20世紀後半、かつての植民地であった地域の出身者が、再び労働者として新たにイギリスに移民してきた。

 高度な大人社会であるイギリス(中上流階級生活者)は彼らに英国籍を与えコミュニティー単位で統計を計り、表現の自由も保障した。

 もっとさかのぼった昔、インド及びその周辺国から、多くの人々ががイギリスに移民してきた。

 しかし彼らは独自の集団生活団体として生活し、一般のイギリス社会にはほとんど溶け込まなかった。

 しかしイギリスは長い植民地支配の経験から、異民族の文化を否定し、彼らに同化を強要することは激しい抵抗にあうことを熟知していたので、異なる文化を持つコミュニティーに平等な権利を保障し、多文化主義を成立させてきた。

 実際その当時の移民集団は20世紀後半に移民してきた人たちとは異なり、静かにイギリス社会の中の異文化集団として暮らしてきた。

 

 そんな中、イギリス中部ブラッドフォードやリーズの工業地帯は繊維産業の衰退とともに経済が停滞し、パキスタン系移民のの若者たちに閉塞感が強まっていた。

 人種差別だけではなく「9.11テロ」以降はイスラムに対する嫌悪に直面させられた。

 これについては高度な大人社会といっても繊維不況により労働者を解雇していく場合、どうしても経営者サイドとしては自分たちの社会に溶け込まない異民族、異宗教の人間を選んだことは、いたし方なかったことだろう。


  そして遡れば80年代「悪魔の詩」の著者サルマン・ラシュデイ氏にたいしてホメイニ師が死刑を宣告したさい起きた騒乱はブラッドフォード、そして今回の事件の容疑者たちが暮らしていたのはブラッドフォードに近いリーズ。

 これらの若者の中に満たされぬ想いを来世での幸福に託し、イスラム回帰を求めたのは自然な流れだったといえる。

 つまり母国の過激なイスラム教徒が米英軍の攻撃や指導者拘束を恐れ、イギリスのこれらの地方に逃れ、テロをイスラムの敵と戦う「ジハード」だとささやき続けることで信仰を暴力へと誘導したと思われる。

 98年、エジプトのルクソールでのテロ事件もムバラク政権のイスラム弾圧に端を発している。

 こういった事件やブレア政権下のイギリスのイラク戦争参戦により、かつての民族的同胞が虐げられる事態に、イギリス国籍を持っているという帰属意識よりも遥かに強いムスリムとしての覚醒をもたらしたのではないだろうか。


 上記の内容については一橋大学教授の内藤正典氏が今回のロンドンの爆破テロに関して見解を述べておられたのを拝読し、非常に興味深い内容だと感銘を受けたので是非紹介したいと思い要点を集約したものである。

 

 直接対策的なことを書くのではなく、イギリスという高度な大人社会の国にテロが芽生え、実行に至るまでの経緯を推測し分析したものだ。

 

 異文化に寛容ではないフランスでは、フランス社会に適合したイスラムに変容させようとして一部のムスリムの強烈な反発にあっている。

 そして一方、異文化に寛容であったはずのイギリスでこうしたテロ事件。

 多文化主義や同化促進ではテロリストが育たない土壌を作るには限界があることが立証されたのが今回の事件だ。

 これから非テロ社会を作り上げていくにはムスリムが肌で感じている不公正感を認めて緩和し、異質として放置する姿勢を改め、相互交流による相互理解以外に和解し、共に平等に平和に暮らす道はないのではないか。


 「理想論」、「机上の空論」として、こういった考え方を否定することは容易い。

 しかしテロ事件の犠牲者を慈しみ、加害者を憎むだけではなにも生まれない、解決しない。

 自分は無宗教だが、宗教は否定するものであってはならないと考えている。

 宗教の教えが悪いのではないはずだ、それを解釈する人間の側に問題があるだけだと考えているのだが。



 最後に

 

 政治的・宗教的なことについて出来る限り片寄った表現や批判をしないように配慮したつもりですが、問題点等がありましたらご指摘ください、検討のうえ改めさせていただきます。

