2005年06月27日(月) 18時09分56秒
「身体障害者」の人と話して
テーマ:自分への覚え書き
コンタクトインプロビゼーションをやっていると、「身体障害者」(Different Ability と言いたいのだが、日本語でなんと訳されているのかわからないので、この言葉を使います。)の人と会う機会も多く。そこからいろいろなことを学ぶ。
ある人と話していたら、どこかで声の小ささ(声が出せないので)や咳をしなければならないのでその聞き取りにくさにイライラ、またはわかるまで何度も繰り返し言ってもらうことに申し訳なく思っている自分に気づく。
でも、それは自分の問題なのであって、彼らの問題ではないし、ましてや彼らが「障害者」ではないということに気づく。
僕はその人とコミュニケーションをとっているのであって、なぜその人のコミュニケーションに合わせることができないのだろう?(もちろん「障害者」と呼ばれる相手は何倍も僕のコミュニケーションスタイルに合わせる努力をしている。)
問題は僕自身だった。
イライラするのは、僕がある話のテンポを勝手に想像しているからだし、何か焦っているからだ。
繰り返してもらうことへの悪気は、自分が繰り返して言うことを何度も要求されるとき、恥ずかしさを感じるからだ。(声が小さいのがまるで悪いことのように感じているから。)
僕はそんな自分の世界のなかで相手とコミュニケーションした気になっていたのだろう。でも、そこに本当の相手はいない。
コミュニケーションとは、ある意味できっと、今その瞬間に二人または多数の人の間で起っていることを大事にすることに違いない。それはただの情報のやりとりではないし、ただ話しをするためでもない。
コミュニケーション自体が大事なのだと思う。
僕は人とコミュニケーションすることはあまり得意ではないので、こういうことは気づかなかった。案外分かっている人というのは多いに違いない。
大事なのは、相手ともっとコミュニケートしたいという気持ち。なんとしてでも相手をもっと知りたいという気持ち。
今まで、「相手をもっと知りたい」という言葉に対して、否定的な反応をしていた。他人のことなど分かるはずがない、と。でも、それはいいのだ。そういうことこそが問題ではないのだ。コミュニケーションとは、場であり、気持ちなのだ。「相手をもっと知る」とは、相手の存在にもっと触れるということなのであって、情報を知ることではない。
個人的には大きな問題のとっかかりが出来たように思う。
出会いに感謝。
ある人と話していたら、どこかで声の小ささ(声が出せないので)や咳をしなければならないのでその聞き取りにくさにイライラ、またはわかるまで何度も繰り返し言ってもらうことに申し訳なく思っている自分に気づく。
でも、それは自分の問題なのであって、彼らの問題ではないし、ましてや彼らが「障害者」ではないということに気づく。
僕はその人とコミュニケーションをとっているのであって、なぜその人のコミュニケーションに合わせることができないのだろう?(もちろん「障害者」と呼ばれる相手は何倍も僕のコミュニケーションスタイルに合わせる努力をしている。)
問題は僕自身だった。
イライラするのは、僕がある話のテンポを勝手に想像しているからだし、何か焦っているからだ。
繰り返してもらうことへの悪気は、自分が繰り返して言うことを何度も要求されるとき、恥ずかしさを感じるからだ。(声が小さいのがまるで悪いことのように感じているから。)
僕はそんな自分の世界のなかで相手とコミュニケーションした気になっていたのだろう。でも、そこに本当の相手はいない。
コミュニケーションとは、ある意味できっと、今その瞬間に二人または多数の人の間で起っていることを大事にすることに違いない。それはただの情報のやりとりではないし、ただ話しをするためでもない。
コミュニケーション自体が大事なのだと思う。
僕は人とコミュニケーションすることはあまり得意ではないので、こういうことは気づかなかった。案外分かっている人というのは多いに違いない。
大事なのは、相手ともっとコミュニケートしたいという気持ち。なんとしてでも相手をもっと知りたいという気持ち。
今まで、「相手をもっと知りたい」という言葉に対して、否定的な反応をしていた。他人のことなど分かるはずがない、と。でも、それはいいのだ。そういうことこそが問題ではないのだ。コミュニケーションとは、場であり、気持ちなのだ。「相手をもっと知る」とは、相手の存在にもっと触れるということなのであって、情報を知ることではない。
個人的には大きな問題のとっかかりが出来たように思う。
出会いに感謝。







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