木曜ドラマ「嫌われる勇気」が始まりましたね。

 

本郷博央は、アドレリアンです。アドレリアン歴25年のアドレリアンです。

 

アドレリアンというのは、アドラー心理学を日常生活の中で実践している人という意味です。

 

アルフレッド・アドラーもアドレリアンですし、アドラーの息子のクルト・アドラー(ニューヨーク大学心理学教授)もアドレリアンです。

 

クルト・アドラーの弟子で、カナダのモントリオール個人心理学研究所所長のジョセフ・ペリグリーノ博士もアドレリアンです。

 

そして、ペルグリーノ博士の弟子である私 本郷博央もアドレリアンです。私の先生である岩井俊憲先生もアドレリアンです。

 

私 本郷博央が、32歳の時に受けたアドラー心理学基礎講座の講師をしてらっしゃった 岸見一郎先生もアドレリアンです。

 

そして、岸見一郎先生がお書きになった「嫌われる勇気」の本を、アドレリアン本郷博央が解説しようと思うのです。ドラマではなくて、本の方を解説します。

 

1、世界はシンプルで、誰でも幸せになれる
「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社)の最初に、哲学者の「世界はシンプルで、誰でも幸せになれる」という主張が出て来て、悩み多き青年が「到底受け入れられない」と反発します。

 

「悩み多き彼の目には、世界は矛盾に満ちた混沌としか映らず、ましてや幸福などありえなかった。」とあります。

 

だから、青年には到底受け入れられないのですが、これが意味づけ=「色眼鏡」(=思い込み=認知)の働きなのです。

 

「われわれは、われわれが与えた意味づけを通してのみ現実を体験する」とアルフレッド・アドラーは言っています。

 

私たち人間は、現実そのものを認識することはできません。必ず、ある主観的な意味づけを通して認識します。

 

青年の目に、矛盾に満ちた混沌としか映らないのは当然なのです。彼が、そのような主観的な意味づけを通して認識しているからです。

 

だから、哲人は、5ページで、「あなたが世界を複雑なものにしている」と言い、「人は客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。」と言ったのです。

 

例えば、向こうから、良く知っている女性が近くまで寄ってきて笑いました。

 

Aさんはバカにされたと思って、「なに、俺の顔を見て笑ってんだよ。このやろ。」と怒って怒鳴りました。

 

Bさんは、「あら、Hさん、今日は機嫌良さそうだね。何かいいことあったの?」と笑い掛けました。

 

Cさんは、「ああ。また女が俺に惚れたか。」と思って「何だい。Hさん、私に何か用かい?」と格好つけました。

 

このように、「良く知っている女性が近くまで寄ってきて笑った。」という出来事を、必ず主観的な意味づけを通して認知するのです。

 

 

これを認知論と言ったりして、現在の心理学各流派では常識ですが、アドラーは100年以上前に「現象学」から、この認知論を取り入れました。

 

そして、アドラー心理学の基本的な思想では、「この世は人々が貢献しあって、協力して生きている世界で、人はその世界にうまい具合に居場所を作れば幸せを感じる。」だと思っています。そういう意味でシンプルなのです。

 

そして、「このアドラー心理学の思想と合致するような意味づけを使うようになると幸せを感じるよ。」と主張するのです。

 

「意味づけ」=認知は、ただの道具にしかすぎません。不幸になるような認知を使って、この世を見ているから不幸を感じるのであって、幸せを感じるような意味づけ=認知を使ってこの世を見ると、幸せを感じるよと思っているのです。

 

ちなみに、アドラー心理学は、基本的な思想「この世は人々が貢献しあって、協力して生きている世界で、人はその世界にうまい具合に居場所を作れば幸せを感じる。」を真理だとは思っていません。

 

とりあえず、「そう思った方が幸せにうまくいくと思うよ。」と意見として提案しているだけなのです。

 

自分の意見を「真理なのだ。」「正しいのだ。」と主張して、違う意見と競争したり、戦ったりする趣味はアドレリアンにはありません。

 

引用元:「嫌われる勇気」解説1 世界はシンプルで、誰でも幸せになれる・・・

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自分一人で、あまりにも色々と考えすぎると、


今の自分を変えたくなくなります。カウンセリングをやめたくなったり、受けたくなくなります。


面倒くさくなったり、急に「意味がない」と思えたり、怖くなったり、不安になったり、

訳の分からない抵抗感を感じたり、

これは、アドラー心理学では、「ライフスタイルの反乱」と呼んでいます。

実際は、ライフスタイル(人生のプログラムのようなもの)が反乱を起こしたりしたりはしないのですが、

自分一人でいろいろと考えすぎる時、今までのライフスタイルをフルに使って考えてしまします。

ですから、今までのライフスタイルを変えない方向性へ、変えない方向性へと、考えていきがちになるのです。

自分を変えて、幸せになるためには、考えすぎないで、エイって、カウンセリングを受けること、受け続けることです。

すると、今までのライフスタイルに惑わされないカウンセラーと話ができて、最終的には、あなたは幸せなあなたに変わるのです。

私たちは、そう信じています。

引用元:自分だけで考えすぎると 変えたくなくなる カウンセリングを受・・・

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アドラー心理学を学んでいく中で、「すべてはあなたの責任なのだ。」「自己責任なのだ。」と言われたときに、「なんとまあ、厳しい心理学だ。」と感じた私でした。
 
「お前のせいだ。」と責められたように感じたのです。
 
ましてや、当時の私は、他人のせいにしてしまう癖がありましたし、自分が苦しいのは過去の成育環境や親のせいだと思っていましたし、「こうなったのには何らかの原因がある」という原因論で考えていましたから
 
「全ては自己責任なのだ。」と言われて、抵抗も感じたし、「お前のせいだ。」と責められたように感じて、イヤな気持になったのです。
 
責任という言葉は、英語では「responsibility」というのですが、「responsibility」という言葉には、まったく責めるという意味合いはないのです。どうして、日本語には「責める」の漢字が入ってるのか理解できません。
 
まあ、「自己責任」と言われて、自分を責められるような感覚を持ったのは、まったく見当違いだったわけです。
 
「responsibility」の「respons」というのは「対応する」というような意味合いなので、
 
「responsibility」というのは「あきらめないで対応し続ける」という意味であって、
 
「はい。あなたの責任です。あなたが悪かったのです。」という意味合いはないわけです。
 
私たちアドレリアンは、人間という存在を全体論で「一つのまとまった存在」としてとらえるので、衝動や本能のせいにしたりしませんし、
 
「実存主義」的に考えるので、自分が自分の人生の主体であって、遺伝や環境や他者からの影響を主体的にさばき、決定して創造していくのだ。と思っているので、遺伝や生育環境や他者のせいにしたりしません、
 
ということは、必然的に、「自分の人生をどうしていくかは私の責任だ。」と思うようになるわけで、アドレリアンとして生活していけばいくほど、
「自己責任だ。」と思う方が楽に感じるようになって行くのです。
 
