買ってしまった・・・

テーマ:

 ビンボーだというのに、ついつい。

 前にも触れた、インドの四枚リード楽器、シャハナーイが通販で入荷したという知らせがあって、手を出してしまいました。しかしわずか3,900円なり。これならいいよな。特大、大、中、小とあるうち、「大」のサイズを入手しました。


shahenai


 さてさて、初めはそもそも音が出るのかどうかということさえ危ぶまれるわけですが、その段階はなんとかクリア。むかしよくあった、座布団の下なんかにしこんでおいて、ひとがすわるとオナラの音をたてて恥をかかせる、というイタズラ小道具「プープークッション」というのがありましたが、リードだけ口にくわえて発音するとそんな感じです。

 ポルタメントがすごいという話を前に書きましたが、それもむべなるかな、リードを銜える位置とか圧力でものすごくピッチが変る。なるほど、と納得。さすが四枚リード。


 教則本は全然アテにならないので、いまはひたすら、暇なときにリードだけで発音と、音を安定させるために楽器につけて鳴らし、いろんなフィンガリングで試している状態です。まずは運指表を開発せねばならない。


 いまのところ演奏可能な曲は、かの名曲「チャルメラ」だけ。


 (しかし、楽器の「特大、大、中、小」ってのもすごいよねえ・・・)

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Lyke-Wake Dirge

Basket of Light

The Pentangle

BVCM-47018


 以前「手すさび」でご紹介した「通夜祭嘆詠」はこのアルバムの中に入っている "Lyke-Wake Dirge" の拙訳です。これは、一応ブリティッシュ・トラッド・フォークということになっているグループ The Pentangle の、比類のない名盤。それぞれ非常に個性の強い五人のミュージシャンが繰り広げるすばらしいアンサンブルの妙技を堪能することができます。ジョン・レンボーンとバート・ヤンシュという、アコースティックギターの名手同士のかけ合い、テリー・コックスの見事なテノールとパーカッション、グロッケン、そして絶妙なハンドドラム。ジャズ出身のダニー・トンプソンのアルコ・ベースは効果満点。そして紅一点、ジャッキー・マクシーの透き通った歌声!

 いろいろな楽器を持ち替えての演奏は、単にトラッドというジャンルに収め切れないものがあり、曲もそれぞれ非常に個性があってワクワクします。大学時代、夢中になって毎日聞いていた日々がなつかしい。

 それぞれバックグラウンドの異なる演奏家たちであるにもかかわらず、これほどの渾然一体ぶりを示す集団は稀有といわざるを得ません。このアルバムに限っていえば、そのアンサンブルのあまりの完成度の高さが「かえって鼻につく」という向きもあると聞きます。しかしそういう人には同じ Pentangle の違うアルバム、たとえば Reflections などをお勧めできます。こちらは即興性を追求した、全然別な傾向のアルバム。

 読者の方はどの曲がお気に召すでしょうか。私はむかしは、変拍子が意表をつく冒頭の Light Flight

や荘厳な響きの Lyke-Wake Dirge、シタールとバンジョーの取り合わせが不思議な雰囲気をかもし出す House Carpenter など、趣向を凝らした演奏が大好きでしたが、歳をとったいま聴きなおすと、シンプルなオリジナル曲 Springtime Promises に打たれます。しみじみと、暖かい土の香り。

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シャーナイの神様

テーマ:

Khan

Ustad Bismillah Khan - Shehnai

TCCD-5104


 前回の仕事先はインド系の会社で、コーディネートしてくれたマネージャーもインド人だったので、早速前から気になっていたシャーナイという楽器のことを訊いてみたところ、この演奏家を教えられた。

 このウスタッドというのは実は苗字でも名前でもなく、ヒンディー語で「マスター」という称号なのだそうだ。一生、名利を求めず質素な生活に終始して仙人のように音楽に一生を捧げた人だそうな。


