前回TGVでレンヌ駅でモン・サン・ミッシェル行きのバスに乗換えたところからの続きです。

 

 モン・サン・ミッシェルに行く~PART1~は→  こちら

 

 読んでくださる方のために一言だけ<長いです>

 

 満員の乗客約60人を乗せたバスはレンヌの街を通り抜けて一路モン・サン・ミッシェル目指して走り出した。

 昨年パリ郊外の町で暴動事件が起きた中にレンヌ市も含まれていた。

 昨夏、バスでほんのひととき街中を通過しただけでは、そんな苦悩を抱えた町であるとは想像も出来なかった。人影のまばらな街だなとは少し感じたが。

 

   

 広くてきれいなレンヌ駅前広場、なぜか人影はまばら 

 

 レンヌ市内を抜けてもしばらくは道路の両サイドに家屋が途切れることはなかった。

 それからさらに走ることおよそ10分程度で、辺りは一面に広がるトウモロコシ畑となった。

 牧草を刈り込み干草を丸めたところもあったが、ほとんどはトウモロコシ畑。

 フランスという国家が、ボルドーやブルゴーニュといった地域に代表されるワインと、トゥルーズ地方をメインとする軍事大国といった面だけではなく、豊かな農業大国であることを充分体感出来るくらい、どこまでも続く丘陵地帯全部が畑だった。

 小さな町を3つほど過ぎ、かれこれ1時間近く走り終えた頃、わりと大きな交差点にさしかかったとき、バスが速度を落とした。

 交差点は少し渋滞気味だった。

 レンヌを出てから初めてといっていい渋滞だった。

 どうやら目指すモン・サン・ミッシェルにかなり近づいたようだ。

 渋滞の交差点を過ぎてまもなくバスは大きな駐車場の前で停車した。

 乗客の何人かがバスを降りた。

 モン・サン・ミッシェル行きの直行バスだと思っていたので、途中で留まるとは意外だった。

 だがすぐに理由は判明した。

 今バスが停車した地点から、もうモン・サン・ミッシェルが見えていた。

 モン・サン・ミッシェル内に宿泊しない人たちはこの辺りのホテルに泊まるのだ。

 

  

 レンヌ駅からモンサンミッシェルへの直行バス

 

 

 草原の向こうにモン・サン・ミッシェルが

 

 そこから湿原のように見える草原の中を進むバスの車窓から、モン・サン・ミッシェル全体が見えてくる。

 幸い引き潮の時間だったため、バスはモン・サン・ミッシェルのある「島」の入口のすぐ近くに停車した。

 バスを降りるとそこはもう人で溢れかえっていた。

 どう行けばいいのか、などと迷う心配すら無意味なほど道は一本。

 時間はまだ3時にもなっていなかったが、とにかくまずは今夜宿泊するホテルを探そうと一本道を先へと進む。

 

 しばらく行くと城壁に囲まれた門がある。

 昔はここで外部と行き来を完全に遮断していたのだろう。

 アーチ型の門を過ぎると車が1台かろうじて通れるほどの狭い路の両側にはとてもここが聖地とは思えないくらい、土産物、カフェ、レストランなどがびっしりと並んで店を開けている。

 関西在住の私は清荒神か京都清水寺へと続く産寧坂を思い出した。

 道幅はそれらよりもっと狭い、立止まるためには路幅が少し広くなっている場所を探さねばならないほどだった。

 

      

  京都の産寧坂というよりはドイツのリューデスハイムに近いかも

 

 

 少し進んだ先に左に折れる小路があった。

 小路は急な階段を上がって奥に進まなければならなかった。

 10mも進むと目指すホテルの看板があった。

 中に入るとブロンドの女性が笑顔で迎えてくれた。

 予約してある旨を伝え、チェックインしたいと申し出るが、まだホテル内のレストランが混雑している関係だろう、1時間後に来てくれと言う。

 重い荷物だけを預かってもらい先ほどの本道に戻って時間をつぶすことにした。

 時間をつぶすと書くと退屈なように感じられるかもしれないが、これだけにぎやかで人が多く、店がたくさんあれば、1時間などあっという間だった。

 先ほどのホテルに戻るとフロントには同じ女性がいて、宿泊場所はこことは別な場所だという。

 フランスでパリに到着して以来ホテルの部屋ではそこそこひどい目に遭っていたので、内心は「ここじゃないのかよ!」という気持ちもかなりあったのだが、冷静に場所の説明を聞いた。

 小路をさらに奥へ上へと上がると大きな緑の扉があり、その扉の中がコテージタイプのホテルになっているとのことだった。

 そして入口はナンバーロック式でその暗証番号は「1 2 3 4 ж ж」だと説明してくれた。

 正確には彼女はこう言ったのだ「ワン ツー スリー フォー アスターリスクチョンチョン OK!」

 こんなわかりやすい暗証番号で大丈夫なのかという気持ちもあったが、忘れないという点では文句なしだ。

 「ワン ツー スリー フォー アスターリスクチョンチョン」とリピートして部屋の鍵を受け取り部屋に向った。

 階段は急だが、上に登ると先ほどバスで通ってきた道路や広大な草原が見渡せる素晴らしい眺めだった。

 

  

  これがホテルに入るための扉

 

 目指す扉はすぐに見つかった、見つかったというよりも他にそれらしき扉は見当たらなかったからだ。

 説明にあったナンバーロック式の鍵盤も扉の横にあった。

 これだな、「1 2 3 4 ж ж」完璧に押した。だが扉が開かない。

 何度もやってみる、「1 2 3 4 ж ж」ダメだ。開かない。

 10回はチャレンジしただろうか、ふと後方を振り返ると一組の中年カップルがこちらの方を伺っている。

 なんなんだ彼らは、ナンバーロックを盗み見しようとしたって見せてやらないぞ。

 そんな心配をしながら、暗証番号を押すところを彼らから隠すようにして押してみる。

 やっぱり開かない。

 もういいや!、もう一度フロントまで戻って聞いてこよう。そう思って扉の前から離れようとしたとき、さっきのカップルが近づいてきて言った。

 「教えてあげるよ、こう押すんだ1 2 3 4 # ж」

 カチッ、扉のロックが解除された。

 「なんだ、アスターリスク2回じゃなくてシャープ・アスターリスクじゃんか!」

 ほんの些細な違いだけど、暗証番号が違うというのは些細なことではないのだから開かないわけだ。

 ちゃんと説明してくれよフロント係さん。

 

 中は4階建てになっていて、壁や階段には、これまでモン・サン・ミッシェルを訪れたであろう有名人たちの記念写真やサインが所狭しと飾ってあった。

 

  

  顔は知っていても名前のわからない有名人ばかり

 

 荷物を部屋に置いてすぐにモン・サン・ミッシェル最上部に行くことにした。 

 夕食はチェックインのときにホテルが経営する海の見えるレストランを予約しておいた。

 レストランは予約客には眺めのいい席をちゃんとキープしておいてくれるからだ。

 

 人込みは相変らずだが、観光客の半分はフランス人、そして4割がドイツ人とアメリカ人、残り1割がアジア系だ。(アジア系といっても日本人と韓国人、中国人だけだが)

 そのため人数のわりには人の流れはゆったりとしていた。

 石段も登りばかりだが、ずっと階段が続くのではないので、それほど苦しくはなかった。

 

 最上部にいるとき、潮が満ちてきて、それまで駐車場だった部分が潮に埋もれてなくなっていくため、至急車を移動するようにというアナウンスとサイレンが鳴っていた。

 

 

 干潮のときは干潟が巨大な駐車場(硬い粘土)

 

 

 

 満潮になると右にある道路以外は水没する

 

  

 ☆最上部の僧院はいろんな方が書いておられますので、省略させていただきます。

 

               

                朝日に輝くモン・サン・ミッシェル

 

               

              最上部にはアルハンブラ宮殿を連想させる中庭も

   

               

                聖ミカエル像

 翌朝、前日と同様のバスに乗って帰るわけだが、前日は満員のため乗車出来なかった人たちがいたことを考慮し、バスの発車時刻よりも30分前に、昨日バスを降りた場所に向った。

