ノロウイルス感染症を克服して旅行に出かけたのが11月中旬、帰国後もしばらくは普通に元気だったのですが、2週間くらい前から体調不良になりました。

 嘔吐や下痢という症状ではなく、風邪のようなだるさと悪寒に鼻炎といった症状に悩まされています。

 今日現在も体調はあまり良くないです。

 PCをほとんど起動していなかったため、いただいたコメントにお返事出来ていなくてごめんなさい。

 

 

 今日はどうしてもディープインパクトのことに少し触れておきたくて・・・。

 もう引退してしまった馬ですから、今自分の心境を日記風にでも書いておかないとだんだん風化していってしまいそうで。

 このブログを開設してすぐの頃から、いろんな過去の名馬にふれてきました。

 一応競馬デビューが高校生のときに出会った元祖アイドルホース”ハイセイコー”でしたから三十年以上に渡って競走馬を見てきました。

 そんな中「最も重心の低い走法の馬」として注目したのがディープインパクトでした。

 これほど加速したときに重心が低くなる馬は前代未聞でした。

 若駒ステークスを見たときの衝撃は今も昨日のことのように覚えています。

 とっさに過去の名馬たちの中にこんなタイプの馬がいたかどうか記憶をたどりました。

 そしてオグリキャップの中央デビューのときに、その重心の低い走法に驚いて以来、いやそれ以上かもしれない悦びに震えました。

 当時の競馬ブログのお仲間たちとの史上最強馬について楽しかった競馬談義も今は随分昔のことのようで懐かしい日々です。

 思えば重心の低い走法はオグリキャップ以来だと語ったディープインパクトが、そのオグリキャップに最初で最後に騎乗した武豊騎手との夢のコンビで有終の美を飾った有馬記念以来、16年ぶりの勝利だったというのも、なにかの”縁”というものを感じてしまいます。

 

 「競馬」ということにおいて、ディープインパクトという競走馬は本当に強い馬だったと自信をもって断言できます。

 そしてさらに書かせてもらうなら、引退レースであった昨日の有馬記念でさえまだ『未完の競走馬』だったと言えます。

 それは武豊自身が一番感じていることでしょう。もっともそんなことは彼の口から語られることは決してないことですが。

 このブログの冒頭に書かせていただいていますが、武豊が数多く騎乗した過去の名馬たちの中で、彼の騎乗フォームが最も美しく、そして楽しげに見えたのがスペシャルウィークだと思っています。

 競馬という競争成績では、スペシャルウィークはディープインパクトに遠く及びませんが、競走馬の勝負という結果意外に、”馬に乗る”(単に乗馬です)ということを少し経験してきた者としてスペシャルウィークはまた別格な存在だといえるでしょう。

 こんなふうに書くと全然ディープインパクト賛辞になっていないように受け取られるかもしれませんが、「未完成の競走馬」としてなお”あの強さ”、そしてそれを承知しているからこそ、競争中の不利を避けるために”大外”を駆け上がってくる武豊。

 有馬記念では普段よりさらに1頭分内側を開けていました。それで勝てるという確信がなければ武豊とて出来ることではないでしょう。

 この一点についてだけ語るだけでもディープインパクトは”別格な史上最強馬”だといえます。

 

 余談ですが、私見としてあえて言わせてもらえば2007年凱旋門賞を目指して欲しかった気持ちは当然あります。

 そしてそれはディープインパクトが「種牡馬」としては成功しないのではないか、という疑念をずっと抱いてきたからです。

 巨額のシンジケートが組まれてこれから第二の馬社会へ出発するときになにを不吉なとお怒りを受けるかもしれませんが、ディープインパクトが大好きゆえに変な心配をしてしまっているのかもしれません。

 杞憂に終わることを願っています。

 

 さあ、また1月6日金杯から新たな年が始まります、早く体調を戻して来年はちゃんと競馬予想記事書いて収支報告するブログを復活します。

 

 ちょっと早いですが


 みなさん良いお年を!

