来る4月1日(土)は、恒例の、ひろたのいち イロドリ が開催されます!

このイベントの主催のシロフォンさんと、廣田神社様のご厚意で、初回から、境内の森で、青空チャリティーYOGAをやらせて頂いています。


イロドリは、参道に可愛くて楽しいお店がたくさん並ぶ、たのしい「いち」。

その参道から、本殿とは逆方向に進み(今の時季は、コバノミツバツツジの群生がとても綺麗!)、広田山荘前の空き地から更に奥の森の中。

参道の喧騒が嘘のように静かな場所です。

この鎮守の杜で、神聖な氣を感じながら、気持ち良く心身を解放しましょう!

だいたい11時頃からスタート。約45分間のプログラムです。

地面に敷くビニールシート、バスタオル(あるいは、もしあればYOGAマット)、水分、肌寒いかも知れないのではおりもの、をお持ち下さい。

参加費用¥500は、全額、東日本大震災および熊本地震の支援金として寄付させて頂きます。


初めての方、久しぶりの方、お子ちゃん連れの方も、どうぞお気軽にご参加下さい!

どなたでも簡単に出来るベーシックなアサナ(=ポーズ)を中心に行います。

自然の中に立ち、鳥のさえずりや風の流れを、ご一緒に全身で感じてみましょう。


お問合せはどうぞお気軽に!


当日、お天気になりますよう( ・◡・ )♫



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「小林カツ代伝」感想

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小林カツ代さんが大好きで、独身時代からずっとエッセイや料理本を読んでいました。

この本は、生前のカツ代さんと親交のあったノンフィクション作家の方が描いた、彼女の出自と功績の記録。

とにかく、文章の中のレシピがすっばらしく美味しそうで、久しぶりに「カツ代さんの肉じゃが」を作りたくなりました。牛肉にこてっと濃い味をつけて、フライパンで強火で仕上げる伝説のレシピ!

私は若い頃、この方のエッセイを読んだ時、「この人、子どもが小さいのに、夜も寝ずに働きづめで、いつか倒れたりしないだろうか」と心配になったこと、今思い出しました。

年子のお子ちゃんがいて(その弟の方がケンタロウさん)、保育園ではなく普通の幼稚園に通わせながら、料理の撮影や執筆を続けていて、それどころか、1番忙しい時に、料理だけではなくお菓子のレシピもいっぱい作って出版して・・・

当時のエッセイは、お風呂の中で眠ってしまった、とか、夜中にブラックコーヒーを入れて原稿を書いていて、明日もまた早い、とか、子どもと人形劇の公演に行く約束をしてたのに遅刻した、とか、1分1秒が惜しいと言いたそうなエピソードばっかりで。

でも、そんな文章を読んで、独身時代の私は「結婚しても、子どもを産んでも、好きなことを仕事にすれば、こんな風にめいっぱい働くことができるんだなあ」と、何とも心強く感じたことを覚えています(勿論、現実はそんな甘くはなかったけれど!)。

くも膜下出血から、9年間の療養生活を経て天に召されたカツ代さんですが、今でも書店に新刊が並び、売れてるってすごい。

この評伝のタイトル通り「私が死んでもレシピは残る」んですね。


晩年には、ご主人とは実質、離婚状態だったとか、実は娘のまりこさんはカツ代さんとそりが合わなかったとか、意外な事実も描かれていました。

こういう事実を知って、料理という、幸せな家庭に一番近い分野を仕事にしながら、職業人として生きることの矛盾も感じてしまいました。


でも、カツ代さんのレシピは、本当に簡単で美味しい!

私は、母に習った味というのが殆どなくて、今作っている日々の食事の大半はカツ代レシピです。

改めて、持っているカツ代本を読み返したくなりました。


↑ これは復刻版ですが、私が持っているのはオリジナル版。

カツ代さん初めてのエッセイ集。文章も内容も超若い!


