マイホーム探し

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1年

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あの日からもう1年も経った。
今でも鮮明に思い出す。仕方のないことだったと思い続けてきたけど、それでも悲しい1年だった。

それでも、この1年で学んだことは沢山ある。

今まで頑張りすぎてたということ。勉強もそうだけど、人間関係が1番大きい。私から連絡を絶ったら、見事に誰も連絡してこなくなった。連絡してくれるのは、ほんの2、3人。心配して連絡してくれたり、励ましてくれたりする、この人たちにはとても感謝している。頑張って友人関係を続けようとするのはやめた。少し楽になった。

論文を続けるのは辛い。なぜかと言うと、人間関係がテーマだからだ。敢えてこのテーマにしてしまった自分が悪いが、今でも正直しんどい。でも、どんなに辛くても、ようやく終盤に入ってきた。少し体調を崩しているので、今は止まっているが、きっと終わりはくるんだ、というゴールは見えてきている。一時期バイト、論文、家事の3つのわらじを履いている時は、限界に近かったが、気力でやってきた。我ながら、すごいと思う。

少しは自分を褒めることにした。夫も辛かったにも関わらず、仕事ではまた昇進がかかっている。去年の業績も1番だった。夫は、私のおかげだと言ってくれた。お弁当は欠かさず作り、そんな妻を持つ人は夫の会社にはもちろんいない。だけど、よっぽど病気でない限りは作っている。私は、外で働いている夫の代わりに家で働いているのだから、当然だと思っていたが、そうでもないらしい。最近、日本人母であること、妻であることとはどういうことなのか、考えている。私はどこか少し古臭い日本人のようだ。でも、そうだからこそ、今日があるんだから、自分に少しご褒美をあげてもいいんじゃないかと思っているし、時々、ご褒美に大好きなスイーツを買う。

引き続き、頑張りすぎるのはやめる。人も、離れていく人は、それまでの関係だったんだと思うようにしている。また新しい人間関係を作ればいいし、それがいつになるか分からなくても、今はほとんど1人でも、大して悲しくならなくなった。元々、1人で行動するのが平気だったんだということを思い出した。家族がいるし、それでいい。さあ、今日からまた読書を始めよう。
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1人の休日

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レイが友達の家に遊びに行くというので、久しぶりに1人の土曜日を楽しもうと、ダウンタウンにやって来た。何となく汚くなってきたと思っていたので、新しいバスマットを購入し、前から気になっていたけど、まだ来ていなかったカフェにやって来た。ドイツ語で書いてあるものを注文したかったけど、どのコーヒーがどういうのか全く分からないし、店員さんに聞いて注文。エスプレッソにミルクが少し入って、その上にホイップクリームが乗っている飲み物。ケーキも美味しそうだったけど、後でイタリア系食材の店でケーキを買って帰る予定にしていたので、今日はやめておいた。エスプレッソがスッキリ飲めた。今度はレイも一緒に来ようと思う。

シカゴに来てあっという間に半年近くが過ぎた。まだ気持ちが不安定な日もあり、出不精が続くが、仕事を始めたり、論文も計画を立てて書き始め、以前よりは随分論文も進んだ。まだファーストドラフト段階だけど、予定では来年5月には終わる予定。来年中に卒業できたらいいのになぁ。人生、計画通りにはいかないものだなぁ、と嫌気がさすことがあるけれど、私の諦めの悪さもあるけど、レイの優しさのおかげで、何とか今の生活が成り立っている。ありがたい。

さて、今から食材店に行って、今日の夜ごはんとデザートを買って、掃除、洗濯し、昨日からなぜか見始めたAngelというヴァンパイア系の90年代のドラマを見ようかなぁ、と考え中。Buffyのspin-offのドラマなんだけど、昔Buffyにハマっていました。よくそれで英語を勉強したし、アメリカにいるのに、レイの家族以外にあまり英語を話す機会が減っているので、英語力低下が著しいので、これで昔に戻って英語を勉強しようと思っています。


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論文再開

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5月初めから始める予定にしていた論文、公言通り5月初めから再開しました。
滑り出しは好調。以前書いていたものに書き足したりして、とりあえず書ける範囲でのイントロは完成。これから書いていくものによって変わっていきますが、方向性を定めるために初めに書きました。

