サイモン&ガーファンクルの美しい高音ヴォーカリスト、アート・ガーファンクル氏が再びマリファナの所持で逮捕された。

 詩と曲のほとんどは元相方のポール・サイモンの手によるものだが、アート・ガーファンクルの美しいヴォーカルなしでは聴こうと思わない曲も数多い。

 今どのような暮らしをしていて、満たされているのかどうかはわからないけれど、どうか昔S&Gのヴォーカルだった人、と呼ばれるだけの存在にはならないでほしいと願う。

 ポール・サイモンが創り出し、アート・ガーファンクルが表現することで、その音楽世界は私達の耳に素晴らしい響きをもって届いたことを、いつまでも忘れたくないから。


 先日、CDG空港での待ち時間、電池の尽きたMP3がただの物体となったとき、cologneの口から出たひとりアカペラカラオケの曲は偶然にも「明日に架ける橋」だった。

 

 まるで自分にアートガーファンクルが乗り移ったかのようにその声は美しく、待ち時間の長さにボルテージの上がった自分を冷静にしてくれた名曲、「明日に架ける橋」。(誰も聴いてないから証人がいないのが残念) 

       明日に架ける橋

 「人生の荒波(トラヴルド・ウォーター)」に直面だなんて、マスコミのつまらないダジャレにされることがないよう、頑張って立ち直ってほしいアート・ガーファンクル。

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 やっとブログを更新出来るかなというところまで、疲労が回復してきました。

 疲れたときに、早く疲れを回復させておかないと、こんなに長引いたり、後からどんどん蓄積されていた疲れが、マグマのごとく噴出してくることに驚いています。

 日曜日夜、TVで谷村新司さんを見かけました、毎年恒例の日テレの夏企画番組のエンディングでした。

 何年も見ていなかった番組ですが、たまたま「サライ」の合唱シーンでした。

 そこでチンペイ(谷村新司)の顔を見ていて思い出したのが、70年のヤングタウン公開録音。

 土曜日の夕方、千里中央のMBSスタジオで、当時まだ若手落語家だった桂三枝さんが司会をしていた番組で、よくスタジオに遊びに行きました。

 そこで出会ったバンドが谷村新司さんが率いるロック・キャンディーズ。

 ロックにはまっていたcologneはグループ名に興味がわいて、わくわくしながら登場を待っていたのですが、それはロックではなく甘~いフォークそのものでした。

 

 女子高生の声援とは別に「ハゲー!」という野次も聞こえてきて、髪は肩まで伸びているけどハゲてるんだと思った記憶が今もあります。 

 ロック・キャンディーズとは、谷村新司さんが帝塚山学院大学の同級生と女子高生の三人で結成し、その後の「アリス」を結成する母体となったグループです。

 代表曲としては「春は静かに通りすぎてゆく」が知られているでしょうか。

 当時、フォークといえば反戦や世相を歌った詩が多い中で、彼らの甘い「詩」は反感と共感の両極だった思い出があります。

 疲れているときには昔の記憶が蘇るものなのでしょう、フォークなのにロック・キャンディーズ、難しい詩が多かったフォークに失恋を歌った曲ばかりと、なにかボタンを掛け違ったような不思議なグループとしての記憶が一瞬、脳裏をよぎりました。

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 先日 sumikoさん  のブログでも紹介されていたウォータークライシス。

 是非見たい番組だったのだが、留守にしている間に放送されていたので見ることが出来ず、残念に思っていたのだが、今日27日深夜(正確には28日)NHK総合TVで24時50分から2話連続で再放送されるらしい。

 

 地球規模の水資源問題として避けて通れない、そして日本にも、私達の未来にも大きく影響のある問題を取り上げている。

 

 深夜の時間帯でもあるので録画してじっくり見てみたい。

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 なかなか旅行文を書いてから画像を載せようとするのも大変なのでまずは旅先で撮ってきた写真の中から代表的な場所だけピックアップしてみました。


 人間cologneも初登場しています、ただしこれは今日25日の24時までの時間限定です!。


 なんてもったいぶって、オヤジの写真ならいらないという方、明日以降は人間cologneは出てきませんので、明日以降見てください、お願いします。


エッフェル塔/トロカデロ庭園から望

 

 パリといえばエッフェル塔 プチ絶景ポイントはメトロのトロカデロ駅を上がって左へ20m進んで建物の角を曲がった瞬間です。13年経ってもそれは全く変わらない光景でした。