 

 

 

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Wii

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 今さらゲームなんて・・・、それも部屋の中で体動かしても・・・。

 

 『ボウリング』  自宅がROUND1になったよう

 

 『ゴルフ』   どうして素振りのスイングは完璧なのに本番(PUSH-A)では力が入るのだ

 

 『ボクシング』   カウンターが決まったときの快感、そして3分間闘うことの大変さ

 

 『野球』   松坂はこんなボールを投げているのか、イチローや松井はこんなボールを打っているのか

 

 『テニス』   ”スーパーサーブ”を”リターンエース”で返したときの快感と、”ライジングショット”を打てたときの悦び

 

 そして今も『テニス』なら、体の正面に来たボールはフォアかバック、どちらで返したほうがいいか、『ゴルフ』なら、80%のパワーで確実なショットを打つにはどうすればいいか、『ボウリング』なら、スプリットのリスクを回避しつつストライクを狙うにはどんなボールをどこに投げたらいいんか。

 ・・・そんなことを考えている自分が、可笑しい。 

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 「ねえねえ、ちょっと見てくれない?」

 仕事から帰宅すると、妻の成子はさっそくテーブルの上に大判のカタログを広げた。

 「これ、どう?」

 赤ペンで丸く囲んだ写真を指差して「かわいいよね」と笑う。

 七五三のレンタル衣装のカタログ、女の子用の晴れ着。成子が指差したのはグラデーションになった紅色の地に手まりや折鶴が裾模様になった着物だった。

 「かおりに見せたら、一発でこれを選んだの。すごく気に入ってるみたいだから、明日の朝イチで申し込んじゃっていいよね?」

 オレは、「うん、まあ・・・いいんじゃないか」と答えた。微妙に煮え切らない口調になってしまった。

 「どうしたの?」

 「・・・けっこう高いんだなあ、って」

 税込み三万千五百円。手取り三十万そこそこのオレの給料でしているわが家の家計からすると、かなりキツい。

 だが、成子は「だいじょうぶ」と笑う。

 「着物のお金とか美容院のお金はお母さんが出すって言ってたし、お父さんもお祝いははずむって言ってたから」

 笑い返す顔も微妙にこわばってしまう。

 一人娘のかおりのためにまとまった出費が必要になるときは、いつも成子の両親がお金を出してくれる。

 「お宮参りの前の記念撮影と、終わったあとのお食事会、だいじょうぶよね?」

 その費用も向こう持ち。

 かおりは成子の両親にとって初孫だ。一人娘の成子が産んだ、一人きりの孫。

 オンリーワンがダブルだから、大げさでなく、二人はかおりを目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれている。

 「それでね、お母さんの本音としてはもうちょっと有名っていうか、大きな神社でやってほしそうなんだけど・・・」

 「近所でいいんだよ、氏神さまなんだから」

 遠出なんてしたくない。晴れ着姿の娘を連れて観光地まがいの大きな神社に出かけるのはオレの美意識が許さない。なるべく軽く、さらりと、「こんなのシャレだよ、シャレ」と笑えるように。

 そんなオレの胸の内を察した成子は、「ふだん着はだめだからね」と釘を刺した。「せめてネクタイは締めてよ」

 オレは黙って肩をすくめた。

 

 アパートの前に行きつけの酒場がある。

 仕事が早じまいした夜には、毎晩のように入り浸っている。

 月々五万円の小遣いではとてもそんな贅沢はできないのだが、その店『ハセガワ』はちょっとしたワケありの店なのだ。

 「学ちゃん、ヘルプいいかな」

 カウンターで飲んでいたら、マスターが声をかけてくる。店の奥に設けられたステージでは、オレと同じ背広姿のサラリーマンがギターをかまえて指慣らしをしている。

 「なにをやるって言ってるの?」

 「クラプトンだって。クリームの頃の」

 オレはヘヘッと笑い、ステージに向う。

 初対面のパートナーに会釈して、ベースギターをかまえる。とてもエリック・クラプトンを弾きこなせるようには見えない相手だったが、まあいい、何曲か付き合ってやれば、これで今夜の飲み代は大幅割引・・・うまくすればタダになる。

 『ハセガワ』は最近流行の「ライヴができる居酒屋」だった。フォーク系とロック系に分けるなら、ロック系。

 ステージにはドラムスのセットも置いてある。

 カラオケに飽き足らない元ロック小僧のオヤジたちが夜な夜な集まっては、居合わせた客同士でセッションを楽しんでいるのだが、客のほとんどはギターやヴォーカルをやりたがるので、ベースやドラムがどうしても手薄になってしまう。