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 久しぶりにプロ野球、阪神タイガースの話。

 昨日「巨人VS阪神戦」のTV中継を見ていて阪神タイガースは巨人相手に戦っているのではないと感じた。

 もちろんいずれ決着をつける中日を見据えて戦っているわけでもなかった。


 遥か彼方にいる本当の強敵スフトバンクホークス、それに対抗出来る投手力を誇る千葉ロッテ、この2チームを相手に日本シリーズを勝つにはどうすればいいか、そんな高みを胸に戦っているように感じた。

 

 全部の試合に勝てるわけではないのに負けたゲームにさえ勝機を見出せるような気迫と集中力。


 勝敗は別にして、ソフトバンクホークス打線と阪神投手陣の対決、ロッテ投手陣とタイガース打線の対決、どちらも見てみたい。

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 ニュ-ヨ-クが誰より似合う奴、夜がとても似合う奴、そんなビリー・ジョエルの元気な姿を再び見たいものだ。

 彼の73年の作品「ピアノマン 」。

 この曲がこんなにも憂いを含んだもの悲しく寂しい曲だったなんて、若い頃にはわからなかった。

 こんな驚きがあるなら、歳とっていくのも悪くないかな、なんて思った今日の午後。

 

 

 ピアノマン  ビリージョエル

  

土曜日の夜9時
見慣れた奴らが集まってくる頃
一人の老人が隣に座ってジントニックのグラスを撫でている


若いの 思い出のようなのを弾いてくれないか
どんな曲だったか忘れてしまったけど
少し悲しいげでほろ苦い味だったやつだ


歌ってくれピアノマン
今夜は俺たちのために歌ってくれないか


政治学を勉強しているウエイトレス
今夜もまた酔いつぶれていく企業戦士たち

彼らは「孤独」と呼ぶ名の酒を酌み交わしている
それでも一人で飲むよりはまし


そのピアノの音色はまるでカーニバルのようににぎやかで

マイクにはビールの匂いが染みついていく
そして彼らはカウンターに座ってこう言うんだ
ところで きみはここで何をしているんだ 



 PIANOMAN  BILLY JOEL

 


It's nine o'clock on a Saturday
The regular crowd shuffles in
There's an old man sittin' next to me
Making love to his tonic and gin

He said, son can you play me a memory
I'm not reall sure how it goes
But it's sad and it's sweet


Sing us a song you're the piano man
Sing us a song tonight


And the waitress is practicing politics
As the businessmen slowly get stoned
Yes they're sharing a drink they call loneliness
But it better than drinking alone


And the piano! it sounds like a carnival
And the microphone smells like a beer
And they sit at the bar and put bread in my jar
And say, man! what are you doin' here

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 今日はこのブログタイトルにも大きく関係しているキング牧師と、サイモンとガーファンクルの話。

          キング牧師

           マーティンルーサーキングJr キング牧師

人種的、宗教的にも異なる二人がアメリカの近代史に政治的、音楽的にどう関わったのかを簡単に振り返ってみた。

サイモン&ガーファンクル

 サイモン&ガーファンクル


 アメリカ大陸を発見したのは確かにコロンブスかもしれないが、ここを新大陸と実証したのは、アメリゴ・ベスプッチという人物。

 そして新大陸にアメリカ(America)という名前がついた。


 「アメリカ人という定義を考えるといやな気持ちになる。この定義はみんなが平等じゃない。少数民族を含んでいないからだ。」

 かつてポールサイモンが言った言葉だ。
 サイモン&ガーファンクルは、このアメリカで生まれ、育った。

 ユダヤ人は、全世界で約1300万人。

 世界の人口のからみれば0.2パーセントでしかない。

 アメリカに住むユダヤ人はこの内、約500万人。
 ポール・サイモンもアート・ガーファンクルも両親はともにユダヤ人だ。

 しかし彼らは、ユダヤ教の厳格な環境に反発した。


 「どう考えてもユダヤ人として行動しなければならない理由が分からなかった。どうして普通のアメリカ人として呼吸しちゃいけないんだろうと思っていた。」


 このことはポールの作品「霧のブリーカー街」に書いている。
 彼らは、当初いかにもユダヤ人の名前であるサイモン&ガーファンクルという名称を嫌った。

 ユダヤ人であるということはいろんな場合において、ときにバッシングの対象とされるからだ。

 それは同じユダヤ人のボブ・ディランもロバート・A・ジマーマンという本名を隠していたことからもうかがい知ることができる。

                ボブ・ディラン

                 ボブ・ディラン


 一方、黒人女性が白人乗客に座席をゆずるのを拒んで逮捕されるという人種差別的事件をきっかけに、黒人牧師「マーティン・ルーサー・キング/Martin Luther King Jr.」通称「キング牧師」を指導者として、公民権運動は一気にアメリカ合衆国全土に拡大した。
 結果、非暴力直接行動の勝利で、キング牧師 は公民権運動の指導者として注目されることになった。
 1963年、キング牧師が25万人のデモ隊とともにワシントンまで大行進をする。

