朝日が昇った直後のモン・サン・ミッシェル

 

 今年の夏、フランスが世界に誇る世界遺産であるモン・サン・ミッシェル(Mont St.Michel)に行った。
 パリに旅行すること以上に、モン・サン・ミッシェルには行ってみたかった。
 子供の頃から写真等で見ては、その特異な立地と大僧院の建物に憧れていた。

 

 通常パリからモン・サン・ミッシェルに行く場合、RER(フランス国営鉄道)のモンパルナス(Montparnasse)駅からTGV(新幹線)でレンヌ(Rennes)駅まで行き、そこからローカル列車に乗換え、ポントルソン(Pontorson)駅で下車し、バスに乗換えて15分かけて行く方法と、先ほどのレンヌ駅からモン・サン・ミッシェル直行バスに乗り換えて一時間かけて行くという、ふたつの方法が一般的だ。
 自分は少しでも乗換えが少ない後者を選択した。
 モンパルナス駅のチケット発売所には、TGVの発車時間(確か10時15分発)よりも40分早く到着した。

 外国のターミナル駅で、列車のチケットを購入された経験のある方ならご存知かと思うが、チケット購入にさいし、順番が来るまでの待ち時間と、チケット購入そのものに大変な時間を要することが日常的だからだ。
 そういう意味で発車40分前に駅に到着したことについては、ぎりぎりだと思った。

 

   

    モンパルナス駅の様子

 

 チケット発売の窓口は3箇所開いていて、待っている人は二人、ラッキーだと思った。
 しかし順番が来るまで待つこと15分、やはりかなり時間がかかった。
 改めて順番待ちの人数が2人だったことが『ラッキー』だったということをかみしめた。

 チケット売場の窓口は、20代後半の愛想はないが、親切なフランス人男性だった。
 レンヌ駅までの指定席券を購入したいと言うと、「モン・サン・ミッシェルに行くのか?」と訊いてきた。

 「そうだ」と応えると、「レンヌ駅からバスで行くのなら、ここでTGVとモン・サン・ミッシェル行きの往復バスのチケットをセットで購入出来る」ということを説明してくれた。

 
 レンヌ駅に11時30分に到着した後、モン・サン・ミッシェル行きのバスの発車時間が11時50分ということは事前に調べて知っていたのと、そのバスが出てしまった後は午後3時までバスがないことも知っていたので、バスの乗車券をレンヌ駅で購入する手間と時間がなくなったことは非常にありがたかった。

 チケットを無事購入、そして大きなモンパルナス駅の中を歩いて乗車ホームに向かう。

    
 駅構内の幅は端から端まで200mくらいはあるだろうか。
 レンヌ方面は一番左端のホームだった。
 ホームまで中央口から約100mの移動。
 しかし、この100mの移動などはそのあとの移動のことを考えれば、たいした距離ではなかった。
 TGVのチケットには21号車と記されていた。

 

     

     こんなホームを400m以上も延々歩いて行く

 
 日本の新幹線が最長で16両編成。

 それでもホームに上がる階段は少なくとも3箇所以上はあり、ホームには停車場所が何号車であるのかホームにも頭上にも各車両別に表示されている。
 モンパルナス駅では(モンパルナス駅に限らないだろう)ホームの中ほどにたった1箇所、最後尾が1号車で先頭車両が21号車であることが記されているだけだった。実際には何箇所かに表示されていたのかもしれないが、外国人旅行者である自分にはたった1箇所しか見つけることが出来なかった。

 
 ホームの端から歩くことおよそ400m(これは1車両の長さ20m×21両と控えめに計算した結果)、途中発車時間が迫っていることもあって、TGVに乗り込んで列車の中を移動したりもしたが、連結器の関係で次の車両に列車内から移動出来なくて、仕方なく列車を降り、ホーム上を移動した。
 やっと到着した21号車に乗り込むと座席は先頭車両のそれも一番前の席だった。
 普通なら先頭車両の一番前なら嬉しいはずなのだが、なぜか全席とも進行方向に向って逆向きにシートを向けてあった。

 さらに先頭席は向きを全く変えられない構造だった。
 でも、こんなことはたいした問題ではない、無事TGVに乗車出来たのだから。

 

  