 そんな店側の事情と安く酒を飲みたいこっちの思惑とが合致してオレは専属ベーシストのような格好で出番を待ちながら飲んだくれているのだ。

 今夜のギタリストは、第一印象どおり下手くそだった。

 クラプトンというよりプランクトン。

 本人は目を閉じて陶酔しきってギターを弾いているというのが、よけい笑える。

 オレはコードの主音だけ押さえながら、ドラムスに目をやった。

 ドラマーはオレと同じ助っ人の英五さん。 ひどいギターですね、とこっそり目配せすると、英五さんも苦笑してうなづいた。

 それでも、リズムすらキープできないギタリストに合わせて音数を減らしたドラミングをしているところが、人柄というやつなのだろう。

 オレにはできない。そこまで優しくはなれない。

 落ちぶれたものだよな・・・。

 ときどき思うのだ。

 

 4年前、三十歳になったばかりのオレはプロを目指すバンドでベースを弾いていた。

 メジャーデビューにあと一歩のところまで来ていた。惜しかった。

 つまらないカネの貸し借りのもつれでバンドが解散さえしなければ、いや、たとえバンドがなくなっても、俺自身さえその気になっていれば、まだなんとかなったかもしれない。

 だが、オレはプロになる野心を捨てた。捨てざるをえなかった。

 当時恋人だった成子がかおりを妊娠したためだ。できちゃった婚である。

 まったくわかりやすい夢の断ち切られ方である。で、中途採用の会社で慣れない営業職を続けながら、酔っ払った素人さんのギターやヴォーカルに合わせてベースを弾くのが、唯一の趣味。これも、ほんとうにわかりやすい未練というやつだろう。

 「へい! ベース!」

 すっかり舞い上がったギタリストが、バンマス気取りでベースソロをリクエストした。

 ムカッときた。

 本気で弾いた。十六小節、三十二小節、六十四小節・・・延々とソロをキメてやった。

 ドラムスの英五さんもそれまでとは一転した熱いビートを刻んで応えてくれる。

 呆然とするギタリストをよそに、オレはひたすら狭い店内に重低音を鳴り響かせたのだった。

 

 「お疲れ様」の乾杯をすると、英五さんに「なにかあったのか?」と訊かれた。

 英五さんはオレより年上ということしか知らない。職業も本名もわからない。

 マスターとの会話からすると、近所の住民らしいのだが、、店の外で会ったことはまだ一度もない。

 ドラムスの腕前は「素人にしては、そこそこやるな」という程度だが、包容力があるというか、たどたどしいギターや音程をはずしたヴォーカルに辛抱強く付き合って刻むビートには、なんともいえない温もりがある。

 その温もりに甘えて、ここ数日、七五三の衣装を決めて以来ずっと胸に溜まってるもやもやを吐き出した。

 「キツイですよ、七五三ってのは」

 かおりが可愛くないわけではない。

 成子とかおりとの家族三人の暮らしは、幸せだ、と胸を張って言える。

 だが、七五三は、ちょっと違う。「良い」「悪い」という分け方ではなく、「違う」としか言いようがないイベントだ。

 「だってそうでしょ? 着せ替え人形みたいな格好をした子どもを連れてパパもママもおめかしして、はい記念撮影です、皆さんチーズ・・・なんて、違うでしょ、ロックじゃないでしょ」