当然、誰の課題であるかということはきちんと分けますので、他人の責任は取りません。いわゆる「嫌われる勇気」を持って、他者の感情の面倒は見ないし、必要以上に他者のご機嫌取りもしません。
 
人からどう思われるかということも気にしませんし、人から嫌われないように自分の言いたいことを我慢したり、やりたいことをあきらめたりもしません。
 
当然なのですが、他者とは十分に仲良くしようとしますし、他者に貢献し、協力しようとします。ただ、人から好かれるために仲良くするのでもないし、嫌われないために、貢献し、協力するわけではないということです。
 
「嫌われる勇気」といって、「わざと嫌われるような行動や態度をとること」と勘違いしないでくださいね。
 
私たちは、純粋に自分の責任のうえで、他者と仲良くして、協力して、他者や社会に貢献しようとするのです。これをアドラー心理学では「共同体感覚」と呼びます。
 
他人の課題のために行動するのではなく、自分の責任として、共同体感覚の方向性に行動していくことを、私たちは「自己責任」と呼ぶのです。それは、私たちにとって、厳しいことでも、辛いことでも、嫌な感じがすることでもなくて、
 
むしろ喜びを感じることなのです。
 
「自己責任だ。」と言われて、最初は責められるように感じて、嫌な感じがしていた私は、アドラー心理学的な考え方の練習とか、SMILE勇気づけの親子・人間関係セミナーに出てくる人間関係の取り方などの練習をし続けるうちに、
 
自己責任と受け取る方が楽になり、自己責任で他者に貢献していくこと、他者と仲良くしていくことが、いつの間にか喜びになっていったのです。
 
そういえば、教師(24歳~45歳 今は57歳です)だったころ、特に30代までは、宴会などがあると、宴会中に突然一人になって、ひどい孤独感を感じていました。自分としては、訳の分からない孤独感でひどくさびしい感覚を感じていました。
 
それが、いつの間にか、宴会などで全く孤独感を感じなくなっていました。
 
孤独感を感じなくする作業などしなかったのにです。
 
私がやったのは、全ては自分の責任だと考えるとか、過去を振り返らないで、未来も不安に思わないで、思考を「今ここ」に集中させるなど(他にもたくさんありますが)の練習をして、自分のライフスタイル(無意識の中の人生のプログラムのようなもの)を変えて行く作業をしただけだったのですが、
 
「孤独感を覚える」という症状はいつの間にか消え去ったのです。
 
私だけではありません。あらゆる人が、症状を消そうと努力すると失敗します。
 
症状を生み出しているのは、自分の無意識下にある「ライフスタイル」です。ライフスタイルを変えないで、症状だけを消そうとすると手を変え品を変え 症状は出続けます。
 
誰かに治療してもらおうとするのも、まずはうまく行きません。問題を作り出したのは自分です。自分だけが問題を解決できます。自分だけが、自分のライフスタイルを変えることが出来るのです。
 
ただし、自分一人だけでやろうとすると、きっと失敗します。
 
それは、自分一人でやっていると、古いライフスタイルが活性化して、その古いライフスタイルを変えないように、変えないようにとしてしまうからです。
 
良いアドラー心理学カウンセラーとタッグを組むか、SMILE勇気づけの親子・人間関係セミナーのようなライフスタイルを変えるためのプログラム学習コースを受講して、日々練習し続けてください。
 
あなたがあきらめない限り、あなたは絶対に幸せになります。
 
私たちはそう信じています。
 
続く
 
電話やスカイプで、全国から
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アドラー心理学を生きるの 第10回目 です。今回は、メモ「葛藤はない 全体論」です。
 
私が理解するのに、というか体感するに至るまでに、時間が少しかかったものに「全体論」があります。
 
アドラー心理学は徹頭徹尾 論理的 です。そして、人間という存在を論理的に見ていくと、この「全体論」に行くのです。
 
簡単に言うと、「人間という存在は、個人全体で一つだ。」というとらえ方です。
 
アドラーは、1900年代の初期、ジグムント・フロイトと一緒に水曜勉強会という「精神分析」の勉強会(のちの精神分析学会)をやっていました。どういう経緯かは、明らかになっていないのですが、フロイトがアドラーを勉強会に招待したからです。
 
のちに、「アドラーは、フロイトの弟子だった」というデマが出てきたときに、アドラーがフロイトからの水曜勉強会への招待状を示して、
 
「アドラーはフロイトの弟子ではなかった」ということを明らかにしたという話が伝わっています。
 
アドラーは一時期、フロイトと同じ勉強会で精神分析の論を意見交換していたのですが、アドラーがその勉強会=精神分析学会の会長に就任したことから、フロイトの説とのあまりの違い(正反対とも言えるほど)が顕在化して、
 
アドラーとフロイトは袂を割ったのでした。
 
そして、その大きな違いに、フロイトは人間精神内における「葛藤」を積極的に認めたのに対して、アドラーは、人間精神内の「葛藤」を認めなかったのです。
 
フロイト精神分析では、人間精神は「スーパーエゴ」や「エゴ(現実に対処しようとする働き)」や「イド(本能的衝動のようなもの)」という独自の働きを勝手にする「部分」で構成されているという「構造」を持っていると主張しました。
 
そして、それらの「部分」が別々の動きをして、ぶつかり、葛藤を引き起こしているのだとしたのです。
 
アドラーにとって、この説は全く受け入れられないものでした。
 
アドラーは、一見葛藤を引き起こしているように感じても、それらは、本人がアクセルとブレーキを一緒に踏んでいるようなもので、ある作戦の元に本人がやっているだけであって、「葛藤」などではない。と主張したのです。
 
この、その人独自の作戦が「ライフスタイル」の一つの表れなのです。
 
例えば、他人が怖いので外出したくなくて閉じこもりたいのですが、外出しようとすると胸が異常にドキドキして、息苦しくなって、立っていることが出来なくなってしまういう症状を作り出して、「だから外出したいんだけど、外出できない」という理由付けをしたりするのです。
 
このような、神経症的な「行き詰まり」は、本人がある作戦の元にやっているのだ、いわば、のン人が「イエス」と言いながら、「バット」と言い続けているのだと、アドラー心理学では考えるのです。
 
これを「イエス・バット」と呼びます。葛藤が生じているのではなく、本人が「イエス・バット」を演じているだけだと考えるのです。
 
フロイトは、神経症は、葛藤の中で突き上げてくる「イド」の衝動から自分を守るための防衛だと考えましたが、
 
人間の精神内に独自の動きをする部分などあるわけがないと考えたアドラーは、神経症は、課題から逃避するための作戦だと考えました。「イエス」も「バット」も、ある作戦の上に本人がやっていると分析したわけです。
 