 ここに公民権運動はピークを迎える。
 

 そんな1965年の夏、公民権運動に参加していたポール・サイモンの大学時代の親友らが殺害されるという事件が起こる。

 
 ポール・サイモンは大きなショックを受け 「He Was My Brother/私の兄弟」を書いた。


 この頃、黒人の集まる多くの教会が焼き討ちという卑劣な被害に遭う。
 1968年、キング牧師が暗殺者の凶弾に倒れる。

 

 「He Was My Brother/私の兄弟」
 「A Church Is Burning/教会は燃えている」
 

 これらの曲はこのことを書いたものだ。


 そして名曲「America/アメリカ」はこうした中で生まれた。
 

 怒りを抑えた静かなメロディーにより深いものを感じるのは自分だけだろうか。



 以下は参考文献からの抜粋である。


 当時、体制を批判し公民権運動を支持する、こうしたプロテスト・ソングは数多い。
 現在の若者に単なる " 風流な歌 " と誤解されやすいボブ・ディランの " Blowin' in the wind " <風に吹かれて> (後に " PPM (ピーター・ポール&マリー) "によりカバーされて大ヒット) も 『 議論が風のように舞い上がっている状態 』を風刺した曲と言われている。

PPM

 P・P・M (ピーター・ポール&マリー)

 1952年、ニューヨークでアラン・フリード ( Allan Freed ) というDJが『ムーン・ドッグ・ショー』( " Moon Dog Show " )という番組をやっていた。
 番組のタイトルはマンハッタンにいた有名な乞食の名前から来ている。ある日、裁判所からの命令で番組名を変えることになった。
 

 そこで彼は、『アラン・フリードのロックンロール・パーティー』( " Allan Freed's Rock'n'Roll Party " )にしようということにした。

 この時、初めて 『ロックンロール』 という言葉がこの世に生まれた。

 それ以降、カントリー、ブルース、デュワップといった音楽すべてロックというようになった。」 (ポール - " Paul Simon Solo ")

 セックスを意味するスラング " rock and roll " にヒントを得てアラン・フリードがこれらの曲を、 " rock'n'roll " と呼んで紹介したのがその起源といわれている。
 この時代、アメリカではまだ人種差別の意識が強く、白人がR&Bなどロックンロールの原点となった黒人の音楽に手を出すなどということはありえなかった。
 そういう中、白人がロックンロールを歌い、大きなビジネスへと展開させ、白人と黒人の若者たちが同じ音楽を楽しむということは、それまでの慣習を大きく打ち破る衝撃的なものであった。
 つまり当時、アメリカ社会で蔑視されがちだった人種的・社会的差別に対するムーブメントの一つが" ロックンロール "でもあったのである。
 その中心が、" キング・オブ・ロックンロール - エルヴィス・プレスリー " の存在であり、ポールにとってプレスリーは多くの若者同様、アイドルであった。


エルヴィス・プレスリー

  エルヴィス・プレスリー


 「僕がギターを始めたのは、プレスリーのようになりたかったからだ。」
 「僕は、憧れのエルヴィスが着ていたラベンダー色のシャツが欲しくてニューヨーク中を探し回ったことがある。」


1950年代、" Hudson River " と " East River " (イーストリバー ) に挟まれたニューヨークにフォーク・シーンの聖地があった。
 " Broadway " (ブロードウエイ)の南にある " Greenich Village " (グリニッチ・ビレッジ)、とりわけ" Bleecker Street " (ブリーカー・ストリート) と " Macdougal Street " (マクデューガル・ストリート)が交わった一帯である。
 ポールとアートだけでなく、ボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリー、レナード・コーエンなど若手フォークのシンガーたちは毎晩ここで歌っていたという。

