Willie And His People ‎– A Weak Man Cries / Can't Love Nobody But You
(B&B Recordings ‎– BB 1007)
Vocals – Willie Wortham / Producer – Bill Edmonson

ツボにハマる曲というのはイントロから歌い出した時点で即確定することはよくある事で、今回のこの盤もその一枚。
ウィリー・ウォーサム(Willie Wortham)というシンガーがウィリーと彼の仲間たち(Willie And His People)という名義でリリースされたもの。
彼が残したレコードはこれ一枚だけのようだが、これがなかなかのダブル・サイダー。

STDさんはディーラーのサンプルからこれを聴き、大捜索した末に手に入れられ、2010年の上半期のベスト1にされてられるほど。
確かにA面のスロー・バラードはディープ・ソウル好きには涙ものだし、B面のミディアム・アップはノーザン好きには堪らないようで高値をつけている。
苦労して入手した方もおられたかと思えば、逆に佐野さんはどこで手に入れたか覚えてないのに、日頃粗末な扱いをしているレコード箱からこの盤が出てきたというから、出会いは人それぞれで面白い(笑)

まずはディープ・ファンに人気の"A Weak Man Cries"。
やはりこの曲は、SirShamblingの"Deep Soul Heaven"でも取り上げられていたので、そちらのページで聴くことができた。("Deep Soul Heaven"リンク

塩辛声を震わせ嘆き歌うあたりは、凛々しい男が女々しさを見せているようで返って虚しさを増している。女性コーラスの方が強く感じる分、ディープな歌声が余計に男の弱さを感じてしまうのかも。情けないというより、まるで現代の男性像を見るようでどこか共感してしまうところがある。

ミディアム・アップの"Can't Love Nobody But You"の方は更にウィリー・ウォーサムの歌声によく馴染んでいて、サム・クック・テイストはこちらの方が感じられるかも。

Willie And His People - Can't Love Nobody But You


イントロから良いと感じたのはどうやらサム&デイヴの "Soul Man" のフレーズに似てるからのようだ。
リリースされた年が不明だけれど、演奏形態やその "Soul Man" のヒットにあやかって作られたとしたら67年以降ではないかと思える。
歌い出しからはこれも大好きなハリソン・ブラザーズの"Crying Won't Help You Now"(リンク)に似ていてほんとこういうミディアム・テンポには弱い。
同じ塩辛声でもウィリー・ウォーサムの声はハリソン兄弟のそれとはちょっと違って、どちらかというとジェームス・フィリプスの粘りのある塩辛声って感じ。
こうやってサム・クック・フォロワーの名前が例えで色々と出てくるということは、ウィリー・ウォーサムもその一人に加えて良さそうだ。


2012年に投稿された映像に、フロリダにある教会でゴスペルを歌っている、多分同一人物であろうウィリー・ウォーサムの姿が確認できた。

There's a Lilly in the Valley sung by Willie Wortham


STDさんのブログからの情報で、鈴木啓志さんが産地は「多分、西海岸」と言われてたそうだが、出身地かどうかは分からないが上の動画の場所がフロリダということから産地は東海岸の可能性もあるのかも。

幼い頃から地域の教会でゴスペルを歌い、ソロとしてレコードを出した歌手が、再び地元の教会でゴスペルを歌う姿は何度となく見てきた。
それを冷笑して「都落ち」と揶揄する人もいるかもしれないが、彼らを見ていてそんな風に思ったことはない。
一度、名門のソウル・スターラーズに加入して直ぐに地元のスワニー・クインテットというゴスペル・グループに戻った(リトル)ジョニー・ジョーンズは、反感を買うどころか、メンバーにも地元のファンからも歓待をうけていた。
それと同じように一度メジャーに上がったソウル・シンガーが、それぞれ各地の地元に戻り、歓待をうけ、年老いてもなお教会でゴスペルを歌ってる姿を見るとほんと嬉しくなってくる。

