偽善と迷惑報道

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 「少しでも犯人逮捕に役立ててください」

 広島で殺害された女児が春まで通っていた千葉県の幼稚園の卒園式の様子を撮影したビデオが撮影者からメディアに提供された。

 こんなビデオが犯人の逮捕にどう役立つというのだろう。

 百歩譲って、もし犯人逮捕に役立てて欲しいなら広島県警に提出すればいいことだ。

 それを何本もダビングしてご丁寧にマスコミ各社に提供していた。

 報道するマスコミも何を考えているのか、視聴率のためなら残された遺族の気持ちなど無視して放送している。

 そしてさんざん放送した最後に、ご遺族のお父様から3枚の写真が提出され、この写真を提供しますから、どうかこれ以上遺族や近隣者への取材を自粛してくださいとのお願いがあったと伝えている。

 どうやら今放送している自分たちの局は特別で、自分たち以外のマスコミは自粛するようにしたいものです、とでも言いたいらしい。

 犯人像を極めて近くに住む意外な人物、と軽はずみな情報を報道された地元住民の方々の迷惑を考えると、お気の毒としかいいようがない。

 捜査権はマスコミにはないのだから興味本位の犯人探しは止めるべきだ。

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 TV東京の「所さんの学校では教えてくれない」で<ヤンキーはいつ頃どこから発生したか>を放送で取り上げていた。

 期待して見ていたのだが、がっかりだった。

 1977年頃大阪ミナミにアメリカ村が出来た頃、そこに集まった若者が口にし出した言葉、だって。

 全くのデタラメ、1972年頃には友人たちとヤンキーという言葉を日常使っていたし、ラジオでは笑福亭鶴瓶がさかんにヤンキーを放送で連発していた。

 全国的に広めたのは、その後嘉門達夫の歌った「ヤンキーのにいちゃんの歌」だがTV局の調査なんていい加減なものだなと改めて思った次第。


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ドラム

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 「サウンド・オブ・サイレンス/"The Sound Of Silence"」という曲がある。

 

      kロス

       「卒業」の主演女優キャサリン・ロス (キャサリン・ロスで検索してもなかなか彼女の画像にはたどりつけないでござる)

 

 

 Simon & Garfunkel の最初ヒットソングとして、またマイク・ニコルズ監督の代表作「卒業」のサウンド・トラックにも使われた名曲だ。

 この曲を初めて聴いたのは「卒業」のサウンド・トラック盤だった。

 当然のことながらそれは当時二人のプロデューサーであったトム・ロビンソンが、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」製作のために集まっていたミュージシャンたちに依頼してアレンジした、エレクトリック・バージョンと呼ばれるほうの曲。

 その後Simon & Garfunkel に傾倒していった自分は、彼らのアルバム「水曜の朝午前3時/"Wednesday Morning,3A.M."」で耳にしたアコースティック盤「サウンド・オブ・サイレンス/"The Sound Of Silence"」にはがっかりした。

 「なんであんなに素晴らしいアレンジの名曲をこんなシンプルな演奏で歌ってしまうのか!」

 そんな、怒りにも似た心境だったのを覚えている。

 それから10年後に改めて両方の曲を聴いたときも感想は変わらなかった。

 そこからさらに20年以上経った頃、彼らのアルバムを改めて聴く機会があった。

 

 「いい!、実にいい!」

 「サウンド・オブ・サイレンス/"The Sound Of Silence"」はエレクトリック・バージョンもアコギ・バージョンのどちらも素晴らしいと感じた。

 

 S&G

 

 アコギ・バージョンの良さは、詩に込められたメッセージそのものがアート・ガーファンクルの歌声から、静かではあるが強烈な響きを伝えてくる。

 途中少しだけ入るエレキが邪魔で必要がないとさえ思えるほど、ポール・サイモンのギターとアート・ガーファンクルのヴォーカルが心地いい。

 続けてエレクトリック・バージョンも聴いてみた。

 そしてこのエレクトリック・バージョンの最大の成功はエレキよりもドラムにあったと感じた。

 おそらく最初にこの曲のエレクトリック・バージョンを聴いたときからそう感じていたのだと思う、感じていながらそれがドラムによるものだとは気がつかず、ずっとエレキギターを挿入したことがその要因だと思っていたのだ。