 
 この頃、アメリカの若者の風俗や周囲を流れるロックンロールは、1959年については映画 『 スタンド・バイ・ミー 』 ( "Stand by Me " - 製作1986年、監督ロブ・ライナー、原作スティーヴン・キング ) で、1962年については映画 『 アメリカン・グラフィティ 』 ( " American Graffiti " - 製作1973年、監督ジョージ・ルーカス) でうかがい知ることができる。


 こうやって簡単にアメリカの直近近代史を駆け足で振り返るだけでも音楽や映画に人種・宗教・事件というものが大きな影響を受けていることが容易に想像出来る。

 「9.11」や今回の「ロンドン地下鉄同時爆破テロ」についてもそれは当然のごとく影響を及ぼしてくることになるのだろう。


安全係数と手抜き

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 最近談合容疑による大物逮捕者が出たので建設業者も一見自粛しているように見えるが、どっこい談合はなくならない。

 一般市民から巻き上げた巨額の税金を設備投資という形で動かすことによって、この資金の中から政界へと流していかなければならない費用を確保するためにも、業者同士も工事の安定受注を確保したいからだ。

 たまに目立ちすぎた大物の中の小物だけが、見せしめ的に逮捕されるのでしばらくの間だけ自粛したように見えるだけ。

 これが大手といわれる業者の裏側だが表の顔。


 公共工事は誰もが名前を知っているゼネコンといわれる大手建設業者がほとんどの工事を落札するが、実際現場で作業するのはほとんどが下請け孫請けといわれる小規模の土建屋といわれる業者の作業員。

 役所がなにか公共事業を発案し、設計する段階で必ず設けるものに「安全係数」がある。

 通常考えうる重量限界を算出したうえに、さらにこれだけ上乗せすれば計算外の事態にも耐えられると考えられたのが安全係数。

 そしてそれを逆手にとる悪質業者がいるのもまた現実。

 全ての業者がそうだとは言わないが、同じ強度ならば安く仕入れが出来る材料を使いたくなるのが人情。

 ここでまず指定された材料以外のものが使用される可能性が生まれる。

 次に孫請け等の、実際に作業する業者、現場で発生した廃材等はすべてきちんと処分しなければならないし、最近は厳しいシステムになっているので簡単ではないが、どんな場合でも抜け道はある。

 そんなこんなで安全係数を逆算した、手抜きといわれる工事が行われているのも現実。

 具体的にどこが、どれがなんてことは証明出来ないが、一つの可能性として注目してもいいと思えるのが埋立地の「地盤沈下」現象。

 埋立地に埋設する土砂の選別や順序、量などについて設計者は万全の計画を立て安全係数も3割増しにしたとする。

 1のものが1.3になるわけだから計算上の地盤沈下度が1mならば約70cmで沈下は治まるはずだ。

 もちろん地盤という自然が相手なので想定外のことが起こる場合もあって当然だ。

 しかし想定外の地盤沈下が多すぎる。

 これだけ地質学や計算が正確になってきた時代に、あまりにも想定を超える地盤沈下が多すぎるのもまた現実。

 ここで仮に、施工する業者がどの段階かは不明にしても、実際の設計に対して3割の手抜きがあったとしたなら、安全係数計算後の1.3に対して3割の手抜きが実施されればその答えは0.91、最初の1を下回ることになる。

 これはいくら安全係数を上げても同じ結果になると考えられる。むしろ危険度が増すだけといえるだろう。

 

 自分たちが手抜き工事をしたことで大変な事故が起こるかもしれない。 


 これさえ人間のモラルとして守っていれば問題の本質は極めて単純なことなのに。


 多くの建設業に携わる業者は真面目にきちっとした仕事をされています。しかし悪質な業者、人間が存在していることもまた事実です。

 なかには公共工事以外で、仕事はきちっとしているが高額な見積もりや請求をする業者もいます。

 みんなが見つめる、みんなが注目することがこういった問題を少しでも減少させていくもっとも有効な手段ではないでしょうか。


 腐りきっていたどこかの公団でさえ、腐った中にも、まだ新芽と呼べる段階にはなっていなくても、将来新芽になる可能性のようなものは確実に細胞分裂を繰り返しながら形成されていっているのではないかと期待しています。