地域の為にもいつまでも歌い続けてもらいたい。

ウィリー・ウォーサムの映像を観ていてそんな風に思った。























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長い間パーキンソン病と闘っていた元ボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリが、6月3日(日本時間6月4日)、74歳で逝去したと報道があった。

アリとサム・クックが親交があったことを知っているファンは、SNS上でもサムとの思い出を語り惜しむ声を多く見かけた。
サム・クックとの仲の良さを物語るように多くのツーショット写真や映像などが残されているので、それらを見ながらここでもアリを追悼していこうかと。

まず、2人の関わりで印象に残っているのは、63年の12月7日にサム・クックが出演したジェリー・ルイス・ショウ。
この2時間のバラエティ番組に、先に出演が決まっていたのはカシアス・クレイ(モハメド・アリ)で、彼の強い要望でサム・クックの出演が実現したという。
この出演の前から付き合いがあったかは分からないが、これをきっかけに2人の親交は深まっていったと思う。
サム・クックが"Twistin The Night Away"と"The Riddle Song" の2曲を続けて歌った映像はYouTubeの方で良くご覧になられていると思うので、その時のアリの映像の方を。

Cassius Clay on The Jerry Lewis Show. Part I (December 7, 1963)

冒頭から自分のことより、一緒に出演できたサム・クックの名前をあげてるところが本当にリスペクトしていることがよく分かる。

2人は番組の中では一緒に映ることはなかったが、控室なのかすれ違うサムとアリの写真が残されていた。


翌年の64年2月25日に、アリとソニー・リストンの試合が行われたフロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターで、サムとアリは再び出会うことになる。
試合に勝利した直後、アリはサムをリング上に呼び「世界一グレートなロックンロール・シンガー」と叫び、サムはアリを「僕が今までに見た中で、最もグレートなエンターティナー、ショウマンの一人だ。彼は同胞の若者たちにとって、素晴らしい手本だ」と言った。

Sonny Liston vs Cassius Clay(Muhammad Ali) (February 25, 1964)



妻のバーバラとJ.W.アレクザンダーに挟まれてアリの試合を観戦しに来たサム。


試合後にサム・クック(Sam Cooke)とマルコムX(Malcolm X)とアメリカン・フットボールの名選手のジム・ブラウン(Jim Brown)が、マイアミのアリが宿泊していたホテルの一室に集まり、祝賀会を行っていた。
その時の様子を"One Night in Miami" (マイアミの一夜)として二年前に舞台劇として作られた。

Your first look at "One Night in Miami"


映像にはサム・クックの黄色いジャケのベスト盤をマルコムXが持ち込み、サム・クック役の人物が"A Change Is Gonna Come"を歌っていたりする。
祝賀会とあり皆がベットで飛び跳ねたりと賑やかな夜だったように思えるが、実際は何者かの盗聴疑惑もあり、静かな夜だったとも言われている。
次の日の朝、カシアス・クレイはマルコムXの影響でイスラム教に改宗し、モハメド・アリを名乗るようになる。
ジム・ブラウンも早々に引退し、無謀にもモハメド・アリにリングで戦うように申し出たらしく、アリがその場でジムにワンツーパンチをお見舞いしてノックダウンさせ、それによってジムはボクサーを諦め俳優の道へ進んだという。


WBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンに挑戦し、勝利を得ることがアリにとっての大舞台であったならば、同じ年の夏(7月)に控えていたコパ公演はサムにとってのソニー・リストン戦だった。

「僕の自尊心は大きいんだ。僕はすべてを手に入れたい。彼等に言ってやりたい事があるんだ」「僕をブッキングしてくれよ!大向こうを沸かせてやるから!」

アリのようにビッグマウスでそう言っていたサムも、前回のコパ公演の失敗が忘れられないのかライヴ当日の彼は不安の中、緊張していたという。
バックステージの彼は、行ったり来たりしては、手を擦り合わせていた。
そこへ他のシンガーやレコード会社の役員とともに現れたのがモハメド・アリだった。
ソニー・リストン戦で応援に来てくれてたサムを、今度はアリが励ます為に楽屋に訪れていた訳だ。
アリもきっとこのコパ公演の成功がサムにとってどれほど重要だったか分かっていたのかもしれない。




