを知っている。私は死にたくない!」と。エゴは熟睡中に平和があることを知りません。だからエゴは恐れるのです。私が言いたいことは、死を恐れているのはエゴという幻想であり、「本当の自分」ではないということです。私たち人間は、絶えず生まれ死に続けています。個人としての身体は、『純粋な意識』という全体性機能の一部として創造されるたびに、聖なる芝居の脚本によって必要な行為を生み出します。この世界では、一人ひとり各々が分離した「自分」であるという誤解がありますが、実はそうではありません。何十億という「自分」がいますが、一つの「大いなる私」しかありません。そして言葉で指し示すこと、それさえも観念です!すべては神の遊び、ジョークなのです!知性は、生まれ変わりを考えるのが好きです。なぜなら、エゴは死にたくないからです。しかし、エゴが恐れている死は幻想です。死は熟睡のようなものであり平和を意味します。死の本当の意味とは平和です。死とは単に“長い熟睡”なのです。応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 11 Feb
    • 置き換え技法

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「置き換え技法」とは、自分に生きづらさをもたらしている自動思考や中核信念(コア・ビリーフ)を、真実味のある機能的な内容に修正するために、いくつかのパターンで言葉の「置き換え」を行う技法です。「置き換え」のポイントは、無理な自己納得や自己批判ではなく、自分にとって本当だと感じられる合理的な言葉に置き換えることです。 例・・・「私は彼に愛されていない」という自虐的信念に対しての 3つの「置き換え」パターン 「内容を反対」に置き換える 例・・・「私は彼に愛されている」という言葉に置き換えることによって、彼が自分を大切にしてくれた思い出がいくつか見つかり、自分が信じている考えとは逆のことも真実であることを理解する。 「主語を置き換える」 例・・・「彼は私に愛されていない」という言葉に置き換えることによって、自分が彼の気持ちを大切にしていなかった状況などが見つかり、相手の立場になって物事を考えることができる。 「自分自身のこと」に置き換える 例・・・「私は私に愛されていない」という言葉に置き換えることによって、私は自分で自分の心を傷つけている。また、その自虐的信念を反芻することに多くの時間を費やし、自分の人生を大切にできていないことを知る。「置き換え技法」において、普段自分がまったく考えていない可能性を探求することになり、古い思考や信念によって、いかに自分の視野が限られていたかに気づかされます。置き換えた言葉の真実味を実感する時、生きづらさをもたらしていた古い考えは力を失い、「被害者VS加害者」といった自我の二元性を超えます。そして自我からの「脱同一化」を自然かつ効果的に促し、エゴからの解放をもたらすのです。「私たちが執着するのは、人そのものではなく、その人についての考えである」と理解した瞬間、「答えは自分の中にある」と気づきます。応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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    • 探さない技法

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「自分が考えていることが分かりません? 適当に何を考えているかが分かれば、苦しまずに楽になれるのですが、何かよい解決方法はありますか?」というような内容の質問をよくされます・・・私は、そのような悩みの方には以下のような回答をよくします・・・あなたは自分のことをよく理解されているので素晴らしいと思います。「自分が考えていることが分かりません?」というご質問ですが、「自分が何を考えているか分かりません?」と俯瞰的に観察しているのが、まさに「本当の自分」である「あなた」なのです。あなたの悩みの解決方法は、解決方法を“探さない”ことです。すなわち、「なぜ? どうして?」「私は何を考えているのだろうか?」と自問しないことです。自分に対して質問しなければ、あなたの悩みは自然に解消するでしょう。なぜなら、自分に対して質問しているのは「偽の自分」であるエゴだからです。エゴとは考える心であり、非実在の幻想です。「何も考えなければ、何も問題は生じません!」応援クリック、ぽちっとお願いします心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 07 Feb
    • 世界は心

