シアターコクーンで上演中の、シス・カンパニー公演『令嬢ジュリー』を観てきました。

19世紀末にスウェーデンの劇作家、アウグスト・ストリンドベリによって書かれた作品で、上演台本、演出・小川絵梨子、出演は小野ゆり子、城田優、伊勢佳世の3人。

身分違いの恋をめぐるお話しとなると、ありがちな展開を思い浮かべたりしましたが、3人の会話が火花を散らし、支配と被支配の攻守が入れ替わる、とてもスリリングな会話劇でした。


演出の仕方によっては、女性の愚かさや哀しさを強調した、官能的な物語になると思いますが、演出の小川さんは、そうはしたくなかった様子。私には、令嬢ジュリーと召使いジャンの、若い二人が自分自身の運命に抗う姿を描いたようにも見えたし、その対極にあるジャンの婚約者、クリスティンの姿も鮮やかに描かれていたと思います。

また、信じるものを持つ者と、そうでない者との対比も・・・。


ジュリーを演じた小野ゆり子さんは、まだ少女の面影を残す硬さと女性性への混乱、そして現代の女性にも通じる苦悩をクリアーに表現していたし、


ストレートプレイははじめてという城田優さんも、感情の起伏が激しいジャンという役を全力で演じていました。城田君の発する台詞には音階がある感じで、それも歌うように台詞を言っている、というのとはちょっと違って、台詞の意味は明確に伝えながらも、メロディーのようで、思わず聞き惚れてしまいました。

難しい役どころだと思いますが、実りあるチャレンジになるのではないでしょうか。


自分の信じるものがしっかりとあって、地に足のついている強さと、それゆえの哀しさを表現していたクリスティンを演じた伊勢佳世さんもとても良かったです。


上演時間も1時間20分とコンパクトで、濃密な時間を過ごせたひとときでした。

以下、ネタバレありの感想ですので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!




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2017年3月12日(日)ソワレ

シアターコクーン

作・アウグスト・ストリンドベリ

上演台本・演出・小川絵梨子

出演 小野ゆり子 城田優 伊勢佳世




今回は、シアターコクーンの中に小劇場を作るという試みで、劇場に入ると、いつもの客席は半分くらい。まず、このキャパがいいなあ、と思いました。

伯爵家の地下の台所に窓から階上の光が薄く差し込んでいて、下手には上に通じる階段。

はじめ、この屋敷の料理女のクリスティンが出てきて、料理をはじめるんですが、このシーンが1枚の絵画のようでとても良かった。舞台美術も良かったです。


スウェーデンの夏至祭りの夜。この日は誰もが夏の到来を祝って歌い踊る日。

料理女のクリスティンと、召使いのジャンが台所で過ごしているところに、伯爵家の令嬢のジュリーがやってきます。

ジュリーは、召使いのジャンをダンスに誘います。ジャンは、召使いの身分でジュリーと踊ることなどできない、まして自分にはクリスティンという婚約者がいる、と言いますが、ジュリーは、意に介さず、自分の相手をするように命じます。


ここでは、躊躇するジャンを翻弄し、身分の違いを利用して命令する、気位が高くわがままなジュリーの姿が描かれていました。

それにしても・・ジャンを演じる城田君が出てきたとき、思わず、「カッコいい・・・」と思ってしまい、「むしろ貴族役が似合うよねえ、でも、召使い役なのだから、カッコいいとか思っちゃダメなんじゃ?」と謎の葛藤をしてしまいました(笑)


ジュリーのわがままにさんざん付き合わされた後、ジャンは、幼い頃からジュリーに恋心を抱いていたことを告白します。

台所に、酒に酔った者達がなだれ込んで来たため、(ここはたくさんのアンサンブルが歌い踊って、これも劇の中のアクセントになっていてよかった)二人でいるところを見つからないように、ジャンの部屋に逃げ込み、そして、一夜を過ごしてしまいます。