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自分の義務について

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先月からちょいちょい上京しています。

先週は久しぶりに、弟妹家族と、両親を囲む会を開きました。

都庁の隣のホテルに集まって、総勢10人でいっぱい飲んで食べて・・・楽しい時間でした。

私の父は、この2月、30年間経営していた会社を手放しました。

子どもが3人いるのに、誰も会社を継がず、申し訳ない思いですが、幸いなことにあとを引き受けてくれる会社が現われて、廃業せずに済みました。

零細企業とはいえ、従業員さんもいるので、畳まずに済んだことは本当に良かったです。

父は、人生の義務の1つを、ここで降ろしたのだと思います。

父の働きのお蔭で、母も子ども達も不自由なく暮らしてこれたことを感謝しています。

これからは自由に穏やかに生きてくれますように。


今日捲っていた本に、こういう一節がありました。


「(略)忘れてはならない一つのことは、われわれは常に他の民族の義務を彼ら自身の目を通して眺め、決して彼らの習慣を自分たちの標準で判定しないよう、努めるべきだということです。


父の義務の話から、話は、ぐわん!と飛ぶのですが(-人-;)

今日たまたま、今から4年前の「蓮池薫」氏のラジオ音声をネットで聴きました。当時、北朝鮮から帰国して10年という節目で、確かこの頃この本を出版された筈。私も発売当時読んで、すごく感動した記憶があります。

で、ラジオのインタビューの中で、蓮池氏は、24年間の拉致生活の中で、自殺をせず生き延びたのは、結婚して子どもが生まれ、自分には守るべきものが出来たから、という意味のことを仰っていました。

また、夫婦だけでの帰国後、北朝鮮に戻ることをせず、子どもを待ち続けることにした時は、辛い決心だった。

1人で考え決断し、奥さんには辛い思いをさせたことを苦しく思った、とも。


そして、私が感動したのは、北朝鮮への思いについて。

彼が、朝鮮語の翻訳をした時、お母さんからは、あなたを拉致したあんな国の言葉で仕事するのかと問われ、

「悪いのは指導部、上の人間であって、北朝鮮には、ましてやあの国の言葉には罪はない」と答えたそうです。

・・・すごいなあ。


蓮池さんは北朝鮮にいた時も、帰国してからも、ご自分の義務を粛々と努めているんだと思います。

自分の大切なものを守るために、自分が生きていくために、その時その時の最善の判断をしてきたのだと思います。

生きている時代や環境によって、自分の義務は変わっていく。そしてその義務はこちらから見たら是でもあちらから見たら非、ということだってありうる(そもそも争い事はこういった見方の違いから起こるのだと思う)。

だから、他者からどう見られようと、瞬間毎に、自分が是と思う義務を果たすことが本当の正解なのだと思います。

そして、その瞬間が紡がれて、結果、善い人生だった、と言いたいです。

新宿西口の、ビルの谷間に咲いてました。珍しい種類の、桜?のようでした。

この1本だけがぽつんとあり、精一杯咲いていました。

この樹の義務を果たしているのだと感じました。



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最近観たもの

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少々ご無沙汰してしまいました。

ここ数日は、珍しく息子が発熱したり、17歳のじいちゃん猫が急に体調崩したりと、やきもきする日が続きました・・・とりあえず山は越えて安心!

で、最近の出来事をランダムに・・・


★東京・六本木で開催されていた「マリー・アントワネット展」を観ることが出来ました(2月26日で終了)。

平日の夕方だったのに結構な混雑でした。みんなだいすきアントワネット!

私は、豪華な王宮暮らしの時より、ヴィレンヌの逃亡以降の悲惨な王一家の時代が好き、ってのも酷いけど・・・革命の荒波に流されてすべてに見放された時に、王と王妃の真の強さが現われて、それが当時のスケッチや逸話に残っている気がして、すごく興味深いと感じます。

ベルばらはもちろんだけど

これは超定番の伝記。私はこれが一番好きです。アントワネットがどれだけ普通の平凡な一女性だったかが繰り返し描かれている。

こちらは遠藤周作氏の作品で、かなりフィクション。ベルばらのオスカル同様、架空の人物が主人公。でも史実はそのままです。面白い!