 「変わらない」、これがなんといってもヨーロッパの魅力でしょう。

 

 

凱旋門/エッフェル塔から望

 

 エッフェル塔は3層の展望台で構成されていますが、こちらはその最上階から凱旋門を眺めたものです。

 モンマルトルの丘を眺めるには2番目の高さの展望台がお奨め、高すぎると丘が丘として見えなくなるからです。

 

 

ノートルダム寺院裏

 

 これはセーヌ川の中にあるシテ島のノートルダム寺院を裏から撮った写真、表から見る建物よりもこっちのほうが絶対お奨め(そんなことまで勝手に決めるな!)

 

 

モンマルトルの丘から市内を望

 

 モンマルトルの丘にあるサクレクール寺院からパリ市内を見下ろした景色。

 日本のそれも関西でいえば西宮の苦楽園に近い感じでしょうか。

 

 

夜明け前

 

 パリからTGVで2時間、そこからバスでさらに1時間。

 これがフランスが誇る世界遺産「モンサンミッシェル」その夜明け前の画像です。

 島の外に泊まるよりも絶対に島の中のホテルがお奨め

 

 

朝

 

 そして夜が明けるとこんな感じです。

 一団高いところはアスファルトの道路ですが潮が引いている時間は低いところにもたくさん自動車が駐車します。

 聖地のようで聖地ではない、ここは巨大観光施設なのです。

 

 

参道

 

 その証拠写真ともいうべきものがこの島内の表参道。

 自動車さえ通れない狭い石畳の道の両側にはびっしりとお土産店とレストランやホテルが建っています。

 日本人は1%くらいしか見かけません、地元フランスと近隣諸国からの観光客が圧倒的に多いです。

 

 

エナ

 

 最後はオルセー美術館が世界に誇るモネの「パラソルの婦人」

 一緒に写っているのはどうやらこの絵が大好きな東洋人らしい。

 

 サモトラケのニケ」 ルーヴルの数多い展示品の中でも彫刻ならこの作品、そして絵画なら「カナの婚礼」がcologneのお気に入りです。

 

 顔にもホワイトバンドしてた変な東洋人はもう消えました、多分06ドイツW・Cで決勝トーナメントに日本が進出するようなことがあれば、再び現れるかもしれません。

 

 またちゃんとした記事を書くまでの間写真でも見ていてやってください。

 25日限定アップ写真なんてのもありますしね♪

 そして22日の24時を過ぎた頃、簡単に書けば23日に変わった頃だ。
 ようやく北京便に搭乗することが出来た。
 この間、上海への出発便が一便22時頃に飛び立っていったのだが、上海行きに搭乗した中国人と北京行きの中国人は、全く異なる国民のように感じられた。
 これはやはり国際社会に進出してからの経年数の違いから来るものなのだろうと感じた。
 大昔に読んだ読んだ筒井康隆氏の「農協月へ行く」を一人思い出しながら、忘れないように昨日から今日にかけて起こった出来事をメモしていた。

 この頃から悪寒が少しあって、それまで何でも食べてきたお腹から、食欲というものを奪い去って行った。
 やばい、下腹部に違和感を感じてトイレに行ったらやはり血尿だった。
 幸い、石が暴れているような痛みではなく、単純に病み上がりでいきなり1週間も旅してきたことに体のほうが限界を訴えてきたのだろう。
 旅が終わったらこうなるよと、予めセットされていたかのように、予定通りなら日本に到着している頃だった。
 人間の体の仕組みって本当に不思議だなと思いながらも、尿管結石の痛みではないことにほっとした。

 機内ではアップルジュース以外は何も口に出来ず、北京国際空港に到着した。

 もう体力は残り後僅か、クラシックな表現で言えばウルトラマンのカラータイマーがピコピコ状態といったところだろうか。
 

 そして北京到着後一団とは別れてインフォメーションを探す、探す、探す。
 結局見つからないまま空港職員に聞くことにした。
 やっと見つけた受付で、日本が大好きという空港職員にめぐり会う。
 しかしこの青年、グリーンボーイのようで誰からもあまり相手にされていないようだ。
 道案内をしてくれるのは嬉しいのだが、手続き全部が正規で、全く顔パスというものが利かない。
 職員専用エレベータさえ利用させてもらえず、遠くのエスカレータまで歩いて下へ降りてからまた元の場所まで戻ってくるといったありさまだった。
 それでもこの広い空港内を案内してくれていることに感謝した。

