”287.遠くとも一度は参れ善光寺 ★★回向柱★★” 2017 | かたくりのつれづれのままに

”287.遠くとも一度は参れ善光寺 ★★回向柱★★” 2017

284.遠くとも一度は参れ善光寺 ★★序★★ 
285.★★秘仏★★ 
286.★★女人救済★★ 
287.★★回向柱★★  
288.★★四門四宗★★ 
289.★★祈りのかたち 神仏混合★★  
296.一度は参れ善光寺  ★★秘仏流転の歴史★★ 
299.遠くとも一度は参れ善光寺 ★★エピローグ★★

番外297.西光寺 ★★流転三界中恩愛不道断★★

善光寺の西側駐車場から善光寺本堂へ向かう途中に善光寺御開帳時に主役だった歴代の回向柱があります。

地図

これを見るのは切ないものがあります。

歴代の回向柱2017年

6年毎(数え7年目毎)の回向柱が10本

朽ちて地に還る寸前のものは多分・・・・昭和36年

反対側から撮影

回向柱は人の命の蝋燭のように思えます。回向柱は60年を過ぎるとないのか・・・・

平成21年の御開帳

回向柱2

 

直近の回向柱のひびによく硬貨を埋め込む参拝客がいますが、善光寺に何しに来たのかと首をかしげたくなります。

また、役目を終え善の綱のついていない回向柱に触って祈りをする参拝客もいますが、他の人の悩みや祈りが詰まった回向柱です。やめた方がいいと思う。ねぎらいの意味で触るならそれはそれで意義もありますが。

 

善光寺御開帳の参拝客の多くは、善の綱がついた前立本尊を善光寺の本尊だと思っていますが、これは秘仏ですが数え7年毎に公開される前立本尊で、百済から渡来した一光三尊菩薩は絶対秘仏で御開帳できない為鎌倉時代に造られたもの。

本堂のお戒壇めぐりをすると極楽の錠前があり、これを触るとその真上に絶対秘仏の鎮座する瑠璃堂があります。

 

対秘仏を目にしたのは戦国時代の覇者

武田信玄が1555年甲府へ→織田信長が1582年岐阜へ→徳川家康が1583年浜松へ→豊臣秀吉が1596年京都方広寺へ勝手に持ち去りました。

善光寺に還座したのは秀吉の遺言で死後の事(1598年)

 

善光寺本堂は国宝ですが、善光寺の本尊は日本最古の渡来仏なのですが、国宝に指定されていません。絶対秘仏で非公開ではねぇ・・・

 

前立本尊は、絶対秘仏の代わりなので数え7年毎とはいうものの、きっかけがあれば御開帳されます。勧進のため出張することも。

最近では、東日本復興支援の目的で平成25年に両国回向院へ出御開帳

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

かたくりの子供の頃と比べて善光寺は大分変りました。

善光寺境内の外北側にあったつばめ池にはザリガニが棲んでいて兄が煮干しを餌にずいぶん釣ってきました。

かたくりがチャレンジした時には一匹も釣れず、ライバルたちはイカを餌にして釣り上げていました。

それは昔の話。今は埋め立てられ駐車場になっています。

帰りに、大勢の参拝客をしり目に大勧進の放生池に煮干しの釣糸垂れると放生されていた亀が食いついてきましたが流石にここで釣り上げるのははばかられました。(笑)


今では、天台宗系の一山寿量院に北京、ロンドン五輪のカヌー代表経験のある青年僧侶がいます。それだけの体力があるなら、天台宗で修行して百日回峰行も達成できるかもしれない。