モハメド・アリはソニー・リストンに、そしてサム・クックはコパ公演にとそれぞれが勝利し、互いの分野でチャンピオンとなった彼らが、意気揚々と仕掛けてきたのが、64年の3月に行われたアリのレコーディングだった。


2人が一緒に写るこの時の写真が一番多く残されている。






やはりボクサーに歌わすというのは難しいのかサムの険しい顔が伺える(笑)






手取り足取り。アリは椅子に腰かけているのか歌唱指導するサムがこの時ばかりは大きく見える。






何か考えこむサム。アリが上手く歌えますようにと神に祈っているのかも(笑)



























楽しそうにリラックスした雰囲気も感じられる。






本国イギリスよりアメリカでの人気が高かったデイヴ・クラーク・ファイヴ(The Dave Clark Five)が、丁度アメリカに進出してきた頃にレコーディングを覗きにきていたようだ。






一緒にふざけて記念撮影。






レコーディングが上手くいったのか気分良さそうなサム。







Sam Cooke and Muhammad Ali - The Gang's All Here
BBC Television (March 4, 1964)

レコーディング終了後にテレビ出演した2人は本当に仲が良さそうで、子供のように楽しんでいた。






最後に2人が会ったのは棺の中のサムと、葬儀に訪れたアリだった。

サムの死後、モハメド・アリは「もしサム・クックがフランク・シナトラだったら、ビートルズだったら、FBI は捜査を続けて、今頃あの女(バーサ・フランクリン)は監獄行きになっていたところだ」と、怒りを込めて言っていた。
アリのソニー・リストン戦の夜に集まったサム・クックがその夜から10か月後に亡くなり、丁度1年後となる4日前にマルコムXが亡くなった。
密会した4人のうち2人も1年以内に亡くなっている。
ボクシング、アメフト、音楽、宗教とそれぞれの分野で頭角を現した黒人たちの密会で、何かアメリカ全土を揺るがすような大きな計画でも立てられ、それを煙たがる何者かに、、、なんてことを考えてしまうほど短い期間に貴重な命が絶たれてしまった。
その2人にくらべると、病と闘いながらもここまで命を長らえたアリは何を思いながら息を引き取ったのだろうか。。。

丁度、この記事を書いている時に興味深い隠れサミー情報を教えて頂いた。

Mike Tyson - Tony Tubbs Training Sparring and Weigh in.


上の映像は、88年3月にトニー・タッブス戦で日本に来日したマイク・タイソンの練習風景。
この時のBGMにサム・クックの曲が使われている。しかも「チェイン・ギャング」、「キューピッド」、「ツイスティン・ザ・ナイト・アウェイ」、「ハヴィング・ア・パーティー」と、スパーリングが始まる直前まであの黄色いベスト・アルバムが流されていた。タイソンは調子が良いと歌い出すようで「チェイン・ギャング」を口ずさんでいる。(2:17秒あたりから)

少し調べてみるとタイソンについて書かれた「マイク・タイソンの台頭」("The Rise of Mike Tyson,Heavyweight" p178)にこう書かれていた。

"As fight time drew near,Mike began his usual warm-up routine in the trailer,shadow boxing to the strains of Sam Cooke coming from his tape system."
「戦いの時間が近づいたので、マイクはトレーラーでいつものウォーム・アップ・ルーティンを始めた。そしてシャドー・ボクシングでは彼のテープ・システムから同人種のサム・クックが流れだした」

どうやらタイソンは来日時だけサム・クックを流していたわけではなく、日頃から練習時のルーティンの一つとして、鼓舞しリラックスする為にもサム・クックの曲を流していたようだ。