 
 そして100元札30枚、3000元を受取り今度は空港内の銀行へ向かう。
 窓口で事情を説明しても、窓口の冷淡な銀行員女性は一切理由を聞こうともしない。
 書類がなければ両替は出来ないの一点張り。
 なあ、だからこうなるから300ユーロで受け取りたかったんだよ、と言ってももう遅い。
 銀行を後にしてCAのカウンターへ直行する。

 
 幸いCAのカウンターには日本人社員がいた。
 CDG空港で元からユーロに両替出来ますと言っておきながら出来ないじゃないか、とクレームをつけると、関空で両替出来るように手配するという。
 口約束はもう信用出来ないからせめて名刺をくださいと申し出ると、名刺をくれて関空でも社員を待たせておきますからとのこと。
 ここまで言われたら了解だし、納得するより仕方ない。
 これ以上の文句は因縁をつけるようなものだと思った。

 
 そして約4時間後、日本時間23日の夜9時過ぎにようやく関空に到着した。
 機内では日本人も多くて、中には「今日も遅れてるよ、30分遅い」なんて文句言ってる人もいた、思わず「30分、そんなの遅れているうちにも入らないよ」心の中で会話しながらゲートまでの通路を歩いていると○○様と書かれたボードの横にCAの社員が立っていた。
 「お待ちしておりました、北京では大変失礼なことをいたしまして、改めてお詫び申し上げます」と先に言われてしまった。
 仕方ないことなので銀行は開いているかと聞くと、この時間は東京○○銀行が開いていることを確認してきたとのこと。
 そこなら何度も為替レートめぐりで知っている場所なのでそこでCAの社員と別れて銀行へ行った。

 

 しかし、1元がたったの11円。
 お金の話であまり最後まで文句を言いたくはないのだが、ユーロならしばらく持っているつもりでいたし、次に使う機会も元に比べれば遥かに大きい。
 そう思っていた最低4万2千円が3万3千円とは、騙されたとは言わないが話が違うだろう、と最後まで言いたい気分だった。

 

 しかしそれとは別に北京から関空までの機内でも何も口に出来なかった体調が、日本の蒸し暑い空気を吸った瞬間にかなり体調が戻ったことが不思議だった。

 
 人はそれぞれ、それなりにいろんな問題を抱えてはいるけれど、海外に出る度に少しはありがたい母国だなとは感じていたが、今回のようなトラブルがあると、体に染み付いた日本人的思考ということがあるにしても、やっぱりニッポンに生まれて日本人でよかったと思える体験が出来てよかった。

 

 

 最後に感想として、英語の語学力の大いなる不足。
 今回も自分の判断で書いている部分もかなりあるような気がします。
 もっともっと英語を勉強しなくては、旅行後10日間くらいそう思ってるんだけど。

 

 そして強く感じ、学んだことは、今回の旅だけで、いろんな国の人たちのことを決め付けてはいけないけれども、そういう体験をしたことは否定出来ない事実として認識しておくことが大事なことだということ。
 世の中のことで、決め付けてはいけないけれど、実際に体験したことはちゃんと認識しておくべきだと考えています。
 そして世界には親切な人間もたくさんいる。
 それは人種や宗教や民族、国家に関係なく一個人として存在していることなのだから。

 

 

 おわり 

 

 長いぼやきに最後までお付き合いいただいた方、感謝申し上げます。 

 ターミナル1からIbisホテルまで行くシャトルバスはすぐに見つけられた。
 ☆2つだが、アメリカンタイプのホテルだから快適そうだ。
 そしてホテルに到着し、チェックインを済ませる。
 夜食は23時からホテル内のレストランで食べれると、フロントで説明を受ける。
 確かにホテル内レストランはこんな時間(22:40)だというのに開いている。
 そして部屋に入り、荷物を置いてレストランへ行く。
 レストランでは店員が先に来ていた中国人に必死で何か説明している。
 要するにスタートメニューから一つ、メインディッシュから一つ、デザートから一つ、ドリンクから一つ選んでレジに持って行き、デザートとドリンク以外は冷凍食品なのでオーブンで暖めてくれるシステムとの説明だった。
 しかし中国人はメインディッシュを二つ選んだり、ドリンクを二つ持っていくためレジで店員が困ってしまって説明しに来ていたようだ、入口にちゃんと書いてあるのに。