    フランスが誇るTGV

 
 定刻より10分ほど遅れてTGVは発車した。
 車内は年配のご婦人がなぜか多かった。
 これが日本の、それも大阪で年配のご婦人方ならにぎやかな(ウルサイというべき?)ことなのだろうが、雑誌をめくる音が聴き取れるくらいのサウンドオブサイレンス状態。
 そんな中、旅すればトラブルに見舞われることが多い自分には、TGVの発車が10分遅れたことに少し不安を覚えた。
 バスに乗換えるレンヌ駅での乗継時間はわずか20分しかない。そのうちの10分がもうすでに経過してしまった。
 途中で遅れを取り戻そうとするのが普通の日本人の発想、ならばこの列車は遅れを取り戻すことはないと確信した。

 なんといってもここはフランスなのだから。

 
 そして発車時間が遅れた原因が、朝から降っていた雨の影響ならば、これからも予定時刻よりもどんどん遅れていくのではないのか、そんな不安を満載して列車はレンヌ駅を目指して出発した。

 

    

     車窓には丘陵地帯が延々続く

 

 パリ郊外にさしかかると、そこはもうフランスが農業大国であることを実感してしまう豊かな丘陵地帯と農作物や酪農場の連続。
 そしてひとつの町を通過する度に必ず見かける教会。
 レンヌへ、モン・サン・ミッシェルへ向う線路沿い、道路沿いに栽培されていた作物のほとんどはトウモロコシだった。
 車窓を流れていく町を通過して次の町へ行っても、それまでに通り過ぎてかた町とほとんど景色が変わらないくらい、同じ景色と町並みの繰り返し。
 雲は低く西から東に流れていくだけ。
 ひたすら丘陵地帯を走り抜けていくTGV。
 モンパルナス駅を出て2時間が経過した。

 
 11時30分にレンヌ駅に到着する予定だったTGVだが、発車が10分遅れたので11時40分にはレンヌ駅に到着するはずなのだが、11時50分になってもまだレンヌ駅に着かない。
 いろんな考えが頭をよぎる。
 TGVとモン・サン・モッシェル行きのバスのチケットがセット販売されているのだからバスはTGVの到着まで出発を待っているはずだ。

 いやここは日本じゃない、時間が来ればバスは出発してしまう。
 

 とにかくレンヌ駅に着いたら、出来るだけ急いでバス乗場まで行ってみるしかない。
 幸いにしてこういった場合、海外の駅は大きな出口は一箇所しかないため、どの出口から出ればいいのか、悩む必要がない。

 走ってはいないが、かなりの早足でバス乗場を見つけて向った。
 時間は12時を少し過ぎていた。
 レンヌ駅の右側の建物がバスの発着場だということはすぐにわかった。
 急いで建物に入ると、建物の中からモン・サン・ミッシェルの大僧院が車体に大きく描かれたバスが駐車場に停車していた。
 ダッシュでそのバスに向う。
 そのとき、後方から韓国語の大きな声が聞こえてきた、同じTGVに乗車していたのだろう。
 彼らも駆け足でやってくる。
 しかしバスはすでに満席に近かった。
 自分をを含めて、6人分の座席しか残っていなかった。
 後ろには大きな荷物を持った韓国人が十数人バスのところまで来ていた。

 
 そして座席が全部埋まると、バスは乗れなかった人たちをバス乗場に残したままモンサンミッシェルへと出発した。
 次のバスが出発するまで4時間あまりあるのだが。

 
 これに近いケースを過去に何度か経験していたことが、今回は役にたったのかもしれないと感じたが、もし自分のように予約乗車券を持っていて、TGVからの降車順だけでバスが満車になってしまったなら、いったいどうなっていたのかと想像すると、薄氷を踏むような旅をしているのではないかと思わずにはいられなかった。
 このとき、帰りのバスには出発時間よりも必ず早い時間に、バス乗場に着いておかなければと強く思った。
 バスはTGVのレンヌ駅への到着が少し遅れていることで、出発を待っていてくれたけれど、帰りのTGVはバスのレンヌ駅到着を待ってはくれないのだから。

 

 

  つづく

 

          