 「照れくさいのか?」

 「っていうか、それをやったらおしまいだぜっていうか・・・」

 「なにがおしまいになるんだ?」

 「だから・・・うまく言えないんですけど、オレはオレなんですよ、いまはフツーのサラリーマンで、フツーのパパやってますけど、やっぱ、根っこはオレなんですよ」

 自分でもよくわからない。

 ただ、ふだんの生活では胸の奥に引っ込んでいる昔のオレが、家族のイベントのときにかぎって顔を出す。

 おいおい違うだろう違うだろ、そんなの違うだろ、といまのオレの肩を小突く。

 成子の両親にお祝いをもらい、ごちそうしてもらって、「どうもありがとうございます」と頭を下げる自分を、冷ややかに見ている自分がいる。

 かおりのお宮参りのときもそうだった。誕生日やクリスマスに成子の両親を招いてパーティーをするときも、そうだ。

 ミョーに不機嫌になり、無口にもなって、あとでその日の写真やビデオを見ると、ニコニコ顔の家族の中でオレ一人だけしょぼくれた顔になっているのだ。

 きっと、明日の七五三のお参りでもそうなってしまうだろう。

 英五さんは、なるほどね、と小さくうなづき、「学は音楽を辞めちゃったこと、後悔してるのか?」と訊いてきた。

 「・・・そういうわけじゃないんですけど」

 「でも、いまの自分が嫌いなんだろ?」

 「それも・・・ちょっと違うんですけどね」

 英五さんは笑う。オレの答えを最初からわかっていたような笑い方だった。

 「まだパパになりきっていない、っていう感じなのかな」

 「パパですよ、そんなの、もう、ずーっと。だから髪も切ったし、ネクタイも締めてるし、まじめに働いてるじゃないですか」

 だが、英五さんは笑うだけだった。

 「・・・なにが可笑しいんですか?」

 「いやあ、ガキだなあって思ってさ」

 他の奴に同じことを言われたら、断言してもいい、胸ぐらをつかんでいる。

 だが、英五さんの絵画をには、こっちの興奮を自然となだめるような余裕がある。

 「で、七五三のお参りはどこに行くんだ?」

 「近所ですよ、三丁目の三都神社。もうお祓いの予約してますから」

 一瞬きょとんとした英五さんは、次の瞬間、はじけるように声を上あげて笑い出した。

 「じゃあアレだ、学、青春の夢の残りカスをお祓いしてもらえよ」

 「オレ、真剣なんですよ」

 さすがにムッとして言い返すと、英五さんは、わかってるわかってる、と目尻に溜まった涙を拭いながら言って、また笑う。

 

 マスターからお呼びがかかった。ミック&キースを気取った二人組のオヤジが、ストーンズを演りたがっているのだという。

 『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』『サティスファクション』『ブラウン・シュガー』・・・定番の曲を演奏した。

 例によってヴォーカルもギターもひどいものだったが、英五さんはいつものように絶妙のドラミングで即席バンドの音を支える。

 優しいひとだと思う。オトナなんだな、とも認める。だからこそ、それが・・・いまはむしょうに腹立たしい。

 ベースの音がとがる。遅れ気味のリズムを待ちきれなくて、先走ってしまう。

 ミック&キースはともかく、英五さんにはそれくらいわかっているはずだが、なにも言わない。

 遅いギターと先走るベース、それぞれの顔を立てるようなスティックさばきを見せる。

 このひと、ほんとうはハンパじゃなく巧いのかもしれない・・・初めて思った。

 『ブラウン・シュガー』を終えて客席に戻りかけたミック&キースを、英五さんは呼び止めた。

 「『ホンキー・トンク・ウイメン』でもやりませんか?」と誘い、二人が乗ると、オレを振り向いて『付き合えよ」と笑う。

 「思いっきりベース弾かせてやるからさ」と、言われても。

 『ホンキー・トンク・ウイメン』はルーズなビートの曲だ。早弾きもないし、派手なチョッパーもキメられない。

 ベースとしてはなんの見せ場もない曲なのだ。


 「ヘイ! ベース!」

 間奏で英五さんにソロを渡された。

 難しい。

 スローでルーズな曲でソロを弾くことがこんなにも難しいとは思わなかった。

 張り切るとリズムをはずす。リズムをキープしているとトリッキーなフレーズが出せない。

 高校生バンドでもレパートリーになるような初心者向けの曲だと思っていたのは、甘かった。奥が深い。

 いままで得意だったアップビートの曲が、急にガキっぽく思えてきた。

 曲が終わり、ベースギターを肩から下ろすと、がっくりと落ち込んでしまった。

 そんなオレに、英五さんは言った。

 「遅い曲をどう弾くかが、ガキのベースとオトナのベースの違いだぜ」

 オレは素直にうなずいた。

 「プロのベーシストの代わりに、これからはオトナのベーシストを目指せばいいんじゃないか?」

 英五さんはそう言って、スティックを指先でクルッと回す。

 オレは素直にうなずいた。

 英五さんは多分、ベースのプレイのことだけを言っているではないと思ったから。

 「じゃあ、今夜はもう帰るから、また明日」

 何を言ってるんですか、と英五さんの背中に苦笑した。

 明日は日曜日、居酒屋『ハセガワ」』定休日なのだ。

 