当初 私は、自分の中に葛藤がある気がして仕方ありませんでした。まあ、当然です。「精神内には葛藤がある」という色眼鏡を使っていたのですから。
 
制御できない衝動とか、制御できない気分の上下とか、制御できない感情とか、機嫌が勝手に良くなったり、悪くなったりするような気がしていました。
 
そして「早目にやった方がいいと分かってるんだけど、なぜだか引き延ばしてぎりぎりにしてしまう。」とか、
 
「アルコールを飲みすぎちゃいけないと分かっているんだけどつい飲みすぎてしまう。」とか、
 
いわゆる「分かっちゃいるけどやめられない」という感覚をよく持っていました。
 
今では分かっています。私の中に制御できない衝動なんかありませんし、気分を上げ下げしているのは私ですし、この感情を今使っているのは私ですし、私は、相手役にある目的をもってこの感情を使っています。
 
機嫌が勝手に悪くなったりすることもなく、自分が機嫌を良くしたり悪くしたりしていると自覚しています。
 
引き延ばしているときは、「早目にやった方がいいとは全く思っていなくて、引き延ばしたくて引き延ばしている」と分かっています。「アルコールも飲み過ぎたいと思って飲みすぎているだけ」だし、
 
いわゆる「分かっちゃいるけどやめられない」などという現象は、存在しないと分かっています。「やめられない」のではなくて「やめようと思っていないので、やめない」だけなのです。
 
葛藤のせいにしたり、「分かっちゃいるけどやめられない」現象のせいにするのをやめて、全て全体としての自分が決めて、行動しているのだと、そして、理想的な行動をしていない自分を受け入れる練習をしていったのです。
 
理想的な行動をしていないのをありのままに認めて、受けいれることを、信頼と呼び、大きな勇気づけとなるものです。
 
「こうあるべきだ」という理想を、自分にも押し付けないで、ありのままに認めて受け入れる練習を通して、私は、全体論的理解を少しずつ体感していったのです。
 
最終的な行動が、その人が全体で決めて出した答えです。
 
私の最終的な行動が、私が個人全体として決めて出した答えなのです。それを認めないというのは、自己矛盾です。私個人全体に対する意識の反乱です。
 
意識を反乱させ自己矛盾をやっていたから、私は全体論がいまいちしっくりこなかったのです。
 
「人間という存在は、個人全体で一つだ。精神構造が部分部分に分割などされていないし、精神内で部分が独自の動きをして葛藤を生じさせたりしていない」という前提で考えていくと、
いろんなことがすっきりとシンプルに見えてきたのです。
 
世の中には、「制御できない○○」とか、「分かっちゃいるけどやめられない」とか、「分かっているんだけど、出来ない」と感じている人が、たくさんいらっしゃると思うのです。
 
それは、そういうものがあるんだという思い込み=色眼鏡を使う癖があり、そう思い込んでいるからそう感じていいるにすぎないのです。
 
行動があなたが出した答えです。意識が「本当はそうしたくないのに」と言っていたら、意識が間違っています。「この行動が私がしたくてした行動だ。」と意識を修正する練習をされることをお勧めします。
 
自分をありのままに認めて、受け入れる練習をされることをお勧めします。
 
ちなみに、例えば、「あの人にこんなことを言ったら、私のことを嫌いになるんじゃなかろうか?」と悩んだりして、実際に相手に本音を言えなかったりしたら、また言い方がまずくてもめたりしたら、
 
これは葛藤です。
 
え?葛藤はないと言ったじゃないか!と言う人がいるかもしれません。
 
個人の精神内には葛藤はないのですが、このように人間関係の中では、葛藤は生じるのです。
 
人間関係においては、一人一人が別の存在ですから、別の存在同志の間には葛藤が生じます。
 
その葛藤を平和的なものにして、仲良く協力し合っていくために、コミュニケーションが大事になってくるのです。
 
アドラーは言いました。「人間同士というものは決して完全に分かり合えることはない。だからこそ、言葉を尽くして分かり合おうとしようじゃないか。」
 
続く
 
スカイプや電話での全国からの相談・受講
 
アドラー心理学を生きる6 で、一時期、私がアダルトチルドレンの自覚があったと書きました。
実はこの自覚が、私がアドラー心理学を生きるのを少し邪魔しました。
 
アダルトチルドレンの自覚を持っていて、それを引きずったことで、私が純粋にアドラー心理学を理解して、生活の中で生きて行くことが少し遅くなったのです。
 
私の理解の変遷を書くことが、アドラー心理学に触れて、「アドラー心理学を実践して行こうかな。」と考えている人のお役に立てると思うので、書きます。
 
世間の多くの人々は、原因論的な考え方をしています。
 
アダルトチルドレンの自覚もそうです。アルコール依存症のいる家族で育ったから、こんな生き辛さを感じているんだという考え方です。
 
世間の多くの人も、過去の成育歴が原因で今の自分があると思っていますし、
 
多くの人が、「人というものは遺伝や過去の成育歴が原因で、今の性格を獲得している。」と思っています。
 
これは、「遺伝と環境の輻湊説」と言って、人の人格や性格は、その人の遺伝と環境の複雑な絡み合いで決まっているのだという、一般的な心理学の定説です。
 
私も大学の心理学の授業で「遺伝と環境の輻湊説」を習いました。非常にポピュラーの学説ですし、世間の多くの人が何となくそう思っています。
 
そして、多くの人が、人間に起こった出来事や行動の「原因を考えてしまう」という癖を持っています。
 
実は、この原因論的な考え方を一切捨て去って、実存主義的(※後で詳しく説明します)な考え方に変えない限りは、アドラー心理学を本当に理解したことにならないし、もちろんアドラー心理学を生きることにならないのですが、
 
原因論的に考えることは、この世の中に満ち溢れているので、かなり自覚的に自分を訓練しないと、巻き込まれたり、元の考え方に戻ったりするのです。
 
私たちは、「遺伝と環境の輻湊説」を明確に否定します。遺伝や過去の生育環境という原因が、今の人格や性格を決めたとは思わないのです。
 
じゃあ、何が決めたのか?
 