★大ヒット中のミュージカル映画「LA・LA・LAND」を観ました。

前評判通り、素敵な作品でした。

でも予告編からは想像できなかった、切なさや諦観みたいな感情がどーんと残りました。

若い人は夢を見る素晴らしさを感じたら良いよね!中年世代は自分の思い出とリンクして泣けるよね!って感じの映画。

あと、往年のハリウッドミュージカルへのオマージュが凄かったです!ほんの一場面でも「あ、このシーンってアレのアレ?」みたいなのを感じてしまいました。

「巴里のアメリカ人」「シェルブールの雨傘」「スィート・チャリティ」あたりはもうモロだから、これの後観ると「な~るほど!」ってなると思います(・∀・。)

URL: youtu.be

音楽がとても良いのでサントラ聴きまくり!

瞑想の時も頭から出ていってくれないのでちょっと困ってます。あと数日したらおさまるとは思うんですが・・・試練!(๑⁺д⁺๑)


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遠藤周作原作のこの作品。原作読んだのは確か高校1年の時・・・

何だかいろいろ惨たらしかった、というくらいの記憶しかないんですが・・・

17世紀、キリスト教が禁じられた日本で棄教したとされる師の真相を確かめるため、日本を目指す若き宣教師のロドリゴとガルペ。2人は旅の途上のマカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に、やがて長崎へとたどり着き、厳しい弾圧を受けながら自らの信仰心と向き合っていく。スコセッシが1988年に原作を読んで以来、28年をかけて映画化にこぎつけた念願の企画で、主人公ロドリゴ役を「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールドが演じた。そのほか「シンドラーのリスト」のリーアム・ニーソン、「スター・ウォーズ フォースの覚醒」のアダム・ドライバーらが共演。キチジロー役の窪塚洋介をはじめ、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシといった日本人キャストが出演する。(「映画.com」より)

160分越えというかなりの長尺なんですが、全然長く感じなかったです。

信仰の意味とか定義とか、そもそも、信じることってなんだろう、とか、観てる間、心の奥の方でぐるぐるうにゃうにゃしてました・・・

あと、人を、強い弱いで二元化することの無意味さ。

弱いことを自覚して、告解を繰り返して生きながらえる人の強さ、みたいなこと。


で、奇しくも今、某女優さんが某宗教団体に「出家」して、それがあまりにも唐突だっていうんで話題になってるんですが。

「沈黙」は江戸時代のお話で、宣教師と隠れキリシタンがお上に徹底的に弾圧されて苦しむ、というお話で、これは、現代では新興宗教に帰依する人々が、自分達の正義を確信する格好の歴史的事実なのではないかしら・・・なんて思いました。

なんというか、いかようにでも置き換え可能なんじゃないかと。

「どんな正しい宗教でも最初は受け入れられないものである」

「俗世が我々を叩くのは、真理を知るのが怖いからだ」などなど。

TVとかネットでは、「宗教の自由は憲法で認められているんだからそのことが問題なのではなく、周りに多大な迷惑をかけていることが良くない」というテイで話題になってるみたいだけど、本当のところは

「あ~あ、こんなカルトに引っかかっちゃって・・・洗脳されちゃったんかなあ」っていうゴシップとして面白いんですよね多分。

私は特定の宗教には入っていないけれど、信仰心というものは間違いなく持っている。

そしてそれは、今現在の自分の生活を脅かすような類のものではない。

きっと殆どの人がそうでしょう。ただ意識しているかいないかの違いだけ。


宗教団体に深くはまり込む人のきっかけとしては「現実を直視するのが辛い」から「逃避行動の1つ」として入信する、というのがあると思います。

(「沈黙」でも、農民としての生活があまりに貧しく苦しいため、来世は救われると説くキリスト教が広まったという歴史が描かれています)

辛い時に救ってくれるのが、肉親や友ではなく、ましてや自分の潜在意識でもなく、宗教であるなら、それはそれで1つの巡り合わせなのだと思います。

ですが、個人的には、教組に依存せず、過大なお布施もせず、心の中にある「永遠無限な何か」を信仰して幸せになることは可能だと思うのですが。


みんなが、持っている信仰心を自覚して認めて、普通に話せたら良いのにね。

お金や社会的名声を絡めなければ、「宗教」という言葉はもっと洗われると思います。


そうそう。

この映画には、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」でカイロ・レンだったアダム・ドライヴァー出てた!