 昨日バスを降りた場所はまだ潮が満ちていて車が入って来れないようなので、潮の干満に関係のない道 路上まで荷物を持って移動した。

 そこまで移動したとき日本語が聞こえてきた。

 昨日のTGVやバスの中でも日本語は聞かなかったので随分久しぶりな気がした。

 というよりも、そんな早い時間にそんな場所まで重い荷物を持って移動して来るのは日本人しかしない行動パターンだっただけなのだと後で気がついた。

 やがて、見覚えのあるバスがやってきた。

 昨日のドライバーとは違うが、同じバスだ。

 バスは一段高くなっている道路上で待つ私達日本人の一団のほうには来ないで、手前にある側道を降りて、さっき私が出てきた島の入口まで走って行った。

 そう、さっきまで水位が高くて通れなかった下の道が、わずかな間に潮が引いて通れるようになっていたのだ。

 結局、昨日バスを降りた場所にそのままいればよかったのだ。

 私を含む日本人一行はあわててバスまで走った、必死で走った。

 走りながら、どこに行っても日本人は同じ行動するんだなあと、つくづく思った。

 でもそのため息は、それなりに満足したものでもあった。

 バスは発車時刻を過ぎる頃になったが、半分も座席は埋まっていなかった。

 考えてみればそうだ、朝から帰りのバスに乗るなんて、日本人以外には考えられない行動なのだと思った。

 そして昨日留まった場所から乗ってきたのもやっぱり日本人。

 

 レンヌ駅に到着して最初に考えたことといえば、今から乗車するTGVの先頭車両はいったいどっちだということ。

 パリのモン・パルナス駅では進行方向に向って最後尾が1号車だったのだから、帰りは1号車が先頭だというのが当然のことながら常識なのだが、久々のパリで変にヨーロッパ的な思考が頭に入ったばかりの頃だったので再確認したいと思う慎重な気分になっていたのだった。

 幸い1号車が進行方向(パリ)に向って先頭だということはホームの掲示板で確認出来た。

 しかし、自分が乗る22号車がホームのどのあたりに停車するのかはいぜんとしてわからなかった。

 プラットホームが500m近くあると、最後尾だとわかっていても本当にホームの一番端にいていいものかどうか不安になるのだった。

 結局ホームの端から50mくらい中よりの、そして他にTGVを待っている人がいる場所を選んだ。

 極めて日本人的発想だ。

 定刻にTGVがホームに入ってきた。

 先頭が1号車だというのは車両に表示があったのですぐにわかった。

 5号車くらいまでは各車両にそういった表示があった。

 だが、その車両以降表示がなくなった。

 真剣に目の前を過ぎていく車両の数を数える。

 やがて列車は止まった。

 目の前にはちょうど連結機。

 20両目と21両目間の連結部分で先頭車両タイプ同士が連結していたのだ。

 ここより前で乗車してしまっては後方に移動出来ない。

 とにかく目前の車両は21両目だと信じることにした、目指す22両目なら車内から移動出来るはずだと乗車した。

 

 話は少し戻るが、昨日モン・パルナス駅から乗車したときも同じ車両内の端に別な扉があり、そこは8人から12人くらいがゆったり座れそうな個室があった。

 そして向かい合った座席と座席の間にはテーブルも設置されていて、サルーンカーのような特別室の雰囲気だった。

 

 指定座席は22号車の13。

 22号車と思われる車両に移動してきた私の目に入った最初の座席番号は56、そして55、54、だんだん数が減ってくる、もう少しだ30、29・・・21。

 21の座席まで来たらそこで席は無くなっていた、その後ろは扉だった。

 車両を間違えてしまった!

 Oh My GOD!私がプロテスタントならそう叫んでいただろう。

 あわてて今通ってきた通路を引き返す。

 通路や列車の入口には、自由席のチケットしか持っていない乗客が大勢立っている。

 立っている彼らの荷物で狭くなった通路をなんとか移動して手前の車両に戻った。

 やはり座席は21番からしか表記がない。

 仕方なく一旦列車から降りた。

 最後尾の車両はどう見ても運転車両なのだが。

 人間、こういうあせっているときは何を考えるかわからないものだ。

 いきなり私は最後尾の運転車両に向って走り出した。

 たどり着いた時点でやっとどこにも乗車扉のないことがわかって、この考えの間違いに気がついた。

 そこからまた元の車両まで走って戻る。

 TGVは、既に5分は停車している、いつ扉が閉まってもおかしくない時間だ。

 とにかく乗車することにした、乗車してから考えようと。

 もう一度最後尾から2両目の車両の中を移動しながら座席番号13を探す。

 何度も通路を通るから、立っている乗客は露骨に迷惑そうな顔をする。

 そんなとき、席に座っていた男性がチケットを見せてくれという。

 チケットを見せると、隣の最後尾の車両だと教えてくれた。

 礼を言って移動する。

 車両がわかった以上、今度こそ座席を探すぞ、と幾分元気が出てくる。

 しかし、56で始まる座席はやはり21で終わる。

 そしてそこには扉があり、その向こうには又別な扉があって、サルーンカーのような特別室の中は家族連れが8人くらい座っていて、にぎやかに談笑している。

 仕方なくその扉と扉の間に立っている人たちの間に割り込むような形で立つことにした。

 とてもバッグを置くスペースは空いていないため両手で抱えるしかない。

 ああ、この体勢のままの2時間は辛いものがあるとな思った。

   

 そんなとき、さっきチケットを見せてくれといった男性乗客が隣の車両からわざわざ来てくれた。

 「俺について来い」そう言うとサルーンカーの扉を開け、中にいた家族連れに何か言っている。

 かなり強い口調でまくしたてている。

 テーブルを挟んで向かい合って座っていた母親と十代と思われる姉妹が、これ以上愛想の悪い顔は出来ないというくらいの顔をして渋々席を立った。

 「ここが座席13だ」

 男性はそう言い残して自分の車両へと戻って行った。

 わざわざ隣の車両から、席がわからなくて困っているだろうと心配してきてくれたのだった。

 親切な乗客に丁寧にお礼を言って席に座った。

 そして先ほど席を立った家族連れはと見れば、対面座席ではないけれど、ちゃんとベンチシートのような座席に座っていた。

 自分たちの席よりもこっちの席のほうが勝手がいいからこちらに座っていただけなのだ。

 そして彼女らが席を立った後のテーブルには食べ散らかしたゴミとこぼしたジュースがそのまま置いてあった。

 席がわからない人間のために、わざわざ教えることはしなくてもいいけど、自分たちのゴミくらい自分で片付けていけよな、と思いつつも親切な人に出逢えた喜びのほうが勝ったTGV車内での出来事だった。

 

 モン・サン・ミッシェルは映像や画像で見ていたとおりの、あるいはそれ以上に素晴らしいところでした。

 そしてまた他の地域の世界遺産にも旅してみたいという意欲をくれた場所でもありました。

 

 長い記事を最後まで読んでくださった貴方にも「神のご加護を」。

 

 おわり

 

  

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      朝日が昇った直後のモン・サン・ミッシェル

 

 今年の夏、フランスが世界に誇る世界遺産であるモン・サン・ミッシェル(Mont St.Michel)に行った。
 パリに旅行すること以上に、モン・サン・ミッシェルには行ってみたかった。
 子供の頃から写真等で見ては、その特異な立地と大僧院の建物に憧れていた。

 

 通常パリからモン・サン・ミッシェルに行く場合、RER(フランス国営鉄道)のモンパルナス(Montparnasse)駅からTGV(新幹線)でレンヌ(Rennes)駅まで行き、そこからローカル列車に乗換え、ポントルソン(Pontorson)駅で下車し、バスに乗換えて15分かけて行く方法と、先ほどのレンヌ駅からモン・サン・ミッシェル直行バスに乗り換えて一時間かけて行くという、ふたつの方法が一般的だ。
 自分は少しでも乗換えが少ない後者を選択した。
 モンパルナス駅のチケット発売所には、TGVの発車時間(確か10時15分発)よりも40分早く到着した。

