言葉というのは、いうなれば生きているんです。
どういうことかっていうと、ずっとそのままでは使えないってこと。
言葉はある人とある人が話しているある場においてのみ、本当には有効なのです。
どんなことでも言葉にはできる、でもそれはその場においてのみ意味がある。
その場で起っていること、感じていること、伝わっていること、全て飲み込んで、意味は言葉を通して伝わっていくのです。
書かれた言葉は、内容が分かっている人にのみはじめて意味が伝わるもの。
でも、知っているけどわかってないこと、というのはいっぱいあるものなのです。だから書かれた言葉というのは、お互いに分かる人にとっては、とても大事なのです。それは時代を超えます。
殆どの人は、本を自分の読みたいように読んでいくんじゃないかな。
でも、本を本当に読み解こうとするならば、こうだ、と思ったコアに対して雑音を響かせない言葉がないかどうかを批判的に読んでいくのが良いと思っている。
もし、「あれ?これちょっと意味わからないな。。。」なんて文が出てきた時、それはあなたの感じていることは著者が感じていたこととは違うということです。
本当に伝わることなんてないのかもしれない。でも、それは誰も証明したことがないし、証明できないから、どうなのかは僕にはわかりません。
でも、その解釈のズレっていうことにもまた、様々な新しいものを生み出していく面白さがある。
言葉もまた「鏡」であり、読む人が今自分で必要としていて実は自分で知っていることを、改めて意識的に拾っていく道具にも成り得る。
だから語ることに意味があるのかと思うけれど、それがきっと素晴らしいことだと思うので、書いています。
言葉については、もちろん山ほどいろいろな理解があるだろうし、僕としてもいっぱい言いたいことがあるのだけれど、今はとりあえずふと言いたくなったことだけ。