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」もし、すべての生命が同時に熟睡していたら、世界は存在するだろうか?「世界は存在する」と誰が言うだろうか?世界は五つの感覚器官による知覚作用でできています。感覚はその知覚作用を対象として感じ取ります。感覚を通して世界を知覚するのは心でしかありません。だとすれば、世界が心以外の何だと言うのか?五つの感覚作用とは、聞くこと(聴覚)、触れること(触覚)、見ること(視覚)、味わうこと(味覚)、嗅ぐこと(嗅覚)という精妙な機能(タンマートラ)を意味します。それらの変容したものが全宇宙を形作っているのです。「世界は実在だ」、「いや、それは偽りの現れだ」。「世界は心だ」、「いや、そうではない」。「世界は幸福だ」、「いや、そうではない」。このような会話に何の益があると言うのか?世界のことは放っておきましょう。まず真我を知ることです。「一」や「二」という概念を超えた無我の境地に至ることこそ、生きとし生けるものすべての目的地(ゴール)なのです。ここに言う「世界」とは、それに関する想念のことを意味します。もしそのような想念が起こらなければ、自我は起こらないでしょう。そうすれば、そこには主体も客体も存在しなくなるでしょう。それがその境地なのです。主体も客体も存在しない境地とは、まさに『純粋な意識』であります。(参考/ウラドゥ・ナールパドゥ)応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 06 Feb
    • 使命

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」私は、50歳を過ぎた頃から「使命」というものを強く感じるようになりました・・・すべての生命には、それぞれ各々に与えられた使命があると。人間で例えれば、それは受胎の瞬間に刻印された肉体精神機構の特徴です。私がなぜ、そのような使命を強く感じるようになったかというと、仕事と苦楽の関係を経験したからです。若い頃を振り返ってみると・・・多くの仕事がいとも簡単にスムーズに成し遂げられている時は、ただ単に、その仕事が私の肉体精神機構の特徴にピッタリ合っており、私に与えられた使命だったような気がします。逆に、どんなに一生懸命頑張って働いても良い成果が得られなかった時は、その仕事が私の肉体精神機構の特徴に合っておらず、私に与えられた使命ではなかったような気がします。私は決して努力を否定しているわけではありません。努力をすることに何も悪いことはありませんが、努力にも色々な種類があると思うのです。私が仕事の経験から学んだことは、ただ単に苦しいだけの努力もあれば、苦しいけど楽しい努力もあるということです。前者の努力は、私たちを成長させるために与えられた贈り物、恩恵です。そして後者の努力とは、苦しみと楽しみを超越した努力であり、まさに受胎の瞬間に刻印された使命だということです。本当の自分との出会い・・・人生の早い時期に自分の肉体精神機構に刻印された特徴や使命を見つけることができれば、私たち人間は皆、仕事のことで悩むことはないと思うのですが・・・それもまた運命であり、神の娯楽、ゲームなのでしょう。簡単に言ってしまえば、「人には向き不向きがある」ということですが、形而上学的に言えば、「すべての生命が同じ特徴や使命だとしたら、地球は円く収まらない」ということです。人類に例えれば、すべての人間が大統領になることが使命だとしたら? すべての人間が総理大臣になることが使命だとしたら? すべての人間が肉屋さんになることが使命だとしたら? すべての人間が八百屋さんになることが使命だとしたら? すべての人間が魚屋さんになることが使命だとしたら?・・・人類は「今、この瞬間」に滅びるでしょう(笑)。ですから、個々に与えられた特徴や使命は多様性という統一性であり、『純粋な意識』という全体性機能の一部なのです。それゆえ、自分以外のものになろうと一生懸命に努力するのではなく、本当の自分を見つけて、あるがままに努力しましょう。「何が私をワクワクさせるのだろうか?  私は何をすることで熱中できるのだろうか?」・・・応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 04 Feb
    • 苦痛の終焉

