アイデンティティと記憶と学習

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 アクセス解析を見ると、例の「最適化」の話って意外とウケタようなのでちょっと蛇足。

 記憶とか学習とかいったものと、アイデンティティが深い関係にあるということは、いろいろな研究者によって古くから注目されてきました。ただ、いったいそれらがどういう風に関係しているのか、といった途端にこのうるわしき共通理解は崩れて彼らはくんずほぐれつの大乱闘を始めてしまう。「記憶」とか「学習」とか、ましてや「アイデンティティ」などという概念の捉えかたはそれこそ人によって千差万別。しかもそれぞれがみな、強烈な思い入れの対象になりがちな代物だからね。

 まあしかし、我々が普通に、自分が「おのれ」なるものを賭けて何かに没頭しているようなときはその「何か」をよく学習、記憶するし、その習い覚えたことをなかなか忘れない、というような体験はどなたにもあるでしょう?アイデンティティに関連付けると、記憶とか学習とかの「把持」の良し悪しをうまく説明できるわけだ。

 もちろんこういったことを厳密に、決定的に議論するのは難しい。おそろしく難しい。しかし、こういうことはみな関係しているな、と実感するには、多くの人にとってとても楽しい実験を一つやれば足ります:

【準備するもの】
 1.あなたの一番好きな種類のお酒を、あなたが確実に酔っ払って記憶を失ってしまう程度。
 2.そのお酒を全部飲んでしまう間、愉しむに十分なほどの肴。
【手順】
 夕方になったら、用意したお酒と肴を持って、自分の家から40Kmほど離れた適当な地点に行き、肴を摂りつつお酒をみんな飲んで、記憶をなくす。
【予期される結果】
 翌朝、あなたは自分のうちの自分の寝床の中で、とんでもない二日酔い状態の自分を見出す。しかし、いったいどうやって家まで帰ってきたのか、思い出せないことでしょう。

 ・・・ははは。実は、自分の住処までの帰り道というのは、記憶の一番深層に格納されていて、それこそ自分自身の一部分といえるような代物らしいのです。脳生理学的にも、これはわかっています。だから、それ以外の「自分」のほとんどすべてを一時的に失ってしまっても、これは残る。
 近頃のようなご時勢では、自分が何十年も暮らしてきた住居が取り壊されているところを目撃する人も多いでしょう。そのとき多くの人は、「自分自身」の何かが失われたように感じるわけだけれども、この崩壊過程の方も同じようにして「説明」できる。

 しかしそういうものをいつ、いかにして「学習」したのか、と考えても、これは内省だけではどうにも曖昧模糊としたものになるはずです。

 親の顔は忘れないでしょう?いつまでも。
 ある楽曲が親の顔と同じぐらい「自分自身」の一部をなすようなものであったら・・・確実に暗譜できるはずです。
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