「私」です。アドラー心理学の用語を使うと「個人」です。私が決めました。個人が決めました。
 
いや、だって、あんなにひどい生育環境の中で無力な子どもとして生きていて、ひどい環境の影響を受けざるを得ないよね。とどうしても思ってしまっていたのが、アダルトチルドレンの自覚を持っていた私でした。
 
アドラー心理学は、遺伝の影響や環境の影響を否定したりはしていません。
 
それなのに、原因論をどうして捨てきれなかった私には、影響を否定しているように感じてしまって、どうしようもなかったのです。
 
今では、実感しています。遺伝や過去の環境は、ただの「影響」にすぎないのだと。全てを決定するのは「私」なのだと。
 
当時の私や、多くの人が、ただの影響の力を、自分の決定の力よりも大きく見てしまう「色眼鏡」をかけているのです。
 
自分の決定の力を矮小に見て、ただの影響に過ぎないものを過大に見るので、遺伝や環境を原因のように感じてしますのです。
 
子どもの頃の私は、遺伝の影響や当時の成育環境を前にして、「辛く苦しく生きて行く」ような「ライフスタイル」を決定して、使い始めました。
 
決定した自分を責める必要性は全くないのですが、決定したのは私だったのです。
 
だからこそ、その後私は、ライフスタイルを変更していき、幸せになりました。多くの人々がアドラー心理学に出合い、自分のライフスタイルを変え幸せになっていっています。
 
もしも、人間が遺伝や環境に支配されるような存在だとしたら、私たちは、自分を変えることはできないということになります。
 
原因論が正しくて「ライフスタイルが遺伝や環境によって作られたもの」で「ライフスタイルが遺伝や環境を原因とするもの」であるならば、私たちは無力だということになります。
 
だって、遺伝や環境には勝てないのですから。
 
私は、次第にこの原因論的な考え方から脱却していったのです。原因論的な考え方をナンセンスだと感じるようになっていったのです。
 
それは、アドラー心理学の実践で、少しずつ楽になったり、明るく前向きになっていったのも大きかったと思います。「こんなに、変わってきたじゃん。つまり原因のせいで苦しかったわけなじゃないってことじゃん。」と感じるようになりました。
 
「私は、今ここに生きている」「その私が、全てを決定して、人生を創造していく。」というのが、アドラー心理学の実存主義的な考え方なのです。
 
人間という存在が、遺伝や環境に翻弄されるような柔な存在だと思わないのです。運命に受動的に流されるちっちゃな存在だと思わないのです。
 
今、私が苦しいのは、過去の環境の犠牲者だからだなどと考えないのです。犠牲者だと感じると、パワーがなくなってします。自分以外の何かのせいにすると、一見楽なようで、実は自分のパワーがなくなって「弱っちく」なってしまうのです。
 
人間という存在は、自分の決定と行動で、積極的に人生に関与して、環境をも変えて行く主体的な存在だと思っているのです。
 
私も、そう思う方が、自分にパワーを感じ、実際に人間関係もうまく行くし、ライフスタイルもより良い方向に変わっていくと感じて行ったのです。
 
私は、犠牲者ではない。全てを創っていく主体者なのです。
 
あなたもそう。いろんなものに翻弄される犠牲者だと感じる癖を持っている限り、つい原因を探って考えてしまう癖を持っている限り、誰かに救ってもらおうとしている限り、魔法はないかな?と全てをうまく行かせる魔法を期待している限り、幸せにはなれません。
 
自分が全てを決定する主体者だと気づき、未来を変えるために、今行動を始めた時、あなたも幸せへの道を一歩踏み出したのです。
 
犠牲者はきついですよ。ただの思い込みですし。
 
自分が決定者で主体者なのだと思うと、楽になっていきます。まあ、これも思い込みにすぎませんけどね。
 
アドラー心理学って、「思い込み」ですべてが決まると思っているのです。
 
全国どこからでも電話スカイプで、

おめでとうございます。「あきらめないで!」

テーマ:
2017年 あけましておめでとうございます。

 

今年最初の言葉は、「あきらめないで!」ということです。

 

どんな問題も、どんな症状も、解決可能です。

 

あなたがあきらめないでいる限り。

 

あなたには、出来ます。私はそう信じています。

 

あなたには出来ます。

 

あきらめないで。




引用元:おめでとうございます。「あきらめないで!」

アドラー心理学を生きる1 アドラー心理学との出会い
アドラー心理学を生きる2 どのように改善されたか?そしてどのように改悪されたか?
アドラー心理学を生きる3 メモ「ライフスタイル」
アドラー心理学を生きる4 メモ「課題の分離」
アドラー心理学を生きる5 闘い続けた30代

アドラー心理学を生きる6 ちょっと脱線「アダルトチルドレン」

アドラー心理学を生きる7 メモ「使用の心理学 道具を変える」

 

アドラー心理学を生きる 第8回です。 岩井俊憲先生、ペルグリーノ博士との出会い

 

東京で精力的にアドラー心理学を広げてらっしゃる先生がいます。岩井俊憲先生です。

 

私がアドラー心理学会の学会誌「アドレリアン」に意見を投稿した時に、同じような意見を投稿されていた岩井俊憲先生に親近感を覚え、それ以来親しくさせていただいています。

 

今年(2016年)には、岩井俊憲先生をお呼びして、9月に熊本でアドラー心理学ベーシックコースを久しぶりに開催しようとしていたのですが、熊本地震の影響で延期に追い込まれました。

 

岩井俊憲先生は、現在までヒューマン・ギルドという会社を起点に30年以上にわたってアドラー心理学を広めてきた方で、ユーモアのある人格的にも穏やかな雰囲気の方でした。岸見一郎先生ととても似た雰囲気を感じました。

 

それ以降、東京まで学びに行くようになりました。SMILEリーダー養成コース、アドラーカウンセラー養成コースなどなど。

 

そのたび、岩井俊憲先生とその周囲の方々との関係性を目にする度に、「ああ、岩井先生はアドラー心理学の横の関係を生きてらっしゃる方なのだなあ。」と実感するようになりました。

岩井俊憲先生との出会いは、アドラー心理学は理解するものではなく「生きるもの」なのだと気づいたきっかけになりました。

 

また、SMILEのリーダーになって多くの人々にSMILEを開催して伝えるようになったのは、大きなことでした。

 

SMILEリーダーとしてSMILEを開催している時、リーダーである私もSMILEを復習していることになるからです。

 

その岩井俊憲先生が、カナダのアドレリアン、ジョセフ・ペルグリーノ博士を日本に招へいされるようになりました。私は、初来日の時から熱心にペルグリーノ博士の様々なセミナーに出席して学ぶようになり、一度は熊本に招へいして私がファシリテーターをして「アドラー派の心理療法」というセミナーを開催してもらいました。

 

熊本に招へいした時に、通訳の埴原由美さんと話した。埴原さんがおっしゃった。

 

「ずっとペアを組んでいて(十数回)、来日の時はプライベートの時もずっと一緒だけど、最初の時からいつも上機嫌で、不機嫌になったことが一回もない。最初は、この人バカなのとも思ったけど、違うのよね。人格なのよね。オープンカウンセリングもすごい。ちんたら話しているようで、最後にはクライエントが大きく変容しちゃう。やっぱり勇気づけなのよね。」と。

 

ジョセフ・ペルグリーノ博士は、1936年にイタリアのローマに生まれられ、14歳の時家族とともにカナダのモントリオールに移住してきました。ペルグリーノ博士はロジャーズ派の心理学からカウンセリングを学び始め、行動療法、ユング心理学なども幅広く学び、最後にアドラー心理学と出会います。

 

その時の話を聞かせてもらいました。「ものすごいドイツ語なまりの英語の聞きにくい話だったんだよね。でも、その中身に引き付けられて『長年探し求めていたのはこれだ!』と思ったんだよ。」それは、ニューヨーク州立大学にいたアドラーの弟子ハインツ・アースバッハの講演だったのです。