 そして自分がレジに並んだとき「これで合ってるよね?」と先ほどの店員にあえて聞くと「パーフェクト!」と微笑んでくれた。

 
 深い意味はない行為だったが、心のどこかで東洋人みんなが勝手な人間だと思われたくない気持ちが無意識にはたらいたのかもしれない。
 そしてオーブンで暖めてもらう間、席で待とうとすると、先ほどまで空いていたテーブルの上にイスが積まれClosedになっていた。
 仕方なく前の客がそのままにして帰っていったばかりの席に座ると、ウエイトレスがすぐ食器を下げに来てくれた。
 よく気がつくな、と感心していたら「このテーブルもClosedだ!」と言う。
 こちらも感心したすぐ後だったので「じゃあ何処に座ったらいいんだ!」と言い返すと横のテーブルの連中と合席しろというようなことを言う。
 仕方なく既に座っていたプエルトリコ系の若い十代と見える男女4人の8人掛け座席に座ろうとすると、露骨に嫌な顔をされた。(あの外国人がときおり見せる最低の嫌な表情、ありますよねアレです!)
 こっちもいい加減不機嫌だったから、思い切り日本語で「いつ、何月何日、何時何分何秒からここはお前らの席になったんじゃボケッ!」と思い切りお盆をテーブルに置いて店を出て行ってやった。(まるでガキの喧嘩だけど相手がガキなんだから、いいか)

 またもや話が横へそれた、ガキとオヤジガキのもめごとは放っておいて。

 
 翌日16時にはまだ30分も早い時間に、指定されたターミナル1の12番カウンター前に到着、そこには列とはとても呼べないカートと人間の塊が・・・。

 
 そしてカウンターには4名のフランス人空港職員と1人の中国人職員がいた。
 列の最後尾がどこなのかわからないまま、カートを押している人の後ろに並んでい待っている、とどんどん手荷物だけの中国人が列の横から割り込んでカウンターの横に張り付いていく。
 そのあまりの傍若無人さに空港職員が怒ったのかどうかは定かではないが、いきなり「このカウンターは今日の搭乗予定者のためのものだ、昨日の搭乗者は裏側に受付を設けるから裏へ回れ!」と言う。

 
 いきなりだったから列の真ん中に並んでしまった自分はすぐには動けない。

 その間中国人団体の代理人たちは、仲間に大声で「裏に並んで、とにかく早く並んでちょうだい!」と叫んでいる。

 

(私見)
 あえて言う。日本ならカウンターを分ける分けない以前に2日分の搭乗者が一定時間に殺到するような指示を出したのだから、このような事態に備えて受付箇所を増やすなりそれなりの対応を事前に準備したはずだ。百歩譲って、もし予想を超える人数が殺到したとしても、いきなり裏側へ回って並べ、などという指示は出さない。ちゃんと並んでいる昨日の搭乗予定者に整理券を配って混乱を避け、公平を期すことを最優先しただろう。

 
 フランスCDG空港の対応に強い憤りを感じた。

 

 なんとか裏側に回って並びなおし、長時間待ってやっと正式な搭乗券を受け取った。(この時点で当然発行されるべき搭乗券が遅れてきた人間の分はひょっとすると発行されないのではないかという、ありえない考えまでが頭をよぎっていた)

 
 そして搭乗券を発行してくれた空港職員に、ボランティアに支払われる300ユーロはどこで受け取るのかを訊ねると、今設置された裏側のカウンター2列のさらに横に先ほどの中国人女性職員が受付を開設していて、そこに行ってくれと言う。

 

 また並ばなければならないのか、それはCDG空港に対する不満であったはずなのだが・・・。

 
 300ユーロを受け取るための列に並んでいると、前から6人目だったのだが、その6人みんなが7人分くらいのパスポートを握っている。
 こういう現金の授受には、パスポートにプラス本人確認と受取のサインを書かせるのが常識ではないのか。
  

 もう日本人として学んできたこれまでの国際的な常識という感覚が、このわずかなフランス人CDG空港の職員と中国人団体によって崩壊していくような気分だった。
 ここはインターナショナルとしては例外的な空間、自分自身に言い聞かせた。