今はチャプターでも多くを占めるインタビューの部分を書いています。思ったよりもインタビューしてた人が多くて、一体何ページになるのか不安です。情報はたくさんあるのに、思ったように書けないのもストレス。日本語のニュアンスを英語にいれるのに時間はかかるし、いっぱいあるし。家事やったりしながらなので、集中できる時間は一日4時間が限度。ほぼ一日家に籠っています。出かけるのは唯一週一で通っているカイロプラクティックの日。

何とかしてラフドラフトを今年末までに仕上げたい気持ちはあるけど、しんどすぎる。あぁ それにしても今のままだと300ページぐらいいきそう>< 気力の問題な気がするけど、作家?学者?は孤独だなぁ。あまり人との付き合いが好きではないから、別に家に籠るのには何の問題もないけど、ただ毎日しんどい。

唯一の楽しみは、テレビで見るフレンズ。何回見たんだろう?まあ、毎日論文のしんどさで他に考えなくていいのはいいかなぁと思います。それでも、骨壺が目に入ると辛く感じますが、今私にできることは論文を終わりに近づかせること。それだけです。その後に何が待っているかは分からないけど、1つずつ楽になっていきたいです。

さて、休憩はここまで。また再開します。

新しい生活

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もしも息子が助かる可能性があったとしても、障害が残ることも十分に考えられたため、その場合、家族のサポートがあった方が良いだろうと、夫が会社のシカゴオフィスの仕事に応募していて、その仕事が決まったため、手術から一か月後にシカゴに引っ越してきました。

サンディエゴの毎日夏日とは違い、こちらへ来た日からずっと雪。4月に雪なんて初めてでした。今週からようやく春日を感じますが、まだまだ朝晩は寒いです。

わりと急な引っ越しだったため、色々な人に言うのが遅れ、そのために今でも引っ越した理由を聞かれたりします。はっきり言って、聞かれる度に説明するのが嫌です。放っておいてほしいと思いますが、そういうわけにはいかないようです。

新居は、また2人生活なので、前と同じくワンベッドルームのマンションです。一階にドアマンがいて、なかなかファンシーです。目の前に公園があって、緑がきれい。車は夫が使うので、私は車無し。人に会うこともないので、必要性はあまりないですが、買い物に自由に行けないのがちょっと不便。でも、近くにコーヒーショップやらカップケーキ屋さんがあり、歩いて出かけられるところがあるだけ良かったです。

今は事務作業が残っているので、そちらを終わらせるのが優先ですが、落ち着いたらまた論文を再開しようと思います。すっかり忘れてしまいましたので、読みなおさなきゃいけないものがたくさんありそうです。

まだまだ悲しいと思う日もありますが、環境が変わったことによって、また前向きにやっていけそうな気がしています。

先天性横隔膜ヘルニア

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久々にブログを書きます。その上、重い内容になります。でも、このブログは必ず誰かの助けになると思うので、書くことに決めました。

タイトルにある通り、先天性横隔膜ヘルニアについて書きます。

ずっとブログを更新していなかった理由の一つに、去年の11月に妊娠が発覚し、つわりのために、あまりパソコンをいじれなかったことにあります。そして、10日前に、息子を亡くしました。妊娠18週6日目のことです。

妊娠10週までは順調で、12週の検査で大丈夫だったら、皆に公表しようと夫と決めていました。しかしながら、この検診で、息子に先天性横隔膜ヘルニアの疑いを指摘されました。そこから、私たち夫婦の暗い2か月がやってきます。

先天性横隔膜ヘルニアとは、胎児に横隔膜に欠損があるために、本来なら横隔膜の下にあるべき臓器が胸部に上がってきて、肺部を圧迫することで、肺の成長を止めてしまいます。息子の場合は、12週の時点で、胃が心臓の横にありました。でも、まだ小さいから、良く見えないし、少し待ちましょう、ということで、18週まで待ちました。その間に、羊水検査を行い、合併症がないかどうかを調べました。