なんだかカイロ・レンと被りましたよ・・・今回は司祭役なんで全然キャラは違うんですが、でも、青くて癇癪起こすとこなんか、一緒じゃん・・・と思ってしまいました(σ´Д`)




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取材という名の営業について

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先日、知らない方から1通のメールが届きました。

YOGAレッスンのお問合せ等、見知らぬ方からのメールは比較的沢山頂くので(まあ迷惑メールも多いけど)、その類かな?と思ったんですが、タイトルが「出版・お取材の件です。」。

内容としては、私は出版社の者ですが、あなたのHPを見て感銘を受けました。ついては本を出しませんか?まず取材をさせて頂きたい・・・というお誘い。この方の文章がとても丁寧で、かつ、私のHPをきちんと読んで下さっている内容で、そのことは素直に嬉しく有難く感じました。

ですが、最後まで読んでいくと・・・

「金額の一部負担や審査等もあるという前提」という言葉があり、ああ、これはそういう営業か、と(๑⁺д⁺๑)

頻繁にブログを書いてる方なら、こういうメール貰うこともよくあるでしょう。

でも、最近の私は月に2~3回しか更新してないし、ランキングとかにも参加してないし、一体どこをどうサーチしたら私のブログが引っかかるのか謎なんですが・・・まあそのあたりはノウハウがあるんでしょうね。

この出版社さんのHPを見てみると、私と同じようにメールを貰って、引き受けて書いたであろう人達の本が、た~くさん並んでいます。そしてこれらの本は、一般書店に並ぶことはなく、Amazonだけでの取り扱いなんだそうです。

つまり一般流通はなし。在庫もなし。注文が入ったらその都度印刷という、なかなか画期的なビジネス(Amazon PODというらしい。厳密に言うと、Amazonでの売れ行きが良ければ書店にも並ぶらしいけど、その具体的なラインはわからない)。

で、こういうビジネスモデルが成り立つのって、いくらネットが普及して紙の書籍がジリ貧になっても、やっぱ、ある種の人達が持つ「執筆・出版願望」が根強くあるからなんだろなあ、と感じたわけです。

そもそもブログを書くのだって、自分の文章読んで!っていう魂の叫び(*゚Д゚)/

そういう人達が、出版社を名乗るメールで「執筆依頼」されたら、そりゃあ嬉しいし舞い上がるよな・・・(はい私も一瞬舞い上がりました!)

でも、紙の本を溺愛する者としては、最近の「出版物の劣化」はマジで危ないと思ってる。特にムック本の多さと、その内容の薄さにはびっくりだし、手に取りたいと思うのがほぼない。
他の本も、これ突貫で作っただろ・・・って造作の物が結構あります。
具体的には、誤植とか文節の間の妙な空白とか(紙じゃなくてデジタルの画面で校正してるからだと思うんだけど)。

オンデマンド印刷技術が発達して、紙の本という形になるまでの工程が簡略化されることで、お手軽化が進んでいるんですよね。
例えば、同人誌ってあるけど、あれだって昔は入稿や校正とか、印刷屋さん巻き込んだりして、でもきちんとやってた。お手軽化はこういうシーンにも反映されているんだろうか・・・最近ご無沙汰だからまた買ってみようかなあ。

で、お手軽になるってことは、自然、そこに込める熱量(というかはっきり愛情)が薄まってくるのは仕方ないことで、そうなると、自費出版の思い入れ度も同じ道を辿りますね。

従来は、自費出版って、相当の覚悟と労力とお金を使って、それと、それなりに名のある出版社から出すことのステイタスなんかも込みで、だからこそ出版できた時の喜びが大きかったと思うのですが。

・・・なんてことを考えてたら、

今は、出版物というものにそんなに価値を置いてない人が多いのかな?