 聴いてみるとまさに私が「セライケラのチョウ」で耳にしたのと同じ、あのうねるようなものすごいポルタメントの、人声のスキャットと聞き違えんばかりの音楽に捉えられてしまう。まさに、インド歌謡そのもの。

 語るように、うったえるように、囁くように、嘆願するかのように・・・。

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どうすべいか・・・

テーマ:

shehnai


 以前の記事でご紹介した「シャーナイ(Shehnai)」または「シャハーナイ」というインドのリード楽器の教則本を買ってしまった。全文英語で、お値段は送料含めて2000円足らず。この楽器、すごく安い値段で売っているサイトを発見して怖れおののいた。私の経験によると、こういうキーシステムのない機構の単純な木管楽器というのは例外なくものすごく演奏が難しいのだ。それで楽器を買う前に、まず教則本を入手してみよう、と思ったわけ。

 めくってみると、わずか48ページしかない。しかもこの48ページでシャーナイだけではなく、バンスリ、プーンギー、ビーンといったひとくせもふたくせもありそうなインドの木管楽器をまとめて解説してしまおうという本なのである。このなかでシャーナイの部分はわずか11ページしかないんだけど大丈夫なのかそんなもんで。最初の2ページで楽器の構造が説明されており、次の2ページは運指表、残る5ページが練習曲という構成である。

 Wikipediaによるとこの楽器はなんと複々簧楽器(quadraple reeds)、すなわち二枚一組のリードが二組備わっているということなのだがこの教則本にはそんなこと全然書いてない。おおらかなもんである。そのくせ、「この楽器を習得することは大変難しく複雑なテクニックがある」などと恐ろしいことがさりげなく書いてある。


 今のところこの本から得たシャーナイ関係の情報で、どこまでホントかわからないが面白いと思ったのは:


 ・シャーナイのリードはウッタル・プラデシュ州のある部分に生えているpalaという草でできている。

 ・シャーナイの起源はペルシャの「ナイ(Nai)」という楽器である。これは古代エジプトの墓場で紀元前3000年ごろ奏されていたシングル・リード楽器(マジかよ)で、指穴を6つ持ち、柔らかいメロディアスな音色であった。

 ・ナイの名人がペルシャの王様(シャー)をお慰めするために演奏したため、「シャーのナイ(Nai i Shah)」またはシャーナイと呼ばれるようになった。

 ・アイン・エ・アクバリ(Ain-e-Akbari)によれば、この楽器はウスタッド・シャー・モハンメッド(Ustad Shah Mohammed)によりインドに紹介された。なにもんじゃそりゃ?


 ・・・はっきり言ってちんぷんかんぷんである。しかしなんだか面白げでもある。

Unjazzy Jazz

テーマ:

 となり町、町田にあるO大学クワイヤのヘンデル「メサイヤ」のコンサートに行ってきた。

 いやあ、良かった!目一杯の演奏。若いっていいなあ。

 若いってのは、ともすれば暴走になりがちだけれど、そこを賢明な大人がうまく水路づけしてやれば、すばらしい肯定面が引き出せるんだなあ。

 伴奏のフルートもよかった。聞けば、ほとんど初見だったそうなんだけど、それがかえってよかったのか、うまくダイナミックスを制御できていた。


 ・・・それは良かったのだが、せっかく町田まで来たのだから、と色気を出して、以前から気になっていたジャズバーなんぞに立ち寄ったのが大間違い。とんだ食わせ者。

 雰囲気はいいんだ。だけどその雰囲気というのがすごく気取っていて、非常に狭い範囲のレパートリーしか置いてない。

 それもまあ許せるとして、いろいろリクエストを按配して、なんとかその場に合わせたシットリしたのをお願いしようとしていると、なんだかジロジロ見られるのだ。そりゃあ、こちらはみすぼらしい貧乏なカッコで行ったからね。

 実にいやな感じ。ジャズっていつの間にあんな高慢ちきな商売の道具に成り下がってしまったんだろう。マーティニを二杯、高いお金を取られて早々に退散した。


 さあ、イヤなことは忘れて、明日は「クレッシェンド」の公式練習。初見大会の煮詰め方です。吹きまくるぞう!

