先月、テレビ水戸黄門、大岡越前が終了してしまい、時代劇ファンとしては寂しい限りです。
萬屋錦之介亡き後で里美浩太郎、北大路欣也が(ウリの殺陣を見せないでも)時代劇役者として十分魅力を発揮したシリーズでした。残念ーっ♪。


ところで、(テレビでの)”越後のちりめん問屋のご隠居”こと水戸光圀とは実際には、どういう人物だったのでしょうか・・・。


最近、ある水戸光圀公の公式ホームページなるものを発見し、色々と見ましてが・・・、
これがテレビドラマと殆ど変ることがない美辞麗句の塊のようなもので、この(ブログ )コラムの参考になるような記事は何もありませんでした(笑)。

マトモに史実と照らして近いのは、15歳くらいまで手が付けられない悪ガキだったこと、そして定府(参勤交代を免除された)”御三家”という身分にあったら、水戸どころか江戸に常駐していたのであって、テレビで言うような諸国漫遊など(一度も)していないという史実くらいが合致している点でしょうか・・・。


このホームページの馬鹿げたところは、新明治政府(薩長連合)は水戸学のお陰で新政府を過ち無き方向に導くことができた…。なんて書いてありました(笑)


で・私が調べたというか、マニアックながらも事実に定評がある歴史文献では、史上稀にみる”暴君だったとか。水戸藩の家老を無礼射ちにしてるんですよ。切腹を命じたんでなくて無礼射ち。家老って会社で言えば専務か常務です。
その殺害された家老は水戸光圀のあまりの浪費ぶりに水戸藩の財政が逼迫して、止むに止まれぬなって苦言を上言してのこと記されています。



さて、グルメだったかどうか?はそりゃあ、もうあなた…、およそ江戸に集まる美食材(&美女)は食べ尽くしたと言われています。ですから、グルメというより”贅沢浪費型・美食家”だった訳です(笑)。



何せ水戸藩の支出の2/3は水戸のご老公が江戸で散財してたらしいですゼ(笑)。

ですから、テレビで毎週処罰されておる『不届きな藩の重臣者』とは”水戸光圀そのもの”だったのですね(笑)。





~この記事への、ご異論は、URLご入力の上でこの記事のコメント欄へ!(笑)

最近、匿名の卑劣なサイバーテロリストにムカつく歳三でおじゃる・・・笑~




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田中角栄・・・、明治以降の近代日本の政治家の中で私が一番好きな人です(^^)。

ロッキード事件や金権政治等と批判する人もおりますが、政治とはもともと金がかかるもの。日本共産党の書記長まで含めて政治家は皆金が必要なのです。金権うんぬんはともかくとして、ロッキード事件も米国の陰謀説が浮上して、田中角栄の無罪説を昨秋NHKが放送したばかりですね。


コンピュータ付ブルドーザー』このニックネームが一番角さんの人間像を的確に評しているのでは無いでしょうか・・・。
私が洋酒の中でオールドパーが一番好きなのは田中角栄愛飲のウイスキーだったことも影響しています。

最近(昨秋)になって天下のNHKが、ロッキード事件はアメリカ陰謀説の公算とする証拠が沢山発見されて、角栄は冤罪だっのではないか?と45分番組で報道してました。


ことの真意は分りませんが、田中角栄は金を稼ぐ時は大っぴらにしかも合法的にやる人で、棚ボタの銭に目がクラムな人ではないというのが何冊も(角栄の)本を読んだ私の考え方です。

その証拠に、田中角栄を今現在悪く言う人間は、田中バッシングをしたジャーナリストだけですよ。
何故か?共産党を除く(野党も自民党も含めた)全代議士は田中角栄からの有形・無形の加護があったから絶対に悪口は言わないんですよ。


田中角栄


■角栄出世街道まっしぐら
29歳 衆院初当選
30歳 法務政務次官
39歳 郵政大臣(歴代最年少)
44歳 大蔵大臣(歴代最年少)
47歳 幹事長
54歳 総理大臣


■そして総裁へ・・・
貧しい少年時代を過ごした後、夢を追いかけ上京、夜も眠らずがむしゃらに働き、19歳で社長に。そして30代で大臣になり、その後着実に党の実力者への道を進んで、ついには自民党総裁にまで上りつめた角栄。