合併症はなく、ほっとしていましたが、18週3日目のエコーで、心臓が右によっているのと、胃や他の臓器が上がっていて、肺ができるスペースが心臓のほぼ半分ぐらいしかありませんでした。もちろん、左側に肺ができるスペースはありませんでした。希望を持っていたけれども、お医者さんからも、生存率は20パーセント、例え生きれたとしても、人工呼吸器での一生、きっと一年も生きられないと宣告されました。

夫婦間で色々話し合ってはいたのですが、この診断を聞いて、今回は諦めざるを得ませんでした。後で泣くか、今泣くかの選択しかないと判断したからです。

そして、2016年2月26日、手術を行い、私たちは息子を失いました。後に残ったものは、息子の小さい足形と遺灰です。

悪夢のような2か月だったし、今でもまだ引きずっています。夜中に起きては涙を流す毎日です。
横隔膜以外は正常だったので、本当に悔しいとしか言いようがないです。なぜ私たちの息子がこんな目に合うんだろう、と何度も何度も考えてしまいます。

はっきり言って、この病気に関しては全く知識もなかったし、知らされた時も、英語が分からなかったので、どういうものか実感がわきませんでした。ただ、病気の説明を受けている間に、深刻なものだということは分かりました。突発的で、原因も分かりません、と言われたので、どうもこうも防ぎようがなかったみたいです。私自身は、早寝早起き、食事もつわりで、若干食べられないものはありましたが、吐くことはなく、何とか食事はしていましたし、いたって健康でした。

手術2日後には、母乳が出てきてしまったせいもあって、未だに胸の張りと痛み、子宮の戻りも遅く、まだ出血のある日々を過ごしています。

夫が、昇進したため、研修でDCにいる今は、夫のお母さんにこちらへ来てもらって、一緒に生活をしています。痛み止めの薬のせいで、運転などができないため、色々手伝ってもらっています。また、近々引っ越しも決まっているので、そのお手伝いも兼ねて、色々とお世話になっています。流石に1人だと気分もどん底なので、泣いてばかりだったと思いますが、お母さんがいるおかげで、何とかやれています。

妊娠5か月に入っていたこともあり、お腹も大きくなり始めていたし、胎動もよく感じていました。いつも動く元気な子だったんです。でも、この世界、お腹の外で生きる準備が整っていませんでした。とても楽しみにしていた分、とても悲しいです。

でも、3000人に1人の割合でこの病気にかかる子供がいると聞いているし、きっと今日もどこかで子供に先天性横隔膜ヘルニアがあると聞かされている人がどこかにいると思います。私もそうでしたが、希望を持ちながら、ネットで色々病気について調べたし、ブログもいっぱい見ました。きっとこのブログを見つけた方も、情報検索されている過程かと思っています。私たちは、中絶を選びましたが、選ばずに、出産される方もいらっしゃるだろうし、それはそれで本当にすばらしいことだと思います。私たち夫婦にとっても、苦渋の決断で、これほど辛い決断はこれまでもなかったし、これからももうしたくないです。

1つ嬉しかったことは、息子が最後に私の様子を見に来てくれたことです。私は少々霊感があり、息子が私のそばにしばらくいてくれたことを知っています。もう天国に行ったと思うし、今は私のそばにはいません。でも、とても嬉しかったです。

身体も心も回復するのに少し時間がかかりそうですが、また次に私たちのところへ子供が来てくれることを心から祈っています。でも、その子は私たちにしたら、二番目の子供ですが。初めての子は、いつまでも、息子レン(錬)に変わりないです。

再び

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先月から一か月ほど日本に一時帰国していました。

メインは弟の結婚式。とはいえ、帰国すると、普段できないため、母の手伝いをよくすることになります。

その他、まだ私の部屋というものが存在し、帰るたびに片付けをし、今回は弟の部屋も片づけることになりました。お手伝い要員になる分には構わないのですが、たぶん、普段慣れていない蒸し暑さのために、

