いつの間にか、親父が誕生日を迎えていました。55だと。すっかり頭から抜けていました。
振り返れば、自分にとって親父の存在は、よくも悪くも大きいものでした。
思春期の頃から親父のようにだけはなりたくないと、ずっと思ってきました。そのため無意識のうちに親父と正反対の生き方をしようとしていました。
親父が無駄だと切り捨てることに私は価値を見出だそうとしたし、親父が剛の生き方を良しとすれば、私は柔の生き方を良しとしてきたのです。
そんな私でしたが、昨年転職し親父と同じ職に就きました。
ベテランとド素人ですから、事あるごとに罵声が降ってきました。売り言葉に買い言葉。これまでの人生で親父と一番衝突した年でした。
でも、その分、お互いの距離が幾分縮まった気がしています。無理に合わせる必要はないし、無理に合わせない必要もない。ようやく自分の中に流れる親父の血の存在も認められるようになってきました。
親父と向き合うこと=自分と向き合うことなのかなと。
父親は息子の障壁になるくらいで丁度いいのかも知れません。そう考えると自分は幸せ者だと気づきました。
壁が自然崩壊する前に乗り越えたいと思います。まだまだ相当時間がかかりそうですが、一歩ずつ。

ただ、最近ハンチング帽やらあご髭残しやら、なんだかキャラ被りしてきたのは少々気に食わないのです。俺が先だ。リトルガーデンのシールの絵と違ってきてるねが‼(最近、シールの絵が戦場カメラマンに見えると言われます)

うーん、息子がほしい。

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