科学技術は人類を幸せにしたか? | 勝手な考察をする場所

科学技術は人類を幸せにしたか?

まず友人の記事 を見てください。


こやつが「反論してみそ」的なこと言ってきたので、考えてみます。

まず、思い浮かぶことがいくつか。


科学技術の与えた影響

 1.武器による殺戮・安全

 2.医療による延命・絶命

 3.機械による賃金の上昇・低下


パッと思いつくのは、こんなもんかな。

まぁ、見ての通り、文末に相反する語があります。

ようは使い方でいくらでも変わるということなんですが、もう一つ示していることがあります。


誰かが幸せになるということは、誰かが不幸になっているということではないか?


全部が全部そういうことではないと思いますが、賃金に関してはほぼそうなると思います。

誰かが儲かれば誰かが損をする。

生物である以上、他の生物を食って生きていきますし。


何でそんなことを考えたのかというと、

幸せと不幸、その人数がそれぞれ単純な四則計算の関係にあるのかどうかが疑問だからです。


つまり、

1幸せな人と1不幸な人がいたら、互いに相殺されて0幸せとするのか

3幸せな人と1不幸な人がいたら、1幸せな人が二人とするのか

100幸せな人1人と1不幸な人が100人いたら、互いに相殺されて0幸せな人が101人とするのか

1幸せな人100人と100不幸な人1人がいたら、互いに相殺されて0幸せな人が101人とするのか

ということです。


幸せの総量」を考えるときに困ると考えたわけです。

同じように、単純に平均計算していいのかどうかも疑問です。



次に、彼も書いてるけど、「そもそも幸せとは何か」かな。

そういえば、前にこんな記事を書いてたな。 幸せについて

今読み返してみても、考えはとくに変わってないし、幸せが何かもわかってない。


今思うことは、上の記事の「幸せ」は精神的な幸せなのではないかと思う。

ようは、個人個人の価値観によって決定される幸せ。

「幸せかどうか」というより「幸せと思うかどうか」という実感的なものかな。


でも、給料は多いほうがいいことは確かだし、転ぶより転ばないほうがいいことは確か。

客観的とは違うと思うけど、ないよりあるほうがいいもの、あるよりないほうがいいもの、が存在するのも事実。

こういう物差しで幸せを計ることもできる。

実感的に対応させるなら、実質的となるのだろうか。


そして、「幸せ」を大きく左右するのは価値観だと思う。

つまり、実質的なものではなく、実感的なもののほうが影響が大きい。

人間なんて所詮脳みそで生きているんですからね。

いくら現実が不幸せでも、脳みそ(実感的)が幸せと思えば幸せなんです。


と、ここまで書いて浮かんだ疑問がひとつ。


「幸せにした」の範囲は?


ここでの範囲は「時間」です。


今現在なのか今までの合計なのか地球(人類)が滅ぶまでなのか、これがわからんということです。


まぁ、「幸せにし」なんですから、今現在か、今までの合計か、ですかね。



まとめて、何が言いたいかというと、「科学技術は人類を幸せにしたか?」という問い自体の意味がよくわからんということです。


深く考えなければわからないけど、深く考えると余計わからない。




まぁ、ただ1ついえることは、今突然科学技術が無くなったらほぼ全ての人が困るということです。


つまり、ほぼ完全に人類は科学技術に依存しているということです。


それを幸せと見るのか、中毒症状と見るのか。


科学技術は人類を幸せにもしたし不幸にもしたと思います。

また、科学技術がなければなかった幸せ、なければなかった不幸があると思います。


ようは、幸せの量も不幸の量も増えてるんじゃね?ってことです。


で、四則計算が成り立つのかどうかという疑問があったので、よくわからん、と。



これは、生きているほうが幸せか、死んでいるほうが幸せか、によく似ています。

つまり、幸せと不幸が、両方あるほうがいいのか、両方ないほうがいいのか、ということです。

未だに僕はわかりませんが。


彼の言っている「人口が増えている」は人間にとって大きな利益でしょう、生物的にですが。




最後に言いたいことは、人類を幸せや不幸にするのは科学技術ではなく、人類自信であるということです。

つまり、この問い正確には「科学技術を用いて(発展させて)人類は幸せになったか?」ではないかと。

結局良くわかんないんですけどね。

反論というか、ただ意見を述べただけだなこりゃ。