モハメド・アリが亡くなっても彼が好きだったサム・クックの曲や精神性を、次の世代がリスペクトし、引き継いでいたことが分かって堪らなく嬉しくなった。
タイソンはアリが亡くなった日にツイッターで「神がチャンピオンを迎えに来た。さようなら、偉大な者よ」と投稿し、「RIP(安らかに眠れ)」と悼んでいた。
ここでも同じように「安らかに」と締めようと思ったが、どうやら今回は違うように感じた。

生涯を通じてボクシングや政治社会、そしてパーキンソン病と闘い続けたアリは、以前サム・クックをリングに上げたように、今度はサムが若返ったアリをエスコートし、天国のリングへと再び上げ、アリはずっと何かと闘っているのではないかと思う。
サム・クックの歌う「パーティー」とは、アリにとっての「闘い」なような気がしてならない。

「天国でいつまでも闘い続けてください」

偉大な男へのはなむけは、こんな言葉が似合ってる。

































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80年代、ちょうど僕が中学生で洋楽にハマりはじめた頃、テレビの深夜放送でお世話になっていた「ベストヒットUSA」。
当時、一番印象に残っているのがジャーニーの「オープン・アームズ」が毎週のように1位を独走していたこと。
今となってはサム・クック・フォロワーのスティーヴ・ペリーが歌う代表曲としても大好きな曲ではあるが、その時は「またこの曲か」と半ばうんざりしていたことを思い出す(笑)

で、その「ベストヒットUSA」が今はBS朝日で放送されていて、先週の金曜日は偉大なソウル・シンガー特集ということで、サム・クックも紹介されるという情報を知り、久しぶりにテレビに映し出されるサム・クックの映像と小林克也さんの顔を拝むことができた。
今回はその時の紹介を簡単に。

まず、黒人の演奏する音楽を総称するレイス・ミュージック(人種音楽)が、アフロ・ヘアーが流行り出した70年代あたりからソウル・ミュージックと呼ばれだし、その影響を与えた御三家として、サム・クック、オーティス・レディング、マーヴィン・ゲイの3人の名前を小林克也さんはあげていた。
この御三家として括るあたりも80年代の日本的な表現だなぁなんて懐かしく思いながら観ていると早速トップ・バッターとしてサム・クックが紹介され始める。

映像はDVD「ヒストリー・オブ・ロックンロール Vol.2」からのもので、エド・サリバン・ショーに出演時のサム・クックをバックにサムに影響をうけたアーティスト達がコメントを残していた。

「ロックの発展に貢献したサムはゴスペルを歌ってた。Soul Stirrersとね。俺が子供の頃さ。彼の影響は大きい」モーリス・ホワイト

「幼い時から才能に恵まれてた。Sam Cookeは神からの贈り物だ。ウットリするような声だった」ルウ・ロウルズ

「彼は黒人として初めてコパに出演して世間を驚かせたわ。ブロードウェイには彼の大看板。超一流の扱いをうけたの。応援してたわ」グラディス・ナイト

「音楽は単純でメロディアスなら"売れる"ってな」ボビー・ウーマック

Sam Cooke "You Send Me" on The Ed Sullivan Show


小林克也「サム・クック、1957年の"You Send Me"。プレスリーの時代、R&Bとかゴスペル・ミュージックというのが裏で凄かったんですね。そういったものがプレスリー達に結果的には影響を与えたわけですが、サム・クックも元々教会なんかで歌っていたゴスペル・シンガーだったわけです。で、ゴスペルというのは伝統を重んじますから、サム・クックはゴスペルの天才児だと言われていて、でもあの声でポップスをR&Bを歌わしたらってことでね、サム・クックにレコード契約が飛び込んできてレコードを出すわけですよ。で、名前をちょっと変えるんですよね、だから"Cook"に"e"が付いていたりするわけですけども、でもやっぱりおいあいつが歌ってるじゃないかってことで、最初はサム・クックもゴスペルとR&Bに引っ張られて辛かったらしいんですけども、サム・クックはその影響第1号です」