 外国のターミナル駅で、列車のチケットを購入された経験のある方ならご存知かと思うが、チケット購入にさいし、順番が来るまでの待ち時間と、チケット購入そのものに大変な時間を要することが日常的だからだ。
 そういう意味で発車40分前に駅に到着したことについては、ぎりぎりだと思った。

 

   

    モンパルナス駅の様子

 

 チケット発売の窓口は3箇所開いていて、待っている人は二人、ラッキーだと思った。
 しかし順番が来るまで待つこと15分、やはりかなり時間がかかった。
 改めて順番待ちの人数が2人だったことが『ラッキー』だったということをかみしめた。

 チケット売場の窓口は、20代後半の愛想はないが、親切なフランス人男性だった。
 レンヌ駅までの指定席券を購入したいと言うと、「モン・サン・ミッシェルに行くのか?」と訊いてきた。

 「そうだ」と応えると、「レンヌ駅からバスで行くのなら、ここでTGVとモン・サン・ミッシェル行きの往復バスのチケットをセットで購入出来る」ということを説明してくれた。

 
 レンヌ駅に11時30分に到着した後、モン・サン・ミッシェル行きのバスの発車時間が11時50分ということは事前に調べて知っていたのと、そのバスが出てしまった後は午後3時までバスがないことも知っていたので、バスの乗車券をレンヌ駅で購入する手間と時間がなくなったことは非常にありがたかった。

 チケットを無事購入、そして大きなモンパルナス駅の中を歩いて乗車ホームに向かう。

    
 駅構内の幅は端から端まで200mくらいはあるだろうか。
 レンヌ方面は一番左端のホームだった。
 ホームまで中央口から約100mの移動。
 しかし、この100mの移動などはそのあとの移動のことを考えれば、たいした距離ではなかった。
 TGVのチケットには21号車と記されていた。

 

     

     こんなホームを400m以上も延々歩いて行く

 
 日本の新幹線が最長で16両編成。

 それでもホームに上がる階段は少なくとも3箇所以上はあり、ホームには停車場所が何号車であるのかホームにも頭上にも各車両別に表示されている。
 モンパルナス駅では(モンパルナス駅に限らないだろう)ホームの中ほどにたった1箇所、最後尾が1号車で先頭車両が21号車であることが記されているだけだった。実際には何箇所かに表示されていたのかもしれないが、外国人旅行者である自分にはたった1箇所しか見つけることが出来なかった。

 
 ホームの端から歩くことおよそ400m(これは1車両の長さ20m×21両と控えめに計算した結果)、途中発車時間が迫っていることもあって、TGVに乗り込んで列車の中を移動したりもしたが、連結器の関係で次の車両に列車内から移動出来なくて、仕方なく列車を降り、ホーム上を移動した。
 やっと到着した21号車に乗り込むと座席は先頭車両のそれも一番前の席だった。
 普通なら先頭車両の一番前なら嬉しいはずなのだが、なぜか全席とも進行方向に向って逆向きにシートを向けてあった。

 さらに先頭席は向きを全く変えられない構造だった。
 でも、こんなことはたいした問題ではない、無事TGVに乗車出来たのだから。

 

  

    フランスが誇るTGV

 
 定刻より10分ほど遅れてTGVは発車した。
 車内は年配のご婦人がなぜか多かった。
 これが日本の、それも大阪で年配のご婦人方ならにぎやかな(ウルサイというべき?)ことなのだろうが、雑誌をめくる音が聴き取れるくらいのサウンドオブサイレンス状態。
 そんな中、旅すればトラブルに見舞われることが多い自分には、TGVの発車が10分遅れたことに少し不安を覚えた。
 バスに乗換えるレンヌ駅での乗継時間はわずか20分しかない。そのうちの10分がもうすでに経過してしまった。
 途中で遅れを取り戻そうとするのが普通の日本人の発想、ならばこの列車は遅れを取り戻すことはないと確信した。

 なんといってもここはフランスなのだから。

 
 そして発車時間が遅れた原因が、朝から降っていた雨の影響ならば、これからも予定時刻よりもどんどん遅れていくのではないのか、そんな不安を満載して列車はレンヌ駅を目指して出発した。

 

    

     車窓には丘陵地帯が延々続く

 

 パリ郊外にさしかかると、そこはもうフランスが農業大国であることを実感してしまう豊かな丘陵地帯と農作物や酪農場の連続。
 そしてひとつの町を通過する度に必ず見かける教会。
 レンヌへ、モン・サン・ミッシェルへ向う線路沿い、道路沿いに栽培されていた作物のほとんどはトウモロコシだった。
 車窓を流れていく町を通過して次の町へ行っても、それまでに通り過ぎてかた町とほとんど景色が変わらないくらい、同じ景色と町並みの繰り返し。
 雲は低く西から東に流れていくだけ。
 ひたすら丘陵地帯を走り抜けていくTGV。
 モンパルナス駅を出て2時間が経過した。

 
 11時30分にレンヌ駅に到着する予定だったTGVだが、発車が10分遅れたので11時40分にはレンヌ駅に到着するはずなのだが、11時50分になってもまだレンヌ駅に着かない。
 いろんな考えが頭をよぎる。
 TGVとモン・サン・モッシェル行きのバスのチケットがセット販売されているのだからバスはTGVの到着まで出発を待っているはずだ。

 いやここは日本じゃない、時間が来ればバスは出発してしまう。
 

 とにかくレンヌ駅に着いたら、出来るだけ急いでバス乗場まで行ってみるしかない。
 幸いにしてこういった場合、海外の駅は大きな出口は一箇所しかないため、どの出口から出ればいいのか、悩む必要がない。

 走ってはいないが、かなりの早足でバス乗場を見つけて向った。
 時間は12時を少し過ぎていた。
 レンヌ駅の右側の建物がバスの発着場だということはすぐにわかった。
 急いで建物に入ると、建物の中からモン・サン・ミッシェルの大僧院が車体に大きく描かれたバスが駐車場に停車していた。
 ダッシュでそのバスに向う。
 そのとき、後方から韓国語の大きな声が聞こえてきた、同じTGVに乗車していたのだろう。
 彼らも駆け足でやってくる。
 しかしバスはすでに満席に近かった。
 自分をを含めて、6人分の座席しか残っていなかった。
 後ろには大きな荷物を持った韓国人が十数人バスのところまで来ていた。

 
 そして座席が全部埋まると、バスは乗れなかった人たちをバス乗場に残したままモンサンミッシェルへと出発した。
 次のバスが出発するまで4時間あまりあるのだが。

 
 これに近いケースを過去に何度か経験していたことが、今回は役にたったのかもしれないと感じたが、もし自分のように予約乗車券を持っていて、TGVからの降車順だけでバスが満車になってしまったなら、いったいどうなっていたのかと想像すると、薄氷を踏むような旅をしているのではないかと思わずにはいられなかった。
 このとき、帰りのバスには出発時間よりも必ず早い時間に、バス乗場に着いておかなければと強く思った。
 バスはTGVのレンヌ駅への到着が少し遅れていることで、出発を待っていてくれたけれど、帰りのTGVはバスのレンヌ駅到着を待ってはくれないのだから。

 

 

  つづく

 

          

        1時間後バスの車窓にはモンサンミッシェルの姿が


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 結局サン・ラザール駅からマドレーヌ駅近くまで200m、スーツケースを押しながら歩いてたどり着いたホテルのフロントはインド人でインド産フランスなまりのカタコト英語を話すおじさんだった。

 このカタコトのなまりのある英語のヒアリングはcologneがもっとも(唯一かも)得意とするところ。

 なぜかU・SやG・B・Rの英語は聞き取り辛い(出来ない)、要はボキャ貧なんだろう。(断っておくがボケ貧ではない)