事故を招く音楽

テーマ:

 人間のアタマの働きというのは、アタマのよい人もわるい人もとにかく基本的に支離滅裂なものであって、いいのわるいのといってみたところでドングリの背比べである。だから、アタマのよい人を羨んだり妬んだりするのはお門違いであって愚か。

 私はこれまでの人生で、自分よりアタマのよい人にたくさん出会ってきたが、その人たちはみんなよい人たちで、私に対して親切であった。だから、味方につけた方がいいのはわかりきったことだ。
 私も、自分のアタマの支離滅裂さに苦しめられるのは人後に落ちない。このせいでこれまでどんなにひどい目に遭ってきたか、まったく筆舌に尽くせないものがある。中でも、演奏中にあらぬことを考えてしまってドジを踏む、というのは最悪である。CDの紹介を兼ねて、そういう例を綴ってみよう。

Modachoki

別冊モダチョキ臨時増刊号

モダンチョキチョキズ

KSC2 76


 これは、モダンチョキチョキズが1994年にリリースしたアルバムで、新曲5、リメイク&リミックス5、それにギャグが5つ入っている。 全曲、濱田マリが独唱で、バックは激しくメンバーが入れ替わること、他のアルバムと同じである。濱田マリはキンキンした地声。地声ではあるが歌い方は決して下手じゃない。そしてこのキンキン声は、モダチョキの関西コテコテ冗談音楽に実によくマッチしている。

 私は東京生まれで関西にロクに行ったことがないくせに関西の冗談音楽が大好きだ。思えば私の関西ギャグ音楽志向は、小学生のとき聞いた、かのフォーク・クルセダーズの伝説的な、「帰ってきたヨッパライ」以来順調に培われてきたのである。フォークルも活動期間が短かったが、モダチョキも1997年で活動を止めてしまった。非常に残念なことである。フォークルほど独創的ではないが、その代わりより洗練されたサウンドだったのに。


 ところで、モダンチョキチョキズはこのアルバムの後、「レディメイドのモダンチョキチョキズ」というアルバムを出した。私は「別冊」の方がすきなのだけれど、「レディメイド」の中に「博多の女」という演歌調の名曲が入っていることを憶えておいでの方も多いだろう。そう、「友達が『博多の女』という温泉まんじゅうをおみやげにくれた。しかしそれは他の2つの温泉場のまんじゅうと包み紙が違うだけで同じ味だった。まんじゅうにはアイデンティティは、オリジナリチーは、イマヂネエエエエションは、ああ、いらないのか~」と歌い上げる、アレである。この歌、当時私がレッスンを受けていたW先生という、若い女の先生が大好きだった。

 さらに話は飛ぶが、フルートには「アルルの女のメヌエット」という、これはもう、代表的な名曲がある。これを代表といわずしてなにが代表か、ってくらいなもんである。さてこの「アルル」というのは南フランスの地名であって、しかも温泉場なのである。だから、もしアルルでおみやげにまんじゅうを売るとしたら、当然その名前は・・・ぎゃははは。などと師弟して笑いころげていた。


 しかし、名曲をギャグのネタにしたりしたバチはしっかりあたったのである。しばらくして私はとある老人ホームで「アルルの女のメヌエット」を演奏したのだが、なんと演奏中、伴奏ピアノとのテュッティに行く手前、長い長いクレッシェンドでフォルテになっているところの、そのまた手前のところで、あろうことかモダチョキの「博多の女」のことを思い出してしまった。

 ・・・なんとか笑いはこらえた。しかし気がついたらブレスしないまま長い長いクレッシェンドに突入してしまっていた。音楽を止めないでブレスを取り直す手段はとっさにはない。循環呼吸も無理。ということはそのまんま長い長いディミヌエンドになってしまい、最後はフォルテのはずが、世にも情けない蚊の鳴くようなpppになってしまったのであった・・・。ああ、なんて支離滅裂なわがアタマ。


L'Arlesienne ←クリックすると何が起こったのかはっきりわかります。

 ・・・おかしいですか?笑うならいまのうちだよ、演奏中じゃなくてさ!