名刺のちょっと大きいの、みたいな感覚で自分の著作を出すとか、つまり、出版物を自分の「作品」としてより「ツールの1つ」として利用する人が多いのかも、なんて気がしてきました。

これは著作とは違うけれど、
HPを拝見しました、という書き出しで、雑誌等の広告掲載の営業メールも結構きます。

ネット上で「自己表現」する人達に、ぶわ~っと網をかける手法のビジネスが定着してるんだなあ。

いずれにしても、自己表現の行き着く先を自分なりに見据えていないと、いろいろしんどそうですね。

今回のお誘いは、勿論お断りさせて頂いたのですが、でも、表現するという行為からこういう派生があるのか~と意外な驚きがあって面白かったです。

あと、単純に嬉しかったですね。全然知らない人が(営業とはいえ)私みたいな者の文章をちゃんと読んで感想を書いて下さって、細々とでもブログ続けてて良かったと思いました。

G社のKさん、有難うございました。


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ある人と話をしていて、本当に久しぶりに、負の感情を呼び起こされるような経験をしました。

何故そんな言い方しかできない?

何故そうだと決めつける?

何故筋の通らない話を語勢だけで通そうとする?

などなど。

こちらは自分なりに胸襟を開いて本音で話したつもりなんだけどなあ・・・なんでこんなことになっちゃうんかなあ・・・と、暫くの間ウジウジしてたんですけど。

何気なく見たTwitterで、この言葉が飛び込んできてびっくり。

法王さまお見通し!Σ(O_O;)

ここ数か月は、あまりSNSを見ることがなく、Twitterもたまにのぞく程度だったんですが、たまたま開いた時にこの言葉!


その記憶にまつわる負の感情だけを心から手放す・・・かあ。

感情も知識も、勿論肉体も、それらは決して「私自身」ではない。それが解っていれば、今回のような感情を抱え込んで反芻することもないのに。


ちょうど同じ頃、マタニティ・ヨーガの研修会で、以下のような講義を聴いたばかりでした。

私達が人生の中で出会うネガティブな感情の原因は大きく分けて

・拒絶

・失敗

・孤独      

この中の「拒絶」について

私達は拒絶されると、それを自分の中で何度も繰り返す(反芻)→結果、自分で自分をいじめ、自分を駄目にしてしまう。

このような時、自分の心を如何に立ち直らせるかが大切。

ネガティブな感情の状況に長くいると、そのことに慣れてしまう。これが怖い。

出来るだけ早く抜け出すことが大事。

・・・この後、このような感情に陥りやすい人は、自己肯定感が低い人で、この自己肯定感は幼年期に作られる・・・という話になっていったのですが割愛 φ(・ω・`)

要は、感情をコントロールできる絶対的条件として、自己肯定感が確立されていること、というのがあるのだと思います。

私はYOGAを始めてから、自分なりに一番変化したな、と思えるのは、この感情コントロールの部分です。身体が強くなったとか柔らかくなったとかというのは実はあまり感じません。

(感情コントロールが以前よりは出来るようになったおかげで身体も楽になった、という感覚は大いにありますけど)

ですが、今回のように、うぎゃぎゃ~!なんなの!?ほんとに(ꐦ°д°)!

という感情が湧き上がることもまだまだあります。生きてる限り、修行道半ばってことですね。

だけど、いらいらっと来た時に、法王さまの言葉がぽんっと飛び込んできてくれる幸せ。

YOGAの智慧で、感情の波が静まるのを見届けられる幸せ。

すべて、偶然ではないのだと感じます。

そして、自己肯定感をがっつりしっかり育んでくれた両親に感謝です。

根拠のない自信を植え付けてくれて本当にありがとう。

自分が両親にしてもらったことを、自分なりのやり方で子どもにも同じように伝えたいです。「恩送り」の精神で。


なんてことを考え考えこれを打ってたら、負の感情はおさまりました。もう反芻しない!







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明日、2月2日(木)は、上ヶ原公民館レッスンです。

前回は、生後5か月の赤ちゃんも参加してくれました。ちっちゃくておとなしくて時々ぱたぱたして本当に可愛かった!

明日は、1部、2部とも10名様以上のご予約を頂いていますが、インフルエンザが流行っているようで、ちらほらキャンセルのご連絡も入っています。

皆さん、どうぞご無理のないように!