 ここのホテルのほうが先ほどのチャリング・クロスよりもランク的には上の雰囲気を漂わせていた。

 すぐそばの表通りには、バリーやエルメスの店舗ビルも並んでいる。駅から少し離れてはいるが、これなら文句はない。

 店で紹介してもらったレストランもcologneの好みにぴったりの、オーナーシェフが総て調理するこじんまりした、雰囲気の良いお店だった。

 無難なセットメニュー(スタートメニュー、パスタ、メインディッシュ、デザートそれぞれ8品くらいから選ぶ形)から、それぞれ好みのものをオーダーした。

 料理の味も期待以上のものだった。

 問題は支払い、カードでの支払いが出来ることは在所に確認していた。

 伝票と一緒に携帯カードチェッカー(勝手に命名)を持ってくる、金額は130ユーロ。

 「ああ、これが現金での支払いなら、150ユーロでちょうどぴったりだったな。」などと考えながらカードを手渡す、愛想がそこそこ良かったお姉さんがしゃべらなくなった。

 チップを早く出せばよかったかな、とも感じたが中日落合監督のことは嫌いでもここは"俺流"で行くと決めた今回の旅。

 カードでの支払いを終えた後にチップとして20ユーロ紙幣をテーブルに置いて店を出る。

 後ろからお姉さんが見送ろうと出てくる。

 まさしく、現金なものだ。誰にも聞こえないように誰にも言わなかった、習慣が異なるだけなのだから。

  

 ホテルの部屋に戻る。ここで先ほど部屋に入るまでにちょっと苦労したことを思い出した。

 まずエレベーター、極端に狭い。そしてエレベーターのドア、ヨーロッパではエレベーターのドアは自分で開閉するのは当然だが、ここのエレベーターはスライドドアではなくPULLとPUSHのタイプ。

 しかもフロントでは左サイドが蝶番(チョウツガイ)であったのが3階では右側に変わっている。

 最初左側を押しても開かないから困った、特殊なクセのあるドアなら技が必要だからだ。

 力まかせに押して壊したらやっかいなのだ。幸い反対側を押せばすぐにドアは開いた。(しかし、普通はどちらか一方に蝶番を固定するのが一般的だろう。)

 そして部屋のドア、さっき出かけるときは適当に鍵を回せばドアは開いたし、ロックもかかったのに。

 2回3回と鍵を回す、開かない。今度は反対方向へ回してみる、開かない。

 3分くらいやってみたけど開かない、「だからカードキーにしろって」ぼやきながらもいじっていると開いた。

 要は3回転する鍵だが2回でカチッと音がしたときドアを上に持ち上げたらロックが解除されるのだ。(こんなクセ、初めて泊まってわかるかいちゅうねん!)

 cologneヨーロッパで3☆クラスのホテルでは部屋に入ると必ずチェックするのがトイレとバスルーム。

 まだ経験したことはないのだが、お湯が出なかったり、不潔そうだったら部屋を変えてもらうためにチェックするのだ。

 トイレに驚いた、凄く綺麗に掃除されていたのだが、水を流すスイッチが見当たらない。

 写真に撮ってくればわかりやすかったのだが便器に流す貯水タンクがかなり後ろの頭の上くらいの位置にあってそのタンクのてっぺんにわずかにスリットのように裂け目がありそれを押すと水が流れるのだ。(こんなんスイッチはどこでしょうクイズやんか!)

 

 こうしてパリ初日の日付は変わっていくのだった。

 

 

 

 RER(国営鉄道)の駅構内

 



 メトロ(地下鉄)に限らず電車に乗る際に切符やカルネ(回数券)で自動改札口を通過して電車に乗るわけですが出口に自動扉はあっても切符やカルネは回収されません。(自動扉の出口は侵入防止のために設置してあるだけ)だから切符は改札口を通過したらもう不要として捨てる人も多いのですが出口を通過するまでちゃんと持っていなければいけません。

 

 

 

 これがメトロの自動改札口

 

 今回かなりの回数、メトロ等を利用しましたがわずか5日間なのに4回駅構内で鉄道ポリスの検問がありました。罰金で済むものですが、無駄な時間と罰金、そして納付の手間を考えれば切符をちゃんと持っていればすむことです。そして使い終わった切符は必ず捨てましょう。古い使用済み切符を間違えて鉄道ポリスに見せてしまうと、またまたトラブルに見舞われます。

 それならちゃんと出口で使用済みの切符を回収しろよ、と言いたいところですが、ここは日本ではありません頑固な個人主義国家フランスです。自分のゴミは自分で処理するのは当然なんです。

 スッキリ納得。


 

 ~3~へ続く

 

  
 タイトル "TroubleTour" に変更しました。

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 今年8月16日から23日まで(予定では22日まで)北京経由パリと・モン・サン・ミッシェルを個人旅行したときのTroubleTour日記です。

 もういい加減書いておかないと忘れてしまいそうなので書きました。

 観光のことと、交通手段そして旅先でのトラブルが中心です。(トラブルが一番多いかも)

 のんびりと書いていきますので、どうかのんびりと最後までお付き合いください。

 

 

 「full booking?」

 やっとたどり着いたサン・ラザール駅(St.Lazare)近くのホテル・チャリング・クロスのフロントにいたおばさんは、あまり申し訳なさそうでもない顔で自分に言った。

 「なんで?俺は確認メール(confirmation mail)持ってるよ」

 でも手違いで満室なんだと。ここからすぐ近くにある協定ホテルを紹介するから、そちらに周ってくれという。

 「ここのホテルはダブル・ブッキングを常習的に実施している悪質ではないが、がめついホテルだと確信した。」

 ロンドンでチャリングクロスといえば有名なのだが、ここはパリ、ロンドンとは違っていた。

 

 サンラザール駅

 

 サンラザール駅、左の建物がRERサンラザール駅、透明な屋根はメトロの入り口

 

 ここでもめても仕方ないので「明日も、そして1日開けてその次の日もおたくのホテルに予約している、それは大丈夫なのか?」確認しておかないと、大変なことになるので聞いた。

 「今日は申し訳ないことをしたので、最後の日はスペシャルルームを用意しておきます♪。」とびきりの笑顔で20年前ならシルヴィー・バルタンに似ていたかもしれないおばさんが言う。

 最後の日にスペシャル・ルームを用意しておくって、明日はどうなん?

 「明日も満室なのでさらに別なホテル、それも1ランク上のホテルを紹介します♪。」笑顔でぬけぬけとおっしゃる。

 毎日違うホテルに泊まるなんて!

 そんな面倒なことしたくないからわざわざ駅に近くてメトロの交差駅の中から探してきたのにーー!!。orz

 結局紹介されたホテルまでスーツケースを押しながら200mあまり移動した。


  

 

 自分はホテルを予約する場合ある程度までは楽天を利用する。

 なんといっても楽天はホテルの登録数が多い。

 そこで宿泊したい場所からホテル名をピックアップしておく、そして今度は海外の現地サイトを検索して予約する。

 これだけのことで平均2割近くホテルの宿泊費用は楽天よりも安価になる。場合によっては4割以上差額の出るケースもあるが、あまりにも差額が大きい場合は、問題のあるケースもあるので要注意だ。

 

 話は戻ってやっとパリに到着して、今日はホテルでゆっくりくつろいで明日からパリを満喫しようという計画は初日からもろくも崩れた。

 これぐらいのことならトラブルでもなんでもない、まあハプニングくらいに考えることにして紹介されたホテルに到着した。

 

 

 ~2~へ続く   

 

 

宣言!ちゃんと最後まで書きますから。

 海外へ旅をしたとき、空港から目的地までの交通手段というものに悩むケースが結構あります。

 手軽なタクシーを毎回利用するのも、便利ではありますが面白味に欠ける部分もあります。

 そんな交通手段だけではなく、いろんなことで知っておくと便利だなということを過去の旅を振り返って思い出しながらすこしずつ書いていければいいなあと思って新テーマを設けました。

 

 最初のタイトルは↓これです。 

 

 ★ 空港から市内へのアクセス


 なんといっても一番記憶の確かなパリ旅行から書くことにします。

 シャルルドゴール空港からパリ市内へ向かっての交通手段としては

 