そしてその一夜を境に、ジャンの態度が一変します。

ジュリーに対して高圧的にふるまうようになり、「この屋敷を出たい」というジュリーに、スイスに行ってホテルを経営しよう、と駆け落ちを誘い、自分と一緒に行きたいなら、父親の金を持ち出せ、と言います。


ジュリーの方は、身分差という鎧がなくなり、男と女の関係になった後、とても無防備になってしまいます。ジャンに対して、愛の言葉を求めますが、ジャンからはその言葉は得られない。

裕福でも幸せとは感じられないこの生活から抜け出したい、でも一人では出て行けない、というジュリーは、ジャンに言われるままに、お金を持ち出してしまいます。


パンフレットを読むと、演出の小川さんは、この戯曲を読んで、「女、ナメてる?」と思ったそうですが、確かに(笑)、関係をもつ前と後での男女の描写としては、いかにも男目線という気はします。


ただ、小野ゆり子さん演じるジュリーの独白からは、平民でフェミニストの母と保守的な貴族の父との間に生まれ、母からは男を憎むように教え込まれ、両方の価値観の間に引き裂かれて苦しみ、自分を見つけることができない苦しみが語られて、この相反する価値観の間での苦悩は、現代の女性にも通じることに思えて、ジュリーの苦悩に気持ちが寄り添いました。


ジャンの方は、はじめはジュリーに翻弄され、とまどい、命令に屈し、けれど実は幼い頃から恋をしていた、というピュアな恋心もあり、肉体的に征服してしまうと、野心をあらわに、残酷になっていく・・・ジャンの人格の統一感がないような感じですが、むしろ、ストリンドベリはそういう風に男のいろいろな面の全部乗せ、という感じにしたかったのかな、と思いました。


戯曲を読んだとしたら、ジャンは、野卑な感じの色気がある人物を想像するような気がしますが、そうなると、もっとセクシャリティが強調されてしまうかも。

ストリンドベリ自身も、没落貴族の父と女中の母との間に生まれたそうで、女嫌いとの噂もあるようですが、どこか、女への復讐心もあるような気がします。

でも、演出の小川さんは、そこには乗らなかったのではないかな。


城田君演じるジャンは、今の低い身分から何とか抜け出したい、ここではないどこかへ行きたい、というジャンの必死の思いが伝わってきて、それは未熟な若さではあるけれど、嗤う気にはなれない。同時に、伯爵からの命令の呼び鈴が鳴ると、反射的に従属してしまう、それはもう身に染みついてしまっている、という哀しさも感じさせて、城田君を起用した理由は、ここにあるのかな、と思いました。


一方、二人が関係を持ったことや、駆け落ちを企てていることも知ることになったクリスティンですが、自分は自分の身分と運命を受け入れて生きている、それはこれからも揺るがない、けれど、倫理からはずれることをしたジュリーを尊敬することはできないので、ここで働き続けることはできない、と言います。

そして、自分には信仰がある。神様が救ってくれるのは誰かを自分はわかっている、と。

傷つきながらも、凛として教会に向かう姿が、強くて、悲しかった。


結局、二人が逃亡する前に伯爵が帰ってきてしまいます。

「私はどうすればいいの?」と言うジュリーに、ジャンは、最も残酷な提案をする・・蒼白になりながら階段をのぼっていくジュリー。


この結末は、観る人によっていろいろな印象を持つのではないかと思いますが、きっと、現代劇のようにはいかないであろうという歴史的背景も感じて、また切ない気持ちにもなりました。

この後、3人がどうなったと思うかについても、観る人によって分かれそうだし、観客の想像に委ねる結末も、好みは別れそうではありますが、私自身は、3人の気迫に満ちた演技を堪能できた観劇体験でした。


私が観たのは初日が開けてまだ間もない時だったので、これからさらに深化していくのではないでしょうか。

そして、もう一つの演目、『死の舞踏』も観たくなって、あわててチケットをとりました。こちらは千秋楽近くの観劇になりますが、楽しみに観に行きたいと思います。


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