新しい大統領に抗議するデモが広がるなか、トランプ大統領の就任式が行われた。

8年前にサム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」をバックグラウンドに「チェンジ」を掲げ就任したオバマ前大統領は志半ばで退任することとなった。

少なからずサム・クックの存在は、文字通りオバマ前大統領を後押ししていたように思う。

 

その逆に、大統領がサム・クックに影響をあたえたことが過去にはあった。

 

1963年11月22日、その日を初日として一週間のアポロ公演を知らせていたのがトップ画像の広告。

サム・クックにとってアポロ公演は既に恒例の行事となっていて、彼は前回のアポロ公演で観客動員数を塗り替えていた。

今回も観客を増やすべくバンドのメンバーとタバコのL&MのCMに出演し、ライブの告知とともにニューヨークの街中にはサム・クックの写真が溢れていた。

今回の公演でサムは、八曲目のトップ40ヒットを出していた、モータウンのメアリー・ウェルズと共にヘッドライナーを予定されていた。

 

サム・クックはソウル・スターラーズ時代からアポロ・シアターでのライブを行っており、経営者のボビー・シフマンはサムjを始めて観るなり、「私が今まで見た中で、最もエキサイティングなものの一つだよ!まだ誰も見たことがない、強力な新人が現れたんだ。突然、辺りに電流が走ったようになった。若者はずば抜けた才能を見せ、観客は火がついたように喝采する。彼の輝きが小さな星屑になって飛び散るのが見えたんだよ!」と称賛するほどだった。

 

今回のショーもボビー・シフマンが会場に到着したころには、周辺の歩道は入場を待つファンが幾重にも行列をなしていた。

ほどなくして壁までぎっしりと埋まった会場内を見たシフマンは、アポロ・シアターが始まって以来の入場者数を更新する入りになることを確信していた。

 

 

同じ日、アポロ・シアターに集まった観衆の何倍もの人々が、ダラスの広場に押し寄せていた。

 

12時30分、アポロでは最初のショウが始まり、クレイ・タイソンやルビー&ロマンティックスらが順に登場し、満員の観衆はまちまちに声を上げ、トリで現れるソウル界のトップ・スターの出番を楽しみにしていた。

丁度その時、ダラスのディーリー・プラザでも、この国のトップ・リーダーを乗せたリムジンが通りかかり、沿道に溢れた市民からは歓待の言葉を投げるものからブーイングまで様々な歓声があがっていた。

そして、突然、響き渡る銃声。

 

午後2時、ダラスでケネディ大統領が射殺されたというニュースがニューヨークのアポロにも届いた。

そろそろサム・クックがステージに上がると期待していた観衆の前に現れたのは、フランク・シフマンだった。

彼がステージ上で事件を告げると、場内は騒然となって、あちらこちらで悲鳴が上がり、ヒステリー状態に陥った女性もいた。

 

ケネディ大統領が銃弾に倒れる前の6月、彼は全国放送のテレビで公民権運動に関して言及していた。

「――問題の核心は、平等の権利と平等の機会をすべてのアメリカ人が得られるかどうか、われわれが自分たちをこう扱ってほしいと望むように他のアメリカ人を扱えるかどうか、にあります。ひとりのアメリカ人が、皮膚の色が黒いという理由で、公衆に開かれているレストランで昼食をとることができないとしたら、自分の子どもを最良の公立学校に通わせることができないとしたら、自分を代表する公人に投票できないとしたら、もし皮膚の色が変わって彼と同じ立場になったとき、われわれの誰がそれを受け入れられるでしょうか。われわれの誰が、忍耐の勧めと対策の遅れに同意できるでしょうか。――」

(アメリカ国民に対する公民権についてのテレビおよびラジオ報告より抜粋/1963.6.11)

 

その夜、ミシシッピ州ジャクソンでNAACP(全国黒人地位向上協会)のリーダー、メドガー・エヴァースが帰宅途中に背中を撃たれて死んだ。

それから数日後の同じ6月にサム・クックの息子、ヴィンセントも自宅のプールで溺死した。

メドガー・エヴァースが公営の墓地で2万5千人の参列者を集め埋葬された同じ日に、クック一家はフォレスト・ローンの墓地で小さな葬儀をあげていた。

 

63年の夏に立て続けにショッキングな人の死に直面したサムは、再びアポロの楽屋でケネディ大統領の死の一報を聞かされたとき、彼は一体何を考えていたのだろうか。

 

結局、サムはその後公演をキャンセルして飛行機でロサンゼルスに帰った。

マルコムXはケネディの暗殺に対して「起こるべくして起こった」と発言し、ムスリムの仲間たちから懲戒処分をうけているが、多くの黒人たちは白人のケネディの死を悲しんでいた。