 1 タクシー

 2 エール・フランス・シャトル・バス

 3 ロワシー・バス

 4 RER(国営鉄道)

 

 上記4つの手段がある。

  

 1 タクシー

 なんといっても一番手軽なのはタクシー、荷物運びや手間のかかることを避けたい方向き。


 
 2 エールフランス・シャトルバス

 次にエール・フランスのシャトル・バスが一番便数が多い。(だいたい15分間隔だろうか)

 しかし、便利なようだが、到着場所が「凱旋門」と「RERモン・パルナス駅前」の2箇所しかないため、パリ市内の北側にホテルを手配している場合には、到着した場所からさらに移動しなければならない。

 

 3 ロワシー・バス 

 3番目の交通手段としてロワシー・バス、これは行き先がパリ中心部「オペラ・ガルニエ」前のみだ。

 2両編成のバスで、見た目は市内バスと見分けがつきにくいので、オペラ・ガルニエから空港へ行く場合はバス亭をしっかり確認すること。

 そしてこのバスの発車はガイドブックでは20分間隔となっているのだが、実際は30分くらい間隔が開くと覚悟しておいたほうがいい。

 そして長いバスなので、揺れたときに荷物置場からスーツケースが飛び出したり、手元から離れていかないようにしっかり固定しておかないと大変な事態になる。

 
 4 RER

 最後はフランス国営鉄道(RER)、これを利用する場合にはあくまでも鉄道を利用するメリットがある場合に限ります。

 というのも、シャルルドゴール空港には、ターミナル2駅とターミナル1駅の2つの駅があるのですが、ターミナル1駅などはそこからさらに空港シャトルバスに乗らないといけないからです。

 そしてRERはB線のノルド駅が終着駅で、そこからパリ市内へは地下鉄(メトロ)に乗換えて移動する必要があります。

 ではメリットとは何か、それは片道8ユーロで往復切符が16ユーロ(けして安くはない)であるのに、後1ユーロ追加するだけで、ノルド駅空港駅間とパリ市内のメトロが全線一日乗り放題となる点です。

 こういったサービスチケットは、メトロなどでは有名なカルネという回数券が多く知られていますが、調べてみるといろんな割引のあるチケットがあるものです。

 TGVを利用した場合でも、それに類似した非常に便利なものがありました、窓口でいろいろ聞いてみるのが有意義です。

 窓口の人がみな親切な人ばかりではなく、中には愛想がいいとはいえない人もいますが、それが普通ですから。

 

 なかなか旅行文を書いてから画像を載せようとするのも大変なのでまずは旅先で撮ってきた写真の中から代表的な場所だけピックアップしてみました。


 人間cologneも初登場しています、ただしこれは今日25日の24時までの時間限定です!。


 なんてもったいぶって、オヤジの写真ならいらないという方、明日以降は人間cologneは出てきませんので、明日以降見てください、お願いします。


エッフェル塔/トロカデロ庭園から望

 

 パリといえばエッフェル塔 プチ絶景ポイントはメトロのトロカデロ駅を上がって左へ20m進んで建物の角を曲がった瞬間です。13年経ってもそれは全く変わらない光景でした。

 「変わらない」、これがなんといってもヨーロッパの魅力でしょう。

 

 

凱旋門/エッフェル塔から望

 

 エッフェル塔は3層の展望台で構成されていますが、こちらはその最上階から凱旋門を眺めたものです。

 モンマルトルの丘を眺めるには2番目の高さの展望台がお奨め、高すぎると丘が丘として見えなくなるからです。

 

 

ノートルダム寺院裏

 

 これはセーヌ川の中にあるシテ島のノートルダム寺院を裏から撮った写真、表から見る建物よりもこっちのほうが絶対お奨め(そんなことまで勝手に決めるな!)

 

 

モンマルトルの丘から市内を望

 

 モンマルトルの丘にあるサクレクール寺院からパリ市内を見下ろした景色。

 日本のそれも関西でいえば西宮の苦楽園に近い感じでしょうか。

 

 

夜明け前

 

 パリからTGVで2時間、そこからバスでさらに1時間。

 これがフランスが誇る世界遺産「モンサンミッシェル」その夜明け前の画像です。

 島の外に泊まるよりも絶対に島の中のホテルがお奨め

 

 

朝

 

 そして夜が明けるとこんな感じです。

 一団高いところはアスファルトの道路ですが潮が引いている時間は低いところにもたくさん自動車が駐車します。

 聖地のようで聖地ではない、ここは巨大観光施設なのです。

 

 

参道

 

 その証拠写真ともいうべきものがこの島内の表参道。

 自動車さえ通れない狭い石畳の道の両側にはびっしりとお土産店とレストランやホテルが建っています。

 日本人は1%くらいしか見かけません、地元フランスと近隣諸国からの観光客が圧倒的に多いです。

 

 

エナ

 

 最後はオルセー美術館が世界に誇るモネの「パラソルの婦人」

 一緒に写っているのはどうやらこの絵が大好きな東洋人らしい。

 

 サモトラケのニケ」 ルーヴルの数多い展示品の中でも彫刻ならこの作品、そして絵画なら「カナの婚礼」がcologneのお気に入りです。

 

 顔にもホワイトバンドしてた変な東洋人はもう消えました、多分06ドイツW・Cで決勝トーナメントに日本が進出するようなことがあれば、再び現れるかもしれません。

 

 またちゃんとした記事を書くまでの間写真でも見ていてやってください。

 25日限定アップ写真なんてのもありますしね♪

 そして22日の24時を過ぎた頃、簡単に書けば23日に変わった頃だ。
 ようやく北京便に搭乗することが出来た。
 この間、上海への出発便が一便22時頃に飛び立っていったのだが、上海行きに搭乗した中国人と北京行きの中国人は、全く異なる国民のように感じられた。
 これはやはり国際社会に進出してからの経年数の違いから来るものなのだろうと感じた。
 大昔に読んだ読んだ筒井康隆氏の「農協月へ行く」を一人思い出しながら、忘れないように昨日から今日にかけて起こった出来事をメモしていた。

 この頃から悪寒が少しあって、それまで何でも食べてきたお腹から、食欲というものを奪い去って行った。
 やばい、下腹部に違和感を感じてトイレに行ったらやはり血尿だった。
 幸い、石が暴れているような痛みではなく、単純に病み上がりでいきなり1週間も旅してきたことに体のほうが限界を訴えてきたのだろう。
 旅が終わったらこうなるよと、予めセットされていたかのように、予定通りなら日本に到着している頃だった。
 人間の体の仕組みって本当に不思議だなと思いながらも、尿管結石の痛みではないことにほっとした。

 機内ではアップルジュース以外は何も口に出来ず、北京国際空港に到着した。

 もう体力は残り後僅か、クラシックな表現で言えばウルトラマンのカラータイマーがピコピコ状態といったところだろうか。
 

 そして北京到着後一団とは別れてインフォメーションを探す、探す、探す。
 結局見つからないまま空港職員に聞くことにした。
 やっと見つけた受付で、日本が大好きという空港職員にめぐり会う。
 しかしこの青年、グリーンボーイのようで誰からもあまり相手にされていないようだ。
 道案内をしてくれるのは嬉しいのだが、手続き全部が正規で、全く顔パスというものが利かない。
 職員専用エレベータさえ利用させてもらえず、遠くのエスカレータまで歩いて下へ降りてからまた元の場所まで戻ってくるといったありさまだった。
 それでもこの広い空港内を案内してくれていることに感謝した。

 
 そして100元札30枚、3000元を受取り今度は空港内の銀行へ向かう。
 窓口で事情を説明しても、窓口の冷淡な銀行員女性は一切理由を聞こうともしない。
 書類がなければ両替は出来ないの一点張り。
 なあ、だからこうなるから300ユーロで受け取りたかったんだよ、と言ってももう遅い。
 銀行を後にしてCAのカウンターへ直行する。