昭和47年7月5日、54歳で第六代自民党総裁に選ばれた田中角栄、その人生最高の日の朝食のメニューを紹介する。

・ 白飯
・ 豆腐とナスのみそ汁
・ ぜんまいとこんにゃくの煮付け
・ ほうれん草のおひたし
・ ジャガイモと豚肉の煮付け

これらを縁側に置かれたテーブルで、背広姿のまま黙々と食べ、自宅を後にした。


さて、いかがてすか?
話は変りますが、友部参議院議員のオレンジ共済疑惑の際に、日本新党の細川総理は(当時)友部の息子から、


接待を受け1本20万円もするロマネコンティを2本平らげお土産に1本持ち帰り上機嫌だったとか・・・。

角さんはそういうイジマシイことはしないんですよね。

政治屋 じゃなくて”政治・家”。

タイムマシーンがあるなら、『角さん!んもういっぺん、総理を頼っんマス!

あっ、角さんも・・・赤坂やらで散々旨いモン食べたはります。<br>せやけど、新潟のメシと味噌汁・・・ナポレオンと似てますゆよね。。。だから、”真のグルメ”ですよ!(^^)


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ティラノザウルスはグルメだったか?




別に、あたしは、頭が変になった訳じゃあ無いでっせ!笑


まあ、もしご評価頂けるなら・・・あたしの雑学よりも、むしろ読者の皆さまに喜んでいただく為に、わざわざWEBで恐竜画像を拾い集めたことを頭ナデナデして欲しいです(笑)。

(これもWEBから)拾った記事をそのまま転写しましたので、ティラの君の履歴書代わりにお読みください


~ティラノザウルスは、白亜紀後期の肉食恐竜。
その大きさ6m。全長にしたら15m!重さはなんと6.5トン!!!

おそらく鳥類ほどの学習能力は持っていたと考えられている。とくに脳質量の半分以上を占める嗅葉(嗅覚をつかさどる部分)は、ほかに例のない大きさだ。現在の動物と比べると嗅覚で腐肉を探すヒメコンドルでさえ嗅葉は小さく、おそらくイヌ科動物の嗅葉もティランノサウルスにははるかに及ばない。~





上の同時期にいたステゴザウルスとカモノハシ恐竜をティラノ君はディナーにしていたようですね。


”ベジタリアン恐竜の活け造り”が主食な訳で、もうこれは”ティラノザウルスはグルメだった!”と言わざるを得ません!笑




ただ、無敵のティラノ君(特にオス)にはちょっと困った事情があるのですよ。これが、考古学者に言わせると・・・ティラノのメスがですね~、もう手が付けられないくらい獰猛なオナゴでしてですね、Hしたくても簡単にはHをやらせてくれないらしいんですよ!笑。皆さまの身近にも、いませんか?獰猛な女?笑

で・あたしが、(アメブロやる前にメルマ・プログで)ティラノザウルスのH ”を記事にしましたので、見てくださいな!笑!




PS:この記事はメルマガのネタ(コラム)には使いませんからご安心下さいませ!(^^)




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今年がちょうど(明治時代にあった)日露戦争戦勝100周年にあたります。日本の武将にあって、海外から畏敬の念を持たれる軍人は東郷平八郎と真珠湾攻撃を成功させた山本五十六くらいでしょうか・・・。世界海軍の三大提督として”アドミラル・トーゴー”は世界中から今だに語り継がれる英雄です。

東郷平八郎は、日本海海戦で(ロシア)バルチック艦隊を壊滅させて日本勝利の決定打は放った訳です。日本海海戦完勝は、専門的に言うと当時の同盟国であり海軍の指南役の英国のお陰であることが、あんまり知られてませんよね。


まあ、そんなことはどうでも良いのですが、とにかく東郷さんは英国に戦(いくさ)の闘い方と、洋風料理を教えてもらった訳でして、後に日本家庭に登場する”肉じゃが ”の元祖となるビーフシチューを日本に持ち帰ります。ビーフシチューを作るにも材料が無くて結局”肉じゃが”が誕生することは前に記事にしましたが。この”肉じゃが”が旨かってだけでなく、陸海軍で大流行して兵員の戦力に大打撃を与えた”脚気(かっけ)”に肉じゃがが有効なことが分るのです。


