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J・P・ホーガン(池央耿訳)『星を継ぐもの』(創元SF文庫)を読みました。
SFの中でも、物語性よりも科学性を重視したものを「ハードSF」と呼ぶことがありますが、『星を継ぐもの』は、あまり一般受けはしない「ハードSF」の中でもよく読まれ、愛されている名作です。
近未来、人類が月で遭遇した不可解な出来事。原子物理学者や生物学者、言語学者など、各分野の第一人者が集結し、その謎に挑む――。
手にした証拠を元に仮説が立てられ、分野ごとに対立し、また新たな仮説が立てられるという物語で、読み方によっては、頭のいい人たちが好き勝手に理論を構築するだけの、退屈な小説かも知れません。
しかし、その月での不可解な出来事というのが、もうかなり気になってしまう謎なんです。物語の中心人物ヴィクター・ハントは、国際宇宙軍本部長のグレッグ・コールドウェルからこう説明を受けました。
月面基地の調査隊が洞窟を発見し、その中から死体が発見されたと。
再び画面が変わって、前の一枚と同じアングルから撮られた洞窟内部が映し出された。しかし、そこには半ば除去された岩石や土砂の中に横たわる人体の上半身が見えていた。死体は宇宙服に包まれていた。灰白色の粉塵にうっすらと覆われた宇宙服は真紅であると思われた。ヘルメットは原型を保っているらしかったが、撮影用のライトがヴァイザーに反射して、中の顔はよく見えなかった。コールドウェルは二人が画面をとっくり眺め、眼前の事実について充分思案する時間を与えてから話を続けた。
「これがその死体です。そちらからお尋ねがある前に、当然予想されるいくつかの質問にお答えしておきましょう。第一に……答はノウです。死体の身元は不明です。それで、わたしらは仮にこの人物をチャーリーと呼ぶことにしています。第二に……これも答はノウです。何がこの男を死に追いやったか、はっきりしたことは何も言えません。第三に……これもノウ。この男がどこからやって来たのか、わたしたちにはわかっていません」(46ページ)
月面基地の関係者の中に、行方不明になった人はいないんですね。
それどころか、チャーリーと名付けたこの死体を地球のウェストウッド生物学研究所に運び、放射性炭素で年代を測定すると、驚くべき結果が出ました。なんとチャーリーが死んだのは5万年以上前だと。
5万年以上前に死んだ、月へ行くことの出来た文明を持っていたと思われる、人類によく似た死体。一体、チャーリーは何者なのか?
生物学者はチャーリーの遺体を分析し、言語学者たちはチャーリーが持っていた手帳の解読を試み、原子物理学者のヴィクター・ハントはそのすべてを統括するチームを作って、謎の解明に当たるのです。
月で見つかった5万年以上前の謎の死体の話と聞いて、気になってしまった方は、ぜひ読んでみてください。科学的な議論が多いですが、少しずつ謎が解明されていくミステリ的な面白さのある作品なので。
「ハードSF」の中には、難しすぎてついていけないようなものもありますが、『星を継ぐもの』は文体、内容ともにやや硬い印象は受けるものの、謎が面白いだけに、ぐいぐい読み進めることができます。
まさに「これぞSF!」というような、小説として面白いだけでなく知的好奇心をも刺激してくれる作品。SF初心者の方にもおすすめ。
作品のあらすじ
メダダイン社の理論研究主任ヴィクター・ハント博士は、会社の命令でポートランドへ向かっていました。ハントの研究は会社にとっても重要なものであり、それを中断させるというのは余程のこと。
飛行機に間に合わなかったので、全自動のエアカーで現地へ向かったハントは、国際宇宙軍(UNSA)航行通信局(ナヴコム)本部長グレッグ・コールドウェルと会い、驚愕の事実を知らされました。
月面基地の調査隊が、洞窟で宇宙服を着た死体を見つけたのですが、それがなんと5万年前に死んでいることが分かったというのです。
ハントは考えます。5万年前に月に行けるほどの文明が地球にあったならば、何かしらの遺跡が残っていたはずだと。一方、元々月に住んでいたのだとすれば、宇宙服を着ていることが腑に落ちません。
別の惑星の宇宙人だと考えるのが最もしっくり来ますが、それにしては死体はあまりにも人類によく似ているのです。別々の星で別々に進化を遂げた種が、そこまで酷似することがありえるでしょうか?
