生き様(いきざま) | ほどよい敬語~「コミュニ敬語」でいこう

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プロのライターでも経営者でも間違えることがある敬語。相手を思いやるコミュニケーションツールとして「ほどよい敬語」を使いこなして「デキル人」になっちゃおう。

主に敬語についてのコンテンツは先週末でおよそ1か月経ちました。今後も「あれ?」と思える表現があれば、随時記事にしますが、しばらくは広く「日本語」について書いてみることとします。


「生き様(いきざま)」

『死に様』(しにざま)という言葉があるなら『生き様』(いきざま)も」という風に広がってきたのでしょう。
もともとはなかった日本語で、本来は「生き方」「生き様(いきよう)」と言うべきです。
というのも「様(さま)」がなまった「ざま」は、「ざまを見ろ」などと侮蔑を込めて使われることが多いため、賞讃に使うのはおかしいと言えます。

もちろん、ドキュメンタリー番組などで父親から息子に宛てた手紙などで「俺の生き様(いきざま)を見ていてほしい」とか、有名人の葬儀で「見事な生き様(いきざま)だった」と使われることは確かにあります。

そうした場面では、すさまじい生き方を表す場合が多いようです。「人にはぶざまと思われるだろうが俺の生き様を……」と本人が使う場合や、「すごい生き様やった。芸の道も人生も奔放に生きた奴だった」と仲の良かった人が使う場合が多いようです。

もしも使う場面があるとしても、そうした、独特の意味合いを持つ言葉として認識しておくことは必要でしょう。少なくとも、故人が日に日に衰弱し、力尽き、ご遺族が悲嘆にくれているような場面にはにつかわしくない言い回しです。


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