明治になって、国民は精白米(完全に脱穀した米)を食べはじめビタミンB1が不足し、脚気になります。当時ビタミンやミネラルの栄養学なんか無いですから、陸軍は脚気を原因不明の疫病説を唱え結局対処できずに、戦場で多くの死者を出します。それと違って早くから海軍は精白米が脚気の原因であることを推測し麦飯を食わせたり、”肉じゃが”を食べさせて脚気を撲滅したというお話です。



(話の枝葉ついでに、今整腸薬として売られている”正露丸”ですが、これは日露戦争の時に登場した薬です。ロシアと闘って、ロシアを征服する為に軍隊用に作った薬だったのです。ですから当初の、薬品名”征露丸”・・・、これも有名にお話ですよね!^^)


さてさて、アドミラル・トーゴー自身の日本国内での料理の好物はと言いますと、色んな文献を見ても特に見当たらないんですよ。郷土薩摩(鹿児島)の料理や甘い和菓子等が好物だっと伝えられていますし、出された(食膳の)料理を楽しそうに召し上がった。色気に走ることもなく、醜聞もなく精錬潔白な武士だったと伝えられますね。トーゴーといい、陸軍の乃木希典といい”幕末出身の明治人は本当に偉い人が多いですね。

結論として、東郷さんご自身はグルメ人ではなかったとしても、”ビーフシチュー”を持ち帰った功績は偉大でしょうね!(^^)



最後に、

●海軍大将連合艦隊司令長官としての東郷平八郎・語録を3つご紹介致します。

『皇国の荒廃この一戦にあり』

『本日天気晴朗なれど波高し』

『勝って兜の緒を締めよ』


●世界的に有名な”東郷ブランド”

東郷神社・・・アラブはじめ第三世界に影響力あり。

東郷ビール・・・フィンランドやアルゼンチンで売ってます(^^)。


今回は下ネタがなくって済みません(笑)。トーゴーさんが真面目だったから突っ込むネタが無いのです(^^)、私の執筆力の責任じゃないんです(笑)

二話連続の”歴史重鎮のグルメ事情”です。

ネタが無くなった訳ではありませんゼ!笑。前から暖めていたシリーズなのです、どうか皆さまお付きあい下さいませ(笑)。



皆さまもよくご存知の元フランス皇帝のナポレオンですが、若い世代の方々は、日本の国家元首である天皇家よりも詳しいのではないでしょうか?笑

ナポレオンについての偉人・武勇伝ぶりは色々なところ目に触れてこられたことが多々あると思います。

平均睡眠時間は3時間だったとか、辞書に不可能という文字は無いとか、彫像画で皇帝服から手を入れて胃を抑えているのは胃癌だったから・・・とか、そういうお話多いですよね!笑


ナポレオンはコルシカという田舎出の一将兵でしたから、フランス貴族のディナーに2~3時間もかけて食事するなんて想像もできなかったらしいですね。2~3分で食べていたらしいです。まあ、ほとんどが軍歴なわけですから、ゆっくりメシ等食べてていたら出世なんかできませんよね!笑



ところで、こういう下ネタがあります(史実の中では事実です:^^)。


連戦に次ぐ連戦で、疲れきっていたナポレオンのことを心配した侍従が、栄養価の高い”カマンベール・チーズ”を寝惚け眼のナポレオンの口元へ差し出すと・・・、ナポレオンは、

ジャセフィーヌよ、今夜は勘弁してくれ! 』とウワゴトのように呟いたとか・・・笑。


さて、真面目なお話に戻しましょう。


前出の徳川家康はグルメだったかというと、旨いものを熟知した上で、質素なものを食べていたわけで、これは美味しいモノ味を知ってるわけだから”家康は間違いなくグルメ人”だったと言えます。

では、ナポレオン・ドナパルドはどうだったか、というとちょっと事情が違うようです。前述しましたように、彼がお国の為に戦っている間、貴族達は2~3時間もかけてメシを食う始末です。本質的に彼かがやった革命というのは、そういう貴族達を打倒する闘いだったのですから、そういう食事法やそのメニューは好きになれなかったらしいですね。

高級ブランデーにナポレオンの名が冠してあるのは、彼が成功者になってからのこと。


ナポレオンは”我輩の辞書”など口に出すからには、”旨いモノ”も彼自身が決める訳ですよ、ナポレオン自身がルール・ブックな訳なんですから(笑)。その中でも(前述の)カマンベールチーズ、トリュフ、ラグー(ナポリの煮込み料理)、そして鶏肉のマレンゴ風(※写真)が好物だったといいます。どれもベストセラーな食べ物ですが、全て庶民・田舎料理というところが庶民から愛される所以だったのではないでしょうか・・・(^^)。



