矢崎社長 誕生???
テーマ:新聞屋のブログ毎年恒例になっている正月3日に行う店長合宿。
かれこれ5年はやっているだろう。
予約担当は、バスツアーの責任者である「とりあたま」
宿泊先は定山渓の某ホテル。
バスツアーでもクラブエッセンス立ち上げの時から
お世話になっているところだ。
9時スタートのため、大荷物を持って早めに自宅を出発。
大雪の中を、ひた走り8時50分に到着。
いつもならホテルの方が出迎えてくれるのだが誰もいない。
毎回利用しているので、フロントにちょっと言って勝手に
会議室に行く。
そうすると会議室ドア前に看板が立っている。
その看板を一目見て、「なんじゃー、コリャ!」
さらに、会議室に入るとテーブルが半分しか作られていない。
1か月前に店長合宿をやった時と同じ状態になっており
その時にも同じように指摘をしているのに一体どうなっているんだ。
掃除のおばちゃんに
「テーブル増やしてほしいんだけど」
と八つ当たり気味に言うと「係りの者が今まいります」と答える。
この時点ですでに9時。
係りものと言っていたので、「あー、ここでいつもの○○さんが来るんだなぁ」
とちょっと安心していたら作務衣を来たおじいちゃんが登場。
唖然として声も出せずにいると「係りの者ですが、何か?」と聞く。
気を取り直して、テーブルを3ポン増やしてもらうことをお願いする。
9時15分過ぎに、3バカ店長が堂々と遅刻して来た様子。
看板を見て、とりあたまが
「あー、またこれになってる」
とゲラゲラ笑いながら会議室に入ってくる。
怒り心頭に達し、挨拶も何もする気になれずいきなり
「どうなってんのよ、これ。何回、何年同じ話すりゃいいんだ!」
と大爆発。
とりあたまは、すかさず「ちゃんと言ったんですよ」と言い訳を始める。
「ちゃんと言ったら、どうしてこの看板とこのテーブルの状態になるんだ!
だいたい、支払いの時の領袖明細も毎回読売真駒内矢崎様になってるぞ!
それなら、お前が払え!!」
と5年にも及ぶ積年の恨みを祓うようにとりあたまにぶつける。
さらに「僕も昨日心配になって、予約が入っているかどうか電話したんですよ」
とのたまう。
「じゃー、電話した時に何でほかのことも確認しないんだ?」
と聞くと「そこまで頭まわりませんでした」と言うではないか。
こりゃもうダメだと思い、諭すように言うと神妙な顔をして聞いているフリ。
いつものように嵐を過ぎ去るのを待って、その後は3歩あるったらもう忘れているだろう。
おじいちゃんがテーブルを持ってきて、3バカが手伝いながら設置して9時40分になる。
その後、恒例の会議になるがどうも資料の出来が悪すぎる。
毎年やっているのに、なおかつ準備が遅れてはまずいと思って一か月以上前から
こういう形で作るようにと言っているにもかかわらず、できていない。
午後から1時間で先ほどの資料を修正しろと言って3バカは資料作り。
その間、時間がもったいないので支払いをしたり、部屋のカギをもらったり幹事の仕事を
矢崎社長に成り代わってやる。こうなったらいつもは特別室に一人で寝るのだが
余りにも広すぎて、使いようがないやら気持ち悪いやらと思っていたので矢崎社長と部屋
も変えようと決める。フロントにその旨を伝え、しばらくして部屋に行ったら何も変わっていない。
3バカに資料の進捗をシバシバ聞くと誰も何も答えない。
おー、無視か無視。こうなったらこっちにも考えがある。とことん幹事になってやる。
と心に決め、チェンジした部屋に行って「浴衣」「タオル」「お茶菓子」を3人分特別室に移動する。
会議室に戻ってみんなスリッパに履き替えているため、「靴」「ジャンパー」「荷物」を特別室に
これまた運ぶ。
いよいよ18時になり、翌日朝早くに千歳空港から北見に行かなくてはならないため夕食は
いつもより早く19時に頼んでいた。
「あと一時間で飯だぞ。できんのか?」
というと、やっと飲んだくれが 「じゃー、フロントに電話しとかなきゃ」というので
「矢崎社長のために、幹事がすでに電話させていただき連絡しておきました」
と答える。
夕食の時間になってもさらに15分遅れて3バカは登場。
矢崎社長の乾杯の音頭で宴会は始まった。
なじみの仲居さんに 「ここのホテル、だいぶ人変わりましたか?」と
尋ねるとリストラで削減し、仕事内容も見直しているとのこと。
いつもの担当の人も営業で札幌市内を歩いていて、ほとんど現場では見ないといっていた。
どおりで連携も悪いし、ホスピタリティもないはずと納得する。
他人のフリ見て我がフリ直せとは、こういうことだと戒める。
それにしても、今年の合宿はひどすぎる。
結局資料作りのために、行ったようなものだ。
会議に全くなっていない。
事前の準備が悪いと、何にもならないという見本だ。
成長するところか、退化している。
今年は、店長の教育に力を入れないとダメだと思わせられる正月だった。
次回、また同じならそれぞれに費用負担させることにしようと心に誓うのだった。