さて、ただいま静かに大ヒット中のドキュメンタリー映画「人生フルーツ」を観ました。


ニュータウンの一角にある平屋で暮らす建築家夫婦を追ったドキュメンタリー。(略)自身が設計を任された名古屋近郊のベッドタウン、高蔵寺ニュータウンに夫婦で50年間暮らす90歳の夫・修一さんと、敷地内の雑木林で育てた野菜や果物で得意の料理を手がける87歳の妻・英子さんの津端夫婦。敗戦から高度成長期を経て、現在に至るまでの津端夫婦の生活から、日本人があきらめてしまった、本当の豊かさを見つめなおす。(映画.comより)


大阪は十三の、第七藝術劇場(通称ナナゲイ)が超満員!

通路に座布団敷いて観るなんて何年ぶりだろ・・・でも壁にもたれて楽だったし、画面はちゃんと観れたし、何より映画がすっばらしかったので満足!

90歳と87歳のご夫婦の姿がとにかくチャーミングで見惚れてしまいました。

元海軍勤務で、学者で建築家のご主人の一種の気難しさも魅力的で、でもこの方は若い頃は相当めんどくさい人だったんじゃないかな、とか、そんなご主人にとことん尽くして「主人には良い服を着せて、良い物を食べさせる。きちんとしていれば巡り巡って自分に返ってくる」ってはっきり口にする奥さんとか、もう全部ひっくるめてチャーミング(b≧∀)

この二人の生活ぶりがとても堅実で茶目っ気もすごくあって、今声高に言われてる「スローライフ」とか「持たない暮らし」とかのワードがすごく浅薄に感じられる・・・

生活は生活。ファッションでもトレンドでもない。他人に素敵と言われて喜ぶものでもない。

2人の暮らしは習慣と刺激と互いへの思いやりに満ちていて、本当に、超生活!って感じ。

でもそんな生活に至るまでには、ご主人の職業人としての葛藤と挫折があって、その経緯も描かれます。贖罪とか責任感とか美学とか、そういった感情を生活に込めて生きたんだと思います。

ドキュメンタリーなのに、中盤からぐいぐいドラマチックになっていってラストは場内すすり泣き・・・

自分は主人と一緒にこんなふうに生きていけるだろうか。お互いに譲れないものを持ちながら寄り添って生きることは出来るだろうか。

頑張り過ぎず、我慢を我慢と思わず、気づいたらずっと一緒にいた、というラストにしたい。

おすすめです!



おすすめです!


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ただいま、大阪・十三のシアターセブンでは、

特集上映「東海テレビドキュメンタリーの世界」開催中!

「退学球児に再び野球と勉強の場を」と謳ったNPO。でも何かがおかしい…。賛否両論、毀誉褒貶。ドキュメンタリーの可笑しさと真の恐ろしさが凝縮された怪作。 (シアターセブンHPより)

↑この紹介文(「賛否両論、毀誉褒貶」「怪作」という言葉!)に魅かれて観に行ったら・・・

・・・

・・・

・・・

ホントに怪作でした!

URL: youtu.be

愛知県のNPO法人の理事長は、ドロップアウトした元高校球児達のために金策に走り回る・・・だけどこの山田理事長という人、野球人としてはそれなりに華々しいキャリアを持っているんですが、社会人としては、本当に不器用で、金策尽きてタイトル通りホームレスになってしまいます (゚Д゚|

東海テレビのカメラは、この理事長がやみくもに飛び込み営業に入り、怪しまれたり、逆に物を買わされたりと、玉砕しまくる姿をひたすら追いつづけ・・・

クライマックスでは、理事長は、ななんと、この取材クルーに、お金を貸して下さい!と頼み込み、カメラの前で土下座をするのです。

呆気にとられて引きまくるディレクターと音声さん。それを映し続けるカメラ・・・!

ドキュメンタリーとはいえ、こんなことあんのか!という驚きと、

それまでは、この理事長ホントにしょうがないなあ~、と思ってたのに、一気に感情移入させられる彼の渾身の土下座姿・・・

・・・やばい・・・絆されてる・・・ちょろいじゃん自分・・・(;д; )

という感じで、頭の中を思い切りかき回されました!