公民権に関するスピーチも黒人票集めの為と捉える黒人もいただろうが、少なくとも現存するサム・クックの親族の方々はケネディに好意的であり、ムスリムに関してもサムは交流はあったが、モハメド・アリのように入信するまでもなく、彼自身の救いの主はキリストに変わりはなかったと言っている。

 

それぞれの死の悲しみを乗り越え、サム・クックは「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を作った。

「生きていくのは辛いけど、死ぬのは怖い」

ボブ・ディランの「風に吹かれて」のアンサー・ソングとしても知られているが、死を意識させた63年の出来事がなければ作られなかった曲だと思う。

 

オバマ前大統領はこの曲を自らテーマソングとし「チェンジ」を訴えてきた。

それは国民にとっても初の黒人大統領誕生による期待感からの「チェンジ」だった。

トランプ政権と変わった今、もう聞くはずのない「チェンジ」が歌われ続けている。

面白いことに今度はトランプを支持する人々の期待感からくる「チェンジ」ではなく、現政権に反対する人々の、不安と怒りから沸き起こった「チェンジ」に変わっていた。

 

アメリカに限らず世界的に不穏な空気が漂っていて穏やかではない。

ドラマのような驚く事件や災害も多発している。

サム・クックの求めた世界はどんなものだったのだろうか?

 

今回、サム・クックとアメリカ大統領の影響として取り上げたケネディ大統領暗殺事件。

これを題材としてスティーヴン・キングが書いたタイムトラベル小説『11/22/63』がドラマ化されている。

そのドラマの最後のシーンは、暗殺事件を題材としたドラマであるにも関わらず、これからの未来への希望と楽しさを表現したような主人公のダンス・シーンで終わっている。

ネタバレになるかも知れないが、本当は切ないそのダンス・シーンの時に、主人公が思い出の曲としてDJにリクエストしたのが、サム・クックの「ナッシング・キャン・チェンジ・ディス・ラブ」だった。

 

11.22.63 Ending Scene (Jake and Sadie dance)  

 

サム・クックの求めた世界はこんなダンス・シーンなのかもしれませんね(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「フランク・シナトラは歌詞の持つメッセージを伝えることの出来る最高のシンガーです。彼にはストーリーを語る能力があります」 サム・クック

 

サム・クックがストーリー・テラーと呼ばるまでとなったお手本は、間違いなくこのフランク・シナトラだったと思う。

シナトラと聞いて真っ先に思い浮かべるのが「マイ・ウェイ(My Way)」。

僕にとっては古典的なヒット曲だったので、サム・クックが真っ先にカバーしていてもおかしくないのにと思いつつ調べてみると、この曲がリリースされたのは69年。なんとサム・クックの死後にリリースされたヒット曲だったことを知り納得。

 

ウェイはウェイでも、シナトラの曲「オール・ザ・ウェイ(All The Way)」はサムもしっかりカバーしていた。

Sam Cooke / All The Way

フランク・シナトラがこの「オール・ザ・ウェイ」を歌ったのが、ちょうどサム・クックがソロデビューした57年だった。

白人のクルーナー歌手として人気のあったフランク・シナトラとディーン・マーティンは常にサム・クックの手本であり、彼らのいるトップ・リーグに名を連ねることが最終的な目標だと語っていた。

世界中を旅行するというコンセプトで作られたアルバム「クックズ・ツアー」は、シナトラのアルバム「カム・フライ・ウィズ・ミー」のアイディアを拝借したものだった。

残念ながらサム・クックとシナトラが一緒に写真におさまることは無かったようで、2人が直接会っていたかは分からない。

しかし、サム・クックが亡くなった夜に訪れていたマルトーニズは、音楽業界の溜まり場でありシナトラのお気に入りのレストランだったことを思えば、彼らはそこで出会い音楽談議に花が咲いていたのではないかと想像できる。

 

そして聴いてもらいたいのが次のデモ音源のようなフランク・シナトラの曲「ザッツ・ライフ(That's Life)」のカバー。

 

That's Llife - Frank Sinatra Cover

 

サム・クックが宅録でシナトラの曲を吹きこんでたのか?!

なんて思わず身を乗り出しそうになるこの音源は一体誰なのか。

 

実はこの「ザッツ・ライフ」という曲もサムの死後となる66年のリリースなので「マイ・ウェイ」と同じくサムがこの曲を歌うことは出来ない。

そこで、もしサム・クックがこの世に生きていたなら、こんな風にカバーしていたんじゃないかとある人物が代わりに歌ってくれたのがこの音源。

その正体はあの現代のサム・クックと推している宅録シンガーのデショーン・ワシントン(DeShawn Washington)。

 

彼は今までもサム・クックのカバーを披露してくれていたけれども、今回のようにサム以外のシンガーの曲をサム風に歌ってみせたのは初めてかも。

選曲もいかにもサムが歌いそうな曲を選んでいて、このような「もしもサム・クックがあの名曲を歌ったら」というカバーは今までオヴェイションズのルイス・ウィリアムスが叶えてくれていたように思う。