 
 幸いCAのカウンターには日本人社員がいた。
 CDG空港で元からユーロに両替出来ますと言っておきながら出来ないじゃないか、とクレームをつけると、関空で両替出来るように手配するという。
 口約束はもう信用出来ないからせめて名刺をくださいと申し出ると、名刺をくれて関空でも社員を待たせておきますからとのこと。
 ここまで言われたら了解だし、納得するより仕方ない。
 これ以上の文句は因縁をつけるようなものだと思った。

 
 そして約4時間後、日本時間23日の夜9時過ぎにようやく関空に到着した。
 機内では日本人も多くて、中には「今日も遅れてるよ、30分遅い」なんて文句言ってる人もいた、思わず「30分、そんなの遅れているうちにも入らないよ」心の中で会話しながらゲートまでの通路を歩いていると○○様と書かれたボードの横にCAの社員が立っていた。
 「お待ちしておりました、北京では大変失礼なことをいたしまして、改めてお詫び申し上げます」と先に言われてしまった。
 仕方ないことなので銀行は開いているかと聞くと、この時間は東京○○銀行が開いていることを確認してきたとのこと。
 そこなら何度も為替レートめぐりで知っている場所なのでそこでCAの社員と別れて銀行へ行った。

 

 しかし、1元がたったの11円。
 お金の話であまり最後まで文句を言いたくはないのだが、ユーロならしばらく持っているつもりでいたし、次に使う機会も元に比べれば遥かに大きい。
 そう思っていた最低4万2千円が3万3千円とは、騙されたとは言わないが話が違うだろう、と最後まで言いたい気分だった。

 

 しかしそれとは別に北京から関空までの機内でも何も口に出来なかった体調が、日本の蒸し暑い空気を吸った瞬間にかなり体調が戻ったことが不思議だった。

 
 人はそれぞれ、それなりにいろんな問題を抱えてはいるけれど、海外に出る度に少しはありがたい母国だなとは感じていたが、今回のようなトラブルがあると、体に染み付いた日本人的思考ということがあるにしても、やっぱりニッポンに生まれて日本人でよかったと思える体験が出来てよかった。

 

 

 最後に感想として、英語の語学力の大いなる不足。
 今回も自分の判断で書いている部分もかなりあるような気がします。
 もっともっと英語を勉強しなくては、旅行後10日間くらいそう思ってるんだけど。

 

 そして強く感じ、学んだことは、今回の旅だけで、いろんな国の人たちのことを決め付けてはいけないけれども、そういう体験をしたことは否定出来ない事実として認識しておくことが大事なことだということ。
 世の中のことで、決め付けてはいけないけれど、実際に体験したことはちゃんと認識しておくべきだと考えています。
 そして世界には親切な人間もたくさんいる。
 それは人種や宗教や民族、国家に関係なく一個人として存在していることなのだから。

 

 

 おわり 

 

 長いぼやきに最後までお付き合いいただいた方、感謝申し上げます。 

 ターミナル1からIbisホテルまで行くシャトルバスはすぐに見つけられた。
 ☆2つだが、アメリカンタイプのホテルだから快適そうだ。
 そしてホテルに到着し、チェックインを済ませる。
 夜食は23時からホテル内のレストランで食べれると、フロントで説明を受ける。
 確かにホテル内レストランはこんな時間(22:40)だというのに開いている。
 そして部屋に入り、荷物を置いてレストランへ行く。
 レストランでは店員が先に来ていた中国人に必死で何か説明している。
 要するにスタートメニューから一つ、メインディッシュから一つ、デザートから一つ、ドリンクから一つ選んでレジに持って行き、デザートとドリンク以外は冷凍食品なのでオーブンで暖めてくれるシステムとの説明だった。
 しかし中国人はメインディッシュを二つ選んだり、ドリンクを二つ持っていくためレジで店員が困ってしまって説明しに来ていたようだ、入口にちゃんと書いてあるのに。

 そして自分がレジに並んだとき「これで合ってるよね?」と先ほどの店員にあえて聞くと「パーフェクト!」と微笑んでくれた。

 
 深い意味はない行為だったが、心のどこかで東洋人みんなが勝手な人間だと思われたくない気持ちが無意識にはたらいたのかもしれない。
 そしてオーブンで暖めてもらう間、席で待とうとすると、先ほどまで空いていたテーブルの上にイスが積まれClosedになっていた。
 仕方なく前の客がそのままにして帰っていったばかりの席に座ると、ウエイトレスがすぐ食器を下げに来てくれた。
 よく気がつくな、と感心していたら「このテーブルもClosedだ!」と言う。
 こちらも感心したすぐ後だったので「じゃあ何処に座ったらいいんだ!」と言い返すと横のテーブルの連中と合席しろというようなことを言う。
 仕方なく既に座っていたプエルトリコ系の若い十代と見える男女4人の8人掛け座席に座ろうとすると、露骨に嫌な顔をされた。(あの外国人がときおり見せる最低の嫌な表情、ありますよねアレです!)
 こっちもいい加減不機嫌だったから、思い切り日本語で「いつ、何月何日、何時何分何秒からここはお前らの席になったんじゃボケッ!」と思い切りお盆をテーブルに置いて店を出て行ってやった。(まるでガキの喧嘩だけど相手がガキなんだから、いいか)

 またもや話が横へそれた、ガキとオヤジガキのもめごとは放っておいて。

 
 翌日16時にはまだ30分も早い時間に、指定されたターミナル1の12番カウンター前に到着、そこには列とはとても呼べないカートと人間の塊が・・・。

 
 そしてカウンターには4名のフランス人空港職員と1人の中国人職員がいた。
 列の最後尾がどこなのかわからないまま、カートを押している人の後ろに並んでい待っている、とどんどん手荷物だけの中国人が列の横から割り込んでカウンターの横に張り付いていく。
 そのあまりの傍若無人さに空港職員が怒ったのかどうかは定かではないが、いきなり「このカウンターは今日の搭乗予定者のためのものだ、昨日の搭乗者は裏側に受付を設けるから裏へ回れ!」と言う。

 
 いきなりだったから列の真ん中に並んでしまった自分はすぐには動けない。

 その間中国人団体の代理人たちは、仲間に大声で「裏に並んで、とにかく早く並んでちょうだい!」と叫んでいる。

 

(私見)
 あえて言う。日本ならカウンターを分ける分けない以前に2日分の搭乗者が一定時間に殺到するような指示を出したのだから、このような事態に備えて受付箇所を増やすなりそれなりの対応を事前に準備したはずだ。百歩譲って、もし予想を超える人数が殺到したとしても、いきなり裏側へ回って並べ、などという指示は出さない。ちゃんと並んでいる昨日の搭乗予定者に整理券を配って混乱を避け、公平を期すことを最優先しただろう。

 
 フランスCDG空港の対応に強い憤りを感じた。

 

 なんとか裏側に回って並びなおし、長時間待ってやっと正式な搭乗券を受け取った。(この時点で当然発行されるべき搭乗券が遅れてきた人間の分はひょっとすると発行されないのではないかという、ありえない考えまでが頭をよぎっていた)

 
 そして搭乗券を発行してくれた空港職員に、ボランティアに支払われる300ユーロはどこで受け取るのかを訊ねると、今設置された裏側のカウンター2列のさらに横に先ほどの中国人女性職員が受付を開設していて、そこに行ってくれと言う。

 

 また並ばなければならないのか、それはCDG空港に対する不満であったはずなのだが・・・。

 
 300ユーロを受け取るための列に並んでいると、前から6人目だったのだが、その6人みんなが7人分くらいのパスポートを握っている。
 こういう現金の授受には、パスポートにプラス本人確認と受取のサインを書かせるのが常識ではないのか。
  

 もう日本人として学んできたこれまでの国際的な常識という感覚が、このわずかなフランス人CDG空港の職員と中国人団体によって崩壊していくような気分だった。
 ここはインターナショナルとしては例外的な空間、自分自身に言い聞かせた。

 
 中国人が受付にいる!。

 このことが中国人団体に知れ渡ると、今まで代理人にまかせきりだった団体の中からいろんなオヤジが現れた。

 列の横から大声で不平不満、あるいは中国人を優先させろといった内容のことを言っている。

 CAは中国人のための航空会社だと思っているようだ。

 それでも列に並んでいる他の中国人に、「今はお前の順番ではない!」と言われたのだろう、渋々後ろへ下がった。
 しばらく経って後3人で自分の順番が来るというところで、隣の列から若い中国人カップルが搭乗券を受け取ったのだろう、隣に来た。

 最初自分を超えて、隣にいる中国人に話しかけ、列の最後尾を見てすごい列だと驚いた表情を見せたのに、そこから離れない。
 これは例の横入りの手口だと察し、絶対に入れないように頑張ったが、怒りの感情というよりは、段々と情けなくなってきた。
 たった何日か中国人と同じスペースにいるだけだったが、彼らはパリの街でも同じだった。

 列の横に来てしばらくじっとしていると思ったら、列が動くときに平気で割り込み、しかも前へ入ろうとする。

 ここは私が先に並んでいたと抗議しても、平然とした顔で「そうだった、気がつかなかったけど」と言う。

  

 老若男女を問わずだ!!!!!

