PAGES D'ECRITURE

フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。


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前回の ハイチ:「なぜ我々が?」 で引用した Haiti - Pourquoi nous ? (ハイチ - なぜ我々が?)の続編ともいうべき記事を掲載します。

週刊誌 Le Nouvel Observateur の2010年1月28-2月3日(通巻2360)に掲載された Haïti - Le sursaut de l'apocalypse (ハイチ - 黙示録からの奮起 または、大惨事からの跳躍)という記事で、著者は前回と同じ Jean-Paul Mari 氏です。



HAÏTI

Le sursaut de l’apocalypse



アメリカ、ブラジル、ヨーロッパがそれぞれの政治的意思を断言する。国連が行動を起こす。DSKのIMFがマーシャル・プランに言及する・・・ 1月12日の地震は意識を呼び覚ました。緊急事態を超えて、強固な基盤の上での再建の希望を生み出す


De notre envoyé spécial


そしてもし、この廃墟から新しい風が起こったら?もし、破壊された建物、砕け散った記念碑、形を失った都市、生存者の目に映る恐怖、空気中にはびこる死と粉塵の匂いにもかかわらず、全てにかかわらず、あるいはまさしく、大災害の大きさのおかげで、激変の端緒に似た何か、根本からの変化、ハイチの未来への希望があったとしたら?奇妙な質問だ。せいぜい2週間前には、誰もそのような質問をしようとはしなかったはずだ。

 1月12日火曜日17時、ポルトプランス Port-au-Prince で、世界はハイチ首相、ジャン=マックス・ベルリーヴ Jean-Max Bellerive の頭上で崩れ落ちたところだった。ハイチはもはや瓦礫の山にのみ君臨するだけである。なお唖然としながらも、首相は瓦礫から自分の体を引きずり出し、スーツの埃を払った。身の周りでは、何もかもが崩れていた。光もなく、通信もない・・・ 彼は共和国大統領、ルネ・プレヴァル René Préval を探しに行くことにする。被災を免れた彼の四輪駆動車は、何の役にも立たない、道路は巨大なコンクリートの柱で塞がれている。首相はオートバイ・タクシーが通るのを見て、それを止め、土砂の間をジグザグに走り、空中でバチバチ音を立てている切断された電線を通るときには頭を低くして、首都を横断する。ルネ・プレヴァルの官邸に着くまでに、1時間を要した。上院議員2人が死亡し、高官が行方不明になったが、大統領は存命である。危機対策室の初期段階を召集するために、政府の閣僚を集めるオートバイ・タクシーの小隊を送ることに決める。21時頃、全ての生存者はそこにいた。まず、状況を把握すること。その光景は阿鼻叫喚である。国家の全ての機関は物理的にバラバラになっている。大統領府、上院、下院、実質的に全ての省庁、行政機関、警察署、消防署、市民保安局、赤十字、空港の管制塔・・・何も無事に残っていない!ジャン=マックス・ベルリーヴは、ハイチに本拠を置く国連のミッション、MINUSTAH (Mission des Nations Unies pour la Stabilisation en Haïti 国連ハイチ安定化ミッション)に向かう。そこも破壊されていて、その代表と副代表は、瓦礫に埋もれて死亡した。フランス大使館は?歴史的な巨大建造物はまだ立ってはいるが、ぐらつき、ひび割れ、使用不可能だ。カナダ大使館は?以下同文。最近の巨大で堅固な建物、アメリカ合衆国大使館は無事だ。偶然は、ポルトプランスに滞在中のアメリカ軍の責任者、米南方軍司令部ナンバー2が、直ちに損害を受けた空港の修復を提案することを欲する。ジャン=マックス・ベルリーヴは承諾し、協定に署名し、米軍は行動を開始する。彼らは、およそ12便を受け入れるために造られた唯一の滑走路を、夜も昼も300機までの航空機を管理できる空港に変えようとしている。首相が危機対策の会合を終えたのは午前5時であり、一つの問題が持ち上がる。政府はどこで作業することができるのか?犯罪警察の部長は、鋼板の屋根を備え、無傷だった、空港に近い本部を提案する。被災を免れた何台かのコンピューター、発電機、埃をかぶった書類ケースが持ち込まれ、政府は空調を備えた唯一つの部屋に、審議するために駆け込む。


A la tête de la Minustah

MINUSTAH のトップに)


