学校を予備校化した責任はだれ!? | 独断と偏見の日記帳

独断と偏見の日記帳

国際結婚した男の日々の言いたい放題のブログです。

 高校の履修不足による問題が、全国化している。


 私は、へぇーっていう感じであんまり驚きもしなかった。


 その理由、学校に対する生徒の考え方。「学校って勉強しに行くところじゃなくて寝るところ。なんでって、だって受験と関係ないことしているから時間の無駄」という声を聞いたことがあるから。得てして、こういう生徒は、成績優秀者だったりする。さらに保護者も同様な考え方をしている人が多い。


 こういう履修不足問題を多く抱えているのは案外、公立ではなく私立ではないだろうか。すでに、地方の私立高では履修不足教科をあわせると350時間も足りないということがおきている。


 もし、国が定められていることをすれば「受験には受からない」とする意見が多い。確かに、それは一理ある。しかし、予備校や進学塾でやっていることは、明らかに逸脱行為が目立っている。そもそも、大学側にも問題はあろう。かつては、試験の内容が、学校で習っているものではなく、進学塾がやっている内容を参考にして作っているということがニュースになったことがある。


 ただ、私が一番頭に来ているのは、受験に関係ないからといって歴史の教育をすっぽかしていること。


 これでなるほどと思った。当然、中国や韓国が怒るのも無理は無い。そもそも、歴史教育というものをないがしろにしているから学生の間からはまともな議論はできない。当然、若者の間では、中国、韓国の歪曲された歴史を吹き込まれると自分の意見を言えずに逡巡する生徒達もおおぜいる。


 私は、歴史教育が受験という制度の中でないがしろにされていることに非常に問題だと思うのだ。これからの国際情勢をかんがみると、歴史というのが非常に重要になってくると思うのだ。それが、欠けていることに、将来に対して不安を感じる。


 だからこそ、大学受験は論文を中心としたものに変えるべきだと思うのだ。それも自分の考えをストレートに表明できるようなものに。

 

 センター試験も将来的には廃止すべきだ。少子化のながれのなかで、これから最も重要なのは、暗記や計算だけではない本来自分が考えている正当な自己主張が出来る優秀な人材を育成することにあるだろう。


 そもそも、いまの日本の受験は日本だけのもので、世界で通用するには程遠いものだ。ようは、日本のトップレベルの大学に入っても、海外に行けばまったく歯が立たない。というより、日本の大学生には主義主張がないのだ。自分の考えはこうだというのがない。それでは、まったくの役立たずなのだ。国際化の流れの中で、卒業旅行にパラオとかハワイ、ジャワ、とか行っている女子大生たちが海外の男性にナンパされて喜んでいる姿を見ると非常に腹立たしい。一部だとは思うのだが、日本の恥でもある。大学生ならば、その昔は尊敬の眼差しで見られていた。しかし、いまはどうだ。単なる目標と通過儀礼的なところが目立ってしまっている。


 何のために大学に行くのか、現代は就職の場を決めるようなところで止まっている。


 私は、生徒達がかわいそうだと思う。センター試験の直前だから、というのではない。受験のための学校、受験のための塾、となっている今の勉強が本当に日本の将来、生徒達の将来のためにいいのかどうか。生徒は受験という制度の犠牲者でもあると思うのだ。


 学校をこうしてしまったのは、いまの受験制度と大人たち、一部の生徒だと思う。それが総合的に重なってここまで来たのだと思う。