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」色々な悩みを抱えて「苦しんでいる人」へ・・・人生には色々な経験があります。もしそれが苦しみなら、ほとんどの人は、「私は苦しい!」と言います。しかし、それは本当でしょうか? あなたは“苦しむ人”なのでしょうか? 実際はどうなのでしょうか?正確に言えば、あなたと苦しみは同一ではなく、「苦しいという痛みの感覚」がそこにあるということです。その反応は、「私は苦しい!」ではなく、「苦しみがある!」ということです。言い換えるなら、苦痛が観照されているのです。目に見えるすべての生命には始まりがあり、終わりがあります。それゆえ、期待するのはやめましょう。そして後悔するのはやめましょう。そうすれば、そこに苦痛はなくなるでしょう。なぜなら、苦しみの原因とは、記憶と想像だからです。好き嫌いやより好みなどの二元論から自由になれば、苦痛の重荷はなくなるでしょう。苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐・・・それらは、深く永久に枯渇しない真の至福の源である『純粋な意識』の扉を開きます。仏陀は言いました・・・「苦しみはあるが、苦しむ人は誰もいない。行為はあるが、行為者は誰もいない!」と。「本当のあなた」は“苦しむ人”ではなく、『純粋な意識』である。応援クリック、ぽちっとお願いします心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 03 Feb
    • 素直になれなくて

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「お正月気分がなかなか抜けないな~」とか思っているうちに、もう2月3日(節分の日)になってしまいました。気がついたら来年のお正月になっていそうです(笑)。「今年こそは性格を変えて生まれ変わろう!」と、色々目標を立てて決意したのに、なかなか「友人や家族の前で自分の素が出せない?」、なかなか「素直になれなくて?」という人へ・・・「あなたは次のような自虐的信念を大切に隠し持っていませんか?」 私は、常に皆から愛されていなければならない。 私は、常に皆からスポットライトを浴びていなければならない。 私は、常に皆を喜ばせなければならない。 私は、常に皆の前で失敗したり誤りをおかしてはならない。 私は、常に皆と喧嘩や口論をしたりしてはならない。 私は、常に皆の承認が必要だ。あなたが、友人や家族の前で「素直になれる」簡単な方法があります!その方法とは・・・「私は常に皆から愛されたい、注目を浴びたい!」などの欲望(自虐的信念)をすべて手放すことです。そうすることによって、あなたは常に皆の前で、率直に自分を表現できるようになるでしょう。「恥をかくことは、人生の楽しみのひとつである!」応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 31 Jan
    • 人間は対象物の一つ

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」存在するすべては『純粋な意識』です。それは、現象がそこから生じてくる源泉です。現象とは、私たち人間が知っているような世界であり人生です。現象とは、対象物全体のことですが、人間は聖なる催眠であるエゴによって、分離した個人的行為者であるという錯覚に囚われています。しかし、人間も現象界の対象物全体を形成するその他すべての対象物と並んで、対象物の一つの種に過ぎません。現象の機能においては、源泉の意志、神の意志でない限り、何も起こらないということです。エゴは幻想であり、個人的行為者という感覚は幻想なのです。これが究極の理解です。すべての現象は、源泉の中の映像です。『純粋な意識』は、私たちが現象的対象物として現れるものの背景ですが、それ自身は何の対象でもありません・・・ちょうど鏡に映った対象物が、単なる見かけでしかなく、鏡自体は、鏡の中に映った対象物には決して影響されないように。肉体精神機構は、『純粋な意識』の中の見かけに過ぎず、それ自身独立した存在を持ちません。肉体精神機構がそこから現れる『純粋な意識』は、その中の対象物には決して影響されません。応援クリック、ぽちっとお願いします心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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    • 成功と失敗