この映画にはもう1つ、ものすごい問題シーンがありまして、
それは、監督が生徒の1人をいきなり全力で往復ビンタ9連発する場面。

放送時に苦情電話が殺到したとか。

このシーンのせいで、再放送もネット放送もされたことがないんだそうです。

ただ、このビンタだけを取り出すと確かにドン引きしちゃうんですが、文脈で観ると、ああ、こういうぶつかり合いはアリっていえばアリなんじゃないか、と、思ったりします。

意思伝達の手段がビンタしかない状況ってのもあるんじゃないか、いや、そんな状況、普通の生活してたらまずないだろうけど、でも普通じゃない状況に想像力を馳せることも大事なんじゃないか、と思ったりします。

まあ・・・全編呆れるやら引くやらおかしいやら切ないやらで、本当に凄い作品だった訳ですが。

これを観終わって、(野球に象徴される)唯一のことに賭けて賭けて賭けまくることの怖さ、みたいなものを感じて、ちょっと背筋がぞわっとしたんですよね。

これは、もしものために保険をかけておこう、とか、適度にそこそこにで良いじゃん、というのとはちょっと違って、

賭けて賭けて向かって向かってひたすら邁進することだけで自分の情熱を使い切ることの怖さ。

どんな状況になっても、どん底に落ちても、腐らず生きていく情熱を、一緒に燃やしておく方が良い。


この作品の登場人物は、とにかく野球バカ。野球で成長し、野球で挫折し、野球で再生する。

ある意味、とても幸せな人々です。

そしてこれは映画だから、それなりに幸せな帰着になっています。

だけど、これしかない、と信じて、何らかの事情でそれが信じられなくなった時(そういう人が大半だとも思うし)、そこから何をフックにして這い上がるかは千差万別で、その這い上がる力を持ち続けることこそが重要なんじゃないか、と思います。


この、特集上映「東海テレビドキュメンタリーの世界」では、去年のマイベストともいえる「ヤクザと憲法」も上映されます。これも面白かった!


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客観と模索とYOGA

テーマ:

2017年の公民館レッスンは、先週から始まっています!

明日も、9:10~と10:35~の2回、レッスンあります。

どちらも若干お席ありますよ。

年末年始で、身体が重くなった・・・硬くなった・・・首や肩が凝ってる・・・等々、自覚ある方はぜひどうぞ!

また、今年も引き続き、短い時間ですが瞑想を行っていきます。今年の希望や誓いを心で唱えながら、静寂の時間を過ごしましょう。



ところで、

去年末に某ラジオで某パーソナリティが言っていた言葉が響きました・・・

「客観っていう概念が本当にあるのか(略)

客観っていうのは実はフィクションで、世の中46億人分の主観があるだけって感じ?」

※多分この方は地球の年齢と人口を勘違いしているんだと思うんですが、意味はわかりますよね。


私はこれを聴いた時、東日本大震災の後、北野武氏がインタビューで語ったという言葉を思い出しました。


「この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。(略)

そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。」

私達は、「客観」「一般的」「普通は」等の言葉で、いろんな事例をまとめてしまいがちだけど、一人ひとりの出自も環境もすべて違う。同じ人生はない。

そう考えると、自分の人生も、他者の人生もすべてハンドメイドのオリジナルということになり、多勢に寄っていくような生き方が良いわけではない、ということに気づきます。

(ここで大事なのは、良しと思って生きていたらそれは多勢側だった、ということと、多勢だから良しと思って寄って生きていくのはまったく違うということ)

YOGAをしていると(特にYOGA哲学を学んでいくと)、自分にとって本当に大切なものは何か、その答えの片鱗が、少しずつ少しずつ見えてくるような気がします。

肉体的な強さや美しさも、物質的な豊かさも、勿論無視はできないけれど、でも、それらがなくても幸せに生きる方法はあるのです。

そして、その方法を模索し続けるのが人生なのではないかと思います。

YOGAのアサナ(=ポーズ)は、痩せるためや体力増強のためにあるのではありません。それらは練習する間にもたらされる「おまけ」に過ぎません。すっごく嬉しいおまけですけどね!

身体や物質から自分自身を引き離して「ほんとうのほんとう」を探るのがYOGAです。

アサナはそのための1つの手法です。

今年もゆっくり、ほんとうのほんとう を探っていきましょう。






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