 ずっと考えつづけているのだが、音楽が聴衆がおよぼす効果のうち、実現がもっとも難しいものはなんだろうか。

 癒すことは、意外とやさしい。伝統音楽であろうと民族音楽であろうと、現代のロック、レゲエ、ヒップホップ、ラップであろうと、よく仕組まれたリズムや音組織というものには、そもそもハナから癒しの効果があるからだ。

 ジーンっと感動させることも、その次にやさしい。実は、私もささやかながら、自分の演奏がそういう効果を与えた、と確信できる経験がある。アメリカでだけどね。日本の聴衆の方が気むづかしい。

 単に刺激しよう、アジテートしようってのも、同じぐらいカンタン。

 泣かせるのはかなりむずかしいんじゃないか。だってこれは、曲がそうなってないとはじめから無理だし、失敗しようものならエライことになるのが常だから。やったことないけど。


 結局「笑わせる」のがいちばんむずかしい、という気がする。歌詞や演技の助けを借りずに純粋に音だけで笑わせるのは超むずかしい。だからこそ、我々は冗談音楽や皮肉音楽の傑作には、常に注意を払うべきだと思うのだ。


 ・・・あ、演奏に失敗して観客が笑う、というのは違うからね。それは「笑わせる」じゃなくて「笑われる」。私ら全員の恐怖のモーメントだな。

ダヌーツ・マーニャ

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 昨夜は52ホールでルーマニアのヴァイオリニスト、ダヌーツ・マーニャの演奏会を聴いた。

 曲目はベートーヴェンのヴァイオリンソナタ5番、チャイコフスキーの「メロディ」と「ワルツ スケルツォ」、ポルムベスク「望郷のバラード」、モンティのチャルダッシュ、サラサーテのツイゴイネルヴァイゼン、パッジーニの「妖精の踊り」など、おなじみの曲。いやあ、すごい音色とテクニックでした。

 このホール、名前のとおり52人ぐらい入れる小さなホール、というよりむしろサロンなのですが、昨夕は40人ちょっとぐらいの入りで、地元の人ばかりだからみんな顔見知りで、きわめて寛いだ、和やかな雰囲気。すごく贅沢な演奏会だ。

 演奏のあと、主催者や協力者の心づくしで手作りの軽食とワインが用意され、みんなで歓談。ダヌーツさんは日本が好きらしく、今回でなんと14回目の来日だそうだ。このホールの雰囲気が好きで、もう3回目の出演とのこと。ホールの音響はかなりデッドである上、聴衆との距離も窮めて近い。そこで、聴衆のレスポンスが掴みやすいのはうれしいのだけれど、音の方はかなり工夫しているのだが、どうだったか、とその辺をみんなに訊いていた。

 確かにそのことは気づいていたのだ。で、ヴァイオリンの場合、音のエネルギーをセーブするにはどうするのか、弓の弦に対する圧力を軽くするの?と尋ねると、「ノー、そんなことはできやしない。弦に対する圧力はあくまで弓の重さで決まる。どうするかっていうと・・・そうですね、ちょっと説明させてください・・・」ということになって、その後はフルートとヴァイオリンの機構上、演奏上の共通性の話になって大いに語り合った。

 ルーマニアの政治上、経済上の問題や現状、2007年に予定されるEUへの完全統合、その中での音楽家の生き方、といった話も出た。旧国営企業の私企業化に伴う年金問題が大きい、と。

 本日は International Translators' Day である。我々翻訳家/者の記念日で、世界各地でカンファレンスやフォーラムが開かれる。どうして9月30日がそういう日なのかというと、これはカトリックで翻訳家/者の守護聖人 (Patron Saint) とされている聖ヒエロニムス (Saint Jerome) の聖日(命日)であって、それにちなんだものである。