ナポレオンは、軍隊の志気向上(今で言うモチベーションUP)をする為には”兵士は胃袋を掴め!”という言葉を残していて、実際戦争の遠征では食料の充実が志気に左右するということを、一将兵出身だけに熟知していたのでょう!現在の缶詰の原形である密閉型ガラス容器・版缶詰を発明させたのはナポレオンと言われてます。



余談ながら、もしナポレオンが太平洋戦争時の日本陸軍最高司令官だったならば、戦闘死者より餓死者が多かった(帝国陸軍の)無意味な戦争はしなかったのではないでしょうか・・・(涙)。


行列ができる店が旨い筈、有名店だから旨い筈、値段が高いから旨い筈・・・、←これって、変やんか!

ナポレオンのように、旨いと思うものは自分の舌で判断しましょうよ!日本の皆様!ナポレオンに笑われますゼ!笑


※鶏肉マレンゴ風


ナポレオンがイタリア・マレンゴ地方への遠征の折りに、自軍の料理長に命じて作らせた料理です。

原形はただの鶏肉を一度フライして、川ザリガニと一緒にイタリアントマト、ニンニクのソースで煮込んだ素朴な料理です。

現在は、イタリアンとフレンチと両方で紹介されてますが、作った(シェフは)フランス人でもナポレオンが実際に戦地で食べたのは、イタリアンに近い気がしますね!(^^)









徳川家康というと75歳まで生きて、食生活にものすごく気を使った武将として有名ですよね。


信長49、秀吉62という没年齢を考えると、尚のこと家康の75歳という数字は図抜けていたものかが立証されます。しかも、没っする前年くらいまで、隠居地の静岡の遊郭通いをしていたという記録もありますから、現代社会のように医療の力で”戸籍年齢を延ばす”のとは質が違うのですよ!笑


そういえば 人妻クラブ の誌乃さんも面白いウンチクをご存知で、あのスコッチの銘酒”オールドパー”爺さんは100歳で強姦の検挙歴があるというから恐れ入ります。徳川家康もオールドパーも文字通り”化け物”だった訳です!笑。


話を本筋に戻します。

家康長寿の秘訣は、今では相当多方面で研究されていて、ご存知の方も多いと存知ます。質素・倹約を旨として一汁三菜に勤め、現代医学・食養生から見ても相当な健康食を家康自ら研究開発したとされています。


麦飯に、味噌汁、野菜、小魚をふんだんに食べてましたし、その野菜や小魚も”旬”にこだわったと言います。しかも味噌汁は自分用に”減塩味噌”・”脱塩味噌”を配下の者に研究して作らせたといいますから、自己管理術と節制術においてもパイオニアだった訳です・・・。


とまあ、この辺りの情報までは、一般的な書物やテレビやWEBで言われてることですが・・・、

面白いのがですね、家康はこれらの料理は、重鎮には奨め無かったというのです。


自分は麦飯、小魚(=一物全体食と言って非常に健康に良い)で我慢して、部下や諸大名累々のもてなしには鯛の尾頭付きにタップリ塩を付けて振る舞い、旬を外れた先モノ野菜や、江戸前の魚を酒とともにふるまったといいます。善意で考えれば、自分を犠牲にして相手に喜んでもらう”もてなしの心”と思うかも知れませんが、この話を家康の権謀術とする説を唱える学者は、善意には捉えませんよね!笑。



大阪城攻めの時は兵糧攻めして、降伏した餓死寸前の敵兵に(本来は)水分多くて消化によい”粥”から食べさせないといけないのに、堅いご飯握りメシを食わせて、消化不良死させたのは家康なんですよ。でも、この時死んだ秀吉勢は餓死前に夢にまでみたご飯を鱈腹食べることができて”家康様”に感謝して”あの世”へ逝ったといいます。



つまり、家康は豪勢な料理を食わせて、尊敬されながら、周りの人間が早死する作戦を取っていたのです(笑)。何年か前に(高額の生命保険をかけた上で)”夫を合法的に早死させる方法”という本(但し半分コメディー)が出ましたが、その本に書かれていることに酷似しているのです(笑)。