        1時間後バスの車窓にはモンサンミッシェルの姿が


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人馬一体

 土曜日の阪神競馬を現場で観ていて福永ジョッキーも上手くなったな、と感心する場面に二度ほど遭遇した。

 反面武豊ジョッキーは元気がない感じがした。

 そんな土曜日の福永騎手への感想が一変してしまったのが日曜日のメインレース。

 ラインクラフトのデキが秋華賞の頃のデキにほど遠いことは理解していた。

 それでも競馬に出てくるとファンは期待する。

 どうしても勝てない場合があることは認める。

 そんなとき、いかにして「惜しかった」「福永でも勝てなかったか」と言わせる負け方を期待したい。

 今回は何があってもハナを切るべきではない馬・ジョッキー・頭数だった。

 そしてラインクラフトはデキ落ちでも、ためての切れ味で、かなり勝負可能な馬。

 それをペースメーカーのようにマークしてくださいという逃げを打っては勝負にならない。

 

 それに比べると武豊というジョッキーにはポカということがない。

 負けても納得できる、武で負けたらしょうがない。こう言いきれるだけの騎乗をしている。

 

 今週、暮れの大一番、有馬記念。

 ディープインパクトの参戦は個人的には異論ありだが、無敗の三冠馬を観ることが出来る機会が限られているのなら、これも仕方のないこと、出走する以上は精一杯応援したい。

 そんなときふと思う、武豊が乗り役で良かったと。 

 


 

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喫煙天国

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 もうタバコ吸わなくなってから10年以上経ちます。

 辞めた理由は単純なもので喫煙可能な場所がどんどん減ってきて、タバコを吸うことにこれほど制限をうけるいっそ辞めちゃえといった程度の理由でした。

 その後もどんどん喫煙場所は規制を受け続け愛煙家の方々は大変な思いをされていることでしょう。

 カフェの喫煙席で吸っていても、中には批難めいた視線や言動をする人もいます。

 そういう人って、まるでタバコを吸わないことが正義であるかのような思いでいるような気がすることがあります。

 受動喫煙の被害を訴える気持ちもある程度は理解出来ますが<タバコを吸う=悪>のような片寄った考え方はタバコの害以上に問題があるように感じます。

 

 そんな肩身の狭い思いをされている愛煙家の方々が自由にスパスパ吸っている大きな空間がありました。

 競馬場です。

 競馬場のゲートを通過したらそこはもう煙がただよう愛煙家の空間、青空の下のパドックでも、ゴール前も全面ガラス張りスタンドの内側は、もやがかかったような空間でした。

 勿論禁煙スペースも確保されてはいるのですが、世間の喫煙と禁煙の比率がここでは全く逆転しています。タバコが嫌な人は禁煙スペースへどうぞといった感じです。

 そう、ここは喫煙に関しては『昭和の時代』そのままでした。

 思い切り青空の下、広い暖かい室内でタバコが吸いたい方には、競馬場がお奨めです。


 

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タイタニックの乗員と氷山

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 タイタニック号といえばサウサンプトンから出航し、沈没した豪華客船として知られていますが母港はリヴァプール港だというのはあまり知られていません。

 

 アイハブアドリーム号の母港もリヴァプール港です。

 

 リヴァプールから東南にハリファックスという町があります。

 この町にはタイタニック号の犠牲者が眠る共同墓地があります。

 そこには、J・ドーソンという人物のお墓があり、その名前が映画『タイタニック』に登場する、ディカプリオが演じた<ジャック・ドーソン>と似ている事から、花を手向ける人が今も絶えないそうです。

  この人物、正しくはジャック・ドーソンではなく<James・Dawson>というダブリン出身の23歳の青年でタイタニック号のトリマーだったそうです。

 

 

  ハリファックスのフェアビューセメタリーにある<J・Dawson>の墓

 

 

 タイタニックといえば氷山です。

 海面上に出ている氷山は全体の10%程度だという話は知っていましたが、実際どのような形をしているものなのか興味はありましたが知りませんでした。

 

 氷山上部

  氷山が海面上に出ている部分

 

 氷山全体

  計測に基づくCGによる氷山の全体象

 

 

 なお、アイハブアドリーム号の次の寄港先は未定です。

 