 いわゆる青春物、まだ現在ほど多くの『青春の聖書』と言われる小説が少ない頃だった。

 田舎から出てくる話ならたくさんあったけれど。

 そんな時代に書かれたのが、現在の都知事石原慎太郎氏の『野蛮人の大学』と『野蛮人のネクタイ』。

 たいした個性も魅力もない主人公『ゲンちゃん』が仲間の『ヒシ』たちと繰り広げる現実離れした荒唐無稽な話の数々。

 『ヒシ』の間の抜けたキャラ以外あまり覚えていないけど、ゲンちゃんが言った「言葉」で唯一好きだった「言葉」がある。


 『 Look over your shoulder I'm walking behind You. 』 

ハキダメに・・・

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 大阪天満、日本一長いと言われる天神橋筋商店街のある町としても知られている。

 自営業をされてる方が多い町なので、ガラはけっして良くはない。

 大阪を知らない人間が口のききかたを間違えればボ○ボ○にされることもあった。

 <今はそんなこと全く、いや少ししかないです、念のため。>

 cologneの古くからの友人も多く住んでいる町。

 この町に「K三兄弟」という有名な兄弟がいた。

 印鑑に文字を彫るのを商いとする家に生まれた男三人の兄弟。

 長男と次男は東大、そして大学院へと進む。

 出来が悪いと言われた末っ子も京大に進学した。

 同じ高校ではなかったけれど、近所に住む同級生を通じて知り合った。

 頭のいい兄を持った者同士、すごく気があった。

 遊びをあまり知らなかったみたいで競馬・麻雀・タバコ・パチンコみんな教えて連れて行った。

 パチンコ屋ではパチンコ球に油をつけると抵抗が減ってよく入るから「顔に浮いてる油をパチンコの玉に塗れよ」、と冗談で言ったら素直に本気にして、顔を手でこすってはせっせとパチンコ球を握って顔の油を塗っていた。

 偶然だったのだろうが、良く入って彼一人が大勝ちした。


 そんな彼の唯一の趣味が音楽。

 普段何も話さないのに、家に遊びに行ったらレコードだけの棚が天井から床までびっしりだった。

 M・T・B(マーシャル・タッカー・バンド)やN・G・D・T(ニッティー・グリティー・ダート・バンド)、CSN&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング)等長い名前のバンドはなぜか彼から教わった。

 そして彼は大学卒業後、大手酒造会社に就職、東京へ行ったことにより会う機会もほとんどなくなった。


 そして数年後、会社の警備を当社に委託してもらえませんかと、飛び込みの営業マンが会社を訪れた。

 正確には営業マンではなく、警備会社の代表取締役の女性が営業活動でcologneの勤務する会社を訪問したのだった。

 まだ20代半ば、cologneより少し年下という感じの、気の強そうな美人だった。

 珍客という感じで応対していたら、会社の所在地が天満とのこと。

 多分知らないだろうと思いながらも「天満といえば有名なK三兄弟知ってる?」一応聞いてみた。

 「エッーー!、K三兄弟さん、すぐ近所ですよ、頭よくて優しくて、小さい頃よく一緒に遊んでもらいました」

 一気に話がはずんでしまって、思わず「天才っていうのは、ああいうガラの悪い町から突然変異のように現れますね」と口がすべって言ってしまった瞬間、女性社長が「天満をハキダメだと言うんですか!」凄い剣幕で言われ、こちらがしどろもどろになっていると、畳み掛けるように「そしたら私は鶴ですかっ!?」 


 近くで話を聞いていた総務部長や総務の他の社員まで爆笑の渦になった。


 こちらがつい口を滑らせて言ってしまった暴言を、聞かなかったふりはせず、きっちり暴言として抗議し、そのうえでサラリと笑いに切り替える頭の回転の速さとセンス。

 それ以来その警備会社にセキュリティを任せるようになりました。

 

 K三兄弟の末っ子、cologneの友人はその後大阪に戻ってきたのですが、営業活動のための新地クラブめぐりで、底なしと言われていたくらい強かったお酒で体を壊してしまいました。

 毎晩一軒のお店で挨拶代わりに水割りを一杯付き合いで飲むだけでも、一晩に最低20軒のお店を訪問しなければならない。

 体壊す前に、お酒断ればいいのに、頭はすごくいいけど、それ以上に人間がいい奴だから断れなくて、出された水割り、体調が悪くても訪問した全部の店で、総て飲み干してから次のお店に周っていたそうです。

 