 

そして、1970年に、米国のニューヨーク州立大学で教育学部門の修士号を取得します。この時に、理論面を整備したハインツ・アンスバッハーとアドラーの長男のクルト・アドラー(ニューヨーク学派)に師事します。

 

アドラーが死んだ頃、理論面は全く整理されてなく、「おもちゃ箱をひっくり返したような状態」だったそうです。アドラーは講演をすること、弟子たちと話をすること、オープンカウンセリングは大好きだったのですが、本はあまり残さなかったのです。

 

そして、そのおもちゃ箱をひっくり返したようなアドラー心理学の理論面を整理したのがハインツ・アンスバッハーでした。

 

たくさんの先生たちの中でどの先生が一番印象的でしたか?と聞いたことがあります。「クルト・アドラーだ。彼は人格的にとても成熟していた。一番すごいと思う。彼から、『あなたは、私の父にとてもよく似ている。』と言われたことがあって、その言葉は私の宝物だ。」と話してくれました。

 

やはり、アルフレッド・アドラーの長男だったクルト・アドラーはそんなに人格的にすごい人だったんですね。

 

その後1984年に当時のシカゴ・ アルフレッド・アドラー研究所(現在のシカゴ・アドラー心理学大学院、 TheAdlerSchoolofProfessionalPsychologyChicago)で修士号を取得します。この時にはドライカースの弟子の ハロルド・モサックたち(シカゴ学派)に学びます。

 

ドライカースというのは、アドラーの弟子のひとりで、ナチスからブラジルに亡命し、その後アメリカに移住して、シカゴを拠点に精力的に活動して、一回滅びたアドラー心理学をアメリカの地で再興させた人物です。

 

アドラー心理学は、1920年代から1930年代に入って、ナチスが政権を掌握する1933年までかなり盛んで、ヨーロッパ中にアドラーが創設したチャイルドガイダンスセンター(児童相談所)やアドラー派のクリニック、アドラー心理学の実験学校が広まっていました。第一次世界大戦の軍医としての従軍から帰って来たアドラーが「教育によってのみ個人の改革はできる。」として、親や教師や医師やカウンセラーの再教育に場として作ったのが、チャイルドガイダンスセンター(児童相談所)でした。

 

アドラーを含めて、アドラー派の人びとはほとんどがユダヤ人だったので、ナチスの弾圧を受けて、チャイルドガイダンスセンターもクリニックも実験スクールも次々とつぶされ、危険を感じたアドラーも高弟たちも亡命しました。

 

そして、亡命できずに残ったアドラー派の人びとはナチスに次々とつかまり収容所に送られました。第二次世界大戦が終わって、アドラー派の人々が集まったら、たった8人しかいなかったと伝えられています。アドラーの死もあって、アドラー心理学は一度滅びたのです。それを再興したのがドライカースだと言われています。

 

ペルグリーノ博士は、アドラー心理学再興の地シカゴでの学びに飽き足らず、さらには1986年に米国のコロンビア大学で「アドラー派のカウンセリング・心理療法」で博士号(心理学部門の学術博士)を取得しました。そしてこの時には古典派(シカゴ学派を「あれはドライカース心理学だ。アドラーに戻れ!」と批判する派)の雄ソフィア・デ・ヴリースに師事したのです。

そのため、ペルグリーノ博士ご本人は、誰か一人の教えを金科玉条守り続けるような排他的色彩のない立場の「統合されたアドラー派」を自称しています。

 

ペルグリーノ博士は、カナダのモントリオール在住、モントリオールはフランス語圏の地域、奥さんもモントリオールの方だったので博士は、英語、フランス語、イタリア語をしゃべられる。

教師をやりながら、二つの修士号(シカゴアドラー心理学大学院、ニューヨーク州立大学大学院)とひとつの博士号(コロンビア・パシフィック大学)を取られた努力の人なのです。

 

モントリオール・アドラー心理学大学院教授をされたあとは、モントリオール個人心理学研究所理事長としてカウンセリング、心理療法を行いながら講演・セミナーをされています。

 

毎年日本にも来られて精力的にセミナーを開かれています。

 

博士がよく言われてた。

 

「魔法はありません。」

 

「あなたはできる人です。」

 

そう、この世には魔法はない。自分の力で努力して達成するのみだ。

 

そして、あらゆる人がすばしい可能性を秘めている。やろうと思えば何でもできるのだ。

そのように、博士は人々を勇気づけられる。

 

そうそう。博士は、とてもお茶目な人。河口湖のセミナーで一緒に宿泊したとき、大浴場で泳ぎ出しちゃった。

 

「ジョセフ、プールじゃないよ。」と私が言ったら、ペロンと舌を出して、ウインクして、すいーーと泳いでみせられた。※お呼びするときには「ジョセフ」とお呼びするのです。彼は私のことを「ヒロ」と呼んでくれます。

 

可笑しかった。

 

一緒に屋上に上って(裸のまま。屋上に湯船があったのです。)、見た富士山がきれいだったぁ。

 

博士のそばにいるだけで癒された。不思議なオーラを出しているようで。

 

私が、涙ながらに、機能不全家庭での辛い出自を話し、現在でもよく妻とけんかをして、かんしゃくを起こしてしまうことを相談した時、

 

博士は、私の目をじっと見ながら真剣に話を聞いてくれた。そして、肯きながら、「大丈夫、ヒロ。」「君は、きっと自分の力でカンシャクなんか起こさなくなる。穏やかな人になる。」

と、優しくハグしてくれた。今でもその温かさを覚えている。

 

でも、博士の予言通り、私はまったく癇癪を起こさないようになった。妻ともケンカしないようになった。人を攻撃しないようになった。

 

博士は、魔法はないとおっしゃるが、博士の言葉は予言で、魔法のようだと、私は思う。

 

ペルグリーノ博士は、まさにアドラー心理学を体現しておいでです。アドラー心理学を生きてらっしゃいます。

 

博士に会って、「よし、私も博士や岩井俊憲先生のようになるぞ。」と決心したのだ。

 

続く

 

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アドラー心理学を生きる1 アドラー心理学との出会い
アドラー心理学を生きる2 どのように改善されたか?そしてどのように改悪されたか?
アドラー心理学を生きる3 メモ「ライフスタイル」
アドラー心理学を生きる4 メモ「課題の分離」
アドラー心理学を生きる5 闘い続けた30代

アドラー心理学を生きる6 ちょっと脱線「アダルトチルドレン」

 

アドラー心理学を生きる 第7回です。

 

今回は、メモ「使用の心理学 道具をかえる」です。

 

妄想好きな私は、子どもの頃から妄想ばっかりしていて、現実にはあまり向き合おうとはしていませんでした。現実の生活が辛すぎたので、逃げたかったのかもしれません。

 

そして、その妄想の中で、かなり頻繁だったのが、「もし、あの時こんな行動をとっていたらどうなっただろう」という夢のような甘美な妄想でした。

 

実際には、うまく行っていない私でも、妄想の中では大成功しているのです。この、過去を妄想する癖は、30代のころまで続いていました。

 

同時に、過去の行動を後悔したり、罪悪感を感じて悶々と苦しむ癖も同時に持っていました。

 

例えば、大学時代に教授と約束したレポート提出を引き延ばして引き延ばして、とうとう提出しなかったことを、大学卒業後も、それこそ10年くらい後悔して罪悪感にさいなまれていたのではないでしょうか?