 
 中国人が受付にいる!。

 このことが中国人団体に知れ渡ると、今まで代理人にまかせきりだった団体の中からいろんなオヤジが現れた。

 列の横から大声で不平不満、あるいは中国人を優先させろといった内容のことを言っている。

 CAは中国人のための航空会社だと思っているようだ。

 それでも列に並んでいる他の中国人に、「今はお前の順番ではない!」と言われたのだろう、渋々後ろへ下がった。
 しばらく経って後3人で自分の順番が来るというところで、隣の列から若い中国人カップルが搭乗券を受け取ったのだろう、隣に来た。

 最初自分を超えて、隣にいる中国人に話しかけ、列の最後尾を見てすごい列だと驚いた表情を見せたのに、そこから離れない。
 これは例の横入りの手口だと察し、絶対に入れないように頑張ったが、怒りの感情というよりは、段々と情けなくなってきた。
 たった何日か中国人と同じスペースにいるだけだったが、彼らはパリの街でも同じだった。

 列の横に来てしばらくじっとしていると思ったら、列が動くときに平気で割り込み、しかも前へ入ろうとする。

 ここは私が先に並んでいたと抗議しても、平然とした顔で「そうだった、気がつかなかったけど」と言う。

  

 老若男女を問わずだ!!!!!

 
 日中の領土問題をここで持ち出すつもりはないのだが、国際社会という中で、日本人にはまだ「恥」という意識と行動が少なくとも存在している。
 どんなにチャラチャラしているように見える日本人でも、その感覚は僅かではあっても残っているはずだ、これはブランド品を買いあさることとは全く次元の異なることだ。

 
 自分はやっぱり日本人だ、そしてそれを誇りに思えた瞬間だと言うにはあまりにも情けないシチュエーションであった。

 
 中国の人たちも、ひとりひとりは普通の人たちだし、仲間意識が非常に強いだけなのだろうが、こういった場面での自分たちの行為というものを、もう少し「謙虚」という態度で見直すことが必要な時期に来ているのではないか。

 
 このことは自分の順番がきたとき再び横からオヤジ中国人が出てきて中国人空港職員の女性に大声で何かを言ったとき、女性職員が毅然とした態度でその行為を叱り、自分に対して、すまないと言ってくれたことに現れているように思う。

 
 国際社会に先に出て母国中国を愛する気持ちと、その母国人の態度が国際社会では通用しないことへの苛立ちが垣間見えたような気がした。
 

 
 しかしながらそんな受付の中国人女性でさえ、300ユーロのキャッシュ受取という約束は簡単に破られることになった。金額ではない約束なのだ。

 300ユーロではなく3000元を中国北京到着後に渡すと言うのだ。

 
 300ユーロと3000元の違いについてどう違うかまで、こうなったら書いておこうと思う。
 1元が14円で、1ユーロが140円なら為替的には同じだと考えるのなら、それは全く違う。
 ユーロにしろ元にしろ、その国にとっての外国人は、空港内で事前に両替した証明なしには通常両替出来ないのだ。

 両替出来るケースもあるが、そもそも300ユーロという「約束」をCDG空港職員と交わしたものが、どうしてAIR CHINAの都合で元に変更させられなければならないのか。

 まして北京には乗換のためだけに立寄る(5時間)ので、空港から出ることも出来ない。
 そのことを言うと、北京で両替出来るという。
 押し問答になってきてしまい、結局泣き寝入り状態で納得するほかなかった。
 

 

 つづく  (次で終わります はぁー長い 50時間は長い)


 手荷物検査では精一杯の笑顔で「23時になってないけど帰ってきたんだけど、なあんだ通れるんだ!」と言ったつもりだが、この皮肉は誰にも通じていないようだ。(そうまるでタイと宮崎に住む日本人の寒いギャグのように)
 手荷物ゲートを通過し、中に入るとすでにそこは中国人のそれぞれの団体で溢れんばかり、なんとか隅のほうに空いている席を見つけて座った。
 しばらく経った頃、騒がしさに大きな待合室の中心の方を見ると、CDG空港の職員によって毛布が配られていた。
 慌てて毛布をもらいに行ったが、もう配っている職員の遥か手前で毛布はなくなってしまった。
 当然人数分の毛布が配られるものと信じて待ってみたが、二度と毛布が配られることはなかった。

 
 間違っている、絶対に間違っている、CDG空港の中途半端な対応は絶対におかしい。配るなら人数分ちゃんと用意すべきだ、そう思いながらも元の席に戻った。

 
 また数十分が経過した頃、館内マイクを通してではなく、一中国人女性が大きな声で何か説明しているような感じで話を始めた。
 そしてその女性が話し終えた後、中国人団体から歓声と拍手が巻き起こった。
 