 今日UBS、日興コーディアルグループ、モルガン・スタンレー・ジャパン、リーマン・ブラザーズ証券グループ、クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券、野村証券の6社が総額168億円の利益を全額みずほ証券に返還する方向になった。

 証券横並びということで単純な善意ではないかもしれないが、話半分としても全体の損失から見れば2割ということで善意の2割は維持されたと考えたい。

 たまには裏をかんぐらず素直に喜ぶことも大切かなと。 

 12/14付

 


 みずほフィナンシャルグループのみずほ証券がマザーズに上場した「ジェイコム」の売り注文を1株61万円で出すはずが1円で61万株と誤った売り注文を出してしまった。

 幸いストップ安で1円での成立ではなく57万円台で成立したが、問題は61万株という存在しない株数の売買が成立してしまっていることである。

 

 こういった事件が起きたとき、事件そのもの関心よりも、入力ミスを犯してしまった担当者や実務責任者の気持ちにどうしても目がいってしまうのは、長年サラリーマン勤務をしていた影響なのだろうか。

 

 そして通常の世界の話なら、統計的に2割以上の<善意>による契約解除等の申し出があり、少し救われた気分になれるのだが。

 株式に熱くなっている個人投資家の方々にどのような動きがあるのか注目したい。

日本陸連が決めた「鎖国」

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 日本陸連主催の日本選手権は来年から、日本人選手以外の出場を認めないことを決定した。

 日本で生まれ育った外国籍競技者や日本国籍を有する者については例外を認めてはいるものの、実質外国からの参戦や日本に留学している外国人の参加が不可能になった。

 

 実際今年の男子5000mでは上位6位までを外国人選手が独占した。

 トップから46秒遅れでゴールした日本人選手が優勝者として表彰された。

 

 かつてのマラソンランナーで日本陸連理事の瀬古利彦氏は「こんなレースで表彰されても誰も喜ばない。世界と戦っていくためには<日本選手権>で『日本一』になったという自信をつけるのが重要。」と主張した。

 反対意見もあったが多数派が押し切った。

 

   

 ※ 以上は朝日新聞の記事から抜粋したものである。

 

 瀬古理事が言うところの「こんなレースで表彰されても誰も喜ばない。」揚足をとるつもりはないが、正しい表現としては「こんな成績で表彰されても誰も喜ばない。」ではないだろうか。

 

 瀬古理事は日本人だけで走って『日本一』つまり日本チャンピオンになった自信をつけるのが重要と言いたかったのだろう。

 だが、外国人選手が参加していれば、日本にいながらにして世界のトップランナーの走りを間近に見ることができるのだ、これほど素晴らしい環境を排除しようとする背景に企業に籍を置く陸上競技クラブという姿が垣間見える。

 陸上競技という純粋な立場からの見解ではなく実績を挙げてこそ陸上競技クラブの存続があるという苦渋の選択であったことがうかがえる。

 それら指導者や競技者の気持ちを理解したうえで、あえて言いたいことは、そんな小手先の小細工で作られた『日本一』になんの意味もないということ。

 世界を目指すなら、少しでも早く、多くの機会に世界を見る必要があるのではないか。

 

 1984年ロス・オリンピック男子マラソン、日本人の誰もが瀬古選手の優勝を信じて疑わなかった。

 しかし彼は後半ずるずると後退していった。

 そしてレース後彼はひどい下痢だったことを打ち明けた。

 慣れない海外での体調管理の難しさという面で同情する余地はあったのだが、私自身はそれ以前の日本陸連がオリンピック代表に瀬古を選出したいがための特別ルールを急遽設けたことを思い出した。

  

 『強いものが勝つのではない、勝ったものが強いのだ』私の好きな言葉なのだが、これはスタート位置に立つまでの行程が重要なのであって<スタート位置に立った参加者全員に勝つチャンスがある>ということだと理解している。

 

 そういう意味で2000年のシドニーオリンピックで高橋尚子選手を選ばなかった日本陸連の選択にロスオリンピックで苦汁の経験をしたことがシドニーでの良識となったと安堵していたのだが。


 

 ロスオリンピックで特別扱いで参加し、大失敗した当事者が、今回の日本選手権で世界を見ず、目先の汚れた栄誉に走ったことが残念でならない。

得失点差と戦うスタンス

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 4チームで上位2チームが決勝トーナメントに進出出来るというルール。