 「私の執務室は、素敵ではないですか?」、狭い廊下で小学生用の机の向こう側に座って私を迎えた首相は、微笑む。外では、ちょっとした群集がデモ行進する。「我々は飢えている!」、そして警官は催涙弾の攻撃で入り口を片付けなければならない。毎朝8時に、首相はここで、大使、世界食糧支援計画のオペレーター、主要な非政府組織、技術者を迎え、週に2度、「戦略会議」が大統領、国連、ヨーロッパと友好国の代表を集める。「時間通りに出迎えなければ歯軋りする外国の要人の突然の訪問を除いて・・・」。空港の駐機場には、援助物資が到着し、数千個の箱が積まれている。今は、配給を調整し、倉庫を探し、ポルトプランスの渋滞を解消し、プレハブの行政地区を設置し、家を失った人々を収容する・・・ことがまだ残っている。作業は莫大であり、大統領はいつものように殆どしゃべらない。憔悴した国民は不満を爆発させるが、首相は恐れていない。「これは極めて民主的な災害だ。全ての人々を襲った。国が我々の後に続くだろう。国家の権威は今、流された血に支えられている。」 そこから数百メートル先では、一人の男が MINUSTAH の代表として戻ってきた。1年8ヶ月前、ハイチへの国連代表、エドモン・ミュレ Edomond Mulet は、この国がよい方向に向かっていることを確信して、島を離れた。今、その後継者、その副官、およそ20人の職員、10人の政治顧問のうちの8人、60人の軍人と警官、2人の大佐、1人の司令官、全員が建物の倒壊で消えた。バグダッドの国連本部に対する攻撃に匹敵する。そもそも、エドモン・ミュレは「爆撃された都市」に再会したのである。以来、打ちのめされ、首脳部を失った機関は、落ち着きを取り戻した。死者は埋葬され、親しい人の死に打ちひしがれた職員は職務に復帰し、廊下や軍のキャンプの芝生の上で寝ている。そして安全保障理事会は、さらに1500人の警官と2000人の軍人の派遣を決めた。MINUSTAH はハイチの治安に専念する。1ヶ月以内に、1日につき200万人に食糧を支給しなければならなくなる。


« L’Amérique change »

(「アメリカは変わる」)

 もう一つの賭けはより政治的である。2003年、バグダッドの国連本部に対する攻撃の後、ブッシュのアメリカは突然、国連軍をイラクから締め出していた。既に、武装した海兵隊員がシャンドマルス Champ de Mars の芝生に上陸するのを見て、一部のハイチ人は抗議した。「軍は来るな!アメリカ人は要らない!」 最初の数日から、複数の人道救援機が、アメリカ軍の揚水機のために着陸許可を拒否されていた。フランス側は抗議し、欧州側は苛立ち、世界は、オバマのアメリカが、援助と独占、介入と占領を混同するジョージ・ブッシュの悪辣なやり口を永続させようとしているのではないかと疑問視した。エドモン・ミュレは不安を一掃する。「事態は変わった。アメリカ側は、数ヶ月間だけ、大量の援助を持ち込み、治安を確保し、国連の活動を支援するために数ヶ月間だけ滞在すると、私に明言した。」 最初の不協和音から、ハイチの国連は情報をワシントンに通した。「注意しろ!君たちはイメージの戦いに負けようとしている。何もかも君たちの意に反して回るかもしれない。」 直ちにホワイトハウスは、照準を合わせ直した。オバマ大統領は国連事務総長に、明白なメッセージを伝えるために電話した。「我々は、あなた方を助けるためにそこにいる。我々は出て行き、あなた方が残るだろう。」 ハイチは、アメリカの新大統領が、その違いを示す機会として、ブッシュ政権の凶暴性並びに国際社会に対する無視と決別するのを躊躇しない、最初の危機である。オバマは、非常に具体的な行動として、平和維持のために国連の会合を率いることのできる最初のアメリカ大統領であり、ブッシュの国連への借りを返した。ペンタゴンでは、命令が承認され、フレーザーとキーン将軍が同じ立場を取る。現地では、第82空挺部隊の戦闘員でさえも控えめな武装をし、接触はより容易である。さらに良いことに、ハイチ人の勇気に驚いた兵士は、戦争以外のことをするのが幸せなように見える。ハイチはイラクではないし、ニューオーリンズの水害の犠牲者が潜在的な犯罪者と見なされた、カトリーナのルイジアナでもない。「明らかだ。アメリカは、言説においても行動においても、変わりつつある」と、アメリカとカナダとの行動原則宣言に署名したエドモン・ミュレは言う。確かに、航空輸送は問題が多いままだが、ヒラリー・クリントンの飛行機でさえ、着陸できるまでに2時間半、旋回しなければならなかった。そしてビル・クリントンがエドモン・ミュレに電話するとき、対話に曖昧さはない。「何が必要だ?」「トラック。およそ百台・・・」「どんな型の?」「余り大きくないもの。ここの道を走り回るために。」「OK。ゼネラルモーターズとフォードに電話しよう。」 「そうそう、ハイチの警察部隊に装備するための車も何台か。」「引き受けた。」


