茨城のみなさん!
昨日の豪雨!!
大丈夫でしたか!?
昼間とは打って変わって、雹(←ヒョウ ← )まで降ったところもあったとか!?
そんなことになってることを知ったのは帰りの首都高でした
昨日は毎週恒例となった
Farmer's Market@UNUでした!
前日の土曜日は天気に見放されてしまいましたが、
そこは 晴れ男() 日曜の東京は快晴
そして休日にも関わらず
今回、助っ人を買って出てくれた
同級生の君。
その頑張りもあって、
目玉商品である「星の畑」のトマトが
飛ぶように
飛ぶように
飛ぶように!!
売れちゃいました
いつも来て頂いているお客様、
試食して気に入って頂いたお客様、
みんな嬉しそうに買って頂けるので、
不慣れな立ち仕事も苦になりません
気が付けば
こうして、
マルシェというスタイルの販売を始めてから
1ヶ月ちょっとが経ちました。
最初は、
「利益でないし、人手はないし・・・」
と、足踏みしていましたが、実際始まってみると、
友人が手を貸してくれたり、
大学生が手伝いに来てくれたり・・・
本当に救われてるなぁ~と思いました。
特に大学生達は、
春の楽しい休日を削ってまで
私達茨城の農家の為に惜しむことなく
汗を流してくれました!!
今思えば、彼らから学ぶものは多かった気がします。
目の前の事に対するひた向きさや、
結果を恐れずに行動する勇気。
そしてそれらが最終的には
良い結果を生み出すこと。
もし、このブログを観ているならば、
改めて言いたい。
ありがとう!!
次に会う時は、
学生流で出迎えてもらおう(笑)
か~え~る~の~う~た~が~
聞こえてきてますね。
先日、カエルの合唱の新しい楽しみ方を発見しました
それが
農場のハウス(No.17-1)の奥にある、いわゆる耕作放棄地。
その奥にはぐるりと杉林。
ここでカエルの合唱が始まってる訳ですが、
なんと。
カエルの声が杉林で反響して、オペラハウスさながらの音響
僕はオペラハウスに行ったことはもちろんないですが・・・思い込みだけなら疑似体験可能です
静かな日曜の夕暮れにでもゆっくり嗜みたいものですな~
そして、もう1つ、春の便りをご紹介。
わかるかな
クレソン
田んぼの用水路にびっしり
少しちぎって食べてみると、
す~~~っと抜けるような爽やかな辛味と、
野性味あふれる香りが
ただでさえおさまらない食欲がさらに掻き立てられる~~~~~~~
最近は簡単な料理もするようになったので、
クレソン料理にもチャレンジしてみようかな
そんなこんなで、
日に日に深まっていく春を感じながら、
日本に生まれてでよかった~
と思ふ きょうこのごろ 。
田んぼが近い人は寝る前に耳栓のご用意を。
聞こえてきてますね。
先日、カエルの合唱の新しい楽しみ方を発見しました
それが
農場のハウス(No.17-1)の奥にある、いわゆる耕作放棄地。
その奥にはぐるりと杉林。
ここでカエルの合唱が始まってる訳ですが、
なんと。
カエルの声が杉林で反響して、オペラハウスさながらの音響
僕はオペラハウスに行ったことはもちろんないですが・・・思い込みだけなら疑似体験可能です
静かな日曜の夕暮れにでもゆっくり嗜みたいものですな~
そして、もう1つ、春の便りをご紹介。
わかるかな
クレソン
田んぼの用水路にびっしり
少しちぎって食べてみると、
す~~~っと抜けるような爽やかな辛味と、
野性味あふれる香りが
ただでさえおさまらない食欲がさらに掻き立てられる~~~~~~~
最近は簡単な料理もするようになったので、
クレソン料理にもチャレンジしてみようかな
そんなこんなで、
日に日に深まっていく春を感じながら、
日本に生まれてでよかった~
と思ふ きょうこのごろ 。
田んぼが近い人は寝る前に耳栓のご用意を。
こんにちは。
昨日から日中の気温が上がって、昼間は上着いらずでしたね。
風も強めの南風に変わり、
いよいよ春本番!