 もちろんアレンジにエレキの音が入ったことの影響は大きかった。

 しかし「サウンド・オブ・サイレンス/"The Sound Of Silence"」エレクトリック・バージョンのキーサウンドはドラムだ。

 だから自分の中ではドラム・バージョンと呼ぶことにした。

 

 今、そう言いきれる自分が存在することに限りない自己満足を感じている。

 

 

 Hello darkness, my old friend
 I've come to talk with you again
 Because a vision softly creeping
 Left its seeds while I was sleeping
 And the vision that was planted in my brain

 Still remains
 Within the sound of silence


 In restless dreams I walked alone
 Narrow streets of cobblestone
 Neath the halo of a street lamp
 I turned my collar to the cold and damp
 When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
 That split the night
 And touched the sound of silence


 And in the naked light I saw
 Ten thousand people, maybe more
 People talking without speaking
 People hearing without listening
 People writing songs that voices never share
 And no one dare Disturb the sound of silence.


 "Fools" said I, "You do not know
 Silence like a cancer grows
 Hear my words that I might teach you
 Take my arms that I might reach you
 But my words like silent raindrops fell
 And echoed In the wells of silence


 And the people bowed and prayed
 To the neon god they made
 And the sign flashed out its warning
 In the words that it was forming
 And the sign said
 "The words of the prophets are written on the subway walls
 And tenement halls.
 And whispered in the sound of silence

  

 

 暗闇よ 君は僕の古くからの友人だ
 だからまた君と話そうと訪れてしまった
 それは 幻想が静かに近づいてきて
 僕が眠っているときに種を残していったからだ
 そしてその種は僕の頭の中でどんどん成長していった
 だけど幻想はまだ沈黙の音の中でじっと動かないままでいる

 落ち着かない夢の中で僕は独りさまよっていた
 石畳の狭い通りに差し掛かり
 街灯の灯りに近づいたとき
 急に寒気がした僕は思わずコートの襟を立てた
 その時僕の目はネオンライトのフラッシュに撃たれ
 夜の闇は引き裂かれてしまった
 そして僕は沈黙の音に触れた


 僕は見てしまった 裸電球の下で
 一万いやそれ以上、もっと多くの人々が
 口を開くこともなく語っている姿や
 耳をそばだてることもなく聞いている姿や
 歌われてもいない歌を書いている姿を
 だけど誰も沈黙の音というものを遮ろうとするものはいない

 

 「馬鹿」だ 君たちは何も分かっていない
 沈黙が癌のようにむしばんでいるのを
 僕が諭す言葉に耳をかたむけて
 僕が差し伸べる腕をしっかり握って
 でも僕の言葉は沈黙のまま滴り落ちる雨粒みたい
 沈黙の井戸に落ちていき 音がこだまするだけ


 人々は祈りを捧げていた
 自分たちが勝手につくり出したネオンという神に
 そのときネオンの掲示板にいきなり警告の言葉が書かれた
 光が織りなす言葉で
 ネオンの掲示板はこう語る
 「予言者の言葉は地下鉄の壁にも」
 「そして古びたアパートの廊下にも書かれてある」と
 それでも沈黙の音の中で人々のささやきは続いている・・・
 

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☆ 20年前


 時間は午後の9時前後だっただろうか、ミラノの地下鉄(Metropolitana)に乗るため階段を降りようとしたとき友人パオロは「ちょっと待って、下の様子を見てくるから」、そう言い残して階段を降りていった。