 
 日中の領土問題をここで持ち出すつもりはないのだが、国際社会という中で、日本人にはまだ「恥」という意識と行動が少なくとも存在している。
 どんなにチャラチャラしているように見える日本人でも、その感覚は僅かではあっても残っているはずだ、これはブランド品を買いあさることとは全く次元の異なることだ。

 
 自分はやっぱり日本人だ、そしてそれを誇りに思えた瞬間だと言うにはあまりにも情けないシチュエーションであった。

 
 中国の人たちも、ひとりひとりは普通の人たちだし、仲間意識が非常に強いだけなのだろうが、こういった場面での自分たちの行為というものを、もう少し「謙虚」という態度で見直すことが必要な時期に来ているのではないか。

 
 このことは自分の順番がきたとき再び横からオヤジ中国人が出てきて中国人空港職員の女性に大声で何かを言ったとき、女性職員が毅然とした態度でその行為を叱り、自分に対して、すまないと言ってくれたことに現れているように思う。

 
 国際社会に先に出て母国中国を愛する気持ちと、その母国人の態度が国際社会では通用しないことへの苛立ちが垣間見えたような気がした。
 

 
 しかしながらそんな受付の中国人女性でさえ、300ユーロのキャッシュ受取という約束は簡単に破られることになった。金額ではない約束なのだ。

 300ユーロではなく3000元を中国北京到着後に渡すと言うのだ。

 
 300ユーロと3000元の違いについてどう違うかまで、こうなったら書いておこうと思う。
 1元が14円で、1ユーロが140円なら為替的には同じだと考えるのなら、それは全く違う。
 ユーロにしろ元にしろ、その国にとっての外国人は、空港内で事前に両替した証明なしには通常両替出来ないのだ。

 両替出来るケースもあるが、そもそも300ユーロという「約束」をCDG空港職員と交わしたものが、どうしてAIR CHINAの都合で元に変更させられなければならないのか。

 まして北京には乗換のためだけに立寄る(5時間)ので、空港から出ることも出来ない。
 そのことを言うと、北京で両替出来るという。
 押し問答になってきてしまい、結局泣き寝入り状態で納得するほかなかった。
 

 

 つづく  (次で終わります はぁー長い 50時間は長い)


 手荷物検査では精一杯の笑顔で「23時になってないけど帰ってきたんだけど、なあんだ通れるんだ!」と言ったつもりだが、この皮肉は誰にも通じていないようだ。(そうまるでタイと宮崎に住む日本人の寒いギャグのように)
 手荷物ゲートを通過し、中に入るとすでにそこは中国人のそれぞれの団体で溢れんばかり、なんとか隅のほうに空いている席を見つけて座った。
 しばらく経った頃、騒がしさに大きな待合室の中心の方を見ると、CDG空港の職員によって毛布が配られていた。
 慌てて毛布をもらいに行ったが、もう配っている職員の遥か手前で毛布はなくなってしまった。
 当然人数分の毛布が配られるものと信じて待ってみたが、二度と毛布が配られることはなかった。

 
 間違っている、絶対に間違っている、CDG空港の中途半端な対応は絶対におかしい。配るなら人数分ちゃんと用意すべきだ、そう思いながらも元の席に戻った。

 
 また数十分が経過した頃、館内マイクを通してではなく、一中国人女性が大きな声で何か説明しているような感じで話を始めた。
 そしてその女性が話し終えた後、中国人団体から歓声と拍手が巻き起こった。
 
 ここで注意しておきたいが、あくまでも歓声と拍手であった。そうまるでこの待合室で誕生日を迎えた人を祝うような歓声と拍手であったことは正確に記しておきたい。
 
 それからさらに10分後、フランス語の館内放送があった。
 何を言っているのか全くわからない、通常フランス語放送の後に英語アナウンスがあるから必死で聞き逃すまいと集中して待ってみたが英語のアナウンスは最後までなかった。

 
 そうこうしているうちに毛布を抱えていた中国人の中から、別の中国人に毛布を渡したり、集めたりする人が現れた。
 追加の毛布がもらえるのかもしれないと思い、空港職員のいるカウンターに行くと、職員の方から「ボランティアの人ですか?」と逆に英語で聞かれた。
 事情を聞いてみると「朝の便と夜の便を合わせて今日は1便しか出発しないことになったとのこと。
 だからSTAYするボランティアを人数制限で募集している、そして空港近くのIbisホテルを手配し、夜食と朝食にプラス300ユーロ(約4万2千円)を明日現金で空港内で支払う」との説明だった。
 ここまで遅れていて、しかもすぐには到底出発出来そうもないと、とっさに判断し、また集合時間も明日の16時ということもあり、この旅がトラブルの連続(後日記)だったこともあってボランティアを申し出ることにした。
 明日の仮搭乗券を空港職員から受け取ると、先ほどなかなか通れなかった手荷物ゲートとパスポートゲートを出て、空港12番出口からIbisホテル行きのシャトルバスに乗車し、ホテルで宿泊するようにと言う。
  

 あのゲートをまた戻るのか、戻る距離よりもゲートを通れるのかどうか不安だったが、もう出るしかない、自分で決めたことなのだから。

 そして手荷物ゲートを出ようとすると、検査官が呼び止める。

 「やっぱりかよ!」と振り向くと、「そっちは入場口だ、出口はあっちだ」と教えてくれただけだった。

 
 約300mの動いているMWは、一泊することが決まったこともあり、それほど遠いとは感じなかった。
 そしてパスポート検査のゲートに到着、そこには既にSTAYを申し出た中国人団体約20人が並んでいた。
 実際のSTAY希望者はもっと多数のはずだと思ったが、もう随分時間が経過していることから推測しても既にゲートを出ているのだろう。
 そんなふうに推測してみたが約20人の団体はゲートを通れないようだ。
 そして警官詰め所から責任者らしき人物が出てきて英語で説明を始めた。
 「貴方たちひとりひとりを記憶して通過させるようなことは当局として出来ない、ちゃんとした報告書類も来ていないのだから。」といった内容だった。
 ようし、書類を作ってもらって来ればいいんだな、再び手荷物ゲートへと動かないMW上を300m歩いた。
 そして先ほどホテルの手配を説明してくれた空港職員にそのことを話するとすぐに電話をかけ、「日本人3名、名前は○○○シルブプレ」といったかどうかは知らないが話をつけてくれた。
 再び今度は動いているMWを300m、パスポート検査ゲートへと戻る、これで3往復完走だ。
 ゲートでは先ほどの団体の代表がまだ交渉していた、その横を通り抜けようとするとポリスが制止しようとするが、警官詰め所から一人が出てきて「日本人3人なら通過させてもいい」というようなことを言ったのだろう、無事通過できた。
 後方で中国人団体が騒ぎ始めたが、もうそのことに関して考える気力はなくなりかけていた。