頭も人柄も最高の友人、K三兄弟の末っ子と繋がった昔の話。



 PS ちなみにこの三兄弟、上から一郎、二郎、三郎といいます。


 いよいよ134回全英オープンゴルフ選手権も最終日です。

 今日の最終組のペアリングは昨日66をマークしたグーセンオラサバルとウッズのペアリング。

 ニクラウスが引退宣言したメジャー、最終日最終組なら全勝のメジャー、ウッズには優勝へ向かっての追い風材料がたくさんあります。

 しかし、グーセンもまた強い選手です。

 3日目にあまりにもいいスコアを出すと、翌日はなかなかいいスコアが出ないのがゴルフですが、グーセンというゴルファー、好きなタイプの選手ではありませんが、強い心を持ってる選手です。

 2004年マスターズトーナメント、最終日最終組でアメリカの人気者ミケルソンと対決しました。

 もう会場のパトロン(ギャラリー)全員がミケルソンの応援だったといっていいでしょう。

 特にミケルソンは、「メジャーに勝ったことがない最強の選手」だったこともあり、熱狂的な応援がついていました。

 ひどいパトロンの中には、あからさまにグーセンに対してブーイングや汚い言葉を吐きかけていました。

 そしてグーセンは敗れました。

 しかしミケルソンへの応援に負けたわけではありません。

 彼はアメリカ人のパトロンたちがミケルソン一色の応援をすることを当然、と言い切ったのです。

 ここはアメリカ、「アメリカ人がアメリカの選手を応援するのは当たり前さ」そして「ここが僕の母国なら全員が僕を応援してくれたはずだ」

 当たり前のような言葉ですが、彼の悔しさや、それに負けない強さ、そして母国への愛国心を感じ取ることのできる言葉です。。

 それらの思いを総てゴルフにかけて、彼は2004年全米オープンに勝ちました。

 彼の打倒USA魂は海を越えスコットランドでも変わらぬ野望として活躍するものと信じます。


 ずばり風がひどくならなければ15アンダーが優勝スコアではないでしょうか、そういった意味で8アンダーまでの選手全員にもチャンスありです。


 今日も気持ちのいい徹夜になりそうです。今から眠いのに ・ ・ ・。


 誤解のないように書いておきますがcologneが応援しているのはターガーウッズです、希望的展開は一旦誰かに抜かれて再逆転して勝利すること、かな♪

 10数年くらい前にKYT が職場に導入されて以来「危険」というものについて日常の生活の中にも多くの危険が存在することが具体的な形や言葉となって現れた。

 安全意識が高まったのはいいことだが、幾分臆病になったような気もする。

 先の見えないコーナーで追い越しをかけたりしていたバカにまで戻らなくてもいいけど、危険に対して敏感になりすぎていたと思えるときもあったように思う。

 プラットホームの先頭に立たない。

 車間距離に余裕をとる。

 これらはその場所や状況に応じて注意すればいいこと。

 今、それらの日常生活において全く異質なものについてKYTを認識必要のある時代となってきたのではないだろうか。

 本来のKYTは悪人の登場は考えに入れない、偶然や不注意から起こる危険や事故を防ぐためのものである。

 しかし、今最も危険なのはそれら物理的に起こる事故ではない。

 それは治安の悪化であり無差別的暴力者の横行。

 深夜の帰宅途上やコンビニ、あるいは深夜でなくとも人気のないトイレなどの密室空間。

 成人男性であっても危険な時間帯やエリアに立ち入るには慎重にならざるをえない。

 

 「TPO・KYT」とでも呼ぶことにする。


  つづく

  

 

 


 もうタイガーウッズはホールアウトしている頃だと思うが、彼が5年前今回のセントアンドリュース・オールドコースで圧勝したとき、ほとんど総てのホールでKeepLeftを実行していた。

 極端なケースでは隣のホールのフェアウェイを利用していた。

 その理由はティーショットでバンカーに入れないため。

 今年、どういった形で主催するR&Aがコースに対して手を加えたのかを知ることも非常に興味深い。

 隣のコースに攻略ルートが発見され、利用された時点で主催者は、アンフェアではないが好ましくない攻略ルートを戒める義務があるのだから。

 

 誰が優勝するのか予想もつかない展開を期待するcologneには、まさに「吹けよ風呼べよ嵐」である。