 だが英五さんの言葉は嘘でも勘違いでもなかった。

 オレは英五さんに会った。

 三都神社の本殿で、神主さんのいでたちをした英五さんと。

 かおりの隣で唖然とするオレに、英五さんはすまし顔で一礼して、お祓いを始めた。

 玉串を神前に捧げるとき、ドラムスのスティックのようにクルッと回した、と思う。

 気のせいだろうか。

 神妙にうつむいて英五さんの祝詞を聴いていると、しだいに笑いがこみ上げてきた。

 違うよなあ違うよなあ、と首をかしげたい。でも・・・これも「あり」だよなあ、と最後はうなずくだろう。

 

 ふと見ると、晴れ着姿のかおりは長い祝詞に飽きて、足をぶらぶらさせていた。

 その動きを目で追って、リズムを合わせて、頭の中えベースを鳴らした。

 『ホンキー・トンク・ウイメン』よりもさらに遅く、複雑なリズムでも、それに合わせて弾きこなさないとな、と自分に言い聞かせた。

 

 まずは今日の会食、わが家のへそくりをはたくか、と決めたとき、どこからか、うんと遠くから、チャーチャッ、ズンチャチャーチャ、と『ホンキー・トンク・ウイメン』のイントロが聞こえてきた。 


      (了)

 

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大樹

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 大きな木はそこに存在するだけで神秘的なものを感じる。

 近年海外に出かけた際、必ずと言っていいほど『大木』『大樹』の写真を撮っている自分がいる。

 人間が自分の都合で枝葉を切らず、自然に育った樹木は本当に美しい。

 

 今回の旅で撮影してきた木々の写真から何枚か抜粋したものが以下の画像です。

 日本でならそれぞれが『御神木』と呼ばれてもおかしくないものでしょう。

 

 

   

 Bridge of Remembrance




 Lake Tekapo



 Victoria Square



 Mona Vale




 South Hagley Park




 North Hagley Park




 North Hagley Park



 

    

ナサケナイ

テーマ:

 オリックス中村ノリ選手が自身のコメントとして今季の怪我を公傷扱いにしてほしいと言っている。

 理由として、怪我しているのを我慢し、無理して試合に出場したので故障箇所が悪化したことが成績不振の原因だからと言っている。

 お前はそれでもプロかと言いたい。

 プロは結果が全て、怪我をして思うような結果が出せなかったのも実力。

 怪我をしていたとしても出た結果で総てが評価される、それが夢を売ることを商売としている”プロ”というものではないのか。

 年俸が大幅にカットされるのが不満なら、来季活躍して巻き返せばいいではないか。

 もっとも、こんなことでがたがた言っている選手を来季の試合に出してやろうという指揮官はどこにもいないと思うが。

ジョッキー本田優

テーマ:

 朝日杯フューチュリティーステークスで本田騎手騎乗のローレルゲレイロが2着に終わった。

 本田といえば超のつく強気の騎手として知られているし、それは彼の騎乗ぶりからもほとばしりでている気がする。

 今日のレースぶりも『勝つのは俺の馬だ!』と言わんばかりに正攻法で勝ちに行く彼らしい騎乗だった。

 しかし、『勝負』ということにこだわったとき、彼の競馬は他のジョッキーからすれば非常にマークしやすい存在だともいえる。

 今日のドリームジャーニーは決してローレルゲレイロをマークして勝利したものではなかったが、結果論的にいえば「本田の馬がいる位置」は非常にわかりやすかったといえるだろう。

