事業仕分の一般公開で見えてきたのは、官僚とは一体何なのかということ。
昔の官僚といまの官僚。
戦前と戦後の官僚。
明治時代、大正時代、昭和(戦前)までの官僚。
明らかに違うのは、私利私欲的なものは、一部はあるものの国家を見る目を持っていたと思う。まあ、江戸時代の官僚制度を明治政府はほぼ継承したという。
つまり、薩長土肥中心(実質、薩長だったが)の政治でも政府機構という点においては、江戸時代とはそんなに変わらなかったとも。
それでも、欧米に追い付け、追い越せで積極的に動き回った官僚たちがいたことも確かだ。
今回の事業仕分で見えたのは、あまりにも国民から得られた税収に対しての無頓着さがある。
あと、マスコミでも見逃されているのだが、自治労を中心とする労働組合の存在も見逃してはいけないのではないか。
公務員でありながら、対案もなしに国の方針に反する、某組織が存在する。それが、日教組であることは明白の事実だ。権利だけを主張し国の方針を邪魔をする。
故田中角栄は、官僚に使われるのではなく、使い切れといったという。上手く、官僚たちを使いこなせば官僚たちの反発は少ないという。
官僚たちのなかには確かに優秀な人たちはいる。
しかし、それはごく一部でしかない。それを見つけ使いこなす政治家がどれだけいるか。政・官の癒着は、なれあいではない。
それに今回の事業仕分のなかで見えた官僚たちの言動、考えはどうなのかも見えてくる。
官僚は、今回の一般公開で、国民が真摯に観ようとしているという厳しい眼の中で、いかにしっかりと対応できるのか、という国民の目の中の緊張感が非常にあったのではないのか。
その緊張感こそが大事だと思うのだが。たしかに公開処刑的な趣もあるかもしれない。しかし、それだけに公務員というか官僚は、気持ちを引き締める必要があるのではないか。これまでは、あまりにも緊張感(国民に対する)がなさすぎたというのもあるのではないだろうか。
一方で、仕分人といわれるひとにも、国民の税金をどのように使うべきかを、胸に査定をすべきだと思う。ただ、心配なのは、「財源確保」ありきで、削ることだけに精力を使うのはいかがなものか。
仕分人にも、国民の税金の使い道を担う重要な職種ということを理解し、判断を下してほしいと思うのだが。
まだ、仕分け作業は続くが、しっかりと国民は、観る必要があるのではないだろうか。
仕分人の人選にもどんな基準で、選ばれたのかしっかりと明白にすべきではないのか。民主党の政権は、いまだに信用に足りる政権ではないことは明らかだ。
国民からの期待はあれど、信頼はまだ得ていない。それは、しっかりと肝に銘ずるべきだろう。これを忘れたとき、日本は亡国に向かうどころか、国自体がなくなるのではないか、心配である。