茨城の桜ももう直き咲き始めることでしょう。
しかし、そんな春とは裏腹な現状。
言葉すら必要ない程に、日本国民の記憶にしっかりと焼き付けられているであろう今回の震災。
いや、言葉にできない。そう綴るべきなのだろう。
地震国として世界的に知られている日本。
相応の準備はしてきたつもりだったのだろう。
しかし、
人類の英知をどれほど積み上げても、
どれだけ多くの金銭を積み上げても、
自然が生み出す力の前には あまりに無力です。
この震災で被災した地域(もちろん私たちの茨城県も含め)の方々には心よりお見舞い申し上げます。
さて、
現在私たち農業者が戦っているもの。
「風評被害」
これももう説明不要の大惨事です。
我がアクト農場には、現在出荷制限を受けている品目は1品目もないのですが、
相次いで注文がキャンセル。
市場での価格崩壊の最中、契約単価を守って注文頂いているお客様もいるものの、
出荷量は通常の半分以下。
この状況がいつまで続くかもわからないまま、
はっきりしているのは売り上げの下降線のみ。
まずいぃぃぃぃぃぃぃ。。。。。
そんな状況を報道すべく、テレビ局、新聞社、雑誌などなどのメディアの方々が
どんどん取材に来て下さいました。
10人いた中国人研修生達も、半数が帰国。
人員が足りない中ではありますが、この現状を少しでも周知してもらいたい!そう考え、なるべく引き受けるようにしてます。
今日来て下さったのは、経済誌「週刊ダイヤモンド」の記者の方。
出荷されずに廃棄されるルッコラのハウスの前で話しながら、記者さんが巡ってきた東北の状況を聞きました。
壊滅状態の海辺の地域の道路が確保され、やっと復興作業に取りかかれること。
報道されているのは一部の便のいい避難所だけであること。ボランティアの支援が届いているのも同じ。
避難生活を送っている人々が、自分たちにできることを探していて、ボランティアされることに惨めさを感じていること。
など、会話を交わしながら、
これからの道筋というか、本当に必要な支援の形が何のか、、、
考えました。
無い頭で・・・
避難している/避難できている人たちの中には、日常的な活動が可能な人が沢山います。
炊出しや、お年寄りの身の回りのことなども、ある程度の範囲ではできるはずです。
すべてをボランティアや公職員が引き受けることはないはずです。
ボランティアという慈善活動ではありますが、被災してるとは言え一健常者である人の生活意欲を削いでしまうのは不本意なことだし、両手を上げて復興支援!とは言いにくいのでは?と思います。
とは言いながら、
実は先月、自分も何か応援しに行こうと、ボランティアセンターへ電話しました。
しかし、今はいっぱいで入れるのはまだ先になると聞いて、とても違和感を覚えました。
最初は「日本中のみんなが東北を応援してるんだ!諦めずにリトライしよう!」
などと考えましたが・・・・・
ある日twitterで、被災地の方の言葉を代弁しているのを観る機会があり、目が覚めた様な気がしました。
その内容は
”炊出しはもうたくさんだ。ボランティアは有難いが、自分達が何もしないと惨めなだけだ。”
というものでした。
はっ としました。
避難所の誰もがそう思ってるとは思いませんが、
根本的に人間は、日々何らかの活動を通して充実感や達成感を得ています。
それがまるっきり与えられるものに変わってしまっては、自分の存在を疑い兼ねないのではないか?
現状の避難所で生まれるのは、助かった安心感より、
何の達成感もない日常への不安や苛立ちなのでは?
少々言葉が過ぎるかもしれませんが、復興の真意というのはそういうところにある気がしました。
神々が与えた試練は、とても大きな障壁ですが、乗り越えた先にはさらに大きな光が待ってる気がします。
最後まで諦めずに
辛抱!! & 挑戦!!