 だが、こんなふうに書いてはいてもジョッキー本田優は私の好きなジョッキーのひとりだ。

 そして彼の正攻法なレースは若駒の実力を分析するとき多いに役立つ。

 たとえば今日のレースにアンカツのフサイチホウオウが出走していたならばどうだったろう。独断で言わせてもらえばローレルゲレイロよりも前でゴールしていたような気がするが、今日のドリームジャーニーの切れ味にはかなわなかったのではないだろうか。

 絶対的ポテンシャルにおいてはフサイチホウオウが勝っているが、はまったときにはドリームジャーニーの末脚に屈する場合があるといったところだろうか。

 3着のオースミダイドウについては前者の気性面が解消されたとしても、大幅な上昇は期待できないのではないか。

 そして4着フライングアップルも善戦馬としてこれから対戦していく馬たちの実力を判別していくうえで目安になる馬といった存在といったところだろう。

 

 クライストチャーチの中心街を南北に走るコロンボストリート沿い、大聖堂から北に100mほど歩いた通りの2階にサージェント・ペッパーズス・テーキハウス(Sargent peppers steakhouse)がある。

 テーブルが10卓ほどの小さなお店だが、いたるところにビートルズ(The Beatles)のパネルが飾られ、店の奥にはビートルズのメンバーが壁画として描かれている、もちろんBGMはビートルズ。

 クライストチャーチを訪れることがあったなら是非訪れてみたいと思っていたお店だ。

 混雑している時間にを避けて8時半頃店に行ってみた。ラストオーダーが9時だから待たされることはないだろうと考えてのことだった。

 一組の50代とおぼしきイギリス人ご夫婦(ロンドンから来たとのことだった)が待たれていたが、5分も経たずに席に案内された。

 店内はランプとテーブルの蝋燭だけの灯り、これも肉料理にはぴったりの照明。

 クライストチャーチ到着後の最初のディナーなので、どのステーキにしようか迷った。

 結局サーロインもヒレも食べたい要求を満たすためTボーンステーキを、ソースはまずは無難にマッシュルームソースを選んだ。

 ステーキが運ばれてくるまでの時間は壁一面のビートルズの面々のパネルを見て楽しめばいい、そんなふうに考えていた。

 初期の頃の写真が多い、ドラムがピート・ベストだったクォーリーメン時代のパネルもあった。

 確かな記憶ではないがオノ・ヨーコさんの写真は1枚もなかったように記憶している。

  


 

 お店に上がっていく階段にも多数のパネルが

 

 この店のオーナーはビートルズの解散原因をオノ・ヨーコさんだと考えているファンの一人なのだとしたら、少し残念に思う。

 あまり店内をじろじろ見回すのも他のお客に対して失礼だと思い、じろじろ見ることは遠慮していたのだが、私の前に案内されたイギリス人夫婦のテーブルに料理が来ていないのは当然としても、他に3組のテーブルでナプキンが置かれたまま料理を待っているグループやカップルがいた。

 ひょっとして自分は最後だから5番目か?かすかに不安を感じた。

 30分ほど過ぎた頃、やっと1組のカップルのテーブルにステーキが運ばれてきた。

 素人としてはステーキを焼くだけの料理になんで30分以上(席に着いてから30分なのでそのカップルが何分待っていたのかわからない)もかかるのか、ちょっと日本人としては理解出来ない。

 まあ国が変われば時の流れが変わるのはこれまで何度も体験していることだから、スマイルsmile。

 『同じオーダーが前後して入ったからといって二枚を同時焼くような習慣はないのだよcologne君!』

 私の中で余裕のあるもう一人が話しかけてくる。

 『そうだよ、肉を1枚切る度に肉を冷蔵庫に戻し包丁もしまうのさ、客が何人待っているのかなんてことは料理人には関係のないことなのさ』

 そんなふうに考えて”待つ”ということを楽しんでいると、ひとりの客が店にやってきた、中年の白人ビジネスマンといった感じだ。

 もうラストオーダーの9時を20分程過ぎている。

 客を入れるのは店の勝手だから別に構わないけど、今から注文したって料理が出てくるころにはいったい何時になっているのか他人事ながら心配してしまう。

 そのビジネスマンはしばらくすると本を取り出し読書していた、常連さんなのかも。

 そしてさらに20分が経過した午後9時40分、やっと待ちに待ったステーキが運ばれてきた。

 