 

ところが、アドラー心理学は、徹底的に「今ここ」に意識を集中させることを推奨するのです。

 

「過去はもうない」として、後悔どころか反省すらもしない方がいいとします。


反省しないって、やばいんじゃ?と思う人もいるかもしれませんが、大事なのは未来に向けての改善であって、反省ではないのです。反省だけして改善しなかったら何の役にも立ちませんし、反省なんかしなくても、ちゃんと回復措置や改善が出来たら、それで十分だと思いませんか?

 

まだ来ていない未来の出来事を不安がるのもナンセンスだと考えます。その出来事がきてから、自分にできることで対処すればいいのであって、その時考えればいいのです。

 

もっと言うと対処できないような出来事であるならば、対処できないのであるから、考えるだけ無駄なのです。自分にできる事だけを考えればいいと考えるわけです。

 

しかし、当時の私はこのアドラー心理学の基本的な考え方と正反対のライフスタイル(人生のプログラム)を持っていたようで、しつっこく過去を変える妄想を繰り返し、過去の行動を後悔して、罪悪感にさいなまれ続けました。そして、未来に良くないことが起こるかもしれないことを不安がり続けました。

 

これは、癖のようなものなので、なかなか修正できないのです。

 

私は、必死にSMILEのテキストを読み返して、過去のことを考えないで、意識を現在に戻す練習、意識を自分にできることに戻して行動する練習をし続けました。

 

このように、SMILEのようなプログラム学習コースは、テキストを何度も読み直したり、再受講して再確認することによって、ライフスタイルを変えて行くことに役に立つのです。

 

これが、自分一人でやると、自分の古いラフスタイルで考えて変えようとするので必ず失敗するのですが、SMILEの受講と練習の繰り返しは、カウンセリングと同じようにライフスタイルの改変に著しく効果があるのです。本人がSMILEのテキストを暗記するくらい読み直して、あきらめないで自分のライフスタイルの改変のために実践し続ければですが。

 

ジョセフ・ペルグリーノ博士のカウンセリングを受けたこと、岩井俊憲先生(ヒューマン・ギルド代表)のカウンセリングを受けたこともあって、私のライフスタイル改変は進んでいきました。

 

比べて、競争して、闘う癖の方はかなり根強かったのですが、過去を考える癖は、過去を考えていることに気づいたときに止めるようにしていたので、次第に過去を考えることもなくなり、未来を不安に思うこともなくなってきました。同時に、後悔の念や罪悪感を使う癖もなくなていきました。

 

この過程の中で、アドラー心理学の一つの特徴である「使用の心理学」について、納得していきました。

 

過去を妄想する癖も、過去の行動を後悔する癖も、罪悪感という感情も、全て自分が使っていた道具に過ぎなくて、それをやめて、「目的を意識して行動する」などの違う道具を使うのは「私」なんだな。

 

私が使用者で、全ては道具に過ぎないんだな。と納得していったのです。

 

この「私」という感覚が「分かる」のには、数年かかったような気がします。これは、「全体論」というのですが、後で詳しく説明しますが、人間を一つのまとまりを持った統一体だととらえる考え方です。

 

さあ、アドラー心理学は人間のことを個人と呼んで、アドラー心理学の正式名称は「Individual Psychology」直訳すると個人心理学というのですが、この「Individual」には「分割できない」という意味があって、フロイト精神分析が人間の精神構造を、「スーパーエゴ」「エゴ」「イド」などの部品に分けて考えたのに異論を唱えたのです。

 

分割できない「個人」が、あらゆるものを道具として使う。と考えているのです。「ライフスタイル」ですらも「個人」の道具です。だから替えられるのです。

 

感情も道具です。

 

好みの異性と出会って、「この人と親密に付き合いたい」という意図(目的)を持つと、近づいていくために役に立つ「好き」という感情を作り出して、積極的な行動に出ていきます。

 

車を運転していて、スピードを出しすぎると、「未来の危険から自分の身を守りたい」という意図(目的)を持ち、守るための「怖い」という感情を作り出し、アクセルを緩めたり、ブレーキを踏んだりします。

 

夜遅くになっても宿題をしていない自分の息子を見て、「宿題をさせたい」という支配的な意図を持つと、怒りという感情を作り出して、「さっさと宿題をしなさい。」と怒鳴ります。

 

このように、感情というのは、相手役に対してある意図=目的を持って作り出し使う道具なのです。

 

そして、ライフスタイルの方向性にそって感情を使う癖を、道具として使い続けるわけです。

 

私は、いつも競争していましたので、私から見て、他者は潜在的な敵でした。特に、父との関係が悪かった成育歴から、上長者は敵でした。

 

だから、学校の中で管理職の先生が私から見て期待外れの言動をすると、「許せない」となって、行動を変えさせる、懲らしめる、脅す、復讐するなどの目的のもとに、怒りを作り出して、攻撃的に要求をしていたのです。

 

現在の私は、父とも仲良くしていますし、上長者の方を攻撃する癖もなくなりました。だれとでも仲良くするようになりました。

 

闘う癖を仲良くする癖に変えるのは、過去のことを夢想する、過去を後悔する、反省をする、過去の自分を罪悪感を使って責めるなどの癖を改めることよりも、時間が長くかかったのですが、使用する道具を変えるだけなのですから、私にもできたわけです。

 

当然ですが、ですから、過去を考えるという道具を、感情的になって攻撃するという道具を、もっと言えばライフスタイルという道具を変えればいいだけですので、だれでも絶対に幸せになることができるのです。

 

なかなか、ペルグリーノ博士が登場しません。

 

続く

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アドラー心理学を生きる2 どのように改善されたか?そしてどのように改悪されたか?
アドラー心理学を生きる3 メモ「ライフスタイル」
アドラー心理学を生きる4 メモ「課題の分離」
アドラー心理学を生きる5 闘い続けた30代

アドラー心理学を生きる7 メモ「使用の心理学 道具をかえる」
 
アドラー心理学を生きる 第6回目です。
 
ジョセフ・ペルグリーノ博士との出会いに行く前に、私がアドラー心理学に専念するようになったきっかけとも言える、アダルトチルドレンの自覚と共依存のことから書いておこうと思います。
 
共依存にどっぷりの機能不全家庭で育って、不適切なコミュニケーション術や不適切な考え方、思い込みをたくさん持っていた私は、生きていくこと自体がとても苦しかったのです。
 