 聖ヒエロニムスは4~5世紀の人であって、非常に博識な当代随一の神学者/文献学者/哲学者だったのだが、彼の業績で最大のものと考えられているのは聖書の翻訳なのである。彼は、それまでギリシャ語かヘブライ語でしか存在しなかった聖書を、当時ヨーロッパの共通語だったラテン語に翻訳した。この翻訳された聖書はウルガタ聖書と呼ばれる。この「ウルガタ」とは元来「公布された」という意味だが、英語の「俗な、俗流の、民衆の」という意味の vulgar の語源である。どうしてそのような意味が生じたかというと、当時高級とされていたギリシャ語やヘブライ語は聖職者や学者だけが読める「聖」なる言葉であったのに対して、ラテン語は民衆が使う「俗」な言葉と考えられていたからである。彼の翻訳により、聖職者や学者でない一般民衆も聖書に触れる機会が増えた。

 これによってキリスト教の布教はすすんだが、同時に民衆の側からも、聖職者がいい加減な聖書解釈によって民衆を、自分たちの都合のよいようにあやつろうとする動きに対して、チェックする手段を得たことにもなった。だから聖ヒエロニムスの地味な仕事は、はるか後の世の改革を準備したといえるわけだ。


 あやかりたいものである。


 さて、またまたお気に入りCDの紹介です。


WhatsNew

What's New

ビル・エヴァンズ(p)、ジェレミー・スタイグ(fl)、エディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(ds)

POCJ-2454


 ジャズ・フルート、あるいはジャズそのものに興味がない、という人にも、この一枚はお勧めできる。フルートという楽器のイメージが変わるかもしれない。

 爺メタルさんのブログでもこのCDは紹介されている。しかし、ジェレミー・スタイグは5年ぐらい前までは、「知る人ぞ知る」プレーヤーであった。とはいえこの一枚は例外である。そのわけはお分かりと思うが、競演のエヴァンズがだれ知らぬことのない大物ピアニストだったからだ。このCDをお聴きになって気に入ったら、最近はジェレミーの他のアルバムもCD化されているから、お聴きになることをお勧めしたい。

 7曲収録されているが、中でも6曲目の「スパルタカス愛のテーマ」はオリジナルの哀切な曲想を生かした名演。また7曲目の「ソー・ホワット」はマイルズ・デイヴィズの作曲で、彼の Kind of Blue という稀代の名盤にはじめて収録された曲だが、実はこのアルバムにもエヴァンズが参加している。聴き比べてみると実におもしろい。

梨とバッハ

テーマ:

 昨夜は、今年初めて梨を食べた。豊水という種類。私は豊水より、もう少しシャキシャキした感じの長十郎という品種が好きなのだけれど、このごろ長十郎は店で全然見かけなくて、豊水ばかり置いてある。どうしてなのかな?長十郎って、なにか問題でもあったのでしょうか。生産コストがかかるとか。


 さて、またCDを紹介します。いいやつだから、ぜひ聴いてみてね。


ZoonBach

ジャック・ズーン 「プレイズ バッハ」

PCCL-00449


 笛吹きならだれでも知ってる(?)「パルティータ イ短調 BWV1013」から聴いてみよう。七曲目。

 驚くはず。えー!こ、こんなにゆっくりやっちゃうの?それってアリ?


 ところが。最初の楽章を聞き終わる頃にはどなたも納得されるはずだ。「アリ」なんですよ。


 第三楽章のサラバンドはすごいぞ。これだけやって原型とどめてるのが不思議なくらいだ。しかして、実に風流でしょう?でも古楽じゃない。古楽の影響も感じさせるけど、でもちがう。楽器はまっくろけだけどね。別な伝統からきていて、独自ですね、このトッチャンボウヤみたいな顔したおっさんは。

 ボストン交響楽団のトップです。オザワに見込まれてはいった人。