 

 普段はmediumrareなのだがT-bone steakの場合は骨回りの肉に火を通し、骨から切り離せるようにwelldoneに

 焼き加減を間違えないための”旗”が可愛い

 店内の写真は食事を楽しんでいる方々で満席だったので撮影を控えました。

 

 注文してから待つこと1時間と10分、これが7時や8時の入店だったら待ち時間はどうだったのだろう、そんなことはこの際考えないことにして料理をいただいた。

 もともと肉料理が大好きだが、肉が柔らかければ美味しいと勘違いしている方が多い昨今だが、私はじっくりと肉を噛みしめている間に肉そのものの持つ”旨味”が出てくるタイプの肉が好きだ。

 そういう意味においてニュージーランドの肉は旨い。

 この夜もそれなりに美味しいステーキをいただいた。

 

 ただあえて書かせてもらうなら、今回の旅行で食したステーキの中では、この店の肉質と味は最上位ではない、待たされた時間に関係なくだ。

 しかしこれはたまたま、それ以降のお店で食べたステーキが私の口により合ったものだったからだといえる、サージェント・ペッパーズ・ステーキハウスの肉は充分美味しかったのは間違いない事実なのだから。


 



 お店を出た頃はもう午後10時半頃、お店の看板もひっそり

 

  

 つづく


 ちょっと前だが、昔から唄っているプロ歌手の現在の生歌をオンエアーで聴いた。

 ”○partures”などのヒットがあった『○lobe』、”寒い○だから・・・”の『○RF』、往年の”戦争を○らない子供たち”の『杉田○郎』、”○歳の別れ”の『○勢正三』。他にもまだまだたくさんいるのだが書ききれない。

 彼・彼女らに共通しているのは全盛期の声や音域が全く出なくなってしまっていること。

 キーを下げていても全く高音部が出ていない。そしてそれは、その唄を聴くこと自体が、こちら側にストレスを溜め込んでしまうと感じるほどのものだった。

 すぐにchを切り替えた。

 でもひょっとしたら、さっきのは自分の聞き間違い又は一時的に自分の耳がおかしくなってしまっていたのではないかと考え、再度chを戻してみたが、それは聞き間違いでもなんでもなく否定しがたい事実だった。

 彼らにもそれなりの事情があって一時期唄うのを辞めたり、音楽活動そのものを中断していたこともあっただろう。

 しかし『プロ』としてお客からお金をいただいて舞台で唄う以上、恥ずかしくない最低限のレベルには戻しておいてほしかった。

 年齢のせいにしてはいけない。

 吉田拓郎や中島みゆき、岩崎宏美が今でもあれだけ唄えるのは日々のヴォイス・トレーニングがあるからではないだろうか。

 人から聞いた古い話だが、戦後まもなくヒットした”りんごの「歌」”の歌手”『並木道子』は亡くなるまで終生、この曲の『キー』を変えることがなかったらしい。

 聴いてくださるお客様のイメージを壊したくない、それが理由だったそうだ。

 


 それはニュージーランド旅行出発の5日前、夜明け前午前4時頃のことだった、青ざめた顔色の息子が私を起こしにきた。

 嘔吐と激しい下痢に発熱、ラッパのマークの正露丸を飲んで我慢していたらしいが、これは救急病院に行かないとどうしようもないと判断し、私を起こしに来たのだった。

 救急病院での診断は急性腸炎、点滴を打ってもらい、とりあえず2~3日は安静にしているようにとのことだった。

 息子には悪いが、そのとき嫌な予感がした。

 昨年夏、パリ旅行直前に腎臓結石で救急車で病院に搬送されたのを思い出したからだ。

 悪い予感はほとんど当たる、競馬予想もこれくらい当たれば楽勝なのだが。

 そして二日経過後の朝、旅行出発の三日前だ。

 激しい嘔吐と下痢に襲われた。 やっぱり!