Tout peut capoter

(全ては反転するかもしれない)

 1万2千人の兵士、タンカー、病院船、浮き桟橋、数百万人分の配給… 誰もアメリカの物資補給とは競争できない。そしてハイチはそれを強く必要としている! エドモン・ミュレにとって、緊急事態に立ち止まること、国連のために建物を借りることは問題外であり、今後少なくとも6ヵ月間は現地にいるミッションのために建設しなければならない。地震は白紙状態をもたらした。この国を堅固な基盤の上に再建し、ハイチの国家機関を支援し、本当の空港、港、道路、行政府を建設し、地方分権化し、効果的な行政を再建し、基礎も認可もなしに石灰質の凝灰岩の上に多量のセメントを置くことを許す不当な利権と決別するために、この状況を利用しなければならない。そう、しかし歴史を足踏みさせずに、非人間的なコンクリートの雪崩に埋もれた国の魂を再建することである。「大統領府と主要な建造物は同じように再建されなければならない」とエドモン・ミュレは言う。「目的はこの国の再生だ。今を逃せば永久にない。」 地震は街を破壊し、少なくとも15万人を殺し、百万人の家を失った人々を出しただけではなく、国際的な意識を揺さぶった。全ての要因は青信号であり、政治的意思はそこにある。オバマのアメリカ、国連、安全保障理事会の理事国となったルラのブラジル、そしてハイチの隣国、国境への通路、すなわち食料援助のトラックの「生命線」を開いたドミニカ共和国の意思が。DSK(ドミニク・ストロスカーン)のIMFはマーシャル・プランと言い、ヨーロッパはアメリカの3倍に相当する4億2000万ドルを引き渡すことを約束した。「この国を単なる補修で満足させておくこと、さらになお待たせておくことはできない」と、フランス大使ディディエ・ル・ブレ Didier Le Bret は言う。「ここでは、試練は莫大だ。危険性も莫大だ。」

 道の瓦礫、傷ついたハイチ人、破片になったこの国は、虐待の歴史、失敗した独立、植民地の弾圧、卑劣な債務、そして最後に、「パパ・ドック」、「ベビー・ドック」、アリスティドという、自国民から略奪した一連の独裁者の、結果である。南北関係の失敗の風刺、現代世界の地図上の巨大な黒い点として。地学者たちが、1ヶ月あるいは2ヶ月、遅くとも1年以内に、来るべきもう一つの地震を予想しているだけになおさら、早くしなければならない。国際社会が約束を守らず、間に合わせの策で満足し、好機を逸すれば、全ては反転するかもしれない。豊かで腐敗し、自らの利己主義に踏ん張るクレオールのエリートがドルを作り続け、最初の大災害に外国に逃げ続け、自国民を無視し続ければ、ハイチはアメリカ沿岸に向かうボートピープルの国、麻薬密売の富豪によって血を流し、人々の亡霊に取り付かれた、暴君に支配された悪夢の国になるかもしれない。1月12日の地震は首都を瓦礫の野に変えたが、意識における凄まじい揺れも引き起こした。真の変化への並外れた希望。黙示録からの奮起のように。


JEAN-PAUL MARI

Le Nouvel Observateur 2360 28 JANVIER-3 FÉVRIER 2010


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2360/articles/a417602-.html


ハイチ大地震関連のエントリーをまとめておきます(まとめるほどでもありませんが)

ハイチ:「なぜ我々が?」 2010-02-09

ハイチ:「黙示録からの奮起」  2010-02-12 (今回)





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