”チャーリー”と仮に名づけられたその死体は、その持ち物などから、人類よりも少し進んだ文明を持つ種族であることが分かり、調査員たちの間でルナリアン(月世界人)と呼ばれるようになりました。
チャーリーが持っていた手帳から、十進法ではなく、十二進法の世界であることも分かります。言語学者たちはルナリアン語の解読を試みますが、分かったのは、37文字のアルファベットがあることだけ。
会議ではチャーリーと人類の類似について様々な意見が出ますが、生物学者のクリスチャン・ダンチェッカーは、神秘的な奇跡を否定し、チャーリーは不完全さの点でも人類と似ていると発言したのでした。
研究者たちの期待に満ちた顔をひと渡り見回して、ハントは言った。「ただ今のお話は、概ね従来一般に認められている比較解剖学および進化論の原則を再確認する趣旨であったと思います。ここで不用意な発言をして誤解、混乱を招くことは好ましくありませんから、わたしは質問を差しはさむ意思はありません。が、教授の発言をまとめるならば、チャーリーはわれわれと祖先を同じくするものである以上、われわれ同様、地球上で進化した人種に相違ない、という結論ですね」
「そのとおりです」ダンチェッカーは相槌を打った。
「結構」ハントは言った。「(中略)チャーリーが地球上で進化した人種であるとすれば、チャーリーがその一構成員であったところの文明もまた地球上に築かれていたはずです。これまでに知られている事実から判断して、その文明ないし文化は現代人と同じ水準に達している。いや、二、三の領域においてはそれ以上に発達していたと思われる節があります。それが事実なら、今日われわれはチャーリーの時代の文明の遺跡を無尽蔵に発掘、発見しているはずです。ところが、現実にはそのような例は皆無です。これはいったい、どういうことでしょう?」(92~93ページ)
ダンチェッカーは答えられず、チャーリーをめぐる謎はますます深まるばかり。各部門と連携を取りながら、全体図を眺める組織が必要だと判断したコールドウェルは、ハントを引き抜くことにします。
各分野の第一人者たちには、「嵌め絵の一齣一齣の色を塗ってもらわなくてはならん。その上で、きみのような人間に、その齣をきちんと並べて一枚の絵を完成してもらいたいわけだ」(116ページ)と。
そうして新設された「スペシャル・アサインメント・グループL」の総指揮官となったハントは、生物学や言語学など、各部門と連携を取りながら、チャーリーをめぐる謎を追っていくこととなります。
やがて、月の表面にまつわる新事実が分かり、ジュピターⅣ(第四次木星派遣隊指令船)によって驚くべき発見がもたらされ、チャーリーの手帳に記されていた記録の解読も少しずつ進んでいきます。
しかし各部門が仮説の根拠として持ち出す証拠は、時にそれぞれが矛盾したものであり、ハントの頭を悩ませ続けるのでした。
どの説が正しいか、どの論が誤りか、判断しようとするのは問題の本質を見失うことであろう。迷路のどこか一点、おそらくはあまりにも初歩的であるがゆえに誰も顧みようとしないところに、決定的な誤りがあるに違いない。あまりにも他愛のないことであるために、却って誰もが自分で犯していることに気付かぬ誤り。もし、彼らが初心に帰ってその一点の誤りを突き止めるならば、矛盾は雲散霧消して、対立する議論は何の抵抗もなく、円満に統一されるのではなかろうか。(214ページ)
やがて、コールドウェルから頼まれたハントとダンチェッカーは、すべての謎を解くため、ジュピターV(第五次木星派遣隊指令船)に乗り込み、宇宙を旅することとなって・・・。
はたして、ハントとダンチェッカーがたどりついた、謎めいた死体チャーリーの正体とは一体!?
とまあそんなお話です。物語性はほぼ皆無、多少癖はあるもののハントやダンチェッカーもさほど魅力的なキャラクターではありません。
仮説が出されては消され、新たな仮説を元に議論される――それがくり返される小説なので、ストーリー的な面白さもありません。
しかし、読み進めるに従って、ストーリーの面白さとはまた別の、知的好奇心の部分で興奮させられる面白さがある小説なんです。5万年前の死体の謎に引きつけられて、読み始めたらもう止まりません。
SFの醍醐味を感じさせてくれる名作なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。非常に面白い、おすすめの一冊です。
明日は、F・W・クロフツ『樽』を紹介する予定です。