それが、「ああ、私はアダルトチルドレンなんだ。」「共依存に苦しんでいるんだ。」と自覚したことで、一時期、癒されたことがありました。
 
そして、アダルトチルドレンの自助グループを自ら作って、主宰して、毎月開催していました。
 
「アダルトチルドレン」という言葉は、アルコール依存症の治療にあたっていた医療関係者がアルコール依存症者のいる家庭で育った子どもたちが、似たような生きづらさを感じ、人間関係を作るのが苦手で苦しむことをよく見たので、
 
アルコール依存症者のいる家庭で育った人たちのことを「アダルトチルドレン」と呼ぶようになり、拡大解釈して「共依存」的な機能不全家庭で育って、生き辛さを感じている人のことを「アダルトチルドレン」と呼ぶようになったのです。
 
私は断言します。アダルトチルドレン的な生き辛さを感じている人は、アドラー心理学カウンセリングを受けたり、SMILE勇気づけの人間関係セミナーを受講して練習していけば、確実に生き辛さから脱局でき、幸せを感じるようになると思います。
 
私自身がそうでしたし、私のカウンセリングを受け続けた人たちやSMILE勇気づけの人間関係セミナーを受けて練習をあきらめなかった人たちが、みんな確実に幸せになっていったからです。
 
さて、最初のうちはアダルトチルドレンの自助グループを、言いっぱなし、聞きっぱなしのやり方でやっていたのです。
 
しかし、うまくいきませんでした。当然です。「アダルトチルドレン」の自覚のあるコミュニケーションの下手な人間ばかりが集まってくるわけですから。
 
で、アドラー心理学を指針とした話し合い、学ぶ会にしようということで、名前も「勇気づけの会」として、アドラー心理学的な考え方、コミュニケーションの取り方を学ぶ会になっていったのです。
 
これは、とてもうまくいきました。
 
「共依存」や「アダルトチルドレン」からの解放のカギは、アドラー心理学にあったのです。
 
当然です。
 
「共依存」関係を作ってしまうのも、「アダルトチルドレン」的な生き辛さを感じるのも、無意識の中にある人生プログラム(アドラー心理学ではライフスタイルと呼びます。)が」引き起こしているのですから、
 
人生プログラム(ライフスタイル)を幸せなタイプに変えていけばいいだけだったのです。
 
機能不全家庭で生きてきた過去の成育歴をどうにかする必要性なんか、これっぽっちもなかったのです。まあ、過去は変えられませんけどね。
 
アドラー心理学は徹底的に目的論で考えます。過去の成育歴やトラウマや遺伝のようなものを原因だと考える原因論を明確に否定します。
 
あなたが今苦しいのが、生き辛いのが、過去の原因のせいだとしたら、どうしますか?
 
過去の原因のせいだとしたら、もう楽にはならない、幸せになんかなれっこない、苦しいままで、生き辛いままだということになりますよね。だって、過去はもうないんだもの。
 
そうじゃなくて、人を過度に警戒して、人付き合いに過大なストレスを覚えるのは、子どものころに、そのころの親の態度や環境から「他者は敵だ」という思い込みを持って、敵から自分を守るために人を過度に警戒するようになったんだ。と、目的論で考えると、
 
じゃあ、「他者は敵だ」という思い込みを変えよう。といったふうに改善の方向性が見えてきますし、実際に改善できます。
 
あなたの人生において、過去の環境はただの影響因にすぎません。決定権はあなたにあったし、今でも主体はあなたなのです。
 
被害者意識を持ってしまったり、何かに責任転嫁している間は、改善されません。
 
アドラー心理学は、呼び掛けます。
 
あなたの人生の主人はあなたなんだよと。
 
次こそ、ペルグリーの博士登場かな?
 
続く

アドラー心理学を生きる7 メモ「使用の心理学 道具をかえる」を読む

 
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読んだ方から、フェイスブックで感想をさっそくいただきました。ありがとうございます。

Aさん
あなたの人生はあなたのもの

涙が出るくらい勇気付けられます

アドラーのカウンセリング受けたり、Smileセミナー受けて諦めないで練習すれば幸せな生き方、考え方になれると私も思います。

以前は自分は不幸だとずっと思って生きて来て、相当苦しかったのですが、今ではそれも激減して毎日幸せに生きることができています。

本郷先生とアドラー心理学のおかげです。
ありがとうございます(^o^)

アドラー心理学を生きる5 闘い続けた30代

テーマ:
 
アドラー心理学を生きる 5回目です。30代の頃の私の歴史を書きます。
 
SMILEを受講した後は、野田俊作先生(当時、日本アドラー心理学会の会長をされていたと思います。)が福岡に定期的に講演をしにらっしゃるということだったので、何度か聞きに行きました。
 
野田先生のオープンカウンセリングもいくつか拝見させていただきました。
 
野田俊作先生からの学びはアドラー心理学の理論を理解するのにとても参考になりました。ただ、「アドラー心理学を生きる」という気付きには全く至りませんでした。
 
大阪まで行き、アドラー心理学会のアドラー心理学基礎講座を受講しました。講師のお一人は、岸見一郎先生でした。
 
岸見一郎先生の講座は、とても印象的でした。講座の中身よりも、岸見一郎先生の発せられる「裏腹のなさ」のような人格的雰囲気が印象的でした。ああ、アドラー心理学って、やっていくとこんなにすごい人になれるのだ。と思ったのを今でも覚えています。
 
岸見一郎先生の講座の中で、「完全にライフスタイルを変えてしまうのに、今まで生きてきた年齢の約半分かかる。」と伺って、そんなに長くかかるんだと思ったのですが、当時32歳。私は、16年どころか、もっとかかったように思います。劣等生なのでしょう。まあ、劣等生の自分をありのままに受け入れていますが。
 
学びはいろいろしたのですが、人と比べたり、競争をする癖、闘う癖は、根強く続けていました。
 
アドラー心理学の学びに関しても、「ほかの人には負けないぞ。」的な態度があったと思います。アドラー心理学でも競争していたのですね。
 
もしかすると、並行して交流分析(TA心理学)の勉強もしていたので、そのせいで、アドラー心理学の実践に身が入らなったのかもしれません。
 
交流分析がダメだということではないのです。交流分析は、第三潮流の一つで同じ人間主義心理学なのですが、どうしてもアドラー心理学の徹底的な目的論や全体論とずれていて、今では私の中で基盤としてアドラー心理学的なとらえ方+交流分析の知見として整理されていますが、当時は私を混乱させていたのには間違いありません。
 
当時赴任していた中学校では、私から見ると生徒に対して高圧的な同学年の先生がいて対立していました。また、校長先生も、私から見ると高圧的で支配的な方に見えたので、私の戦い癖が出て、いろいろと反発していました。そして、あっけなく望まぬ学校へと飛ばされました。
 