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「あなたは、いつも成功しなければならないと思っていませんか?」「あなたは、いつも失敗してはならないと思っていませんか?」「あなたは、“偽の成功”を欲しがっていませんか?」「あなたは、“偽の失敗”を恐れていませんか?」この目に見える世界での物質的成功は、人間の傲慢さを助長し、霊的成長を妨げることがあります。この目に見える世界での物質的失敗は、人間の限界に気づかせ、霊的成長を実現させることにおいて有益なことがあります。「本当の成功」とは、いかなる状況においても動じない『純粋な意識』である「意志の力」を得ることです。物質的な成功や失敗は意志の力ではなく、単なるカルマの結果です。そして人生に「本当の失敗」というものは存在しないという真実を理解して下さい。この目に見える世界では、清く正しい行為だけをしながら、物質的失敗をする人はたくさんいます。また、その反対の行為をしながら、物質的成功ばかりをおさめる人もいます。だからといって、一方の人に意志の力があり、もう一方にはないということではないのです。この目に見える世界での物質的な成功や失敗は、単なる幻影でしかないのです。この幻影を消し去ることが霊的探求の目的であり、「本当の成功」なのです。「最高善」を得るためには、それらは消え去らなければならないのです。応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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    • 束縛と解放

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「私を束縛しないで!」、「私は束縛されるのが嫌いです!」という言葉をよく耳にしますが、あなたは今、「束縛されていますか?」、それとも「解放されていますか?」・・・そもそも「束縛と解放」とは何でしょうか? 心が何かを期待したり、欲しがったり、拒んだりしている時が束縛です。心が何かを期待したり、欲しがったり、拒んだりしない時が解放です。心が感覚的経験にしがみつく時が束縛です。心が感覚的経験にしがみつかない時が解放です。束縛とは、「『私』は自由意志を持った一人の分離した人間で、自分の行為に責任があり、それゆえ『私』は幸福にならなければならない」というエゴです。「誰」が幸福で、「誰」が不幸なのでしょうか? それは「行為者」という感覚のエゴです。なぜなら、身体が幸福とか不幸であるはずがないからです。つまり、幸福であったり不幸であったりするのはエゴなのです。解放とは、幸福とか不幸の感覚からの自由です。そこにどんな「行為者」もいないということを、完全にハートから理解することです。自分が目覚めている間も、熟睡している時のような平和でいるということです。つまり、幸福や不幸を感じたりしない時が解放です。「自分」がいる時、それは束縛です。「自分」がいない時、それは解放です。すべての行為は、『純粋な意識』の非個人的な機能です。ですから、「誰」が束縛したり解放したりするのでしょうか?応援クリック、ぽちっとお願いします心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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    • 統合的セラピー

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「統合的セラピーとは?」統合的セラピーとは、あらゆる心理学理論を統合するという考え方(それぞれの心理学理論は互いに矛盾するものではなく、心のある側面を記述したものであるという考え方)で登場したトランスパーソナル心理学である。トランスパーソナル心理学は、精神分析学、認知行動心理学、人間性心理学に続く第四の心理学理論と言われている。「トランスパーソナル心理学が登場する前の三つの心理学理論」精神分析学・・・近代心理学で最初に登場した心理学で、無意識の過程に注目する。人は、不快と感じる欲求・感情・記憶・思考を無意識に抑圧する。そして過度な抑圧が様々な精神疾患の原因となると考える。臨床の場では、治療者が患者の心理を分析し、無意識に抑圧したものを意識化することにより治癒が起こると考える。認知行動心理学・・・最初は行動心理学から出発した。行動学派では、心理学が科学であるためには、客観的な事実すなわち行動を対象としなければならないと考え、客観的に確かめることのできる刺激と、それに対する反応との結合関係を明らかにすることが心理学の仕事であるとした。しかし後年、結合関係だけでは人間の心理を説明できないとの批判から、人間の行動と価値観、そして情緒反応の相互作用を考慮した認知行動学派が登場した。人間性心理学・・・人間に元々ある、自己実現に向かう精神的成長の欲求を強調する。人間性心理学派の人たちの中には、あらゆる精神疾患は、人間の精神的成長のプロセスであると考える人たちも多い。精神分析学派、認知行動学派が、「人間の不都合な部分を修正する」ことに焦点を当てていたのに対し、人間性心理学派では、人間の自然な成長欲求に焦点を当てる。「統合的セラピーの実際」クライアント様の状況に応じて、あらゆる心理学理論を適宜適用していくのが、統合的セラピーの考え方である。また、実際にセラピーで使われる技法も様々なものがあるが、統合的セラピーでは、それらの技法についても、フォーカスする対象に従って必要に応じて適用していく。例えば、「行動・思考へのアプローチ」「物語へのアプローチ」「微細感覚へのアプローチ」「身体感覚へのアプローチ」「存在のレベルへのアプローチ」「関係性へのアプローチ」などがある。これらのアプローチでは、「認知行動療法」「精神分析」「ゲシュタルト」「イメージ療法」「瞑想」「マインドフルネス」「グループセラピー」などの技法を適用していく。統合的セラピーは、このようにクライアント様の状況や個性に合わせて、適宜手法や理論を選択するため、様々な状況に対応しやすいが、セラピストは、いくつかの手法に対して十分なスキルを身につける必要がある。なぜなら、中途半端なスキルでは、クライアント様を逆に傷つけてしまう可能性があるからだ。(参考/日本トランスパーソナル学会)応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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  • 30 Jan
    • “気づき”は自由だ!

