オバマ当選が欧州左翼に与える教訓(ル・モンドの記事) | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

前回の ポピュリズムを拒否するアメリカ(ル・モンドの記事)  に続いて、もう一つ米国大統領選に関する記事を引用します。今回は少し新しく(もありませんが)、11月8日の紙面のものです。

記事中、右翼、左翼という言葉が頻出しますが、日本(や米国)で言う「保守」が右翼、「リベラル」が左翼と読み替えてもいいかもしれません。フランスで言う「リベラル」は右翼なので、多少混乱しますが。


『オバマ、ヨーロッパの左翼にとっての教訓。イザベル・フェルラ』

Point de vue

Obama, une leçon pour les gauches d'Europe, par Isabelle Ferreras

LE MONDE | 07.11.08 | 13h59 • Mis à jour le 07.11.08 | 13h59



この30年間、ヨーロッパの左翼は自問していた。一体、アメリカの進歩派は何をしていたのか?彼らはどこに行ってしまったのか?と。この問いには安心させる作用があった。なぜなら、旧大陸では全てがはるかにうまく言っていたからである。マルクスを最後まで読んだことのない、哀れな新大陸とは反対に、強固に根付いた労働者、社会主義者の「真の伝統」があった欧州大陸では・・・ そして、そこかしこで自党を権力の座に送り届けるまでに活力を与えられ、容認された組合組織を持った欧州の左翼は・・・そしてもし歴史が、旧大陸の左翼のための歴史よりもっと複雑で、魅力の無い些細なものだったら? そしてアメリカの政治シーンがヨーロッパの左翼の熟考を助けていたら?

アメリカ合衆国で何が起こったのか?1930年代の大恐慌の後、健全な経済を構築するために国家が重大な役割を果たさなければならないという考えが認められた。ケインズ主義的な経済学説に基づいた、欧州人が呼ぶような社会民主主義的妥協は、こうしてアメリカ連邦国家レベルでの課税、公的支出と強力な再分配機能を正当化した。国家のこの重要な役割は、特に、1933年から1936年のフランクリン・ルーズベルトのニューディール政策の実施と成功のおかげで広く認められることになる。

この劇的な時代はアメリカの右翼の精神に深く痕跡を残す。右翼は思想の闘いを開始し、以後数十年続く、知的で戦闘的な作業を始める。これはヘリテージ財団(1973年)やカトー・インスティテュート(1977年)より前に、アメリカン・エンタープライズ・インスティテュートの設立(1943年)を生み出すことになる。「攻撃的な」国家防衛と組み合わされた、「限定された政府」、何よりも個人の自由、制約なき企業の自由、アメリカのナショナリズムの思想を奨励する、右翼のシンクタンクのピラミッドである。

これら反動的シンクタンクは、次第に強固になったメディアとの連携により共和党の政策スタッフと支持者の全体に影響を与え、ロナルド・レーガンからジョージ・W・ブッシュに至る共和党の選挙での成功に寄与する。アメリカの左翼が1970年代の初めに、砂漠を横断する長い旅を始めるとしたら、それは30年早く政敵が始めていた努力が身を結んでいたからである。新自由主義者と新保守主義者の同盟によって行われたイデオロギー的な巻き返しは、当時、堰き止めるには余りにも強大になりすぎていた。

バラク・オバマ候補の計画は、イデオロギーの覇権の歴史の鏡に写した遺産である。10年前、シカゴの有権者の前に現れたとき、オバマはアメリカ民主党員の中で最も進歩主義的な少数派に支援されている。彼は当時のイデオロギー上のメインストリームとは反対の行動計画を擁護する。強化された社会保障、教育と医療に対する公共投資、とりわけ企業における組合の代表、などである。確かに、今日、アメリカ全体に語りかける彼の演説はいくらか角が取れている。しかし根本的なことは持続している。アメリカ右翼の教条に反する、再分配的、産業的な役割を演じる能力における、再建された公権力の機能という理論である。8年前と4年前、民主党候補アル・ゴア、次いでジョン・ケリーは、このような原則を敢えて明確に言うことはなかった。

今日、アメリカ国民は経済を立て直すために、ジョン・マケインではなくバラク・オバマを信頼している。それはイメージの問題だろうか?素晴らしい瞬間に感動的な微笑を取り出すことができた候補だからか ?確かにそれも重要である。しかし、状況の転換はアメリカ左翼がずっと前から準備していたイデオロギーの逆転に由来している。