 この4チームというのがなかなか微妙だ。

 

 つまり4チームがそれぞれのチームとリーグ戦で試合をするということは全部で6試合。

 引き分けがないという前提でいけば3勝すれば間違いなくトップ通過が決定する。

 この場合他の3チームが三すくみ状態ということで1勝2敗で並んだ場合には得失点差の大きいチームが決勝トーナメントに進出可能となる。


 3勝したチームがトップ通過するのとは逆に3敗したチームは自動的に最下位が確定し、脱落する。

 この場合にも3チームが2勝1敗で得失点差勝負になるケースもある。

 

 結局は2勝したからといって決勝トーナメント進出が決定するわけでもないし、1勝に終わったからといっても決勝トーナメントに進出可能な場合もあるということだ。

 大切なのは勝てる試合では少しでも得点を多く挙げて勝利しておくということ。

 結果論的な考え方のように見えるかもしれないがそうではない。

 先々週のセレッソ大阪の後半を見ればそれは顕著だ。

 リードを守って逃げ切れば優勝だということで追加点を狙わずラインを下げてしまった。

 中盤を相手チームのフリーにしてしまったことで完全に守り一辺倒、いわゆる、受けてしまった状態になったのだ。

 結果は相手に得点されてしまいリードを守れずに引き分けてしまい優勝を逃がした。

 もしあのとき追加点を獲りに行ってカウンター攻撃で失点して優勝を逃がしたとしても、自分たちのサッカーをしたという満足感が残ったはずだ。

 サッカーとはそういうもの、いかに自分たちのサッカーをしたかが重要。

 結果が総ての世界ではあるが、だからこそ結果を先に決めてしまってはいけないのだ。

 

 リードしたらさらにリードを広げる、これが短期リーグ戦における最も重要な戦い方であり真理。


 誤解を恐れずに最近の異常と思える事柄について書くことにした。

 


京都府宇治市内の塾の教室で、小学生が塾の講師に刺殺されるという悲惨な事件があった。


 痛ましい事件だと思う、殺された生徒のご両親の悲しみや怒りは、言葉に言い表せないものだろう。
 

 そしてこの塾に子供を通わせている他の生徒の親たちは、塾側の説明が不十分だとして抗議したらしい。
 学校が安全な場所でなくなり、学校への通学路にも危険が潜んでいる、そして今回進学するための勉強をする塾が惨劇の場所となった。
 もはやどこにいても、いつ殺人を犯す人間と接触してもおかしくない時代なのだろう。

 事件が起こった場所や地域だけが危険なのではない。


 被害に遭われたご家族にはお気の毒としかいいようがない。
 しかし、被害者でもない他の塾生の親が塾に抗議しているという。
 他人に我が子を預けてそこで起きた事件に、何が言いたいのだと問いたい。

 塾だけは安全だとでも思っていたのか。
 塾の講師と塾生にささいなトラブルが起こったとき、もしそのことを知っていたなら、それだけのことでこのように殺気だった抗議運動を起こしたのか。

 もしそのときになんらかの対策を施していれば、結果論でものを言う人間はいつの時代もこういった批判だけをするものだ。
 塾はそこまで塾生と講師の間の事柄に干渉していなければならないのか。


 そしてさらに、前科のある者を採用することを一般世間という偽善者社会は、これらを深く静かに徹底させていこうとするだろう。

 
 前科のある者は更正を終えた後、社会復帰してもこういった凶悪な犯罪を犯すから、今後職業選択の自由など与えてはいけないと、口には出さず増えていくことになるのだろうか。


 違う、もう今や誰でもが犯罪者になりうる可能性があるような世の中になってしまったのだ。
 子供が学校に行く通学路は危険だ、保護者がついて一緒に学校まで行くのが一番安全だろう。
 だが一旦学校の中に入ってしまえば、あるときは教師が、あるときは同級生が殺意を持って襲ってくることがある空間なんだということを、認識しなければいけない世の中なのだ。
 他人に預けたり、手を放した子供に起こった事柄の責任を預けた他人に転換したり、押し付けていては問題はいつまでたっても解決しない。
 日本のどこにいても安全な場所などないのだということを認識しなければならない。