昨日から日中の気温が上がって、昼間は上着いらずでしたね。
風も強めの南風に変わり、
いよいよ春本番!
茨城の桜ももう直き咲き始めることでしょう。
しかし、そんな春とは裏腹な現状。
言葉すら必要ない程に、日本国民の記憶にしっかりと焼き付けられているであろう今回の震災。
いや、言葉にできない。そう綴るべきなのだろう。
地震国として世界的に知られている日本。
相応の準備はしてきたつもりだったのだろう。
しかし、
人類の英知をどれほど積み上げても、
どれだけ多くの金銭を積み上げても、
自然が生み出す力の前には あまりに無力です。
この震災で被災した地域(もちろん私たちの茨城県も含め)の方々には心よりお見舞い申し上げます。
さて、
現在私たち農業者が戦っているもの。
「風評被害」
これももう説明不要の大惨事です。
我がアクト農場には、現在出荷制限を受けている品目は1品目もないのですが、
相次いで注文がキャンセル。
市場での価格崩壊の最中、契約単価を守って注文頂いているお客様もいるものの、
出荷量は通常の半分以下。
この状況がいつまで続くかもわからないまま、
はっきりしているのは売り上げの下降線のみ。
まずいぃぃぃぃぃぃぃ。。。。。
そんな状況を報道すべく、テレビ局、新聞社、雑誌などなどのメディアの方々が
どんどん取材に来て下さいました。
10人いた中国人研修生達も、半数が帰国。
人員が足りない中ではありますが、この現状を少しでも周知してもらいたい!そう考え、なるべく引き受けるようにしてます。
今日来て下さったのは、経済誌「週刊ダイヤモンド」の記者の方。
出荷されずに廃棄されるルッコラのハウスの前で話しながら、記者さんが巡ってきた東北の状況を聞きました。
壊滅状態の海辺の地域の道路が確保され、やっと復興作業に取りかかれること。
報道されているのは一部の便のいい避難所だけであること。ボランティアの支援が届いているのも同じ。
避難生活を送っている人々が、自分たちにできることを探していて、ボランティアされることに惨めさを感じていること。
など、会話を交わしながら、
これからの道筋というか、本当に必要な支援の形が何のか、、、
考えました。
無い頭で・・・
避難している/避難できている人たちの中には、日常的な活動が可能な人が沢山います。
炊出しや、お年寄りの身の回りのことなども、ある程度の範囲ではできるはずです。
すべてをボランティアや公職員が引き受けることはないはずです。
ボランティアという慈善活動ではありますが、被災してるとは言え一健常者である人の生活意欲を削いでしまうのは不本意なことだし、両手を上げて復興支援!とは言いにくいのでは?と思います。
とは言いながら、
実は先月、自分も何か応援しに行こうと、ボランティアセンターへ電話しました。
しかし、今はいっぱいで入れるのはまだ先になると聞いて、とても違和感を覚えました。
最初は「日本中のみんなが東北を応援してるんだ!諦めずにリトライしよう!」
などと考えましたが・・・・・
ある日twitterで、被災地の方の言葉を代弁しているのを観る機会があり、目が覚めた様な気がしました。
その内容は
”炊出しはもうたくさんだ。ボランティアは有難いが、自分達が何もしないと惨めなだけだ。”
というものでした。
はっ としました。
避難所の誰もがそう思ってるとは思いませんが、
根本的に人間は、日々何らかの活動を通して充実感や達成感を得ています。
それがまるっきり与えられるものに変わってしまっては、自分の存在を疑い兼ねないのではないか?
現状の避難所で生まれるのは、助かった安心感より、
何の達成感もない日常への不安や苛立ちなのでは?
少々言葉が過ぎるかもしれませんが、復興の真意というのはそういうところにある気がしました。
神々が与えた試練は、とても大きな障壁ですが、乗り越えた先にはさらに大きな光が待ってる気がします。
最後まで諦めずに
辛抱!! & 挑戦!!