 5分くらい経った頃パオロが戻ってきて言った。

 「今下にいた連中は次の電車に乗るだろう、あと10分待ってから階段を降りれば安全だ」

 その頃のヨーロッパはさまざまな国から多くの人間が流入という形で入国してきた時代ではあったが、平和で危険といっても置き引きやスリに気をつけてさえいれば安全そのものに感じていた国での夜のヒトコマの出来事だった。

 「今は彼らに危険は感じない、しかし何年か経ったとき彼らの生む子供たちが問題だ」

 パオロはそう言って、もう大丈夫だからと、私に地下鉄の階段を降りるようにうながした。

 

 

☆ レンヌ

 

 パリからモン・サン・ミッシェルに向う旅行者の多くが利用する町がレンヌだ。

 レンヌ駅前からモン・サン・ミッシェルに向う道路沿いの道はあまりにも人気がなく、静寂というよりも閑散としている空気を漂わせていた。

 夜のレンヌはどんな街だったのだろうか。

 

 

☆ 暗い夜

 

 ブリュッセル滞在中、ブルージュまで列車で日帰りの旅をした帰り、乗換駅を間違えてしまい、遅くなった。

 ブリュッセル市内のホテルに戻ろうと路面電車に乗ったのだが行き先を間違えてしまい、とんでもない寂しい終点の駅に着いてしまった。

 引き返そうにも終電なのか夜が遅くて次の電車まで間隔が長いのか、30分待っても誰も道端の細いトラムのプラットホームに来る人さえいない。

 最後は「タクシーを拾えばいいや」、と気楽に考えていたが、たまに通るタクシーはみな乗客を乗せている。

 そうなるとさっきまで旅先では少々のトラブルやアクシデントがなければ旅じゃない、なんて思っていた自分がとてつもなく馬鹿に思えてくる。

 2月のベルギーは寒い、このままでは<日本人ベルギーで凍死>なんて新聞の見出しが浮かんできたりする。

 誰も歩いていない寂しい街中をさまよい歩くこと1時間あまり、やっと開いている店を見つけた。

 ここで暖かいコーヒーでも飲んでタクシーを呼んでもらおう。

 そんな軽やかな気持ちになって店のドアを開けた。

 店の空気が一瞬にして変わった、<なんだこの東洋人!><ここはお前のような旅行者が来る店じゃねえ帰れ!><お前誰?>そんな視線の嵐だった。

 開けたドアを力なく閉め店を出た。

 結局最後は客を乗せたタクシーに信号待ちの間に無理やり話しかけ、ここに引き返して来てくれたらホテルまでの料金の2倍払うからと交渉し、ホテルにたどり着いた。

 

 

安全を保障出来るのか

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 「夜回り先生の通報で男が逮捕」

 こんな見出しの記事が載っていた。

 事件の内容はともかく、こんな見出し報道で水谷修氏が逆恨みをかうようなことがあったとき、マスコミはどう責任を取るつもりなのだ。

 誰が通報したとか、そんなことが重要なことか!

 彼の行為は彼の活動の範囲内で起こったことかもしれないが、一市民として当然の行動をしただけだろう。

 それを公然と顔と名前を明かしている人の通報で逮捕といった記事を載せるマスコミの神経を疑う。

 報道の自由に名を借りた蛮行だ。

 あえて書く必要もない記事を通報者の名前を公表してまで書くのなら、せめて記事を書いた人間の名前も発表するくらいの気構えをみせろ。

 それがジャーナリストとしての最低限の誠意ではないのか。

 どちらであっても筆者には本意ではない行為だが。

 

 自分は安全な場所に隠れて、善行を行っている人間を危険な目にさらさせる。

 所詮その程度のことしか書けない記事を掲載するyahoo他の報道機関にも問題がある。

 

 もし自分が通報したとして、犯人が逮捕されて、通報者の名前が公表されたら、困らない人は誰一人いないだろう。

 せめて自分の立場に置き換えて、記事に書いていいものかどうか考えろと言いたい。

 

 水谷氏の身に危険なことが起こらなければいいのだが、彼が心配だ。