今回のソウル・シンガー特集のラストはプリンスで締められたが、今年の2月に亡くなったモーリス・ホワイトがサム・クックについて語る貴重な映像もここで観られたのは感慨深かった。小林克也さんの解説ではポップスのレコード契約時の変名はデイル・クックの事が言いたかったんじゃないかと思うけど、最後のゴスペルからの転身という影響を与えた第1号と言って頂けてファンとしても嬉しい限り。

そして続いて紹介されたのが、オーティス・レディング。
オーティスの紹介が意外にも簡単であって、絶大な人気を誇ったオーティスのPVを新たに作る為に映像を募集すると沢山の応募が集まり、下の映像が採用されたということだけだったように思う。
それにしても故人のPVを、音源の所有権を持った会社が作るのではなくて、募集して選ぶなんて考えが素晴らしい。アブコも見習ってそのくらい粋なことしてくれないかなんて思ってしまった。

Otis Redding – “These Arms Of Mine” Official Video Winner


小林克也「50年代、60年代、70年代と色んなミュージシャンに影響を与えたサム・クックとオーティス・レディングといきました、後はマーヴィン・ゲイが登場しますが、この人達に共通な事はですね、皆んなシンガー・ソングライターであった。だから、例えばマーヴィン・ゲイとかサム・クックなんかは何時もメモで詩を思いついた時はメモってたとか、そういう人だったわけですね、つまり自分の音楽を自分で作った。それからもう一つ、歌い方は我流だった。ま、色んなボーカル・レッスンを受けたりとかそんな話もありますが、最終的には我流だったという共通点」

Marvin Gaye – Ain’t No Mountain High Enough (Greatest Hits. Live In ’76)


小林克也「今日紹介したサム・クックそれからマーヴィン、オーティス・レディングは、ゴスペルのような力強い声が必要なんですよ、凄く馬力のある声で歌えるし、今のような曲(マウンテン)も凄いスムーズにクールに声が出せる。マーヴィン・ゲイは自分の声はマイルス・ディヴィスだとかチャーリー・パーカーだとかああいった人達を聴いたお陰でこういった声が出せるんだ、みたいな事を言っていました」

この後にこの御三家とは違って力強さはないけれど、スムーズな歌声として紹介されたのがスモーキー・ロビンソン。

Smokey Robinson – Being With You


スモーキー・ロビンソンはマーヴィン・ゲイに曲を提供するときに何も注文は出さず、マーヴィンによって独特の、それこそ我流の歌になっていて、それを「マーヴィナイトする」と呼んでいたそうだ。
なるほど、サム・クックにしてもオーティスにしても、ここでソウル御三家と呼ばれた3人はオリジナル曲をソング・ライティングするだけでなく、カバー曲ですら独自のものとして変化させ、力強くもスムーズにも我流の歌い方で表現していたからこそ、御三家として選ばれたのだと納得した。
御三家の人選は、人によってはアレサ・フランクリンだったり、レイ・チャールズやスティービー・ワンダーの名をあげるかもしれないが、まず間違いなくその3人の中には必ずサム・クックは入っているはずだ。
とりあえず今回の御三家を選んだ小林克也さんからの言葉「サム・クックはその影響第1号です」、で、ごはん3杯は食べられそうだ(笑)

そこで見てもらいたいのが、毎年のようにツイッターで話題になるこの高校の音楽の教科書の1ページ。



高校でも洋楽ロックの系譜を教えるようになったかぁと嬉しく感じながらソウル周辺を見てみると。。。



サム・クックが無い!
ソウルどころかどこにも無い!
せめてものゴスペルにすら無い!
教科書という多感な時期の高校生にアピールする絶好のチャンスだというのに。。。
小林克也さん、何とか言ってやってくださいよぉ(^_^;)













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