私の成育歴の中で、父と折り合いが悪かったので、ライフスタイル(アドラー心理学で言うところの人生のプログラムのようなもの)の中に、「上長者と闘う」「上長者に逆らう」のようなものがあったのでしょう。
 
新しい学校では、生徒たちとはとても仲良くうまく行くようになりました。指導も授業もとてもうまく行くようになりました。SMILE勇気づけの親子・人間関係セミナーで学んだ事を、自分の子どもや生徒たちに対しては熱心に練習をしていた成果でした。
 
新しい学校は、教職員組合に入っている方が多く、組合員の方々が同和教育推進教員の先生を中心に、とてもリベラルで聡明で行動的な方々ばかりだったので、私が常に持っている管理職への反発もあって、組合に加入しました。
 
そして、その組合員の方々と公私ともに仲良くしていくようになりました。これは私の歴史の中で大きな変化でした。
 
更には、校長先生のご厚意で校内の役割分担(校務分掌と言います)で「カウンセラー」の役割をもらい、小さな倉庫を改造してカウンセラー室を作って、生徒と保護者の相談に乗るようになりました。
 
ところが、カウンセラーとして手を取り合っていた保健室の先生(とても生徒のことを大事にする尊敬する先生でした。)が転任していって、新しくやって来た保健室の先生全く逆のタイプの私から見ると高圧的なタイプでした。
 
今の私でしたら、そのような方々とも仲良くやっていくと思うのですが、当時の私は、戦闘意欲満々のライフスタイルを持っていましたので、組合員のグループと非組合員+保健室の先生+管理職のグループという対立を作っていってしまいました。
 
そして、せっかく私をカウンセラーにしてくださった校長先生を職員会議で敵側グループの一員として攻撃し、「本郷先生すいませんでした。」などと校長先生に謝らせたりした結果、当然ですがたった3年でまたもや飛ばされてしまったのです。
 
そして次に赴任した大きな中学校が、体育の先生を中心にとても管理的で、私の性に合わない学校でした。毎朝の朝会で怒鳴る校長先生がいて、誰も逆らえない雰囲気でした。
 
校長が朝から怒鳴ることを私の隣の席の女性の先生が他の学校との研究会で話したらしく、そのことがその校長先生の耳に入りました。すると、朝会で「どういうことだ!Y先生!」と大きな怒鳴り声で私のとなりの席の女性の先生を怒鳴りつけ、職員室がしーんとしたこともありました。
 
同じように、各学年の先生方も、生徒に対して高圧的に、毎日怒鳴り散らしていました。当然ですね、トップがやることを部下は真似します。この怒鳴り散らす校長先生は、県の教育委員会の中では実力者だったらしく、この学校の校長から次は熊本県の教育長に出世していきました。
 
私は、まったく性に合わない学校の中で、3年生を担任して、クラス編成の時に不登校生が4人いるクラスを担任させてもらいました。同じころ、「熊本子どもネットワーク」という組合系の組織の副代表になり、休日に子どもたちと熊本県教育会館というところで活動するようになりました。
 
性に合わない学校の雰囲気の中、学年やクラスの子ども達との交流と不登校の子ども4人の家を毎日のように家庭訪問することと熊本こどもネットワークの活動が、私の心の癒しでした。
 
不登校の子どもの家を家庭訪問して、子どもたちには「無理して学校に来なくていいよ。」、親御さんには「ご家庭が悪いわけではありません。学校に来ないんですから、学校が悪いんです。お母さん、私が悪いんではなどと責めないでくださいね。」と繰り返しメッセージを伝えていました。
 
しかし、ここでも私は闘ってしまいました。
 
不登校のN君が「この中学校の校則の丸刈りは嫌だ。」(N君は長髪可能な学校からの転校生だった)と言っていたので、
 
そのことを同和教育のレポートに、Nくんは丸刈り強制の校則という差別の犠牲者だと書いたのです。しかも、このレポートが県の同和教育大会の代表レポートに選らばれてしまいました。
 
急きょ開かれた校内のレポート検討会で、他の先生方から袋叩きのように非難されました。
 
「丸刈りのどこが悪い!」「丸刈りのどこが差別だ。」「N君は丸刈りが嫌で不登校なのではないのではないか?」大多数の先生方が、私のレポートの内容に否定的でした。
 
闘う気満々の私は、多くの避難にもめげず、N君やN君の保護者とも話し合った結果のレポートの内容だったので、そのまま県の大会でレポートしました。そんなことでは丸刈り強制校則は変わりませんでした。
 
まあ、当時の熊本県では熊本市の一部の学校以外は、全て丸刈り強制で、多くの県民は当然だと思っていたようでした。家庭訪問をしていた不登校の保護者の方が「えー。私はボウズ(丸刈りのこと)が好きだな。中学生はボウズがいいですよ。」とおっしゃったのが印象的でした。
 
ちなみに、丸刈り問題は、N君が卒業した後、次の年に「熊本子どもネットワーク」にやってくるようになったS君とS君の保護者の頑張りで、大変革が起こりました。
 
S君は、熊本県北部の温泉地のある中学校のテニス部のキャプテンで、丸刈り強制の校則にもかかわらず長髪のまま学校にも出席し、部活動も頑張っている元気な子でした。
 
そして、熊本子どもネットワークの場で、中体連大会という熊本県の中学校の運動部が出場する大会としては最も大きな大会に、長髪を理由に出場を禁止されたと告発してきたのです。
 
そして、熊本子どもネットワークと県の教職員組合の助言で、保護者の方が「人権問題」として熊本県弁護士会に訴えられました。すると、熊本県弁護士会はすかさず熊本県教育委員会に、丸刈り強制校則を「人権問題」として勧告しました。
 
するとあの怒鳴る元校長が教育長をしていた熊本県教育員会は、県下の中学校に丸刈り強制校則を見直すように指導したのです。
 
そして、その直後、熊本県のほとんどの中学校が、長年やって来た丸刈り強制校則を廃止したのです。丸刈り強制校則を意欲的に維持してきた先生方は何も異論を唱えることなく、丸刈り強制校則はなくなりました。
 
その間、一気呵成でした。私のあのレポートの時の出来事はいったい何だったんだろうとも思いましたが、この一連の出来事は、私の闘うライフスタイルをいたく刺激してしまったらしかったのです。
 
その後、私は怒鳴る校長の後に入ってきた新しい校長と、勤務時間をめぐって組合として激しく争いました。SMILEの方法はどこへやら、脅す、復讐する、従来の私のライフスタイルが連発でした。当然、その結果として、またもや3年で飛ばされました。飛ばされるのは3度目でした。
 
競争を仕掛けた同僚の先生方、脅したり、復讐を仕掛けた管理職の先生方、ごめんなさい。未熟な私の未熟な行動でした。
 
さて、私の、闘うライフスタイルを変革するのに、一大契機だったのが、ジョセフ・ペルグリーノ博士との出会いでした。
 
続く
 
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