部活が教育活動の一環なら

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ある方が書いた記事を読みました。

簡単にいえば部活が「ブラック部活」といった記事になるのはおかしいと。

 

「中学校の多くでは生徒全員が部活に所属することが義務になっているが、それは形式上のもので、参加したくない子はでてこない。」

「だから、部活に参加する子どもは自ら望んで主体的に参加しているのだから、強制とか無理矢理にはあたらない。」

「部活での成長が日常の学校生活での己を高め、学校生活での成長がまた部活動での自分を高める。」

「何よりも時間と労力の共有が教師と生徒の絆を深めていく…。」

 

うーん、全部間違っているとは思わないけれど、これこそ部活顧問の驕りだと思うんですね。

特に中学の運動部なんて、子どもに発言権や自由はないですよ。顧問が王様なんですから。

 

それでどこに絆が生まれるのか。

部活を引退した子どもに顧問との間に絆を感じますかと聞いてほしいぐらいですね。

 

しかも部活が教育活動の一環だとしたら、練習ぐらいは平等にやらせなさいよ。しかも子どもの成長は一律じゃないんだから、その子に合わせた上達方法を与えなさいよ。顧問はコーチなんだから。

 

要は教師が部活の顧問という強い立場を利用して「スポーツを使って指導」しているんですね。だからスポーツはスポーツでなくなる。

 

学生時代にその競技でそれなりにやってきた顧問ほど、なんだかんだ言っても「勝つ」ことしか考えてないですよ。どんな言い訳してもそうなんですから。

 

だから、「今年ははだめですね。いい子がいません」とかいっちゃうんですよ。

 

はっきりいって親は誰も教育活動の一環で生徒指導してくれなんて思っていない。生徒指導は日常の学校生活の中でやってくれ。それが運動の中でやる必要があるなら「体育」の授業でやればいい。

 

なぜ部活なのか。

子どもたちに指導してほしいのは「スポーツ」なんです。ただバスケットボールを教えてほしいだけなんです。バスケットボールがやりたいだけなんです。負けたら怒られたり、練習中に怒鳴られたり、そんなこと誰も望んでないのです。

 

教師になりたいのではなく、部活の顧問になりたい教師が依然としてして多い日本ですが、こうも部活を正当化されると時代錯誤だなあと思ってしまいます。

 

誤解してほしくないのは、指導に長けた方もたくさんいるんですよ。ただ、学校生活の指導とスポーツをセットにしないでもらいたい。先生の仕事は学校生活部分だけにして、部活部分は生徒から別途費用をとって「コーチ」として専門的にやればいい。

 

実際は難しいけれど、日本の悪しき部活制度が変わらない限り、スポーツはその競技にたまたま合致した一握りの子どもたちのものとなるでしょう。

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