 他人に我が子を預けた時点でなにが起こるかわからない世界に行ってしまったと考えねばならないのだ。
 空き巣、強盗、ひき逃げ、世の中に悪いことを考えていたり、他人に対して無関心であり、自己中心的な考えの人間は誰の周りにもたくさん存在するのだ。
 子供を守りたいなら、出来るだけ信頼出来る人間に、親が見られない間守ってもらうしかないのだろう。
 しかし、その信頼していた人間も、いつ裏切るのかわからない、そんな時代そんな世の中になってしまった。



耐震偽造マンションの居住者に対して、政府及び地方自治体は異例の早さで既に居住している住民への対応策として、代替住宅の斡旋や家賃の負担等の政策を進めている。

 ちょっと待ってと言いたい、なにかおかしくはないか。


 個人の戸建住宅で手抜き建築があった場合、そこまでの補償に政府が乗り出してきてくれたことが過去にあったか。


 悪質な建築業者の詐欺にあったからといって、支払った建築費用や補習費、あるいは費用を立替えるといった事柄について、これほど迅速に政府が過去になにかしてくれたことがあったか。
 そういった欠陥の偽装住宅に住んでいた住民の家も震度5強には耐えられなかったはずだ。
 そのとき何もしなかった政府・自治体、それがなぜ今回このように異例とも言える素早い対応をするのだ。

 姉歯氏や総研以外に、そういった共同住宅やホテルといった物件が見つかった場合にも、同様の補償を約束出来るのか。
 とても信じられない。
 信じられないというよりは、姉歯と総研だけの問題で済ませてしまって他の大手ゼネコン関連業者の建物なりコンサルの関連している建物に問題が波及しないよう、速やかに問題を解決しようという意図を感じずにはいられない。

 
 今後必ず同様の耐震偽造の建物の存在は内部告発や検査で出てくる。

 構造計算書が正しくても、施工段階で手抜き工事がなされた建物がもっとあるはずなのだ、あって当然の問題なのだ。
 基礎工事の深さ、生コンの水増しによる強度不足、それらを全部図面と施工後の建物を実際に比較検査してみないことには、総ての問題点を暗闇から引きずり出したことにはならない。

 

 建築業者の手抜き、実際の工事現場ではいつの時代も日常茶飯事的に行われている行為ではないか。

 立派な建造物であっても、建てたのは大手ゼネコンではなく、孫受けのまた下の孫受け、大工のオヤジやバイトが実際は作業して建てたもの、見た目は立派に見えてもそんなものだ。

 ただしそういった建築業者の中にもきっちりした業者はいる。

 それ以上に手抜きした業者はもっといるだけ。

 

 どうかそれらの大手ゼネコンが秘匿している悪質な手抜きが行われた建物や、施工した業者にまで捜査の目が届き、総てを明るみに出すことも緊急に必要だ。そのうえで、そういった欠陥住宅に住んでいる人たち全員を平等に援助出来る予算を発表し、国家予算を充当するのかどうか国民に問わなければならないほど、この事件の核心問題の根は深いと信じて疑わないのは私だけなのだろうか。


 これらの問題について異論のある方、いつでもコメントしてきてください、ただし冷静なコメントであることとURLの記入をお願いします。

 書きなぐりのコメントは管理人の権限で削除もしくは無視しますので。

 

 

06ドイツWC組合せ抽選

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 2006年ドイツワールドカップの組合せ抽選会が日本時間で10日早朝に行われる。

 午前6時には終わる見込みだ。


 第1シード:ドイツ, ブラジル, アルゼンチン, イングランド, スペイン, メキシコ, イタリア, フランス

 
 ☆第2ポット:エクアドル, パラグアイ, オーストラリア, アンゴラ, コートジボアール, トーゴ, ガーナ, チュニジア

 
 ☆第3ポット:ポルトガル, オランダ, ウクライナ, スイス, クロアチア, チェコ, スウェーデン, ポーランド

 
 ☆第4ポット:韓国, 日本, サウジアラビア, イラン, アメリカ, コスタリカ, トリニダード・トバコ 

 

 注スペシャルポット:セルビアモンテネグロ

 

 