      「いつも覗いてくださる方々、感謝します」「あなたは平和な人生を創造するために、何を必要としますか?」・・・もし私たち人間に自由意志があるとしたら、もしあなたがこの人生で平和を求めているのなら、あなたがすべき唯一のことは、行為者というエゴを放棄することです。「私たち人間が平和な人生で必要とすることは何でしょうか?」・・・それは人生をシンプルにすることです。それが平和ということです。罪悪感がなく、プライドがなく、憎しみがなく、妬みがないことです。人間が平和であるために、それ以外の何を必要とするでしょうか?行為者を放棄することによって、罪悪感を感じたり、プライドを感じたり、憎しみを感じたり、妬みを感じたりすることがなくなります。なぜなら、それらを感じる「私」という行為者が不在だからです。「自由意志とエゴ」・・・私たち人間に与えられた唯一の自由意志とは“気づき”です。その自由意志による“気づき”が行為者というエゴを放棄します。エゴの放棄とは、罪悪感からの自由、プライドからの自由、憎しみと妬みからの自由を意味します。すなわち、エゴの束縛からの自由であり、巻き込まれることからの自由です。個人的行為者という感覚からの自由は、エゴにとっては自由の喪失を意味します。エゴとは考える心です。「思考と感情」・・・思考と感情が自然に湧き起ることは、私たち人間の手中にはありません。科学的研究は、あなたが、それは「自分の」思考だという半秒前に、あなたが「自分の」思考だと思っているものが湧き起ることを証明しています。それゆえ、あなたがその思考をもたらしたのではありません。「量子力学的可能性から意識が何を選ぶかは、無意識の過程である。人間が自分の選択に気づくのは、脳波に現れる『潜在的可能性』よりも半秒遅れている」と脳外科医のベンジャミン・リベットが言っています。したがって、人間がコントロールできる自由意志は存在することができないのです。霊的なことは忘れましょう。探求について忘れましょう。悟りについて忘れましょう。「宇宙の法則」「引き寄せの法則」「因果の法則」・・・等々について忘れましょう。「あなたが放棄していないものは何でしょうか? それを見つけて放棄しましょう!」応援クリック、ぽちっとお願いします 心理カウンセラーランキングにほんブログ村

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プロフィール

熊山達也

性別:
男性
誕生日:
1965年8月9日
血液型:
B型
お住まいの地域:
神奈川県
自己紹介:
はじめまして。カウンセラーの熊山達也です。 メンタル心理カウンセラー/上級心理カウンセラー/ヨガイ...

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座間市の【こころの相談室】
カウンセリングざま

counseling_zama 熊山達也
神奈川県座間市立野台2-5-12
TEL:046-254-3465
FAX:046-254-3465
携帯:090-6300-2512
Email:t_kumayama@yahoo.co.jp
URL:http://counselingzama.com










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