今後はデショーン・ワシントンにそれを託して、サムのカバーだけでなくサムの死後に発表された名曲たちをサム風にカバーしてもらいたい。

 

今日、誕生日を迎えたサム・クックが生き返ってシナトラをカバーしてくれたなんて妄想を抱かさせてくれたデショーン・ワシントンに感謝です。

なんだか33歳という若さで亡くなったサムが悔やむことなく「That's Llife!(それが人生!)」って歌ってるようで良いじゃないですか(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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サム・クック教なるものがあるとすれば、サムが亡くなった12月11日を境にクリスマスや正月を挟み、翌年のサムが誕生した1月22日までを輪廻転生する期間とするのかも、なんて考えたりしています(笑)

 

その新たにサム・クックが生まれ変わる日を待たずして、僕の前に現れてくれたのは今まで見ることのなかったサムの在りし日の姿。

すっかり冬休みを頂いた久しぶりの投稿は、そのサムの姿が確認できる1999年の1月25日にアメリカで放送されていたテレビ番組『ミステリアス&スキャンダル(Mysteries & Scandals)』のサム・クック特集の紹介。

 

番組では不可解な事件に見舞われた有名人を題材に、ナレーションに伴う静止画像や再現ビデオを使用し、その有名人の知人らのインタビューを交え、当時あった出来事を紹介している。

サム・クックを特集したこの回のインタビューには、雑誌やテレビの関係者に加え、元マネージャーのジェス・ランドやゼルダ・サンズなどの知人が答えていた。

静止画像の中にはトップ画像の他にも初めて見るものも何点かあった。

 

インタビュー映像では白髪になっていた若い頃のジェス・ランドとサム・クック。

 

 

録音スタジオのコントロール・ルームにいるサム・クック。

 

 

クローゼット・ルームでの試着なのか、サムには珍しく派手なジャケットを身につけている(笑)

 

 

これも珍しくホラーっぽい写り方に(笑)

 

 

映像としても珍しいスティーヴ・アレン・ショウの出演時のものが4分55秒くらいから少し見ることが出来る。

サム・クックは1958年の3月22日にもスティーヴ・アレン・ショウに出演していて、その時に歌った“Ol’ Man River,”の映像は以前からも確認出来ていたが、今回の映像はその2か月前の1月5日に出演していた時のものだ。

司会のアレンが手品のようにサム・クックの"You Send Me"のゴールド・ディスクを出してみせ、この裏面にはどんな曲がの問いにサムが"Summertime"と答えると、アレンはその曲は私も知っていると冗談を言い合っている。

残念ながら映像では確認できないが、このやり取りの前にサムは"You Send Me"を歌っていて、最後に"For Sentimental Reasons"を歌っていたという。

 

このように珍しい静止画像と貴重な映像が見れたことには驚いたが、更にこの番組が優れているのは、後半に映し出されるサム・クックの最後の夜となった事件を再現したビデオのリアルさだ。

レストランで知り合ったリサ・ボイヤーを連れ出し、安モーテルにチェックインするサム・クック。サムがシャワーを浴びている最中に、彼の衣服を持ち去るリサ・ボイヤー。
それに気づいたサムは後を追いかけ、逃げ込んだように見えた管理人室のドアを激しくノックする。室内に入り込んだサムと、モーテルの管理人バーサ・フランクリンともみ合いになり、サムはバーサに拳銃で撃たれる。
「あんた俺を撃ったな」。の言葉を最後に倒れこむサム。トドメとばかりに証言では箒の柄だったが、ここでは角材のようなものでサムの頭を殴りつけるバーサ。そしてリサとバーサが電話で結託していたように現金を手にするエンディング。

 

演じている役者の顔をはっきり映しているわけでもないし、インタビューの合間にコマ切れで映し出されるだけの短い再現ビデオではあるものの、そのサブリミナルな効果がかえって実際に起こった事件を撮影していたかの様なリアルさを生み出している。
サム・クック役を探し出すのに苦労してヘタな伝記映画を作り出すくらいなら、実際のサムの静止画像と既存の音源を用いてこういう手法で作る伝記映画もありではないかと思えてきた。

この番組のシリーズを通して最後にナレーターが投げかけるお決まりのセリフがある。
「名声とは面倒なものだ。(Fame, ain't it a bitch.)」
確かにサム・クックもその名声がなければ関わらずにすんだ事件だったのかもしれない。
それでも面倒と思えるような裏切りや詐欺にあおうとも、自分の命を削ってまで勝ち取った名声で、僕たちに素晴らしい歌声を届けてくれたサム・クックには「ありがとう」の言葉しかない。

今年もサムの残してくれた曲に感謝して、大切に聴き込んでいこうと思います。
てかアブコさん、今年こそはいい加減サム・クックの伝記映画化してくださいよぉ(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

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