というのは、欧州の左翼を心配させたこの何十年かに、アメリカの左翼は何をしていたのか?保守的思想の攻撃から教訓を引き出していた。共和党の政策の身軽にしたバージョンの写しとは最終的に異なる民主党の計画を明確にするのに好都合な状況を準備していた。巨大な作業に少しずつ懸命に取り組んでいた。右傾化した民主党と急降下する組合加入率の間で窒息していた活動組織を再編成していた(1970年のAssociation of Community Organisation for Reform Now創立と、1998年のMoveOn.org、2003年のWorking Americaの創立による)。

アメリカの左翼は、主要な制度の困難な状況下で民主党を左に推し進めていた(1992年のNew Party設立と1998年のWorking Families Party設立)。最後に、州レベルでの政策提案の的確さを証明し、特別な地域での勝利を画すことで、その名にふさわしい社会民主的計画を再建していた(例えば、Center on Wisconsin Strategyと共同で、ウィスコンシン州の雇用プールにおける職業資格取得のための調整)。

結局、2000年のジョージ・W・ブッシュの権力獲得による心的外傷の後、共和党支配がかつてないほどに不朽のものに見えたにも関わらず、左翼は自らのビジョンを懸命に組み立て、伝統的な境界線を越えた、新しい連合を集めていた。地方や全国の議員、組合運動、環境保護運動、あらゆる宗派の教会、グリーン・ビジネスのリーダーたち、進歩的な研究所、学生運動・・・ 2001年9月11日の襲撃の後に考案された、Apollo Alliance(アポロ同盟)計画はその象徴的な事例である。

テロリズム・環境破壊・産業の雇用の国外移転という、ブッシュの方程式に対して、アポロ同盟は答えた。石油とテロリズムの国に対する独立・環境保護と再生可能なエネルギー・国外移転不能で組合化された工業とサービスの雇用、と。

今日、Joel RogersとRobert Borosageとともに、アポロ同盟の創始者であるDan Carolがバラク・オバマのdirector of content and issus(計画と争点のディレクター)になるとしたら、偶然によってではない。

民主党候補の力は今、この長い準備作業にも由来している。明らかに、金融危機はこの熟成作業を加速した。明らかに、バラクとミシェルのオバマ夫妻のカリスマ性には大きな違いがあった。しかし、アメリカの左翼の熟考と提案と同盟の辛抱強い作業がなかったら、民主党候補の信頼性、信じられる能力が何かを誰が言うことができるだろうか?

自らに問題を課さなければならないのは欧州の左翼である。なぜなら、1970年代にアメリカの左翼が陥っていたのと同じ、イデオロギーと政策の弱体化の状態に陥る恐れがあるからである。

政治的勝利は長い時間をかけて準備させる。構成員を集め、一貫性のあるビジョンを構成し、具体的で野心的で誰にでも理解できる提案を表明し、地方での成功によって自らの真剣さと有能さを証明すること。それこそが、今日期待された勝利に貢献したのである。そして、一度だけならいいだろう、ヨーロッパの左翼がアメリカから着想を得るとしたら・・・


Isabelle Ferreras est professeur à l'Université catholique de Louvain, senior research associate, Labor and Worklife Program, Harvard Law School.


Article paru dans l'édition du 08.11.08







欧州の左翼だけでなく、日本の「リベラル」(日米の用語で)や社民勢力にとっても教訓となるかもしれません。

社会民主主義勢力が壊滅状態に近い日本は、本来の多数派のための政権が誕生するまでにはそれこそ長い時間が必要になるでしょう。その頃まで自分が生きている可能性は率直に言ってありません。せめて子供の世代には、生きていて良かった思えるような「社会」であって欲しいと思います。そのためにも、米国の左翼が要した時間、これから欧州左翼がしなければならない努力を、日本の民主主義を擁護する側も開始しなければならないでしょう。ことに、上の記事の基準では右翼どころか、アホでマヌケな知的にチャレンジされた極右に支配されてしまっている日本では。


【追記】
日本の状況にやや絶望的になっていましたが、考えてみれば、日本の「左翼」(フランス的な言い方で)にも、オバマ新大統領のような人物がいました。社民党の保坂展人衆議院議員です。衆議院議員に初当選してから十数年、地道に、かつ精力的に活動しています。長い時間を要する辛抱強い作業を、既に相当こなされていると考えられます。次期衆院選では、東京8区の石原某の「右翼ポピュリズム」を打破されることを期待します。社会が社会として機能する時代が、自分が生きている間に再び訪れるかもしれないという、僅かな希望のためにも。

保坂議員のことを思い出したのは、以下の記事のおかげです。

カナダde日本語: 保坂展人氏をいつか首相にして日本のチェンジを実現しよう

広島瀬戸内新聞ニュース: 記事紹介:「日本のオバマ」保坂展人氏を首相に押し上げ、「日本のチェンジ」を実現しよう!


「教訓」として指摘されるまでもなく、既にするべきことを実行しつつある保坂議員には敬意を表します。