 ここで注意しておきたいが、あくまでも歓声と拍手であった。そうまるでこの待合室で誕生日を迎えた人を祝うような歓声と拍手であったことは正確に記しておきたい。
 
 それからさらに10分後、フランス語の館内放送があった。
 何を言っているのか全くわからない、通常フランス語放送の後に英語アナウンスがあるから必死で聞き逃すまいと集中して待ってみたが英語のアナウンスは最後までなかった。

 
 そうこうしているうちに毛布を抱えていた中国人の中から、別の中国人に毛布を渡したり、集めたりする人が現れた。
 追加の毛布がもらえるのかもしれないと思い、空港職員のいるカウンターに行くと、職員の方から「ボランティアの人ですか?」と逆に英語で聞かれた。
 事情を聞いてみると「朝の便と夜の便を合わせて今日は1便しか出発しないことになったとのこと。
 だからSTAYするボランティアを人数制限で募集している、そして空港近くのIbisホテルを手配し、夜食と朝食にプラス300ユーロ(約4万2千円)を明日現金で空港内で支払う」との説明だった。
 ここまで遅れていて、しかもすぐには到底出発出来そうもないと、とっさに判断し、また集合時間も明日の16時ということもあり、この旅がトラブルの連続(後日記)だったこともあってボランティアを申し出ることにした。
 明日の仮搭乗券を空港職員から受け取ると、先ほどなかなか通れなかった手荷物ゲートとパスポートゲートを出て、空港12番出口からIbisホテル行きのシャトルバスに乗車し、ホテルで宿泊するようにと言う。
  

 あのゲートをまた戻るのか、戻る距離よりもゲートを通れるのかどうか不安だったが、もう出るしかない、自分で決めたことなのだから。

 そして手荷物ゲートを出ようとすると、検査官が呼び止める。

 「やっぱりかよ!」と振り向くと、「そっちは入場口だ、出口はあっちだ」と教えてくれただけだった。

 
 約300mの動いているMWは、一泊することが決まったこともあり、それほど遠いとは感じなかった。
 そしてパスポート検査のゲートに到着、そこには既にSTAYを申し出た中国人団体約20人が並んでいた。
 実際のSTAY希望者はもっと多数のはずだと思ったが、もう随分時間が経過していることから推測しても既にゲートを出ているのだろう。
 そんなふうに推測してみたが約20人の団体はゲートを通れないようだ。
 そして警官詰め所から責任者らしき人物が出てきて英語で説明を始めた。
 「貴方たちひとりひとりを記憶して通過させるようなことは当局として出来ない、ちゃんとした報告書類も来ていないのだから。」といった内容だった。
 ようし、書類を作ってもらって来ればいいんだな、再び手荷物ゲートへと動かないMW上を300m歩いた。
 そして先ほどホテルの手配を説明してくれた空港職員にそのことを話するとすぐに電話をかけ、「日本人3名、名前は○○○シルブプレ」といったかどうかは知らないが話をつけてくれた。
 再び今度は動いているMWを300m、パスポート検査ゲートへと戻る、これで3往復完走だ。
 ゲートでは先ほどの団体の代表がまだ交渉していた、その横を通り抜けようとするとポリスが制止しようとするが、警官詰め所から一人が出てきて「日本人3人なら通過させてもいい」というようなことを言ったのだろう、無事通過できた。
 後方で中国人団体が騒ぎ始めたが、もうそのことに関して考える気力はなくなりかけていた。


 つづく

 旅行の感想は小さなトラブルが続出したものの、それらを上回る喜びや満足感があり、納得のいくものだった、このことは後日また報告させてください。

 
 今回の旅もまた航空券と宿泊先のホテル、総てネットで予約してのものだった。
 ただ今までと違っていたのは目的地へ向かうのが日本からの直行便ではなく北京経由で、航空会社がCA(AIR CHINA)であったこと。
 従来なら格安チケットを求める場合でもJALやANAを中心に検索し、それ以外でもKLMやLHなどでチケットを探していたのが、今回どうしても納得出来るのが見つからなかったり、キャンセル待ちもすでに満杯状態だったこともありCAで行くことになった。
 関空から北京行きは定刻とおりであり、機内も日本語アナウンスでなんら違和感はなかった。
 そして北京市内のホテルで一泊後、乗換便でもなんの問題なく、CDG空港(シャルル・ド・ゴール空港)に到着した。
なぜか到着ターミナルが旧い建物であるターミナル1だったのが気になったのだが。(現在はほとんどの大手航空会社はT2に発着している、ANAはJALとの兼ね合いでT1となっているようだが)
 