結構疲れてしまいました。こちらに戻って来て、すぐに風邪を引き、2日間はみっちり休んでいました。


おかげ様で、風邪が治り、というか、弟夫婦がハネムーンでアメリカに来ていて、その週末にLAまで迎えに行くことになっていたので、必死で治しました。結構長年住んでいるわりに、私の家族はこちらに来たことがないので、弟が初めて私を訪ねて来たことになります。時差ボケの中、二人とも、若干疲れ気味ではありましたが、まあ楽しんでくれていたらありがたいです。火曜日には空港に送っていき、今彼らはラスベガス付近にいます。明日にはアメリカからまた出国し、日本へ帰国するので、今日が最後です。

二人とも初めての海外で、色々大変だったと思いますが、何かしら、学んでくれたらいいなぁ、と思っています。日本にずっといて、それだけの人生でもいいと思いますが、せっかくの人生、色々なものを見るのもいいんじゃないか、と私自身はいつも思っています。


さて、ようやく疲れが取れてきたところで、来週からはまた論文再開するべきです。かなり遅れをとっているので、頑張らなければ。でもまあ、日本で忙しかったとはいえ、休憩できたので、また頑張れる気はします。

一時帰国まであと一か月

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5月に入って、若干気持ちが落ち着いてきました。

考えてみれば、去年5月の最終週にサンディエゴに越してきました。おばさんの家にずっと住んでいて、車もなく、毎日鬱になるような生活をしていましたが、おばさんの飼ってる犬のおかげで救われていました。日本で犬を飼ったことはないし、毛がなぁー、と思っていましたが、レイの実家の犬に出会って以来、犬には助けられてばかりな気がします。癒し効果絶大。おばさんの犬は、おばさんがいなくなったら、必ず私の近くで寝ていました。夜も、おばさんが用事で出かける時は、寒いのか、ベッドで一緒に寝ていました。将来もしもう少し広いところに住めるようになれば、ぜひブルドッグを飼いたいと思っています。


7月に弟の結婚式があるため、来月から帰国することになっています。一年ぶりの日本。年々アメリカ化していく自分は、初日は日本語が聞きとりにくいというハプニングに見舞われます。たぶんサンディエゴに来てからは日本人と会う機会のほうが断然多いので、そんなことはないとは思いますが、以前はあまりに人が小さな声で話すので、聞こえにくく、耳が悪くなったと思ってしまったことがあります。ただ英語はでかい声で話すから、耳が勝手に小さい声は聞き取りにくくなってしまっていただけでした。


いずれにせよ、週一はフェイスタイムしていますが、実際に両親というか母親の手伝いをしてあげることができるので、若干でも親孝行になればと思います。でも、そういう思いが勝手しまうので、友達に会うことがなかなかできなかったりします。まあ家庭を持ってる人も多くなってるし、会える人も限られてきてはいますが。しばらく会えていなかった人にちょっとでも会えるといいな、と思います。


今月はようやくテープおこしが進んできたので、論文のイントロを書きだしています。とはいえ、なかなか気にいるのが見つからなくてイライラしますが、書いてると気が晴れるので、気分はいいです。昨日からまた珍しくサンディエゴでは雨が降っているので、外出しにくいのもあって、今からまた執筆に励もうと思います。

4月になって

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あっと言う間に4月。サンディエゴは・・・思ってたより寒いかも。最近は最高気温20度ぐらい。

先月は最高気温30度程度あった日もあるから、よく分からない天気な気がする。


2月、3月とインタビューやら観察、新しい人に会ったり、趣味のパン作りに勤しんだり・・・・でやたら忙しかったけれど、ようやく4月になって落ち着いてきた気がします。相変わらず冷凍庫にはたくさんパンがありますが、作る回数を減らしたり、レイの会社に持って行ってもらったりして、かろうじてそこまでいっぱいにはならないようにしています。それにしても、毎日飽きずに同じパンを食べてる私ってなかなかすごい気もします。しかも、なくなる前には絶対作るから、イギリスパンとバゲット以外は買わなくなりました。


運動不足解消と気分転換を目標に数日前からレイと少しジョギングを始めました。かなり遅いし、脚も痛いけど、レイが一緒に合わせてやってくれるので、どうにか続いてる感じです。レイも新しい部署の仕事が大変なようで、二人ともストレスを抱えているため、ジョギングを始めて良かったかもしれません。まだまだ遠くまで走れないけど、少しずつ慣らしていこうと思っています。