 セルビアモンテネグロは、ヨーロッパが同組に3国入らないように配慮されるため、ブラジル、アルゼンチン、メキシコのいずれかと同じ組に第4ポットとして入る。

 セルビアモンテネグロが入る組は大変だ。

 


 

     2006wc

  

 

 

 第1シードにオランダではなくイングランドが入ったのが個人的には意外だったが、まあ順当なところだろう。

 弱気ではなく第4ポットにいる日本にとって第1シードのどこの国が同組になろうとあまり関係ない。

 相性や過去の実績なんてものを遥かに上回る国ばかりなのだから。

 どこと当たってもシード国とワールドカップの舞台で真剣勝負が出来ることを喜びたい。

 もちろん勝負は水物、勝負は試合終了のホイッスルが吹かれるまで誰にも判らないこと。

 

 第2ポット・第3ポッドについて、力量的には紙一重に近い存在だと考えているので、勝敗の行方には過去の実績から、相性のいいチームとの組合せになることを期待したい。

 

 第2ポットからは、日本の組織サッカーと相性が悪いアフリカの奔放サッカー国とは当たりたくないというのが本音。

 

 第3ポット、これはもう相性とかの問題ではなく今後日本サッカーが当然のように乗り越えていかねばならないヨーロッパの壁。

 どこと当たろうとアグレッシヴに戦ってほしいと望むだけ。 


 ちなみに、日本にとって最悪の組合せは、アルゼンチン、オーストラリア、オランダと同じグループに日本が入るケースだと宇都宮徹壱氏 は書いていた、もっともな意見だと思う。 

 

 

大航海時代突入とONE PIECE

テーマ:

 25年前の12月8日、20世紀の偉大なるロックン・ローラー、ジョン・レノンが亡くなった。

 そして昨年の12月8日、cologneのこのブログはなんとモブログ・ジャンルにてスタートした。

 その当時はまだアメブロ会員は3万にも満たなかった。

 

 それから時が経つことわずか1年、今やブログ世界は大航海時代を迎えた。 (ちょっと無理があるのはスルーするのが武士の情け)

 

 

 ということで久しぶりに歴史の話を書くことにした。

 

 13世紀後半ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが書いた『東方見聞録』は15世紀になってヨーロッパ人のアジア進出への好奇心をかきたてた。

 世に言う「大航海時代」の幕開けだ。 (尾田栄一郎作「ONE PIECE」はこの時代を背景に描いている)

 だが歴史的背景はそれほど単純ではなかった。

 

 オスマン・トルコが地中海の貿易拠点を支配したためそれまでの貿易路が遮断され胡椒などが品薄となり高騰した。

 そこでヨーロッパ人は地中海を経由しない新航路開発の必要に迫られたのだった。

 しかし従来のガレー船 (これも前述ONE PIECEに度々登場する帆走とオールで漕ぐ兼用船のこと)では速度と航続距離に無理があった。

 そこに北欧からカラヴェル船と呼ばれる軽帆船が登場し、これが探検航海に大きな役割を果たした。

 

 地理学的には海路でインドに行くには東回りで行くより西回りで行く方が近いという考えはギリシャやローマの書物に書かれていた。

 しかしこの事実を当時のヨーロッパ人は知らなかった。

 そしてルネサンス期になってロジャー・ベーコンやピエール・ダイイがこのことを唱えた。 (ONE PIECEに登場する大海賊ゴールド・D・ロジャーの名前はこの両名の名前から作者尾田栄一郎が考えたのではないかと推測する)

 

 かつての(cologneが学校で歴史を学んでいた頃)歴史教科書には「新大陸発見」という表現が使われていたが、これはあくまでも当時のヨーロッパ人にとっての「新大陸」発見にすぎない。

 南北アメリカ大陸にはすでに文化が展開されていたのだから、正確には「ヨーロッパ人のアメリカ大陸到達」といえる。

 

 歴史を片寄った側から解釈するとおかしなことになるという見本かもしれない。

 

 だから今では「新大陸発見」というのは死語であり、あの時代をおおまかに「大航海時代」と呼ぶ。

 

 

 無理ついでに

 cologneのブログも新たなる航海に出るということでなぜかリバプール港から「大航海時代」に出航だ~!