悪い芝居『罠々』感想

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東京芸術劇場シアターイーストで上演された、悪い芝居『罠々』を観てきました。

悪い芝居は、京都に本拠地をおく劇団で、私は今まで観たことはなかったんですが、劇団員の渡邊りょうさんが客演された作品はいくつか観たことがあります。

また、今回、この作品が演劇ポータルサイトの“CoRich舞台芸術まつり2017春”の最終審査10団体の中に入っていることもあり、興味を覚えてチケットをとりました。


劇団の作風などの予備知識なしで観に行ったんですが、観終わった後は、

「う~ん、よくわからなかった・・・。」と思ったのが正直な感想で、

「よくわからないけどなんかすごい。」というのは、私の中では野田秀樹さんとかケラリーノ・サンドロヴィッチさんとかの作品に分類されているんですが、今回は、そのわからなさを楽しむところまではいけず、ちょっと白旗を揚げたい気分になりました(笑)


今回の作品は、いろいろなエピソードが混在していて、パズルがはまるのかな、と思ったとたんに、それを拒まれる感じで、観客が物語のつじつまをあわせるのを拒んでいるというか、もっと違う楽しみ方を要求されたように思えました。

でも、俳優さん達の演技や、印象に残る台詞の数々など、心にひっかかるものがあり、今でも不思議な余韻が残っています。


以下、ネタバレありの感想ですが、記憶が曖昧なところが多いため、話の展開に間違いがあるかもしれません。お許しください。




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2017年4月22日(土)ソワレ

東京芸術劇場シアターイースト

作・演出 山崎彬

出演 渡邊りょう 山崎彬 野村麻衣 植田順平 石塚朱莉 緒方晋 他

音楽 岡田太郎




劇場に入ると、舞台奥にスクリーンがあり、少しセピア色に人の姿が映し出されていて、はじめは、作品に関わる映像を流しているのかな、と思ったんですが、よく観ると、ロビーから入ってくる観客の姿を定点で映しているのでした。

そういえばカメラが置いてあったな、と思い、自分も映されていたのか、と思うと、一瞬、プライバシーを侵害されたような気分になりましたが、他の方の無防備な姿を見ているうちに、自分が観察者になったような、優越感ともちょっと違うかもしれませんが、何となく自分が違う視座をもつ人間になったような気がしたのが今思うとおもしろい。


舞台の四隅にはギリシャの神殿を思わせるような柱が建っていて、登場人物達の衣裳も、どこかギリシャ風(?)直前にギリシャ悲劇を観たからかもしれませんが(笑)、フライヤーの印象とは違っていてちょっととまどいました。


主人公の羽尾(渡邊りょう)は、ある日、何もかも嫌になって電車に飛びこもうと思いますが、直前に出会った女から、「すべては誰かが仕掛けた罠なのだ」と言われます。そして、その誰か?何か?に復讐せよ、という声に導かれて、故郷の町に戻ってきます。


そこで、かつての高校時代の友人の壺見(山崎彬)と出会います。羽尾は、人のたくさんいる場所に行かなくてはならない、と言い、それを聞いた私は、無差別殺人でも起こそうというのかしら、と思ってしまいましたが、壺見が連れて行ったのは、その町で一番人が集まるというスナック。

そこには、やはり高校時代に仲の良かった道草(野村麻衣)がいました。


一方、その町には、まるで神様のような風貌の浮浪者(植田順平)や、公演のトイレで産み落とされて捨てられ、浮浪者に育てられたという鉈出孤子(石塚朱莉)がいて、鉈出は、自分の姿を配信して、有名なユーチューバー・ナタデココとなっています。

また、元漫才師の天田(緒方晋)も、何十年振りかで相方の漫才師を探しにこの町に戻ってきます。


羽尾と、壺見と、道草。

高校時代、“この白い線からはみ出した者は死ぬごっこ”をしていた3人。

その線から出ることが本当に怖くなってしまった羽尾のために、壺見は町中に白い線を引いたのに、羽尾は町から出て行ってしまった。


物語の終盤で、ナテデココは、公演のトイレで乱暴されて妊娠してしまった道草が産んだ子供であること、乱暴したのは天田の相方の漫才師で、その後消息を絶っていたこと、神様のような浮浪者が実はその漫才師なのか?となり、伏線が回収されたのか、と思いきや、実はそうでもなかったようで、私は混乱の中に取り残されました。


ラストシーンは、壺見の部屋で、焼き肉を焼いている羽尾が、この小さな町への憎しみと復讐の方法を静かに語り、それを聞いている壺見の恐怖の表情と、もくもくとあがる白い煙が印象的で、このシーンは、私も恐怖を感じたのを覚えています。


今回、劇中で俳優が他の俳優を撮影していて、それが舞台後方のスクリーンに映し出されて、観客は生の俳優と同時にスクリーンの中の俳優を観ることになり、そこに何らかの二重性を感じさせられて、不思議な感覚になりました。

ただ、この試みは他の作品でも観たことがあり既視感があったのと、後半になってもそれが続くのが少しくどい感じがしてしまいました。


でも、

羽尾を演じた渡邊りょうさんの淡々とした怖さ、

壺見を演じた山崎彬さんの少し無理をしている友情を感じさせる演技、

道草を演じた野村麻衣さんの力強い表情、

ナタデココを演じた石塚朱莉さんの溌剌とした演技、

神様のような浮浪者を演じた植田順平さんの独特の存在感、

「エダニク」で拝見した緒方晋さんのユーモアとペーソスのある演技、

などがとても印象に残りました。


苦も楽も、誰かが仕掛けた罠だ、というのはそれを仕掛けるのは神々だ、とするギリシャ悲劇を思い出したり、

ある意味、そう思うことで解放されることもあるのかも、と思ったり、

被害妄想や幻聴は病気の症状とも言えるけど、羽尾が狂気の世界にいる、ということを描きたかったわけではないだろうなあ、と思ったり、

物語の底には、鬱屈と何らかの破壊衝動が隠れているような気もするな、と思ったり、


故郷への愛憎や、友情というものへの複雑な思いが感じられたり、

「白い線から落ちたら死ぬ」というのは、社会のレールに乗れないことへの恐怖かも、と思ったり、

「人生はどっきりや。」という台詞がたくさん出てきたけれど、それにコメントしようとするとなぜか思考停止に陥っている自分がいたり(笑)、


劇団のホームページを読むと、現実世界と劇世界の距離を観客の想像力を信じて自在に操作する、とあるので、観客はリアルと嘘や妄想の間を行き来しながらその混沌を音楽とともに楽しめばいいのかもしれませんね。


ただ、最近、私自身は、若い劇作家の方が描く、一見わかりづらい作品に対して堪え性がなくなっている気がして、どうも、自分の経験から導き出した解で答え合わせをしようとしたり、(作り手の意図とは違っていてもいいのだ、と開き直りつつ)自分なりに意味を見いだせると落ち着く、という傾向があるように思えます。

これって、やっぱり年のせい(?)

あるいは、感性に関わることでしょうか。

と、こういうことも含めて、私の心に波紋を残した作品でありました。

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