 つづく

 旅行の感想は小さなトラブルが続出したものの、それらを上回る喜びや満足感があり、納得のいくものだった、このことは後日また報告させてください。

 
 今回の旅もまた航空券と宿泊先のホテル、総てネットで予約してのものだった。
 ただ今までと違っていたのは目的地へ向かうのが日本からの直行便ではなく北京経由で、航空会社がCA(AIR CHINA)であったこと。
 従来なら格安チケットを求める場合でもJALやANAを中心に検索し、それ以外でもKLMやLHなどでチケットを探していたのが、今回どうしても納得出来るのが見つからなかったり、キャンセル待ちもすでに満杯状態だったこともありCAで行くことになった。
 関空から北京行きは定刻とおりであり、機内も日本語アナウンスでなんら違和感はなかった。
 そして北京市内のホテルで一泊後、乗換便でもなんの問題なく、CDG空港(シャルル・ド・ゴール空港)に到着した。
なぜか到着ターミナルが旧い建物であるターミナル1だったのが気になったのだが。(現在はほとんどの大手航空会社はT2に発着している、ANAはJALとの兼ね合いでT1となっているようだが)
 
 そして5日間の旅を終え、帰国の途に着くため再びCDG空港に到着したのが現地時間21日夕方3時半頃。
 CDG空港のT1に到着して最初に確認したのが出発便の予定。
なんとCAの北京からの到着便だけが遅延(Delayed)しかも今朝8時の出発便でさえDelayedのまま。
 それでも搭乗券(BoardingPass)は発行され24時発との予定、そして18時30には指定された空港内レストランで遅延のための待ち時間分としての食事のサービス券が支給された。
 こういった場合指定された時間に行かないとトラブルになるケースが多いので指定時間にレストランに行くことにした。
 そこには遅延2便分の乗客とおぼしき中国人の団体がすでに大勢いた。
 
 予め断っておきたいこととして中国人やフランス人に偏見をもって書くつもりは一切ないこと、すべて客観的に見た事実を書いていくつもりだ。
 個人的な感想は「私見」と断りを入れるつもりである。
 
 実は3時間前にCDG空港到着後、搭乗券発行に際し、列の最後尾に並ぼうとしたとき、いったい最後尾がどこなのかわからないくらい列が横に大きく膨らんでいた。
 その中から最後尾と思われる中国人に、ここが列の最後尾かどうか確認して並んだ。
 まもなく、別の場所から現れた別の中国人の一団が先に列を作っている中国人に近づいて行く。そしてなにか話しながらその場を離れない。
 そのうち列にいなかった中国人たちがそれぞれパスポートを後から割り込んだ中国人に預けて行く。
 勿論、搭乗券発行の際には団体旅行であれば添乗員が人数分を預かって代理人として並ぶケースは当然のこととして日本でもあることなのである程度理解はしていた。
 しかし彼らは違っていた。知り合いでなくてもよいのだ、同じ中国国民であれば。
 知り合いでなくても話をする、そして列に居座る。ここで以前からここにいたという既成事実を作り上げる、そこへ知り合いが現れ次々と自分のパスポートを渡す。これを延々と繰り返すのだ。
 それから彼らの別の特徴として、人が多い場所や列で隙間が空いていようといまいと、彼らは無言で人を押しのけて通ったり、列に加わってくる。
何度押されてよろめいたかしれない、男女に関係ない危険で野蛮な行為だ。
しかしそんな中国人の中にも、ちゃんと合図を送ってきて、通して欲しいという人も一人だけいたことはちゃんと書きとめておきたい。

 

 話が少し本題からそれ気味なので本題に戻ることにする。

 レストランで食事を終えた後出発時間が変更された24時まで後4時間あまりとなったので、搭乗ゲートまで行って、そこで待つことにした。
 パスポート審査のゲートでは陽気なおばちゃん空港ポリスがパスポートをみるなり「コンニチハ!マタネ♪」と最高の笑顔で送り出してくれた。
 今回の旅で日本語を話すフランス人に出会ったのは彼女で二人目だったので最高に寒いギャグ「ウレシーボク」と返しておいた。

 
 そして5番ゲートへと向かう約300mのムービングウォーク(MW)、なぜか「出発」方向だけが停止している。

 定刻便の出発がない時間帯とはいえ、まだこれから2便も出発便あるのに時間だからという理由だけで停止させるのか。

 これがメインのターミナル2でもそうするのか、大いに疑問を感じながらも歩いた。
 MWの簡単な操作手順なら知っているので、勝手に操作してやろうとしたが、マスターキーが抜いてあった。
 手荷物だけとはいえ、ワインなど割れないためのものを手荷物にしたものが多いため、アップダウンのあるMWは疲れた体にはかなりの道程だった。

 
 そして到着した出国ゲート(手荷物検査ゲート)前、ところが今度は免税店が店を閉めるためシャッターを降ろし始めている。
 出発が遅れている乗客に対してそれはないだろう、と言いたいところだがここはヨーロッパ、しかも個人主義ではイギリスと双璧をなす国フランスだ、仕方がないとあきらめる。
 ところが肝心の出国ゲートまで閉まっている。
 ゲートの向こうには、かなりの人数の中国人グループが既にゲートを通過しているのにゲートを閉鎖しているフランス人検査官が通さない。
 30代の、東洋人を毛嫌いしたような嫌な態度の野郎だ。
 これがこのゲートの責任者だから最悪だ。

 他の検査官になぜ通ないのかしつこく聞いていると、さっきの責任者が出てきてこういった。

 「お前たちは19時15分発の便の搭乗者だ。朝の8時発の便の搭乗者と一緒に中に入れたら中が満杯になる、だから23時になったらここを通してやるからそれまではだめだ。」
 この時点で、この兄ちゃんは人の意見を全く聞かない「ダイハード2」に出てくる空港警察署の署長みたいな頭の悪い奴だと思ったので、おとなしく引き下がった。
 なにせここは個人主義国家フランスだ。(もうええか)
 19時15分なら、とうに過ぎているから、朝の便の搭乗者であろうが関係ないはずだが、大人の余裕で引き下がることにした。

 
 今来たMWをまた手荷物とともに引き返す。

 途中反対側を出国ゲートへと向かう中国人の団体と何度もすれ違う。そりゃそうだ、最初のパスポートチェックは通過できるのだから、搭乗者はみんな時間的にも同じ行動をとるだろう。
 そしてこの時点では当然再入国出来るものと考えていた。
 先ほどの陽気なおばちゃん空港ポリスに引き返してきた理由を言ってゲートを通過させてくれと言うと、笑顔は一瞬で消え「ダメ!それは出来ない」と完全拒否される。
 そこで約5分間いろいろ訳のわからない身振りや言葉も入れながら話をしても通してくれない。
 しかたなくあきらめてMWの前で座り込んだ。
 

 出国ゲートは出たのにここはフランスではないフランス、まるでトム・ハンクスの「ターミナル」状態じゃないか。(映画はまだ観ていないのだが)

 
 もう一度、この停止しているMWを歩いて手荷物ゲートまで行ったところで通ることはできないのだから・・・。
 待つこと5分、さっきここに戻ってくるときにすれ違った中国人団体が一人も引き返してこないのはどういうことだ。
 よく考えて見れば、パスポート審査のゲートと手荷物検査のゲートの間にはMWがあるだけで、この空間に人が溢れてくれば、仕方なく手荷物ゲートを通過させるしか方法がないないことにようやく気がついた。

 
 自分が日本人でお人よしなことに、この時点では自分に怒っていた。
  

 そして手荷物ゲートへと今日二度目の動かないMW上を歩く。
 やっと着いた先ほどの手荷物ゲートでは、中国人の団体が列らしきものを作って、やはりゲートを通過しているではないか。しかも先ほどの検査官の責任者などは、仲間と談笑しながらその団体を見送っている。
  

 よし、ここまで筋をとおして指示通りに行動してきた自分に誇りをもって、最後まで行動してやる。そんな決意がめらめらと湧いてきた、怒りとは別なパワーとして。


 つづく