 そして5日間の旅を終え、帰国の途に着くため再びCDG空港に到着したのが現地時間21日夕方3時半頃。
 CDG空港のT1に到着して最初に確認したのが出発便の予定。
なんとCAの北京からの到着便だけが遅延(Delayed)しかも今朝8時の出発便でさえDelayedのまま。
 それでも搭乗券(BoardingPass)は発行され24時発との予定、そして18時30には指定された空港内レストランで遅延のための待ち時間分としての食事のサービス券が支給された。
 こういった場合指定された時間に行かないとトラブルになるケースが多いので指定時間にレストランに行くことにした。
 そこには遅延2便分の乗客とおぼしき中国人の団体がすでに大勢いた。
 
 予め断っておきたいこととして中国人やフランス人に偏見をもって書くつもりは一切ないこと、すべて客観的に見た事実を書いていくつもりだ。
 個人的な感想は「私見」と断りを入れるつもりである。
 
 実は3時間前にCDG空港到着後、搭乗券発行に際し、列の最後尾に並ぼうとしたとき、いったい最後尾がどこなのかわからないくらい列が横に大きく膨らんでいた。
 その中から最後尾と思われる中国人に、ここが列の最後尾かどうか確認して並んだ。
 まもなく、別の場所から現れた別の中国人の一団が先に列を作っている中国人に近づいて行く。そしてなにか話しながらその場を離れない。
 そのうち列にいなかった中国人たちがそれぞれパスポートを後から割り込んだ中国人に預けて行く。
 勿論、搭乗券発行の際には団体旅行であれば添乗員が人数分を預かって代理人として並ぶケースは当然のこととして日本でもあることなのである程度理解はしていた。
 しかし彼らは違っていた。知り合いでなくてもよいのだ、同じ中国国民であれば。
 知り合いでなくても話をする、そして列に居座る。ここで以前からここにいたという既成事実を作り上げる、そこへ知り合いが現れ次々と自分のパスポートを渡す。これを延々と繰り返すのだ。
 それから彼らの別の特徴として、人が多い場所や列で隙間が空いていようといまいと、彼らは無言で人を押しのけて通ったり、列に加わってくる。
何度押されてよろめいたかしれない、男女に関係ない危険で野蛮な行為だ。
しかしそんな中国人の中にも、ちゃんと合図を送ってきて、通して欲しいという人も一人だけいたことはちゃんと書きとめておきたい。

 

 話が少し本題からそれ気味なので本題に戻ることにする。

 レストランで食事を終えた後出発時間が変更された24時まで後4時間あまりとなったので、搭乗ゲートまで行って、そこで待つことにした。
 パスポート審査のゲートでは陽気なおばちゃん空港ポリスがパスポートをみるなり「コンニチハ!マタネ♪」と最高の笑顔で送り出してくれた。
 今回の旅で日本語を話すフランス人に出会ったのは彼女で二人目だったので最高に寒いギャグ「ウレシーボク」と返しておいた。

 
 そして5番ゲートへと向かう約300mのムービングウォーク(MW)、なぜか「出発」方向だけが停止している。

 定刻便の出発がない時間帯とはいえ、まだこれから2便も出発便あるのに時間だからという理由だけで停止させるのか。

 これがメインのターミナル2でもそうするのか、大いに疑問を感じながらも歩いた。
 MWの簡単な操作手順なら知っているので、勝手に操作してやろうとしたが、マスターキーが抜いてあった。
 手荷物だけとはいえ、ワインなど割れないためのものを手荷物にしたものが多いため、アップダウンのあるMWは疲れた体にはかなりの道程だった。

 
 そして到着した出国ゲート(手荷物検査ゲート)前、ところが今度は免税店が店を閉めるためシャッターを降ろし始めている。
 出発が遅れている乗客に対してそれはないだろう、と言いたいところだがここはヨーロッパ、しかも個人主義ではイギリスと双璧をなす国フランスだ、仕方がないとあきらめる。
 ところが肝心の出国ゲートまで閉まっている。
 ゲートの向こうには、かなりの人数の中国人グループが既にゲートを通過しているのにゲートを閉鎖しているフランス人検査官が通さない。
 30代の、東洋人を毛嫌いしたような嫌な態度の野郎だ。
 これがこのゲートの責任者だから最悪だ。