 嘔吐はそれほどでもなかったが、下痢はひどかった。

 体中の水分という水分が全て失われていくのではないかというほどの下痢症状だった。

 何も水分を摂取しなければ脱水症状を起こすかもしれないと思い、少量づつ水分を補給するものの1時間おきにトイレに駆け込まねばならなかった。

 あと三日あるからなんとかなるかも・・・そう考えてひたすら安静にすることにした。

 

 今にして思えば、あれは『ノロウィルス』による感染だったのではないかと疑っている。

 私と息子以外の家族やそれ以外の方々に感染しなかったのが不幸中の幸いだった。

 

 そしてなんとか出発当日には回復した。

 当日の関空はあいにくの雨模様、ネットで確認していたクライストチャーチもずっと雨マークになっていた。

 私は自慢の『晴れ男』なのだが、今回はさすがに体調不良につきそれも望めないなと、なかばあきらめの境地だった。

 フライトは夕方17時10分JALとAirNewZealand共同便だ。

 

 私は基本的に一人で搭乗するときは3人掛けのBシートを指定する、2人で搭乗する場合ならA・Cのシートを指定する。

 こうしておけば満席にならない限り3人掛けの座席をささやかなプライベート空間として確保することが出来る。

 

 関空発、クライストチャーチ経由オークランド行きJL5198便はほぼ満席に近い状態だった。

 観光客はクライストチャーチへ、仕事関係で行く人はオークランドへといった感じだ。


 日本を夕方に発ってクライストチャーチまで約11時間のフライト、時差が4時間(サマータイム)のため現地時間で朝の8時過ぎにクライストチャーチに到着する予定だ。

 

 

 

 着陸態勢に入る頃、窓から差し込む日差しは強烈なものだった。

 客室乗務員がクライストチャーチの気温が14℃天候は晴れだと伝えている。

 この強い日差しの中、気温はたったの14℃? ちょっと想像がつかない。

 

 入国審査を終えcity(クライストチャーチ)行きのバス乗場に向うため空港を出て外気に触れたとき、日本ならセミが鳴いていそうな日差しにもかかわらず、さわやかな春風がそよぐ心地よさに25年ぶりの南半球訪問を実感した。

 


 

ChristchurchといえばなんといってもCATHEDRAL(大聖堂)

ここが市内交通の拠点

 

 わずか4~5年前には1NZ$が40~45円だったレートが80円を超えている現在、以前に旅をされた方々から聞く話は物価面に関しては全く参考になりません。

 それでも銀行での通貨両替に関しては大変良心的な国でした。

 空港内での両替は金額に関わらず1%(BANK of Newzealand)、市内なら換算レートの表示額そのままで両替が可能でした。

 この点については両替手数料を換算レートに予め含んでいるものと考えるべきですが、それでも日本国内の銀行での換算レートやEU圏内での両替で苦い思いを何度も経験した私にはありがたいシステムだと感じました。

 



 Christchurchでの拠点としたB&B ”The Grange Guesthouse”


 オーナーの作るBreak fastのSunnyside upは卵そのものの旨味もあって最高でした。

 地球の歩き方に投稿しよう

 

  つづく(と思う)

 

 

  

 

 

Nov 2006 in NewZealand

テーマ:

 しばらくぶりの更新だ。

 今回は約2週間にわたって南半球ニュージーランドを旅してきた。

 例によって旅行社のツアーではないので、ホテルにばかり泊まっていると人と会話しない期間が長くなるのも淋しいので宿泊施設を考えた。

 バックパッカーズ用の宿泊施設は設備的はちょっと苦手なのでB&Bにすることにした。

 

 地図上ではEU圏諸国より近そうに見えていてもやはり10時間以上のフライトには疲労気味だから旅の詳細についてはまた後述することにしよう。

 

 とりあえず「美しき国NewZealand」の中でもとりわけ絶景だった"Lake TEKAPO"を一枚








 ターコイズブルーが美しい「テカポ湖」


 

 

 ディープインパクトのセミ・ラストラン、ジャパン・カップも観ずに出かけてしまったが、しっかりVTR観戦。

 「普通の強さで勝ったなあ」というのが第一印象だったのと、あの馬体の絞り方を凱旋門賞のときにしていれば・・・。

 これはLIVEで観ていない人間としての感想だろうし、生で観ていない者が後からあれこれ言うべきことではないし、そんな資格もないことだろう。

 ディープインパクトのラストラン有馬記念を心から応援したい。