サンモールスタジオで上演中の、古川健脚本、日澤雄介演出・劇団チョコレートケーキ『60 'sエレジー』を観てきました。

今から半世紀前の1960年代。

東京下町の、とある町工場での出来事や人間模様にのせて、高度経済成長がもたらしたものやそれによって失われたものを、真摯な想像力で丹念に描いていました。

淡々とした描写なのに、登場人物達の心情がダイレクトに伝わってきて、とても惹きつけられて集中して観入った2時間15分でした。

観終わったあと、悲しさややるせなさの中にも、心の中に小さな灯りがともったような気もします。


以下、すっかりネタバレしていますので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!




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2017年5月6日(土)ソワレ

サンモールスタジオ

脚本・古川健

演出・日澤雄介

出演・西尾友樹 佐藤みゆき 岡本篤 林竜三 日々野線 浅井伸治

足立英 浦田大地 栗原孝順 高橋長英(声)




取り壊し間近のアパートで、70歳代の男性が死んでいて、警官(栗原孝順)と刑事(浦田大地)がノートを見つけます。そこにはびっしりと自分の過去ーとりわけ1960年代の出来事が書いてあり、それを読む警官の声と重ねて、その老人の声(高橋長英)が語り始め、舞台は東京下町の、町工場に。


その老人は、当時「金の卵」と言われた中卒の集団就職者である飯田修三(足立英)で、蚊帳工場に住み込みで働くことになり、東北から上京してきたところから回想が始まりました。

社長の小林清(西尾友樹)、清の妻の悦子(佐藤みゆき)からは家族同然に温かく迎えられ、清の弟の勉(岡本篤)、ベテランの蚊帳職人の越智武雄(林竜三)に教えられながら蚊帳作りの仕事を覚え、実家に仕送りも続けます。


社長の清は、 勉強好きの修三を高校と大学に進学させてやりますが、好景気でビルの建築ラッシュになっていった東京では、網戸が増え、徐々に、蚊帳の需要が減っていきます。そして、先代からの取引先の寝具店の松尾和夫(浅井伸治)からも、取引量の減少を言い渡され、リストラをせざるを得なくなります。


苦渋の選択の末、はじめに弟の勉、次にはベテラン職人の越智を解雇しますが、ついに工場を閉鎖せざるを得なくなり、清夫婦は妻の実家の宇都宮で、妻の兄が経営する牛乳屋に雇ってもらうことになります。


経営が苦しい中、何とかやりくりをして学費を出していた清夫婦ですが、当の修三は、大学入学後、学生運動に傾倒し、デモに参加して逮捕されたりしていました。

修三は、清夫婦から、宇都宮に一緒に行くか、と聞かれますが、大学を辞めたくはない、と断ります。その実、二人から捨てられたようにも思い、清に就職先を見つけてもらったにもかかわらず、離ればなれになってからは、疎遠になってしまいます。


小さな町工場での人間模様から、私が感じたのは「情」で、

子どものいない清夫婦が、修三を本当の息子のように思い、勉強が好きなのに進学をあきらめていた修三を、学校に行かせてやりたい、という思い、

大学で学生運動に身を投じてしまった修三を、心配しながらも信じてやろうとする思い、

本当は宇都宮に連れて行きたかったけれど、修三の気持ちを尊重しようとする親心、


誰も解雇したくなんかない、先代から続いたこの工場を手放したくない、という清の思い、

せっかく進学させた修三を解雇するのはしのびない、と清が思っていることをわかっていて自ら、自分が辞める、と言った弟の勉の思い、

長年のつきあいの取引先の松尾が、冷徹な宣言をしなければならないことの苦しい思いと、できる範囲で力になろうとする思い、

幼なじみの茨木実(日々野線)の思いやり、

などの、今まで紡いできた人と人との縁を大切にしようとする「情」。


「権利」を声高に主張する側面もある現代とは違い、場合によっては自分が我慢をしてでも、相手を思いやることのあった時代。

でも、所得倍増計画のもとでの経済成長、大量消費社会の到来は、それまでのような、「情」にもとづく関係性の維持を困難にしていったことを感じさせる描写でした。


いささか、60年代を美化した描き方ではあるし、登場人物に悪い人が出てこないホームドラマのようであるとも言えますが、作り手の想像する60年代の一側面ではあるでしょうし、それぞれの心情が丁寧に描かれているので、こちらも素直に感情移入ができて、彼らの喜びや苦しみに、心が寄り添っていきました。