 他の検査官になぜ通ないのかしつこく聞いていると、さっきの責任者が出てきてこういった。

 「お前たちは19時15分発の便の搭乗者だ。朝の8時発の便の搭乗者と一緒に中に入れたら中が満杯になる、だから23時になったらここを通してやるからそれまではだめだ。」
 この時点で、この兄ちゃんは人の意見を全く聞かない「ダイハード2」に出てくる空港警察署の署長みたいな頭の悪い奴だと思ったので、おとなしく引き下がった。
 なにせここは個人主義国家フランスだ。(もうええか)
 19時15分なら、とうに過ぎているから、朝の便の搭乗者であろうが関係ないはずだが、大人の余裕で引き下がることにした。

 
 今来たMWをまた手荷物とともに引き返す。

 途中反対側を出国ゲートへと向かう中国人の団体と何度もすれ違う。そりゃそうだ、最初のパスポートチェックは通過できるのだから、搭乗者はみんな時間的にも同じ行動をとるだろう。
 そしてこの時点では当然再入国出来るものと考えていた。
 先ほどの陽気なおばちゃん空港ポリスに引き返してきた理由を言ってゲートを通過させてくれと言うと、笑顔は一瞬で消え「ダメ!それは出来ない」と完全拒否される。
 そこで約5分間いろいろ訳のわからない身振りや言葉も入れながら話をしても通してくれない。
 しかたなくあきらめてMWの前で座り込んだ。
 

 出国ゲートは出たのにここはフランスではないフランス、まるでトム・ハンクスの「ターミナル」状態じゃないか。(映画はまだ観ていないのだが)

 
 もう一度、この停止しているMWを歩いて手荷物ゲートまで行ったところで通ることはできないのだから・・・。
 待つこと5分、さっきここに戻ってくるときにすれ違った中国人団体が一人も引き返してこないのはどういうことだ。
 よく考えて見れば、パスポート審査のゲートと手荷物検査のゲートの間にはMWがあるだけで、この空間に人が溢れてくれば、仕方なく手荷物ゲートを通過させるしか方法がないないことにようやく気がついた。

 
 自分が日本人でお人よしなことに、この時点では自分に怒っていた。
  

 そして手荷物ゲートへと今日二度目の動かないMW上を歩く。
 やっと着いた先ほどの手荷物ゲートでは、中国人の団体が列らしきものを作って、やはりゲートを通過しているではないか。しかも先ほどの検査官の責任者などは、仲間と談笑しながらその団体を見送っている。
  

 よし、ここまで筋をとおして指示通りに行動してきた自分に誇りをもって、最後まで行動してやる。そんな決意がめらめらと湧いてきた、怒りとは別なパワーとして。


 つづく

 ひょっとして心配していてくれた方々、ご心配かけましたが昨夜(23日)遅く、なんとか無事帰国出来ました。


 たくさんの方々に留守の間暖かいメッセージをいただいておりましたこと、感謝しています。

 全部の方々にお返事するつもりですがまずはこの場でお礼を言わせてください。

 ありがとうございました。


 帰国は22日の便を予定していて、実際CDG空港(シャルル・ド・ゴール空港)に帰国するために到着したのが現地時間21日夕方の3時、そこから関空に到着し、帰宅するまで約50時間かかったことになります。


 この件についてはトラブル続発でも内容的に大満足だった旅とは別にドキュメンタリー番組が一本作れるほどの話なので、早ければ今夜にでも旅の報告よりも優先して記事にしたいと思っています。


 まずは無事帰国しましたので 


 「ただいまデス!」

必死の夏休み

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  16日から22日まで旅行に行きます。

 今回の目的地はパリ。


 予算と日程をいろいろ考えているうちに直行便のチケットがほとんどなくなってきたので直行便はあきらめました。

 北京経由のパリ行きです。


 日曜深夜に尿管結石の激痛に襲われ救急車で病院に搬送されモルヒネ2本打ってもらってやっと痛みが治まった後なので発作が少し心配なのですが・・・。

 まあ痛み止めの座薬10カプセル持参の決死の旅になりますが、日本人らしく必死でバカンスしてきます。

 また23日に戻ってきたら更新します。


 では行ってきま~す。