その後、学生運動の後退による挫折、一度結婚したが離婚したことが年老いた修三のナレーションで語られ、修三の住んでいたアパートがかつての蚊帳工場であったことが観客には知らされましたが、70歳代になって、自分から死を選んだ理由、そこまで、どんな人生を歩んで、どんな思いで生きてきたのか、については劇中で演じられることはなく、観客の想像に委ねられることになりました。


肝心な「そこ」を描かないことについては、好みや評価が分かれる気もしますが、観る者によってそれぞれが違う物語を想像するようにも思うし、その余白が、観客の思考を促すような気もします。


当日のパンフレットによれば、劇作家の古川さん、演出の日澤さんともに、現代日本の生活をかたち作った源流に、高度経済成長期があるととらえているとのこと。

高度経済成長期を否定的にとらえる見方もあり、確かに、技術の進歩は多くの斜陽産業を生み出し、この物語のように、廃業せざるを得ない職種が増え、好況の影で苦しんだ人々も多かったのだと思います。

また、物質の豊かさが、心の豊かさにつながらなかった、との指摘もよく聞くところです。


でも、人は時代を選んで生まれてくることはできなくて、たまたま生まれついた時代の中で生きていくしかないわけで、この物語では、作り手側の批判精神は感じさせながらも、「時代」や、「その時代の人々」をいたずらに糾弾するのではなく、時代に迎合して生き延びた人々に対しても批判よりは温かい視線を注いでいるようにも感じられました。

それによって、受けとる側の私は、60年代という時代の功罪について、柔軟に思いをめぐらせることができた感じです。


高揚感に溢れていたであろうあの時の「東京オリンピック」と、

3年後の「東京オリンピック」に向けての、社会の空気の違い。

まさに、こうした「今」を私は生きていきているんだなあ、などと思ったりもしたのでした。


そうそう、私は小さい頃に蚊帳に入ったことがありまして、清夫婦が蚊帳の中で話をするシーンを観て、中に入った時の、回りが紗に透けて見えて、ちょっと異次元の世界に入ったようなワクワク感を思い出しました(笑)


口下手で、怒りっぽくて、頑固で、でも、義理人情に厚くて優しい清を演じた西尾友樹さん、朴訥な役がとても合っていました。いつも思うんですが、どこか可愛らしさがある方で、観ているうちにその人物をとても好きになってしまいます。

気っ風のいいおかみさんの悦子を演じた佐藤みゆきさん、おかみさんと呼ぶには少し若すぎる気もしますが、明るく、元気で、それでいて繊細な演技が魅力的でした。


ちょっとちゃらんぽらんだけど、思いやりがあり、実は先見の明もある弟の勉を演じた岡本篤さんも人となりがよく出ていてよかったし、

修三役の足立英さんは、集団就職で上京して不安でいっぱいの少年から、学生運動の波にのまれていく大学生まで、揺れ動く心理とともに、多感な年代を表現していて、こちらもハラハラしたり、嬉しくなったりしてしまいました。

その他の方々も、その人物の役どころを十分に発揮していて、その心情が明確に伝わってきて私の心も揺れました。


最後、刑事が、90歳代と思われる婦人が訪ねて来ている、という連絡を受けるんですが、それを聞いて私は、清の妻の悦子が会いに来たのだと思って、

実の母親ではなかったけれど、実の息子のように思っていた子どもの死を見届けるほどつらいことはないだろう、と思うと、私の胸を悲しみが覆ったんですが、


次の瞬間、また、清がすうっと舞台に出てきて、ソワソワし始め、そして、修三が大学合格を知らせに帰ってきて、登場人物全員が心から喜び合う、というシーンになって、そうだ、修三の人生にもこんなに幸せな瞬間があったんだよね、と救われた気持ちになりました。

そして、どんなに時代が変わっても、こうして、人の幸せを喜び合える気持ちを私達はまだ失っていないはず、これからだって・・と思うと、心に希望の灯りがともった気がして、その灯りをそっと抱えて劇場を後にしたのでした。

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